米中の親和性と日本文化の隔絶3

アメリカは自国のアジア回帰作戦に対する中国の明からさまな挑戦には「臨時」対抗しますが、本質的に中国に親和感を抱いていることは間違いないので、この辺の意見は何回も書いてきましたが警戒が必要です。
安倍政権になってからアメリカが日本寄りのように見えても、アメリカ正義論・・悪い日本を叩き潰したと言う戦争正義論・・これの宣伝のために日本の戦時中の悪行宣伝を中韓にけしかけて来たアメリカとしてはこの看板を下ろせません。
これをやめたときに初めて、「アメリカが日本敵視政策をやめた・・」真の同盟国になったと言う評価が出来るように思えます。
・・日本悪=アメリカ正義論の基礎をナス東京裁判否定に繋がりかねない靖国参拝に必ず不快感を示すのは、この米中が真の同盟国であり、日本が究極の敵であると言う基準をおろさないと言う中国への忠誠心?のアカシ・・踏み絵になっていると思われます。
不快感しか示せないのは、明白に日本批判をすると、東京裁判否定論争の盛り上がり→戦争責任論の掘り下げ→アメリカの戦時中および戦後の戦争犯罪行為の掘り起こしになるのは、今世界で孤立しつつあるアメリカにとってはとって得策でないというだけです。
アメリカにとって、靖国参拝を容認すると従来の日本悪玉論取り下げ→これまで「中韓が本当の味方であって究極の敵は日本である」「日本批判をいくらでもして下さい」とけしかけて来た旗を降ろすことになるので、これを取り下げる訳に行かないからです
・・。
明白に日本非難して今は日本と争うことがきないことから、「不快感」表明程度になったものと推測されます。
アメリカの基本姿勢は、・・伝統的に米中は親密である・・飽くまで中国との対立ポーズは臨時的なものに過ぎないと言うものに見えます。
・・中国の埋め立て工事を放置すると周辺国の信用を失う・・アジア回帰の看板に傷がつくので仕方なしに、「形だけ何かするよ!」(中国の工事を妨害しない範囲・・精々飛行機を近くに飛ばして格好つけているだけだから、ドンドン工事を完成させてしまいなさい・・その内航空機部隊や海軍の基地にして既成事実化すれば良いでしょう・・)
一定期間が過ぎたら無理に飛行機を飛ばしても意味がないと言うことで飛ぶ回数を減らして行きます」と言うのがアメリカの真意・・当然裏でこうした連絡をやっていると思われます。
中国政府高官がアメリカの航空機派遣に対して「戦争にはならない」と直ぐに断言している・・工事が関係なく着々と進んでいるのは、こうした密約があるからです。
アメリカの基本政策は中国を引き立てて日本を封じ込めるのが伝統的政策ですので、中国との一時的対立関係が解消すれば、また中国と組んで日本敵視政策に戻るのは目に見えています。
そのために、靖国参拝は絶対に容認しない・・日米の火種として残しておくことが中国への意思表示・・忠誠心の証?になっていると思われます。
太平洋二分論は習近平氏が突如言い出したかのように見えますが、アメリカが内々将来の構想として(中ソ対決のころに自陣営に引き入れるために)早くから提案していた可能性が大です。
これを中国が不用意に・・習近平が内政緊迫のために待ち切れずに表面化したので、アメリカが直ぐに応じられなかっただけの可能性があります・・。
実際にオバマはこの発言に困った顔で応じましたが、明確に否定出来ない・・この点は「鼎の軽重」を問われたと言うテーマでFebruary 19, 2014, 「アメリカの指導力低下13(引き蘢りのリスク1)」で書いたことがあります。
息子が親に早く経営を任せろと他人のいる前で言い出したようなもので、困った顔をしているのがオバマと言う感じですし、親に反抗して(南沙諸島などで)暴れる限りで、少し示しをつけるしかないかと言う程度で、ちょっと軍艦を出してみたり他人(日本)に協力を求めている程度のようなもので、米中の基本的価値観・・目指す方向は共通です。
中国がいくら台頭しても、アメリカ式価値観と同質でただ遅れた状態の特典・・大目に見てくれとわがままな主張しているに過ぎませんから、アメリカは全く脅威を感じていないことによります。

米中の親和性と日本文化の隔絶2

これに対して中韓は、慰安婦攻勢や南京虐殺に日本が反対するのは、アメリカの戦後レジームに対する挑戦・・「アメリカに対する反抗と同じ」と言う旧来型論法で慰安婦攻勢や南京虐殺宣伝で反撃を強めました。
日本としてはアメリカに対してある程度不満があっても、(日本が世界のナンバーワンを目指すことが出来ない以上は)中国支配よりはアメリカの方が良いので、パックスアメリカーナ自体に挑戦しているものではありません。
むしろパックスアメリカーナに対して正面からの挑戦姿勢を示し始めたのは、中国の方であり、これにすり寄った韓国の方でした。
中国が尖閣諸島一点突破を図ればまだ道があった・・日本も苦しかったのですが、中国の対日暴動その他は国内矛盾激化をそらす方策の1つでしかなかったから、日本の思わぬ反撃にたじろいでいると国内政治が持たないので、今度は抵抗力の弱い西沙南沙諸島に目を向けざるを得なかったと見られます。
この作戦変更は相手が弱くて無抵抗なので、簡単に既得権の確保をしつつありますが、中国の周辺国の警戒感を生み、膨張主義と言うレッテルが国際的常識になって来たことと、アメリカもまだ世界の警察官役を完全にやめたとは言えない以上、この膨張主義を放置出来なくなりました。
このねじれ現象が日本に幸いして、このまま尖閣諸島や南沙諸島を中国にとられてしまうのでは大変だと言うアメリカが(目先の)価値判断に傾きました。
尖閣諸島に中国の基地が出来ると太平洋に中国潜水艦が自由に出入り出来る・・アメリカの安全保障上も座視出来ませんので、「戦後秩序を見直したい」と言う基本姿勢の安倍政権を潰してしまう訳に行かず、占領政治の批判さえしないならば・・と言う範囲で、アメリカが「当面」日本の応援をするしかなくなったところです。
イラク侵攻以降、世界中でアメリカのやることなすこと評判が悪くて信用ガタ落ちで、反米感情が広がる一方になって来たこともあって、唯一アメリカ支持を続ける日本をむげに扱うことが出来なくなって来たこともあります。
世界的に見れば西洋や中東諸国での反米感情が凄まじいものがあって自信を失って世界の警察官ではないと言い出したのですが、東南アジア諸国では、まだ反米感情がそれほどではないので、東南アジアではまだ権益を守りたいし守れるだろうと言うのがアメリカの本音で、アジア回帰と言い、アメリカ中心経済圏TPP構築に乗り出したのです。
TPPを意味あるものにするには日本参加が必須でしたし、この辺は、補完勢力としての日本の重要性を、2014/02/22アメリカの指導力16(引き蘢りのリスク5)ころまでと〜May 4 2015「覇道と日本の補完性1」まで書きましたが、話がそれていますので「補完2」以降は来年始めころのコラムに先送りになっています。

米中の親和性と日本文化の隔絶1

23日の続きです。
日本民族は西欧近代で民族主義が始まるずっと前の古代から・・白村江の海戦敗北以降日本列島を上げての列島防衛意識の高まり・・列島人一丸として戦う前提で、国家体制の再構築(大化の改新)に邁進し、防人制度も創設しました。
卑弥呼の頃には、それぞれがバラバラに交易していて今のような民族意識はなかった筈ように習いますが、(交易用に代表団を結成しているうちに一体感が出来たのか?)長い交易期間を通じて列島人と半島人と気質の違いを実感して来て「自分たちとあいつら」の区別がしみ込んでいたからでしょうか?
文字を残した中国の史書だけを基準に考えて来た従来の歴史学から見れば、日本列島は卑弥呼のこの頃にはまだ未開の地域ですが、考古学が発達して来ていろんなことが分って来ると・・1万年前後遡ると、列島の縄文文化の方が進んでいた可能性すら分ってきました。
何もかも大陸から伝来したのではなく、逆に日本の工芸品?が大陸にわたっていた様子・・遠慮して言えば可能性が出て来たのです。
このように歴史は魅力一杯ですから興味が尽きませんが、縄文時代から植林するなど循環型社会が根付いていたことが既に知られているように・・これが佛教の輪廻思想が根付いた所以です・・循環型になると環境重視→同じ環境を利用する共同体意識が強力になります。
日本の場合、外敵と戦うための民族意識強調と言う政治目的による根の浅い概念ではなく、環境重視=共同体意識が縄文時代から自然発生していた・・その後水田・・灌漑社会になって、より共同体意識が強固になって行ったことが今の西洋流の民族意識の母体になっているものですから、西欧で言い出した民族意識よりも歴史が古く基礎がしっかりしています。
ゴーストタウンにして街を棄てて行く・・居住地域を結果的に砂漠化させて移動して来た世界中の有名文明の跡地とは心構えが違っています。
・・アメリカや中国(公害を除去しないで、北京を棄てようとしています・・)の生活意識では、先祖代々繋がるような共同体意識が育ちません・・そこで、権力維持のためにアメリカでは国旗を振りかざして国歌を歌う程度の皮相な愛国心の強調の場合、いつも外敵が必要です。
平和のためと称して、アメリカは戦争ばかりして来たことを見れば分ります。
西欧の民族意識強調は、ナポレオン戦争遂行の必要のために生まれたもので、日本のように共同体・・環境や動物愛護意識から、自然発生的に生まれたものではありません。
運命共同体意識の強さに比例して、よそ者の参加にはハードルが高くなるの当然です・・インフラ整備に参加していない人がイキナリやって来て無償利用出来るのでは、代々の積み重ねで築き上げた環境を他所から来た人にただで利用されることになります。
何かの行事をみんなで苦労して盛り上げて来たときに、全く手伝わなかった人がハイライトのときだけ参加して大きな顔をされたらしらけるのと同じです。
環境に関心の低い・・格差社会の国が、「よそ者を低賃金労働に使えれば良い」と言う計算で受入れるのとは訳が違います・・日本人は一緒に住む限り平等前提で、格差や奴隷制度を前提に低賃金労働者を受入れることが出来ません。
防人は・・東国人中心に編成されていた・遠くの九州の防衛に協力させていて破綻しないで、機能していたことが驚きです。
一般に東北地方の服属は、征夷大将軍坂上田村麻呂の遠征によると言われていますが、大化の改新のころには既に東国(と言っても岐阜県以東?)からの防人派遣がさしたる抵抗なく?(万葉集等に出て来るだけで歴史書に出て来ないだけかも?)行なわれていたことになります。
危機が治まれば民族意識は鎮静して平和主義に徹して柔弱そうに見えますが、中世での蒙古襲来時の団結力・・幕末ペリー来航時の庶民に至るまでの国防意識の高まりなどなど、民族防衛意識は世界一高い民族性です。
民族を守るために命を投げ出す覚悟のある日本民族の強固な意識は、民族の一体感より一族の利益を守る意識中心の中韓等民族意識がまだ1つハッキリしない国では、理解を超えた状態ですから、マスコミ中心に流布している非武装論を日本人の脆弱性と誤解してしまったように見えます。
日本人は腰抜けばかりになってしまったから、一撃を加えればすぐに折れてしまうと甘く見て攻撃強化を始めたのが中韓両国の失敗です。
(ロシアは日本が怒り出すとすぐに引いてしまい対日友好外交に切り替えたのは日露戦争の教訓があったからでしょうか?)
変わり身が早いと言うべきですが、・・日本人からみれば、日本の弱みに付け込んだ先の不可侵条約違反→シベリヤ抑留と二重写し・・ロシアは日本が弱ったと見れば何をして来るか分らない国と言う記憶を呼び起こしてしまうマイナスに気が付かないから、露骨なことをするのでしょう・・。
(ロシアは国の歴史が浅くて目先の損得しかない・・最近のプーチン氏のやることは一見うまく行っているようですが、(ウクライナ侵攻・クリミヤ併合、やシリア介入・トルコ威嚇等々・・)相手の弱みに付け込むだけで、あまりにも見え透いていて子供みたいです)

クリスマス・イヴ(日々是好日)

今日は、年末の楽しみの1つになった・・クリスマスイヴです。
子供が育ち上がってからは大分楽しみ方が変わりましたが、この数年では高齢化して来たからか、日々ささやかなことを楽しく、有り難く感じるようになり、私が弁護士になるかならないかの頃に人気を博していた武者小路実篤の絵画+書?「日日是好日」等のイメージが身に付いてきました。
武者小路と言えば青春時期に「友情」などいろんな著書を読んだことをすっかり忘れていました・・もはや青春時代は茫茫たる過去になりました。
70歳を過ぎたころから、腰を屈める作業がきつくなったからか、庭いじりがおっくうになって来たように感じられ休日は周辺散歩・・美術館・博物館へ出掛けたり食事に出る回数が増えました。
その気になれば、東京には各種美術館、博物館があって、あちこちお勉強を兼ねた娯楽に出かける場所は、いくらでもありそうな感じです。
ここ1〜2年は京都などの遠隔地旅行よりも、都内と千葉県内・・近場の日帰り行楽中心になってきました。
昨年あたりまでは、東京地裁の裁判に行ったついでに、その日はその他の仕事は休み?にして、妻とともに国立劇場や歌舞伎座、日生劇場果ては、宝塚歌劇まで見て歩くことが多かったのですが、今年に入ってからは、日程の合う裁判がなかったことから、日弁連等に出掛けるついでに都内に住む娘と待ち合わせて近くのレストランで食事するくらいでした。
この数年体力が衰えたのか、美術鑑賞・・行動よりもレストランで食事を楽しむ時間の方が多くなった感じです。
東京地裁の場合、松本楼3階で食事したり、佐倉市の川村美術館の場合、ここ数年は美術鑑賞は二の次で、食事目的に出掛けてついでにお庭の散策などを楽しむようになっています。
成田山も年に一回行きますが、これも行きつけの店で天然ウナギを食べるのが主目的です。
食事中心・・そのついでに演劇や展覧会を楽しむようになって来ると、国立劇場(の場合には2階廊下にかかっている名画鑑賞する楽しみがありますが・・)や歌舞伎座の食事レベルが低いのが難点です。
元々の歌舞伎座は食堂形式で酷いものでしたので、建て替え後に期待していましたが新館になっても、新建材になった程度の違いしかなく、窓から見える景色はどこかのビルの裏側と言う感じでまるで戴けません。
日生劇場でも国立劇場でもどこでも、多くの人が長椅子でおにぎりをパクついているのを見ていつまでも戦後じゃあるまいし・・といつも思っていましたが、歌舞伎座はバブル経験後に折角建て替えながら戦後の延長の発想しかないのにがっかりしています。
日生劇場が出来たころの報道を記憶していますが、全面石張りの豪華な劇場が出来て日本にも、西洋的本格劇場が出来たと言うニュースでした。
ドチラが早かったかはっきり記憶していませんが、同じ頃に帝国劇場を取り壊していた・・丸い大きな鉄球をドーンドーンとぶっつけるやり方でしたので非常に印象強く残っています。
そのころは箱物を作るのがやっとで、国民も貧しく食事を楽しむことまで想定出来なかったでしょうが、国立劇場が出来たのは昭和40年代に入ってからですので、立派な食事場所が設定されていますが、役所内食堂の印象を拭えないのが難点です。
この点では上野の東京都美術館には最近奥まったところにちゃんとしたレストランが出来ているのが有り難いです。
高齢化すると量を食べられないからか、良い雰囲気で、良いものを食べたくなります。(おにぎりやサンドイッチを食べてくれと言うのでは困ります)
夏ころにブリヂストン美術館が閉館になると言うので家族で出掛けましたが、このときは東京駅を出たところにあるシックなレストランに入って楽しみました。
数週間前に三井本館内美術館の開館何周年?記念展に出掛けたときには、同三井本館と一体化した高層ビルのホテル内レストランの予約が取れなかったので、美術館内のレトロな軽食店で軽く食べて帰って来たので食事内容に物足りない思いをしたものの、レトロな雰囲気自体は気に入りました。
三井本館は立派な木材を使っているので、10年ほど前に奈良ホテルに連泊して食事をしたときの雰囲気を思い出しました。
奈良ホテルは良い木を使っているのが特徴ですし、レストランは庭園に面していて、雰囲気があって楽しいものです。
自宅が千葉駅に近いので、千葉→上野間が京成電車で40分前後、千葉→新日本橋間がJRで30数分で行ける・・新日本橋駅から三井本館・三越本店まで徒歩5〜6分で行けるので、時間的には自宅近くの散歩と大差ないのですが、やはり自宅周辺の散策の方が気楽です。
知らず知らずの間に日々体力の衰えが忍び寄り、これがいつの間にか行動価値観を変えて行くようです。
事務所は自宅から歩いて行ける距離にあるので、天気のよい休みの日には、家族でぶらぶらと歩いて出掛けます。
私の事務所の入っているビルにマニア向けの小さな映画館があって、イタリアやフランス、スペインなどを舞台にした映画が、しょっ中かかっているのでこれを見に行くのを楽しみにしています。
アメリカ映画と違って、ヨーロッパ映画は人間観察が深い・・味のある・コクのある映画が多いので、我が家の人気です。
映画館から数十メートルの場所に千葉市美術館があって、同じビルの11階のレストランがお気に入りで、映画の前後に昼食を取ってひとしきり楽しんでから余った時間で美術展を楽しんで帰るコースです。
千葉市美術館には東京のような国宝級の展示はありませんが、相応のレベルの作品展示があり、企画力があってわたし的に気に入っています。
家族で年会費を払っているので、ぶらっと何回入っても無料ですからその日の時間余裕次第で30分程度でも良いので、気楽です。
帰り道に、妻の気分次第デパートによったりして賑やかな駅前付近を通り抜ける頃には、日が暮れて、東京ほどではないにしても地元の経済力に応じた質素なイルミネーションで十分満足しています。
こんな具合に・・徒歩圏内で休みの一日が終わるのは、高齢化組に入った今の私にとっては、正に「日々是好日」です。
数日前に来春隠退すると言う先輩弁護士と食事をしましたが、海外や遠くには行きたくなくなったと話していました。
若いときには若いときの楽しみがあり、高齢者に高齢者の楽しみがあると言うことで、どちらが良いとも言えません。
春夏秋冬、朝〜昼〜宵〜晩、それぞれの楽しみ方がある・・宵のころ〜夕暮れは(秋に限らず春でも)格別の味わいがあって、日本では古来から歌に詠まれてきました。
23日天皇誕生日の休みを利用してデパ地下のにぎわいの中での買い物を楽しみ、我が家ではクリスマスイヴを済ませてしまう慣例にしています。
天皇誕生日がこの日になってから、既に27回目ですから、こちらも年をとる訳です。
そろそろ目一杯仕事をしなくとも良い年齢でここ数年余裕の人生になっていますが、今年も今日24日夕方4時から役所関係の会議が入ってしまいました。
私の方は、どうせ23日にクリスマスイヴを済ませる予定でしたので、24日は関係ないよと言うつもりで「良いか!」と言うことで受けたものです。
(日程調整した役所の人もそう言う気持ちかも知れません)
日本中でクリスマスイブを23日に行なう習慣が定着してしまうと数百年後には、「日本の天長節を西洋では一日遅れで祝っているのじゃないか?」「日本は一日早く日の出があるじゃないか?」「皇紀2000何百年とか言うから、キリストよりも古いし・・」とこんがらがって来るのでしょうか?
「日日是好日」に戻りますと、老年期を人生の「たそがれ」にするか、「黄金の夕暮れ」にするかは、本人次第です。
ちなみに「たそがれ」とは夕闇迫る頃合い・・薄暮に、視界がはっきりしないので「たそ?(誰か?)「彼は?」と言うだけのことであって、「枯れる」意味ではありませんが、高齢化=枯れるようなイメージを持たれる方が多いので、一般イメージに合わせて書いています。

非武装平和論の利益帰属主体は?1

社会党が方針転換するには党内に異論があったでしょうが、この時点で社会党内ですら自主防衛権否定論は少数説になっていたことになり、社会党内でさえ異端の少数説が憲法学者の世界では多数説として生き残っていることが分ります。
このように憲法学者は社会党でさえ支持しない国内で浮き上がった主張を維持する存在になっていたにも拘らず、集団自衛権に憲法学者の多数が反対していることを以て、「国民多数の反対を無視して強行した」とすり替えてマスコミが宣伝しているのですから不思議な論理です。
元々彼ら憲法学者の多くは、(憲法を字義どおり・・制定者の真意をそのまま守るために?・・解釈合憲の便法を認めず)社会党が認めた自主防衛権さえ反対しているのですから、集団自衛権にも反対するに決まっていますので、彼らが反対声明を出しても本来何ら新しいことではありません。
こう言う勢力が国内でマスコミの応援を受けて実態以上に声が大きかったことが、日本に対しては何をしても構わないと言う周辺国の侮りを受け、竹島に対して毅然とした態度を取らないことが尖閣諸島に対する領土要求を誘発し、反撃の心配がないことから気楽な反日批判を誘発して来たのです。
中ソをバックにして日米安保条約を根底から否定して来た反米左翼・文化人が、アメリカの非人道的占領政治を一切糾弾しないばかりか、アメリカ軍による制定憲法に対する護憲勢力化しているのは一見矛盾です。
彼らはアメリカ支配を拒否しているだけであって、中ソによる日本支配を期待していたとすれば、日本が異民族支配に不満を持たず無防備無抵抗主義・・弱体なままのが方が便利です。
このためにインド独立に関しては、ガンジーの無抵抗運動の結果独立出来たかのようなマスコミ宣伝や教育されて来ましたが、実態は違います。
独立の戦いが続いていてその終盤に無抵抗の運動も参加したに過ぎません・・欧米系マスコミは独立運動に負けたと言いたくないのでガンジーを大げさに報道しているだけでインドではそんな意識はありません。
黙っているだけでどん欲な欧米諸国が植民地を手放す訳がないことは、(ベトナム戦争で有名ですが・・ビルマ、インドネシア、アルジェリアその他全て独立戦争または内乱的動乱状態を経て独立出来たのが)歴史事実です。
ソ連が東欧諸国を人道的配慮だけで独立させたとでも言うのでしょうか?
ハンガリー動乱やチェコやポーランドの事件など戦車で蹂躙して来たことを歴史から抹殺してしまい、なかったことにするのでしょうか?
話を戻しますと、「無抵抗主義・弱い者は何をされても仕方がない」と言う教育が戦後70年もやられて来たので、世代が入れ替わって民族の誇りを失ってしまった筈と周辺国は安心したのでしょうか?
まだ無理があると思っても、彼らに協力的な民主党政権時の内にやるしかないと言う判断もあったでしょう。
骨抜き教育の必要性は、ソ連が崩壊してロシアになり主役が中国に変わっても、根本方針は変わりません。
民主党政権には社会党政治家であったときの反米・非武装論者が、民主党員に衣替えして多く流れ込んでいることから、イキナリ対米冷却化路線に進んだことから、周辺国が(日本内部の呼応勢力?の有力化に)俄然勢いついたのです。
ロシアが北方海域での軍事活動を活発化させると同時に列島を周回する軍用機の威嚇行為が繰り返されるようになり、韓国では大統領自ら竹島上陸・・天皇に対する国家元首の発言としてはあるまじき暴言を吐いた上で、ひいては壱岐対馬侵攻作戦すら取りざたされるようになりましたし、これに呼応して中国は、尖閣諸島への侵犯行為を激化させて行きました。
領海侵犯して来た不法中国人を検挙した海保の果敢な行為に対して民主党政権は、侵犯行為のビデオを公開しないで、根拠なく釈放を命じてしまいました。
さすがにノーテンキな日本国民も日本列島を取り巻く三方からの一斉侵略・威嚇行為が露骨になったことで、日本世論が騒然として来ました。
旧社会党の非武装平和論・・何をされても抵抗しない?政策を踏襲するかのような民主党政権・・何をされても検挙すらしないと言う基本的政策にノーを突きつけた国民意識が、当時自民党総裁選挙でマスコミから、泡沫候補扱いされていた安倍政権誕生の原動力になったと言うべきでしょう。
日本国民は無抵抗主義を放棄して断固違法行為に対抗する意思表示をしたことになります。
日本民族は西欧の民族主義が始まるずっと前の古代から・・白村江の海戦敗北以降日本列島を上げての列島防衛意識の高まり・・戦う前提として国家体制の再構築(大化の改新)に邁進し、防人制度・・東国人中心に編成されていた・その地域まで協力していて破綻しないで、機能していたこと・中世での蒙古襲来時の団結力・秀吉の切支丹禁令もカソリックの侵略体質に危険を感じたことが原因があった・・・幕末ペリー来航時の庶民に至るまでの国防意識の高まり・などなど、民族防衛意識は世界一高い民族性です。
平和なときが続けば、幕府ご家人が朝湯を楽しんだりして骨抜き状態に見えましたが、幕末に「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船のシャレ)たった四はいで夜も寝られず」(上喜撰・・当時の高級茶の名称・・カフェインの作用で眠れないのに引っ掛けた傑作です)と歌われたことから知られるように、イザとなれば、すぐに民族防衛DNAが覚醒し復活する体質です。
戦後70年にわたって占領軍によって強制されて来た民族の骨抜き政策・教育効果が、表面のメッキ程度に留まっていた・・日本民族のDNAは損なわれていなかったのです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。