金融支配→法の支配の重要性1

消費力→金融支配に戻ります。
今や国際発言力の基準になっている消費力・購買力についてみて行きますと、財の購入者が借金によるか自己資金によるかに関係なく商人は目先消費してくれる人・お客が大切です。
借金を払えなくなるかどうかは金融業者がリスクを負えば良い・・移民でも何でも客が増えれば良い・・その先の治安や教育コスト、生活保護負担は政府が考えることと言うのが,マンション業者・自動車会社やレストランであり遊園地でしょう。
(弁護士になったばかりのころには、販売会社直接の月賦販売方式でその回収の仕事をやりましたが、昭和50年代末頃から◯◯ファインンスなどのファイナンスの全額一括払い形式に変わりました。
この結果営業マンは、データ入力してブラックでさえなければいいので、顧客の支払能力を全く気にしなくてもよくなりました。
現在のカード決裁システムではそうなっています。
この5〜10年では、アパート賃貸業でさえ保証会社と提携している場合顧客の信用・・人相や職業など知る必要がなくなっているばかりか、管理会社に一任しておけば一定の家賃収入を保証してくれるシステムまであります。
この原理では貧困国・貧困層相手でも、お金さえ貸す・あるいは出す仕組みがあれば、商人はいくらでも売れます。
結果的に貧困層も一定の消費生活が出来る点では金融制度の発達は画期的制度ですが、将来の収入を当て込んで先に消費する点では、例えば2〜5年の分割払いの場合、その期間支払額に人生が縛られることになります。
いわゆる可処分所得の考え方ですが、任意に決めたこととは言え借金の支払いに追われる金額まで可処分所得に加えてもその人の自由度が測れません。
猫も杓子もカード利用社会・・債務支払のために行動が制約される社会の仕組みを作り上げて来たのが戦後社会構造です。
「債務負担とは時間を買うこと」だと習ってきましたが正にそのとおりで、将来の収入を当て込んで今消費する結果、将来の時間が縛られます。
お金の支払額が生活活動の大方に比例すると考えると、仮に月収の6割が分割払いに費やされる場合人生活動の6割が予め自分で決めたこととは言え、予め拘束されてしまうことになります。
もしも月収の9割9分が、先月までの買い物などの分割払いに当てられるとした場合、来月〜1年間、その人の生活は予め殆ど決められたことしか出来なくなります。
来月〜1年先までの分割払いで新たに自由に何かの契約出来ますが、もしも何かでつまづいたらたちまち支払い不能になる不安に苛まれている上に、将来にわたって現金で買う選択肢がなくなっています。
いろいろ言えばキリがないですが、債務にしばられる関係・・国際関係も武力一辺倒から、金融・資本支配力が武力に変わる支配の道具に変わってきました。
個人の場合、借金していると借りている(投資を受けていると引き上げられると大変ですから)方はアタマが上がらないのが普通ですが、国と国の関係で同じです。
借金漬けにして先進国が製品を売り込んでおいて金融支配する・・これが戦前の植民地支配に代わる戦後欧米による旧植民地に対する支配方式でしたが、行き過ぎると最貧国では払えなくなるのでデフォルト・・最貧国に対する債務免除問題として時々吹き出していました。
中世の終わり頃には、スペイン王室がイタリア商人に操られて戦争ばかりしていて何回も破産したのと同じです。
これを先進国が自国民に対してもやるようになっていた結果、先進国内で多発していたのが消費者破産であり、爆発的発生(一種の債務バブル崩壊)したのがサブプライムローン問題でした。
韓国では国内で財閥とその従業員に対その他大勢・一般国民に対する一種の植民地支配(両班支配の復活もどき)が行なわれていると言われていますが、その代わりに借金棒引き政治が時々実施されて来たと言われています。
共和党候補者選びでのトランプ氏の場合、全て自己資金だ・・どこからも資金が出ていないから支配されないと言うのがカレの売り文句でした。
今では、貸し付けが主力ではなく、投資による支配方式になっていますが、金融資本による支配である点は同じです。
中国はまだ「借りたら返す」と言う近代のルールを守れる社会段階に到達していないので、格好つけるために先進国による資本支配をふせぐために資本の完全自由化に踏み切れていないと言っています。
どちらが本当の原因か不明ですが結果的に資本自由化出来ない社会状態にある点は同じです。
元々商業発展と(取引)ルール強化には一体性があると言う意見を絶対王政のコラム・あるいはイスラム布教の広がりと関連して03/26/06「商人と規制の親和性8(戒律・・・宗教の成立)」前後に書いたことがありますが、商取引には取引ルール・共通化がないとうまく行きません。
(現在進行中のTPPも高度な知財その他の取引に関しても共通裁判ルールで最終的に決めようとする点にあります)
重商主義時代にはルールを守ってくれる背景として国内的には絶対王政が発達し,対外的には(行く先々で自分のルールを守らせるための)海軍力がその背景でした。
海賊から商船隊を守るためと習いますが,行く先の地域ごと異なる商品交換のやり方・・西欧のルールに合わないもの10把一絡げに「海賊」と言っていたキライがあります。

金融政策の限界1

商品価値として少量でも良い物・上品さ・アート性のあるものが優位性を持つ時代・・を支えるのは→武力に変わる道義・センスであり商品流通を支えるのは武力よりは動脈となる金融秩序です。
モノが行き渡って来ると2倍の生産をしても飲み切れない牛乳をこれ以上いらない・少量でももっとおいしい牛乳が良いとなります。
少量でも良いものが欲しい時代になって来ると量で勝負する旧価値観で生きて来た人にとっては困ってしまいます・・この反動が現下の反ウオール街運動・・マサに価値観の大転換に対する反作用と言うべきでしょう。
金融や芸術・知財では多くの人を養えないのは当然ですが、それは人口減で対応すべきことであって移民による人口増で対応する政策に矛盾があるから社会問題になって来たのです。
先進国が苦しくなって来たのは現地生産の進行→先進国が世界の工場ではなくなった結果、自国内需要を越える工場・生産力が不要になったことによります。
需要不足=供給過剰状態打開のためにEUと言う障壁を作り日本からの輸入攻勢をふせぎ、コスト競争のため+自国民の賃金低下圧力緩和のために?安い賃金は移民に任せる解決を求めて来ました。
この辺は「介護従事者が足りないから移民を入れろ」と言うのと同じで理屈のすり替えですから解決になる筈がありません。
介護者が足りないのは介護関連賃金が保険制度のために低く抑えられているからであって、これを市場に委ねて高額賃金を支払う・・有料老人ホームであれば人手不足は起こりません。
即ち介護士不足は人件費が他産業に比較して低く抑えられている結果・・市場原理に反している結果・・賃金が不当に低く抑えられている結果でしかないことをJuly 11, 2016に書きましたが、先進国の移民導入論も論理のすり替えである点は同じです。
自国民の賃金が高過ぎることを頰っ被りして国際相場(自国民より安い賃金)で働く移民を一部入れると、結果的に自国民の職場を奪って行くことになりジリジリと賃金相場が下落して行きますのでこれを待っているのでしょうが、どうせ結果が同じならば自国民だけの方が国民が幸せです。
移民が入った分労働力過剰になっている・・西欧では10%台の失業率が普通になっています・・移民を差し引けばどうだったかが明らかです。
国際競争力維持で言えば、移民を入れてもどうなるものでもない(工員の1割を中国人にしても全体の賃金は1割しか下がらない・・100%中国人の中国の工場に勝てません・この辺の理を2週間ほど前の移民シリーズに書きました)・・却って国内失業が増えて行きます。
輸出用の生産要員が不要になった・・先進国が世界の工場として人口を増やして来たトガメが出てきた以上は、世界の工場になる前の人口に減らして行くしかありません。
各民族は自給自足に適した人口を維持すべきであって、タマタマある映画の舞台になったことによるブームによって、観光客が押し寄せて来たとしてそれに頼って店舗増築や従業員などを増やす・・他市町から住民移動があるとブームが終わるとたちまち人口過剰・失業・倒産の危機に瀕します。
数年前からの円安に多くの企業が増産投資しなかったのは、一時のブームに合わせて増産投資すると円安が終わったときに参ってしまうことを企業が知っているからです。
実際に一時的な中国観光客の「爆買いに遅れじ」とばかりに設備投資したデパート等が、この4月からの爆買い急減によって売上減に見舞われ、設備投資が重荷になり始めています。
国内投資が殆ど増えないことをマスコミが焦って企業の内部留保が悪いと言うキャンペインを(左翼文化人も内部留保を還元しろと)張っていましたが、増産投資するとその後で困るのが目に見えていますし、利益要因の基礎が海外資産の評価アップによる・・国内需要が増えた訳ではない以上無責任なマスコミ主張に乗る訳がありません。
他方で日銀もマスコミ的発想を受けて金融政策・・ゼロ金利・・異次元の金融緩和が始まっています。
ゼロ金利にして金融機関に滞留している資金が国債購入よりは投融資に向かうしかないようにすると言う戦略でしたが、国債や日銀預かり金利をゼロ金利にしても銀行としては需要がない(企業自体が内部留保一杯で借りる必要がないでしょう)から金融機関の投資が細っていたのですから、(ゼロでも借りたくない企業は借りない)新規投資すべき相手がありません。
逆に庶民の投融資の入り口であるMMF口座がゼロ金利の影響で逆に続々と閉鎖の憂き目にあっています。
先進国は産業革命の先行でタマタマ2世紀にわたる長い優位期間があったので、世界の工場としての地位が永久に続くかの錯覚があったでしょうが、長期的に見れば一過性のブームと本質が変わりませんが、永久に続くと思って誤って人口を増やして来たに過ぎません。
移民政策は、映画の舞台になったことによって田舎の街に押し寄せた観光ブームが終わったときに、飲食店等の客を増やすために地元商店街の従業員をもっと雇う運動をするのに似ています。
・・彼らも客になるので少しは市内の消費を維持出来るでしょう・・移民によって人口を増やせば飲食店やコンビニの客が増えるしクルマなどの需要もふえるでしょうが、その客になる人の収入をどうするかの意見がありません。
デパートで働く人・納入業者等がその街のにぎわいに貢献しているので、デパートが撤退するとその人たちの消費も減る関係をみると、デパートや商店街の売上を増やすために従業員を増やせと言う主張に似ています。
先進国においては世界の工場としての役割は終わりをツゲつつある・・NHK朝ドラの舞台化による田舎町に観光客が押し寄せるブームが終わりを告げつつあるのと似た結果が始まっていることは厳然たる事実ですから、これに目を背けてもどうなるものでもありません。
人口減少を憂うる多くの学者の意見よりも庶民の意見・・折角自民族が知恵を絞って少子化で人口減を図る・・減ったパイを少人数で分け合う智恵+みかんの摘果と同じで少子化すれば一人当たりレベルが上がる・・が生物界の基本原理です・・生物の本能に従って庶民が来たるべき新時代への適応力向上を目指して少子化に励んでいるのは「正しい選択だ」とここ10年来このコラムで書いてきました。
少子高齢化に励んでいる人は、一方で当然に移民反対です。
折角自分自身が質素倹約・少子化に努力しているときに、よそ者が来て爆食(移民がドンドン子供を産んで有限な資源を食い荒ら)されたのでは叶わないからです。
マスコミは庶民の本能を無視して移民導入を煽っていますが、人口増になるのは困ると言う(世界中の)庶民の意見の方が正しいと言うのが私の持論です。

消費力←金融3

May 8, 2016,「資源+生産力から消費力アップへ2」から話題がそれていましたが、消費力の重要性に戻ります。
武力剥き出しによる問答無用の砲艦外交の西欧近代の世界支配の時代に粗鋼生産量や造船量・・生産力・GDPが必須アイテムでした。
弱肉強食の時代・・腕力での戦いに勝ちさえすれば勝った方はどんな非人道的行為でも、(相手を動物扱いするなど)何をしても良いと言う西欧価値観で支配されていました。
※中国の場合昔から勝てば相手の将軍の母親を切り刻んで無理に食べさせるなど普通に行なわれて来たとを何回も紹介しています。・・これに習ったのが信長で,恨み骨髄の敵将浅井長政のしゃれこうべに酒を入れて武将に飲ませたと伝えられています・・後世信長を暴君だったと広めるための創作かもしませんので真偽は分りません。
野蛮な価値観を基礎にアメリカでは、奴隷化された黒人に対しては「人間尊厳の基礎」たる性行為でさえも動物の「「種付け」と同視される・・およそ日本人の想像力を越える戦慄的な残虐行為が普通に行なわれて来たのです。
7月20日に紹介したインデアンに対する・・赤ちゃんが生まれると全部母親から取り上げて白人家庭に預けて使用人として育てさせる・・民族精神根絶やし作戦も同じで、日本人から見れば「神を恐れぬ」所行です。
※日本人は東南アジアでもアフリカでも現地に行った個人の努力で子供の教育に精出したり植林したり農業指導し、水がなければ灌漑設備を作ってやったりするのが普通ですし、植民地支配がおかしいと思えば独立運動を教えたりしてきましたが、同じようなこと・・ただしいと思うこと・・黒人差別はおかしいだろうと言う運動を戦前からアメリカでも個々人がやって来たのです。
アメリカ人の残虐な実態を知った日本人の驚き・・これを受けて第一次大戦後の国連で日本が人種平等の主張をしたことがアメリカの逆鱗に触れてこのときからニッポン民族殲滅作戦が進行したのを紹介したことがあります。
アメリカに渡った日本人個々人がアメリカでの黒人差別の実態に驚いて個人の良心の赴くまま、草の根での黒人解放運動を地道に行なって来た・日本が戦争に負けてもアメリカ在住の個人に関係がないので、戦後も地道な解放運動を続けていてこれが実を結び戦後・1960年代のアメリカの公民権運動の成果になって行ったのです・・黒人解放は日本人の運動の成果であることは歴史となって既に知られていることですが、これに対する仕返し・報復運動がアメリカ主導の性奴隷批判です。
何故左翼系が「性奴隷」と言う表現にこだわるかと言えば、アメリカとしてはどうしても自分達の奴隷制を批判して来た日本人に対して日本も同じことをしていると言う意味で「奴隷」と言う言葉にして日本に報復したいからに外なりません。
戦時国際条約違反をやって来た米軍が自分の蛮行を隠すために違反行為をしていない日本の将軍に対する戦犯裁判を強行したのと同じです。
私はこのコラムで、繰り返しソ連による日本人のシベリヤ連行の悲惨さを書いていますが、タマタマ新聞を読んでいると、日経新聞7月21日朝刊40p(最終裏面文化欄)に抑留体験を絵筆に書き留めた木内信夫氏のあとがき?みたいなモノが紹介されています。
カレの紹介によれば抑留体験を描いた水彩画がユネスコの世界遺産に昨年10月に登録されたと言うことです。
この記事のある数日〜1週間前に世界的建築家の設計になる上野の西洋美術館が世界遺産登録されたと大騒ぎの報道があったばかりですが、私は(西欧の有名人が作ったかもしれないが日本人の美意識とも合わないこんなものが何故?)この空騒ぎに元々違和感を覚えていたのですが、日本にとってもっと重要な遺産登録が何故マスコミで大々的に報道されていなかったのか?(私だけが知らなかったのか不明ですが・・)驚きました。
ソ連の蛮行を国内で出来るだけ風化させたい・・左翼系マスコミには不都合な真実・・隠蔽しておきたかったからでしょうか?
そこでウエブで調べてみると本当に遺産登録されたらしく、この登録準備を切っ掛けにロシアが対抗的に中国に働きかけて南京虐殺の遺産登録運動が急浮上して来た経緯が書かれています。
西洋的価値観ではやられたらやり返す・・でっち上げであろうとあろうとなかろうと日本もやっていたと言う虚構の事実を数の力でごり押しする・・極東軍事裁判同様に正義かどうかなどどうでも良いと言う価値観なのでしょう。
一旦裁判と言う形式をとれば、極東裁判も決まった以上は真実がどうのと言う争いを許さない・南京虐殺も国連で決めれば決まったことだから・・と日本の反論を許さない図式を(アメリカが裏で応援し)中ロが利用しようとしています。
こう言うでっち上げ主張の応援をしている限り日本は、ロシアと仲良くする余地がありません。
話を生産力・武力重視価値の時代が終わったと言うテーマに戻します。
最近までは、武器の基礎になる「鉄は国家なり」と言う思想で教育されていて、歴史観でも鉄器民族がどこで始まり、日本に鉄器を持ち込んだ民族は◯◯と議論した上でどこで先に鉄が取れたので勢力を持つようになったと言うまことしやかな解説が一般的です。
しかし民族の消長は殺しあいで勝ったり負けたりだけではなく、日本列島では、平和裏に縄文から弥生時代へのように同時的移行して来た高度社会です。
中国が未だに製鐵・造船量にこだわっているのは、剥き出しの武力による勢力拡大に価値観を置いているからです。
第二次世界大戦後、腕力=量ではなく、道義やソフト力で決めていく時代になると発言力が生産力から消費力に価値基準が変わって来たことをMay 8, 2016「資源+生産力から消費力アップへ2」前後で書き、更には消費力不足に対する金融支配が増して来た・・金融支配力の重要性・・これに反発する反ウオール街感情やパナマ文書公開による金融資本締め付け・・金融支配に対する反感増大を書いている内に、話題が次々と移ってしまいました。
ここから金融支配力に戻ります。
比喩的に言えば、剥き出しの武力・・威嚇→量さえあれば何でも出来る世界・・これを支えるのに、戦艦・大砲等の武器の多い方が優位になる砲艦外交が一対の社会でした。
米ソが核弾頭を無数に持って量を競っていたのは(500発と600発の差は無意味ですが、)過去の惰性です。
金融調節・異次元緩和も量にこだわる過去の惰性・延長ですが、未だに日銀が経済運営の中枢を握っているかのような錯覚でマスコミが騒いでいます。
この辺の関心でここから書いて行きますので、消費力の重要性=金融力・・金融政策はどうあるべきかのテーマに変わって行きます。

中国の権力闘争激化2

政府とはなれた企業でさえ国有の場合、変化に適応出来ない非効率が問題にされていて、この打開のために日本でも諸外国でも公営事業の民営化に努力していますし、中国の場合にも・・改革開放→朱鎔基首相時代に思い切った国有企業の民営化断行したのが今の発展の基礎になっていると言うのが定説です。
このシリーズの基礎原稿は5月のサミットの頃に書いておいたものですが、タマタマ今朝の日経新聞朝刊にも朱鎔基の功績が出ています。
共産党幹部が企業トップに就任していて党の末端委員会が企業内に常駐していて、(常駐しているだけも事実上にらみが利いていたのですが法的に経営陣が常駐している委員会の意見を一々聞かねばならないとすれば、国有企業の非効率どころの話ではなくなります。
現在の中国経済の危機打開には一段の民営化が望まれるところなのに、やっていることは逆向です。
国有企業の債務超過=経営不振に困っているときに、事業経営判断に自由な経営を知らない共産党ゴリゴリの幹部が口出ししてどうなるの?
日本で言えば国鉄の赤字解決のために、政府から監督員を派遣してもっと厳しく監督しろと言うに等しい政策です。
現実妥協政治・・学問と違って現実政治は生身の人間相手ですから、妥協で成り立っています・・。
IMFでSDR昇格運動をして認められれば、人民元取引自由化を拡大するしかないからリスクが大きいのが分っていながら、国威発揚のためにSDR昇格運動を要求するしかない。
習近平は裏で・・内々大量失業を出すなと厳命しながら「ゾンビ企業の淘汰を進める」など言わせて権威筋意見として「ゾンビ企業延命をしているのはけしからんと」政権批判する・・現在の行政府は習近平の何を信じて動いていいのか立ち往生の状態に追い込まれているようにも見えます。
あるいは二人三脚で、ガス抜きしているのか高度な政治背景は不明ですが、兎も角政権中枢がL字型見通しを言わざるをなくなっている状態にあることは間違いないでしょう。
現在の中国の苦境は反日に始まり周辺国の領海侵犯の繰り返しなど無茶な政策決定に原因があるのですから、(領海拡張や、南京虐殺宣伝を大々的展開しながら裏で日本の協力を求めるなど)基本的矛盾を放置して政策変更だけ求めるのでは現実政治を預かる方はどうして良いか判断に困ります。
(今の経済状況では誰が何をやってもドンドン沈んで行くばかり・・モノゴトは一定のところまで行き着かせないと上昇気流に転換出来ません)
難しい政策決定に(責任をとりたくないので)敢えて自分の意向を入れず、傍らから「権威筋意見」としてアリバイ的に批判しておく・・結果うまく行かないのを待って李克強ら現政府当局者の責任追及準備にはいったと読めます。
権力闘争手段として正論を主張しておけば、後から李克強首相の政策失敗を追及して失脚させることが簡単です。
習近平氏は政権を握ると同時に汚職追放を打ち出してその論理で政敵を次々と葬ってきましたが、汚職では追及出来ないダンパ系に対して遂に牙を剥いたと解すべきでしょうか?
実務官僚(ダンパ)まで敵に回すようになると政権が持つのか?あるいは何をやってもどうせ持たないことを前提に最後には李克強らの責任だと言い逃れする破れかぶれ政策と言うことでしょうか?
今年始めの株価下落対応の対応不手際では、証券取引のトップが責任をとらされてクビになりましたが,(マスコミは、本質を書けないのであたり障りのない不手際程度を書いていたに過ぎません)本質は基礎構造の矛盾にあって個人能力が問題ではないのにその場凌ぎをするしかないのが中国政府です。
中国の統計はいい加減で信用がないのが定説と言えるでしょうが、日頃から不正をやらせておくと担当者の首を切りたければ統計数字を誤摩化したなどの責任追及をすれば、簡単に処分出来ます。
いずれにせよ国民のための政治ではなく、権力闘争に勝つことが主目的の政治ではその先も知れています。
もしも最後にハードランデングしたときに、自分は一刻も早く金融引き締めでバブル退治しろと言ってたのに、李克強・政府側が企業と癒着していてゾンビ企業の延命をしていたと言う大義名分にしたいのか?
そのためにV字型やU字型回復は無理・・L字型しかないと言う本音を書いているのかも知れません。

中国の権力闘争激化1

中国が、過剰生産力整理の痛みに堪え兼ねて潤沢な資金供給継続=補助金の積み増しでゾンビ企業の赤字輸出を拡大(赤字分を補助金で補填すればいくらでも輸出可能ですが補助金で本来のコストの半値で輸出される方の国内産業が破壊されてしまいます)する構図については今年5月ののサミット首脳宣言でも槍玉に挙がっています。
中国は外貨準備急減の穴埋めのためにダンピング輸出に頼るしかないのでしょうが、さすがに西欧諸国も中国市場進出メリットよりもダンピング輸出される損害の方が大きくなって来たようです。
中国の人民元防衛のために外貨準備の取り崩しが続くとマサに通貨危機が到来する滝壷が近づきます。
猛烈なダンピング輸出で外貨を稼いでいる筈なのに、5月の発表では中国の外貨準備は279億ドルの減少と日経新聞6月11日朝刊6pに書いています・・中国の発表自体正確ではありませんので本当はもっと減っている可能性が高いでしょう。
翌5月のデータは以下のとおりです。
http://jp.reuters.com/article/china-reserve-foreign-idJPKCN0YT0T7
「北京 7日 ロイター] – 中国人民銀行(中央銀行)が発表した5月末時点の外貨準備高は3兆1900億ドルで、2011年12月以来の低水準だった。ドル高や散発的な市場介入が影響した。」

赤字企業の整理を進めるために、チョっと引き締めて、企業が苦しくなれば金融緩和等を補助して債務拡大→出血輸出奨励策は一種の外貨準備穴埋め策とも言えますが、こう言う自転車操業的穴埋めを今後どこまでやって行けるかです。
中国共産党内部でもこのリスクを無視し切れなくなって来た様子が見えます。
日経新聞朝刊5月23日4ページには、共産党機関紙に政府発表・・現在の金融緩和政策と真っ向から反対する「権威筋の意見」が繰り返し掲載されるようになったと対照表付きで出ています。
私に言わせれば「権威筋批判」は正論ですが、正論であっても政権中枢の党機関誌が別の意見を公式に出すのは異常です。
中国特有の権力闘争が基底にあって、敵対勢力打倒のためにこうした反対論が表面化して来たものと推測されます。
正論が表面化せざるを得ないほど・・現政策矛盾が限界に来ている・・・経済的に追いつめられているとも読めます。
ちなみに現在の勢力関係は、共産党大幹部間権力抗争の結果、習政権による胡錦涛系追い落としが一段落したので中立を保って来たいわゆるダンパ(共産党青年団生え抜き幹部・・李克強首相などテクノクラート系?)が目障りになって来た?状態でしょうか?
中国経済は日に日に悪くなっていることは明らかで、いろんな苦し紛れの矛盾した手を打たざるを得ないものの、いつかはどうにもならなくなることも(私に言わせれば)明らかです。
私は日本としてはその現実を見るべき・・「賞讃ばかりすしていると危険だ!」と言うだけであって、現実政治を預かる者・・中国政策当局者がある程度の妥協政治・・厳し過ぎて倒産続出も困るので、時には手綱を緩めて、ほっと息をつかせてやるのも1つの政策です。
習近平氏への権力集中が進んで、今や政府部門まで共産党が直截口出しするようになっていると言われます。
日本で言えば、自民党と政府が区別されていて、与党からの注文はありますが具体的政治は内閣の仕事です。
中国の場合共産党の分身があらゆる行政府に支部的に存在している点は橋下市長が大阪市で問題化していた労組事務局が市庁舎一部を無償使用している仕組みと似ています。
大阪市の場合場所を無使用使用していた(京都で朝鮮人学校が公園を事実上占拠していたのと似ています)だけですが、中国の場合彼らの給与も税金で賄い(労組専従の場合労組員が給与天引きで負担していますが・・負担するのは労組員だけです)しかも市長よりも権限が強い関係です。
後記のように実際に企業のトップは共産党幹部がつく仕組みです。
このように元々共産党がお目付役的に存在していたのですが、政府と党の役割が次第に分離させて来たのがこの20年の歩みでしたが、習近平氏への権力集中化によって、政府が実務の分らない党指導に直接従属する逆行性が顕著になって来ました。
この記事は5月のサミットの頃に書いていたものですが、政府関与に留まらず個別企業運営にまで党の意見を直截反映させるようになってきたようです。
国有企業内に委員会があるのは元からですが、「国有企業の重要事項決定には共産党委員会の意見による」とする定款改訂が進んでいるとの情報が出ています。
http://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/day-20160720.htmlからの引用です。
2016-07-20 03:27:03
中国、「共産党」国有企業の日常業務まで監督強化する理由は?
ブルームバーグ』(7月12日付)は、「中国共産党、国有企業の監督強化、日常業務にも介入強める 」と題して、次のように伝えた。
(1)「習近平国家主席は、『国有企業』の『国』の部分を一段と強めつつある。乗用車メーカーの一汽轎車(FAWカー)や化学繊維メーカーの中材科技、鉱業の西蔵鉱業発展は最近、経営上の決定に対する中国共産党の監督強化を認める方向に定款を変更した。例えば、これら企業の取締役会には今後、主要な決定前に社内の共産党委員会の意見を聞く義務が生じる。中国のほぼ全ての国有企業の社内には共産党委員会があり、多くの企業では会長が委員長を兼任している。国有企業の幹部の多くは中国共産党中央組織部によって選ばれている」

政府内に浸透するに留まらず企業経営にまで党の意見を聞かないと何も出来ないようにしていることが分ります。
金融・財政政策は政府の専権事項であって党が直截口出しするのはどうかと思われているのですが、個別民間事業の個別運営にまで党が直接口出しするとすれば文字どおり「世も末」です。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。