非武装論と受益者3

東南アジア諸国は日本同様の基本的価値観・・伝統的に軍事力などなくてもどこも強盗のように侵略して来ないと言う安全意識で古来からやって来ました。
(日本の価値観ルーツは、東南アジア島嶼国?)
この無防備な心・・隙に付け込んで・・オオカミのような西欧列強がドンドン進出して植民地化・・(アメリカ大陸の原住民も同様です)隷属化に成功して来たのです。
日本軍進出によって西欧侵略国を撃退して独立を勝ち取った後は、再び平和の回復によって、日本同様に軍事力の必要性を意識していなかったのです。
これには、アメリカの経済力・・軍事力の裏付け・・パックスアメリカーナの恩恵によっていたのですが、アメリカの軍事力低下によって、西欧に代わる中国のどん欲な行動が始まったことによって、道義・・ルールを守るには、一定の軍事抑止力が必要と言う意識に再度目覚めたのです。
日本の軍事的補完・・直接的軍事力だけではなく軍事関連技術運用能力などの教育・訓練などの幅広い協力が必須化しています。
周辺国の期待・・周辺国への情報提供やシステム運用能力の指導を含めた日本の協力関係強化を阻止したい・・道義を無視して腕力で横車を押したいのが中国であり、その意を受けた日本文化人?マスコミ勢力です。
侵略阻止に必要な戦力は相手国の軍事力を凌駕する必要はありません・・一定の抵抗力があることが侵略側の戦意を喪失させる・・自分の受ける一定のダメージの大きさを測って行動抑止するからです。
例えば女性だと抵抗されない前提に安易にかっぱらいする人が増えますが、相手の男が自分より1〜2割腕っ節が弱い程度だと、戦うとリスクが大きいので(闘争時間が長くなるとその間に通りがかりの人が警察を呼ぶなどのリスクを含めて)簡単にかっ払いをしません。
国際紛争も同じで、あっという間に勝負がついてしまうと国際的な仲裁や介入をするヒマが亡くなり、既成事実を前提の交渉になりますが、こう着状態があるとその間に国際的仲裁交渉が始まってしまいます。
ロシアがクリミヤを電撃的に併合したのは、国際社会が介入する暇をなくした大成功例です。
戦国時代に戦国大名が領域の最先端地域に小さな砦を構えて死守していたのは、少しでも時間を稼ぐことに意味があったからです。
窃盗や強盗被害に限らず全て悪いことをする方は、如何に時間を少なくするかが最重要関心とされている所以です。
野生動物でも同じですが、自分が相手より2〜3割強い程度では戦いを挑めません・・相手が死ぬまで戦い自分も7〜8割の損傷を受けると,その他無傷のもっと弱い相手からの攻撃に負けてしまう・片足だけでも傷を受けると、翌日から獲物をとることが出来なくなるからです。
(ライオンで言えば、喧嘩に勝って相手を倒しても自分の足をけがするとびっこを引いてシマウマを追いかけることは出来ません・直ぐに飢え死にします)
第一次世界大戦で死力を尽くして戦った結果、折角勝った英仏が世界の覇者から転落してしまいました。
要するに中国のように対外膨張目的・・侵略目的の武力でなければ、自衛のためならば、抑止力程度の戦力で良いのです。
だから或る程度の抵抗力強化で良いから、フィリッピン等は軍事力強化に乗り出したのです。
このように「イザとなれば、一定の抵抗スルゾ!」と言う気概や準備があれば相手に無茶なことをされないと考えるのが普通で、「何も抵抗しません」と前もって公言していると却って紛争を誘発してしまうことが多いのです。
最近流行の家庭内暴力事件を見ると、大人しい女性の方が、相手の暴力を常習化させることが多いように見えるのも根は同じです。
慰安婦騒動が大事件になったのも、これまで日本は言われるままに受入れて来て全く反論しなかったので、韓国に甘く見られた結果と見るのが普通の解釈です。
中国やロシアが良い気になって武力を背景に強引に出るようになったのは(中国による太平洋2分論をオバマが会談時に面と向かって言われても黙って聞いているなど)オバマが断固とした姿勢を示さないからこうなったと言う1面(いつも書くように政治は複雑な要素の総合ですからイチガイに言えません・・)があります。

失政の責任・・民族負債3

原発は過疎地中心に立地していて、1カ所でも停止が命じられると、全国原発は同じ基準で操業していることから、重大影響を及ぼします。
却って独断的傾向のある人は過疎地ではなく、大規模庁で監督の効く「部長に栄転」させた方が良いのではないでしょうか?
神奈川県の踏切事故でも千葉県の電車が遅れるように現在社会はネットワーク社会ですから、ゲリラ対象は首都中枢部である必要がありません。
異物混入を群馬の末端工場の非正規雇用者が起こしても、企業が大損害を受けることが知られています。
あるいはベネッセの情報漏洩事故も同じです。
従来のように5〜6%くらいの不良従業員・・その程度の電車事故率くらい仕方がないと言える時代ではありません。
司法権文字孤立を減らず外事故が起きたときのバックアップ体制がないとどうなるのででしょうか?
過去の裁判が間違っていたことが分っても責任をとらない仕組みですから、結果的に国家=国民が賠償することになるのでしょうか?
再審無罪等では、国家賠償しています。
無罪者に対する金銭賠償は国家の命運を揺るがすほどの損害ではないので、一定率で交通事故が起きる程度の予想されたミス・許容範囲です。
原子力発電所そのものを許さない・・発電所や製鉄所等基幹産業に対する生産停止命令等の仮処分が続いた場合・・特定地域に留まらず日本全体の国力が疲弊して行きます。
数十年後にその仮処分が間違いだったとなった場合、その間に地域経済を疲弊させてしまったり国際競争力に大きな差を付けられてしまった国家規模の大損失を引き起こした場合・・その責任を誰がとるのか?
・・国家の大損失を次世代に残しておいて、次世代に借金を残す・・国家賠償するのでは漫画です。
このように考えると数年後に別の判断が出てからでは取り返しのつかないような重大事件では、軽易な手続による仮処分では決められないとする制度設計にするか、あるいは異議申し立てがあれば、別の合議体で審理して場合によっては迅速に効力停止出来る制度設計の検討が必要でしょう。
従来この区別・・断行仮処分を認めるかの区別は裁判官の裁量(建物撤去など実害のお大きい事件では滅多に認めないなど)・・謙抑性の期待で行なわれてきました。
実際には断行の仮処分は充分な審尋をしていますが、法的には重厚な本案訴訟とはちがう仮の決定ですし、結果が出るのが早いです。
金銭支払以外の事件(原発を含めて・・建物撤去その他)では、むしろ仮の執行力を決めてしまう弊害の方が大きいように思えます。
仮処分制度が必要な場合があると思いますので、類型別一律禁止ではなくイザとなればブレーキをかけられるような制度が必要です。
自信過剰裁判官が一人でも出ると大規模な影響が出る・・人格の信用に頼り緊急ブレーキのない制度では民族的リスクが大き過ぎます。
・・クルマ運転中の突発的病気による危険運転防止のために、自動運転・・自動制御システム開発が期待されるようになったのと同じで何らかのブレーキ装着が必要です。
その前提として司法が政治に介入することが許されるかの大きなテーマがありますが、これは3審制の結果砂川事件最高裁判決のように・最近で破壊誤責任判決のように最後には、是正されて行くのが期待されます。
過疎地の仮処分には、即時効が出るためにこの是正効が働き難いのが難点です。

司法権の限界9(法と良心とは?1)

テロとは国家秩序を短時間でも矛盾混乱させるのが目的ですが、たった1つの裁判所でも勝てば今回の仮処分のように全国的影響がある・・大逆転のチャンスがあるので「司法闘争」が合法的テロを仕掛けるような役割を果たしています。
テロとは国家秩序を短時間でも矛盾混乱させるのが本質的目的ですが、たった1つの裁判所でも勝てば今回の仮処分のように全国的影響がある・・大逆転のチャンスがあるので「司法闘争」が合法的テロを仕掛けるような役割を果たしています。
政治で既に負けているので、裁判で負けて元々・・40回に1〜2回でも勝てば儲けモノ的訴訟が増えます。
ちなみに脱原発弁護団全国会議(全国脱原発訴訟一覧2016年3月15日現在)によれば、現在の原発訴訟の数は以下のとおりです。
表が大き過ぎてコピペしきれません(何日分のコラムになってしまいます)ので要約しますと、(青字のみ現在係争中とのことです)全体で41事件あって青字の部分は29件です。(数え間違いがあるかも知れませんが大方こんなものです)
都道府県の数からすれば、原発・関連施設のあるところ殆ど全てで裁判していることが分ります。
裁判官が自己の政治信条によって判断することが許されると地域ごとに変わった判決・・千葉と埼玉では同じ国政選挙が有効だったり無効だったりする矛盾した国家意思になってしまいます。
こうなると裁判官が個人的政治信条に従った裁判をして良いか・・政治に介入することが許されるかの議論の重要性が分るでしょう。
公務員の中立性の要請もその基礎は同じです。
ここで裁判官に求められている判断基準が何かが重要になってきます。
この後で書くつもりでしたがここでちょっと書いておきますと、裁判官は「法・憲法と良心のみに拘束される」のが近代法の原理ですが、主観的政治信条に(忠実に?)従った裁判をするのは「法と良心」に関するはき違えです。

憲法
第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
○2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
○3  すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

個人の主観的信条を裁判官の「良心」とは言いません・主観的意見とはちがっていても確定判例や通説に従うのが「法や良心」に従うことです。
ただしこのままでは判例変更出来ませんから、従来の判例通説が間違っている・・社会実態の変化にあっていないので改正すべきだとの確信があれば、堂々と新判例を出して上級審の判定を待ち、最高裁の場合判例評論等の批判に委ねるべきです。
例えば特定宗教に凝っていても共産主義を信奉していても裁判官になるのは自由ですが、その教義や主義に従って憲法を無視してたとえばイスラム法に従った判決や決定・・喩えば、不貞行為の主張に対してイスラム法を引いて「男は何人妻を持っても良い」と言う判決をすることは許されません。
自分の意見は司法界の通説判例(あるいは、司法界で通用している経験則)に反していて上級審ではすぐに否定されると分っていながら敢えて主観的意見による判決や決定を出すのは(裁判官が知っている法解釈に反した行為ですから)「裁判官の良心や法に従った」判断ではありません。
本来の訴訟による判決の場合不服のある場合には、すぐに控訴出来てその場合1審判決の執行力もありませんが、仮処分の場合異議申し立てしか出来ず直ぐに控訴出来ない仕組みですから、この仕組みを悪用すれば、申立人の意見が政治意見に共鳴する裁判官にあたって主張が偶然通るとしてもそれは異端説・・一般的解釈に反していることを見越しての訴訟提起です。
上級審では直ぐにも覆ることを知っていながら申し立てする場合、申立人は、本来本案訴訟でやるべき事件をすぐに上級審に移行出来ないように敢えて仮処分制度を悪用?することも可能です。

司法権の限界8(政治と場外乱闘2)

法制度外の超法規的テロに戻しますと、アラブ世界で吹き荒れるテロやゲリラは、欧米の何世紀にもわたる不当な圧迫に対する不満を根底にしていることが明らかです。
民族・階級別社会化がある場合、一見合法的選挙があっても実質的代表になっていない場合などで、合法的に弱者が圧迫されている場合があります。
アメリカで言えば、選挙では修正が利かない・・金融資本による支配=格差拡大・・選挙に巨額コストがかかって結果的にそうなって行くことに対する不満が蓄積されています・・これがウオール街を占拠せよとか、トランプ旋風になっているのは健全な姿と思われます。
アメリカの場合、選挙でうっぷんを晴らすチャンスがあってガス抜きになり、結果としてガス抜きに留まらず民意回復力・格差拡大を止められれば、暴動を起こす必要がないことになります。
トランプさんは支離滅裂に過激な言い回しで国民のストレス発散のために煽動しているだけのように見えるので、政権をとっても結局はヒットラーのように煽動の繰り返しになるリスクがあります。
煽動政策はA標的に対するボコボコにして一段落すると次にもっと大きなB標的〜C~Dへと次々と大型化するしかないので、その内抵抗出来ない程度の外国にイチャモン(トランプ氏の選挙戦でのスタイルだとイチャモンにならないような無茶苦茶な理由で戦争を仕掛けて来るでしょう)つけては戦争を吹っかけるようになります。
金融資本家に対する敵意=ナチスのユダヤ人に対する敵意と同根ですが、煽動政治になるのが怖くて、(金融資本家のみならず)みんなが怯えているのかも知れません。
4月3日日経新聞23pの右下には、「アメリカの排日運動と日米関係」という題名でアメリカ国内の政争(共和党の分裂と汚職追及のとばっちりで排日移民法が成立)があってその妥協の産物として排日法案が可決され、一気に反日の方に燃え広がって行ったことが克明に研究している蓑原俊洋氏の著作が紹介されています。
実際に金融資本家を追放するとアメリカが持たないので、その矛盾ストレスのやり場に困ると対外スケープゴート探しに向かうのは日米開戦の原因あるいはナチスの経験でも明らかです。
金融資本家の跳梁跋扈を制禦するのが難しいのは分りますが、だからと言って短絡的にストレスの赴くままに煽動にのって選挙するアメリカの風潮は危険です。
金融資本家の跳梁跋扈を制禦するのが難しいのは分りますが、だからと言って短絡的にストレスの赴くままに煽動にのって選挙するのは危険です。
上記のように結果的・実質的不正があるかどうかによりますが、こうした不正がない民主国家において正々堂々の選挙で・・スポーツで言えば試合で負けた場合、政治決着するべきルールのない別の世界・・相撲やプロレス、ボクシングで言われる「場外乱闘」で意思を通すために、賄賂や強迫(民主国家におけるテロもその一種です)、買収で政治を歪めるのはルール違反で許されません。
「江戸のかたきを長崎で」と言うセリフがありますが、政治で負けたことを、別のルール・・野球の勝敗やカルタや決闘で最終的に決めようと言うのがおかしいことは誰でも分るでしょう。
政治で負けた方が、司法手続に持ち込むのは一見合法的装いですが、政治の世界で決まった勝敗を認めないで「別のルールでもう一度」と言う点では「どちらがバイオリンがうまいか賄賂競争はどちらが得意かで政治決定を変更するかどうかを決めよう」と言うのと大差ありません。
政治の勝敗の場合全国的勝敗・・特定主張する政党が1〜2選挙区で勝った程度では国家意思にはなりません。
共産党が勝っている場合もありますし(小選挙区はないのかな?)民主党も全投票の何10%前後の支持を受けています。
総合して多数派になれない場合負けたと評価されますが、司法の場に(裁判官の政治思想が)上記割合で分布しているとした場合を考えましょう。
全国各地に原発反対・安保法反対訴訟を出した場合、そのときの担当裁判官の政治信条次第で裁判出来るとすれば、民主党支持の裁判官だけでも何十%の勝訴率になりますし、国論が6対4の場合4割の勝訴率になります。
裁判が全て最高裁に行ってから初めて効力が出るならば政治信条の比率どおりに各地でいろんな判決や決定が出ても最後は国民多数の意見に国家意思が統一するので混乱しません。
仮処分決定のように上級審に行く前に効力が出てしまうと仮に数%の少数意見による決定でもその間は国家意思としての強制力があるので、最高裁で統一見解が出るまでにはあちこちで矛盾した決定(国家意思が精神分裂になった状態)が乱立してそれぞれが強制出来るので大混乱になります。
例えば福井地裁で続行決定を求めて認められた場合(福井も大津も積極的に続行を求める裁判が出ていません)大津地裁の禁止決定と並立した場合どちらに従うのか?
※諫早訴訟では菅総理が最高裁で負けそうだと分ると意図的に矛盾判決を確定させてしまう荒技を紹介しましたが、開門を求める裁判と開門禁止を求める双方の裁判が双方認められた矛盾状態で確定した結果、開門してもしなくともそれぞれに1日いくらの損害金を払えと言う矛盾状態で国はどちらに従ってもお金を払い続けるしかない変な状態ですが、これは意図的に国家意思を矛盾状態にした例です。

司法権の限界7(政治と場外乱闘1)

学問にはいろんな賛否の意見があるのが普通ですが、大規模地震や津波発生時期・規模に関しては科学者のうちで誰独り「俺は知っている」と言える学者がいないほど「誰も分らない」点に関しては自明の状態です。
上記のとおり誰も分らないことが明らかな状態でありながら、しかし、何かの基準を決めるしかない・・「分らないから何もしない」か「現状で出来るだけの備えをして前に進むか」は政治(国民意思)が決めることです。
科学界の英知を集めて一応の基準で前に進むと政治が決めた以上は、ある産業を進めるのに反対する人は、政治の世界で議論を尽くして議論の説得力によって多くの支持者を集める努力をすべきです。
安全保障政策で言えば、中国と組むかアメリカと組むのが良いかも科学的に決められないので、高度な政治判断で決めること・・選挙を経た政治の専権行為です。
これが砂川事件大法廷判決の意味するところです。
民主国家においては言論の自由・・自由で公平な選挙制度があるのですから、自由な政治の世界での論争に負けた以上は、次の選挙で勝つまでは潔くこれに従うのが民主主義のルールです。
(多数決に決まっているから議論がいらないのではなく、議論を尽くしておくと議論経過次第で少数意見の方が説得力があると次の選挙への効果があります・・逆に合理的意見を相手が少数だからと無視して裁決に走ると信用を失うので、安易な強行採決が出来ませんので、討論さえきちんとやれば、多数党の横暴を防げます。
日本の場合ひっきりなしに各種選挙がありますので、多数党が一度勝てば4年間安心と安閑としていられない仕組みです。
※アメリカや韓国の場合大統領が任期制であるだけでなく議会も日本のように解散がありません・・4年間そのままです
日々有権者の視線に曝される日本では合理的討論の影響力が大きいのですが、反対討論をきちんとしないで審議拒否や揚げ足取りばかりしていて強行採決に至った場合に「多数の横暴」と宣伝しても空虚な主張になります。
多数党が横暴かどうかは選挙民が議論の経過を見て判断することであって、少数党がマトモな審議をしないで揚げ足取りに終始しているような場合に「横暴と」言えば横暴になるものではありません。
政治の世界のルールに従った勝負で負けた場合でも国会の場できちんと議論することによって巻き返すチャンスがあるのですから、これをしないで、「国民の理解を得られていない」(国民に野党の意見が合理的だと言う宣伝をするのは野党の責務です・・これをしないで審議拒否ばかりでは理解を得られないの当たり前です・・)などと言う訳の分らない宣伝をして場外乱闘・正当な政治手続外の勝負(・・別のルール)に持ち込むのは民主主義社会のルール違反です。
テロや反政府運動が許容される場合があるのは,その社会では民主的運営がされていない・・本来の多数派が多数になれない・選挙制度の不正や賄賂や強迫など・・不正があって民意が素直に反映されない仕組みが、合法的に是正されないときに政治弱者による抗議としての意味があります。
ちなみに選挙区人口比を基準にして、人口比に大幅に反していることを理由に憲法違反と言う意見が普通ですが、人口比だけを単純比例した意見は、一見合理的なようで誰も反対していませんが、地域代表の要素を無視している点で如何にも皮相な印象です。
特定地域からの代表者を決める基準は得票数(独り1票)で決めるべきは論を俟ちませんが、ある地域と別の地域の代表者数を人口比で決めるべきかは本質のちがう問題です。
人権派やマスコミが、憲法論で負けそうになると次には「世界標準がどうの・・」 と国連の意見などを持ち出すのが大好きですが、人口比そのもので地域代表を選んでいる国がどこにあるかと言うデータに関しては一切報道していませんが、世界中で人口比で代表を選出している国がいくつあるでしょうか?
彼らの言い分によれば世界の決めごとも、すべからく人口の多い中国やインドの言い分どおりにしなければならなくなります・将来的にはそう言う目的で布石を打っているのかな?
最高裁の判断は2倍が許容範囲と言うのですが、中国は日本の2倍どころの人口比ではありません・・この種の理屈が行き着く先は、日本と中国の論争はいつも中国が正しいことになるのでしょうか?
選挙区区割りや代表者数は、選挙区の出来た歴史経緯や実情等を綜合して決めて行くべきことで、人口を機械的に割り振ってどんな歴史経緯や実情があろうとも2倍が限度と言う裁判所の形式的決め方は、(民族感情等を?踏まえた)高度な政治折衝で決めて行くべきことに裁判所が介入している越権の疑いがあります。
日本には地域別民族感情などないと言う意見が多いと思いますが、「民族」と言う言葉の意味は別として、会津の人は未だに長州に対する怨恨を抱いていると言われますし吉良の人は吉良上野介のファンだと言われます。
関東の人は逆賊であった平将門を英雄視しています。
東北の人にとっては藤原氏3代の栄華は地元の誇りでしょうし、戦国末期の伊達政宗も郷土の誇りですし甲州の人は武田信玄、越後の人は上杉、信州の人は真田幸村などなどい言い出したら切りがありません。
個人名を挙げなくとも、関西人と東北人、近畿、北陸や四国九州、山陰山陽では意識・文化・気質に大きな違いがあることを否定する人はいないでしょう。
選出代議士数の基準としては人口はかなり大きな要素であるとしても、地域性を無視し切れない点でこの塩梅は実は非常に難しい・・領土問題同様にナーバスな問題ですから、政治で決めて行くべきことにして憲法では決められずに先送りしたのです。
人口比で決めるのが正しいと簡単に言えるならば、憲法に簡単にその原則を書けた筈です。
「人口比2倍を超えるのは違憲」と言うすっきりした意見の先に、もしも人口の少ないある地域の代表がゼロになっても良いのかと言う議論が先にあるべきでしょう。
ゼロに出来ないと言う暗黙の意識・・人口数だけで決められないと言う国民意識を前提に、人口増加地域の定員を増やして来たのがこれまでの経過でした。
地域代表をゼロに出来ないが大きな地域性はある、日常行動範囲が広がり「細かな地域代表はいらない」道州制論に近い?政治合意が出来るならば、先に現行都道府県制度から変えて行く国民議論をしていくの政治の常道であって、裁判所がどうしろと言うのは越権です。
現在の合区論だとある県の定数をゼロに出来ないので、県をまたがった代表選出する仕組みにならざるを得ないのですが、議論の順序が逆・・地域の一体化が先行して対外共同行動が増えた結果、県などの合併があるのではなく、民意によらない裁判所が違憲と言って、強制しているからこうなるのです。
ちなみに私自身は何回も書いているように(千葉のようによそ者中心の土地に住んでいる関係からか?・このように地域性が大きな影響を持ちます。)細かな地域性を重視し過ぎるのはどうか?と言う意見ですが、「裁判所が議論を強制するのは逆でしょう」と書いているだけです
現憲法制定時にも、地域形成の歴史・実情を無視出来ないので、慎重に地域の実情に合わせて地域ごとの話し合いを経て決めるようにと言うことで、憲法では基準を決めずに選挙法に委ねたと見るべきです。
選挙法が学問上「実質的意味の憲法」と言われている基礎です。
日弁連の事例で言うと、会長選挙制度は総投票数の過半数をとっても単位会の3分の2以上で多数を取れないと、再投票する仕組みです。
現に宇都宮健児氏を選んだときに再投票再選挙になったことがあり、同じことを2回も3回繰り返すのでは終わりがないとから改正しようと言う動きになり、
改正案が1昨年から昨年にかけて検討されましたが、理事会にかける前に単位会の反対でつぶれました。
衆議院選挙無効訴訟に熱心な日弁連自体が、自分のことになると人口比で決めるのに大反対で議論にさえなっていない状態です。
アメリカの例で言えば、各州の選出議員数を人口比で簡単に増減出来るかと言うことですし、イギリスで言えば、ウエールズ・スコットランドその他地域別選出数を人口増減に比例して増減出来ているとは、想像すら出来ません。
多分アメリカやイギリスの裁判所が人口比で「上院や貴族院議員の数の増減を論じること自体が憲法違反になる」意識が自明なのでそう言う裁判すら存在しないと思われます。
私見によれば人口比を基礎にする選挙無効訴訟・・違憲状態判決こそは、民意無視を絵に描いたような机上の空論だと思いますが・・。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。