憲法違反の疑いと国会議員の職責4

憲法違反かどうかは、裁判所以外に誰も決められないことですから、誰も分らないことを前提に主張しているのですから、本当の意味は、ただ「この法案反対」と言っているに過ぎないことになります。
代議士も法律専門家でないので分っていないし、国民も難しい憲法論が分りません・・結局「悪いことなんだな!」と言う印象操作をしているだけになります。
そこで今は憲法学者の出番になっているようですが、24日に書いたように、学者は政治をするために存在意義があるのではありません。
専門的意見を聞かれて答申するのが限界であって、政治の表に出て行って国民を引っ張る役目をするのはおこがましいも良いことです。
この辺は国民理解が進まないと言うマスコミ宣伝も同じです。
「国民理解」などと言う誰もわからない単語が出て来て、国民が惑わされている点で同じと言う意味です。
具体論で負けそうになると古くはプライバシー侵害と言う外来語で反対して、グリーンカードなどの新技術制度発達を妨害してきました。
(防犯カメラに対してもこの種の批判をまだ続けていることを 9, 2014「証拠収集反対論3(防犯カメラ2)」で紹介しました)
漸くマイナンバー法が施行されるように準備が始まりましたが、(それでも何か事件を起こしては危険だ危険だの宣伝に努めています。)先進国の世界標準よりも何十年?も遅れてしまった勘定ですから、諸外国より社会変化を遅れさせる目的の勢力にとっては大成功の部類でしょう。
ここ数年〜4〜5年では、近代法の法理違反、立憲主義違反、憲法違反などと言う抽象概念を繰り出して混乱させているのもその戦法の1つです。
我々弁護業務で言えば、事実説明途中でイキナリ違ったこと、「先生には分らないでしょうが・・」と言って業界隠語などの説明を始める人がいますが、用語説明が終わってから、「用語の意味は分ったがそれと今までの話の流れとどういう関係があるの?」と聞くと何の関係もないことが多く、話をそらせて誤摩化そうとしている印象をうけることがあります。
国会は「言論の府」・・冷静論理的に議論出来る「選良」?が具体的冷静に議論して問題点を詰めて行き、意見対立が解消されないところで粛々と議決して行くことが憲法上予定されています。
国会や裁判所では、論理のないムード的演説することを予定してません。
国会でも一応憲法違反ではないかと問題指摘するのは良いですが、そこで意見が合わないとその先の議論に入らない・・あるいは内容をマトモニ議論しないで、憲法違反の主張ばかりをする政党があるとすれば、一種の不合理な審議拒否と同様です。
不合理な審議拒否を許すと国会で法律制定権や憲法改正手続を定めている憲法制度を真っ向から否定するもので、・・憲法違反の存在ではないでしょうか?
もしかして、憲法違反になるから内容の議論に応じられないと言い張っている政党があるとしたら、あらたな法律の必要性の実質議論では負ける(国民の支持を受けられない)から、この議論を避けて入り口論で終始しているのでないかと思われます。
政党はまさか国会ではそんな主張はしていない・・国民向けスローガンで主張しているだけと言う場合もあります。
(国際)社会変化に対応すべきどんな法律案にも内容の議論をせずに反対すること・・立法阻止を目的に国会議員になっているとすれば、憲法が予定している・・立法府・国会の存在意義を踏みにじるもので憲法違反の存在です。
現行(憲法)法に反する法案には議論さえしないと言う立場は、社会変化対応に全て反対すると言う基本精神を示していることになります。
(旧社会党は何でも反対の社会党と言われていて消滅?しました)
その法案が憲法に違反するかどうかを決めるのは、法律が成立してから裁判所がきめる権限ですから、代議士・国会がこれに反するとか、反しないとか勝手に決めて審議に応じないことは憲法違反で許されません。
三権分立の精神から言っても、先に憲法論を議論して意見が合わないからと入り口で議論を塞いでしまうのは無理がある・・こうした問答無用式で議論を拒否することこそが、国会で議決することを決めている憲法無視の論理構成でしょう。
国会の機能は、法案内容実質の妥当性議論をするべきであり、憲法違反かどうかを議論するべき場ではありません。
代議士は法案に関して選挙民への説明責任があるとすれば、スローガンを主張するよりは法案の内容説明こそが本来的職務です。
国民が必要としているのは、集団自衛権の必要性の有無程度そのリスクとメリットの兼ね合い、・・現実的効果・・内容実質を知りたいのであって憲法違反かどうか、立憲主義違反かどうかの説明を国民が求めているのではありません。

憲法違反の疑いと国会議員の職責3(日弁連声明)

選挙民に対して、内容の説明よりは「憲法違反を許すな」「戦争する国にするな!」と言うスローガンばかりが目につきましたので、実際はどうだったのか「野党声明 民主党声明などのキーワードでネット検索してみましたが、ソモソモ民主党などの党声明が出て来ません。
やっていたのは別働隊のマスコミあるいは個人的ブログだったのかも知れません。
そこで代替措置として強力な反対運動をしている日弁連声明を見ておきましょう。

安全保障法制改定法案に反対する会長声明
本日、政府は、自衛隊法、武力攻撃事態法、周辺事態法、国連平和維持活動協力法等を改正する平和安全法制整備法案及び新規立法である国際平和支援法案(以下併せて「本法案」という。)を閣議決定した。
本法案の問題点は極めて多岐にわたるが、次に指摘する点は特に重大である。

まず、以下中略・・・これは、憲法第9条に違反して、国際法上の集団的自衛権の行使を容認するものである。
次に、・・中略・・憲法第9条が禁止する海外での武力行使に道を開くものである。
さらに、・・中略・・その危険性は、新たに自衛隊の任務として認められた在外邦人救出等の活動についても同様である。
これらに加え、本法案は、・・中略・・これは、現場の判断により戦闘行為に発展しかねない危険性を飛躍的に高めるものである。
以上のとおり、本法案は、徹底した恒久平和主義を定め、平和的生存権を保障した憲法前文及び第9条に違反し、平和国家としての日本の国の在り方を根底から覆すものである。また、これらの憲法の条項を法律で改変するものとして立憲主義の基本理念に真っ向から反する。さらに、憲法改正手続を踏むことなく憲法の実質的改正をしようとするものとして国民主権の基本原理にも反する。
        2015年(平成27年)5月14日
            日本弁護士連合会      
            会長 村 越   進 

日弁連は政党とは違い、基本的人権擁護の立場ですから若干ズレがあるのは当然で、憲法違反論が中心であること自体を異とするにあたりません
ただし日弁連は憲法違反行為があれば追及すべきですが、憲法に改正手続を書いてあるのですから、改正そのものに反対することは、憲法違反行為を自らしていることになり許されませんのでそこまでは踏み込んではいません。
ただ「平和主義に反する」と言う文言は異論があり得るところでしょう。
平和を維持するために友好国との相互協力関係を約束しておくのも平和主義のあり方ですから、どちらの方が平和に資するかは政治で決めて行くべきことであって政治団体ではない日弁連が一方に肩入れするのは、一方の政治勢力加担のそしりを免れないように思います。
以上国会・・法案に対する政党政治家のあり方に付いて、書いて来たのは冷静な人のための意見であって、政治と言うのは、選挙民大衆は冷静客観的に判断する人よりムードに反応する人の方が多いことから、きれいごとを言ってられないので宣伝競争になるのはまだ仕方のないことです。
実際の政治では、マスコミを味方に付けて、大量洪水報道でスローガン・キャッチフレーズを決めた方が勝つ惻面があることは否めません。
結局は国民レベルの問題で、法案内容の議論(利害関係)を隠して、観念的・・「憲法違反を許すな・・」「戦争◯◯反対」と言うアッピールに反応する程度の国民がどの程度いるかで結果・・世論調査の結果などが決まります。
私たちの法律相談でも冷静な事実説明より「相手が酷いとか、みんながこういっている」と言う感情論中心に言い募る人がまだ多いですが、次第に少なくなっています。
日経電子版のニュースを21日に引用しましたが、民主党や野党は実際の利害関係を言うと支持されないのを知っているのでしょうか?
「何故その法案に反対か」の具体的理由を言わずに入り口の憲法違反論に問題をすり替えて「駄目なものは駄目!と言う宣伝戦に持ち込んでいると思われます。

憲法問題と変革対応

今回の大変革のうねりは、(・・非嫡出子の相続分部差別違憲論のように)日本社会の内部変化によるのではなく、周辺国の軍事大国化・侵略意思の明確化・行動に対して、どこまで対応必要性が生じたか、どのように対応すべきかの判断です。
幕末に英国によるアヘン戦争・・香港割譲事件に国家的危機を感じた騒動に似ています。
今回は中国による南沙諸島や尖閣諸島の侵略で、習近平氏による意趣返し的(中華帝国の栄光復活=19世紀に受けた屈辱の仕返しを基本思想とする)行動ですが、方向こそ違え、周辺安全保障環境が激変している点は似ています。
幕末にも開国が祖法(憲法)に反すると言って反対した教養人?攘夷勢力が重きをなしていましたが、結果的に開国が正しかったことを歴史が証明しています。
攘夷とは言いながら(これは方便であって)本音は徳川政権を倒したいだけの勢力でしたから、徳川政権が倒れるとすぐに開国に舵を切っています。
当時の弱肉強食の世界情勢に適応するには、幕藩体制のまでは無理があったことから開国が正しかったとしても、幕藩体制変革の必要があったので、結果的に明治維新は成功しましたが・・・。
今回は現在の民主主義体制を別の体制(中ロのような独裁性?)に変える意図を持っている人はいないでしょうから、単純に国の安全を守るのにどこまでの準備が必要かと言う程度の意見相違です。
集団自衛=他国の協力が必要と言う意見と、そこまでの必要がないという意見に分かれていると見るべきでしょう。
それだけのことに憲法違反かどうかを先に議論して行く必要があるかどうか疑問です。
目の前の必要なテーマをどうしてキチン議論しないか不思議です。
先ず集団自衛の必要性の有無を討論してどの程度までなら必要かなど順次議論して、その結果ここまで必要となったときに憲法上どうなの?と言う順序で良い訳ですが、必要性の論議に入るのをいやがって入口で憲法違反かどうかの空中戦で勝負しようとしているのって自由な議論をさせたくない意図・・戦略の成功を感じます。
後生大事にしていた攘夷ならぬ非武装平和論で国を守れるかの議論が先ではないでしょうか?
反対論者が、政府案と反対論を比較して反対論でどのようにして国を守れるかと言う利害得失を説明するのが、建設的議論ではないでしょうか?
単に安倍総理はナショナリストだから・・と言うレッテル張りや憲法違反と言うレッテル張りで勝負していることに、言論封殺的・・民主主義に対する危険な方向を感じます。
政治運動には何らかの実利の裏付けがある筈で観念論は意味がないのですから、その裏には、反対運動するに足りる本音がある筈ですが、これを表に出さずうまくやるのが政治そのものと言えば、言えますが・・。
国民は主権を行使するためにはムードやマスコミ宣伝に惑わされずに運動体の本音・・何のために政治運動しているのかを知り嗅ぎ分ける必要があります。 
国民が正確な判断をするには、前提事実・・情報提供が重要であって、そのためにマスコミの重要性があるのではないでしょうか?
マスコミがやるべきことは、ナショナリストとか憲法違反かどうかの報道紹介よりも政府案だと「このようになり」反対論だと「どうなる」と言う事実の正確な情報です・・。
憲法違反かどうかの観念論の宣伝では、国民を惑わす効果しかなく、法案成立による利害が国民に分かりません。
全ての法案は利害の落ち着くところを見れば国民がどちらに味方したら良いかがすぐに分ります。
本当の利害が分ると困る勢力が、これを知られないように誤摩化そうとしているのです。
現在は幕末とは違い、その法案が憲法(祖法)に違反するかどうかを決めるのは、法律が成立してから裁判所がきめる権限・・三権分立していますから、代議士・国会(幕末で言えば諸候重臣)がこれに反するとか、反しないとか勝手に決めて審議に応じないことは逆に憲法・祖法違反で許されません。
国会の機能は、法案内容実質の妥当性(今回で言えば集団自衛が必要な国際情勢になって来たか否か)議論し議決するべきであり、憲法違反かどうかを議論するべき場ではありません。
国会の権能外のことに対して、国会議員もその職責がないだけではなく、職務外の憲法論を優先して肝腎の本案内容の吟味を怠っているとすれば、立法作業に関与すべく選出されている代議士の職務怠慢です。
「憲法違反の法律を許すな!と政治家が言っても、そもそも違反かどうかの決定権を国会が持っていません。
憲法論は国会の権限でない以上は、国会で立法作業を行うべき代議士の職務でもないでしょう。
職務外の行為に精出しているのって不思議な光景です。
ある法律が憲法違反かどうかに付いて議論するのは代議士の職務ではなく、代議士は自己の信念でこの法律はこの点が良くないから変えるべきだと言うのは・・そのためにどの部分が国民にとって良くないと力説するのはまさに職務行為です。
仮に人種差別法が制定されようとしている場合を考えれば、憲法違反かどうかを言うのではなく、(そう言う意見は法律家に任せて)このような差別法は許されないと、自己の価値観で話すべきです。
自分の価値観と関係なく憲法違反だから反対とか、憲法枠内だから賛成と言うような主張は法律家に任せておくべきであって、代議士の職務ではなくそんな観念論しか言えない代議士は要りません。

憲法違反の疑いと司法権2

「憲法違反の法律を許すな!と言っても、そもそも国会が違反かどうかの決定権を持っていないし事前審査制度がないのですから、法案段階で事前規制を言うのは憲法の国民主権主義に反しています・・。
代議士も審議権を持っていないテーマに付いて、国民の支持を求める行為は代議士としての行為ではなく、個人・市民活動の分野です。
憲法違反かどうかは、裁判所以外に誰も決められないことですから、誰も分らないことを前提に主張していることになります。
ですから、これらスローガンで主張している本当の意味は、単に「この法案反対」を「どう言う害があるから反対するかの理由を言わずに・言えずに)憲法違反と言い換えているに過ぎないことになります。
相手の主張に対して反論しないでどうせあいつは「アカ」だから・・・と言うのと同じです。
法案の成否テーマを憲法論にしてしまうと、代議士も法律専門家でないので良く分っていないし、国民も難しい憲法論が分りません・・結局「悪いことなんだな!」と言うイメージ操作・・宣伝次第になります。
この辺は国民理解が進まないと言うマスコミ宣伝も同じです。
「国民理解」などと言う誰のもわからない単語が出て来て、国民が惑わされている点で同じと言う意味です。
具体論で負けそうになると古くはプライバシー侵害と言う外来語を使って惑わし(グリーンカード制その他新技術をこれでいくつも葬ってきました)、この4〜5年では近代法の法理違反〜憲法違反、果ては立憲主義違反〜国民理解が進んでいないなどと次々と抽象概念を繰り出して混乱させる戦法の1つです。
我々弁護業務で言えば、事実説明途中でイキナリ違ったこと、「先生には分らないでしょうが・・」と言って業界隠語などの説明を始める人がいますが、用語説明が終わってから、「用語の意味は分ったがそれと今までの話の流れとどういう関係があるの?」と聞くと何の関係もないことが多く、話をそらせて誤摩化そうとしている印象をうけることがあります。
国会は「言論の府」・・冷静論理的に議論出来る「選良」?が感情論に走らず具体的冷静に議論して問題点を詰めて行き、意見対立が解消されないところで議決して行くことが憲法上予定されています。
内容をマトモニ議論しないで、憲法違反の主張ばかりを平然とする政党があるとすれば、(野党がしているかどうか知りませんが)国会で法律制定権や憲法改正の手続を定めている憲法の制度仕組みを真っ向から否定するもので、・・憲法違反の存在ではないでしょうか?
憲法違反になるから内容の議論に応じられないと言い張っている政党があるとしたら、新規法律制定必要性の実質議論では負ける(国民の支持を受けられない)から、この議論を避けて入り口論で終始しているのでないかと疑われます。
政党はまさか国会ではそんな主張はしていない・・国民向けスローガンで主張しているだけと言う場合もあります。
場外ならば何をしても良いと言うものではありません。
社会変化に対応すべきどんな法律案にも内容の議論をせずに反対することを目的に国会議員になっているとすれば、憲法が予定している立法権・・時代変化に合わせて新規立法を制定し改正することに参加すべき代議士の職務・・立法府・国会の存在意義を踏みにじるもので憲法違反の存在です。
現行(憲法)法に反すると考える法案には内容の議論さえ応じないと言う立場は、自分の気に入らない社会変化対応に全て反対すると言う基本精神を示していることになります。
交通取締法等の改正も排ガス規制強化も増えて来た空き家をどうするかも、社会変化適応によるものですが(考えようによれば私有財産権の制約等憲法問題が背後にありますが・)、この程度の変化対応に付いては憲法違反の議論が起きません。
憲法論が起きるのは、社会のあり方が急激に大きく変わる大変化適応・法制度上も追認して行くかに関する場合でしょう。
基本的に変化に反対する傾向のある(日本の進歩政策に何でも反対するかの背景事情にはいろいろあるでしょうが・・)超保守政党が、大きな変化に対して反対する名目に憲法論を持ち出す傾向があります。
(旧社会党は何でも反対の社会党と言われていて消滅?しました)

憲法違反の疑いと司法権1

国会が憲法違反の法律を作れないならば先議事項ですが、憲法はそう言う制度設計にしていません。
制度的には、ある法律が憲法に違反するかどうかを国会が決めるのではなく、出来た法律を後に・しかも事件が起きて(具体的争訟性)から司法権がチェックする仕組みです。
実際上そうしないと、国会議決で決められるならば、多数派が合憲と決めれば、皆合憲になってしまうので、議会を縛るための憲法制度の意味がなくなってしまいます。
これがイギリスの国民主権=議会決定万能主義の欠陥・限界であり、これに抵抗したのがアメリカの独立革命でしたから、独立後のアメリカでは、民意であれば何でも良いのではなく、民意によって議会が法を制定しても良い代わりに「事後的に」違憲立法審査権を司法権が持つようになりました。
民主主義の本家を称するアメリカでも司法権が「事前に」憲法審査する仕組みではありません。
民意の洗礼を受けていない司法権が法・・国会の議論を事前チェック・検閲出来るとすれば、如何に考えても国民主権の原理に反して無理があります。
せいぜい「事後的チェック」があることによって「議会の暴走」を抑制する程度の意味を期待しているに過ぎません。
違憲立法審査権は、民意代表の国会の立法権を最大限尊重すべき暴走抑制がその本文ですから、微妙な疑いを審査する必要がない・・暴走に至らないギリギリの問題まで口出しするのは司法権の越権行為と言えます。
三権分立制度は三権による相互控制(チェック&バランス)であると説かれるのは、その意味であって「司法権の優越」は比喩的に言われるだけであって実際に優越して良い訳ではなく、謙抑的判断が求められています。
いろんな規制には、事前チェックと事後チェックの2種類がありますが、事前検閲の方が強力と理解されています。
まして憲法判断はこの後に書くように社会の大変化を背景に法的にも大きな変化が妥当かどうかを見るものですから、先ずは市場と言うか世間に法律が出た後の実際社会との適合状態を見てからの判断の方が間違いがないことになります。
この意味でも裁判官ですらなく、公的バックもない学者が個人の考えで(無責任に)言ったり、あるいは内閣法制局の役人などの意見で国会議論の方向性を決める事前検閲に類するようなことは、元々憲法が想定していません。
内閣法制局は昨日から書いているように法律の矛盾調整・・別の法律で引用している場合、同時改正の必要性や間違いを防ぐべくチェックするための事務局(テクノクラート)であって、国政を左右するような基本的意見を言うべき職務ではありません。
憲法論が大きな話題になるときは、(明日以降書いて行きますが、)日々の細かな社会変化に対する適応の問題(すでにある耐震基準やガス排出規制をより強化する程度を)越えて社会根幹の変更をもたらす大きな変革時にこの変化に合わせて法律まで変えていいのか等が大論争になったときに憲法違反かどうかが大問題になる傾向があります。
このよう社会大変革の認識の有無・許容の幅に関しては、社会変化が進んではいるものの法的にこれを求めることまでやるべきか(アメリカで言えば同性愛問題など)国民の総意で決めて行くべきです。
象牙の塔とは言わないまでも、民意と直接関係のない・・政治の現場を知らない学者や法制局の役人が、聞かれて参考意見を述べるのは自由ですが、聞かれもしないのに、率先して憲法違反を主張して集会など開いて国民を指導しようとするのは、学者の役割を越えています。
まして歴史上教養人知識人は、書斎中心のために現場の空気にうとい・・時代変化を読み取る能力が低く、超保守的立場に固執する傾向が多いことからも国家大変革受け入れの可否に付いて学者が口を出すのは、国家の進路を誤る危険な風潮です。
この後で書いて行く幕末開国の場合も学者が過去の洗礼「祖法」にこだわって攘夷思想の背精神的支柱になっていました。
社会の大変革問題にどう対応するかではなく、細かな技術改良に口を出す程度が学者・研究者の守備範囲ですから、社会大変革期に学者の意見など聞いていると国家の進路を誤ります。
あたかも国会が合憲違憲の先議権(事前検閲権)があるかのように、民意を受けた代議士よりも優先的に口を挟む権限があるかのように学者の意見を大々的に報道するのはおかしな現象で・・まさに憲法の前提を揺るがす悪しき風潮です。
日本国憲法は戦後アメリカ法の系列に入っていますので、憲法違反かどうかは法律制定後に司法権が最終的に決める制度設計になっていることについては、争いがない・・左翼・文化人が金科玉条にしている制度です。
実務上も、政府が法案提出段階で合憲を前提に提出しているのが原則ですから、道路交通法や建築基準法・食品衛生その他全ての法律に付いて国会が合憲議決してからでないと法案審議に入れないと言う制度にしても、結果的に合憲決議が(多数派の造反がない限り)通ってしまうので、無駄なセレモニーが挟まるだけになって国会空転時間が多くなるだけです。
ですから世界中の憲法で、そう言う制度・・違憲かどうかを先議する制度になっていないし、運用もそうなっていない筈です。
合憲違憲に関しては国会で議決するようになっていない・・国会の権限外のこととすれば、権限外のことについて議論することは意味がありません・・と言うよりは、三権分立制度の精神から見て国会が議論して議決するのは、司法権を侵害する越権・憲法違反行為でしょう。
この辺を野党が充分に国民に説明していないかごまかしている・・政府・与党が宣伝負けしている印象が、今国会の流れです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。