平成28年元旦(人生を味わう1)

あけましておめでとう御座います。
皆様におかれましては、おめでたい元旦をお迎えのことと存じます。
私も家族も御陰さまで元気に新年を迎えることが出来ました。
「今年も心機一転この一年頑張るぞ!」と言いたいところですが、ここ数年?あまり頑張らなくとも良いか!と思うようになりました。
若い人にとっては、勿論元気に飛躍の歳になるように頑張るのは良いことですので、読者の中で若い人にとっては、年齢相応に元気で良い歳になりますように祈念します。
私の方は、ま、あまり意気込む必要もないので、今年も年齢相応にゆったりした一年を過ごしたいと思っています。
60歳の還暦の頃にいよいよ高齢者の仲間入りか!と感慨頻りでしたが、今になると、あんなに若いときに何でそう思ったか?と言うところです。
そのころは、皆そう言う気持ちだったので、事務所・関係弁護士がパーティーをして下さるなど還暦を祝って戴いたものですが・・・。
最近では70歳の古希祝いも滅多に聞かなくなり、私もいつの間にか素通りしました。
80台は今でも元気な人が多いですから、私が80台になる頃には、もっと元気な人の比率が高い時代になっているでしょう。
今のところ、どこと言って具合が悪い訳でもないし、いつも自分中心と言うか自分から見て若い人が増えたなと言う価値観で来たのですが、若いと思っていた人たちの年賀状に、「子供が育って夫婦2人の生活になりました」と書いて来た人が何組かあったり甥や姪に孫が生まれたとあるのを見ると、さすがに自分世代の時代は終わったのだ!実感するしかありません。
体力的には自覚が乏しいものの、周辺情報や年齢を数えると高齢化したかな?言う程度ですが、人から見ればいろんな能力が落ちているんだろうなと自戒している状態です。
大晦日に書いたように時間が早く過ぎるように感じること自体が、能力の衰えの徴候です。
情報処理力や移動能力が落ちて来る代わりに、高齢者には時間が充分にあるので昔10分で歩いた距離を15〜20分かけてゆっくり歩けば良いことです。
食べるものも量を食べられなくなれば、良いものを少し楽しめば良いことです。
若いときには将来のための教養を積むとか、家を建てるとか老後のためとか、すべて蓄積目的の生活でしたが、高齢者は蓄積の必要がなく、(長寿で知られた金さん銀さんが質問されて「老後のため・・」と答えたことが知られていますが・・)その時間時間の刹那を楽しめば良いので気楽です。
子世代のことが気になる(煩悩を断ち切れない)ものの、何となく達観するようになって来たことを、昨年元旦のコラムに書きました。
高齢社会では(食べ物に限らず文化を含めて)量に関心がなくなり、良いものを素直に愛でる消費が増えるので、文化が更に発展する・・文化が上質化して行くのが楽しみです。
江戸時代の文化に限らず、その前から日本のいろんな文化は、高齢者が支えて来た上質文化が基礎にあるように思われます。
情報にも上質情報と粗悪情報が当然あります。
同じ映画でもこく味のある映画とアメリカ映画のようにただ元気がいいだけのもあるように、詩歌であれ上質情報が増えるようにして行けば、高齢者も短い時間で楽しめます。
高齢化すると時間が早く過ぎてしまうように思えますが、その代わり高齢者にはたっぷり時間があります。
今年は良いものを少しずつ楽しむ年にしたいものです。
ここから大晦日のコラムの続きですが、今後ますます能力低下が進み、時間が過ぎるのを早く感じるようになるのでしょうが、能力低下に合わせて、じぶんが感じるままの時間の流れに任せて生きて行きたいと思っております。
一年を半年に感じる人はその分に比例して情報処理能力・受容量が落ちている可能性があります。
厳然たる不都合な事実をそのまま受入れるしかない・・人によっては若い者に負けないぞ!とトレーニングに励み、◯◯学校に通う人もいますが・・偉いのか、◯◯なのか人によって評価が違うでしょう。
大げさかも知れませんが、寿命が尽きて行く方向への心の準備と言うか、私のような凡人でも高齢化して来ると体力の衰えの実感から、悟り・・あきらめ・向上意欲衰えの正当化?に近づいているような気がしてきます。
若い頃には、昨日あることが出来たら今日・明日は練習すれば、もっと良く出来ると言う価値観で50年ほど生きてきました。
ところが60歳前後のあるとき気が付いてみると昨年より今年の方がレベルが下がっているのじゃないかと気が付くようになりました。
比喩的に言えば、10個の英単語をやっと覚えたと思うと、10日前に覚えた12個の単語を忘れているような感じです。
この10年ほど、気に入った詩歌があっても記憶しておこうとしなくなりました。
こうなると時間の流れに抗うよりは悟りに近づいた気持ちになるしかないような気がしますが、(知らぬ間に判断力がついているのかも知れませんが・・これは詩歌をいくつ覚えたと言うように客観的に分りません)能力ダウンを逆手とって楽しくやって行きます(・・・結局は自分中心価値観に帰するようですが・・)ので、今年もよろしくお願いします。

大晦日(時間の早さ1)

今年も今日で終わりになりました。
一年の最後・・大晦日になると、正月に掛けていつもの意見を書くのを休憩して行く年、来る年に思いを巡らせます。
この一年を振り返ってみると、今更ながら、トキの立つのが早いのに驚かされます。
高齢化して来ると何故早く時間が過ぎるように感じるのか?
1つの考え方としては、ある仕事の処理能力が落ちると時間が足りなくなるからではないか?と言えます。
年をとると歩くのが遅くなるのは誰でも経験することですが、これを代表例として全ての分野で血の巡りが遅くなる・・情報処理能力が仮に3割低下すると時間が3割足りなくなります。
体力等が3割落ちると同じ距離を歩いても、仕事をしても、疲れが3割早く出ます。
2つ目には、情報収集能力・・蓄積量の違いが大きいように思われます。
私だけの経験かどうかも知りませんが、私の経験では、書類を見ても道路を歩いても焦点を当てて見ている部分しか、(原因は老眼眼鏡が一カ所しか焦点が合わないように出来ていることが原因かも知れませんが・・)視野に入って来なくなったような印象を受けています。
書類を見ていてここに日付があるべきだと思ってみた箇所にないと、大きな書面中どこに書いてあるのか探すのに時間がかかりますが、若手の場合あっという間に探し出します。
高齢化すると焦点を当てたところしか見えていないのに対して,若い人は画面的に全部目に入っている感じです。
道路を歩いていると、向こうから私より高齢者が来ると、私に気付くのが遅く逆に若い人に対して私の方が気づくのが遅くなっています。
どう言うことかと言うと、歩きながら前方見ているし50〜100メートル先も見えているのですが焦点を当てた人しか見ていないので、相手がちょっと道路の端を歩いて来ると人の形程度しか目に入らなくなっているからです。
毎日事務所にヤクルトを持って来て、しょっ中挨拶を交わしている高齢の女性と道路で行き違ったこがあります。
彼女が立ち止まっているときに出会えば、毎回普通に挨拶を交わしていますが、タマタマ向こうから自転車をこいでやって来るのに出会ったことがあります。
私とスレスレに行き違ったのですが、彼女は進行方向を必死に見つめていて数十センチしか離れていないで行き違う私の顔に全く気が付かないでとおり過ぎて行きました。
歩行スピード程度だとスピードが遅いのである程度視野を広げてハバ広く情報収集できるが、スピードが早くなるに合わせて、少しでも遠くを見るために視野が狭くなっているのです。
歩いていれば、数メートル先の情報を得てから対応でも間に合うので、遠くを見る必要がありませんが、スピードに比例してより早く遠くの情報把握する必要がでます。
若い人は数百メートル先を見ていながら近くも同時に見えるのに対して高齢化して来ると自転車程度のスピードに合わせて僅か約10メートル先に焦点を当てると1〜2メートル先にいる人(姿は見えるが顔かたちまで把握出来なくなる)も見えなくなると言う実験をしたような気がしました。
本を読んでいても目で追っている部分しか目に入らないのと同様で、道路を1km歩いても映画を見ても同じ時間に得ている情報量は若い人・・若いときに比べてもの凄く少なくなっているようです。
一定の時間で情報を得る量が少なくなれば、時間が短く感じるのは理の当然と言うか、印象だけではなく実際に正しいことです。
睡眠時間中には、何らの情報も得ていない・・寝入ってから、熟睡後目覚めるまで一瞬に感じるのはこの間に得る情報がゼロなので、情報量と時間の関係は一貫しています。
新幹線や飛行機で移動するとこの間の3〜500kmの空間移動に比例した情報量が入らない・・(500km通過する間の膨大な情報)景色も目にいらないし、2時間のフライトや新幹線移動時間では、(例えばこの間に本を読んでいると)結局2時間で読める本の情報しか入らない・・2時間しか経過していないことになります。
早送りのテープで2時間分を10分で聞くと10分間で受容出来る能力に対応した情報しか入らないでしょう。
このように、情報受容や処理量に時間の早さが関係しているとすれば、今年1年が早く感じるのは、その分能力が落ちていることの自覚になります。
能力が年々落ちるのは有り難くないですが、自覚しないよりはマシでしょう・・と自分を励ましながら今年終わりのコラムとします。
皆様よいオトシをお迎えされますように・・、また来年もよろしくお願いします。

TPPとAIIB(海洋型文明と大陸型文明)

自然環境・・ひいては小さな生物・弱者も大切にする価値観では日本が必ずしも孤立している訳ではありません。
太平洋島嶼国あるいは海岸線居住民族では、専制権力が成立し難い・・概ね日本的気風が濃厚です。
日本としては、太平洋島嶼国や大陸沿岸諸民族との関係を重視すべきですし、これまでもうまく行っていました。
(元々思いつきコラムですので、その道のプロではありません・・全てどこかで読んだ借り物意見であることを繰り返し書いています)大分前に読んだキリなので本の名称も、忘れていて誤解している部分の方が多いかもしれませんが、・・・)
以下は、梅棹氏のスケールの大きな文明論に触発された借り物的発想ですが、過去においては、自然発展的に海洋型と大陸型とでは違った発展パターンがあったと言うのですが、今回は海洋国中心に始まったTPPと(中央アジアハイウエー構想を主軸とする)中国主導のAIIBが同時期に始まろうとしているのは、偶然とは言え、梅棹氏の論文どおりの展開です。
AIIBは大陸系文明を基礎とし、しかも中央アジアの開発を目標にしている点が象徴的です。
大陸系諸国では閉鎖領域を前提にするので、その域内では絶対権力が成立し易いことから中央集権システムになじみが深く確固とした権力に基づいて指導者に全員がそのママ従う・・秦の始皇帝以来の専制権力・ソ連のスターリン支配や現在ロシアのプーチン強力指導体制などでやってきました。
海洋系社会は簡単に遠くの社会と交流が出来るので、領民も移住が簡単ですし、他所からの情報流入が簡単で閉鎖空間を作れない点が大きな違いでしょうか?
AIIBはこの伝統に従い・・(・・運営方式が中国独善的で不透明と言って日米が批判して参加を渋っていますが・・)元々大陸型は独裁制・・権力集中が基本ですから「そのとおりやるよ!」と言うのが中国の開き直り宣言でしょうから、これを合議制に修正することはあり得ないと思われます。
中国は古代ギリシャのペロポネソス同盟など海洋国(緩やかな連帯)文明を基礎とする米英主導の19世紀以来の海洋型組織(IMFやADB)と違った仕組みを作ろうとしているように見えます。
実はアメリカ自身の本籍は大陸国家(州に分かれていると言ってもインドほどの個性・・独立性がありません)ですが、(大統領の命令一下で動く行政組織・・日英のような合議を基本とする内閣制ではありません)タマタマ体力が余って来たので、海を渡って、西欧とアジアで影響力を行使するために海洋型の仲間入りをしているに過ぎない点も気をつける必要があります。
合議によらない・・専制的権力行使を前提とする・・上命下服構造を基本とする・・大陸型構造で運営するAIIBに米中が並び立つことは不可能です。
イギリスは、周辺に海洋諸国が少ないことから仕方なしに大陸同盟であるEUに半端に足を突っ込んで来たのと同様に当初からAIIBに参加しましたが、対EUに対するのと同様な役回りを期待していると見るべきでしょう。
日本の場合イギリスと違い、周辺に東南アジア諸国や太平洋島嶼国が一杯あることが大きな違いで,古代から大陸とは一線を画して来られた理由です。
アメリカの場合、なお世界の盟主のつもりですからオブザーバー的相互乗り入れをするのが限度で正式メンバーとして中国の下風に立つことは、出来ないでしょう。
TPP交渉はヘゲモニーにこだわるアメリカの意向どおり、当初一強多弱構造でしたが、これを嫌がる島嶼国の尻込みで殆ど進んでませんでしたが、緩衝国として大きな存在になる日本が参加してから一気に交渉が前に進みました。
その結果、アメリカの言い分だけではない一応海洋型システムになっていますが、それでも裁判権など事実上アメリカが握る方向性・・ヘゲモニーを手放さない方向性での決着でした。
韓国がTPP参加に遅れを取ったのは、海洋国日本の経済圏の仲間入りしてから、まだ約100年で、なお大陸性の本籍意識(Nov 20, 2015「民度政体」前後で国内政治は合理的合議が成立出来ない民度であることを書いてきました)が強固だからです。
韓国が中米の狭間でウロウロしている狡い戦略と言うよりは、日本統治下で組み入れられていた海洋経済圏から離脱して(合議でやるよりも、専制的支配の方が似合っている社会状態を含めて折柄中国の経済力が魅力に見えていたこともあって)大陸性経済・文明圏に戻るかの基盤意識がふらついている結果によると見るべきでしょう。
フィリッピンが最後の締め切り日に署名したように島嶼国もAIIBに加入していますが、その本音は相互乗り入れ・除け者にされたくないと言う思惑が基礎です。
海洋国イギリスが、EUに参加したように韓国はイギリスよりも、もっと弱い立場ですから、中国主導秩序に参加するしかないのは長期的必然です。
以上のように、本籍が大陸系文明か海洋系文明かの区別に本質的重要性があるとすれば、「TPPの参加ハードルが高いから中国の参加困難」と言う一般的説明は皮相の見方に過ぎないことになります。
習近平氏による中華の栄華復権目標の宣言こそは、大航海時代以降海洋国家に圧されていた大陸型発展形態の復権目的に本籍があり「その盟主たらん」とする宣言です。
中国にとって、大陸型覇権復権の象徴としてAIIB設立をしたものですから、海洋発展型機構TPPに(膝を屈して)参加するのは無理があります。
ところで、大陸国家が海洋系に口を出すのは無理があり,海洋系国家も大陸国家に口を出すのは無理があります。
(イギリスの海洋系遺伝子を一部継承している筈のアメリカでさえ、戦後の突出した腕力に任せて太平洋と大西洋を越えて張り出していたものの、その影響から逃れたい西欧からはEU創設で弾き出され、中東湾岸では、イラク戦争以来ことごとく失敗して今や収拾がつかなくなりかけています。
アジアだけでは、日本と言う強力なパートナーがあって(今回のTPPもそうですが・・・)何とか格好がついている状態です。
(日本がTPPに参加しなれば、TPPは成立しなかったでしょう)
中国は、(低賃金を利用して世界の工場になっただけですが、アメリカ並みに体力が余って来たと錯覚したのか?)最近海軍力増強して海洋系文明参加・ヘゲモニー発揮に意欲を示しているものの、今のところ大陸系の専制権力行使しか知らないので、アメリカよりも強引過ぎてなおうまく行っていません。
将来中国が本当の大国になっても世界で発言力を真に発揮するには、日本のようなしなやかな大国の協力が必須であることは間違いがありません。
その一方で本籍が大陸にあることを鮮明にした動きが始まっていることから見ると、(2正面作戦は概してうまく行きません)海洋進出能力が殺がれることは確かです。
中国がTPP参加するにしても・・イギリスがEUやAIIBにオブザーバー的参加している程度・あるいはそちらにも発言力を確保しようとするおまけ程度しか意味を持たないように見えます。

米中の親和性と日本文化の隔絶5

戦後70年も敗戦国日本が一言も反論出来ずに来たので、表の世界(日本でも公式なマスコミや教育界などで・・)ではアメリカの対日悪宣伝が行き渡っていました。
マスコミや文化人の発言を見て、韓国が自信を持って慰安婦攻勢をし掛けたのですが、民族の誇りを傷つけられて防衛意識に目覚めた日本人が猛然と反撃に出ると、韓国の告げ口外交は空回りに終わりました。
世界中に行き渡っているアニメなどを通じて日本的価値観が浸透していることや、世界に進出している個々の日本人を通じて生身の人間の人柄を肌で知っている人が増えているので、日本人の言う方が信用性が高い・・韓国人や中国人の方を信用出来ると言う国は、世界でも皆無に近いでしょう。
「マスコミや教育界さえ押さえれば勝負あり」と言うアメリカ(ユダヤ?)式支配は短期的には効果がありますが、長期的には意味がないことが(長期信用を重んじる日本人の価値観からすれば当たり前ですが・・)最近明らかになってきました。
今では70年間くらいでは、簡単に実体験(韓国のように国を挙げて噓を言う民族は別にして、その他多数の日本統治経験のある諸国での体験)が風化しない・・人の寿命が延びたことも大きな影響があったでしょう。
日本社会は縄文の昔から数百年〜千年単位後の子孫の繁栄を願うものですから、噓をついて短期間誤摩化すと却って子孫が損をすることを知っています。
何回も引用していますが、平家物語の宗盛の演説・・以下の一節・アンダーライン部分が日本人の価値観です。
「・・平家は福原の故里に着いて、大臣殿、然るべき侍老少数百人召して宣けるは、「積善の余慶家に尽き、積悪の余怏身に及ぶが故に、神明にも放たれ奉り、君にも捨てられ参らせて、・・・」
マスコミ支配さえすれば良いと言うのは、ある会議中に自己の意見に対する異論封じをするのに睨みを利かせるのを、大規模にしたに過ぎない・・正論を力で押さえつけるのは時間の経過で無理が出る点は同じです。
企業広告も同様で、いくら派手にやっても、製品(飲食店で言えば、味が悪ければリピーターが来ない)が良くなければ、一定期間で空振りに終わります。
特定民族に対する悪宣伝は、製品のように、製品の良しアシが消費者に直ぐに分り難い・・日本人を直接知らない遠くの国民に対して「日本人はそんなに悪いか」と言う印象を与えるのは簡単で、製品にあたる日本人と接触が少ないので一旦与えられた悪印象の払拭に時間がかかるだけのことです。
マスコミ宣伝に頼る・・実質価値と違った宣伝・・これを噓と言います・・を重視するのは、自然環境を破壊し尽くし、環境が悪くなりあるいは噓がバレて居心地が悪くなれば土地を棄てて移動すれば良い・・いくらでも環境破壊し、噓を言い、短期間良い思いをすれば良いと言う民族移動を前提とする価値観社会カラでて来る思考行動形態です。
民族移動ではないPM2.5の悪化で首都移転論が出ている北京だけの簡単な移転でも実際には大変な作業です・・。
これに比べても個人が逃げ出せば良いだけ・・居住地を変えられる・・国を持たないユダヤ人がマスコミ宣伝に頼る度合いが高いのは、むべなるかな・・と言うところです。
いつでも逃げられるように民族移動の自由を強調しているのは彼らですし、(今回の難民大量発生によって、この虚構性が揺らぎ始めました・・どこの人でも、他人と1つ屋根の下での暮らしたい人はいないし、これが本来正しいのですがこれをうっかり言うと「極右」と言うレッテルを貼られてしまう始末です)その分、世界中で信用され難い民族になっていますが・・それなりの理由があるのです。
今は地球規模で記録が残るので、環境破壊や噓がバレてから地球規模で移動しても、元の土地で悪いことをしたのが知られてしまうことになりました。
ところで、安倍政権は、価値観共有外交と言っていますが、民主的手続や人権重視と言う季題以降のメッキ部分では欧米と日本は共通であり、中韓では未だしの感がありますが、本質的同質性では米中の同質性には叶いません。
日本の場合、西洋が人権と言い出す前の古代から、全てのものを大切にする社会・・・口の聞けない動物や植物の気持ちまで大切にする社会でやってきました。
西洋や中国では、相手が弱ければどんな酷いことをしても良いのが原則で、思いついた分野だけ動物愛護(捕鯨反対運動の激しさなど)とか人権と大きな声で主張する社会の底(教養・人間理解)の浅さにうんざりしているのが日本人です。
日本異質論を、ガラパゴス化などと折に触れて批判的報道し、世界で孤立すると頻りにマスコミが煽りますが、日本の価値観が世界のどこよりも豊かで進んでいるので周回遅れの粗野な生活習慣に同質化したくないのは当然です・・。
その結果、孤立しているように見えるのは仕方がないことですが、結果的に米中韓の方が親近感で繋がっていることには、いつも気をつける必要性を書いています。

米中の親和性と日本文化の隔絶4

米中共に、環境破壊・安もの好き・超格差社会(奴隷に頼って経済構造→フードスタンプに頼る人口が3〜5000万人もいる現在アメリカの構造と中国の大量生産・・低賃金に頼る世界工場化の共通性)・・じぶんの都合が良いように歴史を書き換えるのに罪悪感もない・・(中国では毎回王朝が、前王朝全否定の繰り返しでした・・これが発展性のない2000年の原因です)噓の歴史でも言い通せば勝ちと言う価値観→勝てば相手を破壊し尽くす・・個人の生き方では、全てお金次第の行動原理等々全てアメリカの後追いをしているだけです。
ただ、中国の方が洗練されていない・・露骨な点が野蛮に見えるだけです。
地球温暖化防止協定も米国と中国だけが協力しないままでいた・今回のCOP21で漸く米中が一緒に一歩踏み出したばかりです・・。
このように基礎的価値観は米中一致しています・・。
アメリカにとって、中国はずうっと前から、気持ちが通じているし、遅れて追いかけて来るだけですから、追い越される心配がないので、アメリカは中国を怖くないでしょう。
他方、日本の価値観は人種差別反対→平等主義の徹底、信義を重んじ目先の金では動かない・・自然保護(生きとし生けるもの全て慈しむ・・)相手が弱くても無茶しない・・伝統を大事にする→噓はキライ・・敗者を大切にする→歴史は真実であって勝った方が勝手に書き換えない・・などなど全て価値観は真逆ですから、この価値観が世界に広がるのはアメリカや中国にとっては困ります。
この価値観相克・・人種平等意見の顕在化が象徴的事件でした。
(・・日本が国際連盟常任理事国になって植民地支配下のアジア人に対する非人道的被支配に我慢出来なくなって発言するようになりました)
国際連盟の常任理事国になった日本の提案で、人種差別や過酷な植民地支配などに関する議論がテーマになってきました。
この裁決までに進んだ結果、第一次世界大戦後に日本と英米価値観の対立構造が顕著になって・・・これに怒った英米は、「有色人種のくせに生意気だ」となって日本を叩き潰す戦略が決定されたのです。
これがアメリカの対日戦争準備のオレンジ作戦開始の原因です。
オレンジ作戦遂行のために価値観の合う・・他民族支配が好きな中国人を手先に使って、植民地支配を維持する政策が採用されました。
当然、対日作戦協力勢力であれば良いので、(対ソ連のためにゲリラ組織アルカイダを養成したのと同じ発想です)中国人・・共産党軍(当時は単なる匪賊レベル)も国府軍も平等に援助対象になりました。
ところで、中国人華僑は今でこそ世界に散らばっているので、昔から自然に世界中にいるように思っている人が多いしょうが、そうではありません。
欧米の植民地政策遂行・・現地支配道具として便利なので、間接支配の道具として、中国人をアジア植民地に投入したことに始まります。
このように、中国人は西欧植民地支配の手先としてアジア人収奪に深く係わって来たのであって、日本人のようにアジアの植民地人を可哀相だと言って個人で植民地解放に努力した人はいません。
ソモソモ、アヘン戦争その他で中国は西欧食民主政策の犠牲者ぶっていますが、清朝自体が周辺諸民族を植民地支配していた侵略者でしかありません。
清朝政府にとっては、植民地軍同士の戦いに敗れて支配地の一部である香港を割譲しただけのことです。
これが日米戦争の基本対立構造でした。
この根底的文化対立が今も続いていて戦争では負けたものの日本が子供(弱者)や自然を慈しむ文化は、アニメなどを通じて世界に浸透し、各種日本価値観浸透は目覚ましいものがあります。
アメリカは自分が仕掛けた戦争が如何に正しかったか・・やましさを隠すために歴史を改ざんし、世界のマスコミ支配を通じて反日宣伝に努めてきましたが、草の根では逆に日本の優しい文化が浸透しています。
戦後70年やって来た日本人の静かな実績を見れば、どちらが正しい心の持ち主だったかが一目瞭然です。
この逆転現象に危機感を抱いているのが、アメリカの本音です。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。