オリンピック公式ロゴ騒動と情報公開5

次にオリンピック公式ロゴのデザイン盗用?疑惑問題に移ります。
この騒動は工事費よりももっと、少数エリート専門家の閉鎖空間の判断によらずにより広いプロ集団や準専門家集団〜アマチュア・・市場顧客などの幅広い目にさらされる必要性を感じます。
専門家の中で名のある人が審査委員になったのでしょうが、1つにはデザイン分野は日進月歩であって、特に感性に関しては高名=過去に実績のある人が最先端感性を有しているとは限りません・・むしろ逆の場合が多いのが普通でしょう。
この意味では、応募資格が過去の有名国際コンクールをいくつか指定して金賞を得た人に限るなど数えるほどしか応募資格者がいなかったこと・・限定し過ぎていた点も批判の対象になっています。
新人だって良いデザインがあるかもしれないのに、何故過去の受賞者しか応募出来ないの?と言うのは真っ当な疑問でしょう。
万単位の応募があったら審査し切れないのは当然でしょうが、その場合、有名資格者は4〜5次審査にストレートに行き、その他はキャリアーに応じた1次〜2次〜3次審査制を導入したら良かったのではないでしょうか?
2つ目には、世界中に無数とも言える発表の場がある状態で、業界長老や少数者だけでは、既発表のデザイン全てを把握し切れない問題点です・・。
長老が審査委員になるのがいけないのではなく、田舎の美術館どころかどこかの田舎の何とか大会で使ったロゴ・商店会のチラシに使ったり地方の観光広告など無数とも言えるほど発表されている中で、(あるいはどこにも使われていないが、個人がユーチューブ等に発表しているだけの場合もあるなど)少数者でチェックし尽くすことは、元々無理があったのではないかと言う立論です。
むしろ公開審査にして広く意見を募り、最終決定をして行く・・絞り込み過程の公開していれば、応募作品がどこかの作品に似ていると言うチェックも働きます。
市場の調査能力を利用するメリットと必要性です。
民主主義のキモは透明性・公開性であると015/09/03「不透明=ヤミルート社会」前後から書いてきましたが、まさにこの視点がオリンピック組織委員会には欠けていたのではないでしょうか?
公開・透明性とは言い換えれば、市民の権利擁護と言う意味だけではなく、市場の・・利用者・消費者の意見によって、思いがけない良い意見を得られると言うことで、これを利用して損はないと言うことです。
更に現在問題になっている模倣の指摘について根本的な意見を言えば、大学者でも「一尺管筒なお・・」と古来から言われるように・古来から偉業を成し遂げた人でも殆ど全部と言って良いほど先人の業績にホンの僅か頭を出した程度でしかないと言う原理を無視して議論している滑稽さです。
オリンピックなどスポーツでは目に見えるので分りよいですが、水泳、陸上、棒高跳び・・全て新記録と言ってもホンの何センチとか何秒早かったと言うだけです。
しかも走り方飛び方その他の技術も大方先輩の真似で成り立っていて、外から目に見えない僅かな他人と自分のからだの違いに合わせて工夫しているに過ぎません。
そのためにコーチがいたり相撲でも先輩に型を教えられるのです・・腕力だけで相撲界に入ってもそれ相応の型・・技を身につけないととても勝てません。
芸術も先人の型を修練した上でその上に独自性をホンのちょっと出せれば良いのであって、外見上99、9%似ていて良いのことです。
ラーメンでやカレーもどこも見た目は99、9%同じで、ホンのちょっと別の具材を入れたりこしょうや塩が利いているかどうかで味が決まることが多いのです。
消費材の分野では99%見た目は他所のカレーと同じでも、消費者の意見で結果に独創性・味が良ければ良いのであって、塩を効かしただけの違いでも消費者が他よりうまいと感じれば良いことです。
医師等の専門分野では消費者意見の重要性と言っていても、実際には間接的効果でしかなく、手術の手技自体や医薬品開発の動機付けに影響するかは別として開発研究の具体的な作業その他の薬品ブレンド作業自体に直接影響することはありません。
しかしデザインは、顧客・市場・消費者が受容してこそ成り立つ専門性にしか過ぎません。
従ってこの分野の少数エリート専門家のみならず、一般専門家、更には似たような職種・・周辺グル−プは言うに及ばず、ユーザーなどを含めたより広い参加を求めて多くの支持を受けたデザインを決めて行く方が合理的です。
この辺は技術的に建築可能かどのくらいの工期で出来るかなど専門的チェックが必要な建築分野とは違う・・・大御所不要の社会に大御所・権威?グループが出来上がっていたことが不思議です。
民主主義・・人権と言う以前に多くの意見をもとに作った方が良い物が出来ると言う実用性の効果の方が大きいでしょう。
このように民主主義・市場経済を貫徹している方が、より良い商品供給の競争でも有利に立てると思われます。
中国が、先進国の模倣や剽窃をしている限り、独裁の方が効率が良いでしょうが、少しでも先端品を自前で作ろうとすれば、市場競争を活発化しないと良い物が作れない限界に打ち当たります。
限界を破り自由化するしかないとすれば独裁が崩壊するし、独裁を維持しようとすれば停滞するしかないジレンマが始まっています。
今の時代ではネット上での公開は簡単ですから、審査会場に出展するだけではなく、これをリアルタイムで公開して多くの意見を求めていれば、名もなき若者などの新鮮な視点での意見が出易いし、商店街のロゴやお祭りに使っていたなどの通報も簡単に出たでしょう。
一定期間世界中に公開して、意見募集しておいてどこからも指摘や苦情が出なかった後で決めていれば、締め切り後似たようなロゴが発見されても、ある程度免責される・・一定額の補償程度で良いような仕組みにすることも可能です。
密室的協議(批判されているように業界なれ合い体質)で決めてしまい、(世界に向けて公開コメントを求めていたかその詳細を知りませんが・・)異議を出すチャンスを充分に与えていないように見えるところが、今回の不信感の根底にあるように思われます。
昨年来マイナンバー法の施行に向けて、千葉市でも準備を進めていて、進んだ準備に合わせた公開をして市民の意見を求めていますが、実際には全く出て来ません・・それでもチャンスを与え続けることが民主制の必須装置と言うべきでしょう。
昨年1年間の情報公開資料の報告を見ると、ここ数年情報公開や個人情報開示要求や異議申し立てが激減していることが分ります。
異議申し立てが実際になくとも、異議申し立て出来ること・・異議申し立てがあり得る前提で行政がきっちりと対応していることが制度的に重要です。

情報公開4( 国立競技場コンクール)

千葉県弁護士会で問題になっていた今年4月ころには、より規模の大きなオリンピック国立競技場の工事費を決めるのに、弁護士会みたいなずさんな運営がされていたとは夢にも思っていませんでしたが、実はその大分前から内部では収拾のつかない問題に直面していたことが今になると分ります。
田舎の顔見知り同士でまあまあで長年運営して来た立場の弁護士会とは違い、与野党の厳しい対立関係があって、マスコミも含めた監視があって、高度なシステムによって運営している組織でこんな事態になるとは想定外でした。
民主党政権は、原発事故対応で無茶苦茶だったことがバレてしまいましたが、民主党政権は実務経験がない結果、いろんな分野で無茶苦茶やっていたことの1つではないかと思われるようになりました・・何事も運営する政権次第です。
良いクルマでも、運転手次第と言うことです。
この煽りで文科省の中堅官僚が責任をとりましたが、大枠を決めた民主党政権は現在下野しているとは言え、誰も責任をとらなくて良いのか不思議です。
少なくともこの分野の責任者になっていた政治家の名前ぐらいは、次の選挙による公正な審判の都合があるので、マスコミが公にする必要があると思いますが・・?
自民党の大失策か?と言うときには、森元総理は政治家を隠退しているにも拘らず責任論らしきことが取りざたされて、記者会見に引っ張り出されていたように思います。
その論理で言うならば、民主党の当時の責任者は、今は大臣ではないとしても現役代議士をやっている限りそのときの責任に関する釈明記者会見をやるべきではないでしょうか?
マスコミは、国立競技場のコンクールは民主党政権時に決めていたことが分ってくるとイキナリだんまり・・報道しなくなるのはおかしな報道のあり方です。
マスコミ批判はこの程度にして、こうした問題発生の根源を見ますと、千葉県弁護士会での問題提起は結果的に出しっ放しで(親しい人間関係なので)本質的議論に進みませんでしたが、オリンピック主会場の予算問題と根は同じ・・事前情報公開の必要性だったことになります。
この点はこの後で書くオリンピック公式ロゴのデザイン問題の根っこでも同じです。
弁護士会の場合、情報を秘匿していたのではなく、会員の総力を挙げて?各分野ごと準備をして来て、それぞれが必要費を出してその都度執行部の承認を得て準備して来たことですから、各分野別担当者・・結局会員の大多数です・・としては自分の分野では知っていたことです。
分野別コストについては、関係しているみんながそれぞれ知っていることでしたが、予算案が(常議員会に)出るまで(予算案を作る関係者以外)誰もがトータル経費を知らないままやっていたことが分りました。
こう言う経過を見ると(執行部批判するためではなくみんなが納得で決めて行くために)執行部が「皆さんの要望どおりやって行くとこのくらいかかりますよ!」と言うアッピールを時々して行く必要があったことが分ります。
積極的な情報公開をして行けば良かった!とそこに誰も気が付かなかった・・必要性があったことが分ります。
国立競技場問題は事前に情報が漏れたからこそ問題になったのですが、漏れたことが問題ではなく、逐次情報の開示不足こそが問題だった点では同じ問題であったように思えます。
国立競技場のコンクール要綱その他を見ても審査日程や委員名応募資格等ばかりで、最も重要な総予算額が出ていません。
工事契約直前の予算化段階になって初めて国民が知る仕組みですと、巨額過ぎると思っても、やり直しているとオリンピックに間に合わないとして押し切られてしまうことになり、蚊帳の外におかれた国民に不満が残ります。
弁護士会の場合、殆どみんなが関係者ですからそれほどの不満が残りませんが・・・。
顔が見えない大きな組織・・ある事業に関係する人としない人の比率が上がれば上がるほど、透明性がより必要になります。

情報公開3(千葉県での人権擁護大会)

要綱を見るとオリンピック組織委員会ではなく「独立行政法人 日本スポーツ振興センター」となっていて、平成24年8月と言えば民主党政権時代であったことが分ります。
安倍政権はその年の暮れの総選挙からです。
国立競技場の工事費の不手際やデザイン問題へとこれだけ国際的な恥かきに発展する大問題になっているにも拘らず、野党の追及(普通は野党得意の「税金の無駄遣い」と言う大合唱があってしかるべきですが・・)が一切ないのが不思議だなと思っていましたが、コンペの条件設計と審査決定は民主党政権によるものだったことによるのかも知れません。
ザルみたいにお金を使う民主党政権時代のやり方を改めるために、自民党政権になってから元財務省次官の武藤氏が送り込まれたとすれば辻褄が合います。
どんな能吏を任用しても、元々がザルの決め方(契約条件に縛られるので)であればどうにもなりませんから、政権内で検討の結果世論に訴えるしかないとなって、意図的に内情をリークしたのかも知れません。
民主党政権で無責任に決めた契約をひっくり返すために革命的・超法規的世論喚起が必要であったと言うことでしょうか?
自民党政権はこれは民主党政権が決めたやり方だったと言う言い訳を一切していませんが、ガーガーと相手を批判しないでじんわり効果を狙うのが我が国宣伝方法です。
これだけの大問題・・不手際・国際的にも大恥をかく自体にに対して野党やマスコミが当初安倍意見の失策を見つけたと勢い込んでマスコミが報道しかけたのに、その後が何故か続かなくなって直ぐ時引っ込めてしまったのは、こう言う背景があったようです。
森元総理や武藤氏は最近就任したばかりで、今回の騒動の基礎は民主党政権時代にあって、当時のお膳立てのデタラメさが今になって実害を表して来たようです。
オリンピック国立競技場新設問題の超小型版ですが、千葉の弁護士会では今年の10月1〜2日に開催する日弁連人権大会を数年前に千葉県で引き受けて、そのころから準備を進めています。
日弁連主宰の各種大会や出張委員会は日弁連主宰なので、一定額資金が日弁連から出るものの、それ以上の費用は地元の創意工夫によることから、地元負担と言う慣例です。
この地元負担部分について担当会としての予算(政府同様に単年度会計主義のため、オリンピック同様数年前の受諾段階で正式予算に上がることはありませんが、正式には予定額)を決めないで動いていたらしく、今年度の予算に正式計上する段階になって国立競技場を小型にしたような問題が会員からの問題提起で明らかになりました。
ちなみに国家予算同様に弁護士会予算も正式予算は単年度主義の結果、人権大会は今年秋ですので、印刷その他各種実際の出費は今年の夏ころから始まるので、今年度予算として5月総会で決まる仕組みです。
5月総会に出すべき予算案が事実上確定する段階で、予算枠を数年前に事実上決めないで「これが必要だから・・」と言う項目別に積み上げて行ってホテルなどドンドン予約していた結果、今年始めころになって日弁連から来る予算が少な過ぎる(・・・毎年やっていることですから、日弁連が負担する一定の相場は予め決まっていることです)・・ホテル等の支払額に大幅に足りない→地元千葉県負担分を今年の5月総会に予算計上したことから問題が明るみに出たようです。
今更準備が進んでしまっているし・・と言うことで、問題提起があったものの、今年度予算に必要経費を計上していたのが総会で承認されて決着になっています。
国立競技場の失態が民主党政権の失態によるのと同様で、千葉県も今年度執行部の責任と言うよりは前年度、前々年度執行部が必要費の大枠を決めていなかったことが原因ですから現執行部が責任をとりようもない問題です。
千葉県弁護士会は、まだ顔の見える団体ですので問題提起だけでこれと言った議論もなくウヤムヤに終わっていますが、多分今回の教訓によって、今後大事業を行なうにはどの程度の資金が必要かのおおよその必要額を公開してから、その事業を引き受けるか、引き受けるとしてどの程度の額まで地元負担で(より豪華に?)やるかなどを予め決めて行くことになるでしょう。
今までは自分達の決めた代表なのだから、ある程度まではお任せ気分で総てまにあって来たのですが、今後会員数が増えて行くのでそうは行かなくなる時代が始まっているのでしょう。
オリンピックであれ、人権大会であれ、地元で事業を引き受けるにあたっては、本部から交付金に加える地元負担の予算枠を先に決め、各分野ごとに予算を割り振ってその枠内の計画書を出して下さいと言うように行動して行くのが合理的だと言う教訓になったと思います・・。
そのときには、4〜5ヶ月後により規模の大きなオリンピック工事費問題田舎の顔見知り同士でまあまあで運営している弁護士会みたいなことが起きているとは夢にも思っていませんでしたが、実はその大分前から内部では収拾のつかない問題に直面していたことが今になると分ります。

情報開示・透明性の重要性(オリンピック競技場)2

国家や組織は、先ず大枠の予算を決めてその枠内しか執行してはいけないのが基本ルールです。
大枠予算(国家予算は単年度主義ですから、ここでは正式な予算を言うのではありません)を予め決めておかないで、先ずやることを決めて、それに合わせていくらでも費用を出す・・既成事実としてあとで予算化して行く・・国会で問題になっても今更変更出来ないと押しきって行くやり方では、(独裁国家同様)組織運営の基本ルール違反です。
受諾段階で直ぐに総額どの程度の予算規模でやるかの基本方針を決めてから、その枠内で分野ごとに割り振って行き、分野別に分野別予算の準備活動にはいるべきだったでしょう。
国立競技場は、いくらの予算を(国と都との分担その他)割り振られていたかの肝腎の情報がマスコミには出て来ません。
大枠予定「予算」も無視した提案では意味がないのですが、デザイン提出者が提案段階で工事予算まで読み切る・・資料提出するのは無理があるとすれば、「◯◯の予算内で出来るならば」と言う留保条件付き決定にすべきです。
ただし弁護士会の例でこの後・・明日書くように、(単年度主義ですから)まだ準備段階(調査費等の予算計上程度?)であって、工事費等は国家予算に計上していないから法的な意味でのルール違反ではないのかも知れません。
オリンピック問題で書いている「予算」とは、法律上の予算ではなく、正式な予算化する前に決めておくべき「大枠予算合意があるべきでしょう」と言う意味ですので、この意味で以下お読み下さい。
工事費に責任を持たないコンセプトは、審査にはいる前の書面審査で失格にすべきか、応募期間が短か過ぎて計算したり工事費用証明する時間がないならば審査決定後何ヶ月内に(Aクラスの工事業者の引き受け証明を)提出しないと失格するなどの条件をつけるべきではないでしょうか?
工事業者を別途入札で決める仕組みの場合には、大枠の工費が分るように基本設計まで一緒にコンセプト提案者に提案させて、世界の例えば複数〜10社以上の企業が施工出来る技術基準であることの保証・証明をつけさせて現行(現地)の標準工事代金の計算書を添付させるなどの工夫で何とかなるでしょう。
(その後の資材や工事費高騰には責任がありません)
こうして見て行くと、提案があった場合に予算枠内に収まっているか、このデザインで施行出来る業者が何社あるか(世界中どこも施行出来ないとか1社しか出来ないのではその1社がやめたりゴネラレルと工事業者がいなくなどリスクが大き過ぎます)などの適格審査してから審査委員会に出すべきだったことになります。
審査委員としては、当然予算内の提案だし施行出来る企業があると事務局で選んで上がって来たとすれば、委員会の責任ではありません。
国立競技場工事費高騰問題は、決定手続の仕組み自体に法的(枠組み決定)に抜かりがあった・・発注者の事務方(コンペをどう言う条件で行なうかの枠組み決定や標準工事費を要件にした場合、計算や単価に誤りがないかの調査など)・・組織委員会?幹部の責任が大であると言うべきでしょう。
この点、主務官庁の文科省には学校校舎程度の発注経験しかなかったことが、少しだけ報道されていましたが、そこに問題があった可能性もあります。
公立高校や大学の校舎程度あれば経験内で予測可能ですので、業者間で競らせれば一定の数字が出て来ますが、今回は従来経験のない分野でした。
経験のないことに遭遇した場合に応用が利くかによって、前例踏襲するしかない能力で出世して来たのか?・・責任者に求められるべき本来の能力が問われることになります。
文科省には工事発注経験がないとしてもオリンピック組織委員会の事務方トップには元財務相次官・・野党同意が得られずに日銀総裁になり損ねた武藤敏郎氏が就いているのも皮肉な巡り合わせです。
大蔵→財務省の事務方トップと言えば予算を人質に権力行使している組織トップですから、この人が「予算(上記のとおり正式ではないと言う意味です)」無視または軽視の事務執行の責任者になっていたとすれば、??となります。
文科省の中堅役人が引責辞任させられていますが、国民が問題にしている予算と関係なくコストばかり膨張することに対する歯止めになるべくその任についている専門家である彼が何故責任をとらないのか不思議です。
彼が就任したときには既にコンペの方式が決まっていた後だったかも知れませんが・・。
そこでネットで調べてみたところ意外な事実が分かりました。
「新国立競技場 国際デザイン・コンクール報告書」によると24年夏ころから始まっていて秋には終わっていることが分ります。
彼が就任したのは2014年ですから、その前に全て終わっていたことが分ります。

I デザイン競技の概要・応募状況
応募・審査スケジュール
‹応募› ・募集要項交付開始 ・登録受付期間 ・質疑受付期間 ・質疑回答 ・作品受付期間
‹審査›
・技術調査期間 ・技術調査会議
・予備審査
・一次審査 一次審査(平成24年10月16日)・二次審査対象作品発表 ・二次審査(11 月 7 日(水))
・審査結果決定 (有識者会議) ・審査結果発表
・表彰式
((株)日本総合研究所都市・地域経営戦略グループシニアマネージャー) (東京理科大学工学部第二部建築学科教授)
平成24年7月20日 平成24年7月20日〜平成24年9月10日 平成24年7月20日〜平成24年8月20日 平成24年9月3日 平成24年9月10日〜平成24年9月25日
武藤氏就任は昨年(26)1月ですから、就任2年前から決まっていたルールに基づいて選定されていたことを後で変えられなかったのは当然で、彼の責任ではありません。

独裁国家の硬直性と民主国家の柔軟性(オリンピック主会場)1

中国では政府は結果的にどんなに無駄なものであっても計画どおりに出来たことが赫赫たる成果になるし、(修正は社会状況の変化にあわせることであって社会のために良いことですが何故か?)計画の修正に「追い込まれる」と関係者の責任問題になるので、権力崩壊にならない限り修正で来ません。
市場経済・・民主国家の我が国で言えば、オリンピックメイン会場予定の国立競技場の計画が高額過ぎるとして、突如仕切り直しになったのですが、計画の杜撰さもさることながら、計画が悪いとなればすぐに修正するしかないところが民主制の良さです。
その内デザインなど盗用疑惑まで出て来て、公開するといろんな問題が出て来易くて良いことです。
民主制の実質は、市場経済の進展度によってはかるべきだと言う意見を、2015/08/26「中韓政府・組織は誰のため?3」以下で書いてきました。
市場経済=財務諸表その他の透明性ですから、以下民主制と情報公開の重要性に即して書いて行きます。
国立競技場工事費高騰問題は、専門家内では「仕方がないな・・」の繰り返しで、ドンドン膨張して行った(関係者はこう言う変化には、反対し難いものです)のでしょうが、ジョジョに膨らんで行って結果的に巨額になり過ぎていないかの別の視点が必要です。
こう言うチェックは当初から関係していた専門家が発言し難い分野ですから、利害のない国民の目に触れると結果があまりに非常識なことが分って撤回に追い込まれたものです。
予算案化したときに始めて国会に出されて国民が知る仕組みでは、以下に書くように間に合わないので事前情報開示が重要なことが分ります。
審査委員長の安藤氏の発言・・自分はデザインを選んだのであってコストは自分の審査範囲ではないと言う趣旨の発言に驚きました。
専門が違うから当たり前と言えばたり前かも知れませんが、モノゴトは先ずコストがあってその予算内でデザインや大きさ・内部施設の品質レベルを決めて行くものではないでしょうか?
予算を示されてその範囲内の優秀デザイン・コンセプトであるべきであって、予算超過のコンセプトはその1点だけで(審査に掛ける前に)失格させるべきは全ての常識です。
モノゴトをやるには、予算が先ず最初に枠として決まるのが原則的ルールです。
組織になると分り難いことでしょうが、個人で言えば、マンションを買うのに4000万前後の希望を示されているのに仲介業者が1〜2億円の立派なマンションを紹介してこれが素晴らしいと紹介すれば、バカかと思われます・・客が怒るでしょう。
業者から見ても、戸建て新築希望があってもどの程度の予算かを先ず聞いてその範囲で出来る、設計やコンセプトを決めて提案して行くのが普通です。
(贅沢すればいくらでも・・黄金の茶室とまで行かなくとも、高い材料を使い良いものが出来ますが・・)
デザイン大会のような架空のアイデア審査ではなく、具体的工事を予定している場合、価格無視の設計などあるべき筈がありません。
美術館に限らず本社ビル建設その他デザインが斬新で気に入っているが、コストが高くなり過ぎるので、諦めてワンランク下の設計にすると言うことはいくらもあることです。
日本の新幹線工事や原子力発電等の受注競争で負けることが多いのは技術力が劣るからではなく、良いものだが工費が高過ぎることによって負けることが多いのと同じでコスト観念が低すぎないかの問題です。
審査委員会が決めたデザインどおりの設計施工したらいくらになるか誰も分らないで決めてしまうなんて事は、具体的工事を予定するデザイン審査としては、無責任過ぎて許されません。
デザインさえ気に入れば、1000億の予定が、2000億〜3000億になろうと幾らでも提案に合わせて「予算を組みます」と言う決め方では、無責任過ぎます。
ましてオリンッピックは、個人事業ではなく、公費を使う事業ですから、なおさらです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。