中華(光復)思想4(地域大国の復活1)

中国人民の腐敗体質〜栄華復活論に戻します。
蒋介石の率いる軍はアメリカからは、「腐敗した国民党軍の崩壊を恐れ」られる状態になっていて、いくら物資をつぎ込んでも無理と分ったアメリカが遂に手を引くようになり、まだ腐敗するほど権力のなかった若き共産軍に圧倒されていく状態が昨日紹介したウイキペデイアに出ています。
共産党も政権を取ればすぐに腐敗が始まっている点は同じ・・今の賄賂体質は国際的に知られています。
この辺は中国贔屓の文化人も否定しないでしょう・・マスコミがなるべく不都合なことは、報道しないようにするていどです。
国民の腐敗体質は政府が号令すれば解決するものではない・・政府が樹立されて腐敗根絶を号令さえすればなくなるものではない・・、これを実行するべき役人や受入れる国民各層にしみ込んだ腐敗体質ですからどうなるものでもありません。
ただ共産党政権は、最後に政権を取った・・「あとだし」じゃんけん的有利さがあります。
国民党を追い出した後は、対抗勢力がないので、汚職のやり放題あるいは何千万人も餓死させた大躍進運動でも責任を全く取らなくとも済んでいます。
これは国民の支持があるからではなく、王朝末期の騒乱時の群雄並び立つ競争勢力が皆無になった後になると後はスキなようにしてよい状態・・国民には選択権がなくなっているからです。
中国の場合空間地域としては大きいものの実は蒸気機関発明前には、物流・人材交流も微々たるもので域外勢力が攻め込んだり大量の人民逃亡があり得ない閉鎖空間でしたので、この地域内で一旦支配が成立すると人民はとらわれの状態・何をされても抵抗出来ない・・もの凄い残虐な弾圧が待っているので、王朝末期の騒乱が始まるまでは黙って耐えて行くしかなかったことが前提です。
過去の歴史を見ると数百年単位の専制的縛りのガタが来て・・王朝末期の騒乱が起きると100年前後の騒乱〜小国乱立(五胡十国や五代十国など)を経過すると、たまっていた不満のエネルギーを使い果たしてしまうので、最後に天下を取った政権をもう一度騒乱で倒すほどのエネルギーが民衆には残っていません。
次にもう一度騒乱を起こすエネルギーが溜まるには、中国地域の場合専制支配体制が強固なために、強固さに比例して約300年周期・・エネルギーの蓄積を待つ必要があったようです。
中国地域動乱の最後を締めくくる政権が再び前王朝と同じ政体・・専制体制でやって来られたのは、長い騒乱で民が疲れ切ってしまい、最後の政権に異議を唱え続けるエネルギーがなくなったのを利用している・・だからいつも同じ政体の繰り返しで(前王朝と比べて何らの改善もないままで)もやってこられたのです。
9月22日以来、中韓社会の権謀術数重視社会を書いてきましたが、この基礎にはどんな悪どいことをしても相手を倒せば良いと言う思想・・今風に言えば国際受注態度・・受注さえしてしまえば後は契約違反(赤字なので契約金を上げてくれなど)でも何でもやり放題意識も、こうした王朝交代・・「政権さえとれば後はやり放題」の経験しかないからです。 
王朝末期の騒乱・競争社会を勝ち抜きさえすれば、後は何をしても良い「栄耀栄華が待っていた」王朝成立前後の経験・政敵を完全に葬ってしまえば後で何も言わせない経験・・が彼らの行動原理になっています。
経済ルールで言えば、競争力ある企業が無茶な競争を仕掛けて、同業者を全部をなぎ倒して独占企業になってから法外な高額でないと売ってやらないと言うような悪ドイことを中国歴代王朝がやって来たのを見ているからです。
最近で言えば、レアアース市場で法外な安値受注を仕掛けたので、世界中のレアアース産地が殆どつぶれた後で、イキナリ反日暴動に絡めて「日本に売ってやらない」と言い出して、国際相場が何倍にも急上昇したことがあります。
これが失敗したのは、今の世界は中国型型閉鎖空間でなくなっているコトを理解出来なかったこと・・中国が法外な値段を付けると世界中のレアアース埋蔵地域の生産がすぐに始まったからです。
これには一定期間のタイムラグがありますが、日本企業がこのタイムラグ・中国に頼るリスクを考えて在庫を大量に確保していたことから、日本企業が全然焦らなかったことが大きな保険になりました。
今朝の日経朝刊私の履歴書を見ると、牛丼の吉野家が、米国産牛肉だけに頼るリスク回避のために何年もかけて中南米等から分散輸入が出来ないか試行錯誤していたことが出ています。
政府に限らず、企業経営者と言うものはこうしたリスク回避をいつも考えて行動していることが分ります。
現在の中国による鉄鋼ダンピング輸出も国内不景気を表向きの理由にしていますが、中国人の内心では世界中の製鐵会社を潰してしまう時代遅れの策略が裏にあることは間違いないでしょう。
レアアースのように鉄鋼製品は何年分も在庫を持てませんが、ダンピング輸出では、資金が続かないので世界中の製鉄所を一時休止に追い込むのがやっと(中国はどうなるかと聞かれると資金がその内尽きるから終わるでしょうと答えています・・中国の外貨準備が実際にどうなっているかが重要と考えてこのコラムはその視点で書いています)で競争相手を皆無に出来ませんので、中国が大幅値上げに切り替えれば世界中ですぐに再稼働が始まるでしょう。
共産党政権の腐敗に戻しますと、最後に天下をとった共産党は過去の新成立王朝同様に、後は「煮て食おうと焼いて食おうと勝手」だと言わんばかりに民の意向など問題にしないで・・・・無茶苦茶し放題をして来た点は周知のとおりです。
このやり方が通用したのはいわゆる竹のカーテン効果によります。
近代以前の閉鎖社会に戻すことが中国の安定に繋がる智恵ですが、その代わり経済発展がもの凄く遅れてしまいましたが、民の幸福より政権維持が主目的ですから発展の遅れを気にしません・・自由主義国から交流制限されて来たのは、もっけの幸いだったでしょう。
・・北朝鮮が無茶出来ているのは経済制裁・・鎖国状態のおかげです。
この辺はSeptember 18, 2016前後で経済制裁は逆効果であると書いて来ました。
中国が民に対する圧迫力が尻抜けになるリスクがあってもついに解放せざるを得なくなったのは、中ソ対立が深刻化してソ連戦車群が押し寄せるリスクが切迫して来て、アメリカに身を寄せるしか政権維持が出来なくなったからです。
今直ぐソ連による侵攻が迫っていたのに比べれば、(当時ソ連圏であったモンゴルから戦車隊がなだれ込めばホンの何時間で北京に到達することが日本でも盛んに報道されていました)背に腹は代えられない・・国民の自由度が少しくらい増したとしてもそれらは締め付け強化で何とかなる・・時間稼ぎになると言う決断だったでしょう。
日米では中国社会が世界に開かれれば民主化が進むと期待していましたが、それは間違いであることが分ってきました・・この辺は逆効果である・・公式検閲出来ない・・マスコミによる垂れ流し的印象操作に頼る先進国の方が既存権威崩壊を早めるが、公式検閲・不利益処分・処罰出来る独裁政権の方が情報統制が簡単です。
スマホその他情報機器の発達が独裁国家・中国共産党政府の弱体化に繋がるというマスコミ意見は誤りで、逆に先進民主主義国で先に効果を現すだろうという意見を2012年12月20日「米英系マスコミ支配2とマスコミの限界」あたりから正月のコラムまで連載しました。

日本は中国を侵略したか。

蒋介石軍腐敗の具体例を挙げるのは煩雑過ぎるので、アメリカ政府の蒋介石軍に対する評価を紹介しておきます。
以下はhttps://ja.wikipedia.org/wiki/蒋介石からの引用です。
以下のとおり「アメリカは、 腐敗した国民党軍の崩壊を恐れ」ていたと記されています。
「日本敗戦とともにアメリカは、抗日戦末期に弱体化が著しかった国民党軍に大量の援助を行い、これによって新たに39個師団に武装・訓練をほどこし、アメリカ船をもって在中国日本人の本国送還を急ぎ、空路・海路から約40万の国民党軍兵士とアメリカ海兵隊5万人を華北に派遣・上陸させて北京、天津など重要 都市を占領、かつ国民党軍にかわってアメリカ軍みずから華北の炭坑、鉄道などを接収した。」
(日本の残した施設を共産軍に渡さずに国府軍に引き渡したと言う意味でしょう。・・イナガキ注)
「・・・先述のようなアメリカによる国民党軍の武装・訓練・華北への輸送作戦は12月までにかなりの進展を見せ、アメリカは蒋介石政権崩壊・共産主義拡大防止対策 を行い、トルーマン政権のアジア政策も対中政策を最も重要視し、国共内戦の調停を成立させることによって中国の「大国化」を達成しようとした。」
「・・アメリカは国民党軍に莫大な支援を集中して共産党側を圧倒しつつ、他方でアメリカのさらなる国家資本援助を報償として提示して国民党の譲歩をせまることによって国共両党を統一交渉テーブルにつかせようとしたのである[92]。共産軍の戦闘力の強さを誰よりもよく認識していたアメリカは、 腐敗した国民党軍の崩壊を恐れ、蒋介石に大量の軍事援助を与えつつ、 国民党軍が強化されるまで衝突を先にのばそうとしたのである。」
ところでウイキペデイアの記述で気が付いたのですが、何故か戦後国府軍と言われていた蒋介石軍がいつの間にか「国民党軍」と言う表記になっています・・。
ただし、中華民国政府軍・・国府軍の名称自体いつからかはっきりしません。
孫文自身何回か逃げたり挙兵してはその都度組織の名称を変えています・・いつも中華民国政府と名乗っていた訳ではないので、国府軍と言うのはどの時点の名称を言うのかもの心ついた頃からなんとなく聞き慣れていただけで、私にははっきりとわかっていません。
戦後アメリカが、台湾に追い詰められた蒋介石軍の正統性をアッピールするために過去に孫文が何回か使った名称を引っ張り出して「中華民国政府」と言い出したのかもしません・・最後の頃には、事実上蒋介石の私兵みたいな組織だった可能性があります。
ウイキペデイア自体根拠がはっきりしない記事が多いと言う意見が多いですが、(私のコラムも毎回お断りしているように学問的に研究したものではない・・・あちこちに出ているネット記事をぜんていに思いつきで書いているに過ぎないのでウイキペデアの正確性まで調べる時間も能力もありません)一応こう言う表記・・国府軍の表記から国民党軍の表記に変更されていることが現在では普通になっているらしいことに、初めて気が付いて驚いている次第です。
私の青年の頃・・共産政権承認までは、中華民国政府軍→国府軍と言っていた筈ですが、共産中国を国家承認した頃から、対抗勢力を「〇〇政府軍」と言えないのでこれを私的な「国民党の軍」に格下げして呼ぶことになったのでしょうか?
ウイキペデイアによると「日中国交正常化(にっちゅうこっこうせいじょうか)とは、1972年9月に日中共同声明を発表して、日本国と中華人民共和国が国交を結んだことである」
とあるので私が司法修習生として宇都宮にいたときですから、それまでに常識として身についていたのは国府軍という呼称でした。
日中正常化の前提条件として中華人民共和国を正統政府と認めた以上、台湾にある政府を中華民国と言わないで、台湾と言う1地域の呼称になったとすれば、そういうものかな?と言えないこともありません。
そう言えば広東政府とか南京政府とか従来根拠地名称で呼ぶのが普通だったように思います。
台湾政府をあたかも正統政府のように印象付けるためにアメリカが中華民国政府と日本で言わせていただけかも知れません。
共産党政権を認めた後はそれで、呼称変更するのは一貫するでしょうが、遡った時点の国民政府軍まで正統性を否定して単なる「国民党の軍」・・私的集団の私的兵力として表現するようになると、その頃までに行なわれた国際的約束事は、どのように解釈されることになるのでしょうか?
そうすると日本が侵略したと言うものの、当時現在の中国地域に侵略される政府があったことになるのでしょうか?
無政府状態であり且つ、いろんな民族が入り乱れている状態の地域に統一政府を作るため軍閥が乱立し、諸外国も疎開地の自国民の保護のために軍を駐屯していた外、それぞれに肩入れしている関係でした。
(当初孫文が広東で挙兵するときに頼った地元軍閥には、連合形態を構想していた人もいるなどいろいろです・軍閥にとっては孫文の思想に共鳴して応援の軍を出しても、自分固有の権益を保持したい人が大半でしょうから、連合形態が望ましかったでしょう)
例えば孫文が拠点とした広東軍閥?内で、自分の軍を擁して参加していた実力者陳炯明を見ておきましょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki蒋介石からの引用です
「北伐は実施されることなく終わった。陸軍部長の陳炯明が兵站や補給を妨害したためである。陳炯明は聯省自治主義者であった。すなわち陳は孫文と異なり、省自治を前提とした、各省の横の連合による地域統合型の国家建設を目指していたのである[31]。陳は武力統一を目指す孫文と激しく対立した。」
4月12日に蒋介石が軍を率いて広東に入ると、陳炯明は孫文に辞表を提出し、配下の部隊を率いて逃亡してしまった。」
ソ連は言うまでもなく共産軍を肩入れしていますし、アメリカは蒋介石軍を、日本は女真族満州国の肩入れしていた外、汪兆銘軍とも同盟していました。
当時のシナ地域の実態を前提とした場合、何故日本だけ侵略軍とされるのか・・アメリカやソ連の支援する軍閥と提携していなかっただけではないかの疑問が起きてきます。
孫文の中国同盟会も広東を拠点に一時期支配地を持ちますが、すぐに周辺軍閥の支持を失って上海に逃げたり蒋介石自身日本へ逃げたりの繰り返しのうちに、漸く広東で再度地元周辺軍閥の支持を受けて地歩を固め直して最初の旗揚げの地武漢を占領して再出発して行くのです。
この武漢でさえ、蒋介石が転戦中に、留守を預かる汪兆銘軍閥に乗っ取られてしまいます。
当時は広東周辺だけでも多数の軍閥が入り乱れていたのであって、今の共産党軍はそうした中の弱小集団の1つに過ぎなかったのです。
最後に負けた方についていた国が侵略軍と言うならばアメリカも最後に負けた蒋介石を応援していただけですので、日本同様に侵略軍となるべきです。
日中正常化まで、アメリカは正統政府の要請で介入していたのに対して日本は傀儡政権の要請で介入していたから侵略だという論理だったように理解していました。
蒋介石軍も満州国同様に一部分の一時的支配勢力にすぎないとすれば日本が同盟していた汪兆銘や満州国とどう違うか問題となります。
傀儡と言っても、蔣介石の方も上記記事に明らかなように、ほとんど米軍に頼っていたことは明白な事実ですから、大した基準にはなりません。
この辺は朝鮮戦争における韓国と米軍、ベトナム戦争の南ベトナムと米軍の関係でも同じです。
イラクアフガン戦争で米軍の占領後の米軍の軍事行動が現地政府の要請によると正当化されていますが、自分の時だけ都合良い解釈がおおすぎませんか?
・・アメリカが蒋介石の奥さんのハニトラによって、国府軍を応援していただけのことと、どう違うのかと言う根本的議論が必要な感じです。
私は専門家ではないので専門家には多角的研究によれば別の意見があるでしょうが、ここでは素人としての疑問を書いています。
中共政権が成立すると、その前の各種勢力・・国府軍を含めて私的な野盗の群れ?「国民党」軍に格下げになると、これを支持していたアメリカ軍も日本同様に中国侵略をして迷惑をかけていた勢力になるのかな?と言う私にような疑問を抱く人が増えるでしょう。
日本では日中戦争と言わずに「支那事変」と読んでいたことの意味を考え直すべきです。
当時中国と言う国はそもそも存在していなかったし、相手にすべき国さえ存在しておらず、国相手の戦争ではなく、泥沼化する「事変」に足をとられていたの実態です。
義和団事件その他欧米列強がこの地域で騒乱の度に自国民保護のために兵を出していますが、これを侵略と言うのでしょうか?
要は当地政権が外国人を保護する国際法上の義務履行能力を欠いていたから、自衛のために列強が兵を駐屯させ、自衛のために検挙や鎮圧するしかなかったと言う関係です。
今で言えば国連平和維持軍と言う形で合理化されていますが、当時はそう言う国際組織がなかったので各自自衛するしかなかったのが現実です。
日本も通州事件その他の被害が重なったので次第に駐屯兵が増えて行った・・泥沼化して行ったに過ぎません。
日本人が何故標的にされたかと言えば、アメリカ的戦後秩序・左翼系は日本が強引な要求したからと言いますが、欧米こぞって日本標的の工作を仕掛けていて金次第で動く中国人軍閥が乗せられていたに過ぎないと言う見方が可能です。
日本は欧米のアジア支配をやめさせるために「欧米各列強の租界地(香港の小型版)が中国各地にあるのはおかしいから返却すべきだ」と主張していたサナカに日本人を標的にした惨殺事件が立て続けに起きているのです。
欧米の指導の元に中国現地勢力が次から次へと事件を起こし、ドンドン残虐さをエスカレートして行き、穏便に収めようとしている日本を盛んに挑発して行き、これでは日本は反撃するしかないように仕向けられて行きました。
今の尖閣諸島での挑発のエスカレートを見れば分るでしょう。
いつかは衝突事故が起きると日本が挑発したと言う宣伝になるのかな?
これが後になると、日本が事件をでっち上げて侵略して行ったと歴史改ざんになるのですから、国際世論・・勝った方が歴史を作る怖さです。

目的と手段の違い3

中華思想と民生重視の関係に戻りますと、栄華復興のために産業の活発化・民生重視が必要であり、対立する軍閥と差を付けるために、(民の支持を引きつける手段として・・)三民主義を掲げるのと、民の幸福を目ざして政府を樹立する場合の民生重視とでは、意味・位置づけが大違いです。
政権獲得手段に位置づけて民生重視する場合と最終目的に位置づけるのでは出て来る表面の現象は一見同じでも大きな違いになります。
政敵を葬る手段として汚職撲滅を主張して政敵ばかりびしびし取り締まるのと、本当に汚職のない清廉な政治を目指すのとでは、実際の効果が大違いであると言えば良いでしょうか?
公害垂れ流しで空が見えないほどになっている中国にも、先進国基準に準ずる環境規制があり、その他先進的法制度(労働法規や衛生基準)がありますが、これは先進国に「バカにされない」ためと内国企業に下駄を履かせる「外資嫌がらせ目的」ですから意味が違います。
内国企業はいくらでも袖の下でお目こぼしがある・・外資あるいは政敵系に対しては少しでも違反(環境規制に限らず保険衛生基準や労働基準も皆同じ)がないかしょっ中目を光らせるので、外資には先進国並みの厳しい規制が適用されるので、(他方就労する中国人のモラル・法令遵守意識が低い・・マクドナルド工場の非衛生な実態がテレビ放映されて大打撃を受けました)内国企業に比べてものすごいハンデイがあります。
内国企業でも保護してくれていた政治家が主流から外れた途端に、これまでお目こぼしされていた各種違反がイキナリ摘発される運命ですから、法治主義ではなく、人治主義の国と言われている所以です。
環境規制や汚職が行けないと言う法制度は全て手段であり目的ではありません。
この手段と目的の取り違え社会は実は、先秦諸子百家・韓非子の法家の思想から始まっています。
法家の思想は「正義」の主張ではなく、専制権力を効率的に行使する・・ロボットのように内容の是非に拘らず決められた職分を機械的に守らせる思想だったからです。
取り締まり目的ですから権力に取り入った方にはお咎めなしの原則です。
専制支配のためには法が細ければ細いほど権力者に都合が良いので煩さ・細かくなる一方でした。
秦朝を倒した漢の劉邦が真っ先に「法三章」(大枠)のみと宣言したのは、如何に人民が煩さな法に困っていたかを表しています。
2003/05/10「中国の法形式主義1(法家の思想)」で、この辺の違い・・今の法治主義との違いを紹介しました。
日本では「法」と言えばトキの権力者も侵すべからざる超然たる正義ですが、中国では権力者の都合で法を決めてしかもその運用も権力者の意向次第という理解で約2000年間もやって来たのです。
同じ「法」という漢字でも日本と中国では意味がちがっていたのです。
日本では古来からこの違いを前提としてトキの権力者の都合で変わる形式的ルールについては、「律令」として法の漢字をあてていません。
専制支配を確立した始皇帝がこれは便利だと採用し、約2000年間以上も続いて来たのが中国地域の支配体制です。
こう言う社会では社会実態を無視した・・・いくらでも厳しい法律の制定が可能です・・「上に政策あれば下に対策あり」と言われる社会ですから、国民の方は権力に近ければ法令など全く無視して事業運営が出来るし、政敵だけ取り締まられる関係ですから気にしません。
ソモソモ政府自身が、法を守っていません・・名の知れた政府高官でさえ、いつの間にか行方不明になって、半年ほどしてイキナリ党紀違反があったので党規律委員会が取り調べていると言う報道がでて裁判が始まる仕組みです。
法に従った手続はそれから始まる・結果が決まってからのセレモニーになっています。
習近平政権までは内部抗争があっても常務委員などトップクラスには直接手を出さない不文律があって精々影響力が弱まる程度の政争にとどまっていました。
露骨な政敵潰しがなかった・・・一応権力者は共産党と言う1枚岩の強力な独裁政権だったので、共産党にさえにらまれなければ、どうにもなる・・子供を共産党に入党し内部で人脈を作れば良い簡単な関係でした・・民主国家のように野党与党が簡単に入れ替わることがないので安心だったのでです。
専制君主制度下で優秀な人材が官僚に組み込まれて行く関係の現在版です。
専制体制・・すり寄る相手が単純でリスクが少なかったことも汚職文化が根付いた原因であったかも知れません。
こうして内部エリートとして育って来たのがいわゆるダンパ・・専制君主時代の官僚であり、太子党(共産党創設時に功績のあった人の子孫)とは専制君主時代の名門貴族(王朝創設時に功績のあった人)の子孫となります。
中国王朝は毎回、科挙選抜の官僚層と名門貴族の抗争が政治の主たるテーマでしたが、・・例えば唐時代の有名な詩文家韓愈が左遷されるときの漢詩を紹介したことがあります・・今までこれが繰り返されて来ました。
腐敗、汚職に戻りますと、2000年間あまり・権力にすり寄ることが最重要価値観・・汚職と言う意識さえなく、みんなが袖の下を前提に生活している社会で、頼りにしていた人が失脚すると一族の範囲どころか「罪九族に及ぶ」(何故九族に及ぶかと言うと一族の族滅→姻戚関係に及ぼす→そのまた姻族となるので結果的に九族の範囲までで打ち止めとなって行くようです)、と言われる社会でしたので、当然その庇護下にあった周辺に不利益が及びます。
こうして大幹部の失脚があるとその周辺もイキナリ汚職で検挙され各種嫌がらせを受けてしまうことも2000年間あまり続いてきました。
こう言う社会は汚職やルール違反が行けないかどうか・・人として何をして良いか悪いかよりは、非主流に転落することがマズイことだと言う最大の行動基準・・価値観が基本になります。
日本から、公害除去装置付きで売ると中国企業から、生産効率が下がる(コストが高くつく)から取り外して欲しいと言われるのが普通と言われています。
環境を守るのが主目的ではなく、先進国並みに規制があると言う外形・・国威にこだわっている手段に過ぎないからです。
清朝崩壊後無数と言えるほど各地軍閥が入り乱れていた新興勢力の中で、孫文とその後継者蒋介石による三民主義の大宣伝・・農地再分配部分の強調は、政権支持者獲得手段として、国府軍が支配を広げるときには農民兵の志願者が増えるなど大いに役立ちました。
ところが、北伐に成功し実際に支配地経営が始まってみるとどうにもならなかった・日本の民主党が政権獲得手段として実行出来ない政策を主張していただけで実際にやる気もなかったことから、政権を握ってみるとマトモな政治が出来ず信用を失ってしまったのと同じです。
賄賂社会に戻りますと、中華民国政府の綱領・・三民主義は立派な理想を書いていたので、当初庶民を引きつけ国民党軍への農民志願者が集まったのですが、国府軍・・蒋介石政権が(支持を取り付ける手段だけではなく本気で民生重視を考えていたかも知れませんが)共産軍より早く政権を取った関係で、具体的実行段階になると社会末端まで不正社会でなりたっているので、腐敗の泥沼に飲みこまれてしまった印象です。
共産党軍は遅れて支配を伸ばした関係で、日本敗戦時にはまだボロが出ないで有利だったことになります。

三民主義・目的と手段の違い2

昨日、漢詩の1節を引いて紀元前の前漢初期から賄賂社会であったことを紹介しましたが、「漢民族の特性」と言えばそれでおしまいですが、何故こう言う民族性になったかの原因が重要です。
繰り返し書いていますが、秦の始皇帝以来専制支配体制が確立したこと・・と関係があるように思えます。
民の工夫努力・自由な発想よりも、上司の気に入るか否かが最重要社会・・権力者の気に触るといつクビが飛び、一族皆殺し・族滅の危機に遭うかもしれない社会が2000年も続いてきましたので、漢民族はいつもびくびくして目上のご機嫌を窺うしかない状態・・勢い上司・強いものに取り入ることが最大の行動基準社会になります。
派生的に取り入るべき派閥が出来、(漢時代に党錮の禁が始まり、各王朝で党派の争いがいつもあります)今でも上海閥やダンパあるいは太子党などの派閥がありますが、その下位集団として習近平や李克強の過去の勤務地別の派閥もあり複雑です)相手派閥を蹴落とすべく権謀術数工作も盛んになります。
中韓政治家が、国際社会でのロビー活動などでは、権謀術数の経験に乏しい、日本などはモノの数ではないと豪語して来た所以ですし、実際に中韓のロビー活動により、国連での日本非難決議に向けた下工作が横行しています。
国際機関やスポーツ組織にいつの間にか韓国系が浸透しているのがこれです。
中国の派閥とは、透明性の全くない私的集団・マフィア的人的つながりを言うものであって、政策研修・勉強会などしている政策集団の日本の派閥・・東京弁護士会の派閥でさえ勉強集団です)とは本質が違っていますので、日本の派閥をイメージする翻訳は意図的すり替えの疑いがあります。
石油閥などが報道されるので、利権集団的側面もあるように思う方が多いでしょうが、人脈形成の主目的がイキナリ失脚するリスクを減らし出世するためにある・・その結果として利権集団化しているに過ぎない・・手段と目的の関係が違っています。
専制や独裁の場合、出世あるいは牢獄に繋がれるかの基準が社会のために良いことをしているか正しいコトをしているかよりも自分の親分が主流派になれるかで決まる社会です。
政敵失脚させるためには表向き何かの失敗を取り上げられるのですが、取り上げられるかどうかの大もとの選別基準は政敵かどうかによります。
現在の腐敗撲滅運動を見れば分るように習近平周辺には及ばず政敵粛清目的で賄賂を取り締まっていると言われているのは正にこれで、政敵粛清が目的であって、汚職摘発はその手段になっている・・主目的がどこにあるかで大きな違いが生じる例です。
権謀術数は相手を蹴落とす目的であって、陰で讒言するのが基本的攻撃手段で正義の基準は不要ですがこれが長年有効だったのは、専制社会では1回勝負の社会だったからです。
政治抗争に勝てば相手一族皆殺しですから1回勝てば「勝負あり」になる・・どんな卑怯な手段でも何をしてでも勝つことが最重要基準で・・勝ってしまえば、相手を皆殺しに出来るので、後に道義的非難などあり得ない社会を前提にしています。
日本は縄文の時代から争いがあってもトコトンやらない社会ですから、卑怯な勝ち方をすると時間の経過でいつかは真実が出て来る・・数百年単位での評価・・手段が卑怯かだけはなく結果もやり過ぎかどうかを含めて批判される・・後で社会全体の批判を受けるのが怖い・・名誉重んじる社会がこうして出来上がっています。
讒言などするとあとでバレル・・陥れたとなると結果的に「損」と言う社会ですから、パク大統領の讒言外交には唖然としてしまったのです。
専制社会で負けた方が皆殺しされる制度で、負けた方はどんなに正しい意見であっても一族関係者が皆殺しに合うので何も言えない言うべき人が残らない仕組みです。
勝った方が抗争の歴史を書き換えて行く社会では、どんな非道な手段を弄しても勝つことが先決の社会になります。
アメリカ日本を戦争に引きずり込み原爆まで投下したのは、そう言う基準・・勝った方が歴史を塗り替えれば良いと言う方針があったことはそのご戦犯裁判や中韓を使っての「歴史修正主義者のレッテル貼り」に精出して来たことから見ても明らかです。
現在の中韓両国の経済活動を見ても、1回勝負のやり方は変わっていません・・。
目先の受注量を競うために採算割れの無茶な受注あるいは自国技術で出来そうもない無謀な受注競争を仕掛け、怒濤の勢いで規模拡大をする・・購買力誇示のために続く訳もない爆買いで札ビラを誇示する・・みな同じです。
目先にこだわるのは、一時的に相手を失脚・倒産させれば、永久に自分が支配出来る社会が2000年も続いたことにより、先ず受注競争に勝って競争相手を潰してしまえば、後は独占企業としてスキなように契約変更も出来ると言う思想によります。
中韓の一時的な反日攻勢が効を奏さずジリ貧になって来たのは、閉鎖された専制社会とは異なり国際社会ではロビー活動で如何に噓八百を言って勝っても、毎回相手を奴隷化することが出来ない・・精々一時的に多数派形成し、ありもしない慰安婦決議慰安婦像を建てたり南京虐殺を世界遺産に登録する程度がやっとですから、長期的には真実・正義を主張している方が勢力を回復して行きます。
時間をかければ中韓の噓がバレて信用をなくして行く・・時間の経過でグランデール市のように「慰安婦像があるだけ韓国にとって惨め・恥の歴史」を世界に残して行くことになるでしょう。
勿論この像建設を推進した市議などもその内恥をかいて行くと思います。
一時的にアフリカやオーストラリアなどを資金力や資源その他の爆買いで捩じ伏せていても、こう言うやり方は先が続かない・・一過性でしかないので、その間にこのときとばかりに目一杯威張ってしまうことも愚かで浅ましい限りです。
一過性の爆買いや投資が減少すれば威張られた方は直ちに愛想を尽かしますので、中国が投資して来たアジア(ベトナムやミャンマー・カンボジアなど)アフリカ諸国では、元々親切な日本に足下を掘り崩されつつあるのがその例です。
権謀術数で言えば、日米戦争の始まりは、(その前から非白人国家日本を壊滅させるアメリカの基本政策があってのことですが・・)蒋介石夫人宋美齢がルーズベルトに対する工作が成功して蒋介石軍の応援を始めたことが日本を敗北に追いつめた切っ掛けです。
ですから、一度で大損害の生じる戦争に関しては、権謀術数の重要性は変わりません。

中華(光復)思想3(目的と手段の違い1)

ここで孫文と中華思想の関係を見ておきましょう。
孫文の事績・・http://www.jacar.go.jp/modernjapan/p06.htmlからの一部引用です。
「1905年には、これまで革命活動を行ってきた興中会・華興会・光復会が結集して、東京にて中国同盟会が結成され、孫文は総理となり、革命運動をさらに推進することとなります。」
清朝打倒運動団体には、以上のとおりの3名称の団体がありこれが合体して(町村合併に多いあんちょこな言い方をすれば3団体の文字合わせ?)「中華」+復興思想に結実して行った経過が分ります。
上記共通の復興名称は国名にふさわしくないから消えていったものと推測されますが、復興を願う心情は自明のこととして掲げなくなった可能性もあります。
今でも韓国.台湾(中華民国政府)では「光復節」が大々的に行なわれていますので、中韓民族にとっては今でも「光復」が最大テーマであることがわかります。
https://ja.wikipedia.org/wiki
「光復節(こうふくせつ)は、大韓民国および台湾の祝日。
8月15日。大韓民国の祝日で、朝鮮半島が日本による統治から解放されたとされる日。光復節 (韓国)を参照。」
日韓併合前の日清露3国のヘゲモニー争いの間でどちらに付くかで右往左往していて殆ど自立性のなかった朝鮮の状態をとりもどすのが何故「光復」なのかという突っ込みを入れたくなる人が多いでしょう。
2013/09/08/韓国民の行動様式19(恩を仇で返す国1)のコラム以下で、高宗政府に対するクーデター未遂事件の黒幕として当時政界の大物(王族重鎮です)「大院君」でさえ駐留していた清朝の軍閥・・袁世凱に拘束され中国に連行されてしまう状態・・文字どおり清朝の直接軍事支配下にあったことを紹介したことがあります・・文字どおり清朝による直接の軍事支配下にあったのが李氏朝鮮です。
今のチベットやウイグル自治区の少数民族弾圧の厳しさが世界ニュースになっていますが、自治区と言っても警察から軍事に至るまで、直接支配を受けている今の状態よりももっと厳しい状態を(当時は国際批判など全くありませんので・・)想像すれば、当時の清朝による朝鮮族支配の苛酷さがわかるでしょう。
清朝による過酷支配があったからか?李氏朝鮮による人民支配も過酷を極めていました。
日本支配前に戻る=一般人(ヤンパン支配下の人口は約95%)にとって、文字もまともに読めない奴隷のようなヤンパン支配下の状態に戻るのが何故「光復」か?となります。
1説には、日本によってヤンパン制度が廃止されて平等に教育されてしまったことを恨む旧支配層が元に戻るのを歓迎しているだけともわれますが・・。
パク大統領・・ひいてはこれを支持する韓国人の心情が中国・・元〜明〜清朝と続く従属時代の復活を望むのをいぶかしく思う日本人が多かったのですが、彼らの心情はヤンパン支配復活への郷愁と日本の風下に立つよりも清朝やモンゴル支配下で、日本よりも席次が上だった(勝手に思っているだけですが・・)と言う序列復活の方が嬉しいのです。
上記のとおりとすれば、今後中国の時代が来ると読んで逸早く馳せ参じて、より良い席次を獲得期待に傾いた気持ちが分ります。
中国革命運動家の心情に戻りますと、冒頭紹介の団体名から見ると、孫文ら革命運動家の希望は現在の不名誉・屈辱的な現状打破を求めるスローガンとして過去の(あったかどうか不明の)栄華の復活を主張していた諸団体が革命運動の母体であったことが分ります。
フランス革命などでは過去(アンシャンレジーム)を断罪し、新しい時代の到来を主張する組織を革新系と言うものですが、中国の場合、清朝打倒を言うもののめざすべき心情は「栄華の復活」だったことになります。
中国古代からの王朝崩壊・「易姓革命」が流砂のような民衆の無目的暴動によって起きて来たのに比べれば、「王朝打倒」の目的意識のある運動である点では一歩進んでいましたが、政権打倒するのが目的であって、「光復」が主目的では、新たな近代社会作り出すと言う・・西欧的意味での革新運動家ではありません。
清朝はモンゴルのような世界帝国になったことはない・・大英帝国やアメリカ合衆国を支配下に置いたことがない・・地球規模で言えば、単なる地域大国でしかなかったのですから、欧米諸国相手に取り返すべき栄華はありません・・。
復興すべき栄光・栄華があるとすれば、普通の民族にあるべき主権回復と地域大国の復活しか論理上あり得ないでしょう。
これの表現が、(清朝の版図を少し広げたアジア支配を任せて欲しいと言う)習近平の「太平洋2分論」ではないでしょうか?
栄華の復活がテーマの運動体では、後ろ向き・・新しい国づくりにはなりません。
栄華復活のためには国内政治・産業発展が必要ですが、主目的が生活水準アップにあるのと栄華復活が主目的でその手段として生活水準も引き上げた方が良いと言う程度の意識では格段にちがいが出ます。
しかも栄華の復興運動とは、実は「格下と見なしていた日本」に負けたコトに対する鬱憤が真のモチベーション・エネルギーであったとすれば、元々前向きに始めた運動ではありません。
国民のための政府よりは、日本のハナをアカしたいと言う思い(心情は文字上・あるいは公式にはでません)で運動を始めたのであれば、出来上がった政府も近代的要請である・・国民重視のマトモな政権になる訳がありません。
孫文はいわゆる(農地の分配を含む)三民主義を提唱していてこれを継承した蒋介石が北伐を開始すると当初はこれを歓迎する庶民の支持を受けて破竹の勢いで成功させましたが、一定の支配権樹立後すぐに腐敗してしまう点は歴代中国王朝と同じです。
戦後米軍から膨大な物資や武器援助を受けながら中共に負けてしまったのは主として」「政権腐敗」にあったと言われています。
孫文が世界の制度を勉強してきれいごとの三民主義を発表するのは良いですが、イザ具体的実施となると政治・実務能力が必要です。
専制支配下で来た結果、近代官僚機構も何もないところで、軍事支配してから実際にどうやって農民から土地を取り上げて分配するか分らなかった可能性があります。
この種の仕事を始めると余程清廉な行為をする社会訓練がないと、手心を加える袖の下が横行し勝ちですから大変です。
ましてや中国地域は、古代から有名な賄賂社会ですからすぐに賄賂まみれになってしまいます。
9月19日に王昭君の故事で紹介した漢詩にも、賄賂次第の習慣が描写されていますので、もう一度引用しておきましょう。
 「生乏黃金枉圖畫,死留青冢使人嗟。」
(生ずれば黄金に乏しく枉げて図画せられ、死しては青冢をトドメて人をして嘆かしむ」私流の読み見下し文です)
ちなみに「枉・まげて」とは日本の刑法で言うところの「枉法収賄罪」の「枉法」の「枉・おう」と同じ用法です。
刑法が平成7年に口語に改正されて「加重収賄」罪に変更されましたが、それまでの文語体のときには「枉法収賄」罪と言う熟語になっていたのは、この用例の1つでした。
文語体のときには刑の重さを基準にするのではなく、「法をまげて」運用したから刑が重くなると言う内容による違いを表していました。
賄賂をもらうだけでも単純賄賂罪ですが、その結果実際に不正なことしたときには「枉法」収賄になり結果的に刑が重くなります。
上記漢詩には画工が賄賂をもらわないから実物よりキレイに書かなかっただけではなく、積極的に汚く書いた意味が込められています。
刑法
加重収賄及び事後収賄)
第百九十七条の三  公務員が前二条の罪を犯し、よって不正な行為をし、又は相当の行為をしなかったときは、一年以上の有期懲役に処する。
2  公務員が、その職務上不正な行為をしたこと又は相当の行為をしなかったことに関し、賄賂を収受し、若しくはその要求若しくは約束をし、又は第三者にこれを供与させ、若しくはその供与の要求若しくは約束をしたときも、前項と同様とする。
3  公務員であった者が、その在職中に請託を受けて職務上不正な行為をしたこと又は相当の行為をしなかったことに関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の懲役に処する。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。