仮処分の必要性2(即時効の威力)

小規模裁判所で停止の仮処分決定が出ると、細かい証拠を見るまでもなく(決定書を見られないので詳細については外野には分りませんが・・)、認定が「一見して無茶だ」という意見が圧倒的多数であっても、異議審も同じ裁判長が担当しますので、異議を出してもほぼ100%是正されません。
アメリカ大統領令の司法審査報道では異議申し立てではなく、日本で言えば異議ではなく抗告審の印象です。
この辺の原稿は高浜原発停止の仮処分が出た直後頃の16年3月に書いていたのですが、昨年初冬ころに異議審決定が出たことを紹介しましたが同じ裁判官が出す(大津地裁の裁判官構成もこのシリーズで紹介しています)ので結果は同じでした。
(その間に著名な科学の進歩がある訳がない・・同じデータを元に同じ判断基準で判断する限り同じ結果になるのは当たり前です)
結果的に停止の効力は地裁に事件が係属している限り(本件決定内容不明ですが,仮に大多数の法律家から見て論理建てに無理がありそうな場合でも)是正されないことが事実上決まってしまいます。
いつ地震があるか分らない・・または100%安全を証明出来ない理由で停止を命じられる・・例えば年間これだけの交通事故死があると言う統計が出されるとその段階で安全性の立証(疎明)責任が転換されるとした場合・・電車もクルマも医療の安全性も損害の程度も全ての分野で操業停止仮処分の対象になる理屈になります。
一定のリスクがあっても社会の発展や社会全体の利益のためには許容範囲と認めるかどうか・・これは民意・政治の場で決めるべきことです。
原発被害は一定のリスクと言える程度を超えている巨大なものであるからエリートが決めてやると言うのでしょうが、ソモソモ司法官僚が何故このリスク判断について専門家であると言えるのでしょうか?
その道のエリ−トが一定の手続で選任され、規制基準を作って基準に合致しているかどうかを判定しているコトについて素人の裁判官がその決定を覆す意味が分かりません。
あるいは、規制基準と現状を審査したところ、その基準に合致していないと言う判断もあり得ます。
しかしこの場合もその基準に合致していないことと甚大な損害発生可能性とイコールではありません。
細かな基準には念のためと言うものが一杯あります。
今築地市場移転問題で規制以上のフッ素だったかが出たと騒いでいますが、フッ素規制値は水源地の基準で毎日(何十年も)その含有量の水を飲用し続けても絶対大丈夫ですと言う基準です。
環境省データの一部抜粋です。
(下記のうちPFO、PFOAはフッ素の中でも毒性が強いとされているものらしいです)
https://www.env.go.jp/council/09water/y095-13/mat07_2.pdf
1.4
水道水質基準
平成21 年4 月1 日より、水道水に係る要検討項目は従来の40 項目に加え、過塩素酸と「パーフルオロオクタンスルホン酸(PFOS)」、「パーフルオロオクタン酸(PFOA)」及び「N-ニトロソジメチル
アミン(MDMA)」の 4 項目が新たに指定された。このうち、PFOS と PFOA の 2 項目については、以下のような考え方が示され、目標値の設定も見送られた。
注:「要検討項目」とは、平成15 年4 月28 日厚生科学審議会答申「水質基準の見直し等について」において、「毒性評価が定まらない物質や水道水中での存在量が明らかでない物質を対象とした項目」として位置づけられており、必要な情報・知見の収集に努めていくべきものとされている。
豊洲市場の地下の土からしみ出して来る水を毎日何リットルも飲む人は皆無ですから、(まして出荷される魚がその水を飲むわけがないのでどう言う関係があるか意味不明)元々市場立地の危険性と・・何でも反対流にしている?無意味な基準であることが明らかです。
このシリ−ズでは行き過ぎたPC(慰安婦問題で国際的に政治的に?完成させた上で・いわゆるPCが出来上がっている以上反論すること自体がおかしいと言うののがアメリカの支配的風潮で・・日本攻撃をされましたが・・政治的正しさをマスコミが作り上げてはその強調する弊害)批判も書いていますがこれもこの一種です。
最近、マスコミ内の特定勢力による反対運動があるとこれに迎合して無茶な基準・・いわゆるpcを決めてしまうことが多過ぎるからこう言う馬鹿げたことになります。
原発設置基準でも原発アレルギーに便乗したいろんな不合理な基準が一杯ある筈です。
こんな無茶な仮処分をする裁判官はいないので、裁判官の裁量に任せておいてもこれまで社会問題にならずに来たのですが、昨年春の高浜原発稼働停止の仮処分は正にこのような基準による裁判でなかったかの疑問です。
本案判決の場合、負けた方が控訴しないと決まるまで判決の効力が出ない・・・地裁の判決が仮に間違っていても実害がありませんが、仮処分決定の場合決定告知と同時に即時に効力が出てしまうことが先ず大きな違いです。
民事訴訟法
(決定及び命令の告知)
第百十九条  決定及び命令は、相当と認める方法で告知することによって、その効力を生ずる。
その上に判決の場合直ぐ控訴して上級審の再判断を求められますが、決定の場合同じ地裁への異議申し立てが出来るだけで、すぐに高裁に抗告出来ない仕組みです。
民事保全法
(保全異議の申立て)
第二十六条  保全命令に対しては、債務者は、その命令を発した裁判所に保全異議を申し立てることができる。
保全抗告)
第四十一条  保全異議又は保全取消しの申立てについての裁判(第三十三条(前条第一項において準用する場合を含む。)の規定による裁判を含む。)に対しては、その送 達を受けた日から二週間の不変期間内に、保全抗告をすることができる。
ただし、抗告裁判所が発した保全命令に対する保全異議の申立てについての裁判に対しては、この限りでない。
仮処分決定に対してすぐに上訴(以下のとおり41条の抗告は、保全異議に関する裁判が出てからのことになります)出来ないで、先ずは異議申し立てしか出せません。
地域経済や電力業界に重大な影響のある停止命令を、即時効があってしかもすぐには高裁へ手続が行かない仮処分を選んだこと自体も疑問です。
大津地裁としては、第1にそんな悠長な裁判をしている間に事故発生危険の切迫感があったと言う認定をしたのでしょう・・その後約1年経過してもまだ原発被害が起きるような大地震が起きていない・・(本案訴訟の結果を待てないほどの切迫性がなかった)結果から見ても大津地裁裁判官の認定が間違っていたことが事実で証明されています。
本案判決を待てない程スグに地震があると言う心証形成自体疑問がありますが、その点さえ別にすれば仮処分の場合、仮処分の当否の争いをしている間、原発が長期にわたって停止してしまう重大性から考えて、仮に担当判事が自己判断に自信があるならば、なおさら上級審のお墨付き判断を早く得るために本案判決手続を進めるべきだったように思われます。
申し立てがあっても、緊急性の疎明が足りないとして却下して本案訴訟の結果を待てば良い(大津地裁に場合本案訴訟も同じ裁判長ですから同じ結果を(進行を急ぐならば、証人尋問をしたとしても数ヶ月つ遅れ程度で出せた筈です)ことを何故すぐに上訴出来ない仮処分手続でやったかの疑問です。
尤も仮処分申請を選ぶのは申請人ですが、仮処分でやる緊急性を認めなければ自然に本案訴訟が始まりますから実際の終局的な方針決定権を裁判所が握っていたことを書いています。
もしもマトモな疎明資料が出ていないのに裁判官の主観(いわゆる心象風景で)で危険だと認定していたとすれば、私的意見を実現するために裁判権を利用したことになります。
テロ被害について16年3月31日に少し書きましたが、テロ等は社会秩序を出来るだけ長く麻痺させるのが目的です。
裁判官の主観で判断したとすれば、上級審で破棄されるのを予想出来た上で決定したことになりますが、何のために破棄されるのを承知で決定したのでしょうか?
その期間だけでも時間稼ぎ・・経済活動を麻痺させようとしたとは思えませんが・・。
ちなみに裁判官が「良心」に従い判断すべき「正義」とは16年3月31日に書いたように、個人的主観による正義ではなく,集積された判例・学説の蓄積によって導き出される予定(・・自分の考えが上級審で支持される自信に裏打ちされた)価値判断あるいは従来判例では矛盾があって変更すべき合理性のある場合です。
無茶をしない・・内部基準に従う前提で飛行機パイロットやクルマの免許があり,警察や軍人に武器携行が許されていますが、いずれも業務上決まった基準に従い個人的利用基準で使用しない信頼で成り立っています。
裁判官良心と言うと崇高なイメージですが、いろんな専門職が増えて来ると各業務ごとに要請される業務上スピリッツ+注意義務の一態様と言えるでしょう。
仮処分制度は、即効性がある分裁判官の良心を濫用する人が出るリスクもありますが、安易に仮処分を認めない・・事案の性質を見極めて慎重に運用する・・裁判官一人の判断で国政の根幹を揺るがすような決定を出来る権限があるのは、裁判官が「良心」に従う=権限を乱用しないだろう」と言う高度な信用で成り立っていました。
大津地裁の決定が日経新聞で「心象風景」で書いたのではないかと紹介されていますが、(私は決定文を知らないので)これをテロ的決定であると書いているのではありません・・ここでは一般論です。

仮処分の必要性1(立証・疎明責任2)

民意を経ていない司法権がどこまで政治に口出しすべきかのテーマを16年3月から書いている内に大分話がズレました。
トランプ大統領令の司法審査が政治的過ぎるかが話題になったので、この機会に仮処分の法的整理に戻ります。
最近?では、16年11月8日「政策決定と司法の拒否権・・仮処分4」〜16年11月12日の「司法権の限界16・謙抑性4(民主主義の基礎1)の続きになります。
立証責任としては、March 14, 2016,「仮処分制度と領域設定3(主張立証責任1)」で書き始めていたのですが、いろいろ間に挟まった結果この部分が残っていましたのでこここで取り出したものです。
お手数ですが、3月に戻ってお読み戴ければ話が繋がります。
高浜原発停止仮処分の正当性は政治的立場による感情論ではなく、主張・立証責任がどちらにあるか・どの程度で疎明出来たと言えるかになります。
危険性の程度・・損害がどのくらいになるかの判断や緊急性の認定は操業停止命令の仮処分をするか否かの重要要件であることを16年3月26日に保全法の条文を引いて紹介しました。
トランプ氏の入国禁止命令についても連邦高裁で同様の基準で審査されている様子であることを17年2月12日に紹介しました。
稼働停止仮処分の必要性は申し立て人が疎明しなけばならないことになっています。
民事保全法
(平成元年十二月二十二日法律第九十一号)第十三条  保全命令の申立ては、その趣旨並びに保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性を明らかにして、これをしなければならない。
2  保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性は、疎明しなければならない。
疎明とは、立証に至らない程度・・心証形成の程度を言う専門用語ですが、ここではいずれが疎明責任があるかの議論ですから、ここでは厳密な意味ではなく一般用語としての立証責任として書いて行きますのでご理解して下さい。
福井地裁で否定された高浜原発の仮処分が、同じ原発でもっと遠い(被害の少ない)隣の県の大津の裁判で認められたのを意外に思った方が多いでしょう。
危険性が福井県よりも大津の方高い?というのではなく、裁判官によって危険性の捉え方が違うと言うことでしょう。
放射能濃度許容基準を厳しく設定し風向きや風力がいろいろあるとすれば、大阪、京都でも危険性が高いと言えますので、どこの裁判所でも裁判出来る理屈です・・そこでこれを多め・・過大に主張する政治勢力が出て来ます。
原発事故発生可能性の蓋然率や危険性の程度(放射能被害をどう認定するか)いつ発生するかの認定次第で仮処分の必要性があるかの法的判断が決まります。
たとえば、福島原発被害を起こす程度の大地震+津波発生が、1000〜800年に1回の確率とした場合、この確率論だけでは地震発生時期がいつかさっぱり分りません。
仮に1000年に1回の年が10年後であれば本裁判を待てない緊急性・仮処分をする必要がありませんので、仮処分を命じることは出来ません。
1000〜800年に1回の地震が仮に来年起きると認定出来る場合には、数年かかる本案訴訟の結果を待てない緊急性があるので、(取り返しのつかない被害発生があるとすれば、その認定も必要ですが)仮処分が必要です。
アメリカの入国禁止大統領令の妥当性に関するテロ発生確率と入国禁止されることによる損害の比較・・思考過程とほぼ同じです。
大津地裁の仮処分決定は、決定内容が今のところ不明ですが、(この原稿は決定が出た直後に書いたので・・今はどこかに出ているかも知れません)停止の仮処分をしたと言うことは、数年以上かかる本案訴訟を待てないほどの緊急性と取り返しのつかない甚大な被害があると言う認定判断をしていることになります。
これまでのシリーズ連載で書いたと思いますが本案訴訟の場合には、高浜原発が規制基準不適合の認定だけで許可取り消しその他の判断に入りますが、仮処分の場合には違法だけでは足りずに、本案判決の許可取り消しを待てないほどの緊急性の認定が必要です。
ところで現在科学ではいつ地震が来るとは分らない・・予知不能を前提に1000年〜800年に1回の地震に堪えられるように新しい規制基準を作ったと報道されていたように思いますが、ソモソモ、高浜原発用地に限って、数年待てないほどの切迫性があると認定するにはどう言う証拠で認定出来たのか疑問です。
あるいは新規制基準が生温くて危険だと言う判断の場合、危険か否かの立証(疎明)責任がどちらにあるかの問題がある点では、地震発生時期に関する場合と同様です。
ここで専門的ですが立証責任の観念が出て来ます。
「数年内に発生しない」証明(正確には疎明)責任が業者にあるのか「数年内に起きる証明(疎明)責任が停止を求める方にあるのか」のテーマです。
あるいは規制が基準緩くて危険だ・・危険ではないと言う証明(疎明)責任がどちらにあるのか?
被害甚大の証明(疎明)はどちらがするのか?
一般に訴訟について「ない」証明は不可能・・悪魔の証明と言われているように、「ない」証明を求めるのでは、裁判前から結論が決まっていることになり裁判ではありません。
刑事事件で無罪の推定があるのは、(何でも人権に結びつける傾向がありますが・・)人権保障と言うよりは、「自分はやっていない」と言う「ない」証明が不可能だからです。
「ない」立証責任が業者にあるとした場合、原発に限らず全ての産業分野で(クルマでも飛行機でも工場でも)100%の安全を保障出来る産業はありませんので、事前禁止・差し止め仮処分が全ての分野で可能になって日本社会が死滅します。
16年3月14日に「立証責任1」で書いたようにクルマ運転の危険性皆無の立証は不能ですし、公害も、労災事故発生可能性も,宇宙ロケット事業も失敗可能性・・大津市に失敗したロケットが「落ちることはない」と証明出来ません・・新規薬品の副作用も100%ないことの立証は不可能です。
ある程度の事故率があっても全て走りながら修正して行く・・運用の中で不具合を修正して行くのが自由主義社会のルールです。
その過程で実害が起きた場合の事後補償・・この場合どちらかと言えば実際に被っている被害者救済の視点から、大は小を兼ねる運用が合理的ですが、事故前の業務停止命令になると反対側の損害が巨大過ぎてこの発想に無理が出ることを書いてきました。
表現の自由に関しては、事前検閲の有害性が普通に知られています。
そこで民事保全法では、冒頭に紹介したとおり原則として疎明責任が申立人にあることを前提とした上で、緊急性があるので、疎明で足りるとしたものです。
そこで、大津地裁は一定の段階で危険性・・あるいは数年内に地震が起きる可能性の疎明があったと認定して反証責任を業者に転嫁したと(判決書きを見ていないので推測)思われます。
しかし、現在科学では数年内に東北大震災級の大地震があるか、10年以上先か推定出来るほどの科学根拠があり得ないのが一般常識ですから、申立人が数年内に大地震が来ると言うコトをどんな証拠で疎明出来たのか理解不能です。
ある程度の危険発生確率を明らかにしないでも事業者が危険性がないと証明しない限り中止を命じられるとすれば、飛行機もクルマも、事故の危険性が絶対にないと証明(疎明)出来ない限り、使用禁止に出来る理屈です。
いつ大地震があるか分らないと言う理屈だけで、上記クルマや飛行とと違って原発だけ操業停止を命じられるのでしょうか?
原発の場合、万一事故が起きると損害が巨大であるからと言うのでしょうが、それは政治の場で決めるべきことであって、保全法を紹介したように損害だけで命令出来ると法には書いていない・・「疎明」がない限り司法が損害の大きさだけで決める権利はありません。
これは、一定リスクを前提にロケットが(失敗して大津市に落ちないと言う証明・疎明は出来ませんが・・)や航空機の飛行を認めるか医薬品開発などするかどうかは政治・・民意で決めるべきことだからです。
原発の新規制基準では危険過ぎるかどうかを司法権が認定出来るのかもテーマですが、ここでは、立証(疎明)責任で先ず考えています。
仮に立証責任の転換理論を持って来たとしても立証(疎明)責任を転換出来るほどの証拠が現在科学ではある筈がないので、(大地震が発生がいつか分らないと言う程度では疎明したことにならないでしょう)そこに無理な(経験則に反する)認定があった可能性があります。
16年3月27日のコラムで日経新聞の「春秋」欄を紹介したように、証拠の足りない分を「心象風景」で補った可能性を疑っている人が多いでしょう。
ここで言う「心証風景とは洪水的マスコミに洗脳にされたか政治的過ぎる判断をしたかの疑義の婉曲的表現です。

PC2・死刑廃止論と現場射殺横行

PC(政治的禁句)からパチンコ依存症に話題が飛びましたが、アメリカ庶民にとっては世界の指導者ぶって格好つけるのは疲れた・・自己レベルに応じて生きる方が気楽です。
肩肘の張る式典から家に帰って、くつろぎたくなるような気持ちも分ります。
普段着用のルールを作った方が庶民の身の丈にあっていて、みんな守り易くなるでしょう。
きれいごとに付き合い切れなくなった庶民の不満が、トランプ旋風の背景であり西欧の右翼台頭の原因だと言う意見もあります。
行き過ぎたPCに対する庶民のストレス発散をトランプ氏が権力を背景にやっているのが、大統領令濫発?の背景のように見えます。
アメリカの民度レベルにあったルールが仮りに50点前後とした場合、世界の指導者として振る舞うために80点の行儀作法で振る舞っていたとすれば、その間のギャップの大きさに庶民が疲れてしまいます。
アメリカの犯罪の多さは有名ですが、現場射殺も以下のとおりです。
日本では介護疲れや家庭内のもつれなども含めて、年間殺人事件は3〜400人ですが、アメリカでは警官に殺される人だけでhttp://blogos.com/article/183840記事の題名によると以下のとおり1000人(ただしデータ根拠不明)です。
2016年07月18日 11:21
「年間1000人が警官に殺される米国 「銃を持つ権利」と市民と警察の間の溝」
ところでアメリカの年間殺人事件数は何人でしょうか?
http://www.globalnote.jp/p-cotime/?dno=1200&c_code=840&post_no=1697.htmlによると以下のとおりです。
米国(United States) > 殺人発生率
単位 : 件/10万人 出典・参照:UNODC データ更新日:2016年8月3日
2013年 3、86
とあり、アメリカの人口はウイキペデイアによれば11年現在で約3億1千万ですから、3、86×3100=11966で年間約2万人殺されている計算です。
※日本の場合http://nenji-toukei.com/n/kiji/10042によると2012 (平24)383人です。
一人で銃乱射する人がいますので被害者の数より犯人の方が大幅に少ない筈ですが、検索に出ないので実数は不明ですが、アメリカの年間死刑執行数をウイキペデイアで見ると以下のとおりです。
「テキサス州では、全米のほかの州では死刑執行が減少傾向にあるため、2007年には全米で執行された42人のうち26人が同州であり全米の3分の2が執行されていた。」
全米で現場射殺が1000人で死刑執行が僅か42人と言うのですから、銃乱射事件など死刑になりそうな多くの事件は現場射殺で処理してしまう様子・・現場射殺の異常な数値に驚くべきです。
手厚い法的保護をいやがって?、実際には年間1000人も現場で射殺しているこの格差こそが実際の民度を表しています。
こう言う実態を前提にするとトランプ氏がフィリッピン大統領の射殺励行に賛意を示すのは国民意識・実態にあっています。
http://www.sankei.com/world/news/160803/wor1608030037-n1.html
就任から1カ月が過ぎたフィリピンのドゥテルテ大統領が、公約に掲げた「治安改善」をめぐり強権姿勢をあらわにしている。警察が400人を超える違法薬物の容疑者を現場で射殺。」
1ヶ月で400人ですから大変な数です・・1000人を越えたと言う報道を見た記憶です。
http://www.cnn.co.jp/world/35093161.html
(CNN) フィリピンのドゥテルテ大統領は3日、米国のドナルド・トランプ次期大統領がドゥテルテ氏が国内で進める強硬的な麻薬対策に触れ、正当な対応策として評価している考えを示したと述べた。」
※ただしトランプ側では公式にこの発言を記載していないそうです。
日本で死刑執行は年間10人前後しかなく、現場で警官が拳銃を発砲しただけで、大騒ぎですから、警察官に射殺される人は(浅間山荘事件などの特殊事件を除いて)40〜50年に一人もいないでしょう。
フィリッピンでもフランスでも現場でドシドシ射殺していれば死刑執行は少なくてすむ・・必要がないかも知れません。
事件ごとに、現場で射殺される映像などがニュースが流れますが、フランスその他先進国では年間現場射殺の統計を取っていないか、仮に内部でとっていても公表していないようですから実数は闇の中です。
統計さえ取らなければ、あるいは公表さえしなければゼロと言うインチキ?きれいごと社会のようです。
死刑廃止を宣言し現場射殺差を奨励しないまでも黙認していて、文化国家気取りでいる状態をフィリッピン大統領やトランプ氏が本音で公式に言い出した違いです。
ちなみにフィリッピンは死刑廃止国です。
http://www.bbc.com/japanese/36299631
「フィリピンの次期大統領に当選したロドリゴ・ドゥテルテ氏(71)は15日、市長を務めるダバオ市で記者会見し、死刑制度を復活させると公約した。さらに、治安維持部隊には逮捕に抵抗する容疑者などについて射殺目的の発砲を許可すると述べた。フィリピンは2006年に死刑を廃止している。」
文化人、日弁連はこの違いを無視して、死刑制度を維持している日本は遅れていると批判しています。
何回も書いて来ましたが、日本は欧米のような革命がなくとも古代から下々の気持を重視して来ましたので、革命がないから遅れているわけではないし、死刑廃止や選挙がいつ始まったかの形式で見ては間違います。
人権運動家の行動基準はPC(決まりきったきれいごと?)・・理念さえ唱えていれば良いとする・・実態無視の形式重視の基本体質が証明されています。
死刑廃止の論拠にえん罪のリスクがあると言いますが、以前書いたとおり(死刑事件の方が捜査も公判審理も慎重ですから懲役刑の方が逆に)懲役刑でもえん罪がありますし、罰金なら後で賠償されれば済みますが、懲役刑でも死刑相当事件の刑は超長期になるのが普通ですから、一生あるいは長期間入れられていると人生の取り返しがつかない点は死刑とほぼ同じです・・逆に死刑は滅多に執行されないのとちがって直ぐ執行される点の方が問題です。
全てミスのない制度はありませんが、仮に同じ人数が国家によって殺されるとした場合でも、現場で人種偏見等に基づいて殺されてしまうよりも、きちんと裁判した結果の方が、なんぼか公正でえん罪リスクが少ないでしょう。
現場射殺の場合仮に本当に有罪としても全部死刑になるような犯罪ではありません・・アメリカで騒動になる事件報道で分るように・・ちょっとした職務質問への対応が悪いと射殺されています・・射殺される事例を見ると射殺の基準が重大犯罪かどうかあるいは嫌疑充分かではなく、警察の正当防衛を基準にするために職務質問等に対する「対応の仕方」のようです。
まして日本では、再審申請中の場合死刑執行しないことに(法務省の運用)でなっている上に、請求棄却されても回数制限なく何回でも再請求出来る結果、死刑がイヤなら永久に引きのばせる仕組みで事実上死刑執行されない運用です。
(だから死刑囚は施行されないまま高齢化していて、獄中死が多くなっていきます)
えん罪リスクを言うならば、全面廃止しなくとも現場で逮捕されるなど実行者性が明らかである場合など優先的執行するような運用で済むことですし、執行されるのは殆ど本人が反省して死刑已むなし(早く死刑執行してくれと言う人?)と自ら思っている人中心となります。
下記の通り再審請求中だけはなく共犯者の公判中も死刑執行しないことになっているので、1昨年頃にオーム真理教事件で逃亡中の犯人が自首して来たのは、仲間の死刑執行を引き延ばす目的だったと噂されていました。
(自分は出頭しても末端役でたいした刑でないときに主犯の死刑執行を先送りするために順番に出て来る戦術も有効です)
刑事訴訟法
第四百七十五条  死刑の執行は、法務大臣の命令による。
○2  前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。
但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

PCの無理1(パチンコは許された賭博か?)

2月4日にPC(政治的正しさ・きれいごと)風潮の限界論を紹介しましたが、きれいごとで貫徹すると却って無法状態が広がります。
今カジノ法で反対論が報道されていますが、元々国民の射幸性を完全に禁遏できないことを前提に政府・自治体管理下である程度の息抜きを許すために競輪競馬や競艇等が公的管理のもとで認められて来たもの・・それ以外は刑法犯です。
売春防止法も売春自体の完全禁止が難しいので管理売春など違法性の高いものを禁止する方法です。
現在パチンコによるギャンブル依存症が社会問題になっていますが、敗戦直後には公営管理の必要がない・・ギャンブル性が低い・・(当時バラック程度の家で、手動式でしたし、当たったよと言ってキャラメルなど持って帰って来る程度が普通)あったとしてもそれほどの射幸性がないので個人的遊びの程度を出ないと言うことで刑事罰に当たるほどではないと判断したように思えます。
世上言われるように賭け麻雀等でもその場のラーメン代を負けた方が持つ程度・・あるいはちょっとした集会でくじやビンゴなどで当たった人に景品を贈呈するなど・・は理論的には賭博としても習慣性リスクが低く主催側も業としていないこともあって、処罰する程の違法性がないと言う範疇のものが一杯あります。
ここにはある程度のお目こぼしの必要性と言うか、緩みの必要意識もあったでしょう。
ところが、刑事処罰の対象にしていなかったパチンコが、社会問題になるほどのギャンブル依存症を招いていると言うことは、個人的なちょっとした遊びの枠を越えている・・まして年間何十兆円もの巨大な売り上げを誇る業として成立するようになると取り締まるべきレッキとした賭博行為の仲間入りをしていることになるのではないでしょうか?
管理売春処罰や賭博も胴元処罰が厳しいように、営利目的が入るか否かは重要な指標です。
およそ刑罰その他規制取締の必要性を考えると、賭博や麻薬・春画・サドマゾその他の趣味嗜好あるいは風説・新興宗教・法輪功?も、個々人の限定趣味に留まっていて社会害悪が少ない場合には刑事罰で取り締まる必要がないのですが、一般に広がり過ぎて社会害悪になってくると取締対象になって来るのが普通です。
道路に痰を吐き、ゴミを捨てる人が10万人に1人なら「困ったヤツだ」と思っている程度でいいでしょうが、100人に一人の率でこれを始めると何らかのキャンペインヤポイ棄て禁止条例などが必要になります。
このような規制の歴史を前提にするとパチンコ依存症がこれほど騒がれているのに、パチンコ依存症対策やパチンコ規制の検討が進まないのは異常です。
パチンコのギャンブル性が終戦直後より緩くなっているのかどうかで言うと、その頃土間に立ちっぱなしが普通・・ある程度やっている人の話では、腰が痛くなって続かないとか親指で弾くので、親指が痛くてね!すぐにやれなくなると言うのが昭和40年代頃までのその道の通の説明でした。
50年代始め頃にどこかの駅で列車待ちの時間に知人と付き合いで入ったときには、まだ立ったままでしたが、いつの間にか椅子を置くようになって、長時間でも続けられるようになった外、機械化によって親指の疲れがなくなった頃からは行っていませんが・・・・入り浸りになり易くなっているのが現状です。
その上、社会環境の変化が大きい・・昔許された政治家への寄付が今は政治資金規制法で次第に厳しくなって行くように、友人宅への訪問時に路上駐車が普通であったのが今ではコインパーキングに止めるのが普通になるなど・・社会の許容範囲が変わって来るのは当然です。
戦後直後には粗野な行動が普通だったのが今ではカゲを潜めています。
社会環境の変化とパチンコの業務性強化によって実質違法性が高まったパチンコをギャンブル性低下方向へ規制するか、取り締まる方向へ踏み出すべき時期が来ています。
尤も賭博性緩和のために景品買い取り業者をかませて3者回転方式で外見上パチンコ店自身は、客に直接お金を払わない仕組みにしていますが、こんな見え透いたダミーさえ介在させれば合法になるならば、ヤクザが胴元になっているいろんな賭博も第三者さえ介在させれば良いことになり、この世の中で組織的賭博罪事件はなくなります。
パチンコに限って公安員会・警察のお墨付き・・賭博罪で検挙されないのは変な仕組みです・・。
ソモソモ、国民のために取り締まるべきか否か区別の基準は射幸性の有無と依存症に陥る人が多いかどうか・・社会に与える害悪であって、換金の仕組みを公安委員会の指導?(癒着)とおりに複雑にしているかどうかではありません。
賭博罪の要件を見ておきましょう。
公安員会の許可があれば良いとは書いていません。
政治献金・政治家の圧力で公安委員会が許可しても賭博であれば賭博であり、それが賭博になるかどうかは裁判所が決めることです。
刑法
第二十三章 賭博及び富くじに関する罪
(賭博)
第百八十五条  賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。
(常習賭博及び賭博場開張等図利)
第百八十六条  常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する。
2  賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
(富くじ発売等)
第百八十七条  富くじを発売した者は、二年以下の懲役又は百五十万円以下の罰金に処する。
2  富くじ発売の取次ぎをした者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
3  前二項に規定するもののほか、富くじを授受した者は、二十万円以下の罰金又は科料に処する。
賭博とは何かですが、
09/26/07「文語体から口語体へ(刑法)」のコラムで旧規定を紹介したことがありますが、旧規定を見れば明らかです。
第185条(旧規定)
 偶然の輸贏に関し財物を以て博戯又は賭事を為したる者は、50万円以下の罰金又は科料に処す.
但一時の娯楽に供する物を賭したる者は此限に在らす」
「偶然の輸贏に関し財物を以て」ナスものを言うのであって換金経路に第三者をかませれば「賭博」にならないものではありません。
パチンコ自体が賭博になれば、パチンコ業は賭場開帳図利罪になります。
国民の健全性維持のためには、換金システム複雑化よりは射幸性を煽ってギャンブル依存症に国民を誘引しているかどうかこそが重要です。
何故パチンコ業界だけが優遇されているのか不思議に思う人が多いので、結果的にパチンコ業界の不透明な巨額資金が政治家に裏で流れているのではないかと噂されるようになっています。
パチンコ等賭博関係を取り締まるべき公安関係政治家とパチンコ業界癒着の疑惑です。
http://www.mynewsjapan.com/reports/1758の13日現在の記事によると、
「平沢・菅原・下村・松島氏にパチンコ業界が資金供給、太田国交相には公益法人も献金 衆院東京9~16区」と言う題名が出ています。
平沢氏は警察官官僚出身政治家として知られています。
これだけ依存症が騒がれるようになった以上、イキナリ全面禁止出来ないとしても、コンピューター化の進んでいるパチンコ業界では、サラ金規制同様に一人当たり業界全体の利用金額(年間・月間・日限など)の上限規制などやる気になれば可能ですから、出来ることから規制して行くべきです。
そうすれば生活費・生活保護費を大半つぎ込むようなことも防げます。

民族の正義→外国人の政治活動2

日本人が外国の思想や商慣習等を紹介して民族意識の変革を試みるのは、国家発展に必要なことであり当然許された行為ですが、民族の共通価値観を外国人が自国主張に従わせるために、他国の国論を変えて行こうとしてそのクニで政治運動をするのは邪道でしょう。
まして日中韓で厳しく対立している南京虐殺や安婦問題等で中韓の主張を後押しするためのデモを日本でするのは論外です。
在日中国人が反日デモ行動した事実は、彼らが更新許可申請したとき、あるいは再入国許可申請したときには日本政府は国際ルールである相互主義も勘案して、(中国は政府基本方針に反する政治活動の自由を自国民にすら認めていないし、ましてや日本人に認めていません)裁量権の範囲内として毅然とした態度を示すべきでしょう。
中国人のデモ参加者は在留許可更新拒否を恐れて?ほぼ全員がマスク等で顔を覆って・・デモを始めると横断幕をぐるっとデモ隊の周囲に掲げて参加者の顔が道路から見えないように終始覆って参加していました。
彼らは日本人が気に入らないことを自覚してやっている・・嫌がらせのためにデモしていたのでしょうか。
相手に悪感情を抱いていても相手に知られないようにするのが普通・だから陰口で本音が漏れるのですが、韓国や中国は日本に嫌われるため明からさまな行動をする変なクニです。
昨日紹介した憲法学者の論文の内「入国の自由」に対する主権国家論については、トランプ氏の入国禁止令の根拠にもなっている点は、2月4日に紹介しました。
アメリカの入国禁止令に関する訴訟関係(・・請求側の主張自体が全く報道されないこともあって)の報道が散発的でよく分らないままでしたが、日々実態が明らかになって来ています。
2月11日日経朝刊報道によると、高裁の決定?では差し止めの可否に関する判断だけであって大統領令が違憲か否かがテーマになっていないような解説です。
入国禁止によってどう言う被害が出ているか・緊急差し止めが必要かどうかの攻防であったと言うのですが、企業がどれだけ困っているか・・政治効果の是非そのものを司法が最終決定出来るのでは三権分立の原理に反している可能性があります。
トランプ氏の「司法が政治的過ぎる」との批判が、三権分立の原理を無視した行き過ぎで非常識と言うのがマスコミの大きな報道姿勢ですが、現在の司法審査が政治が決めるべき分野を審査しているとすれば、トランプ氏主張の方が合理的印象をうけます。
ただ、昨日紹介したマクリーン判決の応用として入国禁止判断裁量権が行政府にあるとしても、判断材料となった政治活動をしたか否かの事実認定は司法審査の対象ですから、この法理を当てはめるとトランプ政権が緊急に入国禁止しなければならないと判断した前提事実・・その前提たるテロ発生リスクがあるとする判断資料の有無等の事実認定は司法審査の対象です。
我が国でも司法が政治に口出し過ぎていると言う批判がありますので、原発稼働停止に関する大津地裁の仮処分に関連して16年11月12日の「司法権の限界16・謙抑性4(民主主義の基礎1)まで書いていたところですが・・具体的審査次第・・立証責任に即してどうだったのかの検証・・私なりの解釈に入りかけて横道にそれていますので、近日中にこの続きとして割り込ませる予定です。
ただし、日本の場合大統領令のような制度がなく、行政権が法を変えられないので法の適用の有効性がテーマですからこの種議論が妥当しますが、アメリカの場合後から出来た大統領令が既存法に優先するとした場合、憲法に外国人の入国自由を書いていないとすれば、既存法の解釈で入国禁止の必要性を審査出来ない筈です。
報道による限り一般的な裁量の違法適法の判断を争っているように見えるので、もしかしたらアメリカ合衆国憲法に外国人にも入国の自由権みたいな規定があって例外的に国防上その他の自由があるときだけ制限出来ると言う憲法上の権利があるのかも知れません。
あるいは大統領令が法と同等の効力がある(ウイキペデイア解説なので正確性が不明)としても、一種の戒厳令みたいな緊急事態に備えてそう言う権能が認められているだけとすれば、緊急性がなければ無効と言う解釈もあり得ます。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaokanozomu/20170210-00067544/トランプの研究(6):控訴裁判所での大統領令を巡る訴訟でトランプ大統領敗北、トランプ政権に大きな打撃
によると高裁の仕組みなど詳しく紹介されています。
また口頭弁論のやり取りの要約?の外「判決全文」として紹介されていますが、憲法のどの条項に反するか、大統領令の法的値位置づけなど法律家として関心のある点が漏れていますから「全文」ではないように見えます。
ただし、大統領令は仮に憲法で禁止している宗教差別に当たるかどうか、その有無認定のために・7カ国出身者のテロ行為が過去にあったのかなどがテーマになったとすれば、審査対象にした(政治判断分野ではない)合理性がありそうです。
憲法による外国人の入国権があるのか、緊急事態外には大統領令の効力がないのか等はっきりしないままですが、緊急性があれば憲法で許される範囲あるいは緊急事態がないと入国制限が出来ないことになりますので、その前提で念のため現在(報道による限り)行なわれているらしい訴訟の争点・・裁量の許される範囲の議論を書いておきます。
新たな入国基準策定までの臨時処置として6ヶ月間入国禁止すると言う大統領令の有効性判断には、7カ国の人に対して従来どおりの入国基準による入国を禁止しないとテロ発生リスクが高い・・差し迫った危険があると言う・・ある程度の証明が必要になります。
このリスク発生率が低いと禁止による損害とのバランス次第で行政権に認められた裁量を逸脱していることになります。
大きな被害防止のためにより小さな被害発生を我慢する・・ワクチン接種や崖崩れの危険があるときの規制など)のが物事の原則(比例の原則)です。
大きな被害発生の可能性が高い場合に、警察が緊急通行止めをするのは(迂回しなければならない損害があっても)合理的ですし、裁量の逸脱となりませんが、何ら危険もないのに(警察のスケート大会などに利用したいために?)何かしたいために通行止めにしたとすれば、裁量権の乱用です。
公的目的であっても、必要性の程度に応じて通行止めが裁量の乱用かどうかが決って来ます。
今回は入国禁止するほどの必要性があったかどうかです。
指紋押捺を求める程度の厳重化程度だとこれによる弊害は少ないでしょうから弊害よりはそれによる実効性がどう代わるのかが論点でしょうが、特定国人全面入国禁止→宗教差別・弊害がすぐに分るので、余程リスク発生率の高さを証明しない限り、禁止令維持は苦しくなります。
上記のように順に争点整理・・分析して行くと、政府側に直ちに入国禁止しなければならないような緊急性・リスクの証明力が薄い場合には、緊急事態実行による損害の大きさが重要になって来る・・「悪影響の大きさに比べて・」そんなことまでする必要があるの?と言う意味で入国禁止の影響の大きさが重要な争点になって来たことになります。
本来の争点は危険発生可能性だったのですが、これの証明度が低いために禁止による兵弊害がどのくらいあるかが次の争点になって来たとすれば、政治問題を司法が論じていることにはなりません。
そうとすれば、政治的過ぎと言うトランプ氏の批判は、逆に司法権への介入批判となるのでしょう。
日本では政府に不利な判決が出ても、司法の判断を尊重すると繰り返すのは判決内容の分析によって意味が違って来るリスクがあるので、政治家は発言に慎重です。
南京事件に関する中国人デモに戻します。
日本人の場合でも南京事件に関する認識がホテルオーナーと違うならば、自分も相応の表現活動すれば良いことで、大勢で押し掛けて相手を黙らせるような示威運動をするのは表現の自由に反するルール違反ですし、まして中国人が自国政府主張を通すためによその国に来て政治運動するのは礼儀にも反しています。
留学生や研修生等が留学先の政治に反対して政治運動するのは、他社へ研修目的で派遣された社員が研修見習い先の企業運営に反対運動するようなものです。
間違っていると思うならばそんな研修を受けるために来なければ良いことです。
日本批判するためのデモをするような人を、政府補助金で留学させているとすれば、おかしなものです。
大分前に書きましたが、北京五輪時に長野で、反チベットデモのため中国人が5000人規模でバスで集まって傍若無人に振る舞った報道を見て驚きましたが、今回はユーチューブの映像を見るとさすがに日本で嫌中韓意識が高まっている中ですので、遠慮ガチと言うかコソコソとした伏し目がちのデモでした。
中国政府の強制で、断り切れない立場の人だけが集められたのでしょうが、可哀相な雰囲気でした。
ただし、可哀相とばかり言ってられない・・やってしまったことに対しては相応のマイナス報酬・・在留許可更新不許可や再入国拒否などの影響を受けるべきでしょう。
そうしないとドンドン反日デモ・反日運動するために中国政府の意を受けて入国して来る外国人が日本ではびこってしまいます。
正義の行なわれているクニかどうかに戻ります。
フィリッピンのドウテルテ大統領就任後「犯罪者を容赦なく射殺しろ」と言う政治実行で国際人権運動家を刺激していましたが,犯罪者がゴロゴロいる社会では、犯罪者の人権と被害者とどちらが大切かと言う限界状況で判断すべきです。
一種の社会的正当防衛状況では、人権保障手続きでは間に合わないから、「話し合いより実力行使あるのみ」と言うのも一理あります。
殺されても後で裁判してやるから安心しろと言われても困るので、自己防衛しかなくなります・・これがアメリカで銃規制出来ない理由です。
大分前に死刑廃止のクニでは、現場射殺が多いと書いたことがあります。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。