違法収集証拠の証拠能力4(近代法原理の見直し)

立法政策の問題と言って、いつ出来るか不明の立法化されるまで捜査をさせない方に軸足を置きながら・・立法問題であるからとしてしまえば、後は政治家の分野であって実務界での活発な限界論の議論が出来なくなります。
法制定後絶え間なく社会が変わって行く・立法はいつも後追い的性格を持っているので日進月歩の実務の必要性に間に合わない分を法に違反しない限度で工夫して立法の先がけ・準備をして行くのが判例学説の重要な役割ではないでしょうか?
民法で言えば、根抵当権は判例法認められて来て事例集積が進んでから、昭和50年代頃に民法に明文で整備されましたし、仮登記担保法も同様です。
これは立法や憲法改正で解決すべきだと放り投げるのは余程の場合に限るべきでしょう。
(憲法改正が殆ど不可能な制度になっていることを昨日書きましたが、簡単に改正出来る仕組みになっていません・・)
法がない限り認めるべきでない・・法制定を待つと言う言い方は一見法治主義の原理に合っているような言い回しですが、新しいことに何でも反対するスタンスになり兼ねません。
今流行の民泊解禁議論も、法が出来る前に新しい業態挑戦が増えて、「公認してルール化する方が良い」と言う議論が始まっている・法はいつも後追いであり、法がないから何もしないと言うのでは、社会が停滞してしまいます。
最判のケ−スは刑事処罰事件なので一見法がなければ処罰出来ない・罪刑法定主義に則っているかのような印象ですがそれは違います。
どう言うものを証拠に出来るかは法律用語で「証拠能力」と言いますが、違法収集証拠排除の法理は、判例法で決まって来たことであって法(国会・民意)で決めたことではありませんし、ソモソモ手続法は罪刑法定主義の原理とは関係がありません。
罪刑法定主義は、文字どおり「罪と刑を事前に明示しておくべき」と言うだけであって、犯罪時前に決めた手続法に拘束される原理ではありません。
証拠能力は訴訟手続に関する法ルールであって、犯罪時以降に訴訟手続法が変わっても、変わった手続で裁判すること自体罪刑法定主義に違反するわけがない・・関係がありません。
まして、刑事訴訟法で決まっている証拠能力の規定は、自白法則と伝聞証拠排除原則だけであり、「違法に収集した証拠は証拠として採用出来ない」と言う違法収集証拠能力否定の法規定すらありません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/
「違法収集証拠排除法則(いほうしゅうしゅうしょうこはいじょほうそく)とは、証拠の収集手続が違法であったとき、公判手続上の事実認定においてその証拠能力を否定する刑事訴訟上の法理である。排除法則とも呼ばれる(以下、排除法則と表す)。
供述証拠に関しては強制等による自白の証拠能力を否定する規定(日本国憲法第38条2項 、刑事訴訟法319条1項)がある。これに対して違法に収集された非供述証拠の証拠能力に関する明文規定はなく、排除法則は判例によって採用されたものである。なお、上記の憲法38条2項及び刑事訴訟法319条1項を排除法則の特別規定とする見解も主張されている。」
「学説上は排除法則の根拠としてはこれまで主として規範説・司法の廉潔性説・抑止効説の3つの説が唱えられてきた。」
法がGPS捜査を認めていないのではなく、法は拷問等の強制を除いて捜査手法によって証拠能力を認めないようなことを想定していないのです。
違法収集証拠排除原理は法に書いていないのですから、軽微な違法の場合には証拠能力を認めると言う例外も書いていないのは当然です。
最高裁が、憲法の精神?で憲法明文に規定のないプライバシーを「侵害しうる」と言う理由で令状の必要性を認定したのは、GPS操作方法は令状がない限り違法収集証拠であると言うところまでであって、違法であっても証拠排除の例外にあたるかどうかを更に検討する必要があったのに、これをしないで終わりにしました。
検討に値しないと言うこと・例外を認める場合ではないと言う意味でしょうが・・。
どんな軽微な違法でも例外なしに証拠価値を認めないと言うのは、考古学資料が出たときにトキの発掘関連法令・・届け出義務違反あるいは隣地所有者の同意書に瑕疵があったなど・・いろんな手続の一部に違反して発掘されたものであるから価値がないと言えるのか?と言うのと似ていませんか?
違法行為があれば、先ずはこれを理由に別に違法行為者を処罰すれば良いことであって処罰だけでは違法行為が禁遏出来ないときに、政策的に証拠能力も減殺すると言う関係ではないでしょうか?
証拠自体に証明力がないのではなく、他の目的達成のための政策的判断結果です。
本当は英語や数学と全ての分野で成績がいいのに、身分が低いから合格できないのと似ています。
4月3日終わりの方に書いたように女性や黒人あるいは障碍者の社会産科を促すために保護のためのクオーター性など、特別保護すべき場合は例外ですが、そう言う特殊な事情がない限り、試験する以上は試験結果で決める・・スポーツでも何でもそのもので勝負し、身内かどうかでなどその他の要素で点数を変えてしまうのは邪道です。
ソモソモ令状主義が出来た時代には、容疑者が令状を示されたときには取り囲まれていて逃げられない・・あるいは家宅捜索や身体検査の場合、証拠隠滅しきれないのが原則だったから成り立っていたのです。
(警察が踏み込んで来ると覚醒剤などをトイレなどに流したり急いでどこかに隠すなどが普通ですが、それでも微量の粉末が容器に残る・・このせめぎ合いでした。)
ここで(思いつきコラムの特徴でご容赦下さい)方向性が変わりますが、ここ何回も書いているように犯罪・テロが起きてからの後追い的証拠収集では間に合わない・・事前情報収集の必要性が高まっている現在どうあるべきかの基本的議論が必要です。
19世紀型法原理・システムは人権擁護のための行き過ぎ?・・犯罪が実行されてからしか捜査も処罰も出来ないシステムですが、刀を振り回すハイジャック事件程度ならば、警官・ガードマンを乗り込ませるなどで(コストさえ気にしなれば)事件発生後でも制圧出来ますが、サリン事件や、爆弾テロ銃乱射などの事件が起きると事件が起きてから証拠収集しての制圧方法では大量被害を防げません。
今や犯人がごく少数でも半端でない被害が起きる・・事件後しか捜査すら出来ないのではどうにもなりませんので、準備行為や事前行為も処罰対象になって来ましたが、これらも定型的方法によらない限り(犯罪方法も日進月歩です)何が準備行為か分り難くなっています。
事後処罰・・実行行為があった場合を前提する現行法体系では、例えば私が学んだ刑法学(団藤説)では実行行為と何かと言う論点では「定型説」でしたが、テロの予防が重要になって来ると定型行為・・数年に1回改訂する定型行為・チェックリストにない行為はいくら怪しいと思っても予めチェック出来ないのでは、新たな方法を考案したテロリストをチェック出来ません・・。
犯行方法は日進月歩・・被害分析して後追い的にチェック方法を改正→チェックシステム設置に要する期間も半端ではありません・・・全国展開には数年単位でも無理があります。
羽田空港の出入チェック機械を2〜3年かけて総入れ替えしても地方空港までは直ぐに行き渡らない・・地方から入って来る客をどうするかなど・・。

違法収集証拠の証拠能力(違法性の程度)3

憲法文言を見れば分るとおり、対象は「「住居,書類及び所持品について侵入,捜索及び押収を・・」であって、「住居」に対応する行為は「侵入と捜索」であり、「書類及び所持品に」に対する行為が「捜索及び押収」であることがか分ります。
対象が限定されているからこれらの侵入捜索には令状事前発布可能なのであり、プライバシいに関係すれば何でも令状がいるとは書いていませんし、そう言う読み方は乱暴過ぎます。
憲法は記載した対象に関してはその程度の規制をしても捜査に影響がないので令状手続を要求したのは合理的です。
ところが、その精神を拡大して「これらに準ずる私的領域に侵入されることのない権利が含まれるものと解するのが相当である」というのは飛躍があります。
しかも最判が続けて令状発布を要するので実務上GPS捜査は用をなさなくなることを認めています・と言うことは不可能を憲法が命じているとわざわざ類推解釈すること自体が法解釈の常道に反していませんか?
実務上不可能なことを憲法であれ法であれ書くわけがないと言う合理的解釈から、憲法9条の「戦力は保持しない」と言う憲法明文でさえ、国家の存立のためにある憲法が国家存亡の危機時に「自衛行為を否定するわけがない」とうことを理由に「自衛戦力を除く」となり、「交戦権を認めない」と言う明文も「自衛戦争は認められる」と言う解釈が定着して来ました。
アメリカは占領軍に対して日本民族が抵抗出来ないように非武装を強制するだけでは飽き足らず、抵抗する権利さえ否定した憲法を強制(欧米植民地支配の常道です)したのですが、日本が独立した以上は論理的には直ぐにこれを廃棄すべきでした。
日本はアメリカの鼻息をうかがうために廃棄することが出来ず、その代わり民族を守る権利がないのは論理矛盾であると言う理由で自衛のため軍を保てるし、交戦権もあると解釈を変えて存続させて来たのです。
同様に社会維持のための憲法である限り、秩序治破壊する犯罪者を処罰出来るのは当然の前提であり、処罰準備のための逮捕拘留も認められていますし捜査も認められ必要に応じて人権が制限される仕組みです。
社会ある限り犯罪に対する処罰・捜査が必須ですから、捜査に不要な人権侵害を出来るだけ規制する不当捜査を牽制するために第三者の目・令状を要件にし、例外的に現行犯や緊急逮捕を認めているのですが、このように捜査の必要性と人権保護のギリギリの選択によって憲法条項は出来ていると見るべきです。
人権擁護のためには社会破壊を抑止検挙するための捜査が出来ないようにするのが憲法の目的ではありません。
まして国家機関の1つである裁判所が、明文の規定もないのに類推拡張までシテ捜査不能を要求するなどは漫画的です。
昨日紹介した憲法明文の令状対象・家宅捜索や身体検査等は、捜査官が取り囲んでから始めるので、その直前に事前提示しても捜査にそれほどの影響がない・・合理的だったし今もそうですが、憲法明文に入っていない・・GPS捜査を何故住宅への強制侵入に類推する必要があるかの疑問の続きです。
最判自体がGPSの事前提示は捜査不能にすると言う趣旨を書いていますので、ソモソモ令状対象に加えると捜査不能になる前提で敢えて類推する無理をシテまで対象に加えたことになります。
捜査不能にシテまで守るべき人権侵害かの吟味こそが必須です。
GPS捜査の有用性は否定出来ないと思われますし、そのために受ける人権侵害がどの程度であるかコソを最判は議論すべきだったのに「侵害しうる」と言う素人みたいな意見で終わりです。
違法収集証拠排除原理は原理であって例外があり得るのでその限界は事例集積に待つ必要から判例法として発達して来たと思われますが、最高裁はこの役割を自ら放棄して・「私的領域を侵害しうる」と言うことから憲法35条の令状が必要として令状なし捜査によった場合、証拠能力がないとして・・乱暴に出してしまった印象です。
憲法判断でもありGPS捜査は令状がいると言う事例判断と言えますが、高裁が具体的に踏み込んで検討しているのに比べて掘り下げが浅くお座なりな印象を受けます。
ここで必要だったのは令状なし捜査をどこまで許容するかの掘り下げた議論だったのに、これを「プライバシー侵害の可能性がある」と言う抽象論で終わらせてしまったように見えます。
プライバシー侵害の可能性だけで令状がいる・・しかも令状を事前に要求していると捜査にならない実態も認定されているのですから、飛躍が過ぎないかの疑問です。
話題が飛びますが、何でも憲法論や立法論にする意見についてここで書いておきます。
憲法を変えるにはもの凄いエネルギーがいる・・普通の法制定作業に比べて時間もかかる上に国会で3分の2以上の議決が必要です。
憲法問題は1点だけではなくいろんな争点があって、仮に10点の争点があればA点には賛成だがB点には反対C点には中立など票読みが複雑で、ギリギリ3分の2以上程度の多数では結果が見え難い・・失敗すると政権が保たない可能性もあるので事実上5分の4程度の多数にならないと前に進められない・・結果的に改憲は無理があります。
8~9割も支持率のある政党など民主国家では有り得ないので、なんでも憲法問題にしてしまえば、新しいことは殆ど何も出来ない・・変化反対勢力の思うままです。
これがわが国で憲法改正が敗戦のとき以外に実施できていない原因です。
立法でも同じで今回の天皇退位問題でも、退位問題に絞らず当初民進党が女系天皇制その他も一括議論すべきとして譲らない姿勢でした・・。
これを議論していたら事実上生前退位問題は時間切れになってしまうのを狙ったか?早くまとめるためには与党が無理難題を飲むしかない状態に追い込む算段だったのでしょう。
・・天皇退位問題は早期決着すべきと言うほぼ100%?の世論の前に、さすがの民進党も引き延ばし不能となって最後は折れましたが・・この抵抗姿勢を見ると多くの国民はまたか!と言う気持ちになったでしょう。
ほぼ100%の世論を前にしてもなお論点を複雑化して先延ばししようとするのが民進党や消滅?した旧社会党の体質を露呈しました。
このように立法化には時間がかかるので「法規制がないから出来る」とするか、「出来ない」とするかはそれ自体が重要な法的判断です。
刑事罰に関する問題だから罪刑法定主義の原理応用・・「立法で解決べき問題であるから、裁判所が先走りして何とも言えない」と言うのは、一見謙抑的に見えますが、実は最高裁が謙虚にチェックしない・・傲慢な態度を表しています。
立法に投げるならば、その前に法の明文なしに決めて来た「違法収集証拠排除判例」自体を無効化すべきことです。
立法を待たずに証拠能力を否定しておきその判例法を維持しながら、その例外・適用範囲を検討しません・・法で決めるべき・・「法に例外規定がないから証拠採用出来ない」と言うのは変な論理です。
法で違法種々証拠の証拠能力否定を書いていない・・判例で否定して来ただけですから、その例外的場合を法に書いていないのは当然です。
判例法理である以上その限界・例外も判例で決めるべき・・そのために最高裁に上がって来た事件だったのではないでしょうか?
最高裁は自分で判断しないで、立法の責任に投げ出しておきながら違法収集証拠排除原理だけ維持しているのですから、結果的に何の法的吟味もしないで「例外を一切認めない」と言う結論だけを出したことになります。
憲法や刑訴の専門家であれば、既に多様な学説論争があり、最判はその内の1つの意見を採用したのであり、くどく説明する必要がないことも当然あり得ます・・ここは、私のような素人・門外漢には論理説明が足りないと言うだけで・・念のため。

違法収集証拠の証拠能力(違法性の程度)2

具体的な違法行為をしていないのに、憲法文言を類推して拡張解釈し、令状なしの捜査をしただけで違法収集と認定し、しかも証拠能力まで結果的に否定したことになります。
一般的に法制定が必要とか憲法改正が必要と言う論法は、何でも反対・・思考停止を求める勢力が多用する方法です。
たとえば、集団・共同防衛が本当に必要と言うならば民意で決めるべき・・必要ならば、憲法を変えてからにすべきだと言うのにも似ています。
現状維持勢力の基本的主張です。
しかし自衛の範囲に同行者・相互防衛関係にあるものが襲われた場合にそのときに反撃に加わるのが共同防衛・・自衛の範囲に含まれるかの緻密な議論を先ずすべきですが、敢えてこの議論を飛ばして短絡的に憲法問題にしているマスコミの姿勢と似ています。
国会や民意に委ねろと言うのは一見正論ですが、物事には法制定に馴染まない分野も一杯あります
たとえば、・・違法収集証拠の排除問題は違法態様にもいろんなバリエーションがあるので、事例集積を図ってどの程度の法違反があれば証拠作用されないかの基準が形成されて行くべき分野・・事前の画一的法制定には向いていません。
最高裁自体も令状なし捜査が許されないとしながらも、どのような令状捜査が可能かは非常に難しいことを書いています・・日進月歩の先端技術開発が進んでいる現在予め具体的に決めて行くのは無理がありそうです。
ソモソモ令状主義が出来た時代には、容疑者が令状を示されたときには取り囲まれていて逃げられない・・あるいは逮捕されてから身体検査令状を示されて逃げられない・家宅捜索や身体検査の場合、証拠隠滅しきれないのが原則だったことを前提に成り立っています。
GPS装着前に令状を示すなどしていたら捜査の実効性がないことは明らかですから、最判が令状なしの捜査が違法と言うのは不可能な要求している・・ 結局GPS捜査禁止と同じ効果があります。
あとは立法の問題として司法権が立法に丸投げすると立法作業期間中捜査の空白が生じてしまいます。
その程度のことはプライバシイ侵害可能性と比較して、仕方がないという価値判断でしょうか?
犯人の受けるプライバシー被害があるとしても(最高裁は「あり得る」と言うだけでどう言うプライバシイ侵害があったかを認定していません・・・可能性だけです)この程度の被害は許容されるかどうかをもっと緻密に掘り下げて議論すべきだったように思われます。
防犯カメラもプライバシイ侵害可能性がありますが・公道に限らずトイレなど・・それでも必要性との兼ね合いで(九州弁連で反対のシンポジュームらしいものを開いていたことを以前紹介しましたが・・)社会的認知を受けています。
防犯カメラは民間が行なう点で捜査とは違うし、不特定多数相手で特定事件があってからチェックするだけで事件がなければ自動消去してく仕組み・特定者を継続的監視する仕組みではないのに対して、GPSは特定のクルマを継続監視する点が違います。
そのうえ利用者は承知の上でトイレ利用するから隠密裏に行なうGPS捜査と大きな違いがあると言うのでしょうが、急にトイレに駆け込みたい場合選択の余地がない点・・一般のスーパー等でも防犯カメラのないトイレを選べないように思いますが・・をどう評価するのでしょうか?
ところで捜査か民間かあるいは事前承諾の有無の判断と侵害の程度判断とは次元が違います。
被害の程度判断過程に承諾の有無や捜査か否かを持ち込むのは議論を混乱させることになります。
先ずそれぞれの次元・・プライバシー侵害程度についてはその次元で判断すべきでしょう。
最判判旨の一部をもう一度引用しますと「個人の行動を継続的,網羅的に把握することを必然的に伴うから,個人のプライバシーを侵害し得るもの・・」となっています。
しかし、GPSクルマ装着の場合個人の洋服につけるのとは違い、実際に誰が乗っていたかも直接的には不明、(・・本件では犯罪集団の内偵でしたが、犯罪集団が利用している場合所有名義人が乗っていることの方が少ない)クルマの移動経路時間帯が分るだけですから、「個人の行動を継続的,網羅的に把握することを必然的に伴う」と言う最判は事実認定が甘過ぎる印象です。
他の情報と合わせると偶然分ることがあるかも知れませんが、GPSから「必然的」に分るものではないでしょう。
4〜50km走った場合、途中の幹線道路設置したところだけで切れ切れに写っている防犯カメラの映像の組み合わせで(窃盗現場が住宅街が普通とすればかなり距離があります)運転する個人が特定出来ることがあると言うならば、その他の情報(傷害犯行現場写真のシャツの端っこの映像で)も「偶然」手に入れたいろんな情報の組み合わせで分る点は同じです。
しかも判決書きによれば私的領域に幅広く侵入・・と言うのですが、私の知っている限りでは(捜査の場合もっと精度が高いかも知れませんが・・)、GPSは50メートル前後しか特定できないことになっているので、ただちに私的領域・誰とデートしているか何をしているかが分るものではありません。
顔写真には周辺景色も写るので1メートル単位の一特定が可能ですが、プライバシー性の濃密さで言えば、プライバシー侵害の深刻度は防犯カメラに比べて低いと言う見方も成り立つでしょう。
防犯カメラには通行人の暗黙の同意があると言っても、防犯カメラは公道や広場等では全て設置されているわけではない・設置されていない場所の方が多いので・・(私の事務所近くの道路などを考えても)具体的にどこにあるかも知らないし、防犯カメラに自分が写っているかを知っている人の方が少ないと思われます。
警察が知りたいのは主に停止時間帯と近隣窃盗被害との関連性程度・・犯行を直接証明出来るわけがないので捜査の端緒にしたい程度ですが、この程度の関連性があるだけ証拠価値ゼロにしなければならないほどのプライバシー侵害になるかについてはもっと掘り下げた議論が必要です。
これをしていないままアンチョコ(最高裁大法廷の認定を一介の市井の弁護士がこのように言うのはおこがましいですが・・)に令状の必要性を認定している印象です。
ところで令状必要性に関する判断も今後の実務を拘束する点で重大な判断であるにも関わらずアンチョコすぎる印象です。
この部分をもう一度引用します。
「(2)憲法35条は,「住居,書類及び所持品について,侵入,捜索及び押収を受けることのない権利」を規定しているところ,この規定の保障対象には,「住居,書類及び所持品」に限らずこれらに準ずる私的領域に「侵入」されることのない権利が含まれるものと解するのが相当である。」
「そうすると・・令状がなければ行うことのできない処分と解すべきである。」
憲法35条二項が判文に出ていないのでついでに35条全部を紹介します。
第三十五条  何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。」
35条に該当すれば、令状がなければ出来ないことになります。
冒頭に書いたとおり、「令状主義」は当時の捜査対象との関係で決まって来た歴史がありますから、令状を要する保護対象をどこまで広げる必要があるかの重要な論点を「侵害しうる」と言う粗雑な認定であっさり決めてしまった判旨はこれを無視しているか気づいていないように見えます。
何回も書くように私は憲法のプロではないので憲法のプロの間では幾多の議論の経緯があって、それを踏まえた判決かも知れませんが・・。

違法収集証拠の証拠能力(違法性の程度)1

違法手段で収集した証拠を排除すべき基準は、違法によって生じた損害の大きさとの利益衡量関係ではないでしょうか?
この辺は刑事訴訟法学者の研究論文が一杯あるのでしょうが、このコラムを書くまで気にしていなかったのでその方向から読んだことがありません。
ですから繰り返しお断りしているとおり素人の思いつき意見です。
GPS装着によって想定される実質的被害があるとしても、拷問禁止のように何が何でも禁止しなければならないような普遍原理と言うべき権利を侵害しているとは言えないように思えます・・。
以下最高裁判決文の一部です。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=86600
平成28(あ)442
事件名 窃盗,建造物侵入,傷害被告事件
裁判年月日 平成29年3月15日法廷名 最高裁判所大法廷
「・・このような捜査手法は,個人の行動を継続的,網羅的に把握することを必然的に伴うから,個人のプライバシーを侵害し得るものであり,また,そのような侵害を可能とする機器を個人の所持品に秘かに装着することによって行う点において,公道上の所在を肉眼で把握したりカメラで撮影したりするような手法とは異なり,公権力による私的領域への侵入を伴うものというべきである。
(2)憲法35条は,「住居,書類及び所持品について,侵入,捜索及び押収を受けることのない権利」を規定しているところ,この規定の保障対象には,「住居,書類及び所持品」に限らずこれらに準ずる私的領域に「侵入」されることのない権利が含まれるものと解するのが相当である。」
「そうすると,前記のとおり,個人のプライバシーの侵害を可能とする機器をその所持品に秘かに装着することによって,合理的に推認される個人の意思に反してその私的領域に侵入する捜査手法であるGPS捜査は,個人の意思を制圧して憲法の保障する重要な法的利益を侵害するものとして,刑訴法上,特別の根拠規定がなければ許容されない強制の処分に当たる(最高裁昭和50年(あ)第146号同51年3月16日第三小法廷決定・刑集30巻2号187頁参照)とともに,一般的令状がなければ行うことのできない処分と解すべきである。」
(3)・・GPS捜査は・・・,裁判官による令状請求の審査を要することとされている趣旨を満たすことができないおそれがある。さらに,GPS捜査は,被疑者らに知られず秘かに行うのでなければ意味がなく,事前の令状呈示を行うことは想定できない。刑訴法上の各種強制の処分については,手続の公正の担保の趣旨から原則として事前の令状呈示が求められており(同法222条1項,110条),他の手段で同趣旨が図られ得るのであれば事前の令状呈示が絶対的な要請であるとは解されないとしても,これに代わる公正の担保の手段が仕組みとして確保されていないのでは,適正手続の保障という観点から問題が残る。・・・・」
「・・一般的には,実施可能期間の限定第三者の立会い,事後の通知等様々なものが考えられるところ,捜査の実効性にも配慮しつつどのような手段を選択するかは,刑訴法197条1項ただし書の趣旨に照らし,第一次的には立法府に委ねられていると解される。」
最高裁の判断は令状なしの装着が違法・・手続不備と言うだけのことですが、これによれば、手続さえ践めばあるいは立法さえ出来ればGPS利用の捜査自体が許されている・・拷問のように何が何でも禁止しなければならない捜査手法ではないことを前提にしています。
手続不備の違法を理由に無罪にして来た判例・・違法収集証拠排除の法理も元はと言えば、政策目的・拷問根絶と言う高度な人権保護思想が背景にあるのですから、どんな軽い違法でもあれば無罪にすると言う法理として形式的適用をするのは(私見によれば)間違いです。
国家が違法行為をして良いのかと言う理論付けも有りますが、矢張り程度問題でしょう。
最高裁はこの点具体的な侵害の有無に触れずに「個人のプライバシーを侵害し得るものであり・・」と侵害可能性を認定するだけで続いて憲法35条の令状主義の精神に反しているので違法=証拠採用出来ないと結論を出しています。
この点では原審・・高裁判断の方が、違法性の程度も検討している点で合理的な感じがします。
(最高裁は高裁が余計な利益衡量をしていると言う立場ですが・・)
最判は法律実務家らしい具体的議論をすべきなのに、これをしないであちこちで粗雑な論理を展開して(憲法論に疎い素人の意見ですのでご容赦下さい)立法論に放り投げてしまった印象です。
(憲法論に素人の私のレベルでは)ワケの分らないプライバシー保護の理念の強調から折角証拠のそろっている犯罪者を無罪にしなければならないほど優先する人権か・・違法性がそんなに高いかの丁寧な議論が必須と思われます。
「立法的措置・・が望ましい」と書いていてそれなりに行き届いた判決のように見えますが・・。
しかし、上記判決文のとおり「侵害しうる」と言うだけで具体的侵害の認定もしないままで、憲法に明文のない「プライバシー侵害があり得る」d家得35条該当・令状主義を持ち出して・令状がないから違法な捜査であると言うだけで違法の程度を詰めないで証拠不採用にしてしまう・もしかして無罪になるのか?の疑問です。
遠くのビルから望遠カメラで室内の様子を探っていたら偶然殺人行為や違法行為を撮影した場合、遠くの高層ビルからの無断撮影はプライバシー侵害の可能性があるが、望遠鏡で覗いても良いとする法がないから違法・無罪にすべきだとなるのでしょうか。
民間人が趣味で覗いていたならば証拠になるが、捜査目的=35条違反・ダメと言う論理が分り難いのです。
内密にやるのと権力による強制的住居への押し入りその他の侵害とは本質的に違う・・違法性が緩い・・その点について緻密な議論が必要だったように思われます。
こっそり盗むのと強制的に金をとるのと犯情が明らかに違うでしょう。
憲法で令状を要求されているの文言カラ明らかなように実力で制圧して行なう「強制」捜査です・・これをはっきり言えば断るに決まっているから強制だと言うのは言葉のすり替えです。
刑法レベルで見れば(住居侵入を伴わない)入浴中の浴室などを覗き見るなどは、軽犯罪法違反程度ですが・・これもはっきり見せろと言えば断る決まっているから強制して女性の裸体を見たのと犯情が同じと言うのでしょうか?
最判は「そのような捜査手法を許容する法がない以上証拠に出来ない」と言う趣旨ですから、GPSによる捜査を認める必要があるならば民意に基づいて立法すれば良い筈・「立法化していない以上は、その間はGPS装着によってえた証拠は証拠として採用出来なくても仕方がない」と言うと一見罪刑法定主義の応用みたいな印象を与えます。
処罰するには予め法で開示しておく・・罪刑法定主義ですが、捜査方法は社会の進歩に従った日進月歩の必要性があるものですから予め捜査方法を法で決めた方法による捜査しか許さない・決めていない方法による捜査は違法となる性質のものではありません。
従ってそもそも前もって法で許可する方法に捜査を限定する性質のものではありません。
罪刑法定主義とは根本が違う・手続を犯罪行為前に決めておかねばならないものではありません。
特に本件では何かの法に反することを積極的にしたのかと言うと最高裁の事件は「プライバシーを侵害しうる」と言うだけですから、多分住居侵入のような具体的違法行為を認定出来なかったように推定されます。

指標操作2と国際信用破壊(片面的ルール適用)

専制支配社会・・中国では相手が自分より強いか弱いかの基準しかなく正義・道徳の規準がないクニですから、対日国内宣伝拡大のみならず、国内言論統制の延長で周辺国が弱いとなれば属国扱いして専制支配を広げようと始めているのが、この4〜5年の中国の態度です。
ところが、中国政府のやり過ぎがあれば、今の国民は一応国外に逃げられるし周辺諸外国も古代社会のように中国だけを相手にする必要がありません。
対中貿易が25%も占めている韓国でさえも、今回の激しい嫌がらせを受けてさすがに古代からの属国気分が薄らいで来たようです。
反日暴動以来「投資先をアジア諸国に分散している日本に習うべし」という論調が広がり早速ベトナム等へ投資先の変更を始めています。
先進諸外国は閉鎖されていた中国が解放すれば、どの程度まで生産性が上がるかを楽しみにして・・将来性を買って投資していたのですが、習近平氏が「中華の栄光復活」を掲げることに象徴されるように近代化に進めるよりは古代社会意識の復活・・折角近代化の入り口に入った途端に生産性向上よりは思想統制が主目的に先祖帰りするのでは、将来性が限定されます。
次々と中国に煮え湯を飲まされるようなクニが増えて来ると、対中国投資は減る一方でしょう。
中国にとっては十分先進技術を取り込んだので後は追い出したいと言うことでしょうが、改革開放政策は先進技術を取り入れるための目くらまし・・韜晦戦術でしかなかったことが分って来ました。
近代社会・・市場経済は商品情報・・財務諸表その他の情報の透明化を前提にしていますので、古代同様の思想・情報統制・・虚偽情報(偽ブランド)であればあるほど権力の威信が高まる自己満足社会を前提にした社会と整合しません。
虚偽を強制出来ることに喜びを感じる社会・・商品性能や産地・数量の虚偽表示を羞じるどころか、これを押し付ける力があることを自慢するような社会では、市場価格と言っても裏で価格統制・操作があっては、(自由な)市場と言う名に値しません。
この矛盾を表しているのが、中国が強弁するところの「社会主義的市場経済」と言うまやかしです。
社会主義市場経済に関する4月2日現在のウイキペデイアの記事からです。
「・・社会主義市場経済として、同年秋の第14回中国共産党党大会に報告された後、1993年に中華人民共和国憲法を改憲した際に盛り込まれ、中国の経済政策における基本方針と位置づけられた。政治的には社会主義、経済的には市場経済」という建前を示すものであるとされる。政治的には一党独裁を堅持しつつ、経済的には市場原理を導入する、という方針は現在に至るまで続いている」
1党独裁=思想の自由がない=思想統制=情報統制=情報は正しくないと言う図式になることについて昨日書いたところです。
正しくない・加工された情報を前提に市場を開いても「市場の声が正しい」ことにはなりません。
思想統制政治は新興国のキャッチアップ中の移行期間として一定期間仕方がないとして、一定の経済発展に応じて徐々に思想統制を緩めて行くことを世界が期待していたのですが、習近平政権になって逆回転が始まりました。
自国民だけの締め付けならばまだしも、外資に対しても恣意的規制をするようなると(グーグルはこの要求を拒否して撤退しました)これではトランプ氏の主張するとおり、世界の自由市場を自国に都合良く利用しながら、相手には自国に対する資本進出や言論の自由等の自由を認めない・・これでは公平なゲームになりません。
小義で言えば相手の持ちコマを開示させて自分の持ちコマを開示しない・一方的ルールを強制しているのが中国です。
中国訪問中の日本人もときどき拘束されて行方不明・・大分経ってからスパイ容疑で拘束中と明らかになることが多くなりました。
自分だけいくら反則しても良いようなやり方・・以前テロの原理を書いたことがありますが、テロリストは体制のちょっとしたミスでも大げさにマスコミを通じて突つき回す・それでいて自分たちは何のルールも守らないでテロを実行するのですから、マトモな勝負にならないやり方です。
中国の権力者は自分はルールなきやり方・・汚職でも何でもやり放題・・国民に対して気に入らない者には汚職等での罪名で好きなように検挙する一方的な関係ですが、これを諸外国にも片面的に押し付けているのです。
相手国の内外平等政策や人権主義を利用しながら、自国ではルールなき外資規制するこの身勝手さにトランプ氏が怒り出したのは当然です。
ところで、最近令状なしにGPSを内密につけていたのは違法とする最高裁判決が出たと報道されていましたが・・。
窃盗集団は自分が違法行為をしていることを棚に上げて、捜査の手法がちょっとでも許されないとその違法を強調して自分の犯した犯罪を免れようとするのは中国のやり方に似ていてどこか変です。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1703/16/news074.html「GPS捜査、令状なしは違法」最高裁判決全文Web公開
「判決では、GPS捜査は「個人のプライバシーを侵害し得る」と指摘し、令状なしだと違法との初判断を示した。ただ、現行法の令状で対応することには「疑義がある」とし、今後GPS捜査を行う場合は「立法的な措置が講じられることが望ましい」としている。」
ニュースでは令状なしの装着は違法と言う見出しですが、最高裁判決を読むとソモソモ令状発布自体が簡単に出せない筈と言う意見も書いていますから、事実上GPS利用捜査は全面的にダメと言わんばかりです。
結果的にGPS装着違法の有無で有罪無罪が決まると言う弁護側の主張はその他有罪証拠がそろっていても無罪にしろと主張しているように見えます。
民主国家においては人権保障の必要性も分りますが、実際にどのような人権が「具体的に」侵害されたのかよく分りません。
何か政府施策に反対するための意見では常に出て来る概念ですが、防犯カメラ反対その他プライバシー権の具体的内容がよく分りません・・要は何かと秘密にしたい権利ですが、犯罪組織の行動把握がどう言うプライバシイを侵害したと言うのかが判決分にも出て来ません。
アメリカで発達した違法収集証拠排除の理論はそれなりに意味がありました。
例えば拷問によって泥を吐いた結果犯罪の証拠が発見出来た場合など、いくら結果が正しくともそれを証拠採用していると拷問がなくならないので、拷問廃絶の政策的配慮のために、結果が正しいかどうかに関わらず違法収集だから証拠に出来ないと言うルールが発達したのはそれなりの歴史的意味があります。
例えば女性や黒人の地位向上を自然の動きに待っているといつまでたっても平等化を実現出来るか不明のために、いろんな分野で社会的弱者優先のクオーター制が発達したのですが、何十年後に実質対等化が実現した場合・・喩えば、黒人と言うだけで優遇するのは逆差別になるでしょう。
このように判例法理も一定の必要があって生まれたものであって、どのように軽微な違法であっても違法である限り証拠に出来ないと言うのは行き過ぎのような感じがします。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。