世の中には元社長や元校長、元◯◯がいくらもありますが、こう言う表現は何か事件があったときマスコミがつけるものであって、自分から名乗れないところが困るのでしょうか?
課長は課長の待遇、定年後再雇用されて非正規になれば元部長、元課長などと言いません。
社長は社長の待遇、辞めればその後転進後の肩書きが付き、肩書きがなくなれば、その人のそのときの人柄だけで勝負する・・このようにありのままの人柄・人格でそのときの待遇を受けるしかないのではないでしょうか?
弁護士だけが現在やっていない過去の仕事の肩書きにこだわるのはおかしい気がします。
ただ、人間を合理的側面だけで割り切って行くのは間違っています。
高齢者施設等では、ボケ始めた人をバカにしたような扱いが良くないと言われていて、もと校長先生には先生と呼びかけたら・・嬉しそうに反応して生き生きとするようになったなどの話が一杯あります。
人間は最後まで、誇りを持って生きたいものですから、非合理な感情だと言って馬鹿にしてはいけません。
ところで論理的に整理してみると、司法試験を資格試験と考えれば、(20年ほど前に大量合格制度の議論が始まったときにも、資格試験か競争試験かの議論がありました)大卒その他のいろんな資格を見れば分るように、一旦得た資格は終身で良いことになります。
調理師や建築士や介護士や美容師、溶接資格など総べてそうですが、美容院経営をやめても美容師の資格はなくならないでしょう。
あまりにも職業に密接過ぎてその仕事を辞めたら意味がないからでしょうか、元美容師とか言うものの、調理師などをやめて別の仕事や無職の人が自分は調理師です・美容師ですと自己紹介する人はいません。
大学教授を辞しても博士号はそのままですし、江戸時代の武士は、奉行その他の役職を辞して隠居して出仕しなくなっても、 武士の資格が変わりませんでした。
弁護士の場合は、生活の糧を得ることが主目的ではなく、武士のような資格制度から意識が始まっていたのですが、これが強制加入制度となって、弁護士会に加入しないと弁護士を名のり、且つ弁護士業務を出来なくなったことによって、資格名称と職業名称が合体してしまった歴史があります。
この歴史がDNAとして残っているので、業務を辞めても弁護士資格・学者で言えば博士号のようなもの?にこだわりたい人が多い原因があるのかも知れません。
このように考えれば75歳以上で会費免除を受ける会員は、弁護士業務をしないで資格を有するだけにすれば実態と一致しますが、顧客にとっては、業務をやれる弁護士とやれない弁護士の区別が付かないと混乱します。
会費免除者=名誉資格だけであると言う歴然たる新たな表示方法の工夫がいるでしょう。
高齢弁護士にすれば、「弁護する資格・能力はあるが、お金に困っていないから悠々自適の生活をしているだけだ」と言う気持ちがあるのでしょう。
とは言え、自分では若いもののには負けない自信があっても、実際に90歳になって来れば能力が落ちていることは明らかです・・資格剥奪までしなくとも自然ににやめて行くし、顧客にも分るので、実害が生じていないだけはないでしょうか?
会費が高いとこの自然的隠退を早めることになるので、一概に悪いとは言えない逆に良いことかも知れません。
ここではその点を議論するテーマではありませんので、このくらいにしておきます。
これからの人生がある若手・中堅にとっては、会費負担の比重が大きくなり、自分の意見と正反対の政治運動に会費の多くを費やしていることが多いとなれば、その分でも安くしてくれるかどうかは死活的問題です。
結果的に右であれ左であれ(はっきり中立の公益活動と分る分野は別として)一切の間接的政治運動しないで、その分会費を安くして欲しい希望者が増えて行くのは自然の流れになります。
こう言う人が増えて来れば、その意を組んで会執行部による政治活動(関連支出)が自粛されて行くようになるでしょう。
それが大人の智恵です。
多数で決めたのだからと言って、遠慮会釈なくやれば会内に亀裂が生じてしまいます。
大分前に書きましたが、各種委員会はその道の「お宅が集結している」関係で、次第にやることや意見表明がエスカレートして行く傾向があるように思えます。
執行部が大人の智恵でこれをセーブしようとすると、街宣行動や集会開催等を求める委員会対執行部の対立場面がこれから増えて行く・・セーブする役割を果たすことが却って必要ではないでしょうか?