政党と弁護士会・学者の違い2

日本国民の人権・平和を守るための国防がどうあるべきかが議論になっているときに、現行憲法が唯一正しいと言うべきか、もうちょっと変えた方が良いかの議論はまさに政治論であることは論を俟ちません。
その他の憲法条項改正の可否も同様です。
死刑廃止運動も似たような弁護士であれば当然と言う論法で、日弁連は会員の意思を個別具体的に聞く必要を認めません。
以下はhttps://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/1992/1992_21.htmlからの引用です。
「国家秘密法に反対する日弁連の昭和62年総会決議の無効確認と日弁連運動の差止等を求める一部会員からの提訴につき、本日、東京高等裁判所第5民事部(川上正俊裁判長)は、日弁連側全面勝訴の判決を言渡しました。
この判決は、本件日弁連決議と日弁連運動が構成員である会員個人の権利を侵害するものではないという理由で、原告である一部会員たちの請求を全部棄却した本年1月30日付の一審判決を基本的に維持しています。
今回の判決は、その上で、次の点を積極的に認定・判断しました。
1 弁護士会の活動は、「目的を逸脱した行為に出ることはできないものであり、公法人であることをも考えると、特に特定の政治的な主義、主張や目的に出たり、中立性、公正を損なうような活動をすることは許されない」
2 しかし、「弁護士に課せられた」弁護士法1条の「使命が重大で、弁護士個人の活動のみによって実現するには自ずから限界があり、特に法律制度の改善のごときは個々の弁護士の力に期待することは困難である…ことを考え合わせると、被控訴人が、弁護士の右使命を達成するために、基本的人権の擁護、社会正義の実現の見地から、法律制度の改善(創設、改廃等)について、会としての意見を明らかにし、それに沿った活動をすることも」、目的の「範囲内のものと解するのが相当である。」
3 本件総会決議は、「本件法律案が構成要件の明確性を欠き、国民の言論、表現の自由を侵害し、知る権利をはじめとする国民の基本的人権を侵害するものであるなど、専ら法理論上の見地から理由を明示して、法案を国会に提出することに反対する旨の意見を表明したものであることは決議の内容に照し明らかであり、これが特定の政治上の主義、主張や目的のためになされたとか、それが団体としての中立性などを損なうものであると認めるに足りる証拠は見当たらない。」
日弁連としては、今回の判決が、十分な会内合意に基づく日弁連活動の実状とそれに関する日弁連側の主張を全面的に認めて、正しい事実を認定し、これに正当な法的評価を加えたことを高く評価するものです。
日弁連としては、今後とも、「基本的人権の擁護、社会正義実現」のために、ひろく国民の皆さまとともに、いっそう、弁護士会活動を発展させていく決意です。 1992年(平成4年)12月21日  日本弁護士連合会 会長 阿部三郎
上記のとおり弁護士会の目的の範囲内と言うのですが・・・。
テーマを政治活動経費に使った分の会費徴収が違法と言う争いにしているからそう言う結論になったのかも知れませんが、強制加入による脱退の自由がない点を無視または軽視した判断と思われます。
この判決書き事態の検索が出来ない・・探せないので、日弁連の要約しか分りませんが、どこかで読んだ記憶では、弁護士自治の重要性に鑑みよほどの逸脱がない限り裁判所は介入しないと言う趣旨を書いてあった記憶・・根拠を探せません。
この高裁判決以降弁護士会の政治運動は一種の治外法権みたいな結果になっていますが、この判例は以下の通り(いつも書くように個人的思いつきですが・・)おかしいと思います。
弁護士の政治運動は国民の一人として自由ですが、ここでは、弁護士会としての政治運動の許容範囲を書いています。
弁護士は強制加入団体のために、弁護士会で特定政治会派のための政治運動すると反対会派を支持する弁護士個人の思想信条に抵触する・・イヤなら脱退すれれば良いと言うわけに行かない・・強制加入団体の特質をどう考えているかの疑問です。
左翼系がよく持ち出す例では学校で国歌斉唱するのは、「歌いたくない児童に対する思想信条の侵害」だと言う意見ですが、左翼系が多数を占める弁護士会では逆に少数派派の信条など全く無視で良いのかと言う議論です。
今朝ユーチューブで聞いた長島議員の民進党脱退の記者会見を聞いていると似たような意見を述べていました・・曰く民進党は政府攻撃には人権人権と言うが自分の敵対者に対する(表現の自由と言ったかどうか忘れましたが、)人権など全く気にしない体質だという趣旨のクダリです。
個々人の政治信条に関係なく弁護士会が特定政治意見を発表したり政治運動するのは、会内少数者の意見無視・思想信条侵害で行き過ぎではないかと言う争いにこの判例がきちんと答えているのでしょうか?
実務を通じて知った問題点・法の不備を訴えるのは実務家集団として必要な職責です・・消費者問題ではこの種の弁護士会の前向き提言が多く、実務上も多く採用されていることからも・・前向き提言する職務性は十分理解出来ます。
その場合でも弁護士会は問題提起どまりであるべきであり、その解決策についてA案B案C案等が入り乱れ政党間の対立法案になったばあい、新法案や規制強化の方法については国民の信託を受けた政治の分野で決めていくべきであって、組織として特定案の立場で反対・推進運動までする必要がないし、許されないのでないかと考えられます。
日弁連要約によれば高裁は「法律制度の改善は・・」と書いていますが、上記のとおりの前向き提言の役割はまだ妥当するとしても新法制定反対や既存法改正反対運動・・要は反対運動が「改善運動になる」というのは、飛躍がある・似ているようでいて少しズレていませんか?
実務家として現状の不備に気が付くことが多いのは分りますが、現状の法令が唯一無比で改善の余地がない・・あるいは改善策には多種多様なモノがありますがどの改善策が一番良い・・その他は反対と何故分るのでしょうか?
どのように改善すべきかは、(専門的見地から審議会委員になり、あるいは、参考人として専門的見地から意見を述べるのは自由)これら専門家の意見を前提にして最後は政治で決めるべきことです。
憲法擁護義務があるから改正反対運動は当然の行動だと言う意見がありますが、なぜ=で繋がるのか分らない人が多いと思いますが・・その主運動家から言えば分らないのはアタマが悪いから・・と言うのでしょうが?
その論理で言えば、「公務員は法律を守るべきである→業界等の情報から既存法令が不都合になった部分があっても改正に反対するべきである」から改正しようとして法案準備するのは法令遵守義務違反であるとでも言うのでしょうか?
何か新しいことを始めようとすると大方の場合、既存法令に抵触することが多いので新法令が必要ですが、既存法令遵守義務があることから、「新法令制定に反対することは全て正しいし、政治運動でも何でもない」となり、国会議員も憲法遵守義務があるから、改正論に先ずは反対すべきとなるのでしょうか?
「何でも反対しろとは言っていない」とすれば、その取捨選択行為をどう言う基準で行なうのか?この選択こそがまさに政治活動ではないでしょうか?
憲法遵守義務から憲法改正反対に結びつく・ならば、既存法令の改廃には、国民は法を守る義務があるから先ず反対すべきである・・社会変化拒否思想ですが・・まさに旧社会党が新しいことには「何でも反対して来た」思想的根源がよく分ります。
以上のとおり、法律家である以上憲法を守る義務がある=憲法改正に反対するのは、自動的に出て来る?活動であり、許された政治運動だと言う説明は詭弁そのものではないでしょうか?

政党と弁護士会・学者の違い1

成田空港・高速道路反対運動で飛行機や高速道路を利用しないのに庶民は被害だけ受けるとか、公害反対運動では金持ちは遠くの安全な住宅街で安穏と暮らしているとか・・・・弁護士になったばかりの頃に頻りに参加勧誘を受けて来たことを何回も書いてきました。
ところが、彼らの説明とは違い、モータリゼーションの進化、一般人の飛行機利用が活発化する時代を見越した政府の方が(空港開設や高速道などは数十年前から候補地選定〜用地買収など準備しないと間に合いません)先見の明があったことが分ります。
西洋19世紀型二項対立社会を前提に意識の低い庶民を指導する「前衛」と自称していた人たちの方が、保守党よりも数世紀後れの「後衛」だったことが次々と分って来ました。
西欧近代の革命理念は言うまでもなくアンシャン・レジーム・絶対王政否定の抵抗・・社会を近代化しようとする入り口のスローガンであって、近代社会そのものですらありません。
革命だけ起こせば、社会底辺までの近代意識が完成するものではなく、牢固たる慣習や意識払拭の戦いのためのスローガンが必要です。
リンカーンの奴隷解放宣言だけで直ぐに黒人奴隷が解放されみんな自由平等になったのではないアメリカの現実を見ても分るでしょう。
何十回も書いていますが、日本は国民との血族意識が強固で圧迫隷従の関係がない・社会の基礎が違うのですから、西欧革命前のアンシャン・レジームの存在を前提にこれをぶちこわす意識の高い前衛?であると自分で名乗っても、日本にはそう言う過酷な制度が元々ないのですから・・何を言ってるの!となってしまうわけです。
敗戦後占領軍政の先棒を担ぐ人・・ありもしない架空の搾取構造が日本にもあったかのように捏造する歴史家やカムイ伝のように史実に基づかない酷い搾取支配があったかのような捏造系文化人?が多く出て、この延長で慰安婦捏造物語が出来たと思われます。
ノンフィクション?を書いた吉田氏は文芸作品である以上創作して何が悪いか?と言うような意見だったと言われていますが、・・4〜5年前にアメリカで格差が問題になると直ぐに日本でも格差反対運動が起きるなど・・日本と欧米では元々国情・歴史が違うのを無視して欧米で起きた先端的騒ぎを持ち込む人がいますが、日本人には空疎な響きしかありません・・。
革新系政治運動家と言い、人権活動家・文化人と称する人たちは「後衛」と言うよりは、結果的に何でも反対し社会対立煽りたい人のグル−プじゃないかの評価が定着して来ました。
近代法の原理とはい言うものの上記のとおり破壊すべきアンシャン・レジームの残滓があって、その除去・戦いのための戦闘モード制度設計・・発展途上向けであり、信頼関係の確立した安定社会向けではありません。
命がけの抵抗・大革命の結果、人民のための政府を目的に樹立されたとは言っても、気を抜けば直ぐに先祖帰りする・・政府は信用出来ないから三権分立で相互監視すべきとか政府は信用出来ないから人権保護のための令状主義・・そう言う不信を基礎にしたシステムです。
いわゆる西欧近代法の法理とは、命がけで反抗しなければならなかったほど王権(西欧の多くは異民族支配で支配者と庶民は体格からシテ違います)に苦しめられて来た民族が命がけで抵抗して勝ち取った特殊な歴史を前提にした発展途上の制度です。
命がけで勝ちとった以上は「近代法の法理を守れ」とか「憲法を守れ」と言うのは、せっかく抵抗に成功して王の支配権を奪ったもののなお基盤が危うく(フランス革命は帝政〜王制〜共和制などの揺り戻しの繰り返しでした)・猜疑心ばかりで構築されているのは歴史の当然です。
日本のように古代から温和に上下共に相互信頼関係でやって来た社会で猜疑心を煽り分裂させようとするのは無理があります。
ただ、怠惰な人にとっては西欧の歴史が素晴らしく「相互猜疑心のある社会ほど良いものはない」と学校教育で受けたお題目を唱えていると自分で考える必要がなくて楽だし、素朴に人を信じる人には「お前こんなことも知らないのか!と偉そうに言えるし・・と言うことで何でも新しいことに反対しているのかも知れません。
日本の前衛・進歩的文化人?活動家は、数世紀前に漸く「民を大事にしろ」と革命を起こしたに過ぎない程度の社会を有り難がっているのですが、にっぽんでは古代からそんな過酷支配がなかったのですが、現実を見る目がないのでその違いが分らないのでしょう。
そこで、欧米の革命運動家を気取って自分クニでも政府のすることに何でも反対することが進んだ行動だと誤解しているようですが、猜疑心で凝り固まり抵抗ほど素晴らしいならば、中国〜北朝鮮〜ロシア程度の社会に行って、庶民のために政府権力と戦ってこそ本当の人権活動家と言えるでしょう。
ところで政党の場合、国民に選択権があるので、日本より数千年レベル遅れた社会モデル・搾取構造を基本にして反対ばかりしていても、どこのクニのな話をしているの?となって支持が減る一方です。
ところが大学や弁護士会は、学問の自由や自治が保障されて来た結果、世間から遊離した馬鹿な主張を繰り返していてもどこからも是正されません。
政党支持率の変遷・・学校秀才や学者の言うとおりの主張する政党の支持率低下を見れば、学校教育が数世紀後れの社会を基準にしていて社会実態に合っていないので、普通の判断力のある子供→20〜50年経過した有権者に受入れられていないことが分ります。 
世の中にはメデイアを通じて洗脳される人もいる・・誤解がはびこっているので念のために書きますと、法律家は現憲法を守って行動すべきですが、憲法規定が社会にとって有害・・不都合な事態が起きれば、これを改正する必要があれば提言することが職務違反ではありません。
憲法擁護義務があるから改正反対の運動は、政治活動にあたらないから弁護士会は会員の思想信条に関わらず会費拠出など(強制)出来ると言う詭弁が流布しています。
こう言う詭弁がまかり通っていることを見ると、この程度の詭弁に簡単に騙される人が多いと言うことでしょうか?
あるいは詭弁に気が付いているが、弁護士自治があって外部から文句が言われないから無理を承知で言い張っていると言うことでしょうか?
北朝鮮や中韓が何かあると何でも「日本の責任だ」と強弁するのに辟易している人が多いともいますが、正義・マトモな会話の通じない集団と世間から思れているのでしょうか?
弁護士は法運用の先端にいる以上いろんな不都合に早く気が付くものですから、いろんな法令に不都合があれば率先して改正提言することこそ職務上要請されていますし、公務員も法令遵守義務があっても実務をしているので取引内容の変化に合わせて新たな規制などを研究するのが普通です。
憲法や法令遵守義務と現行法令改廃に反対する義務は=ではありません。
日弁連や単位界が会員から集めた資金を憲法改正反対運動に使って良いかが議論になると、弁護士であれば憲法を守る義務がある→憲法改正反対運動は政治活動でない・憲法遵守義務から憲法改正反対義務が要請されているかのような珍妙な議論がまかり通っています。
あるいは平和憲法を守るのは人権擁護を職責とする弁護士の義務だと言う人もいます。
義務行為であるから政治運動ではないかのような主張です。

近代法原理(分断目的の占領政策2)の見直し4

いろんな反対運動では、具体的な不都合批判がなく、憲法学者や有名?作家などを動員して近代法の法理違反とか憲法違反(占領政策違反?)などのスローガンだけで、その法律のどの内容が国民にとって不都合かの具体的議論が聞こえて来ません。
◯◯の精神違反と言うばかりで国会で充分な議論がなかったと煽るのが普通です・・憲法違反を許すな!と言うばかりで議論・審議拒否していた点を棚に上げているのですから、国民の支持が減って行くのはあたり前です。
今では社民党支持率が0、何%あるかないか、調査機関によって違いますが、民進党も7〜8%で低迷しているのではないでしょうか?
何かあると「国民大多数の声を無視している」と声明しても空々しいばかりです。
森友学園の大騒動をみると、最重要な予算その他の議論をそっちのけにシテ・・野党持ち時間の大半をつぎ込んで・重要政策の審議をしないで森友問題の追及ばかりですが、政権がどう言う不正をしたと言うわけでもない・・イメージ増幅ばかりです・・。
時あたかも北朝鮮問題の緊迫した国際情勢・・アメリカの出方によっては北朝鮮からからミサイル攻撃を受けるかもしれないのに、これに対する国会論議もさせない・政府対応させないほどの森友問題が緊急優先問題かの疑問でした。
審議が進んでも民進党は思わせぶりな質問をするばかりで国政上何を議論したいのかがさッパリ見えて来ない・・時間を浪費して政府の仕事を妨害することが主目的のような印象を受けて終わりました。
野党の存在意義は国家社会を良くする政策の違いを明らかにしてより良い国家社会にして行くことが目的であって、国家政策の停滞・妨害を目的にするのは邪道です。
http://www.sankei.com/politics/news/170320/plt1703200019-n1.html
2017.3.20 11:49更新【産経・FNN合同世論調査】
「政党支持率は、自民党が前回比1.1ポイント増の38.0%で、民進党は同2.4ポイント減の8.4%だった。その他は、公明党4.5%▽共産党3.8%▽日本維新の会3.6%▽社民党0.4%▽自由党1.1%▽日本のこころ0.2%-だった。「支持する政党はない」とする無党派層が37.9%にのぼった。」
「大阪市の学校法人「森友学園」に国有地が評価額より大幅に安い価格で売却された問題で、政治家らの介入はなかったとする政府の説明について「納得していない」とした人が84.7%を占め、「納得している」の10.0%を大幅に上回った。」
支持政党なしが増加した結果全体で支持率が下がっている中でも、民進党支持率の方が大きく下がっているのは、政府説明を納得していないとしても「国会を止めてまでやるべき仕事か?「国会の仕事として何をやってるの?」と言う国民の方が多かったと言うことでしょう。
世の中には芸能人のゴシップをはじめ「あの問題どうなったの?」と言い出せば不明なことが一杯あるとしても、そのテーマが国会審議にふさわしいか、他の国政重要課題の審議を止めてまでやるべきことかは別問題です。
週刊誌的発想で大手メデイアが煽り過ぎるのは困ったことです。
小池都知事がパフォーマンスばかりで都政を翻弄し続けているのも、メデイアと二人三脚でやっているから出来ることです。
オリンピック会場問題で騒いでいたのは結局何だったのか?
それが終わると築地市場移転問題も騒ぐだけ騒いでみただけ?と言う子供の騒ぎのような結末が待っていそうです。
都議会百条委でソモソモ何を究明しようとしたのかさえ分らない・・メデイアを使って大ごとらしく印象づけていただけで、やってみても元々テーマがないのですから・・何も明らかにすることがなくて仕方なしに告発すると権力の横暴を示しておしまいです。
国会証言の籠池氏の偽証告発の場合には、彼の証言していた振り込み用紙の筆跡が誰の手によるかは具体的証言の真偽を決める重要証拠ですから、その事実解明に重要ですが、都議会証言の浜鍋氏がいつから権限がなかったかと言う抽象論についての偽証告発になると、何を解明しようとするのか目的が不明です。
仮に担当を外れた時期が変わったとしても、それが分るだけではその期間中に何があったかの具体的事実が分るわけではありませんので、告発によって何が都政に関係するのか不明です。
国会の百条委も民進党質問は思わせぶりで終わり、内容がなかった・・逆に籠池氏の偽証疑惑が起きて攻守所を変えて民進党が防戦一方になって来ると・やはり「何のために何ををやってたの?」となるばかりです。
以下はまだ籠池氏の偽証疑惑が起きる前の民進党が押せ押せムードの頃の調査ですが、以下のとおりです。
「森友学園」問題を追及する民進党 支持率で皮肉な結果 – ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/12874559/
民進党が後半国会に入っても森友学園への国有地売却問題の追及を続けている。マスコミ各社の世論調査では支持率は微減、逆に安倍内閣の支持率が上昇。蓮舫氏は・・
 蓮舫代表 辻元氏の森友問題報道にガセネタ反論も党勢回復せず
2017年3月31日 17時0分 東スポWeb・・
森友学園追及が不発に終わると今度は加計学園の追及らしいです・・・何となく週刊誌みたいになって来ました。
安倍総理の親しそうなところを片っ端から嗅いで回るのは勝手ですが、怪しいというイメージアップだけ・・国会は国政について議論するところですが、民進党はマトモな議論する能力がないからこんなことばかりしているのか?と怪しむようになります。
民進党は週刊誌でも経営していた方が良いのじゃないかとなりませんか?
ソモソモ法律家のセンスとしてもおかしいのです。
相談者が◯◯と△△からあの人がやっているに決まっているとかこういうことが証明出来ると言って来ることが多いのですが、それと主張している結果との間にはかなりの要素が抜けていることが多いのです。
それは「怪しんでその先の調査をする価値がある」と言う程度の端緒に過ぎない・・その先の調査をしないで決めつけるのは無理があると説明することがよくあります。
その先のデータ・裏付けもなしに裁判すると負けてしまうばかりか、名誉毀損になり兼ねないと言うことです。
森友学園問題は如何にも怪しげな人物であることは調査段階で分った筈ですから、党として調査対象にしたのは1つの立場ですが、「これは怪しいな!」と言うだけでその先の裏付けがなく、如何にも安倍総理が不正に関与しているかのようなイメージを膨らませて国会審議テーマにしてしまうのはプロ集団の仕事としては行き過ぎです。
怪しいというだけでもメデイアが煽れば国会審議に一応持ち込めるから、その先は出たとこ勝負・・「やるだけやって偶然何か出れば良いか!」と言う程度では素人的過ぎます。
時あたかも金正男暗殺事件で大騒ぎの最中でしたし、更には対北朝鮮でアメリカの単独行動近し・・報復として北朝鮮がもしかして日本へミサイルを撃ち込む事態があるとした場合にどうするか・韓国次期政権への対応など解決すべき緊急課題に集中させない陽動作戦・・注意をそらせる目的だったか?と勘ぐる向きも出て来るでしょう。
占領政策に戻りますと文化人・報道関係者(検閲があったせいもあって)が真っ先に政府と人民の対立関係を煽る領軍に迎合し「政府は人民の敵」と言う教育宣伝をするようになりました。
欧米はその例外でフランス革命やリンカーン演説以来人民のための政治をしていると言う理想論です。
国際情勢変化でアメリカが日本を必要とするようになると、政府施策なんでも反対の応援団として今度は中ソ勢力と結びつき・・西洋よりも更に遅れた社会を前提に搾取社会をしきりに強調しては何かある都度反権力を煽る・どう言うわけかいつも反日勢力に結びつく基本性質を変えない点は同じです。
どんなに厳選した組織でも5%前後の外れ者がいると言われますが、日本人は自然に生まれて来る人が母体で特に厳選していないので5〜10%程度の何でも反対したい不満分子がいてもおかしくはありません。
そのたぐいでしょうか?

近代法原理(分断目的の占領政策1)の見直し3

占領軍は昨日紹介したとおり全ての工業機械をアジア諸国へ賠償名目で搬出してしまい、日本には農業しか認めない政策を5年間にわたって実行していました。
アメリカが日本に散々嫌がらせして戦争に追い込んだ目的は、人種差別意識に基づき日本人を外のアジアの植民地の人民同様の地位に落とし込むことが目的だったことがこの事実からも明らかでしょう。
以前紹介しましたが、勇敢に抵抗したアメリカインデアンは絶滅寸前・民族の誇りを奪われて多くはアル中で保護されていますが、・同じような将来を構想していたのです。
占領軍は着々と日本の工業力ゼロ化・・仮に10年でも目の目の前の機械工具一切を取り上げて工業生産禁止していると技術の断絶は半端ではありません。
このように復興不可能政策・植民地支配化政策を進めていましたが、平行して民族精神の崩壊工作を狙ったと思われます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93%E6%8C%87%E4%BB%A4
神道指令(しんとうしれい)とは、1945年(昭和20年)12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)の通称である。
葦津珍彦は神道指令に関する1960年の論文で、「重大な障害がない限り」(“as long as there is no serious obstacle”)占領軍は「被占領地の信仰と慣習に干渉すべきでない」(“should not intervene in the religious faith or customs of an occupied area”)ということがハーグ条約で定められていたとして、日本占領軍による神道の弾圧は国際法からの逸脱だと批判した[1]
以前紹介しましたが、1号か2号の占領初期・真っ先に行なった指令です。
占領軍が如何に日本精神破壊を重視していたかが分るでしょう。
インデアン制圧後乳幼児を全員取り上げて白人家庭に預けさせて如何に白人が優れているかをすり込み、勇猛なインデイアンの魂・アイデンテテイーを抜いて行ったことと同じ・・民族のバックボーンを奪う・人道的に許されない行為です。
この結果果敢に戦ったインデイアンの子孫は魂を抜かれて廃人のようになってしまい、大多数がアル中や薬物中毒生活に陥って被保護民族になっていることは周知のとおりです。
次は教育勅語の廃止強制です。
hosokawa.sakura.ne.jp/opinion02c.htmからの引用です。
「GHQの幹部は、教育勅語それ自体は何ら悪いところはないと考えていたことです。内容よりも、戦前のわが国で行われていた勅語の解釈や運用を問題としたのです。GHQの民間情報教育局(CIE)の教育課長H・G・ヘンダーソンは「非常に家族主義的であることを除いて、勅語それ自体は悪いところはない」と考えました。・・・ところが、戦前のわが国のあり方を何もかも悪いものとみなす米国務省は、教育勅語を全面禁止とすることを決定しました。また、日本占領の最高機関として連合国で構成する極東委員会も、同主旨の指令を発しました。GHQの内部で、この方針を忠実に実行しようとしたのが、民政局(GS)でした。民政局は、日本占領において内政一般を所掌しており、教育を管轄するCIEとは別の部署です。
GSはCIEの権限を侵さずに実を得る巧妙な方法を考えました。国会で教育勅語の廃止を決議させるという方法です。国会課長のJ・ウイリアムスは衆参両院の文教委員長を呼び、教育勅語の廃止決議を行うよう口頭で命令しました。当時は占領下です。銃砲の下での圧力に屈し、昭和23年(1948)6月19日、衆議院は「教育勅語等排除に関する決議」を行い、参議院は「教育勅語等の失効確認に関する決議」を行いました。こうして教育勅語は事実上、廃止されるに至りました。(ページの頭へ)」
以前教育勅語全文を紹介しましたが、内容を見ると軍国主義とは殆ど何の関係もない普通の「まじめに学びましょう」的な勅語ですが、庶民にまで行き渡っている教育システムが占領軍には脅威だったのでしょう。
日本は支配下の朝鮮や台湾や南洋諸島で日本式教育制度を普及させましたが、欧米植民地では愚昧化政策が基本であり、現地人向けには教育を一切して来ませんでした。
教育勅語廃止はこの手始めだったことは容易に想像がつきます・・しかし占領軍は内容に容喙出来ても学校制度を廃止することまでは出来なかったのです。
現在森友学園問題に関連して攻撃していた安倍政権批判が無理になって来たらしく、今度は矛先を変えて同学園が教育勅語の朗読か何かの教育をしていたと野党が頻りに批判し、マスコミも便乗していますが、(今朝の日経新聞朝刊社説)ソモソモ一民間学園がキリスト教を教えようとイスラム教を教えようと何も問題がないと思われるのに、教育勅語の朗読をさせると何が問題かよく分りませんが、小さな民間幼稚園の教育内容を国会で問題にする必要があるのか不思議です。
公的空間・工場などにイスラム教徒向けの礼拝施設が設けられることが時々報道されていますが、これが神社系の施設だと問題になるのか?と言う不思議な基準がまかりとおっています。
しかも内容のどこが行けないかの具体的主張がなく従来聞こえて来たのは戦前の軍国思想や家族観復活懸念程度でしたが・・さすがに日経社説では理論武装して出して来ましたが、内容を見ると、以下のとおりです。
社説を見ると勅語の内容自体を問題に出来ず、戦前文部省「通釈」をさらっと書いて続けてその内容を如何にも勅語自体であるかのような誤解を招く?すり替え議論をしています。
そこで言うことがないのか?上から天皇が語りかける形式に問題があるなど・(小学校教育は元々校長先生などが「みなさん・・」と上から目線?で語りかけるのが普通)・・語りかけるのが天皇であるのは国民主権に反しているとか言うのですが・・象徴天皇もあちこちでお言葉を発せられていますが、国民に語りかけるのが憲法違反と言うのでしょうか?
仮にそうとしてもそれは勅語で教えようとしている教育内容の議論ではありません・・そんなことが気になるならば、直せば良い程度のほとんど言いがかり的論旨です・・。
上記引用した米軍教育局の理解のように元々ないように問題があったのではなく運用に問題があった程度であり・勅語自体に大した問題がなかったことを社説自体が逆に表しています。
仮に教育内容に介入出来るとしても運用がどうなっていたかコソをテーマにスべきでしょう。
結局は未だに米軍の残した監視役を忠実に果たしていると言う意気込みでしょうか?
(米軍が真っ先に禁止しようとして、)国会でこれを受入れる決議をしているのに、同学園がやっているのはけしからんと言うだけの批判です。
クニの教育方針としてこれを利用しないと決議しているだけで、民間が使ってはならないかまでの議論がありません。
ところで従来からの朝鮮人学校問題でも政府の補助金支給が妥当かの議論であって、教育内容自体に介入した議論を聞いたことがありません。
国会で(教育への政治介入を基本的反対して来た)野党が教育内容自体を国会のテーマにしている点が異常です。
文化人の言う国民主権論や自由の保護は、御都合主義過ぎる・・中韓やアメリカの意見を背景にすればいくらでも介入出来ると言う基本姿勢が露骨過ぎませんか?
教育内容について政治の場で「どう言う内容が良いとか悪い」とかを軽々に論じるべきではないでしょう。
まして(幼稚園をいくつ経営しているかすら出て来ない)小さな幼稚園(園長は籠池氏の奥さんと言う報道もあります)の教育内容を国会が議論すべきかが先ず気になります。

近代法原理の見直し2

私のような素人にも分りよい例・・ゴルゴサーテン的事例で言えば、テロ集団側では銃器を分解して持ち込んだり、爆発物もちょっとした調合で完成するようにした分離剤を持ち込んで飛行機に乗ってからトイレなどで調合するなど巧妙化する一方ですが、・・一方で膨大な旅客通過のスムースな流れ作業が要請されている矛盾があります。
あらたなチェックシステムを作るとその抜け穴を探すことのイタチごっこですが、・抜け穴利用が一般化・定型化してからこのチェック目的で全国内空港や鉄道駅のチェックシステム改修するには膨大な資金や年数がかかるので、抜け穴探し・・テロリスト・犯罪集団の方が先んじるのが普通です。
(ターミナル駅の進入システムを整備しても地方の無人駅等から電車に乗って来た人をどうやってチェックするかなど)
何かあると捜査の近代化をマスメデイアは要求していますが、チェックシステム構築はいつも後追い的宿命持っています。
GPS利用の動静調査はシステムのように定点待ち受け型システムではないので機動的ですし、(最高裁の意見とは違いますが私の考えでは)プライバシー侵害性が低い・違法性が低いのに、何故最高裁が憲法を持ち出して力むのか不明です。
再論になりますが、私人が他人のプライバシーを性的好奇心等で遠くから望遠鏡覗いているのは大した違法性がないが、公益のために監視すると違法性が高いと言われます。
普通の素朴な価値観では、犯罪捜査や公益上必要なので資料を見せて欲しいと言われると気持ちよく応じるが、好奇心で資料を見せてと言われても応じたくないのが普通の価値観だったのではないでしょうか?
上記の例で言うと犯罪捜査のために望遠鏡で見たいので場所を貸して欲しいと頼まれた場合と、「入浴中の女性の姿を見たい」と頼まれた場合、捜査方法として違法かどうかを知らない「素朴な価値観」で言えば、どちらに協力するのが健全な価値観かです。
専門家の価値観がマスメデイア通じて浸透している結果、今では公のためならば協力したくないが、個人興味なら協力したいと言う倒錯した価値観が(朝日新聞的刷り込みに適応し教養のあると自負する階層では?)一般化しているように見えます。
世論調査も「政府がやるのは危険で民間ならば良い」と言う刷り込みが典型的ですが、最近何事でも民間なら良いが、政府(社会のためになることは)に協力しないのが格好良いと言う刷り込みが成功して来た印象です。
このシリーズで書いている(人民と政府は抑圧隷従・搾取・敵対構造であるとする)二項対立思想が浸透し、成功しているように見えます。
これが行き過ぎた結果、(「政府は悪」と言う思想教育に対する反感が出て来たように思われます。
そこで最近は「政府が集める情報が大量であるから漏れると大変だ」と言う意見が流布されようになって来ました。。
1昨年漏れたベネッセの私塾の情報ですら膨大なものでしたが、金融・通信(ネット販売)・コンビニその他産業の収集している情報量の巨大さは半端ではありません。
個人情報保護関係も、国家が強制的に情報を収集するのと民間がやるのとは違うと言うのが大方の論理です。
防犯カメラであれ、あるいは空港・銀行その他多くのネット利用でも個人情報を求めれられますが、民間はイヤなら拒否出来ると言うのですが、防犯カメラのない反赤貝やデパートスーパーは皆無でしょうし、いまでは普通の生活をするにはありとあらゆるところで個人情報を求められ、個人情報収集を事実上個人・顧客は拒否出来ない・・一々拒否していたら日常生活が出来ない点は同じです。
他人の家を覗き見るなどの、個人情報収集も権力に基づくのと民間が行なう事実上の強制?(こっそり行なうの(同意がないから)強制と言うのも強弁過ぎませんか?・・強制的に裸にするのとこっそり見るのとは大きな違いがあります))は違うと言いますが、今やありとあらゆる生活領域で求められる認証システムが進んでいてこれを拒否していると日常生活が出来なくなっている点は政府の情報収集以上です。
たとえば、指紋認証どころかもっと総合的認証システムまで実用化される・・ちょっとした預金払い戻しその他カード取引不要=個人情報蓄積が進みますが、拒否しているとコンビニでの買い物1つ出来なくなります。
西洋で発達した二項対立図式論は、元々日本社会に合っていなかったことを何回も書いて来ましたが、(日本的信頼関係構築に漸く成功してある程度追いついた)現在先進社会・西欧でも民主国家では概ね合わなくなっています。
日本以外の先進国ではまだ表向き程度なので格差反対なも意味がありますし黒人と見れば圏感が直ぐに射殺する実態もあり、なお対立を煽るのも分りますが、日本は心底から民のための国家運営でやって来たし、会社運営でも経営者の取り分を少なく従業員第一思想でやって来ました。
こう言う社会なのに、欧米思想を鵜呑みにして敵対思想に骨の髄まで使って何でも政府施策を妨害し政府を騙せば英雄視するのは間違いです。
個人情報であれ各種統計であれ、政府が悪用しないようなシステム化こそが重要であり、政府の調査には協力しない・・「統計情報など協力しないで政府を騙せば良い」と言うのは中国のような専制支配国家・時代遅れの社会向けの思想です・結果的に中国統計の信用性が全くありません。
この思考回路にどっぷり浸かっている文化人(学校教育に適応性の高いヒト)が、日本社会に適用しようとして来た・・しかもこれが戦後70年経過で成功して来たから却って疑問を保つ人が増えて来た・・今や文化人とか思想家の地位がおかしくなってきました。
大分前から書いている繰り返しですが、日本社会の基礎単位は一族郷党が基礎ですから信頼がなければ存続出来ませんので、二項対立関係はあり得ません。
そこで、古来から上下の隔てなく信頼で成り立っている・・最近ではApril 15, 2016, ガバナンス, コーポレート, 2で日本の信頼社会と敵視関係の近代法原理は合わないとちょっと書いたことがあります。
信頼関係の社会でどうして変な思想がはびこったかの始まりを見ると、米軍の占領政策に行き着きます。
強固な信頼関係で成り立っている日本社会に相互不信感のくさびを打ち込む目的・・頑強な日本軍の抵抗力の源泉に着目した占領政策の第一の眼目でした。
どこのクニでも戦争に負けると支配層に対する日頃の不満が出て政権が倒れるのが普通でしたが・・・硫黄島の戦いの教訓・最後の最後まで戦意喪失しない・・全国が焦土と化すほど完敗して外国に占領されてもなお、 現政権批判や天皇制反対の声が上がらない・・反乱を起こさないニッポン民族の一体感・強靭さの破壊こそが最初の占領政策目的でした。
これが成功しないと植民地支配・奴隷化支配が出来ないからです。
占領政策は周知のとおり、日本二度と西洋に対抗出来ないようにアジアの植民地同様の農業国化することでしたがもう一度紹介しておきましょう。
本日現在のウイキペデイアの記事からです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E5%8D%A0%E9%A0%98%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC
「SCAPはドイツと同様に日本の脱工業化を図り、重化学工業産業を解体した。初期の極東委員会は賠償金を払う以上の日本の経済復興を認めなかった。マッカーサーも1945年(昭和20年)9月12日の記者会見で「日本はこの大戦の結果によって、四等国に転落した。再び世界の強国に復活することは不可能である。」と発表し、他のアジア諸国と同様に米国および欧州連合国に従属的な市場に解体するべく、極度な日本弱体化政策をとった。こうして各地の研究施設や工場を破壊し、工業機械を没収あるいはスクラップ化し、研究開発と生産を停止させ、農業や漁業や衣類を主力産業とする政策をとった。
1945年(昭和20年)に来日した連合国賠償委員会のポーレーは、日本の工業力移転による中間賠償を求め、賠償対象に指定したすべての施設を新品同様の状態に修繕し、移転まで保管する義務を日本の企業に命じた。1946年(昭和21年)11月、ポーレーは最終報告として「我々は日本の真珠湾攻撃を決して忘れない」と報復的性格を前文で明言し、「日本に対する許容工業力は、日本による被侵略国の生活水準以下を維持するに足るものとする。右水準以上の施設は撤去して有権国側に移す。」とした。軍需産業と指定されたすべてと平和産業の約30%が賠償施設に指定され、戦災をかろうじて免れた工業設備をも、中間賠償としてアジアへ次々と強制移転させた。大蔵省(現在の財務省と金融庁)によると、1950年(昭和25年)5月までに計1億6515万8839円(昭和14年価格)に相当する43,919台の工場機械などが梱包撤去された。受け取り国の内訳は中国54.1%、オランダ(東インド)11.5%、フィリピン19%、イギリス(ビルマ、マライ)15.4%である。」

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。