情報格差論3とダイジェスト版の重要性1

財務省による財政赤字論や保険赤字関係で言葉のすり替え・・「愚昧な国民を誤摩化していれば良い」式の報道が横行している件に戻します。
このコラムでは、繰り返し社共など革新系(と称する超保守主義・・ここでも「革新系」と言う言葉のすり替えがあります)政党支持者にはエリート意識が強く、「愚昧な庶民を指導する」意識の強い人が多いと書いてきました。
(東大卒や弁護士や医師など専門職を議員にするのが好きなのもその現れです・・安倍総理が東大を出ていないことを揶揄するマスコミが多かったことも記憶に新しいでしょう)
民主党の本籍は社会党かな?自分たちのエリート意識が強い(逆から見れば国民を愚昧と規定している)ので(愚昧な国民の意見に従っていると国が大変なことになると言う)財務省の宣伝にのって、民主党野田政権はあっさり増税決定してしまいました。
このときにこのコラムでも批判しましたが、民主党が政権を獲得したときの総選挙では、増税反対論を展開していたのに、政権獲得後新たに民意を問うことなく増税法案を通してしまいました。
小沢氏については、いろんな立場からの批判が多いですが、民意を問わないままの増税反対の立場を一貫して民主党を離党したのは筋が通っています。
民主党は「民意など聞いていたらいつまでも増税出来ないから・・」と言う(国民をバカなものと決めつけた上で)反民主的思考で増税法案を多数決で決行したことは間違いがないでしょう。
エリ−ト意識に固まった民意無視の政党が民主党を名乗っているのは滑稽とい言えますが、その気になってみれば、こう言う逆のことは(中韓の日本批判の主張を見ればほぼ自分の悪い点を日本に置き換えて日本批判していることが多いことを見ても、)世の常と言えます。
確かに国民は正確なことを知らないと言われれば、政府審議会などの膨大な記録がそのまま開示されても、余程時間のある人しか丸ごと読んでいられません。
私の関係している審議会や公的委員会でも、委員会によっては事前に10数センチもあるような分厚い資料・記録が2冊ほど届けられることがざらにあります。
その上で何回も議論を尽くして結論に至るのですから、これが丸ごと開示されても部外者が読むだけでも大変ですし、しかも専門的知識がないと理解出来ない議論もあります。
私の場合で言えば法律関係ならば、読むこと自体に苦労がなくとも、仕事に必要な論文ならば読みますが、膨大な資料を10数時間かけて余暇を潰してまで読む気がしません。
まして専門外の原子力発電所事故などの議事録や関係資料を開示されても、これを読み理解するのは困難です。
国民が愚昧だからではなく、それぞれ専門外のことは余暇時間で読むしかないし、(私は自宅に帰ってからこのコラムを書いているので、ソースは、新聞記事・ネット情報程度しか読む時間がありません・・健康寿命に関しては正月休みで時間があったので、データに入ってみる時間があっただけです)一読しても分らないのが普通です。
全ての分野で専門化が進んでいる現在では、国民に情報を伝達すべきマスコミの役割は難しいことは分らないだろうとしまっておくのではなく、◯◯白書などが公開された場合、専門外の人があまり時間をかけずに理解し易いようにダイジェスト版を作って理解し易くして公開する役割を求められていることになります。
各種スポーツやフィギヤスケート等を見ていると解説者がいて,これを繰り返し聞いているうちにその道の採点ルールや、見るべき勘所が分ってきます
専門家の議論をそのまま報道しても専門外の人は時間もないし読んで直ぐ分る訳がないのは確かですが、これは国民レベルが低いからではなく、素人に分るように噛み砕いて要約して時間を取らずに理解出来るようなダイジェスト版を作る努力・・サービス精神の問題です。
素人の国民には分る訳がない・・マスコミが世論を誘導して指導してやると言う高見にいる事自体が、スポーツ関係の記者よりもサービス意識がかなり遅れていることになります。
国民に分る訳がない・・だから入手した情報のうちの重要部分は開示する必要がないと言う開き直り意見ならば「民に知らしむべからず依らしむべし」と言うスタンスの時代とどう違うのかとなります。
難しい専門用語を噛み砕いてダイジェスト出来る人が初めて専門用語の理解者ですから、マスコミ界挙げてダイジェスト版すら作る能力がない・間違ったダイジェスト版しか作れないとすれば、マスコミ界自身本当の理解が出来ていないことになります。
遣唐使や明治維新で少数のエリート派遣で文化の普及に成功できたのは、彼らがきちんと理解し、(空海その他現地エリートよりも優秀だったと言われています)文物を持ち帰り、すぐに的確な日本語を作り翻訳して何百何万倍にも情報を拡散して来た点にあります。
こう言う伝統があるので,日本国民は自分で行かなくとも、いくらでも翻訳情報が入る・・朝鮮日報であれ・新華社通信・人民日報であれ、すぐに翻訳されてネットにのります・・留学熱が下がる一方です。
欧米植民地になった諸外国では明示日本よりも早くから、現地旧支配層の子弟が宗主国へ留学していましたが、彼らは自分だけが欧米文化を素晴らしいと関心しているだけで、自国へ持ち帰って、自国文字に変換して拡散する努力しなかった点が何百年も植民地支配から脱せなかった大きな違いです。
大分前にシンガポールその他では、「日本人の殆どが英語を話せないのを文盲かと誤解している人が多い」と言われていたくらいで、自国文字に変換する意識が乏しいのです。
中韓で流通している社会政治関連熟語は、明治日本が欧米熟語を漢字に変換した熟語を使っている・・現在では日本から中国が漢字を輸入している逆転現象になっています。

情報格差論2とマスコミの存在意義1

情報量が多く正確である方がより上質・正確な判断が可能であることは昨日紹介した政治経済学者加藤氏の言うそのとおりですが、逆から言えば、この論理はマスコミ関係者が取得している情報を正確に国民に知らせていないこと・・情報格差があることが前提になります。
政府と国民の情報格差ならば定石の秘密主義の政府批判すれば足りますが、マスコミと国民との情報格差を前提する彼の論拠によれば、何故情報格差があるかこそが問われねばなりません。
そもそも、マスコミ・報道機関は国民に正確な情報を伝達するために存在し,情報収集しているのです・・自分が情報独占するためにあるのではありません。
国民に速やかに伝達する役割を、前提に記者会見など特別な情報源接近が許されているのです。
オリンピック等でも報道機関用の特別サ−ビス・入国審査も別にあります。
NHKや新聞社の社員が社員として派遣されて政治家等に接触して得た情報を局・会社に帰って上司に報告しないのは、背任行為です。
あるいは、取材によって企業情報を得た場合、この情報によって株式等の抜け駆け売買をするのは違法です。
個人の好奇心を満たすためではなく、国民に知らせる目的で記者会見場に入ったりして得た情報は国民資産であるべきですから、得た情報を特定グループ内で秘匿しないで国民に総べて開示すべきです。
記者の取材によって得た情報・資料は玉石混淆なので、取捨選択の必要はあるでしょうがし、膨大な情報の場合要約する必要があるでしょうが、要約と称して国民が知らねば判断出来ない情報を隠匿することは許されません・・。
必要情報を漏れなく開示している以上は、国益判断に必要な情報を国民も得ていることになります。
昨日紹介した経済政治学者の論法によれば、(マスコミと国民には大きな)情報格差がある=必要な情報が行き渡っていない・・マスコミの判定が正しい・・「大衆意見は間違いやすい」と言うならば、マスコミが得た情報を国民に十分に開示せずに秘匿している問題点をあぶり出しています。
政府や企業情報その他が公開されてマスコミは入手しているが、(入手していないならば国民との情報格差が生じません)国民には非公開にしている情報がある・・重要情報を自分たちマスコミ関係者だけが知っている。
「自分たちだけが判断に必要な正確な情報を知っているから自分たちの価値観判断に国民は黙って従うべき」と言うこと自体が許されません。
上記学者の意見はマスコミが情報源から得た情報を取捨選択して国民に部分開示していることを理由にすることになります。
この情報は国民に開示するとマズイという判断根拠・基準は何でしょうか?
判断に影響する「重要情報は、愚昧な国民に開示すると国益に反するから・・」と言うのでしょうか?
ちょうど政府が重要情報を国民に知らせるのを嫌がるのに対して、国民の判断権保障のために公開要求して批判しているマスコミが、開示不開示の判定「権限を自分たちに任せろ」と言うかのようです。
同じ国民の中で、マスコミ関係者だけが賢明で重要情報に接する権利があって、一般国民が重要情報を知っても有効利用出来ず害があるだけである・・国民は愚昧だから知らない方が良いと決めつける根拠を明らかにすべきでしょう。
民主国家とは重要基本決定を国民の判断に従う制度ですし、国民が判断するためには、上記政治学者の言うとおり政府と同じ情報を得ていないと合理的判断ができません。
政府決定などが、マスコミ意見にあわないと「国民の声を無視して・・」などと自分の意見が国民代表であるかのような表現が目立ちますが、マスコミが国民代表と言う思い込み(・・この辺は野党も同様です)があるのかも知れません。
マスコミが政府から情報を得れば、①国民が政府から得たことになるので、政府に対する情報非公開批判をしない・・マスコミの得た情報のうち重要部分を②国民に開放しない・・その結果②国民判断は間違っているから取るに足りない・・②国民の意見は「大衆・衆愚」意見としてこれを重視する政治家をオポチュニストとして批判すると言う図式のようです。
マスコミは上記において「国民」と言う概念を①ではマスコミを「国民」と僭称し、②の国民(2級国民?)には情報が行かなくても良いと言う区別をしています。
どう言う根拠でマスコミが重要情報を2級?国民に秘匿する権利があるのかが明らかになっていません。
この基準にまたもや「国民には情報が少ないから、重要情報を与えても国益を判断出来ない」と言うのでは同義反復・・循環論法になって論理とは言えません。
国益とは?
マスコミは日米条約時の秘密文書でさえ開示すべきだと迫っているのがマスコミの姿勢です。
(マスコミには、いわゆる西山記者事件あるいは特定秘密保護法批判姿勢が顕著です)
ところで、マスコミが必死になって非難している難民の受け入れ功罪論を例にとってみますと、難民や移民を受入れるか否のかを判断するにあたって、国民が知ってはいけないような特殊秘密情報があるとは到底考えられません。
日本の実態・・犯罪情報で言えば、日本人その他外国人犯罪検挙の場合国籍や本名を出していますが、在日犯罪の検挙に限定して国籍や本名を出さないようにしていますが、何故在日の犯罪や不祥事だけ国籍本名を出さないのかのマスコミ基準が明らかではありません。
移民や難民受入れ可否の論争に対して、こういうことを秘密にするのは、何の目的効果があるのでしょうか?
在日犯罪に関してマスコミが国民よりも詳細情報を得ているとしても、この情報のない一般国民が、外国人を受入れるべきかの議論をしてはいけないというほどの情報格差になるのでしょうか?
国民は正確な情報がないので在日犯罪を実態よりも多く感じているから反対しているに過ぎない・・国民は間違っていると言うならば逆に正確な情報を開示した方が在日のためになるのですから、犯人検挙情報に就いて在日犯罪だけ特別扱いしないで公開して正々堂々の議論をすれば良いことです。
保険赤字論に関しても、透析患者一人いくらかかるか,この高度医療が保険適用になるといくらコスト負担かなどの個別医療情報を開示しても国益に反するとは到底思えません。
イヤ全部開示しているが、国民には難しくて大目に見ても国民の数%しか理解出来ていない筈だから(頭の悪い)庶民多数意見など相手にしていられないと言うのでしょうか?
こうなって来ると、上記政治経済学者の基準とは違ってきます。
上記学者は国民のレベルが低いから間違うとは書いていません・・情報が少ないから間違う・・だから大衆意見に従う必要がない?と言う意見のようです。
結局根拠のないエリ−ト意識が、・・「これは重要情報から国民に知らせない方が良い」と言う暗黙の基準になっているように見えます。
国民はバカ過ぎて自分たちしか理解出来ない・・開示しても仕方がないと言う、国民愚昧論が基礎にあるのでしょうか?
難し過ぎる・・資料膨大の問題・ダイジェスト版の必要性については、明日以降書いて行きます。

大衆迎合主義の定義2(情報格差論1)

マスコミのなりふり構わない恣意的基準による言論抑圧が激しくなって来た根源を探ると「国際移動の自由保障→国家の障壁を出来るだけ低くする」思想破綻の危機感に行きつきます。
マスコミ=ユダヤ資本支配と言う図式に当てはめると、戦後米欧の腕力によってアラブの地に強引にイスラエルと言う人口国家を得たとは言え、危うい存在であることに変わりがないので、基本がさすらいの民族であるユダヤの利益・・国籍移動の自由と少数民族保護最大化こそが彼らの最大の関心事です。
いわゆるユダヤの世界支配、マスコミ支配の陰謀論・・彼らの国際移動自由化・金融支配の展望悪化→危機感が高まり、背に腹を変えられなくなって、自分のよって立つ表現の自由を露骨に抑圧する言論弾圧に向かっているのではないかと言う意見が現実味を帯びてきます。
民主党・弁護士会などは、自党の主張が通らないと直ぐに「国民大多数の意見を無視した◯◯を許さない」と言う傾向がありますが、民主党の支持率が10%もない中で「国民大多数」と標榜するのは、これも言葉の間違った用法です。
マスコミや文化人は自分の主張だけが正しいと信じているようで、これに合わない意見であれば、「国民大多数の声を無視」と言ったり、数で負けそうになると「大衆迎合主義」、裁判で自分が負けると「不当判決」と言うレッテルを貼っている言葉の意味を自由自在にすり変えている印象です。
言論の自由こそが存立の基礎であるマスコミが自己意見に合わない意見を「大衆迎合主義」「極右」あるいは「レイシスト」と言うレッテル張りで言論抑圧するのって自己矛盾ではないでしょうか?
このシリーズでは、言葉の定義をはっきりする必要性・・意味をずらして主張するのって嘘つきの始まりであることを書いています。
正確な情報提供・・これによる民意重視がマスコミの使命・存在意義と思えますが、マスコミが、・・恣意的基準を勝手に作って気にいらない思想表現を批判しているのではないと言うならば、大衆迎合主義と民意重視との違いの基準をはっきりさせるべきです。
合理的根拠のない区別・・恣意的基準でレッテル貼りをした上で、特定主張のみを非人道的であるかのような大批判宣伝・・洪水は、意見を平等に尊重・市場淘汰に任せるべきと言う現在の価値観・・表現の自由に対する真正面からの挑戦です。
基準をはっきりさせないレッテル貼りが激しくなると、マスコミだけが抑圧すべき言論認定権があるのか?と言う疑問を持つ人が増えて来るでしょう。
基準がないままレッテル貼りが横行すると、「マスコミが認める範囲しか言論表現の自由がない」と言う結果になりそうです。
そうなると、表現の自由に立脚するマスコミの存在意義がなくなってしまうので、そこまで本音を知られないように必死ですが、あまり恣意的言論抑圧を続けると結果から見ればそうならざるを得ません。
対中韓関係報道ではここ十数年報道基準の偏りがあまりにも露骨だったので、ネット批判によってフジテレビや朝日批判運動に直結してしまいました。
最近、西欧への難民殺到に対する国民反発とアメリカ大統領予備選でのトランプ氏などの躍進によって、大衆迎合批判・・極右躍進とかレイシスト、大衆迎合とかマスコミの気に入らない方向に対する批判が熾烈になる一方ですが・・熾烈になればなるほどマスコミが批判する大衆迎合主義と民意重視政治との「違いが何か」を放置出来なくなって来たようです。
2月5日の日経朝刊の29p経済教室に国際政治経済学者加藤創太氏が意見を書いていました。
最近アメリカ大統領選でのトランプ氏の人気・・オポチュニスト拡大は、「情報が正確でない」ときに起きるものだと言う意見でした。
(マスコミに気兼ねしているのでしょうか?「大衆人気重視は間違っている」前提で、何が間違いかの判定基準がなく、大衆意見が何故間違うのかの原因論です)
これによるとマスコミの期待する弾圧すべき大衆意見と重視すべき民意の違いを書いていません・・。
情報不足だから大衆は間違うと言うのですから、前提として大衆意見は間違っていることになるのでしょうか。
国民を愚昧だから無視すべきとか、逆の情報を与えた方が良いというのではなく、(そんなことを新聞に書けないでしょう)「正確な情報を与えないことが原因」と言うだけですから、財政赤字の正確な意味・・難民が来たときのプラスマイナスの効果・・など正確な情報隠蔽を正当化する理論ではありません。
彼の論理では、マスコミの方が情報量が多いから、判断に優越性がある・・言論弾圧すべき民意と重視すべき民意の区別判定能力があると言う結論までは書いてませんが、そう言う印象に持って行きたいようです。

定義の重要性3(大衆迎合主義の定義?)

実際には、マスコミがいくら煽っても国民レベルが高いので虚偽赤字論に従って増税に賛成する人の方が少ない状態です。
そこで、マスコミは更にひねって、国民は増税・自己負担をいやがっている・・庶民と言うのは身勝手なものだ・・民主主義=衆愚政治と言う宣伝で身勝手な意見に惑わされると亡国するとマスコミが大合唱しています。
マスコミ・文化人の主張に合わない主張が勢いが増すと直ぐに出て来る「衆愚政治」「排外主義」「極右」とか「オポチュニスト」などと言うレッテル貼りがはびこるのも、根は同じです。
彼らの言う「衆愚政治」「大衆迎合主義」と民意による政治・・民主主義の違いが何かの定義すらはっきりさせていません。
この定義をはっきりさせないまま「大衆迎合主義」の台頭と言う意味不明の用語をトランプ氏などの特定大統領候補や集団に張り付けて、マスコミが大宣伝しているのが現状です。
民主主義とはエリートだけの投票権ではなく、大衆の意見を大切にすると言う意味ではなかったか・・と言う基礎的説明抜きに、意味不明のまま「大衆迎合の危険」を印象づけるムード報道はおかしなものです。
憲法で重視されている「民意」と「大衆意見」や「民意重視の政治家」と「オポチュニスト」の線引き基準について触れた論説を見たことがありませんが、私なりに基準を作るとすれば、「マスコミ・文化人の気に入らない大衆意見」を「重視する政治家」となるようにおもわれます。
マスコミが過激に反応する・・問答無用式の言論抑圧対象になる共通項を見ると、国民と外国人の処遇区別論や移民・・難民受入れ反対論です。
表現抑圧手段・・問答無用式非難文言は「極右・ナチス再来」「レイシスト(戦前で言えば非国民?)ですから、定義がはっきりしないもののマスコミの気にいらない基準が一応分ります。
日本国内メディアで見れば最近勢力を増している嫌韓感情の表現を排除したい傾向・・ナチスの蛮行と日本軍部の行為をダブらせるイメージ運動が盛んですが、これなども同じ傾向です。
ところで、個々人の生活に置き換えれば分りますが、他人と混在・・同居したくないと言う意見は、世界大多数の合理的な意見ではないでしょうか?
親子だって成人したら別生活になりたいものです。
同居・混在を奨励するマスコミ意見の方が、圧倒的少数者パーセントにも行かない異端の意見ではないでしょうか?
世界進出している華僑であれ韓国人であれ、他所の国に行って自分から、同胞の固まり・中華街やコリアンタウンを作るのが普通です。
言葉や習慣の同じものが近くにいる方が,何かと便利なのは当然です・・このシリーズで言葉の定義重の要性を書いているように・・同じ表情や仕草でも異民族の場合、意味・ニュンスが違って来て誤解のもとです。
他人と同居・習慣の違う人と混在したくないと言う意見は、迫害主張とは違います・・・同居・混在するから対立→迫害が生じるのです。
難民移民受け入れは出来るだけ少ない方が良いと言う意見は、将来の対立・迫害の芽を縮小するための意見ですし、寛容にドンドン受入れろと言う意見は将来対立の芽を育てる意見に繋がります。
対立の芽を無制限に育てておいて、一方で「レイシスト発言反対」と言う言論封殺宣伝は矛盾です。
保険赤字で書いてきましたが、ドンドン免除対象を広げるのは人道的なようですが、その資金手当を考えていないで一方で赤字削減を主張している・・その矛盾を誤摩化すために根拠のない高齢化原因説を煽動しているようなものです。
生活に困っている人がいれば、別居のママで(月何万円か)資金援助するのはいいですが、一緒に住もうと言うのは一見優しいようでいて居候には辛いことです。
辛いことを強いるとその何割かは不満分子になります。
その意味では安倍総理の提案した中東に施設を作り、その資金を巨額援助する政策は正しいことですが、即時にマスコミが拒否反応を示していました。
曰く、人道問題をお金で解決とは浅ましいと言うのですが、資金拠出をいやがってその分何万も難民を受入れるとお腹に異物を飲み込んだようなものになって、将来相互不幸の始まりになります。

社会保険の赤字11(定義の重要性2)

虚偽・嘘つきが古代から世界中で何故忌み嫌われているかと言うと、あらゆる事柄は事実を知った上で判断し行動する方が(知らないで決めるよりは)間違いが少ないからです。
故意に噓をつくつもりだったかは別として(人の内心の意図まで判定出来ませんが)昨日書いたように言葉の定義をきっちり決めて話題にしないと結果的に相手の判断を誤らせる効果があります。
特に戦闘場面で言えば、敵がどの方面から攻めて来るか、何時ころに夜襲をしかけて来るかなど虚偽情報で逆の方を向いたり、敵の攻撃は明日の夜と思って眠り込んでいると大敗してしまいます。
戦闘では、情報の正確性が死活問題ですが、影響力に大小の差があるものの、経済行動判断であれ、明日の行楽予定であれ、明日の天候その他情報正確性の重要性は変わりません。
財務官僚やマスコミ・エコノミストが、何故赤字の定義をすり替えて宣伝するか?と言えば、自分だけがエリートのつもりで無知蒙昧な国民に事実を教えると間違ったた判断をするリスクが高い・・騙しておいた方が良いと言うおごった気持ちがあるからではないしょうか。
お母さんが子供に「内は貧しいから・・」と噓を言っても許されるような延長思考です。
子供は消費するだけで家計全体のプレーヤーではありませんが、国民は経済活動の主体です。
経済主体が誤った情報で行動すると社会全体の経済活動の指針が誤ってしまいます。
国家独占資本主義国ではなく、自由主義国においては庶民の自由闊達な発想重視ですから社会の活力は民間が担っています。
事実を知る必要性・情報の重要性は企業経営にとっては火を見るより明らかで、日々の売上増減など出来るだけリアルタイムに近く知りたい・・財務内容が不明朗では、経営判断を誤ることになるのが社会常識ではないでしょうか?
或る企業の経理マンが、自分勝手に会計用語を変えて、経営会議に報告した場合、会議参加者は従来用語の意味で理解するので、経営判断を誤るのは必然です。
相手に誤解させる目的で独自の用語を使用するのは「嘘つき」とどう違うのでしょうか?
政府やエコノミストは、まさか国を破綻させる目的で非合理な赤字論をやっているとは思えないので、社会(国民)のレベルが低いので間違った判断させた方が、結果正しいと言う自信があるのでしょう。
財政赤字の絶え間ない主張は、江戸時代・・吉宗以降重視されて来た質素倹約の精神・・最近では「勿体ない」精神を強調する報道もありますし・・子供に無駄遣いさせないために「内は貧しい」と教え込んでおくようなものです。
非合理な財政赤字論・・この程度の分りよい噓にもとずくムード主張を見抜けない国民がいるとしたら、自己判断能力が低いから、騙しておいた方が良いことの証明だと言う思考かも知れません。
国債相場・円相場などの指標を見ても、日本が破綻すると言う動きはない・・プロが騙されて問題にしていないから、実体経済に悪影響を及ぼしていない・・実害のない噓など放っておけば良いと言えます・・私だけが無駄な議論を書いているのかな?
赤字概念に戻りますと、公的機関の場合、帳簿の書き方を一般会計用語と違ったやり方にしているのであって、社会的用語での赤字ではありません。
(学校用地や公園用地を取得した支出の場合、時価相場が10年後に2〜3倍になっていても、資産評価しないで取得コストの赤字が累積しているだけです。)
世の中の人に普通に理解されている・・売上減少による業務収支赤字の場合にはすぐにも倒産危機が迫っている大変な事態です・・このイメージを借用して公的会計・・民間赤字とは全く意味の違う意味に使って増税の必要性可否の判断を狂わしているつもりです。
社会保険の赤字大宣伝も同様で、総合収支では資金不足になっている筈がない・・赤字のママだと医療機関への支払が出来ないので、税金の注入によって収支トントンになっている筈です。
総合収支のうち、保険料と保険給付の収支だけを取り出して見れば、保険原理を無視した政治決定で各種免除を濫発した分=当然不足になる関係にあります。
総合収支トントンのうちの政府負担分・収入を赤字と言うのですから、同義反復している誤摩化しです。
企業で言えば仕入れ部門やサービス部門・管理部門は原則赤字で、販売部門の黒字との総合収支で経営が成り立っています。
保険の場合、社会保障判断による免除や優遇措置分の対価がない分赤字になるのは当たり前ですから、税で負担すべきですから、この収入を赤字と言うのは詭弁です。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。