新興国台頭と日本の進むべき道2

20世紀以降に形成された能力主義・平等主義とは,腕力・軍事力差を能力の指標とは認めない社会を目指して来ました。
個人間ではずっと昔からそうでしょう。
このルールに従い切れない集団を「暴力団」として忌み嫌って来たのです。
西洋諸国間では,ウエストファーリア条約以来累次の戦時条約等でなんとか腕力主義による無茶苦茶が是正されて来ましたが,彼らは異民族に対して腕力・軍事力さえ強ければ何をしても良いと言う暗黙の理念で植民地支配・奴隷支配をして来ました。
植民地だけではなく南ア連邦では人種差別によるアパルトヘイトがつい最近まで公然と行なわれていたのです。
その外延の1つがアヘン戦争でありその結果支配下の中国人を大量にクーリー(黒人のように奴隷ではなく2級市民)としてアメリカに送り込んだ原動力です。
幕末開国を迫られたときの我が国の欧米諸国に対する評価は一般に(どこで読んだか記憶がありませんが)「豺狼」のような欧米諸国と表現されていました,・・この中に放り出される以上「至急軍備を整えるしかない」となったのが幕末〜明治維新政府でした。
日本の軍備強化は欧米に追い込まれ事実上強制されたものです。
トランプ氏の政策方向をみると,任期中の短期に人材レベルアップ政策採用してもその効果が出るわけがないので,任期中の短期的成果を求めるならば,中国などの地域大国が腕力に任せてルール違反していくのを真似するしかないと思われます。
これまで非正規をしていた人がイキナリ10日で稼げるわけがないのでに10〜20日で10億円稼いで持って来ると言えば,何か悪いことでもするのじゃないかと親が心配するのが普通です。
普通のルール破りをする宣言と読むべきです。
自国自身が率先してルール破りをする宣言とすれば,世界の警察官をやれるわけはありません・・ルールに基づく介入ではなく自分の気に入った国に対してのみ応援する・・ヤクザ集団の「出入り」と同じになります。
アメリカは西欧に比較して粗野系と言うか底辺層の移民が多いせいか、(元々黒人や中国人をクーリーとして最底辺で使っていたことからも分るように粗放労働が好きです)資源が大量にあっても技能競争力・近代産業適応力では西欧や日本に比べて(日本より先行してはいたものの)劣っていたように思われます。
今でも量は作れるが,おいしいものや内容のある映画・・良いものが、アメリカで作れない原因です。
産業革命の結果、大量生産,儲けを生むおこぼれとして労働者の生活水準・社会的地位を向上して行くモデル社会が始まると→奴隷または奴隷的労働ではうまく行きません。
これが工業化が進んだ北部で奴隷無用論が広がった基礎であって,(異民族である日本に対する原爆投下や戦時国際法を全く守らずやりたい放題やったことや黒人差別が最近まで残っていることから見ても分るように)人権思想とは関係がありません。
リンカーンやトランプの「あなた方のため・・」の演説だけでどうなるものではない・・繰り返すように民度レベルにかかっています。
世に中間層の厚い社会は安定していると言い、過去を懐かしみますが,たまたま資本家支配層と被支配層にとってウインウインの例外的時代だったのです。
ここでアメリカでのベルトコンベアー方式発明の歴史的転換に入ります。
これと言った訓練コストなしにクルマを作れるようになったベルトコンベアー方式のアイデアは、アメリカ(資本主義者)アメリカ社会にとって最も必要な発明でした。
ベルトコンベアー方式はちょっとした訓練・未熟練でも何とかなる仕組みを開発したもので、アメリカの労働者レベルの低さ・弱点を補う面でも画期的である・・黒人等低レベル労働者の大量利用が可能になったばかりか,日欧に比べて大量資源を有しているアメリカの大量生産能力を引き出す点でも画期的でした。
ベルトコンベアー方式の発明は,産業革命以降発展して来た労働者重視の価値観の180度転換・・このときから支配層にとっては手間ひまのかかる民度のアップ・・技術アップ努力よりは,作業を細分化・単純化工夫によって未熟練・低賃金労働者を安く大量に使う競争に入りました。
大量生産方式は,技術レベルで比喩的に言えば従来5〜6点必要な作業が2〜3点で良いならば,5〜6点の能力の人はいらない・・2〜3点の人と同じ給与しか払いたくない社会の始まりです。
ベルトコンベアー方式の理念・・何事も作業工程を細分化して単純工程化して誰でも参加出来るようにする研究・価値観は,20世紀始め頃には,資源+未熟練労働力の多いアメリカが有利でしたし、この優位性維持のために移民受入れ政策を続けて来ました。
アメリカ一強の戦後の基本的論調は粗放・粗製濫造が賞讃され大量生産・大量販売・・・スーパーダイエーが目指した方向性でした。
従来テストで50点も取れないような人では使い物にならなかった仕事が2〜30点台の人でも5〜60点の人と同じ仕事ができる社会です。
上記は比喩的例示であって力がないために仕事出来なかった女性でも、トラックや重機運転手などいろんな分野への弱者参加が始まりました。
これは弱者・底辺層にとっては福音ですが,能力差を強調して高額賃金を得られなくなり,しかも大量参加する結果労賃単価が安くなるのは避けられません・従来の5〜60点の階層にとっては大変な事態です。
この工夫開発に必要な開発要員は大切ですが,開発研究に関与するには7〜80点以上必要とすれば、5〜60点台の中間技術者や中間管理職に高給を払う必要がない・彼らを減らす方向を目指すことになります。
機械化・工程細分化進展に比例してより低レベル未熟練工(事務系で言えばそろばんが出来なくとも計算機で簡単に出来るし,パソコンでもっと便利・・計算能力不要)でも生産に従事させられるようになると,(日本のように中間層の文化水準アップによる工夫努力で差をつけるにはもの凄いエネルギーがいる割に成功率・効率が悪い?)より低レベル(低賃金)人材を求めて更に突進・開き直りに徹して来たのが、中国の改革解放以来の移民受け入れ拡大と工場の海外移転方策でした。
中国の改革開放でそこへ生産拠点を移転すると大量チープ労働者がまとめて手に入るようになったのでこれが製品価格低下・デフレ・・中間層没落の契機・結果になっています。
これは流れ作業方式が(アメリカその他先進国内でのチマチマした変革から)ガットからWTOなど国際物流の発達によって、遠く海外・・世界規模で大々的に始まった到達点・結果の始まりであって,原因ではありません。
中国への生産拠点移動など20世紀終わり頃から新興国の製造業参入が始まると、移民受け入れだけでは粗製・大量生産競争では低賃金の本場である新興国に負け始めます。
アメリカはこの対抗策として、北米自由貿易協定(NAFTA)でアメリカ企業自体が一斉にメキシコに工場移転を始めました。
ナフタは,ウイキペデイアによれば,1992年12月17日に署名され、1994年1月1日に発効した。」とあります。
17年1月20日日経朝刊3ページによれば,「NAFTAの利点を利用しようと多くの企業がメキシコに生産拠点設置し,93年に16億ドルの黒字であった米国の対メキシコ貿易収支は,2015年には606億ドルの赤字になった。」とあります。
文字どおり怒濤のような勢いです。

新興国台頭と日本の進むべき道1

国民重視社会とピープル軽視社会の違いが、新興国の台頭による国際大変動に対する対応にどう言う違いが出るかの関心から民度に深入りしましたが、元に戻ります。
December 14, 2016,「規模追及の限界2と民度4(PeopleとCitizen1)」の続きになります。
新興国台頭=低賃金対策に戻りますと,日本では支配と被支配渾然一体社会であり、軍(武士)も民族のためにあることは日本人にとっては自明です。
欧米ではピープルとの市民・支配層一体感がないので、(社員食堂で社長や幹部が一緒に食べるなど考えられない社会)ピープル相手にどれだけ搾取し,儲けられるかが新興国対策の基本になります。
欧米支配層の利益目的価値観基準・・企業で言えば株主利益最大を目指すために労働者の意欲・労働条件を重視するのに対して、日本社会は従業員第一主義でそのためには(資本家も大事)株主の機嫌も取るしかない・必要悪?なので,方向性が欧米とは逆になっています。
マスコミを賑わせる「IR対策」と言う用語自体が欧米の資本主義との違いを物語っています。
欧米の価値基準では従業員対策でしょうが、日本では資本家・投資家「対策」になる違いです。
産業革命以降国際競争激化が始まると,国際競争に勝ち残るには,労働者の技術レベルを上げることによってより良いものを作れるようにするコトが必要→人育成競争社会にはいりました。
日本が明治維新後近代化に成功したのは,江戸時代から庶民に至るまで教育システムが行き届いていたことや勤勉習慣・これに報いる仕組み、あるいは元々の器用さなど基礎レベルの高さによります。
国際競争社会になると国民レベルの引き揚げが必須ですし、国家・企業としては家柄やコネ・賄賂に頼っていると競争に負けるので,自ずから公正・平等主義が重視されます。
日本では源平合戦以降武士社会になってから,実力があればドンドン抜擢する社会になっていたのは,既に国内で自由な競争が徐々に始まっていたからです。
江戸時代で言えば学問では林家、絵画では狩野家、武芸では柳生家・有職故実は◯◯などとそれぞれ決まっていましたが,幕末までには皆事実上権威を失っていた(絵画で言えば琳派〜浮世絵に中心が移り)ことから見ても(表向きの権威があっても実質はかなり)自由な社会が実現していたことが分ります。
政治の世界でも江戸城無血開城を決めたのは,旗本でさえなかった・末端ご家人(勝海舟の何代か前に御家人株を買い取って御家人になったと言われています・・ご家人とは戦国時代で言えば足軽階層・・騎乗が許されない・・兵上がりの勝海舟でした。
昔読んだ記憶ですので確認してみますと,「御家人」に関するウイキペデイアに引用されている文献では私の記憶どおりのようです。
「5 例えば勝海舟がそうである。勝の曽祖父は高利貸しの米山検校で、息子の平蔵に御家人・男谷家の株を買ってやり、その男谷平蔵(海舟の祖父)が御家人・西丸持筒与力から旗本・勘定に昇格している。平蔵の子・勝小吉(旗本・勝甚三郎家を継ぐ)が海舟の父に当たる。小川2003」
人権思想家が言えば平等な社会になるのではなく,重商主義時代から産業競争時代に入って人材必要性が自由競争や平等主義を要請していたから労働者の能力アップが支配者に必要になったのです。
以上のとおり,産業革命後は従業員の能力に応じた優遇が必須になりますから,クニも企業も労働者自身の自発的能力アップ意欲を引き出すために(能力さえあればいくらでも出世出来る)自由平等が売り文句になります。
日本でも憲法上の平等の意味は,能力に応じた平等扱いであると教えられ、庶民でも能力があれば出世出来ると期待出来る・・みんなが能力アップに励む社会が始まりました。
安倍政権が「同一労働同一賃金」と言うのは、この延長・・能力が同じでも賃金差があるのでは国民が努力する気がなくなってしまうからです。
日本では過去何百年も,勤勉・学問を尊び,江戸時代でもこれまで紹介している新井白石でいえば、千葉県の久留里藩2〜3万石の家臣から,親が浪人しています。
白石が木下順庵の塾生となって才能を現し,遂に幕政をし切る役につき「正徳の治」を実現しました。
日本は明治維新後直ぐに学校制度を全国に広げましたが,近代化したクニでは個々人が学歴をつけてより上位の資格を得るための修練を怠らないのは,この基準で生きていることを意味しています。
支配層にとって労働者を能力に応じて優遇し、能力のレベルアップ・・労働条件が過酷で不健康な労働者よりは健康な労働者がよい・ゆとりを与えた方が工夫が生まれる・・労災を減らす方が企業にもメリット・・など企業・支配層も労働層も目指す方向が一緒ですから、労使・支配被支配関係は蜜月時代でした。
リンカーンの「 government of the people, by the people, for the people,」は,まさに庶民を搾取する対象ではなく,「ピープルと共に、ピープルのために」もあるのだと言う演説です。by the peopleを「人民による」と民主政治に結びつけて一般に翻訳しますが,抽象的に昇華すればそのとおりですが,真意は人民の「力」「協力」によらなければ,国際競争に負ける・国力維持出来ないと言う意味に捉えるべきです。
これは,戦況を有利にするためにたったの2分ほどの短い演説であった・・本気でそう思っていたか不明と思われますが,工業化の進んだ北部ではそう言う時代が来ていたのを敏感に察知したのでしょう。
こんなことを思い出したのはトランプ氏の大統領就任演説全文が今日の日経新聞夕刊に記載されていたことによります。
曰く「エスタブリッシュはみずからの利益を守ったがあなた方の利益を守らなかった・・それがすべて変わる・・」言わば、リンカンの演説・・約束が実行されてないことを私は守ると言うかのような?演説ですが、具体的にどのように変えて行くかの道筋は不明です・・就任演説で具体的なことまで言えないのは仕方ないでしょうから、今後どう言う政治を出来るかにかかっています・・。
上記のとおり「あなた方を守る」には労働者レベルアップが必須です。
トランプ氏の演説全文を見ると(具体策はこれからとしても,能力は短期にレベルアップするわけがないので)レベルアップと関係なく利益を「守る」のを約束しているような印象ですが,そのためには能力以上の収入保障=「不正・腕力で他国から富を収奪する」しかなくなります。
腕力に基づいて不良品を高く売りつける悪徳商人になる宣言のように読めます。
腕力(軍事力・砲艦外交)を能力の重要要素とする19世紀までの考えに戻るとすれば、トランプ氏の主張も能力主義に違反していません。
このように憲法の平等主義と言っても、どの分野の能力を基準にするかで人権保障の意味が大幅に違って来ます。
「腕力に応じた平等」であるならば、男女差別は人道主義に基づく平等違反ではないとなります。
日本国憲法を見ると,この辺は慎重に14条自体に許されない例示として「性別」を書き,「両性の本質的平等」と言う条文を別に設けていますから,能力差概念定義を進めると許される差別の中に男女差による差別が入る前提で別に特例として条文を用意したとも読めます。
憲法
第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
○2  配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

和解力(ウエストファーリア条約3)

国際情勢が変わり,朝鮮半島の地政学的重要性が希薄化している現状下では、韓国のわがまま外交継続は無理になっています。
明治維新当時のように(中国カードを交渉材料に使うのと合わせて)韓国が日米対中国の2勢力の強い方になびけば良いという発想・・・現在は中国の方が将来有力と見て,交渉カードに使う限度を超えて・AIIBや反日軍事パレード参加など中国に露骨にすり寄ってしまったのが朴大統領の前半2年間でした。
これを見て逆に日米が韓国を見限る態度を示したので・・驚いた朴政権が一転15年末の日韓慰安婦合意し、アメリカの求めるサード配備に同意するなど一歩(日米側に)後退しました。
政府が反日を煽りにあってしまった効果が出ている単細胞国民が納得していないこともあって,中国が猛然と巻き返しに動くと直ぐにぐらつきます。
いつも自分の軸足がなく,強い要求の方になびくだけのクニとみんな思うでしょう。
大きな流れで見れば,大統領退陣要求勢力の現在の過激な運動は民族の経済破綻が迫っていてもそんなことは関係ない(と言うより多元的思考が出来ない)・・日米勢力圏に戻る流れに対する巻き戻しだけ(そのためにはその他与件・国際信義破壊のマイナス・経済破綻リスクは一切考慮しない・観念空間の自己満足で生きています)を期待しているとしか見られません。
慰安婦像撤去約束を守るどころか新たな設置認可になると(たまらず)日本が・すかさず日韓スワップ協定その他修復交渉中断を発表しました。
現在韓国経済は,2回目のデフォルトになるかどうかが心配されている状態にあって,スワップ協定・日本の経済保障を受ける見通しがなくなるのは国際信用上かなりのマイナスになる筈です。
国民にはその辺が理解出来ない・・知っていても感情が先に走る・・二元論以外にはその他の与件は目に入らない民族性のようです。
勿論最後の最後になれば,(対韓投資している日本企業救済のために?)日本は放っておけないので何とかしてくれるだろうと言う期待・読みもあるでしょう。
これまで周辺3カ国から甘い汁を吸い続けて来たのが裏目に出て、双方から強迫・・報復を集中的に受けて困りきっているのが現状です。
未だに単純二元論で中国が良いか日米が良いかで迷いながら,行きつ戻りつしているのが、韓国の民度です。
アメリカは西欧に比べれば、韓国並み?に民度レベルが単純な社会です。
エスタブリッシュメント流の政治から脱却して,この民度レベルに併せようとするのがトランプ氏の行動スタイルとも言えます。
アメリカの単純な「敵の敵は味方」的見え透いた「戦略」がある程度機能していたのは,突出した経済力・軍事力によりましたが,イラク・アフガン戦争の結果を見れば分るように圧倒的兵力投入だけでは一時的占領は可能ですが、その後の最終解決にはどうにもならないのが中東地域の錯綜した現実です。
単細胞的介入の限界が出てきたのが、国際社会混迷の原因です。
アメリカは占領後欧米価値観に従って、日本の支配層・軍人さえ悪者にすれば済むと安易に考えて戦犯問題を起こし、慰安婦騒動を背後でけしかけて来ましたが,軍人を貶めることはニッポン民族みんなを貶めることになるのに気が付かなかったように見えます。
戦争に勝ったからと言って相手を貶めては行けない・・むしろ敵将の健闘を誉め称えるのが日本の武士道です。
日本では縄文時代の昔から勝っても「やって良いこと悪いことの区別」は決まっていました・・これこそが人間社会としての「文化」と言うべきであって、「感情に任せて負けた方を無茶苦茶痛めつけても良い社会」は猛獣社会と同じです。
朱子の言う「性即理」情動に動かされない安定した「性」の社会こそが、人間のあるべき姿です。
相手を許せない社会には,「文化のある社会に到達していない」と言っても良いのです。
西欧では野蛮のママで来て,戦争があまりにも長く続いた結果、戦争で勝った方もやって良いことと悪いことを決めた始まり・・国際合意・・この程度のことが漸く分って来たことをAugust 26, 2016,以降ウエストファーリア条約の紹介で何回か連載中でしたが,その続きが先送りになっています。
上記連載は西欧で漸く芽生えた「大人の智恵」が異教徒にも及ぶかの関心で書き始めたものです。
アメリカは西欧の人間が移住して始まったたクニですが,西欧近世に到達した智恵・道義は、日系人だけ収容所に入れるなど全ての分野で・・異教徒である日本人には及ぼす必要がない・・と確信していたように見えます。
そうでなければ,逃げ惑う住民を焼き殺す目的で焼夷弾で攻撃し、生身の人間・・しかも人口密集地を狙った相手に原爆実験を二度もするようなおぞましいことは想像すら出来ないでしょう。
そう言う目で見ると,西欧全体がアジア人を植民地化し住民を奴隷化していたこともその現れです。
ウエストファーリア条約は勝敗に関わらず主権尊重が歌われた国際条約・・この精神から言えば、弱いクニを占領し植民地化することを合法化する論理はあり得ません。
アメリカは漸く西欧の歴史を学ぶ必要に気づいたのか、あるいは,仕方なしに人道を言い出したのかは不明です。
兎も角1昨年の慰安婦合意圧力もそこまで理解した上ではなく,日韓紛争が大きくなるのはアメリカにとって不都合・・敵の敵は味方・・中国が正面の敵対国になると日本の反米感情の盛り上がりを放置しておけなくなったからに過ぎないでしょう。
16年12月29日以来書いているように日本の武人は一族を守るための代表戦士であって背後の一族とは敵対関係ではありません・・この辺の理解の違い・(支配被支配の対立を前提にする)欧米の誤解の基礎になって現在に至っているのですが,この辺をじっくりアメリカ人に分らせる必要があります。
アメリカ人が(日本と世界とは,成り立ちが違うことが分りさえすれば,)後に残るのは靖国参拝・訪問ですが、これはトランプ氏の得点チャンスとして残したとすれば?
アメリカは極東軍事裁判は間違いだったとは言えないでしょうが,ただ参拝すれば良いことです・・彼の懐の深さ次第・・・さてどうなるやら・・。
戦犯の汚名・靖国神社のわだかまりがなくなれば、戦争に引きずり込まれた恨みまで言っていてはキリがないので,(それは横に置いておく智恵は日本にはあります)日本にとって真の和解成立です。
アメリカは戦時中の日系人迫害を明白に謝罪し,更に昨年の一連の行為で和解能力があることを内外に示しました。
ロシアの場合,不可侵条約違反と,シベリア抑留を謝らない限り本当の民族和解にはほど遠い関係ですが,ロシアの場合、簡単な・・島さえ返せないレベルです・・アメリカは戦後直ぐに奄美諸島を返すなどドンドン返して来ました・・そこまで至りそうもない・・全く期待薄である点では、アメリカよりかなり稚拙・文化度が5〜6世紀単位で西欧社会よりも遅れているのは仕方がないでしょう。
こうして見ると謝る能力のない民族は、許す能力もない・・物事には・・商取引や友人関係でも男女関係でも・・どちらかが,勢いで行き過ぎやり過ぎが起きることが生じますが,ちょっと気に入らないことがある都度「もまあ良いか!」と許せない人の場合にはトラブルが絶えない・・和解する能力もないことになります。
硬直的原理にこだわる朝鮮族が、日本と和解する能力がないのは仕方がないと言えます。
文字文化普及のテーマで書き漏れましたが,ロシアは西洋諸国のような安定した中世〜近世がなく中央アジア地域で興亡した多くの諸国同様に古代国家的状態が近世まで続いていました。
黒土帯を中心に農耕社会化した点で一定の文化蓄積が起きた点が、中央アジア諸国に多い遊牧系と違う点でしょうし,その分古代的な(農業)国家形成に寄与したと思われます。
近代に入っても(内陸でもハンザ同盟の出来た)西欧のように商業社会化しませんでしたので,基本的には農民しかいない社会でありながら、末端農民=農奴中心社会であったので,農奴は殆ど文字に関係なく暮らしていたと思われます。
第二次世界大戦後シベリア抑留時に収容所の集合で兵の数の点呼が出来ない・いくらやっても数えられないので日本兵が代わって点呼していたとさえ言われます。
上記のとおり,アメリカにとって日米同盟強化への方針変更はそれほどの実害はありませんが、中韓を煽って来た手前どうするかだけですが、上記のとおり折角アメリカが立ち会いまでして日韓慰安婦合意をさせた以上は(俺の顔を潰すな)「合意を守れよ!」と言うのは簡単です。
はしごを外した・・裏切りにはならないでしょう。
こうなると韓国で政権交代があったからと言って「ちゃぶ台返しは困難」と予想されるのがこれまでの展開でした。
ただトランプ氏自身過去の合意無視のスタイルですから,これがどうなるかはアメリカの国益次第で予断を許しません・・。

文化とは?

朱子学そのものの解説をちょっと見れば分りますが,(私には難し過ぎて理論そのものはよく分りませんが・・)トマス・アクィナスの頃の神学大全同様に・・深遠な哲学・格物致知=空理空論のこねくり回しが基本に見えますから、実践哲学とは言うものの高尚過ぎて実生活の解決に何の役にも立たない印象です。
漸くいろんなことが気になり出した社会にとって,アタマの体操に役立つ程度ではないでしょうか?
西欧の神学論争・十字軍遠征によって異文化に接したことによるアタマの体操が始まって次々と「アアでもないこうでもない」と頭を使っている内にいろんな疑問が出て来て百家争鳴・・→神学取りまとめの方向性トマス・アクィナスに限らずその他の学者による「神学大全」がいくつか出て来たことになります。
この頃に一旦まとまった神学が、基礎になって新たなステージに入り,ルネッサンス→新教の発生→信教の自由・思想の自由→民主主義社会になって行くのですが,中国社会では朱子学が明以降は国家教学になり,硬直して行った結果、解釈学の範囲枠内で停滞してしまったようです。
朱子学は南宋時代ですし,国家教学採用は元明以降ですからあたかも西洋におけるトマスの神学大全完成とほぼ同時期です・・・。
科挙制度・解釈学中心社会・国家検定的試験制度〜受験準備過程としての教育制度が権威を持てば持つほど、権威にあわせる努力中心社会になり易く・・自由な思考回路発達を阻害する危険があります。
韓国では今も科挙試験に代えて学歴格差が激しい・売春婦をしてでも学歴が欲しい社会と言われていますし、就職先もヤンパン時代の官僚に代えて大手財閥就職のために数年単位の就職浪人も厭わない・・就職用の塾が発達している社会です。
就職試験合格目的の受験勉強・模範解答偏重ですから,秀才と言ってもそこから新しい発想思考など生まれるべくもありません。
マスコミでは韓国の過激な受験地獄・・極端な詰め込み勉強が報道されて,詰め込み・知識記憶力偏重の弊害だけの報道ですが、画一価値観の刷り込みだけで良しとして枠外の思考を巡らせる経験がないまま育ち成人してしまう・・社会停滞リスクの方が大きいコトに注目する必要があるでしょう。
いわゆる大企業病に陥る弊害の社会全体版を李氏朝鮮の国家創設以来繰り返して来ました。
就職後も日本に密着して先進技術導入・読解能力さえあればよかったでしょうから、受験勉強の延長で良かったでしょうが、嫌韓感情が高まってしまった以上、日本は今後は簡単に技術を渡しませんし簡単に剽窃させませんので、今後は独自技術開発ができないと失速します。
中国も基礎状況は同じですが、(イギリスがノルマンコンクエラーの結果コンモンローが発達したほどではないまでも)異民族支配が長かった分・「上に政策あれば下には対策がある」と言われる社会です。
この分社会には権威を批判的に見る習慣・底力があるように見えるほか,支配層も自分より強いイギリスに侵略された歴史があるので国際合意の重要性も自覚しています。(韓国の場合には自分から日清露3国のどちらか強い方の支配下に入りたかっただけで、侵略され非合理な支配を受けた経験がない点が違います)
ただしアヘン戦争に負けた経験から得た教訓としては、相手が自分より強いかどうかに気をつけることを学んだけで、古代からの専制支配の妥当性を否定しない・・・道義は関係がない・・屈辱の原因は力がなかっただけと言う反省・・・正義の重要性自覚には至っていません。
今でも道義・正統性よりは,自分より強いアメリカの出方だけが行動基準ですから、まだ強弱二元論・・動物的・原始的リヴァイアサン社会意識のままです。
オバマが断固とした行動に出ないと読めば、国際ルールなど無視するのを気にしない原因です。
これは領土拡張のみならず経済活動でも同じで、相手が弱ければ・・国内進出企業にはスキなように嫌がらせをするし,相手国からダンピング制裁や知財剽窃のサイバー攻撃などに対する制裁を受けない限り、どんなルール破りをしても構わないという国家の行動形態に現れています。
強弱に言論ですから,国内的には道理((今風に言えば法)よりは,権力者に近いかどうかが基準・当然賄賂や不正行為がはびこります・・になり、国家権力者自身が自分より強い相手に捕まりさえしなければ、・・正義や信頼関係など全く問題にしない価値観を実践しているのですから、人民も同様の行動基準になるでしょう。
大規模サイバー攻撃や領海侵犯は個人ではできないしやっていない・・だから人民の道義心に関係がないというのは詭弁に属するでしょう。
政府行動は、人民の目標的価値観に大きな影響を与えるのが普通です。
ここまでPublished2016/11/22「民主主義の基礎9(信頼関係7)」以来民族の成り立ちの重要性の関心で書いている内に国際関係処理の前提条件などに関心が移って来ました。
日本を除く全世界的価値観では・・社会組織のあり方では「支配と被支配」の2項対立が基本ですし,西欧近代哲学では主観客観の対比・・西洋人の形而上思惟の開始→神学論争は「信仰と理論」の整合性の疑問が神学関心・・アタマの体操の始まりでした。
この思考形式や社会組織の原初形態が・・個人と全体の関係への疑問・圧政に対する抵抗権としての反作用として・自我確立が尊重されるのが最初の意識現れです。
個人の成長に喩えれば,中学〜高校期に自我・主体性の芽生えとともに、反抗期が来る(子供がいる)のと対比出来るでしょう。
日本はその期間を縄文時代に経過している大人の社会・・エゴを必死に主張しなくともお互いの人格・立場を尊重しながら包摂して行く社会ですが,西欧近世〜近代は思春期が始まったばかり・・これを以て「自我の確立を知らないのか」と大人社会の日本に自慢しているのが欧米です。
日本人は各自を尊重しながら,一々「俺が俺が・・」と言い張り壁を蹴っ飛ばしたりしなくともお互いの立場を尊重する・・お互い融合している温和な家庭〜社会生活をしています。
腹一杯食べたい子がいれば,あるいは何か困った子がいれば、母親が黙って気配りしてくれます・・学校で苛められている子に気付かなければ学校が非難される社会です。
中国では春秋戦国時代に多様な思想が輩出しましたが,その基礎には陰陽論・善悪二元論などがあり(5行説も陰陽論の上に成り立つ修正的意見です・・中世の朱子学も理気二元論で「気」に陰陽の二元があり,そのバラエテイーとして5行・木火土金水があると説いています)・・何でも2元的切り分けが好きな社会である点は西洋と同じです。
これが始皇帝→漢王朝成立による専制支配確立とともに社会組織として「支配被支配関係」が確立固定されて以来、思想の多元化が阻止されたまま現在(上記のとおり価値基準が正義ではなく強弱原理=共産党独裁支配・・価値観単純化の一態様である点は同じ)に至っていると思われます。
韓国は反日と言えば全て善・・政党的に言えば反北朝鮮か否かの二元論で極端に行ったり来たりしている点は今も同じです。
国内的にはこのような極端な色分けで行ったり来たり・右往左往していても勝手でしょうが,前政権の国際合意のちゃぶ台がえしをすると国際信義を簡単に破る結果になります。
19世紀末以来ロシア〜ソ連南下政策の脅威・・地政学的重要性に鑑みて日米が韓国の信義破壊行為の繰り返しを黙認して来た結果、信義を守る重要性を理解出来ないまま現在まで来たように見えます。

民度6(イギリスの経験論)

観念論体系にこだわる場合に社会が変化して行くときの現実との矛盾相克に戻ります。
日本では江戸時代に儒学採用後半世紀ほどですぐに矛盾が出たのすが,中国で言えば前漢時代から約2000年以上も延々と採用していたのに,西暦2000年頃まで社会矛盾が出なかった・・余程変化しない・・停滞社会であったことが分ります。
実際には、いろんな矛盾が起きていたのにエリートの教養優位を維持するために,強権で押さえつけて来た結果停滞していた相互作用でしょう。
専制支配社会では処罰の合理的根拠不要なので、赤穂浪士処分のような矛盾相克が起きないということでしょう。
韓国も「反日無罪」の論理で国内的には一貫できる点は専制支配の現在版ですが、安倍氏に国際合意にされてしまった結果(慰安婦像設置と国際合意の相克)国際ルールとの関係をどうするの?と言う矛盾に今頃になって初めて気が付いている状態です。
韓国では民主国家になったと言っても精神レベル、民度が専制支配状態のままですから、君主専政の代わりに人民が激昂すれば論理・正義無視でなんでも出来る社会意識でやって来ました。
何かある都度興奮して大集会を開いては特定人物を糾弾する・・・大統領を失墜させるなどを繰り返して来た精神風土です。
専制君主一人の無茶苦茶から、飛行機を止めたピーナッツ事件で分かるように財閥親族の横暴や個々人では弱い人民でも大集会開催まで成功すると同じく論理無視の無茶が通る社会に変わった・・マスコミの応援があれば無茶をみんなが言えるようになっただけです。
民主主義社会には一定の民度がない社会ではタガが外れると衆愚政治→大混乱になりかねないと書いて来ましたが、個人の弱い社会では被害者と(マスコミに)公認されるとイキナリ怖いものなしのモンスターに変身する・・集会激昂主義もその一態様でしょう。
国内的には無茶苦茶でもその都度興奮してちゃぶ台がえしをするのも民族の勝手でしょうが、対外約束をしてしまった慰安婦合意も国内集会さえ派手にやれば反故にできると誤解した結果が表面化したチャンスを逃さずに安倍政権がスワップ交渉中断等を発表したので、韓国は国際社会で一人前に生きて行ける民度レベルに達していないことが国際社会に露呈してしまいました。
これまでいつも日本が折れてやって尻拭い的にカモフラージュしてやっていたからこそ,一人前であるかのような顔を出来ていたに過ぎないコトが露呈しました。
日本では、綱吉から家宣父子の時代・・10数年を経て、吉宗の御定書シリーズで紹介したとおり、観念的儒学では実務処理出来ないコトを理解し・実生活に即した判例集の編纂・・判例主義・・薬学その他実用学問奨励へ傾斜して行きます。
そして儒学は朱子学の高尚な哲学から・実践倫理である陽明学の「知行合一」(幕末の大塩平八郎の乱で知られるとおり現実重視)に移って行きますが、朝鮮半島にも陽明学が先に入ったのにその後朱子学中心になってしまい,衰退して行く点では日本と進行が逆です。
(ローマ帝国が一神教のキリスト教を国教化してからダメになって行ったのと似ています)
朱子学オンリーに固定化したから・・社会が停滞したと言うよりは,硬直化する下地があった・・日本では約50~100年経過で重視されなくなったのと比較すると社会構造・・実態社会が日本と違っていたからでしょう。
実学中心に日本人の知的営みを変えて行った吉宗は,(旧思想界からは「御文盲に御座なされ・・」と室鳩巣に書かれるほど伝統文化・・和歌などを軽視していましたが)日本の知識・思想界主流を実学的・近代合理主義社会へ変えて行った大功労者ですし、古来から連綿として変化し続ける社会の要請があったからと言えます。
ウイキペデイアの引用です。
「室鳩巣が、吉宗の教養について「御文盲に御座なされ候」といい、6代家宣の正室天英院の父・近衛基煕も「和歌については尤も無骨なり。わらふべし〃」と酷評しています。」
文化発展に戻しますと,立派な観念論体系が完成した社会または先進社会から導入した社会では・・有り難いものの解釈学中心人材・・老舗大企業で言えば新規事業や・製品開発能力よりは,有能な秘書向き能力ですが・・こう言う能力ばかり重視する社会では,別の観念体系・・枠を越えた自由な発想が育ち難くなり、企業で言えばジリ貧になりますしクニも同じです。
現在でも,後進国が先進国の知財輸入または剽窃利用する社会では,導入技術の解読が中心作業になります。
既存観念の解釈学が幅を利かす社会では,専制・絶対支配に馴染み易い・・これが中国朝鮮の歴史であり現在の状況であるのに対して,日英のような経験論・実務に即して工夫して行く社会は無理な論理一貫性を強制しない分,大陸の観念体系が入っても参考にする程度で発想の自由性があります。
日英でも既存枠内の整合性を追及する解釈学も当然必要ですが,それ程重視されない程度差がありますが,社会内には観念にこだわる・原理主義者も一定数いても,主流にはなり得ません。
イギリスがローマから見て辺境の地にあったことが幸いして,ローマ法やキリスト教ドグマの浸透が緩かったことを書いて来ました。
勿論これに加えて海洋民族性が,大陸的強固な神学大系に違和感があった面が大きかったでしょう。
ローマとの関係が緩かった・これが絶大なキリスト神学の権威を低めて自民族意識・習慣にあったコンモンローの発達促進に効果があったと思われます。
コンモンロー裁判制度はノルマンコンクエラーで知られる異民族支配の結果,却って同族による裁判の要請・陪審制が発達したと言われています。
陪審制とは庶民による裁判保障・・あるいはいわゆる人民裁判・吊るし上げ制度ではなく、異民族による裁判拒否、自民族による有罪の支持がないと処罰出来ないとする制度です。
ローマから遠かった結果、成分法体系(ローマ法の解釈ではなく)よりは実情に応じた解決・・漸進的判例法の発達を促し、更に法解釈ではどうにもならないようなときのために別途「衡平法裁判所」と言うものが生まれて来ました。
このように独自の法制度が成立する土壌があってこそ,ヘンリイ8世のわがまま・無茶苦茶?に端を発したとは言え,ローマンカソリックからの国教会独立を容易にした原因でもあり,(異民族王朝・・抑制が必要な歴史があったのにイキナリ王権神授説で権力を振るったので反発を招き易かった)絶対王政を倒し,自由な発想が保障されていた英国で先ず産業革命が始まった基礎でしょう。
英国は大陸との関係では,我が国と地理的条件が似ていますが,我が国の場合思想統一になる科挙制度を古代から意識的に除外して来た点が英国と一歩どころか何歩も違っています・・念のため・・。
英国はEUに一旦参加していましたが、ついに気が合わずに離脱方針を決めましたが、日本人にとっては一旦でも中国と合併したいと思う国民は100人に1人もいない・・その違いです。
この違いの基礎は、日英の海洋民族性に関する濃度の違いではないでしょうか?
日本人のルーツは南洋諸島や東南アジアの諸島からはるばる流れ?て来た海の民が祖先の大多数でしょうが,(DNA研究によれば大陸からの移住者はごく少数らしいですから気が合わないのです)英国の場合,周辺・・南方にこのような人口供給源になるような諸島がありませんし、海の幅・対馬海峡とトーバー海峡の差もあります。
結局は大陸からの移住者中心社会である以上は,大陸の人と元は人種的には同じになります。
長年、英国人は島で暮らしていた結果徐々に生活習慣の違いが出て来た程度に過ぎないのですが、日本の場合大陸の人たちとは,ルーツからして違っている点が大きな差です。
話題がそれましたが,ついでに韓国で文学芸術系で何かあるかを念のために調べてみると以下のとおりです。
ウイキペデア(対して信用性がないとしても・・)で「朝鮮文学」で検索すると,いろんな物語があったらしいと言う想像的書き方ばかりで、具体名があるのをクリックしても多くは「編集中」で全く具体性・根拠がありません。
最も古そうな人名でさえ下記のとおりです。
『春香伝』『沈清伝』ともにその発祥は定かではないが、申在孝(1812年‐1884年)が『春香伝』『沈清伝』を基にパンソリの台本として『春香歌』『沈清歌』を作ったとされること、様々な文献に『春香伝』『沈清伝』の原型が見られることから、古くから伝えられている説話である//」
以上のとおりで1884年までの作家の名が初めて出て来ますが、それさえも,「・・が作ったとされる」と言う程度で伝説的噂の域を出ていません。
19世紀中期〜末頃でこれですから、源氏物語などのある日本に比べて上流階級は何をしてたの?と言うレベル(文化を楽しむ・顧客層が一定数が育たないと文化人が育たないでしょう)・・清や明から来た外交文書を理解出来,返書を何とか書ける程度で満足するエリ−トだったのかも知れません。
ただし朝鮮人の名誉のためにちょっと書いておくと、李氏朝鮮での朱子学の解釈学はそれなりに進んでいたようですが,繰り返し書くように解釈だけいくら掘り下げてもその先がありません。
比喩的に言えば「韓国人は日本人より何故優れているか?」「歴史が日本より古い」「日本技術の解読」と言う予め決めたテーマの研究中心社会では,発展性がありません。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。