民度と政体(人権活動家の役割)1

少数者の人権救済のために努力し・・個別救済を続けて徐々に社会意識が向上して大きな制度発達に繋げるのは意義があります。
しこしこと積み上げて行く程度では満足出来ずに、功名心に駆られるのか?その地域のレベルに応じて機能している組織を非難して、伝統的組織破壊を目指して運動するグル−プもあります。
成果が出れば華々しいのですが、デモや騒乱で政権を取ったグループには社会運営能力がないので、社会混乱が始まり、結果的に何十万〜百万単位の難民・不幸を作り出してしまうことが多いのが現実です。
隣の新しいビルの方が格好良いからといって、自分が最新式ビルを建てる能力もないのに「こんな古いビルを壊してしまえ」と壊してもその先が続きません。
解体業者は素人よりはビルの構造に詳しいかも知れませんが、ビルを新築するのは無理があると言えるでしょう。
国民の苦難など全く気にしないで、旧組織を壊してしまうことに自己満足している集団は、結果的に社会秩序破壊に熱心なテロ集団と大差ないと思われます。
日本の場合、民主党が政権担当経験がない・・運営能力欠如で大混乱になる前に、自民党に政権交代したので助かりましたが・・。
エジプトやタイの場合、軍事政権化して漸く落ち着いている状態です・・軍事政権ならば「悪」と決めつける方がおかしいのです。
日本の歴史で言えば、折角戦国社会を統一した信長や秀吉、徳川政権の時代に、仮に民主化の進んだ国があった場合、これを軍事政権だからと外国勢力が介入して、元の戦国時代に戻して良い訳がないでしょう。
世界では日本の戦国時代以前程度の段階の国が一杯あるのです。
戦国時代まで行かない・・蘇我氏と物部氏の争い程度の段階の国の場合却って先進国の制度を強制・移植するのが簡単です。
その国の実情・・民度に応じた政体が必要なのです。
最近の例では、ミャンマーのスーチー氏の政権担当能力が今後試されます。
スーチー氏の人脈は運動家中心で実務経験がないので、彼らの論功に頼り切ると大変です。
政敵だった意見有力者取り込み(取り込みと言うと聞こえが悪いですが、協力関係)に成功しない限り、うまく行かないでしょう。
人権活動家は、人権尊重と言うだけで具体的政治経験がないので、政権を倒した場合にマトモな運営が出来ずに、混乱が待っているのが普通です。
日本のように官僚機構が完備していても民主党政権では、大混乱になりました。
「官僚の振り付けどおり動いているだけで政治家の役割は大したことがない」とマスコミで言われていましたが、実際に民主党が政権を運営して見ると要所での判断が効かない・・政治家の役割の大きさを痛感させられたものです。
人権活動家は地道な国内政治改革による積み上げによる改善ではマドロッコしいので、(国連ではこう言っていると・・)国内政治活動を有利に運ぶために?外部勢力を頼む傾向があります。
その分現実遊離・・もしも成功すれば画期的と言えば言えますが、結果的に国内政治の実態を無視することになってしまうので、彼らの運動がうまく行くとこれに比例して、社会混乱要因になってしまうことが多いのです。
自分は良いことをしているつもりで良い気になっていますが、どちらかと言えば、個と全体の区別がつかない・・大小の区別がつかない困った人たちの集まりではないでしょうか?
人道支援と称して大量に食糧支援を続ければ、その地域の食糧連鎖を破壊してしまいちょっとした気候変動があると都度飢饉が発生し易くなります。
本当の人権活動は食糧不足ならば、その土地で耕地を作り出す地道な支援等であって、簡単なことではありませんが、実際に個人でやっている人が結構います。
人権活動家の行動はパフォーマンス中心で、既成秩序をぶちこわしてその結果どうなっても構わないように見える点では、アラブの大義さえ叫んでいれば後はどうでも良いようなテロリストと結果的に大差がないと思う人が増えて行くと思いますが・・・。
自由平等博愛・人道主義の本家・・シリアに余計なおせっかいをして大量難民発生を作り出した元凶の地パリで、対抗テロが頻発するようになったのは、正にこの本質を衝いているように見えます。

国連報告のいかがわしさ2(御神託)

補導された虞犯少女の「みんながやっている」と言う言い訳自体信用性がない上に、「類は友を呼ぶ」と言うように、不良少女の仲間の半分〜3割が本当にやっていても、それを全高校生の比率に及ぼすとしたら、普通の脳みそとは思えません。
パチンコ屋に入り浸っている人聞けば知人の殆どが毎日パチンコやっていると言うでしょうが、日本人の殆どがパチンコに入り浸っていることにはなりません。
今のところ、援助交際に関する客観性のあるデータとすれば、補導数の増減・・児童売買春による成人検挙数の増減が前年比増減の趨勢を表していると言える程度であって、全国女子高生の何%と言うような比率を出しようがない筈です。
以上のように、今のところ、誰も実態把握することが出来ない状態であるのに、国連調査官が、僅か2週間の日本訪問でイキナリ13%と言う数字を調査した結果?として記者会見で発表した事自体・・国連報告のいい加減さ・・政治的立場による・・結論ありきの報告をする体質を明らかにした事件と言えます。
根拠のないい加減な報告でも、国連報告として一旦確定すると後でこれを覆すためのデータ検証するのは至難の事業となります。
根拠がないのでは、根拠資料の矛盾等の主張さえ出来ません。
国連特別調査官は本当に数年かけてじっくりと日本の実情調査をするのか?
その調査方法が公平か?
化学の実験成果発表と同じで、調査方法や対象すら公開しないと正確性が担保されません。
今回も、情報源は明らかにしないと言うばかりですから、検証する資料もないのでは、まるで神様の「御託宣」のような報告になります。
卑弥呼の時代・あるいは弓削の道鏡事件で行なわれた宇佐八幡の御神託のような非合理な決定が国連で行なわれていることになります。
御神託になると・根拠がいらないので根拠の矛盾その他・・誤りの指摘も出来ないし、正しいかどうかの議論さえ出来ません。
神代の時代ではあるまいに、今時こう言う決め方で一方的報告が行なわれ、国連が決めたことになってしまうのですから、おかしな制度です。
おかしな制度と言うよりは、国連の運営が多数決社会・・約200カ国で構成されている・・後進国主導・古代社会意識でなされているからと思われます。
200カ国が平等な発言権で運営すると神懸かり的運営(今は神様の代わりに各種ロビー活動・・もっと言えば表に出ない買収行為・・)が主流になるのは仕方のないところです。
サッカーかオリンピックか知りませんが、スポーツ界も品格的に一等級も2等級も下の階層が牛耳っていることから、決定の基準は買収っぽい印象がはびこっています。
ユネスコなどの分担金を払わないとアメリカが怒っているのは、むべなるかなと言うところです。
いつか書こうと思っていましたが、中東・アフリカ、どこでもその社会レベルに応じた統治組織があるのであって、独裁でも神がかりでも、その地域が安心してまとまっているのがそこの住民にとっては、一番良いのです。
神懸かりで決めた方が納得する人が多ければそれでいいし、優れたリーダーに一任したい人が多いならば、それもいいのじゃないでしょうか?
先進国基準で民主化のためと称してこれをぶちこわして、折角安定した内政を混乱させているのは先進国の責任です。
例えばイラクのフセイン政権や、リビアのカダフィ政権の崩壊前後の例を見てください・・どちらが国民にとって幸せか、結果を見れば明らかです。
今回のシリアの反政府勢力との紛争泥沼化も、今の政権がきちんと治めていたモノを欧米の人権活動家が人権侵害だとか、何やかやとイチャモンつけて無茶苦茶にしたことが始まりです。
いろんな人権侵害があったとしても、それと今の何十万単位の人が難民となるしかない・・被害を受けている人権侵害と、どちらの被害の方が大きいかの比較の問題です。
人権被害が仮にあっても、その国の統治方式に従って、一人一人を地道に救済して行く努力して行くのが本道です。
その国のレベルに応じて徐々に人権状況を改善指導して行くしかない・・法制度の整備や人材育成などじっくりやって行くのが本筋です・・・・非民主的だからと言ってうまくやっている原住民の酋長を殺せば良いと言うものではないでしょう・・組織をぶちこわしさえすれば良いと言う単純なものではありません・・。

事実報道の重要性3(国連報告のいかがわしさ1)

仮にも、いわゆる悪所だけ視察して歩いて、それを全国比率に拡大して、日本の性風俗が乱れている・・怖い街ばかりだったと報告すれば、それも可能ですが、あまりにも偏った調査意見になります。
「国際水準」によって対日勧告するならば、全国比率・・要は公正な統計に基づいて諸外国と比較するべきです。
民主社会・・消費社会を前提にすると、マスコミがありもしないことを、あるいは事実を誇張して事実のように宣伝してマスコミの誘導したい結果を導こうとするのは、食品偽装や建築時の鉄骨量の偽装・・旭化成の基礎杭打ちデータ偽装・・・以上に悪質な行為と言うべきです。
判断すべき前提事実を偽って、マスコミの誘導したい結論を導く行為は、権力による思想弾圧行為と結果が似ています。
口を塞いでおいて「話すのは自由だ」と言われても話せないし、会議で一人だけ違った資料を配られるとマトモな議論が出来ません。
個々人に対する直接的な言論弾圧は目立ちますが、国民全部に間違った方向性への意見を強いるような情報操作をして健全な意見を言えなくする「弾圧」は目立たない分に反比例してより悪質です。
「1〜2人殺せば殺人犯だが、大勢殺せば英雄」と言われるのと同じ現象です。
マスコミが金科玉条のごとく表現の自由が必須と主張しながら、マスコミしか事実を拡散出来ないことを奇貨として、マスコミ主導ででっち上げや虚偽事実を報道するのは自ら天に唾する行為ではないでしょうか?
ヤラセや誇張等で判断の前提となる事実報道を意図的に歪める行為は、国民の自由な判断権・思想信条の自由を侵害していることになり、これ自体が文字どおり人侵害行為であり、民主制度の破壊行為と言うべきでしょう。
マスコミが事実を歪曲しあるいは誇張して報道すると、重要な国政の方向性に関する国民の判断を狂わせてしまうので、国政の基礎を狂わせる悪質性は半端ではありません。
民主国家においては「知る権利」や「思想表現の自由」が最重要視されているのは、噓でも知れば良いと言うことではなく、健全思想形成の前提となる「本当の事実を知る権利」のことです。
そして政治判断に必要な「事実」とは、マスコミが好きな箇所の事実だけ拡大強調する部分ではなく、全体の傾向が重要ですから統計の重要性・・公平性・正確性こそが知る権利=民主政体の必須装置です。
旧ソ連や中国の各種統計がデタラメで当てにならないのは、この意味で重要な事実・・非民主国家、独裁国家の本質を表しています。
個別食品偽装や建築データ偽装等は、個別消費者を欺く経済損失程度ですが、マスコミによる意図的な不正確報道や政府による統計を偽装は国政の基本方向性を誤らせることになってしまう点で、個別データ偽装よりも実質的な罪が深いと言えます。
商品品質偽装も・・フォルクスワーゲンレベルになると購入した個人損失・・燃費がか余計かかっていた損害に留まらず、環境に関する重要前提データの偽装になるので、クルマを買わなかったその他の人も損害を被っています。
国家の統計偽装に匹敵する悪質性があるので、顧客に対して燃費偽装分の損失賠償さえすれば済むことではありません。
国連特別調査官報告に戻ります。
いい加減な感想程度の報告が、一旦報告されると国際常識として確定してしまい、学者もマスコミも独自に根拠を調べることなく国連報告として引用して世界に拡散出来る・・逆にこれに反した論文を出そうとすれば・・修正主義者のレッテルを貼られ、根拠を示す義務があります。
朝日新聞報道によってどこのマスメデイアも、裏付け調査不要になって一気に世界に拡散したことからも大変なことが分るでしょう。
珊瑚礁のでっち上げ報道でも直ぐだったからこそ、珊瑚について前後の状況を知っている人が多かったので、現地漁協が反証を出せたのですが、4〜5年後に出回って来た場合、もはや遠い過去の歴史事実となってしまい反証を出スのは大変なことだったでしょう。
一旦国際常識が出来上がると、これがなかったと言う証明は悪魔の証明(まして調査官がデータに基づかずに印象を言うだけですからデータでの反論が困難です)となって不可能になるのですが、変なデマが出回っているのを大分経ってから知って、仮に何とか自力で証明しようとすれば、現地調査など膨大な時間コストがかかる上に信用してくれるかどうかも不明・・・・・・膨大な時間とコストがかかります・・事実上反論が出来なくなってしまうところでした。
国内世論誘導はマスコミで、国連報告と言う名でフィクションを事実に洗浄・化学反応させる役割を期待されているのが、国連調査官の役割です。
犯罪に至らない援助交際のばあいは、実態調査など正確にやりようがないので、(自分から自分の親にさえ言いたくないのに他人に正直に申告する人などいる筈がない)・・発覚したときには自己弁明のために「周りではみんなやっている」程度の誇大な弁明をするのが普通です。
法律相談に来た人が、自己弁明・自己の行為が正当であることをアッピールするために「みんながやっている」のに・・とか「みんなが言っている」と言う言い訳をする人が圧倒的です。

NGO12(民主主義と事実の重要性2)

国内で言えば、マスコミ独自調査による報道は名誉毀損のリスクがありますが、警察発表をそのままするときには、裏付け調査しなくとも名誉毀損になり難いメリット・・手間が省けます。
このために国連報告があると、世界中のマスコミや公的機関がこれを事実であることを前提にした引用がはじまり議論が始まってしまいます。
一旦国連報告になって信用されてしまうと、「これは事実ではないと主張し証明する・・・・「ない」証明は「悪魔の証明」と言って、不可能であることは、我々法律家の世界では、公理のようになっています。
せいぜいアリバイ証明・・矛盾事実の反証しか出来ません。
例えば南京虐殺の30万人と言うのは、当時の人口と矛盾すると言う程度ですから、虐殺がなかったと言う根本否定にはなりません。
これが「国連で決着済み」と言われて困っている慰安婦騒動の基礎構造です。
今回の記者会見同様に情報源秘匿または直感で言われると反論するべき資料すらありません。
国連報告は、化学発明の場合に実験経過を公表しないようなものですから、南京虐殺や慰安婦の場合は、反論する材料すらないのです。
慰安婦の場合具体的な裁判になったので、却って証言の矛盾性・・年齢がおかしいとか、キーセン学校に行っていた、のせられたクルマがジープであったなどが指摘されるようになりました。
(慰安婦訴訟を提起した弁護士らが、日本の名誉回復に果たした役割は大きなものがあります・・愛国功労賞を贈るべきでしょう)
今回の援助交際騒動は、国連特別調査官が、何を調査したのか・・特定グループ中心に意見を聴取しただけで?「調査した」と言う安易な発表・記者会見をしたらしいことが発端です。
「調査」と言うのは事実調査をすることであって、特定主張をしているグル−プ中心に「日本は如何に援助交際が多いか」のアッピール・意見を聞いて、後はお飾り的にちょっと反対意見を聞いたただけの印象を報告にするのでは、意見調整でしかなく事実の調査とは言えないでしょう。
まして援助交際の実態などは、「大勢のお供を引き連れて街頭を数時間歩き回った程度で何が分るの?」と言うのが普通の感覚です。
調査に来る以上は、1〜2年程度日本に居着いて自分でフィールドワークすべきではないでしょうか?
僅か2週間滞在で予め決めたスケジュールに従って、日本国内を回って行った先で誘致関係者が用意した場所を数時間歩き回って?グループ・・・危機感を強調するに決まっているグループ?中心の聞き取りでは、結論が決まっています。
仮に現地調査する場合でも、調査対象を決める段階で公平でないと「調査」とは言えません。
どこの国にも一定犯罪がある・・ゼロの国はないので、A国では犯罪の多いところばかり歩いてB国では閑静な住宅街を歩いて、その比較でA国の治安が乱れていると言っても意味がないように、特定対象ばかり調査しても意味がないのは当たり前のことです。
疑惑をもたれているベンゴシが秋葉原を案内したかどうか分りませんが、周辺のメード喫茶等で働いている女子高生らしき比率が仮に
10%あっても、それが全国比率になる訳ではありません。
そもそも、メード喫茶等で働いている子が100%援助交際していると言う想定自体が非現実的です。
後に、同弁護士の秋葉には「氾濫している」と言う刺激的な表現を取り上げますが、街頭に援助交際が「氾濫している」と言う表現自体が実態に合わない過剰な表現ですが、同弁護士はもしかしたら街を歩いている女子高生みんなが売春していると言う目で女性を見ているのでしょうか?
スケートの浅田麻央の例を見ても分るように、日本人は外国人に比べて若く・幼く見えるので、調査官・・欧米人基準で見ると20代女性でも、高校生と言う目で見ればそう見えてしまう可能性があります。
マスコミを見ていると、マスコミの誘導したい結論に合うように・・ある国の景気が悪いと言う場合には、閉鎖した工場などを報道しますが、景気が良くても一定割合の倒産はありますから、部分報道では全体の比率が分りません。

NGO11(民主主義と事実の重要性1)

日本の人権状況を良くすることは、結果的に日本のためになるのは間違いないですが、援助交際している女子高校生比率が3割でも13%でも、事実に基づかない過大主張すると人権擁護になるのか?
仮に女子高校生の援助交際が国連勧告によって少し減ったとしても、実態以上に不名誉な評価を受ける日本国民の総損害はどうなるのか?
人にはいろんな意見があっても良いのですが、今回の騒動の結果、外務省が抗議し、特別調査官が、13%の数字に根拠がないことを認めて今後この数字を使わないと文書で回答して来たようですから、多分ネット世論だけではなく、国際世論でも、事実に基づかない悪宣伝が総合的に日本のためにならない・・マイナスの方が大きいと言う考え方が常識なのではないでしょうか?
人の信用も組織の信用も同様で、事実を曲げて表現する人や集団は信用がなくなります。
意見を言うときには、事実は事実として正確に紹介し、この事実からこういうことが導かれると言う意見であれば、聞いた人がその推論が正しいか、自分は別の推論をするとか合理的判断が出来ます。
その推論方法のうち、たとえば、特定事実から導かれるABCD4種類の考え方の内、どれを選択するかを多数決で決めるのが民主決定ルールです。
今回の国連特別調査官記者会見は、前提事実を断定する根拠を明らかにしないまま、結論・・自分の主観を事実であるかのように公表したところに問題があります。
パンでもすき焼きでも前提になる量や単価や品質等を正しく表示していて、どちらが良いかを決めるのであって、業者が品質を偽装していると・・和牛でないのに和牛(絹でないのに絹・国産でないのに国産品とか)と表示していると本物の和牛や絹、国産品で作っている業者に比べて割安なので客が間違って選んでしまいます。
消費者だけではなく、政治政策選択についても同様で、多くの人は政治選択の前提になる事実そのものを知るチャンスがないので、大多数の人はマスコミ等の報道が「事実とすれば・・」と言う仮定で考える習慣になっています。
目の前に出て来る食品でさえ、添加物の有無や国産か中国製かを確認出来ない・・業者の表示を信用するしかない状態ですし、ましてや政治問題・・町内と違って県や、国単位になると、遠くの事実・・あるいは近隣に出来る工場でも外から見ているだけでは、何をしているか、どう言う危険物を扱っているかについて詳しくは知りません・・。
ですからマスコミ報道や当事者の事実説明以外に、国民は判断すべき前提事実を直接知ることが出来ません。
直接説明を聞ける人は周辺住民のホンの数%もないですから、結局はマスコミ報道によるしかないのです。
大事故・大災害にあった人でも当事者はそのときは目の前の現象対応に夢中で、後でマスコミ報道を見て何があったのか分るのが普通です。
消費者が業者の品質表示を信用するしかないのと同様に、政治決断・・民主的決定もマスコミ報道を前提に・・事実として多くの人が判断しています。
報道以外に国民が直截知ることが不可能ですから、報道されていたことが虚偽やデッチ上げ、ヤラセでもよいとなると、国民が自由な判断が出来ません。
真実を知る権利がない状態においても、投票権さえあれば、民主国家と言えるでしょうか?
思想信条の自由や、民主主義が機能するためには事実報道が正確であることが必須であり生命線です。
今回の援助交際の報道も私自身立ち会っていないので、そう言う記者会見があったとしたら・・と言う仮定でこのコラムを書いています。
「援助交際をしたことがある女子高生が何%いる」と言う客観データがないと言う報道を前提で書いています・・このように、前提事実が報道に頼っていることが多いのです。
国連特別調査官が、何を調査したのか・・特定グループ中心に意見を聴取しただけで「調査した」と言う安易な発表・記者会見をしたらしいことが発端です。
国連特別調査官と言う権威をまとった人物がマトモな調査もしないで一方的に特定グループの主張する結論を事実であるかのように記者会見し、しかも統計に基づくかのような具体的数字を発表したことが日本人に対する衝撃を広げたのです。
それが国連報告になって行くと世界中の研究者やマスコミはそれ以上の調査不要の「事実」として引用して行くことになります。
一旦国連報告になってしまうと、これは事実ではない・・・・「ない」証明は「悪魔の証明」と言って、不可能であることは、我々法律家の世界では、公理のようになっています。
これが「国連で決着済み」と言われて困っている慰安婦騒動の基礎構造です。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。