United States of America=領土拡張の歴史1

米国では州ごとの民族的気質の違いがないために、Aという人の人物属性を知るためにはどこそこの州出身という紹介より、日系、ドイツ系、スペイン系かアイルランド系かなどの特定の仕方が、一般的です。
ケネデイの紹介ではアイルランド系が強調され、トランプ氏の場合、ドイツ系という紹介がされていました。
州の連合体と言っても州単位の民族属性が低いために、独立戦争に参加した各地域を個性のあるNationsではなく、独立戦争時の地域単位をのことを stateと表現したのでしょうか。
ところで州とは日本語翻訳であり米国自身が、「州」と表現しているわけではありません。
ちなみに日本語で州とい翻訳しているのは、もともと漢字の州の流用から発展したものですが、中国歴代王朝ごとに行政単位としての州の位置付けがガラリ何回も変わっているので中国の使用例を研究する意味があまりないので、日本がアメリカのステートを州と翻訳した当時の日本国内用法を見る方が合理的でしょう。
私の個人感想ですが、詩文教養が公卿階層から平家の公達に及び(忠度については平家物語にも出てきますし西行法師も同時期です)に戦国時代には地方でも有力武士になると、太田道灌でも古歌を知らないのを恥ずかしく思うほど地方武士に詩歌の道が広がり、江戸時代に入ると下級武士一般どころか町人階層にまで教養が広がった勢いで、いわゆる教養をひけらかす風潮が広がっていたように思えます。
水戸黄門など通称がいつから出てきたか知りませんが、日本の官位をそのまま言うのは野暮でそれをから(中国)風に言うとこうなるという教養系をひけらかす系の言い方が流行った時代になっていたことにより、日本古来からの上毛野国、信濃国、紀伊の国、尾張国という代わりに上州、信州、紀州、尾州というのがかっこよくなっていたように思われます。
州に関するウイキペデイアの解説です。

翻訳語としての「州」[編集]
東アジアにおける地方行政単位としての州の用例から転じて、ある国家の中で、国家に直属し、広範な領域を持っていたり、高度な自治権を持っていたりする行政単位のことを、「県」ではなく「州」と訳す場合がある。特に、アメリカ合衆国やオーストラリアのステート (state) 、イタリアのレジョーネ (regione) 、カナダのプロヴィンス (province) 、ドイツのラント(連邦州) (Land) 、スイスのカントン (canton) / (Kanton) 、マレーシアのネゲリ(Negeri)のように一定の主権を持ち、連邦を構成する支国またはそれに匹敵する広域行政区画はほとんどの場合「州」と訳され、「県」と区別されることが多い。
中国の省やフランスの地域圏 (région) も州に相当すると考えられる。ただしすでに述べたとおり、中国の州は省と県の間であり、注意が必要である。

上記によるとドイツ、スイスなど旧世界では歴史経緯によるようですが、米国やオーストラリアなど新天地の場合、民族的特性に関係なく植民した地域区分けに始まる・・中央政府の都合による行政単位であるが、高度な自治権を持つか否かに着目した翻訳のようです。
米国の州自体が本国の支配都合上の地域区分け・・地域名称的効能しかなく・・民族的価値観の一体感に依拠しないので、自治権があるとはいうものの自治政府に対する帰属意識がほとんどない点が特徴です。
第二次世界大戦後アフリカ大陸の独立国は、旧植民地の領域ごとで独立しているので世界地図上に定規で引いたような一直線の国境になっている国が多いし、そうでない場合も欧州の植民地支配地の領域のまま独立しているので、現地種族居住地域が分断されていたり、複数種族が一つの植民地になっていた結果独立後の内政は複雑です。
独立後のアフリカ諸国で血を血で洗うような種族間抗争の結果大虐殺が頻発するのは、植民地支配の置き土産です。
中東も同様で現在トルコとシリア関係がややこしいのはクルド族がトルコ領内とシリア領内に分断されていることが大きな原因になっているのが知られます。
アメリカの諸州は、地域住民の生活習慣や言語の一体感によって領域が決まったのではなく植民地経営した本国の都合と主に英仏の植民地争奪戦の結果で決まったものですから、アフリカの独立国の線引きと根が同じです。
米国は英国から独立したので、ついイギリス植民地=英国人が母体のような印象ですが、実は北米地域ではフランスやオランダ島の西欧諸国の植民地がバラバラと広がっていたのに対して、いわゆる英仏七年戦争の北米版として、抗争を繰り広げて徐々に英国が支配地を獲得していったにすぎず、元々の移民は西欧諸国のいろんな民族がバラバラに植民していた歴史です。
ニューヨークはオランダの植民地ニューアムステルダムが英蘭戦争の結果英国植民地になり英国都市名ヨーク市に改名したものですし、元はオランダ人入植地でした。
このような結果ですので、地域民族特性など育つ暇がなかったでしょう。
明治以降の都道府県制度の場合でも、古くからの分国に基礎を置く地域ではなお県民性は濃厚で一体感も濃厚です。
信濃国と木曽の国が合体した長野県では南信北信地域での対立が有名ですしどこそこの出身と紹介されるとその地域出身者としての気質が瞬時に理解可能です。
千葉県のように政府の都合で大きな川で県境を区切り、地図を見ればかり良いようにあっさりと区切った県でしかも、その後東京隣接通勤住宅地として発展してきたので新住民が多くて民族的個性があまりありませんが、それでも縄文以来の豊かな環境のもたらす地元民の大らかな気風がそのまま房総(安房国と上下総国)の県民気質に自然に染まっていく感じです。
古代から・・真間の手児奈で知られる葛飾郡(こおり)が、江戸川で真っ二つになり一方が東京、一方が千葉県に、利根川を挟んでいた下総国の相馬郡が茨城と千葉県になるなど、本来川の両岸が流域経済文化圏を形成していたのを無視して明治政府はこれをぶった切ったのです。
しかし、江戸川両岸葛飾地域は昔からの民族的一体感の結果、信用金庫・組合関連で言えば両岸地域の金融事業の一体感が目立ちます。
利根川両岸の旧下総国でも同じで潮来や鹿島、神須町などは事実上千葉県経済圏に入っています。

United States of Americaとは軍事連合体?

国連と翻訳している組織も、元はと言えば対日独伊戦争のために組織した連合国という意味の流用です。
国連に関するウイキペデイアの記事です。

国際連合(こくさいれんごう、(英語: United Nations)
英語表記の「United Nations」は、第二次世界大戦中の枢軸国に対して連合国が自陣営を指す言葉として使用していたものが継続使用されたものであるが、日本語においては戦時中の連合国と区別して「国際連合」と呼ばれる。

StatesをNationsと言い換えているだけですが、StatesとNationsの違いですが、https://www.eigo-love.jp/country-state-nation-land/の解説が素人的にはわかり良い解説です。

「国」を意味する名詞の中で最も一般的なのはcountryです。countryは幅広く使うことができますが、例えば“I live in a different part of the country to my parents.”(私は両親とは違う地方に住んでいる)のように、土地、つまり「国土」に重点を置くニュアンスをもっています。landはcountryと同様「国」、「国土」という意味で使われる単語ですが、countryよりも一般的ではなく、使われる頻度は高くありません。
nationはcountryとは異なり、国土よりも国民に重点を置く単語です。
nationはその国家が共通の文化や言語を共有する国民からなっていることを含意しており、定冠詞theをつけて“the nation”とすると「国民」を意味します。stateは政治的に組織され、一定の領土を有している人々の集団としての「国家」を意味します。stateは、“EU member states”(EU加盟国)、“the welfare state”(福祉国家)など、主に政治的な文脈で多く使われます。

私の理解で言い換えれば、countryは〇〇地域とか〇〇地方のことであり、nationは日本で言えばお国の訛りというか県民性あるいは江戸時代までの国別気質・・今で言えば民族国家を基礎にした概念であり、国連創設時の民族独立の理念にもあっているでしょう。
stateは民族性や県民性のような実質的一体性を含まない行政的線引き・・首都圏や大阪圏のようになってくると、行政による県境・区割り線引きがほとんど意味をなさない・・今回新型コロナ蔓延によるの緊急事態対象が東京都の隣接県に及んだ現状にあっています。
アメリカの州は、まさにこれに当たるでしょう。
アメリカの州の成立過程を知りませんが、日本ほど古くなくとも多くの国を基準にしても民族的同一性を育むほどの期間がなかった点は確かでしょう。
日本列島で諸国分国制度を制定した律令制制定前には、縄文の昔から考えれば各地集落群落には1万年以上の歴史があり、地域別の地形や気候風土を元に育まれた習慣等の歴史をバックに、分国したものと思われます。
だからこそ日本列島を68ヶ国に区分けした時に、北アメリカの地図やアフリカの地図のように国境が地図上の1直線で区切られず、複雑な地形になっているのは、当時の民族?各地生活習慣価値観の相違があることを理解していたからこそでしょう。
同時に各地の風土記の提出を求めたのは地域別に棲み分けるに足る気候風土や生活習慣や考え方の違いを中央政府として知る必要があったからでしょう。
日本列島で定住が進んだ(主に縄文人)・・長くは万年近く、短くとも数千年の長い間狭い日本列島で各地に棲み分けて来たのには相応の気候風土の違いがあり、それに応じた生き方を身につけていた・・その知恵を生かせる定住が有利だったからでしょう。
縄文時代に関するウイキペデイアの解説です。

縄文時代(じょうもんじだい)は、日本列島における時代区分の一つであり、世界史では中石器時代ないしは、新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器と弓矢の発明、定住化と竪穴式住居の普及、貝塚の形成などが挙げられる。
始期と終期については多くの議論があるが、まず始期に関しては一般的に16,000±100年前と考えられている[1][* 1]。終期は概ね約3,000年前 とされる(諸説あり)。

上記の通り定住化していたことは三内丸山遺跡からも知られているところですから、これが水害等によって近距離移住があっても大多数は一定の地域内移動であったとすれば、律令制で68カ国に分国したのが紀元後約七百年ですから、そのころの定着していた気質・行動パターン(田植えや稲刈りの時期あるいは何々漁開始・解禁の掟・時期も同じ程度の行動様式を前提に分国統治対象にしたものと思われます。
米国の場合、伝説的説明・メイフラワー号が1620年ですから、独立戦争までわずか2百年足らずであり、しかも北米各地は英仏だけでなくオランダ、スペインなどいろんな国からの移民で成立している上に、気候風土も日本のような多様性がないのでわずか二百年足らずで地域に根ざした民族特性・価値観が成立するには時間が少な過ぎます。
集団生活とは、西洋式闘争が真っ先に来ると思い込んでいるのかな?日本の考古学者は砦のような柵で囲んだ集落をイメージした模型を作って展示していますが、私の素人理解では縄文文化での定住集落形成は、闘争目的で形成されたものではなく協同作業目的で形成されてきたものです。
集団内秩序も気配りというか集団意思形成・・みんなですり合わせていく作業が重要で、卓越したリーダーシップを求める必要のない社会です。
これに対して日本とポリネシア系、東南アジアの民族を除けば、まず敵と抗争するための集団性が強く戦い取っていくための性質が強いように見えます。
いわばギャング山賊海賊集団が大きくなったようなものでしょうか?
この典型的イギリス系移民は、集団利益を守り、拡張するための集団・移住先ごとのコミュニティを形成し、周辺移民集団コミュニティとのテリトリー・・水平的縄張り争いと並行して先住民の生活圏への侵蝕等の闘争に主眼を置いて発達してきたのではないでしょうか?
移民同士の縄ばり争いが終盤に入ると、先住民に対する、民族浄化に邁進し始めます。このような発展過程を経た北米移民間では、地域集団ごとの民族気質など育つ暇もなかったというべきでしょう。

米国の内政能力1と標的必要性1

トランプ氏は選挙対策もあって?国内対決棚上げ・・いつも標的の必要なアメリカ的発想で3月19日には戦時下発言をして昨年から続く米中経済対決を格上げして対中悪感情をそれとなく煽ってきました。
これも権力による流言飛語の一種ではないでしょうか?
人工呼吸器等の生産命令はマスク等を中国に頼っている状態は危険が大きいアッピールの他に・経営苦境にあるGM救済・製造業国内回帰にもつながるというアッピールの一環でしょう。
ソ連崩壊後標的をなくした米国が2001年9.11で「テロとの戦い」を掲げ、続けてイラク侵攻したのもこの一種だったでしょう。
日本的大人の対応を前提にすると米国は国家成立後日が浅いこともあって、利害調整の必要な国内政治はないに等しい・・(痛みを伴わない)成長による単純な果実分配か、(格差・労働分配率にこだわる左翼系エコノミストも利益分配を主眼にする点で同じ土壌です)外敵を前提に星条旗の元に団結することによって難局を切り抜けてきた国柄です。
このようなあんちょこな政治で破綻しなかったのは、ずば抜けた国力(資源)と都合が悪くなれば引きこもる・モンロー主義に代表される旧世界からの孤立可能な巨大な海(大西洋と太平洋)に隔てられた地理的環境によったのでしょう。
そもそも米国は建国自体が外敵というか英本国との対決のために臨時に?英植民地の北米東部13州が団結したことに始まったものです。
United States of America, USAという表記自体が、国名というより独立達成のために軍事連合を組んだ連合国という意味でしょう。
「星条旗よ永遠なれ!」とは、うがった見方ですが「外敵存在よ、永遠なれ!」と読み変え可能です。
ちょっとした政治家の集会には必ず星条旗を掲げる習慣は、軍旗でもある星条旗がいつも必要な体制を意味しているように解釈可能です。
我が国の日の丸は軍旗ではなく、船の船籍を明示する表札的意味しかありませんので軍旗・・旭日旗は別にあります。
敗戦で打ちひしがれた民心鼓舞のためにか?中学生の頃?明治天皇と日露戦争の映画がかかっていてよく見ましたが、映画のクライマックス

「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気清朗なれども波高し」

の電文朗読直後にZ旗が上がりこの時Z旗の訓示

「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」

と共に軍艦マーチが始まり旭日旗がするすると上がり白波を蹴立てて走る連合艦隊出撃の勇姿で観客全員大拍手の嵐でした。
物覚えの悪い私がその光景など丸暗記するほど記憶しているのは、だれかに連れられて何回も見た・高校時代に入ってから再上映があって何回も見たのかな?
北池袋の映画館によく行った記憶がありますから、そのときの記憶かもしれません。
明治天皇と日露大戦争https://ja.wikipedia.org/wiki/を見ると以下の通りです。

1956年(昭和31年)12月、「日本初のシネマスコープ大型映画」として製作を開始した本作は、翌1957年、当時の天皇誕生日の4月29日に、「総天然色・シネパノラミック方式“大シネスコ”」、「全国民が一人残らず見る映画!」と銘打って公開された。
敗戦後10年少々しか経っていない今、50年も前の勝ち戦を描く企画に無理がある」という『朝日新聞』の映画評もあったが、公開されるや空前絶後の記録的な大ヒット映画となった
都内では新宿オデヲン座、池袋・文芸座、目黒ライオン劇場といった2流、3流の映画館ばかりでの上映だった。それが映画興行史上の大記録を打ち立てたのである。上映した全ての映画館はすし詰めの超満員となった。客席ぐるりをラッシュアワー並の立ち見客が囲み、中央通路や最前列前の通路まで隙間なく床に座る観客、ロビーにまで人があふれ、上映が始まってもドアが閉められないほどだった。戦前の日本と日本人の姿がそのまま再現された映画であり、進駐軍の占領を経て戦前の日本と手を切ったはずの民衆に衝撃を与えた。
観客動員数は2000万人、「日本人の5人に1人が観た」と言われ、日本の映画興行史上の大記録を打ち立てた
日本語版のまま封切られた台湾でも、同地で公開された日本映画史上最大の観客動員数を記録している
アラカンと「明治天皇」[編集]
劇場では、嵐寛寿郎演じる明治天皇が登場すると思わず手を合わせる人も多かったという。[要出典]その結果、姉妹篇である『天皇・皇后と日清戦争』(新東宝、1958年)や『明治大帝と乃木将軍』(新東宝、1959年)のほか、事実上その総集編である『明治大帝御一代記』(大蔵映画、1964年)まで作られた。嵐寛寿郎は、『日本ロマンス旅行』(新東宝、1959年)で仁徳天皇を、『皇室と戦争とわが民族』(新東宝、1960年)で神武天皇を演じている。「新東宝創立十周年映画」の『新日本珍道中・東日本の巻』(1958年)でも再び明治天皇を演じている。

上記を見ると、韓国と台湾では、敗戦後の対日観の違いがその頃からまるで違っていたことがわかります。
昭和32年ならば、私の中学生の時で記憶的にあっています。
その後パチンコ屋があちこち駅前にでき始めると、軍艦マーチを流すようになりましたが、私の原初体験では軍艦マーチ=連合艦隊出撃の勇姿でした。
韓国では旭日旗反対運動が激化していますが、私の子供の頃映画等で染み付いたイメージでは、戦闘体制に入ったとき(命令一下即発砲体制)にスルスルと掲げるのものだと子供心に理解して育ちました。
戦闘モード満々・今風に言えば戦闘機のレーダー照射段階でしょうか?
米国国旗は国旗以前に軍旗として発展してきたものをそのまま国旗にしているのではないでしょうか?
その上で事あるごとに「星条旗の下で団結を!と対外意識の高揚・・気勢をあげる国から卒業できていないように見えます。

緊急時対応法令(流言飛語1)

新型コロナ特効薬がまだない・・科学的に不明・・大災害の最中=真相不明のパニック時に・トイレットペーパー不足のような流言飛語が飛び交うのと似ている状態です。
・・関東大震災時に不逞鮮人が何をするかしれないという噂が広がったと言われる・事実かどうか不明ですが・・この一種でした。
メデイアは、流言飛語を慎むべきという強化宣伝する役割を果たす一方で、「自分の方だけは格別の扱い」としてお得意の政治批判のチャンスとばかりに精出します。
政府が何か決めると一波万波の波及効果が起きるので、相応の準備がいることをホテルでの受け入れに関連して説明してきましたが、これを無視して決断が遅すぎると批判し、ある程度の準備をして政権が決断すると今度は準備不足でその被害を受ける方の手当がお粗末だ、遅すぎると批判します。
政権批判のできない中国の場合、自画自賛・・「独裁政権の方がうまくやれたお手本だ」これがこれから求められる政治体制と自慢し国際標準化を露骨に主張し始めました。
緊急時には平時のルールそのままでは動きが取れないのは明らかですが、新薬承認手続き一つとっても治験作業に数年かかる手順を踏んでいるのでは緊急時に間に合わないのは明白ですしこの種のことは無限にありますが、いわゆるPC主張の行き過ぎで政府要人も医学界あるいは医薬品業界〜厚労省も怖くて思い切った決断が何もできない弱点が表面化しています。
政権が想定外のコロナ災害に対応するために新機軸で対応しようとすると、官僚組織はに既存法令の運用枠内でどこまでできるかの作業が先に立つ・もともと既存法令制定時の目的の枠を超えた運用を求めるものである以上は、既存の法令の従来解釈では無理な運用の要求になるのが原則です。
慎重な手続き枠を突き破った思い切った策の必要性ですので、概ね抵触するに決まっているので、こういう具合に捻ればなんとかなりますという知恵にある官僚のひねり出しに頼るしかないのが現実です。
そいう場合運用の微修正が限度ですので抜本的大胆な施策を展開するのは無理があります。
こういう矛盾というか、日本の硬直性がイラク特措法やソマリア特措法(正確な記憶がないのでうろ覚えの命名です)その他でいつも元の基本法の目的変更を主目的にしながらも元の法律と矛盾しないように特措法で処理するので、特措法の使い勝手が悪いのが原則です。
国外派兵反対の野党の主張に押されて、危険地域に行かないという変な縛りをつけたソマリア派遣だったかで、緊迫事態があったかなかったか?と言う、枝葉末節?の国会追求が延々と続き当時の稲田防衛相の辞任につながりました。
本来軍を派遣する必要があるのは、危険だからであって物見遊山に行ったのではありません。
こういう馬鹿げた議論にうつつを抜かすしかない国会の現状は憂うべきです。
自衛隊派遣必要性を認めるかどうかは「人命を賭しても国際協調する必要があるかどうかの判断」が本来でしたが、国外派兵は憲法の平和主義精神違反という教条主義論に負けてこういう変な海外派兵法が成立するしかなかったのです。
イラク派兵も自衛隊自体が攻撃されないと近くにいる多国籍軍の防衛に協力できないなどの不都合が指摘されていましたし、直近ではイランとサウジ(バックの米国)間の緊迫によるオマーン沖シーレーン確保のための米国主導の国際共同歩調では海賊対策の法律の流用?による特措法?での自衛隊艦船派遣のために海賊でないイラン政府軍の正式な攻撃があった場合どう対応できるかの基本が詰められないママの船出でした。
教条主義的主張がなぜ現実無視の力を持つか不明ですが、選挙結果によると野党の支持率は微々たるものなのに憲法論になると野党の影響力が支持率以上に強いのは、憲法学者や、これを大規模宣伝するメデイア界の政治的立場の偏りが原因でないかという主張は、結果から見ると合っているのかも知れません。
今回の新型肺炎・・いわゆる超国難に際しても、抜本的法令改正や非常時の憲法停止が諸外国のようにできないので、解釈変更しか打つ手がない後日の国家賠償や責任者の民事・刑事責任追及が待っている仕組みでは誰も思い切った手(法改正さえも憲法違反で後日追求され個人責任追求が怖く)を打てません。
たとえば輸血製剤事件で刑事処罰請求を受けた関連省庁や学者は怖くて治験手続き簡略化承認・・新薬に手を出せない状況らしいです。
今回の緊急事態を宣言しても、要請しかできないし、要請対象すら政令?か規則等で厳しく縛られている・・補償が前提になるのは憲法秩序一時停止を前提しないことから、何をするにも憲法違反・国家賠償等の恐れ検討が先に立つからです。
諸外国の果断な施策に比べて安倍政権は・という批判的メデイア論調が多いですが、一方で緊急時の憲法一時停止の憲法改正反対の野党支持の立場がかなりはっきりしていますので、ただ現政権の対応能力不足を滲ませ、それとなく安倍政権の迷走ぶりを浮き彫りにする戦略のように見えます。
上記の通り憲法制約を厳しく主張しながら諸外国のような果敢な政策断行を求める矛盾を隠してメデイアが政権の迷走イメージを膨らませるのは、一種の流言飛語の類ではないかの疑問で書いています。
トランプ氏はコロナ感染が米国で拡大始めると真っ先に(3月19日)戦時下発言をして昨年から続く対中対決の延長図式に持ち込み、戦争時は国防の必要があれば民間企業に対して特定品の生産命令できるという古い法律を引っ張り出してGMに医療機器緊急生産を命じました。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57369910Y0A320C2000000/

トランプ氏、GMに人工呼吸器生産命令 国防生産法適用
2020/3/28 1:21 (2020/3/28 6:42更新)
トランプ氏は18日、呼吸器やマスクなど新型コロナへの対応に必要な医療品を確保するため、1950年の朝鮮戦争下に成立した国防生産法を発動した。ただ実際に企業に具体的な命令を出すのはためらっていた。

トランプ氏は選挙対策もあって?国内対決棚上げ・・いつも標的の必要なアメリカ的発想で3月19日には戦時下発言をして昨年から続く米中経済対決を格上げして対中悪感情をそれとなく煽ってきました。
上記マスク等を中国に頼っている状態は危険が大きいアッピールの他に・経営苦境にあるGM救済・製造業国内回帰にもつながるというアッピールの一環でしょう。

新型コロナウイルス被害の地域差

厚労省令和2年3月4日版と4月10日版でデータ比較すると以下の通りです。

3月4日現在の状況及び厚生労働省の対応についてお知らせします。(3月4日正午までの各国機関やWHO等から発表された内容を踏まえ、3月4日報から下線部分を更新しました。)
1.国内の状況について
3月4日12:00現在、257例の患者、27例の無症状病原体保有者が確認されている。
上記患者のうち入院中または入院予定209名、退院31名、死亡6名
4.国外の発生状況について
・海外の国・地域の政府公式発表に基づくと3月4日12:00現在、日本国外で新型コロナウイルス関連の肺炎と診断されている症例及び死亡例の数は以下のとおり。

国・地域 感染者 死亡者
中国 80,270 2,981
香港 100 2
マカオ 10 0
韓国 5,328 32
台湾 42 1
シンガポール 110 0
豪州 33 1
米国 108 6
カナダ 30 0
フランス 212 4
ドイツ 196 0

厚労省令和2年4月10日版で比較します。

国・地域 感染者 死亡者
中国 81,907 3,336
香港 974 4
マカオ 45 0
日本 5,347 88
韓国 10,450 208
台湾 380 5
シンガポール 1,910 6
豪州 6,108 50
米国 456,828 16,478
カナダ 20,748 509
フランス 86,334 12,210
ドイツ 116,801 2,451
フィリピン 4,076 203
インド 5,865 169
イタリア 143,626 18,279
英国 65,077 7,978
ロシア 10,100 76
スウェーデン 9,141 793
スペイン 152,446 15,238
ベルギー 24,983 2,523
エジプト 1,699 103
イラン 66,220 4,110

3月4日正午までの公式記録では(各地からの報告結果ですので追加修正がありますが一応この時点の公式記録)、死者数は日米同じ6名で、日本の感染数257例に対して米国108例でした。
これが4月10日現在(公式記録)で日本の感染数5347例、死者88名(13倍)に対して米国感染数45万6,828人、死者1万6478名(2474倍)の大差になっています。
米国に限らず西欧先進諸国との比較をしても上昇カーブ差は歴然です。
地域別にみると欧米〜西南アジアの増加率に比べて東アジア系の被害率が低い印象です。
新薬開発成功までは、今や神頼みしかないのですが、肝腎の宗教界も今回はお手上げで宗教心さえ篤ければ・・という自信たっぷりの宗教人は見かけません。
大阪の四天王寺も任しておけ!と言わずに全面閉鎖のニュースが流れていますし、千葉県の成田山も厄除けどころか、一般参拝その他行事中止ニュースです。
この辺はローマ法王も宗教心さえ篤ければ良いと言えないようですし、宗教政治色の強いイランを筆頭にする中東諸国も同様です。
頼るべき支柱がない状態になると流言飛語の出番になるのが歴史の経験です。
新型コロナ特効薬がまだない・・科学的に不明・・大災害の最中=真相不明のパニック時に・トイレットペーパー不足のような流言飛語が飛び交うのと似ている状態です。
・・関東大震災時に不逞鮮人が何をするかしれないという噂が広がったと言われる・事実かどうか不明ですが・・この一種でした。
メデイアは、流言飛語を慎むべきという強化宣伝する役割を果たす一方で、「自分の方だけは格別の扱い」としてお得意の政治批判のチャンスとばかりに精出します。
政府が何か決めると一波万波の波及効果が起きるので、相応の準備がいることをホテルでの受け入れに関連して説明してきましたが、これを無視して決断が遅すぎると批判し、ある程度の準備をして政権が決断すると今度は準備不足でその被害を受ける方の手当がお粗末だ、遅すぎると批判します。
政権批判のできない中国の場合、自画自賛・・「独裁政権の方がうまくやれたお手本だ」これがこれから求められる政治体制と自慢し、トランプ氏は選挙対策もあって、国内対決棚上げ・・いつも標的の必要なアメリカ的発想でトランプ氏が真っ先に「戦争発言」をして対中悪感情をそれとなく煽ってきました。
ソ連崩壊後標的をなくした米国が湾岸戦争を起こし、9.11で「テロとの戦い」を掲げたのもこの一種だったでしょう。
トランプ氏の意を受けた政治好きの人は中国脅威論・・・中国が生物兵器製造に失敗して工場から武漢市内に漏れたのが原因とツイッター等で広め・5Gのような先端技術の中国締め出しの既存方向をさらに拡大してマスク製造のような低賃金国特化生産品でさえも中国に頼るのは危険だと煽っています。
中国側も負けずに事もあろうに報道官が(記者会見での公式意見ではないものの個々人のツイッターが厳しく政府に規制されている中国で、報道官の個人意見とはいえこのような重大発言を公開したのは、政府中央の許可・・非公式発言をさせたと見るのが国際常識です)アメリカが中国でウイルスをばら撒いたと言い返しました。
3週間ほどでようやく報道官としての登板では個人的義憤で表明したと釈明し政府と関係ない個人の意思かのような発言です。
この義憤とは、日本の海上保安庁役人が義憤で尖閣諸島での中国の横暴な行動を画像で公開した事件を想起させる表現です。
中国人民にとっては、アメリカが国内政治上駆け引きのために中国という敵を意図的にでっち上げているという義憤があったのでしょう。
日本で言えば真珠湾攻撃を政府として行ったことで、ルーズベルト大統領が待ち焦がれた対日宣戦布告の口実を作ったようなものです。
これに怒った米国の反応・米国は敵を求めていたので待ってましたと言う反応に驚いた中国はその火消しに必死でしたが、中国政府の政治感覚はこの程度のものか?と政治能力を世界中が認識したようにも見えるし、米国は怖い国!と再認識した人も多いでしょう。
日本庶民の方は、流言飛語・・社会に否定的影響を与える根拠ない情報バラマキはいけないとしても希望を持たせる拡散ならいいだろう式の庶民の知恵・・「納豆を食べる人は感染しない」とかお茶が良いとか、お国自慢が出てくるかと思えば、ちょっと科学的な意見?BCG接種した国との違い(納豆菌がウイルスを食ってしまうというのも科学論の一種でしょうか?)によるなどの、ちょっとした知的装い論も出てきます。
米国メデイアの場合は、とランプ氏が目の敵にする民主党系のメデイアはお得意の格差批判の我田引水が目立ちます。
アメリカの被害が多いというが、本来のアメリカ人は強いのだ?という白人擁護を兼ねた?格差社会論・・貧困層が感染や死者の大多数を占めている→民主党政権の国民皆保険制度創設が必須という主張に結びつける論をばら撒きます。
人種差別に結びつけたい人は、格差社会批判の発展形?で今回の被害拡大は黒人が圧倒的に多い・「奴らは・・もともとどうしょうもない奴らだ!と言いたい?ような非難攻勢も言われるようになりました。
武漢での拡大初期には、アジア人特有の感染症であるかのような欧米の人種差別的意見が流布されて、欧米では黄色人種系アジア人というだけで露骨な差別を受けるようになっていると報道されるようになっていました。
武漢で始まり周辺アジア諸国に広がる段階を経て世界的に伝播してみると感染拡大率で欧米や中東の方が抵抗力が弱い結果が出てきたので今や攻守反転状態です。
アジア人差別を受けた意趣返し的にどうして欧米人種(広く言えばこコーカサイド)が新型コロナに弱いのか?という人種(遺伝子)的特性の疑問が差別を受けた逆反応的に起きてきます。
ところでアジアとはアフリカを除く西欧以外という程度のヨーロッパ人の言い方が広がっただけのことですので、ウイルス耐性力を問題にする人種(遺伝子)的広がりとは違う概念です。
遺伝子的言説によれば、もともと、ホモ・サピエンスの分化説(未知の領域で酢ので確定説ではないですが)に従って、アフリカ系→コーカソイド(中東からインド欧州系人→アジア系の分化過程の最終段階である黄色人種系が遺伝子的に強いのは当然という意見が出てきます。
欧米や西南アジアと遺伝子的に枝分かれしているいわゆる黄色人種(多様な枝別れがあ李複雑すぎるのでここでは大雑把に黄色人種系と書いています)系に被害拡大が少ない特徴からこのような意見が起きてきます。

それぞれ日頃の基本的思考傾向の応用に解を求める傾向が出てきたのでしょう。
世界中が戦時発想の強権発動・市街封鎖行動制限などに飛びつき、その最先端を走った中国が独裁の方がすっきりわかり良い!と自慢するようになりました。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。