法網をくぐる1(法技術に頼る弊害1)

不法収益を手に入れている暴力団を追いつめるために、条例によってやんわりと一般取引からの閉め出し手法で迫って行った我が国の手法は、ソフトで鮮やかでした。
元々江戸時代の村八分だって同じで、学校教育では人権侵害の面ばかり習いますが、刑事処罰のバラエテイーがなかった時代には、(追放等の刑罰の種類を以前紹介したことがあります)死罪や追放・あるいは入れ墨程度しか処罰方法がなかった時代には、微温的で(・・村八分の場合、仲間はずれにするパターンもいろいろな段階・・子供の遊びは良いとか寺子屋を休むことはないとか祭りや法事参加・・村の道路や灌漑設備普請の義務を免除しない=共同作業参加で事実上息抜きになるなど)合理的な手段でした。
上記金融取引全面禁止は、個人責任主義の本家とされているアメリカ主導でマネーロンダリング禁止徹底のために世界的に広がって来た仕組みの一環であり、世界的潮流にもあっていて人権侵害と言う批判も難しそうです。
ロシアのクリミア侵攻に対して欧米諸国がとっている金融制裁も同じ手法です。
表向きロシアは侵攻を否定していますが、覆面した軍が侵攻してウクライナ正規軍を圧倒した上で、法的には住民投票によるロシア併合と言うやり方で超形式的に見れば合法的ですが、こう言う鉄面皮なやり方がまかり通れば世の中正義を信じる人がいなくなります。
日本で言えばヤクザ組織の犯行が見え見えでも、幹部が関与した証拠さえなければどんな裁きも受けないのと同じ「証拠主義」の悪しき結果がまさにクリミア・ウクライナ東部で起きています。
これを放置出来ないのでロシアが鉄面皮に知らないと言い張っても国際社会は経済制裁に乗り出しました。
日本はアメリカのような国際的に強力な強制システムを自己だけでは構築出来ませんが、アメリカに協力する形で指定暴力団の金融取引禁止をすることが出来ますし、逆に違反するとアメリカでの金融取引から閉め出されてしまうので、国際金融取引しないとやって行けない金融業界・暴系関係業界では、事実上の強制力が生じています。
アメリカは中国に対して、サイバーテロ容疑・・これも鉄面皮に中国はシラを切っていますが、中国に対して経済制裁することが出来ない代わり陰に陽に対中国敵視政策(村八分の弱い段階です)に切り替えています。
以上見て来たように、集団・組織利用の場合、個人責任法理ばかりでは法網をくぐる違法行為が横行するので、集団も相応の責任を持って貰うために、(テロを手始めにして)世界中が工夫し始めて数十年経過しています。
個人行為に対する集団責任帰属制度は今のところまだ犯罪集団限定ですが、個人法理と証拠の有無ばかり強調していて実行犯人周辺しか規制出来ないで放置しているのでは、世界秩序が守れない・・自国秩序も守れない時代が来ていることが明らかです。
10日ほど前に、アメリカが何百万人分の公務員情報がサイバーテロで流出したと公表した際に「中国のレベルの高さには敬服する」と皮肉を含めた発表をしながらも、中国政府関与とは言い切りませんでした。
この種の防御力では、世界最高水準にあるアメリカでさえも、サイバーテロの発信元が中国から来ていることまで分っても、(中国政府ダミーがやっているとほぼ分っていても?)断定出来ない・・実態を表しています。
国際関係では、重要証拠・拠点が相手の領域内にあるので、強制捜査が出来ない点をロシア(クリミアに展開した覆面部隊を逮捕することが出来ません)も中国も利用しているからです。
大きな仕事を達成するには集団・組織行動が中心の時代に「証拠のある個人だけ処罰」し、幹部その他構成員が関係している「証拠や法律さえなければ何をしてもいい」と言う(正義の基準など無視する)価値観が広がり過ぎています。
実は証拠がないのではなく証拠法則上当局が証拠収集出来ない面が多々あります。
あるいは法網を巧みにくぐれば良いかのような風潮も問題です。
我が国の民事事件で言えば、武富士事件のショックは大きなものがありました。
武富士創設者長男の所得税裁判に端を発して、国税庁が海外に絡んだ課税に関する裁判で負け続けていると言われています。
世界的に問題になっている世界企業の課税逃れ・・最近では世界的に租税回避問題が大問題になっていますが、根底には、「法網さえくぐれば結果の不道徳性には関係がない」だろう式の公然たる動きに世界中の国民が疑問を持ち始めたことになります。
租税回避やクリミヤ併合をきっかけに、法と道徳の基本に立ち返る必要性が再認識され始めたと言えるでしょう。

暴力団お断り2(マネーロンダリング禁止)

アメリカを起点とするテロ防止機運が世界を覆っています。
テロの強調自体がアメリカによる世界支配の道具立てかも知れませんが、ここのテーマではないので、その点をおいて書いて行きます。
テロ組織封じ込めに対する有力な武器が世界的な金融取引禁止制度です。
組織活動には大きな資金の移動が必須です。
アメリカの指定するテロ組織と金融取引すると、アメリカ外の金融機関もアメリカで処罰(高額罰金)出来る仕組みで、これ応じないと当然のことながらアメリカ国内の金融取引禁止となり、国際金融機関としては致命的ダメージを受けます。
(イランやリビアのようにテロ国家指定されると金融取引全面禁止が知られています・・イランとの取引・違反がバレたフランスの大手銀行が兆円単位の巨額罰金を払わされたのは昨年のことだったと思います。)

http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM3000W_Q4A530C1EAF000
米、BNPパリバに罰金1兆円超検討 イランなどと取引
2014/5/30 10:41
フランス銀行最大手BNPパリバが米国の法律に違反してイランやスーダンなど金融制裁対象国と金融取引していた問題で、米司法当局は同社に100億ドル(約1兆円)超の罰金を科す検討に入った。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙(電子版)が29日、関係筋の話として伝えた。

その後の報道では、実際に罰金が似たような額で決まったと出ていたように思います。
以前アメリカで指定された日本の暴力団幹部氏名の公表を紹介しましたが、この指名を受けると日本国内金融機関も(上記のとおりアメリカでの業務停止になるので)取引出来ません。
この指名・・金融取り引き禁止を確かなものにするための装置が、本人確認法→犯罪による収益の移転防止に関する法律です。
(平成十九年三月三十一日法律第二十二号)
目的)
第一条  この法律は・・中略・・犯罪による収益の移転を防止すること(以下「犯罪による収益の移転防止」という。)が極めて重要であることに鑑み、特定事業者による顧客等の本人特定事項(第四条第一項第一号に規定する本人特定事項をいう。第三条第一項において同じ。)等の確認、取引記録等の保存、疑わしい取引の届出等の措置を講ずることにより、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律 (平成十一年法律第百三十六号。以下「組織的犯罪処罰法」という。)及び国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律 (平成三年法律第九十四号。以下「麻薬特例法」という。)による措置と相まって、犯罪による収益の移転防止を図り、併せてテロリズムに対する資金供与の防止に関する国際条約等の的確な実施を確保し、もって国民生活の安全と平穏を確保するとともに、経済活動の健全な発展に寄与することを目的とする。
定義)
以下省略(金融商品取引、銀行取引、不動産取引等が列挙されています)
第二十七条(なりすましや、通帳等の譲り渡し等に対する罰則)

以下平成27年6月27日現在のウイキペデイアの解説です。
※内容は平成平成13年施行前のようですが、今では6月30日に紹介したとおり一般の不動産契約書も暴力団排除条項が印刷されています。
概要[編集]
「従来、日本におけるマネー・ローンダリング対策の柱となる法律は、「本人確認法」と「組織犯罪処罰法」の2つであった。
しかし、2003年(平成15年)に改訂されたFATF「40の勧告」において、金融機関のみならず、非金融業者(不動産・貴金属・宝石等取扱業者等)、職業的専門家(法律家・会計士等)についても規制すべき対象として追加される。そこで、政府の国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部は、「本人確認法」と「組織犯罪処罰法」第5章を一本化し、対象業種を拡大する法案を作成すること、FIUを金融庁から国家公安委員会に移管することなどを決定する。
2007年4月1日に一部施行され、翌年3月1日の全面施行により「本人確認法」と「組織犯罪処罰法」を置き換える形となったが、金融機関との取引に際して行われる本人確認の内容は基本的に変わらないが、宅地建物取引業などが新たに確認対象業者とされた。
2013年4月1日に改正法が施行予定。確認が必要となる取引や、取引者の個人特定情報のほか、職業・事業内容、取引目的、支配的株主など確認事項が追加される。」

指定暴力団員になると、まさに自分の名義での経済活動が殆ど何も出来ない・・どころか、誰かの名義を借りて取引すると詐欺罪になる仕組みですから大変です・・誰かのヒモにならない限りマトモに生活して行けない仕組みが完成しています。
つい1〜2週間前には、九州で有名な工藤会会長が脱税で再逮捕されたと報道されています。
上記のとおり殆どの現在的取引が出来ない・・所得申告出来ていない工藤会会長が、贅沢な生活が出来るのは所得を隠していると言う前提の検挙です。
合法収益が納税義務があるのに不法収益に限って所得税を負担しなくて良いと言う論理は無理があるので、不法であろうと合法であろうと収益を認定される以上は納税義務があるのは当然です。
刑事犯罪を犯しているかどうかは別として、脱税から迫るのはこれまた新たで強力な手法です。
このように個人責任主義の悪用によって責任を免れて来たグループに対して、相応の責任を負わすべき仕組みがそろいつつあります。

集団責任3(組長訴訟)

昨日紹介した暴排条例の続きです。
暴力団員一人一人が犯罪を犯せば処罰されますが、何もしていない・・犯行を具体的にしていない・・証拠がなくとも指定組織員と言うだけで社会活動からのほぼ100%の閉め出し、各種プレーお断り出来るようにする風潮です。
近年暴力団に対する締め付けが広がり、あらゆる業種・・ゴルフ場などで「暴力団員のプレーお断り」などあちこちに広がっています。
(温泉の入れ墨お断り程度なら入れ墨さえしていなければ良いし、生活には支障がありませんが、レベルの違う話です)
振り込め詐欺事件では、末端で銀行口座の名義貸しをした人が、(本人確認資料提出している関係で)先ず検挙されますが、その犯罪事実は他人に貸す目的を言わない・・銀行を欺いて口座を作ったこと・・これが詐欺罪に問われる仕組みです。
(名義貸し主が検挙されると、多くは「振り込め詐欺に使われるとは知らなかった」と言う言い訳ですから、振り込め詐欺の共犯容疑では有罪判決まで持ち込むのには無理があるし、検挙時には関連証拠もありません)
組員自身が組に入っているのに入っていないと噓を言って、自分名義で銀行口座を開設したり不動産取引等をしても、組員ならば取引に契約しなかったと言う業者の供述調書が作られて、詐欺罪になります。
最近では組長の娘が自分名義で口座を作って、父親である組長に使わせていたことが詐欺罪で有罪になっています。
条例自体は刑事罰ではないとしても、これに従って、かなりの業種では、業界ひな形によって、契約書に暴力団関係との契約禁止条項を入れるようになり、契約時に暴力団員なのに組織員ではないと噓を言って契約すると詐欺罪になる・・事実上あらゆる種類の契約・・社会生活が出来ない事態が起きています。
家を買うことも借りる契約することも、銀行取引も出来ないので、電気ガス電話料金等の引き落とし契約も出来ません。
最初は誰かの名義を利用していれば良いと思っていたでしょうが、上記のように名義貸し自体が詐欺罪検挙の運用ですから大変です。
クルマの場合、名義貸しではなく名義人が組長の運転手として毎日乗っていれば名義貸しにはなり難いでしょうが、そんな程度です。
組員が悪いことをしても全員が共謀に関与している訳ではないので、個人責任原理のきつい刑事手続では、(振り込め詐欺の例では上記のとおり)刑事責任を問えない代わりに、そんなグループとは社会全体でおつきあいをお断りしましょうという運動が法的レベル・・取引自体が刑事処罰になるのではなく、民間が暴力団排除契約書を作っている結果、騙して契約しないとマトモな契約1つ出来ない・結果的に詐欺罪となって刑事処罰を受ける仕組み)になってきたのが現在社会です。
ムラの掟を守らない一家には一定限度を超えても刑事処分までしない代わりに、村八分にして村の共同社会の付き合いをお断りしていた江戸時代と原理が同じです。
ただ、暴力団組織員は生まれつきの身分ではなく、「足を洗い」さえすれば逆に更生出来るように公的に応援する仕組みですから、自分で選んでいる点が民族問題とは、大きな違いです。
出身民族は自分で選べないので、出身による事実上の公的差別をすると大きな人権問題になります。
憲法
第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

人によっては帰化して日本国籍を取れば良いのに、敢えて何十年も在日のママでいる方がおかしいと言う意見もあります。
この辺は、暴力団から脱退しないのと似ているけれども違う・・この違いこそが本質的な差であると思う人が多いでしょう。
日本国籍を取る気がないのに長期間居住させる方に問題があるならば、永住権その他外国人在留資格制度を改正して行くべきかどうかの問題です。
観光や留学その他入国目的によって、在留期間が法定されていますし、その滞在態様によって日本で果たす権利・義務も違って来るべきでしょうから、在特会の批判の多くが在留資格と果たしている義務が比例関係にないことにあるのかも知れません。
その辺の具体的な議論に入って行くと、話題がそれるので、また別の機会・・話の流れによってそのときにします。
公的な在日排除条例がないのはその点で妥当ですが、個人的に「在日とは付き合いたくない」と思うのは個人の自由の範囲と思えます。
これを外部に言いふらす・・賛同者を募るのが許されるかどうかの問題でしょう。
誰も相手にしなければ(例えば子供を殺された人の周辺だけ加害者一家と付き合わなくとも、)害がないのですが、賛同者が人口の過半を占めるようになると「在日」と言うだけでその社会で生き辛くなるので、人権問題になります。
こうして見ると、賛同者が増えると危険になる関係です。
集団内の行為については、その結果をある程度引き受けるべきだとしても、その程度が重要です。
民族に関係のない集団と個人の関係の話題に戻ります。
刑法では、犯行に直接関与しない組幹部の責任追及を出来ませんが、民事では10〜20年以上前から、いわゆる組長訴訟・・組長に対する損害賠償訴訟が定着しています。
以下はhttp://www.lawandpractice.jp/files/yongou/urakawa.pdfからの引用です。
組長訴訟の生成と発展 浦川道太郎
「抗争の前面に立って実行行為をする末端組員 には賠償資力がない者が多く,収監されてしまえば,実際上賠償を求めること は不可能になる。
このような状況の中で,被害者救済のために,組織の上部で最終的・最大の 利益を収めている暴力団組長に対して損害賠償責任を問うことが必要になる。 この方法として,民法 715 条に定める使用者責任を基礎に,暴力団組長の責任 を追及する「組長訴訟」が提起されることになった2)。
「使用者が被用者の活動によつて利益をあげる関係にあることに着目し,利益 の存するところに損失をも帰せしめる」報償責任の原理を考えると,組員の活動から上納金の形で利益を吸い上げている組長に対する責任追及には,同原理 を根拠にする使用者責任こそが相応しい法的構成であるともいえよう。」

このように暴力団に関しては、個別犯罪を認定出来しなくともその周辺利益帰属者に幅広く網がかかる時代が来ています。

暴力団お断り1(暴排条例と村八分)1

個人責任の空理空論をそのまま信用して、親戚縁者あるいは出身民族あるいは同業界がいくら悪いことしても自分の名前が表に出なければ何の責任もないとシラを切れるのでしょうか?
一定組織の犯罪率・非道義的行為が多いと、参加・行動しない(手引きをした証拠がない)までも、内心応援・・同調している人、あるいは似たような価値観で行動しているが多いからではないかと見る人が増えて行きます。
民族団体の政治活動があった場合、誰が実際に応援・支持しているか分らない・証明出来ないのが普通ですから、法的対応出来ない分に比例してフラストレーションがたまり、敵対集団にとってはその集団全員を敵視したくなるのが普通の心理であって、特定集団や民族非難をすることを禁止したり道義非難するのは実態にあっていません。
同一業界内で産地名の偽装が多いと、同業界全部の信用がなくなるのが普通です。
商品の場合消費者は黙って買わなければ良い(個人的不買)すれば良いことですが、国内集団の場合何らかのおつきあいお断りの意思表示をするしか対抗手段がありません。
政府は犯罪でない限り法的対応出来ないし、商品と違って個人的不買で対抗も出来ないし、フラストレーションがたまる仕組みです。
反日慰安婦騒動では、その運動に韓国観光業界が、加担しているか支持しているかを別として、日本人の韓国旅行や韓国への投資が激減しました。
これが大方の常識的国民意識であって、非難されるような行為ではありません。
ある人がある集団的行為に具体的に関与しているかどうかにかかわらず、民族や集団行為の効果・・プラスマイナスも間接的に集団構成員が受けるべき状態が世界的に存在しています。
反日活動は刑事犯罪そのものではないですが、ある人が反日活動に関与している証拠がなくとも反日活動している集団に属している場合、属していること自体によって、何らかの社会的効果を受けるようにすべきだと言う傾向が広がっていることの事例として暴力団組織の例を書いて行きます。
勿論在日自体が犯罪集団と言う訳ではないので、犯罪集団である暴力団組織に対する締め付けとは次元が違うと言う批判があるでしょうが、ここでは、集団と個人のテーマとして、個別に事件関与しなくとも集団構成員であることだけで、社会的締め付けが個人の不買程度ではなく許される突破口が開かれている事例として紹介します。
暴力団では集団の威力を利用していながら、犯罪行為があっても組織幹部は裁判になれば関与した証拠がないと言うことで責任を免れて野放しになっていることに対する社会不満がたまってきました。
ある人が犯罪に関係している証拠がないとしても、犯罪行為等によって結果的に収益を得ている集団を許さないと言う流れ(個人責任法理の変容)が生まれていることを以下、暴力団排除条例を例として紹介して行きます。
6月29日現在のウイキペデイアによると、
「2004年6月に、広島県と広島市が条例で公営住宅の入居資格について「本人とその同居親族が暴力団対策法に規定する暴力団員でないこと」と規定した。暴力団排除が規定された条例はこれが初めてである。
また東京都豊島区で、不動産の取引において暴力団を排除することを規定した生活安全条例が制定され、2009年1月に施行された。」
上記ウイキペデイアによると「暴力団排除条例」を制定している都道府県は47都道府県・・すなわち全国に及んでいます。
いわゆる「個人責任主義」を良いことにして「法網をくぐる輩がうまい思いをしているのを許さない」と言う動きで、これに対する人権グループとのせめぎ合いが始まっています。
「悪いことをした証拠がないのに差別するのは、人権侵害ではないか」と言う意見もあるでしょうが、証拠がないのではなく現在の証拠法則では証明出来ないのを悪用しているだけの可能性が高いと言う意識の高まりによります。
証拠法則を緩めるか、証拠がないことを前提に結果的に収益帰属者を締め付けるのを許すかの政策選択の問題です。
一般個人事件に付いては、人権重視のために従来どおり厳格な証拠法則によってきっちり認定して行く必要があるでしょうから、証拠法則全般を緩めて一般的にいい加減に犯罪を認定して行くようにするのは危険です。
組織や集団事件に関しては、共謀罪法の制定その他で共謀関係の認定をし易くして行く必要がある(この辺は共謀罪のシリーズで書いてきました)外に、それでも関係者が知らぬ存ぜぬで口を割らないときには、無理に刑事処罰をしないで、別途収益の帰属主体に対しては相応の民事的締め付け・税務的徴収方法を考案する・・あるいはそう言う集団にはビルを貸さない、銀行取引しないと言う方法を考案するのは合理的です。
このような智恵が広がって来たのが、暴力団排除条例と言えます。
「個人責任の原理」と言うドグマにとらわれている・文化人の影響力の大きい国家レベルではなかなか思いつかないことですが、「条例」と言う形で全国に広がったのは言わば現実に即した庶民の智恵の結集と言えるでしょうか?
国家レベルでも、ドグマ的に無理な法案は「議員提案」と言う形式が良く利用されますがその一態様です。
古代に律令制のままでは、うまく行かない分野では令外の官が生まれて来たのと似ています。
上記条例を見ますと、暴力団とは特定取引に限らず多種多様な取引をしないように要請しています。
条例自体は基本的に業者に対する努力目標程度ですから大したことがないようですが、実は銀行・宅建業者その他かなりの業種(業界標準書式)でこの定型文言を印刷した契約書を利用していることが、後で大きな威力を発揮するようになって行きます。

個人責任プラス集団責任へ2

犯罪者や嫌われ行為をする人が他民族で1%しかいないのに対して、ある民族が数%多くいた場合、その比率の高さが目立ってしまいます。
悪いことをしていない人も一緒くたに非難するのは間違い・・一緒に非難されるのは可哀相ですが、犯罪行為をしている人だけを非難すべきだと言えば、解決出来る話ではありません。
ヘイトスピーチと言う新語を利用すれば何となく有り難い印象ですが、集団や民族全体評価(どの組織に所属しているか、どこの出身かなど)が重要であることは、今も昔も変わりがありません。
犯罪率や不義理をする率の高い集団では、これを許容する周辺人・民族風土・・犯罪〜不快行為(汚い)予備軍が周辺に一杯いる印象になっています。
目の前でみんなが駐車違反しないで有料パーキングに止める習慣があると日常一緒にいる人も駐車違反しなくなります。
周辺で多くの人が無料ダウンロードしていると自分だけお金を払うのがバカらしくなって来るでしょう。
もちろんむやみに道路でゴミを棄てる人と一緒にいると自分も棄てることに罪悪感が薄くなるでしょうし、(当初中国人に貸すと汚くて困ると言われていたのも今はあまり言われませんが・・その一例です)日頃からきちんとした人と一緒にいると自分だけゴミを散らかすのが恥ずかしくなります。
このようにある集団から検挙される人の比率が高いとその仲間も運悪く?検挙こそされなかったものの似たような考えや行動をしていると推定される傾向があります。
20年ほど前までは、交通切符を切られた違反者が「みんながやってるのに・・」と自分だけが運が悪かったと言う言い訳が多かったのは、まさに似たもの同士で生活していることを表します。
一家に嫌われ者が一人いれば、その家族全体がその村に居辛くなくなる・・親兄弟の肩身が狭くなる原理の基礎です。
犯人以外には、何の責任もないと言うのが法律家や知識人の意見ですし、法的責任はそのとおりですが、法的責任と政治・道義責任は違います。
息子が同じ村の人を何人も殺傷した場合、「息子は成人しているので親兄弟には関係がありません」と言って知らん顔をして、殺された人の家に従来どおりに遊びに行ける人がいるでしょうか?
法律家や知識人の主張は、人間の道義心=社会での人間関係のあり方からかけ離れた架空の意見を述べていることになります。
問題点は、道義的責任の有無・どうやって道義責任を果たすべきかなのに、法律家や文化人は法的責任がないから「謝ってもらうのを期待したり、謝らないことを非難するのは間違い」と言う変なすり替えをしていることになります。
「いや、そんなことを気にする人は時代遅れの馬鹿なんだ」と言うならば、自分の息子や娘が近所で事件を起こしたとき「関係がない」と平然としていられるかと言うことです。
たぶん(自分の身内にはそんな人はいないから・・)と強気で発言しているのでしょうが・・実際と乖離した空理空論の典型です。
こう言う文化人?が、マスコミで偉そうに発言して国民がそのまま行動していたのでは国家が滅びますが、国民は裸の王様の寓話同様で、実際に誰も信用していないから国が成り立っているのです。
6月18日以来書いているように反日に特化している在日朝鮮人は実は少ないのではないかと思いますが、これを公然と運動させて(背後で応援して)いる周辺在日の神経・・その道義的責任論に結びつくのが、一般社会心理です。
・・民族教育と反日教育と同じではないでしょうが、民族教育を強調する朝鮮人学校があちこちで成り立っているのは、資金援助だけではなくそこに通わせる・思想共鳴している在日父兄が多いことを示しています。
海外日本人学校もありますが、日本人の場合、数年〜4〜5年の海外の駐在期間が終わって日本へ帰ったときの必要性から(帰国後日本の教育課程に合うように)やっていることですが、在日子弟は帰国する予定もない点が違います。
勿論海外の日本人学校では、日本で日常着ていない民族衣装で通学させるような(バカな)ことはしません。
生活習慣が汚いからと言って刑事処罰はありませんが、道義責任を果たさないグループがあれば、道義的非難を受ける・・おつきあいお断り(汚い集団にアパートを貸すのをお断りなど自衛・・その人の家には遊びに行かない)となるのが次の流れです。
生活習慣が汚いからと言って刑事処罰はありませんが、道義責任を果たさないグループがあれば、道義的非難を受ける・・おつきあいお断り(汚い集団にアパートを貸すのをお断りなど自衛・・その人の家には遊びに行かない)となるのが次の流れです。
個人的に綺麗な人もいるとしても、その人が綺麗どうか、貸してみないと分りませんので、中国人お断りとなるのが普通です。
この結果時間の経過で、今は中国人も日本では、(郷に入りては郷に従えと言う気持ちになって)綺麗に生活するようになって来たようです。
汚い人だけ批判すれば良いのだと遠慮しているよりは、集団的な対応をした方が全体への教育効果が出る事例です。
汚い人だけ批判すれば良いのだと遠慮していると、「借りるときだけ誤摩化せば良い」という輩が増えますが、集団的な対応をした方が全体への」育効果が出る事例です。
工場製品、農産品その他も同じで個別検査によって摘発した分だけ輸入停止や処分する方式では「検査さえ誤摩化せば良い」「通関さえ通れば良い」と言う抜け穴探しに走るようになりますが、1つでもあれば同一商品全部のキャンセルが出来るとか同一業界の信用がなくなる等の集団処理の方が合理的です。
何かがあると、一般中国製品信用批判が広がって全体の信用をなくす方が、不正行為等の抑止にとって大きな効果があります。
最近の事例で言えば、日本マクドナルドの中国工場の非衛生さが大問題になると、全面的に仕入れ先を東南アジア工場に変更するしかなかったように、別の中国工場は綺麗だとって言っても消費者が納得しないことが証明されています。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。