PC・・政治的正しさ

話題が違法収集証拠排除とその例外にそれましたが、人権擁護の細か過ぎる議論が犯罪者集団の悪用を許している面があります。
大分前に「近代法の法理」を守れとか「憲法を守れ」と言うスロ−ガンに関するテーマに関して書いたことがありますが、法律家であればもっとどう言う守るべき利益があってどう言う利益が侵害されるのかを具体的に主張すべきです。
プライバシーとか肖像権とか意味不明の新しい権利主張をされると、法律家でもそれとこれはどう言う関係があるの?と聞くことすら憚られる・・まして一般の人は、黙ってしまうしかない変な風潮があり、マスコミによる洪水的報道によって裸の王様的言論封じが成功しているように思われます。
最近では、ヘイトと言えば何でも黙らせることが出来るような風潮が問題になっています。
ニュース女子とかで沖縄基地反対闘争の実態を報道したところ、これがヘイトに当たると言ってマスコミが大騒ぎしてどこかの論説主幹か副主幹だったかを降格させた騒ぎです。
正確には内容が(このコラムは受け売り専門で事実調査出来る能力ががありませんから・・)分りませんが、実態調査したら日当払って募集しているとか韓国人が参加していると言うことがヘイトになると言うらしいですが、韓国人が参加していると言う実態報道が何故ヘイトなのかよく分りません。
いわゆる政治的正義・・PCそのものではないにしても、人権擁護を称する団体から根拠なく槍玉に挙げられるととんでもない組織とされてしまうメデイアの行き過ぎが目立ちます。
・・日本人に分りよい例では動物愛護・例えば欧米人による捕鯨反対運動や韓国の慰安婦騒動・・いわゆるリベラルが幅を利かし過ぎている不満が漸く世界中で表に出て来ました。
トランプ旋風や移民反対運動の激化もその一環ですし、要は本質無視の揚げ足取りの行き過ぎです。
築地移転問題で言えば、地下水汚染が心配だと煽るだけ煽っておいて今になって地下水を飲むわけじゃないので何の実害がない・・分が悪くなると「風評被害が心配だ」と矛先を変えていますが、風評を煽って来たのはメデイアではないでしょうか?
http://www.huffingtonpost.jp/yuko-fujisawa/political-correctness_b_8802070.htmlからの引用です。
「シーズン19のエピソード「Stunning and Brave」のテーマは、自身の出演したリアリティ番組をきっかけに性同一性障害だったことを告白し、女性に性転換をしたことが話題となった、元アメフト選手ケイトリン・ジェンナー。アメリカでは彼女のことを“Stunning and Brave”(魅力的で、勇敢だ)と評価するのがポリティカル・コレクトネス(PC)の観点から一般的だそうです。というのも彼女のことを悪く言うのは「ダサイ」ことで、許されるべきではないという空気感があるそう。
しかしエピソード内で、主人公の一人であるカイルが、「個人的に彼をそんなにすごいと思わない。」と悪気がなくて言ってしまった途端、PCを押し付ける校長やその他PCフラタニティ(サークルみたいな団体)に責められまくり、PCがやっかいなものになっていく・・・という展開で話は進んで行きます。さすが時事ネタや議論を呼ぶテーマを扱うサウス・パーク。PCは大事だけど、固執しすぎるがあまり、社会が窮屈になっていないか?という風刺をしたエピソードでした。」
この記事を書いた人はそれでもPCが必要と言う意見のようですが・・。
ところで西欧でテロがあると逃走されない限りその場で射殺する様子が普通・・原則のように見えるにも拘らず(犯人の自供によらずに)、直ぐに(数時間後には)アジトや関連先を急襲したりしている報道を見るとかなりの事前調査活動があったことを前提にしています。
マスメデイア報道の基本イメージは、テロを防げなかった政権のお粗末・批判する報道が一般的・・政権の無能・支持率低下をテーマにしています。
ベルギーテロ直後に多言語社会で公安情報が入り難いことが大報道されていました。
一方でプライバシー保護を大宣伝して犯罪を起こしていない・・起こしそうな人と言うだけでは事前情報収集させないようにキャンペインしておきながら、事件が起きると事前抑止出来なかった政権批判→政権弱体化に向けた一斉報道ですから、基準が無茶苦茶です。
メデイアの言うとおりにしていると政権崩壊〜社会混乱する一方ですから、テロ組織の助長・連携でもしているかのような行動です。
(メデイアは令状なし情報収集を極力批判する傾向がありますが、クルマ・電子機器その他先端機器が発達している現在では、19〜20世紀型社会構造に適合して来た令状主義は実務的に無理になっていることは、GPS捜査に関して紹介した最高裁判決自身が認めているところです。
時代遅れの型にはまった令状主義にこだわっていると、テロ組織の事前検挙や情報収集・事前抑止は多分不可能でしょう。
江戸時代には刀を抜いて切り掛かって来てからの自衛でも・・あるいは実行行為があってからの検挙で間に合っていましたが、今は銃乱射や爆弾テロなど起きてからでは護衛さえ多くすれば済むことではありません。
しかも被害が大きくなり過ぎます。
新しい時代に即した方法を開発すべき・・その工夫の1つががGPS装着でしょうが、テロリストは最先端手法で狙って来るのに・・裁判所が従来型手法にない捜査は認めないと撥ねていたのでは、社会の安全維持に無理が出て来ます。
そもそも司法と別の公安機関は犯罪実行前の怪しい者・組織に対する事前情報収集するのが制度目的ですから「令状なしでやってはいけない」という最高裁判断は(刑事手続に使わなければ良いと言うのかな?)矛盾です。 
今どき江戸時代のように木陰に隠れながら尾行するなど不可能です。
「壁に耳あり」と言う忍者のような仕事では間に合わない・・防犯カメラやウエブ上の送信記録の解析が重要ですが、令状請求して関係者立ち会いや事前通告などをやっていたら捜査になりません。
この辺の問題点は最高裁判決にも書いている・・令状なしの取り付けは違法と判断しながら、(令状さえあれば良いかと言うと)令状発布要件に当たらないのではないかと指摘している点・・令状請求があっても安易に認めるべきではないと言う意見まで書いていますので、地裁判事は滅多に認めないでしょう。
結局はプライバシー侵害リスクがある以上・事実上捜査手法として認めないことになります。
その上判旨によるとGPS利用に限らず・プライバシーに限らずいろんな権利の具体的侵害がなくとも、「侵害のリスク」あるだけでも立法的解決がない限り捜査を認めない」と言う法原理が確認されたことになります。
違法捜査の結果受けた侵害の有無程度に関係なく軽微であっても?(最判は、具体的侵害がなくとも憲法上の重大な侵害の可能性があると言うのですが)違法でさえあれば、違法収集証拠を採用しないというようです。
テロ組織がインフラ破壊・混乱を目指していながら、自分は正常に作動するインフラを利用してテロ現場に向かい、テロ実行後正常に動くインフラを利用して逃走計画を立てる身勝手なテロリスト論理・・とどこか似ていませんか?
テロ組織を追跡するときに警官は予め決められた方法でしか攻撃追跡できない・・例えばテロリストが信号やスピード規制無視で逃げているのに追いかける警官はスピード規制や信号を守らねばならない・・スピード違反で追いついて逮捕したから逮捕無効と言うような主張する権利があるのでしょうか?
実際には犯人追及時には、スピードや信号規制等道路規制が外れていますが、もしもそう言う例外法律がない分野が起きた場合の話です。
たとえば、表現の自由は大事ですが杓子定規に適用するとるとエログロ雑誌がはびこるように、物事には原則と例外があり(通行の自由と交通規制が両立し職業選択の自由と風俗業の立地規制が両立するように)境界を決めるのが法律であり、更に微妙な境界事例を決めるのが裁判所の約割りですが、何でも憲法問題に持っていき法の例外が許されないとすると(憲法改正が事実上不可能な我が国では)新規抜け穴を悪用する者がはびこります。

近代法原理の見直し5( 令状主義の限界)

令状主義の限界・・捜査手法は犯罪の変化などに合わせて時代とともにあると言う意見の続きです。
機械やシステム整備だけでは、検挙し難い・・システム整備が進むには何年もかかるのであちこちに構築が終わった頃にはテロリストの方がその抜け穴探しに成功しているのが普通です。
私のような不注意な一般人が何かに慌てて間違ったボタンをオスなどして引っかかるのがオチ・抜け穴を研究しているテロリストの方は機械に引っかからないように全てクリアーする工夫をして犯行現場に来るのが普通でしょう。
要はサイバーテロと同じです。
本当に治安を守るには事前情報によって要注意人物を継続的に監視する・一般搭乗客向けの流れ作業では発見出来ない微妙な細工物などを念入りにチェックしたり、人間の目で注意観察などで事前発見に繋がり易いなどの関係にあります。
弁護士が経験する日常的現場で言えば、スーパーなどの防犯カメラが万引きを検挙するのではなく、警備員がプロの目で挙動不審者に気づくとそれとなく様子を見張っていると案の定レジを通さないでそのまま出て行くので、直ぐに追いついて万引き犯を検挙するなどの例が一般的です。
自衛権の定義も、北朝鮮から核攻撃受けてからでないと応戦出来ないと言う19〜20世紀前半型の定義でこと足りるかの議論の必要性があるのと同じです。
日露戦争時に・・バルチック艦隊が対馬海峡からはいるのか宗谷海峡廻りかが迎え撃つ日本海軍にとって重要情報でしたが、「敵艦見ユ」との報に接してから連合艦隊が出撃しても迎撃に間に合ったのです。
「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」
今は数分〜10分で北朝鮮や中国核爆弾が到着する時代ですから、爆弾テロ同様に全て後追いで・証拠を集めてからの検挙・反撃で間に合う時代ではありません。
スーダンのPKOでも書きましたが、今では群衆が徒歩で押し掛けて来る時代ではなく、ロケット砲などの攻撃を受けるまで(プライバシイ侵害のおそれがあると言う理由で)情報収集せずに待っているのでは、自衛出来ません。
上記のとおり今や事前に令状を示してから家宅捜索する(してもテロ計画の文書などある筈もない・・証拠自体見つからないに決っています・・指令メールが見つかっても今の法体系では、共謀だけでは犯罪ですらないから差し押さえすらも出来ません。
上記のとおり新犯罪類型では・定型行為を前提とする令状主義ではものの解決にならないに・・令状「主義」自体が破綻していることは明らかです。
令状で間に合う事件は従来どおりで良いですが、間に合わない事件には別の方法が必要です。
最高裁は憲法に書いていないプライバシー保護にまで令状がいると言うから、却って時代錯誤性を露呈しました。
ソモソモ令状「主義」と言う表現自体が、合理性を無視して何が何でも当てはめ拡張しようとする「主義」性を意味しています。
物事は是是非・・必要に応じて決めて行けば良いのであって、あらかじめ「主義」イデオロギーを決めていろんなものに無理に当てはめようとするのは間違いです。
欧米では早くからちょっとした犯罪でも現場射殺が一般化していることが・・黒人の抗議活動等を通して伝わって来ますが、暴動等がなくて大きく伝わって来ないその他の分野でもかなり実務が令状主義のドグマを離れて進んでいる筈です。
実際の犯罪捜査では、令状主義ドグマの限界・矛盾に耐えられないからでしょう。
この点について近代法の原理・基本から考え直す・・新たな法体系を練り上げるのは裁判所の役割を越えているので、立法府のやるべきことではないかと言う意見かも知れませんが、そうとすれば敢えて憲法35条の保護対象と言い切る必要もなかった・証拠排除しない方が合理的であったように思います。
憲法35条の保護対象に入っているからGPSを捜査に使うためには憲法改正が必要と判断すれば、そんなテーマでは憲法改正運動が盛り上がるわけがないので、ほぼ半永久的に利用出来ないでしょうから、憲法の令状対象に入っていないとすれば、令状を必要とする憲法を改正するまで令状なしに捜査に利用出来ます。
結局捜査のあり方をどうするかの政治的立ち位置次第で、憲法解釈が決まって行きます。
そこで民意の1〜2割の支持しかない政党は、選挙では勝てないので憲法学者等への浸透を重視するようになります。
憲法学者の多くが憲法違反と言い、これに影響されて運良く最高裁が認めれば鬼に金棒です。
4月6日に書いたように憲法改正は圧倒的大多数の国会議員を擁していても(選挙で勝っても)殆ど不可能な制度ですから、(国民の支持を受けていない)少数政党でも、憲法学会の支配的勢力を獲得すれば、国家の基本に関わる政策に反対するには「憲法違反」と言うテーマを掲げて戦えば良いことになります。
憲法学会の大勢に裁判所が呼応して「これは憲法違反」だと言う判例を作ってくれれば新たな法制定反対が出来なくなるので結果的に拒否権を、持つようになります。
「何でも反対政党」と言われていた社会党や共産党が憲法違反の主張をしょっ中して来たことや憲法学会〜司法界に浸透して来た所以です。
高浜原発停止決定の効果で運転が止まっていたのが、3月末の大阪高裁決定では再稼働可能になりましたが、地裁数人の裁判官の意見で国論の割れているテーマ・・原発を1年前後も停止させてしまえるのが、裁判所支配の威力です。
こう言う制度設計って、民意重視社会と言えるのでしょうか?

弁護士会強制加入と地域独占打破

弁護士会が受け入れ拒否した場合、実慾で修習生を受入れないことが何らかの法令違反になるかどうか・・・実際にそこまで行くと収拾のつかない亀裂になってしまいますので、疑問を持っても法的決着をつける動きにならない・円満解決の道を探る動きになるのでしょう。
法曹三者の場合、信頼関係がないと実務運用に支障が出るので沖縄知事のようなことは出来ません。
(本当はトランプであれ、韓国であれ積み重ねて来た合意を目先の利益のために一方的に破棄するとそのときには不利な契約破棄は有利でしょうが長期的にはその後遺症に苦しむことになるのが普通です・・翁長知事は日本国全全体と沖縄との関係にしこりが残る・・長期的信頼関係重視のニッポン民族気質から考えれない行動ですので敢えて外国勢力のためにそれを狙っているかの疑いを抱く人が増える原因です)
政府としては750人に増やすとき以来(250人増やすのに3年ほどの時間を掛けています)全て手順を踏んで日弁連と真摯に協議し同意を得てやって来た・・執行部の同意だけではなく、弁護士会臨時総会決議を待って進めて来た経緯があります。
責任は当時これを受入れた日弁連執行部にある・・そのとき弁護士大増員の旗ふりをして来た中坊元会長が厳しい批判対象になっています・・。
大増員の間違いが明らかになって来たとは言え、日弁連の意向を尊重して協議を経て来た重みを守るべき・・方向性修正するには2015年5月に1500人と決めた場合と同じような有識者会議の議を経る・・会議進行を早める努力をする必要があるとしても・・と言うのが政府の基本姿勢でしょう。
当面の解決は別としても昨日紹介したように5年も前から法学部希望者段階から縮小している現実・・法律家全体の地盤低下が進んでいる現状を見れば、結果的に1500人規模のままでは国家体制が持たない・・さらなる削減方向へ進めるしかないと思われます。
この意味では、千葉県会長の投げかけたインパクトは(そのまま直ぐに実現が出来ないとしても)政治的に時宜を得たものとなる可能性があります。
(内部的には執行部経験者を中心に対外意見表明ルール・慣行違反と言う批判の声が大きく内部で意見が割れていますが・それと対外インパクトの大きさは別でしょう。)
日弁連も過去の経緯を踏まえると、更なる削減方向へ修正するしかないにしても段階を踏むべしと言う原則論になり、・・千葉県の要求の方向性で努力すると回答すれば千葉県も矛を収められます。
その場合、今年9月発表の合格者数が実際にどの程度減ったかが重要ですが、前年とほぼ変わらず→ほぼ同数の配属が来た段階で千葉県の主柱によれば、日弁連全体で1000人以上の受入れ拒否すべきだと言う主張になりそうですが、その主張に日弁連が乗れないときにどうするかです。
千葉だけでも拒否シテこれに合わせて(合格者がほぼ変わらないのに千葉県への配属だけへらす?)他所に回すとした場合、千葉の「我がまま?」で済むのか?他所の県からも同様の主張が出たらどうするかと言う問題もあるので、日弁連対千葉県だけの協議での落としどころが微妙です。
この話し合いがつかず、千葉県に従来通り多くの修習生を配置して来たときに、千葉県弁護士会がその内1定数だけ拒否する・・(あいうえお順に何名までなど機械的?)しかないのでしょうか?
ここまで行くと拒否された修習生は行くところがなくなり混乱する・・政府としては、何らかの法的措置を検討することになり兼ねません。
強制加入と自治の関係に戻りますと、千葉県弁護士会で言えば、私たち同期入会員でちょうど百人を突破したところでした。
法務省の統計によれば弁護士法施行時の1950年にはその約半分でしたから、権力に対抗するための弁護士活動をするには、地域で団結していないと弁護士の権力に対抗する弁護活動が制約・・守れなかったでしょう。
ところが、今ではどんなに小さな県でも会員が百人前後に達していますし、千葉県でさえも今や800人近い大人数を擁しています。
東京では1つの事務所で数百人を擁する事務所まである時代ですから、都道府県で1つの単位会(東京だけ現在3単位会ですが)しか認めない合理性がありません。
権力と戦うためにはある程度の応援・団結が必要なことは確かですが、交通通信の発達した現在都府県単位でなければならない必然性はありません。
ちょっとした事件で全国的な大弁護団が結成されることが珍しくない時代・・単位会で個別事件の応援団を結成する応援する必要がない時代です。
そもそも団結の必要性ならば、一定人数以上の会員があればどこにでも設立出来るようにすべきですし、交通・通信の発達している現在では地域で縛る必要もないでしょう。
同一地域内・隣接都府県で数百人規模の単位界が入り乱れていたならば、思想や意見が合わないときには単位会を変えても事務所を移転する必要がありません・・現に東京3会はそうなっています。
顧客・消費者にとっても同一地域内に思想行動様式の違う単位会がいくつもあれば、サービスの違いを比べれば良いので却って独占の弊害を防げます。
品質競争は懲戒で脅すよりは、利用者・国民の選択に任せるのが妥当です。
こう言う時代になると戦後弁護士数が少ないときに無理矢理に一致団結の必要から始まった地域独占制度や弱者保護のためのクォーター制のような優遇策が今でも必要かの疑問となります。
一定地域内事務所設置義務の根拠は、日常的移動範囲を超えた地域に複数事務所を持つと名義貸し・非弁活動の恩賞になる弊害がありましたが、今は弁護士数が多いのでそう言う弊害もほぼなくなって来ました。
核弁護士会で非弁チェック体制整備が進んでいる結果、戦後直ぐとは格段に違っています。
規制も社会の変化に合わせて行くべきです。
強制加入制度を直ぐにやめられないとしても道府県に単位会が1つと言う地域独占をやめるだけでも、多くの問題が解決するように思われます。
地域にいくつも単位会があって、例えば隣接都道府県のどこにでも加入出来る・・スキな会を選べれば、政治活動が許されるかどうかの議論の必要性が殆どなくなります。
弁護士会の政治活動が問題になっているのは、会員の政治信条反する行動が許されるかの問題ですから、11日紹介した高裁判決の結果、日弁連が何をしても良いかのような解釈をして、それぞれの単位会がどのような意見発表し運動しようとも、その主義主張に共鳴した人の集まり・自由に脱退出来るならば勝手です。
人口百万以下の小規模県では従来どおり1県に1つしか出来ないとしても隣接県に登録出来るようなれば大分緩和されます。
(隣接だけではなく関東や近畿で言えば地域内のどこに本拠のある単位会に入ってもいいなど・・)
顧客も通勤等の関係で自宅近くよりは隣接都府県の勤務先近くの弁護士に頼むことが多いのが実態です。
千葉県の住民の約半分以上は通勤の都合で都内の弁護士を依頼しているとおもわれます。
強制加入・施設に入った客が外に出て食べるには不便・・逃げられない・公的施設内等にある飲食施設が最初は独占の利益を受けますが、その内総じてサービスが低下し閑古鳥が鳴いていることが多いのと同じで・県単位で縛ることはないでしょう。
世の中で共産主義や社会党支持者が数%〜5%前後しかないのに、弁護士会構成員だけ百%の支持者であると言うのは会の政治意思の表現としては無理があります。
野党好きの人が多い傾向があるとしても6対4とか7対3ならばまだしも全員の名で野党系主張の政策に支持表明をしているのでは、却って内部実態に合っていないことが推測されます。
無理をしていると囚われの客・会員が逃げようともがき出すと、弁護士自治が内部から崩壊します。
ところで、日弁連や単位会が近年政治色を何故露骨に強化し始めたのでしょうか?
私が若手で公害対策委員だったときの経験では、はっきり共産党員を名乗る委員長であっても「そこまで書くのは弁護士会としては無理・個人的に運動するならば別だが・・」と言うような抑制する意見が普通でした。
ところが今では「弁護士会がそこまで言って良いの?」と言うような政治的露骨な意見表明が普通になって来ました。
憶測ですが背後で応援していたときには、自分から政治色を出す必要がなかったので鷹揚に構えていられたのですが、支持政党が衰退している・・国民が支持していないときに応援団が前面に出ることが多いのですが、却って政治色が目立ってきます。
応援団は応援に留まるべきで、選手に代わってグラウンドに出てプレーすべきではありません。
日教組その他政治色の強い労組から順に組織率が下がる一方になって久しい状態で、生き残っているのは強制加入の弁護士会だけ?なので余計ワル目立ちます。

資格制度の空洞化?3(修習受入れ拒否)

以下は法科大学院の人気下落に関するhttp://eic.obunsha.co.jp/viewpoint/201506viewpointからの引用です。
「法曹養成の中核的な教育機関として16年度に創設された法科大学院の27年度入試状況は、入学定員、志願者数、受験者数、合格者数、入学者数のいずれも過去最低を更新。受験者数は創設以来、初めて1万人を割り込む9,351人だった。募集停止が急増した27年度入試は、ピーク時の73%に当たる54校で実施され、入学定員充足率は約70%に改善された。」
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG11HC9_R10C16A5CR8000の引用です。
全体の志願者は制度導入の04年度の7万2800人をピークに減少が続いており、16年度は8274人まで落ち込み、前年度の1万370人を下回り、初めて1万人を割り込んだ。志願倍率(定員数に対する志願者数)は04年度は13倍だったが、16年度は3倍まで落ち込んだ。
・・・ 法科大学院はピーク時に74校あったが、16年3月末までに3校が廃止。28校が学生募集を停止したか今後の停止を決めている。」
上記は2年前の報道ですが、・・応募者が定員にも満たない状況になっていて、その後もいくつかの法科大学院が募集をやめたはずです。
こんな状況が続けば能力のあるものが応募する魅力を感じなくなくなっているのは当然ですが・・これでも「レベル維持出来ていると言い張るの?」と言う惨憺たる状況が外形的に証明されていると見るべきでしょう。
レベルが下がれば「自分でも受かるかな?」と応募者が一時増えますが、社会は厳しい・・その結果仕事がうまく行かなくなる・それを見た後続者が結果的にためらう・・応募者が減る・・そもそも従来の人材が敬遠し、従来とても合格出来そうになかった人しか応募しなくなる悪循環が始まりました。
エクスターンシップで事務所に来ていた大学院生が昨年の司法試験合格後進路相談に来ましたが、要は国家公務員試験にも合格したがどちらにしたら良いかの相談でした。
500人合格時代には想定すら出来なかったような迷い・公務員の方が良いのじゃないかの相談です。
裁判所検察庁が上澄み500人の上から順に採用するから、下の方のレベルがいくら下がっても良いと言う姿勢・・高みの見物を決め込んで来ましたが、受験生の人気・・市場評価が下がって上澄みのレベルが下がれば困って来ます・・。
ソモソモ合格者のトップクラスが、一般大学生の中程度のレベルに下がって来た場合を想定すれば・・・・。
こう言う人材が持ち上がって行き、将来最高裁判事、高裁判事になって、政府決定を覆すようなことがあっても世間が納得するでしょうか?
いろんな政策の方向性を決める場合でも、関連する最高裁判決が予定されている場合には判決を待って決めるようなことが多くあります。
裁判所の判決が憲法上行政判断に優越する・最終判断だと言っても、裏付ける裁判官のレベル次第・・信用が揺らぐと、・・信用だけでなく実際に変な判決が続くようになると社会全体が納得しない時代が来るのではないでしょうか?
さすがに政府や裁判所も焦って来たらしく、1昨年から1500人に減らし、修習生の給費制を昨年から復活が決まりましたが、(次期合格者から実施?)その程度では低レベル化の勢いは止まらない状況です。
自民党の緊急提言を読むと折角合格者を大幅増員したのに弁護士ばかり増えて裁判所の採用が何故増えないかの関連で、裁判所自身が採用に適した能力の修習生が不足しているから、裁判官採用を増やせないと言う実態が書かれています・・。
大幅増加によって弁護士人気にかげりが出た結果、元々の優秀な学生が応募しなくなってきた現状を表しています。
以下は法科大学院のレベル低下の前段階・・学部の現状です。
5年も前の記事ですが、http://diamond.jp/articles/-/27489?page=2によると以下のとおりです。
2012.11.7
「なんと東大法学部が初の定員割れ 法曹志望、公務員志望減少が影響か」
「東大法学部は、法曹志望者、公務員志望者が多いのは言うまでもない。授業もきびしく、履修者の4分の1が単位を落とす科目もある。法曹や公務員志望者ではない民間企業への就職志望者を下に見る風潮があるという。当初から民間企業に就職するつもりあれば、わざわざ授業が厳しい法学部に行かなくてもよいと考えても不思議はない。
 今や司法試験に合格しても、弁護士として就職するのは楽ではない。財政危機ゆえに公務員の人件費削減が声高に叫ばれ、いわゆるキャリア公務員の天下りに対する目は厳しくなっている。そうであれば、東大生であっても法曹や公務員志望が減るのは無理もない話だ。法学部の定員割れはそうした志向が端的に表れたケースと言えよう。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 竹田孝洋)」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170402-00000006-nikkeisty-bus_allによれば16年度も同じ傾向が続いています。
「東大法学部」に異変、定員割れも! 「首席女子」も悩むキャリア形成、文系は…
東京大学法学部。スーパーエリート養成機関として君臨してきたが、東大文科1類から法学部に進学する際、2016年度に定員割れするなど異変が起きている。官僚や弁護士の人気が下がっているためだが、東大法復権の処方箋はあるのか。」
草野球・草相撲等の足腰に当たる大学法学部の人気が下がるところまで来るとかなり重症です。
平成26年の自民党の緊急提言を受けて27年5月に緊急に1500人の意見が出てそのまま1500人で止まっています。
自民党でさえもっと引き下げろと言う意見が出ていたのに・・。
この間にも志望者レベルダウンがドンドン進んで行きます。
千葉県弁護士会では何年か前から合格者を1000人に減らすべきと言う総会決議を出していますが、何故か日弁連の腰が重く動きそうもありません。
業を煮やした現執行部が、就任早々の今年4月4日にイキナリ日弁連に対して返答次第によっては、修習生受入れ制限するかどうかを総会にかけると言う申し入れを行ない、記者会見まで済ませました。
会内では、会内手順を踏まない抜き打ちの申し入れに千葉のトランプ版かと!てんやわんやの大騒ぎですが、(上記のとおり総会で議論すると言うだけですから、越権とは言い切れませんが・・)そこまでやらないければならないほど・事態が切迫して来たと言うことでしょう。
4月16日に弁護士法を紹介したように有資格者の登録申請に対して法律上登録拒否出来ないとしても、修習生受入れ拒否が出来るかどうかは法律上明文がない・・灰色ですからどうなるかです。
登録拒否出来るのは法定の事由があるときだけ・・と言うことは、資格を与える手続の一環である修習生受入れも拒否出来ない・・協力義務があると言う解釈論もありそうです。
合格者数を千人にしようが、1万人にしようが政府の専権事項であるとすれば、トップで数字を決めればこれに必要な手順に齟齬がないように、準備するのがピラミッド型行政組織の場合(日弁連・弁護士会は公法人ですが独立組織?)当然の職務になります。
他方これに反発して仮に日弁連が千人しか受入れないと言う実力行使に出た場合、弁護士会は独立組織ですから、政府には指揮命令・強制する方法がありません。
ただし強行突破すると法曹三者の信頼関係がガタガタになります。
・・これをとことん追及しているのが沖縄県知事です。

資格制度の空洞化?2(自民党緊急提言)

一定期間経過すれば、3年も4年も勉強している合格ラインスレスレの予備軍がいなくなって、試験が易しくなったから自分も受けようかと言う元々想定外だったレベルの新規参入者が中心になります。
私は昭和最後から平成始めの750人体制(結果的に丙案)になる議論最中に日弁連司法問題対策委員であったのでその最前線にいたのですが、その後法曹養成委員会という専門委員会が日弁連に出来て私は日弁連修習委員になった関係から結果を聞くだけの委員になったのですが、政府は増員の突破口が開いた勢いで?ドンドン合格者を増やして行き約2000人まで増やしてしまいました。
500人基準で言えば合格出来なかった筈の1500人が毎年多く合格しても裁判所や検察庁は弁護士が食えなくなれば任官希望者が増える・・上澄みの元々の500人から採用すれば良いので何ら心配がないと言うスタンスでした。
しかも従来基準で言えば到底合格出来なかった筈の人材がドンドン参入するようになる以上は、訓練期間を延ばすのが本来のスジですが、この大増員と平行して増員に対応する「指導教官が足りない施設が足りない」と言う理由で我々500人時代の研修期間2年を半分の1年に減らしてしまいました。
裁判所や検察庁は採用後内部研修するから、弁護士になる人材と一緒に2年も国費をかけられないと言う露骨な姿勢でした。
悪く言えば、弁護士の質劣化を露骨に狙っていたことになります。
毎年落第生が出るとその後の教官との会合で説明を聞く機会が日弁連修習委員会でありますが、裁判検察科目では滅多に落第が出ない・・弁護科目の落第が圧倒的でした。
我々の頃には、裁判科目が一番難しかったのに今何故弁護科目で多く落第が出るかの説明では、裁判検察では落第スレスレの人材を採用しないから劣等生がいくらいても「我関せず」の姿勢のようだと言うことでした。
その頃から、検察では修習に対する熱意が見られない・・オザナリ的印象が強く何でも見せる時代ではなくなっている印象です。
しかし、全体の魅力がなくなると優秀な学生まで他業界に流れる点を見逃していたようです。
研修所教官との会合ではいつも「合格水準を変えていない・・質は下がっていない」「修習期間が半分になった分・濃密な授業をやっている」と言うのが普通です。
合格者が500人から2000人になってしかも研修期間を半分にしても水準が変わらないと言うならば、昔よりも何倍も優秀な人材が多く集まるようにならないと数字が合いません。
合格者500人時代には、大学でトップクラスの誉れ高い人だけ(東大法学部卒でさえも現現役合格者が一握りの時代でした)が挑戦する超難関試験でした。
当時大学別に何人が現役と言う数字が新聞発表されていましたが今になると過去のデータがネットでは出て来ません。
その何倍も優秀な人材が、ソモソモどこにいたの?となりますし大学院に行けば6割が合格すると言うのが売り物の制度でしたから、論理が破綻しています。
更に需給を無視した大量供給をすれば、低価格競争・収入減→資格取得の魅力が減る→その方向からの応募者人材劣化が防げません。
従来99点取れるような秀才でないと合格出来なかったのが、60点くらいのレベルでも合格出来るとなれば一時的に参入者が増えますが、社会は甘くない・・相応の待遇になって来たと言うことです。
食材千円の料理を600円の食材に落として定価を変えなければ大もうけですが、客の方は2〜3回来れば最近味が変わったと来なくなります。
公式意見の矛盾は試験制度による面からと市場評価の2方面からのレベル劣化の現実を無視する裸の王様のような議論でしたが、大量供給が始まってからの合格者が実務につくようになって約10年以上経過すると、弁護士になっても食うや食わずの実態が広がってきました。
弁護士し某社はそれでも志が高いので、収入が減ってもサービス・・弱者によりそう姿勢をよりいっそう強めているのは大したもので、社会の評価が下がったとは思いませんが、他業界と比較シテ・・応募段階での人気が下がる一方です。
レベルダウン以前に職業としての魅力がなくなって来たので、前段階の大学院応募者が減って来て資格試験制度自体が成り立たなくなる?弊害が目前に迫って来ました。
4月14日に書いたように法律家の質は(ドローン1つ実験するにも法規制のクリアーが必要です)国際競争上重要な戦力ですから、自民党も無視出来なくなって来たらしく緊急提言が発表されました。
自民党の緊急提言の一部引用です。
http://www.moj.go.jp/content/000124826.pdf法曹人口・司法試験合格者数に関する緊急提言 平成26年4月9日
  自由民主党 政務調査会 司法制度調査会・法曹養成制度小委員会合同会議
1.はじめに
21世紀の国際社会において、わが国が自由・民主主義・基本的人権・法の支配といった基本的な価値に立脚し、存分にそのリーダーシップを発揮するためには、法の支配の貫徹を担う司法が力強くその役割を果たすことが不可欠である。また、複雑高度化し、多様化する国際社会において、わが国が本来の活力と国力を取り戻すためにも、個人や企業等の自由かつ創造的な活動を支える司法、法曹の力は極めて重要である。とりわけわが国が通商国家・科学技術立国としてグローバル社会を勝ち抜くため、内外のルール形成・運用の様々な場面で、法曹が先端的で高度な専門性を備えるプロフェッションとしてその役割を十分に果たすことが欠かせない。」
・・・司法制度改革のもと、平成16年、法科大学院を中核とする「プロセス」としての法曹養成制度がスタートした。しかしながら、近年、法曹となるまでの時間的・経済的負担感の増大、司法試験合格後の就職難等を背景とした法曹志望者(法科大学院受験者、同入学者等)の減少が続き、有為な人材が法曹を目指さないという深刻な状況が指摘されるに至った。」
「国際社会でリーダーシップを発揮し、本来の国力を取り戻すため、力強い司法・法曹の存在が不可欠であること、さらにはデフレ経済から脱却して経済活動が活性化し、国家として活力を取り戻す過程にある重要な時期にあることに鑑みれば、こうした状況はわが国にとって国家的な危機とすら言うべき事態である。」
2.当調査会での議論の状況
・・・その一方で、司法試験合格者のうち、上位合格者層と下位合格者層との間には歴然たる質の差が見られるという指摘があり、これを前提に合格者数は1000人以下を目安にすべきであり法曹需要を見極めるまでは当面500人以下とすべきとの意見、若者の法曹離れを直視しその根本対策として合格者数を1500人とすべきとの意見 があった。
全体としては現在の司法試験合格者数は、良質な法曹人材に対する実際の需要を大きく超えており、現状より削減すべきとの意見が少なくなかったことは重く受け止
める必要がある。・・」
3.法曹人口・司法修習等をめぐる状況についての認識
ク)司法試験合格者数が2000人に増加したにもかかわらず、判事補に適する質を
有する司法修習生が任官せず定員を満たさないと最高裁判所が自認するような
状況にありながら、司法修習における二回試験及び集合修習の修習生各人の成績分布の把握や分析、これに基づく司法修習委員会において十分になされていないこと」
4.緊急提言
・・・全体として法曹の質を維持することが困難な事情が生じているのが今の法曹を巡る現実である。・・・・下記に付言するような様々な取組みには時間を要するのでり、それまでの間は質を維持した人材の増加が見込めない状況の下、人為的に合格者数を増加させるべきではない。まずは平成28年までに1500人程度を目指すべきことを提言す
る。」
この緊急提言により、翌平成27年5月に1500人とする有識者会議の結論が出て現在に至っています。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。