ハングルの普及と漢字放棄

高度な熟語は専門家だけがけ分かればいいという政治姿勢について続けます。
政治は政治家だけで通じる専門用語で議論すれば良い・素人・国民は議論に使われている言葉すら知る必要がないと言うのは、いわばヤンパン・エリート支配の復活を目指したものというべきでしょう。
専門用語は専門家だけが知ればいいという思想によれば、例えば国会論争は政治家同士が素人には分からない専門用語を駆使して論争しているのだからプロの政治家に任せておけばいい・・という方向になります。
民主国家ではそうも行かないのでメデイアには報道する必要がありますが、メデイアはそのまま伝えてもどうせ素人には分からないという圧倒的世論の社会ではどうなるでしょうか?
・・我が国の例・・例えばTPP交渉であれば、どう言う論争があって、A論B論C論のそれぞれの意見によればこのようになるとか、どう言う利害があるかの具体的報道を怠り(あえてしないで)「農業を守れ」とか「売国奴」とかの感情論の報道で一定方向へ世論誘導するのが簡単になります。
我が国の知識人?はエリート意識が拠り所ですから、素人は文化人?の主張を感心して聞いてればいいという図式を重んじています。
なにかあると「文化人?」多数の署名意見発表とか、共謀罪法や集団自衛権論では「危険だ」「近代法に反する」とか「戦争法案」という抽象論(アジテート)ばかりで、具体論を一切言わない奇妙さを何回も書いてきました。
メデイアも法案の具体的内容を一切あるいは殆ど報道しないで、いつも審議時間が少ない、議論が足りないと強行採決はどうのというムード的批判報道ばかりです。
憲法学者や法律家の声明ですら殆ど内容に触れないで戦争法案反対というばかりです。
権威主義社会の韓国では大学教授という肩書きの威力がすごいと言われますが、日本でも革新?系はこれが好きで憲法学者連名の声明文発表など肩書き重視です。
文化人?やメデイアでは、「安倍政権を倒す」という目標では一致していますが、そのために政策論争を挑まずスキャンダル探しに狂奔しているのは、(レベルの低い)国民には政治論など分かるはずがない」という一方的決め込みが前提らしく、答弁が下手だと言っては政治責任を問い、スキャンダルや癒着ならば愚昧な庶民でも分かるという仕掛け・・森友・加計学園などムード報道ばかりで政権を追い込んでいます。
メデイア合作の強みで安倍政権と自民党支持率が激減したと報道されましたが、国会追及で頑張ったはずの民進党支持率はさらに下がって党存亡の危機になっている結果を見れば、国民は本当の政治論争を望んでいることが見て取れます。
日本国民はレベルが高いので、政治家には日本がどうあるべきかの政治論を戦わせているところを聞かせて欲しいのですが、メデイアと民進党はこれを一切しません。
国会中継でも大事な政策論議を一切報道しない偏り方です・・獣医学部新設の必要性に関して今回の癒着報道の10年以上前から岩盤で進まなかったというのですが、どこのメデイアがスキャンダルと関係のない段階で純粋な政策論として報道していたのでしょうか?
大臣の答弁が下手だとか、揚げ足取りになるとすぐに過熱するするメデイアのあり方・・これが政治・国会論戦の主要テーマであるかのようなメデイアのムードづくりに多くの国民は誘導されて(テレビ等のコメンテーターが「こんなのおかしいよね」という話題を垂れ流している・・これがトレンドならば、自己保身上「先ずは同調しておこう」という空気で政権支持率が下がっていますが、それと政治家に求めるものは別・・国民を馬鹿にしている本質を国民に知られてしまったのです。
支持率低下と言ってかけ学園問題の政府説明に納得しますか?と聞かれた後で政権支持の有無を聞かれると政府説明に納得しない人は支持しない方向へ答えが来るような仕掛けになります。
説明不十分と思っているが、それと政権支持と関係ない・自分は政策本位で決めると言い難い流れを作って強引に支持率を決めつけていく流れです。
こんなまやかしの加工報道をアテにしているから、旧社会党は消滅し民進党は無くなりそうになっているのです。
政権を競うならば政策論争で国民の審判を仰ぐべきです。
スポーツその他すべて競技(五輪競技場の設計審査も)の勝敗(芸能人は人気で生きている以上別ですが・・)はその競技で勝敗を決めるべきであって、その選手の家柄や私生活によって勝敗を決めるのは邪道です。
スキャンダル探しに熱を上げて練習を怠って本番で負け続けるスポーツマンみたいになっているのが、旧社会党であり民主党〜民進党です。
メデイアは初の女性〇〇などと、能力外のことを過大に報道し過ぎです。
メデイアや文化人はエリート意識の強い高学歴者人が多いので、「レベルの低い国民相手に合理的議論を紹介しても意味がない」という上から目線で政治動向を興味本位?で報道しているように見えます。
国家の重要な法律案などを審議する姿よりは、スキャンダル探しの議論の方がテレビの脚光をあびる・まさに衆愚政治に陥るようにメデイアが煽っているとしか思えません。
メデイアは政治論の甲論乙駁を紹介するよりは、スキャンダル探ししかしなくなった結果、この十数年間ではいわゆる「身体検査」と称するものが政治資質の有無よりも最優先事項になってしまっています。
この結果、政治家任用もその人の政策実現能力よりは、スキャンンダルで集中砲火を浴びないような人材・・官僚のようにソツなく答弁する能力優先で枢要な役職が決まって行くのでは、国家の不幸です。
こんなことでは、真面目に天下国家のあるべき姿を考え努力するよりも、ソツなく生きる器用な人だけが政治指導者になる社会が来てしまいます。
政治家はどうあるべきかの基準をメデイアが事実上作って、「ツノを矯めて牛を殺す」ようなケチな基準を報道して日本社会を腐らせてしまう・・衆愚政治に誘導している面があります。
日本民族を腐らせてしまうためにどこかの手先になって運動しているのではないかの疑いをいう意見が出て来る所以です。
専門用語を庶民もよく知っているわが国ですら、(本当に国民が知るべきことをあえて報道しない)メデイアによる一種のフェイクニュースの氾濫でこういう状態になっています。
たまたま8月4日事務所でちょっと手の空いたスキにMSNニュースを見ると、マサに私の関心と関連する・・事実報道しないNHK批判記事が出ていました。
この引用は自宅に帰ってからこの文章を書いたのが昨日20時33分ですから、14時間前の発信記事となります。
JBpress
森 清勇14 時間前
  加計選定「一点の曇りもない」証言を報道しないNHK
 問題の本質は、(1)獣医学部新設の必要性と規制の現実、(2)認可に至る手続きは公正に行われたかの2点である。
与党委員は岩盤規制で必要性が阻害されているのではないかとの視点から首相や官房・内閣府、そして民間の参考人に問い糾した。
 他方、野党はもっぱら「総理のご意向」や「官邸の最高レベル」という文科省内に見つかった文書から読み取れる首相の圧力があったのではないかとみて質問した。
 この過程で、獣医学部新設に当っては関係する省と団体の圧力は相当なもので、首相のリーダーシップをもってしても容易に崩せない実態が浮き彫りになった。
24・25両日のNHK「ニュース・ウォッチ9」は、首相と加計氏の会食が異常に多かった、加計学園が申請したのを首相が知ったのは今年1月20日かなど、決定過程に疑惑があるとみる野党委員の質問や、「加計ありき」とする前川喜平参考人の発言などを中心に報じたが、問題の本質である必要性や半世紀も正されずに来た岩盤規制、そして正当な手続きで加計学園に決ったとする参考人の発言はほとんど報道しなかった。」恐るべき偏向報道ではなかろうか。NHKの報道姿勢が偏向していると指摘されて久しい。しかし、一向に改まる気配は見られない。
 「7月10日の閉会中審査を終えて、筆者はJBpressで、「加計学園問題の審議はもう不要、安全保障論議を! 行政は歪められたのではなく正された、前川喜平氏こそ問題の中心」として取り上げた。
しかし、国民の多くはニュース番組としてのNHKを視聴して、政党主張の是非や政治の正邪を判断するに違いない。それ故にNHKには民放と異なる要求が放送法で課されている。」

日本統治・義務教育化によるハングルの普及

ただし世宗がハングルを導入するためには「表音文字に過ぎない」と言い訳するしかなかったほど周辺支配層の反対が強かったことから分かるように・・・支配層は欧米の異民族支配と同じで既得権益死守のために・庶民のレベルアップを阻止するためにハングル普及を極力妨害して1900年ころまで成功してきたようです。
この結果、朝鮮ではハングル文字が「ある」というだけで、日常的利用に発展できていませんでした。
日常利用されていなかった結果・・・ハングル表記ルールさえ決まっていなかったのですが、文字利用のルールがないと混乱しますので、後記のとおり日本政府がハングル文字の教育を始めるにあたって1912年に日本政府が制定した「諺文綴字法」によります。
それまでは「いろは」のようなルールすらない状態でしたが、日韓併合後朝鮮人民レベル底上げのためには、日本同様の教育制度化を必要として学校制度の構築に力を注ぎましたが、文字を見たこともないような人を相手に漢文の授業では無理があるので、漢文読解力及び漢文での文字表現を庶民全部に求めるのは無理があることから、日本のような漢字仮名交じり文の発想・・朝鮮には古くからハングル文字があることに目をつけてこれを整理しルール化(諺文綴字法)してハングル教育を強力に推し進めたのでこれが庶民に普及するようになりました。
朝鮮民族の言語は古代からあるのですが、考えを文字表現できるようになるとならないのではその後の文化発展には大違いです。
思考の途中で文字化するとその先に思考が進みやすくなるだけはなく脳内概念での整理も進みますので、文字を持つ民族と持たない民族とでは人間とその他の動物との分化に匹敵する・・人類が言語会話能力を持ったことによって、その他動物との知能格差が生じたほどの格差が生まれます。
朝鮮で庶民向けハングル文字の教育システム化によって庶民に文字文化の普及が始まるとすぐに庶民向けの流行本・いわゆるタクチ本が発行されるようになった結果がこれを示しています。
日本では古代から庶民向けの絵草紙や歌舞伎,浮世絵〜落語その他多くの文化が発達したのは、庶民向け文字の発達によるところが大きかったと思われます。
西欧ルネッサンスの始まりとなるダンテの神曲は、ラテン語ではなく地方言語であるトスカナ語で書いたことが重視されるのはこの点にあり、・.これを中学生の時に習ったときに自国の文字文化に慣れ親しんでいた私はこの事自体・自民族の文字表現がなかったことに驚きました。
・・西欧は、以後ラテン語の呪縛から逃れて身近な言語文字を介して日常の事象を浅く広くあるいは深く思考するチャンスを得られることによってその後約4〜500年後に宗教への懐疑〜モンテスキューなどの思想家を生み、市民革命やイギリスの産業革命につながったことになります。
8月2日現在のウイキペデイアの記事からです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE
「李氏朝鮮は清国の従属下にあり漢字が重視される一方、ハングルは軽視され、公文書でも採用されることもなかったが、李朝末期(1886年)になって開化派と井上角五郎の協力により朝鮮で初のハングル使用の新聞・公文書(官報)である『漢城周報』(1886年創刊)が発行された[37]。また、一般人(特に女子)のための教育機関は皆無で、大多数の朝鮮人は読み書きができない状況だった[38][39]。
日本統治下になると学校教育における科目の一つとしてハングルと漢字の混用による朝鮮語が導入されたため、朝鮮語の識字率は一定の上昇をみた[40]。1911年に朝鮮総督府は、第一次教育令を公布し、朝鮮語は必修科目としてハングルが教えられることとなった[41]。朝鮮語の時間以外の教授言語としては日本語が使用された。総督府は1912年に、近代において初めて作成された朝鮮語の正書法である普通学校用諺文綴字法を作成し、1930年には児童の学習能率の向上、朝鮮語の綴字法の整理・統一のための新正書法である諺文綴字法を作成し、それを用いた。識字率の上昇によってハングルで書かれたタクチ本が1920年代から1930年代にかけて流行した[42]。
いわば庶民ほぼ100%の文盲状態脱皮は、日本政府によるハングル教育開始・強制によるものでした。
この成果で、以下に紹介するタクチ本の大ヒットでもわかるように、庶民の思考力や表現力が急速にレベルアップして行きました。
政治的方便としての公式意見としてはハングルはまさに発音記号でしかないのですが、ハングルが日常的に使われるようになれば、表音のみでは不便なのでなんらかの意味が入ってくるのは、自然のなり行きでしょう。
他方でハングルには同音でいくつもの意味を持つので間違いやすいとも言われている実態とも合います。
上記タクチ本とは、恋愛小説どのジャンルがあるようですから、相応の内面表現ができることになります。
タクチ本に関するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%81%E6%9C%ACによれば、『洪吉童伝』『沈清伝』『春香伝』といった古典小説[1]のみならず、『長恨夢』などの新小説[1]、『金庾信実記』など歴史上の人物を扱った小説[1]、1923年に悲恋の果ての自殺(情死)事件 (ko:강명화 자살 사건) を起こして話題となった平壌の妓生・康明花(カン・ミョンファ)を題材にした小説[3]などがある。このほか、ジョーク集[1]や、さまざまな歌を載せた雑歌集[1]、『怪傑張作霖』(1929年初版)など同時代の人物を扱った評伝[1]も出版された。」
というのですから、結構高度複雑な内面の葛藤などを表現出来ることが分かります。
考えてみれば、源氏物語などの古典を我々多くは漢字仮名交じり文の印刷で読んでいますが、平安女流文学の数々の原典は(特に百人一首で知られる和歌など)平仮名で出来ているのではなかったでしょうか?
どの程度の漢字が混じっていたかについては、古代には今のように印刷技術がないので、写本を繰り返す都度、文意がわかり良いように漢字が増えて来る傾向があるらしく、元々「薫」大将などの人名や官名などは漢字中心だったとも言われますし、全部ひらかなだったのかすらちょっとネットで原典を探した程度では分かりません。
それまで漢字ばかりだったのが、せいぜい漢字仮名混じり文が正々堂と発表された程度だったのかもしれません。
枕草子をネット見ると原文とは書いてあるものの(「〇〇本」ということで文字どおり作者が書いた原本ではありません)漢字が結構使われています。
上記の通り情感表現程度は表音文字で何とかなるとしても、現在の各分野の専門用語・・術語になってくると簡潔な熟語が必須ですから、漢字放棄の不都合が顕在化するはずです。
ちなみにパソコン用の文字数で言えば以下のようです。
例えば我々の法律用語でいうと一々ひらかなで書いているとまどろっこしくていけません。
それならば、専門家同士でだけ分かれば良いじゃないかと思うでしょうが、・韓国ではこの考え方で庶民には必要がないという公式立場です・・消費者に対する説明が必要な時代です。
医師や弁護士が説明する場合、専門的用語またはその周辺言語を客がある程度理解している・・専門用語の説明をするには周辺用語の理解能力の高い人の方が説明の正確性が得られます。
感情的な結論の報道しかできません・これでは民主政治の本来の意義が実現できません。
MRIを撮る説明でもその仕組みをコマゴマと説明せずとも、レントゲンを知っていれば、それとの違い程度の説明だけですぐに患者が必要性・高度性を理解出来ます。
このように周辺専門言語理解があってこそ先端言語も理解し易いのです。

人権の序列(公共の福祉)

弁護士等の憲法遵守義務と時代に合わない憲法改正をした方がいいかどうかを論じることとは別ですが、不思議なことに護憲論者は改正反対の理由に憲法擁護義務を掲げるのが普通です。
左翼文化人が金科玉条のように重視する憲法においても、・・個々人の人権は全体利益の範囲内でしか認められないのが原理原則です。
以下に紹介するとおり、人権も「公共の福祉に反しない限り」認められているに過ぎません。
憲法
第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十八条  何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」
憲法では、全体利益を損なう・・犯罪を犯せば刑務所に入るなど人権の制約が許される仕組みです。
共同体が構築する秩序があってこそ、生命を含めた人権が守られるのは当然です。
文化人は騒音被害や肖像権、プライバシーなどを理由に新しい政策反対の道具にしていますが、強盗や傷害・殺人事件が頻発するようになると防犯カメラによる肖像権侵害とどちらが優先課題になるべきかを見れば、治安の確保があってこそいろんな人権が守られていることが分ります。
イラク・シリアの悲惨な現状を見れば、あらゆる(個々の人権も重要ではあるが)個々の人権保障に先立って、先ず共同体秩序維持を最優先すべきことは誰の目にも明らかでしょう。
治安をまとめて破壊されるのが外敵による侵略・異民族支配で、個々人で言えば、強盗が押し入って民家を長期間支配しているような関係です。
治安を乱すものは刑務所に入れられる・・生命・身体の自由さえ奪われるのが憲法の基本ですから基本的人権にも序列があることが分ります。
そして、治安=国家の安全・・秩序を守ることが他の人権よりも最優先課題であることが、上記憲法の記載から分ります。
上記によれば人権侵害だと言う以前にその制度がなくても治安・高次の人権を守れるかの議論が先にあって、それが確保された上でプライバシー、肖像権などの人権を言うべきことになります。
卑近な例で言えば、「信号機で通行規制されるのは通行の自由を侵害する」と言う以前に信号機がなくとも交差点での事故防止出来るか、車のような高速交通手段が有効利用できるかの議論が先にあるべきです。
集団自衛権がない、あるいは特定秘密保護法がないと侵略されるリスクが高まるかに付いては議論の余地があり得ますが、集団自衛権反対論者がこの種の合理的な議論しているのを聞いたことがありません。
スパイ防止法がなくとも国家利益を守れるのかに付いても同じです。
どのようにして国家を守れるかの議論を一切しないで、国家の安全があってこそ守られる個人のプライバシイなどの人権ばかり言うのでは、合理的な議論の仕方とは思えません。
目の前にニッポン侵略意図を明らかにしている中国が存在する現在、ニッポンが滅びても現憲法を守る可シと言う人が憲法学者であり人権活動家の資格があるとは思えません。
ましてニッポンを半永久的支配下に置こうとして占領軍が押し付けた憲法であればなおさらです。
国家社会が破壊されて異民族の隷属下に入ろうとも武装禁止の憲法を守るべき(アメリカ占領でニッポンの明治憲法が無効にしたように)中国支配下で、現憲法がそのまま維持されるのか、言論の自由があるのでしょうか?
中国は香港返還時に1国2制度を公約しておきながら、今ではなし崩しに政府批判者を拘束しています。
まして武力占領されたニッポンの法制度がそのままと言うのは想定し難いことです。
旧ソ連や中国の環境破壊や人権侵害・核実験や原子力発電には一切の批判をして来なかったマスコミや文化人憲法学者は、中国支配下に入るならば、人権を問題にしないと言う意思表示でしょうか?
それはそれで一貫しています。
上記のとおりに、人権と言っても公共の福祉に反しない限度であるべきですが、何故かマスコミや文化人?は個人主義の悪い面を強調して全体に及ぶ悪影響を無視して権利権利と強調し過ぎる傾向があります。
マスコミの誘導のとおり、極端主張し行動しているのが、韓国の現代自動車労組に代表される労働運動です。
ユダヤの陰謀論が盛んですが、ユダヤが何重にも本音を隠して世界戦略をしかけているのに韓国がその手先としてこれを下手に実践するので、却ってアメリカやユダヤの本音が透けて見える・・日本にとって便利な存在です。
社会混乱を招く目的集団?人権屋グループが、米軍やその支配下にあるマスコミの応援を受けて大きな顔をして来たのですが、マスコミがいくら煽っても縄文の昔から共同体を大切にして来たDNAを変えるところまで浸透出来ませんでした。
さすがに戦後70年も経過すると逆に???と言う人が増えて来ました。
何やかやと言っても、「共同体があってこその自分があるのじゃないか」と言う人が発言出来る時代が来たのです。

自民族言語表現の重要性5(近現代用語を日本に頼る中韓2)

昨日まで紹介したように、日本の政府要人に限らず朝鮮へ赴いた各分野の経営者〜中間管理職・教育者・技術者あらゆる分野でこぞって(最もナーバスな軍人養成でさえも)人種差別なく現地人材養成に心を砕いてきた結果、日本が朝鮮に戦前に作った各種近代インフラ関連技術者7〜8000人の内、朝鮮人技術者が1200人前後(軍人で言えば、日韓交渉時に戦前日本の士官学校で訓練を受けたことのある朴正熈大統領がいたように)育っていたことが日韓交渉後の経済発展に大きな役割を果たせたのです。
このやり方は東南アジア諸国占領政治でも同じですが支配期間が短すぎたので残せた成果が乏しいだけであって、それでもわずか3〜4年しかない占領期間中に育てた人材が日本撤退後のビルマやインドネシア、ベトナム等各地の独立機運の高まりと独立運動の核になる(ビルマのネ・ウイン将軍のような)人材が育っていたのです。
戦後の民間済進出でも同じやり方で、欧米植民地支配では数百年以上にわたる現地人自信喪失目的教育の結果、(やる気を失って)民度が退化する一方であったのに日本が進出すると現地人の自信回復教育や働き方改革や技術指導したので、すぐに新興国となって経済発展がはじまった原因です。
韓国〜台湾の急成長を見て欧米では日本教育の遺産によると言えないために儒教教育の成果として報道し日本メデイアも追随していましたが、その後の東南アジアの成長(中国でも満州地域の発展速度が早い事など)とその到達点を見ても、日本戦前教育の期間差に成果が比例する関係が「疫学的に?』に(上位者が働かない習慣・・研究者でも教授様は自分で実験はしない・・逆に儒教教育が足枷になる関係が)証明されています。
日本支配時の教育遺産の重要性については、中国でも同じです。
中国の改革開放後に日本技術を導入すると東北3省が急発展できたのは旧満州国時代に日本が教育制度を整え技術者養成を行ってきた結果一定の技術者や教育成果(努力すれば報われる意識)が残っていた事によると言われているのと同じです。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/中国東北部
中国東北部(ちゅうごくとうほくぶ、中国語簡体字:中国东北 (拼音:Zhōngguó dōngběi))とは、中華人民共和国の東北側外縁に存在する地域であり、歴史的に満州と呼ばれていた地域である。狭義には遼寧省・吉林省・黒竜江省の東北三省(旧称:東三省)の総称。中華人民共和国における地域をブロックに分けた区分では「東北区」と呼んでいる。
文化
「・・文化教育施設、教育普及率と進学率は中華人民共和国の中で高い水準にある。そのうち、遼寧省の高等教育の普及率は中国で最高である。主な科学研究機構はハルビン市、長春市、瀋陽市、大連市に分布し、そのうちで光学機械、冶金、軍需産業の研究水準が最も発達している。」
日本との関係
清朝時代の満州は荒野が目立つ辺境の地であった。それは満州族の祖地であるため漢人の入植が制限されたからであり、近代にはロシアの極東進出にも晒されたからである。19世紀後半にはロシアの脅威を受け清朝が一転して植民を促したことで漢民族の人口は増加し土地が農耕によって開墾された。満州国統治時代になると、日本から資本が投下され鉄道や発電所など近代的なインフラが整備された。日本の傀儡政権とはいえ、安定と発展がもたらされた満州国には日本人開拓団の植民はもちろん、当時内戦中だった中国本土からも多くの移民が流入した。その結果、人口が建国時の約3000万から約4500万に膨れ上がった。新京(長春)、奉天(瀋陽)、ハルビン、吉林、チチハルといった近代的な都市が形成された時期でもある。戦後、中華人民共和国の統治下に入った後は改革開放が始まるまで中国随一の工業地帯として同国の経済を支えた。
現在の日本とも関わりが深く、日本に居住する中国人の3割以上は東北部の出身である[2]。日本で学ぶ中国人留学生は、この地域の出身者が最も多い。中国の中では比較的親日的な地域とされており、日系企業の進出が多い地域の一つである。
在留中国人の出身地は、遼寧省 (16%)、黒竜江省 (10.6%)、吉林省 (8.3%) の東北3省で約35%を占め、これに台湾を加えると4割を超える(2009年)川嶋諭/ジャパンビジネスプレス2011.03.05掲載
中国でも日本統治下だった元満州地域の方が発展性が高い現実を見ました。
韓国の戦後成長の基盤に戻ります。
日韓条約後日本経済援助と企業の進出による技術指導の結果急成長ができたのは、敗戦で日本人が帰国してしまったあと、独自に産業を起こせるほどの技術者がいなかったので産業が衰退する一方だったとはいえ、中間技術者まで育っていたので・・・軍で言えば、朴正熈大統領が将官級まで昇進していなかったが、中堅士官まで昇進していたのと同様です・・彼らが日韓交渉後の発展の基礎になったという数字をどこかで読んだのですが、今になるとどこで読んだか探せません。
朴正熈大統領の経歴は以下の通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95日韓併合後の朝鮮半島に朴成彬と白南義の末っ子として生まれる。朝鮮名では朴正、日本名では高木正雄と名乗った[3]。大邱師範学校経て学校教師を務めていたが、やがて軍人を志して同じく日本の影響下にあった満州国の軍官学校(士官学校)に志願入隊する。卒業後は成績優秀者が選抜される日本の陸軍士官学校への留学生となり、第57期生として日本式の士官教育を受ける。帰国後は満州軍第8団(連隊)副官として八路軍や対日参戦したソ連軍との戦闘に加わり、内モンゴル自治区で終戦を迎えた。
1965年の日韓交渉時のパク大統領自身が日本の士官学校で教育を受けた人材であったことからも分かるように、いろんな分野で日本教育の遺産が役立っていたことは確かでしょう
漢字を捨ててしまったハングル社会に戻ります。
ハングル一本では抽象的概念を利用した思考訓練には不向きといわれていますが、ハングルはひらがなのような完全な表音文字に過ぎないといえるか気になります。
韓国人の多くがひらがな思考で生きていると言われますが、ノー(脳)タリンは別として普通の知能の人がひらがなのようなもので表現した幼児が理解する程度の熟語レベルで物事を考える社会・・単純思考で現在の高度社会が成り立つのか?そんなことが可能かな?と言う疑問でしょう。
日本敗戦から日韓基本条約までの20年間はこの結果、どんどん退化する一方であった20年間の理解としては納得ですが、1965年の条約成立後日本の経済・技術援助でどんどん成長を初めてからすでに50年経過して先進国の仲間入りしている現在の理解にそのまま当てはめるのは無理がありそうな印象です。
各種思考訓練の基礎になる言語表現ツール・・ハングルとはなにか?ですが、私は現在流通しているハングル自体を知りません。
李氏朝鮮第4代王の世宗の推進した「訓民正音」は(漢字の素養がないものに発音を教える記号)」「民を訓(おし)える正しい音」と言う意味らしいですから、これを元にして表音記号に過ぎないという考え方が普通に流布されているのかもしれません。
しかし、これは独自文字を持つことに反対する諮問機関・知識層の反対(知識層は既得教養・西欧のラテン語や朝鮮の場合、漢語理解能力習得による教養独占の優位性を守るためにいつも守旧的立場です)を押し切るために世宗が言った政治的方便だったと思われます。
漢字とひらかなの中間的なものであった上に、表音文字にしては、ハングルの文字数が多すぎるのはこのような背景・・実質がある結果でしょうか?
上記政治的解決のための公式意見は政府を縛るかも知れませんが、言語は生きものですから需要に合わせて変わっていくので実態に合わせて解釈すべきで額面通りに受けとると間違いのもとです。
支配層は欧米の異民族支配と同じで既得権益死守のためにハングル普及を極力妨害してきたためにその後朝鮮では「ただある」というだけで日常的に発展できませんでしたが、日韓併合後日本政府が庶民レベル底上げには漢文読解力を庶民全部に求めるのは無理があることから、朝鮮にはハングルがあることに目をつけてハングル教育を強力に推し進めたのでこれが庶民に普及するようになりました。
いわば庶民ほぼ100%の文盲状態脱皮は日本政府によるハングル教育開始によるものです。
政治的方便とすれば公式意見としてはまさに発音記号でしかないのですが、ハングルが日常的に使われるようになれば、表音のみでは不便なのでなんらかの意味が入ってくるのは、自然のなり行きでしょう。
他方でハングルには同音でいくつもの意味を持つので間違いやすいとも言われている実態とも合います。

朝鮮民族の意識改革(宇垣総督の功績1)

昨日引用の続きです。
「当時の朝鮮農家の最大の問題は労働時間の少ないことであった。田の除草、施肥、更に堆肥作り等に、内地の農民並に働くことを求めたのである。更に冬作として麦、レンゲ草、菜の花等を奨励し、畜産、民芸品製作を奨励した。この方針の民間への徹底を図るため、青年団、婦人会を積極的に組織化したのである。ここで注目すべき事は、これらの団体は反日運動の温床になるとして、それまでは極めて抑制的な対応をしていたものを、積極的に活用を図ろうとしたことである。これらの会合は正規の会議も重要であるが、会議の前後に交わされるインフォーマルな会話、交際が極めて重要であり、反日運動に対する自信がなければ実施できない政策である。」
・・・・この宇垣時代に始まった農業の生産性の向上、工業の急激な発展は、第3表に示すような急激な社会変革を起こしたのである。強盗件数の減少、就学率の向上は生活レベルの向上を窺わせ、、電力消費量の急激な上昇は、今日の韓国発展の原動力と言えよう。」
「この農村振興運動が始まる数年前から自力更正が叫ばれ、京畿道を中心に普通学校(小学校)の卒業者に対し課外指導が行われていた。親から田の一部を借りさせ、先生と共に耕作法の研究が行われていたのである。彼らの熱心な農業への取り組みは周辺農家の2倍以上の収量を得たのである。最初馬鹿にしていた親もその成果に次第に脱帽し、彼らは若き農村指導者に育ちつつあったのである。この卒業生指導は1927年京畿道に始まり、1935年には普通学校の6割で13千人の卒業生を対象として、一人3年から5年間に亘り実施されていた。
 この卒業生指導をより組織的に実施するため、1933年京畿道に農事訓練所を設置したのを皮切りに、1935年以降全道に農村青年訓練所・女子訓練所が設置された。この運用は各道に任せられたため、名称・実施要項等、多少道により異なる。多くは1ヶ月の短期コースと1年間の長期コースに分かれ、長期コースでは寄宿舎に入れ、合宿訓練した。
道によっては卒業生指導を受けた者を入所資格としている所もあり、これにより卒業生指導が止められたわけではない。ここで重視されたのは農業実習と共に精神指導であった。この精神指導について日本への隷属意識を植え付けるものであったと非難されている。しかし私はここで植え付けられた「為せば成る」「協同の精神」と言ったものがセマウル運動の成功に繋がったのではなかろうかと考えている。日本の戦後成長もこの精神なしには考えられない。
 1938年になると内地との交流が始まった。岩手県の青年道場に50人派遣したのを皮切りに、1944年6月までに女子約3百人を含む約3千人が、約1ヶ月内地の訓練所や農家に派遣され、内地の農業技術を実習した。この中には内地の人手不足をカバーする目的のものもあったが、農具の違い等を身を以て体験した事は、速効性はなかったとしても、必ず得るものがあったと確信する。」
第3表 朝鮮産業革命の成果

昭和2年 昭和7年 昭和12年 昭和17年
農業生産高 千万円 86 86 122  
工業生産高 千万円 31 35 87
1人当り国民所得 89.9 78.1 110.7
発電量 百万KWH 2,698 (4,860)
就学率  %  17.4 18.2 30.7 49.6
強盗件数 1771 1261 727 394

農業・工業生産高:1934-1936年平均価格表示
1人当たり国内支出 単位 円 以上溝口他『旧植民地経済統計』
発電量:昭和17年記載数値は昭和16年分  朝鮮総督府殖産局『電気事業要覧』
就学率:正規学校就学率  古川宣子論文より作成
強盗件数: 朝鮮総督府『統計年報』
以上は本体のホームページが無くなっていて、トップに行けないので誰の論文かわかりませんが、きちんとした引用論文の明示もあって確かな数字に基づくようです。
欧米の植民地支配を受けた多くの民族は、朝鮮人に限らず現状を受け入れるだけで古代から生きてきた大まかな傾向があります。
しかも植民地支配に都合がいいので欧米による劣等民族意識の刷り込みによって、さらに前向きの気力を喪失させられていたように見えますが、李氏朝鮮では、同一民族でありながら、ヤンパン支配貫徹のためにヤンパン以外は「人」扱いされない状態で約600年も支配して来たので心底劣等意識に追い込まれ・・やる気を無くしてきたように見えます。
シンガポールのリークアンユー氏が日経の「私の履歴書」に書いていましたが、「自分たち現地人は欧米人にはとても叶わない別のもの」・・犬が人間を見るような見方?・・であったが、日本軍の来てあっという間に英軍を蹴散らしたのを見て受けた衝撃が書かれています。
その意識変革を図り成功体験を持たせ、これがようやく身についてきた結果めざましく農村の収穫が上がり、工業生産にも適応できるような人材が育ち始めた時に敗戦になったことがわかります。
このように、日本統治によって初めて庶民が前向き・・集団で考える経験を与えられた・・李氏朝鮮も欧米植民地支配政策では反抗のタネになるとして厳しく規制していたのですが、日本はこの習慣の大事さを積極的に教えたのです・・。
日本では昔から、小集落ごとの「寄り合い」で何ごとも決めていくのが普通ですから・・歴史以来朝鮮人が初めてこれらの経験をしたので、韓国独立後自立に向けた国づくりにこの経験が大きな効果をもたらしたようです。 
父親のパク大統領は戦前の日本のやり方が良かったことを知っていたので、日韓交渉がなると、農村近代化のためのセマウール運動を展開するに際して宇垣総督の片腕として実務をしていた人を韓国に招いて指導してもらっているようです。
こうした自信を持たせる・・努力すればなんとかなるという教育経験のない点が、アメリカ支配下にあったフィリッピンとの違いのようです。
文字教育に戻しますと、日本統治期間が短かったのでこのような影響を受けた人材の層が少なかったことと、特に文字その他の文化を身につけたとしても多くの庶民にとってはまだメッキ程度だったので漢字教育廃止がきまると、多くがハゲ落ちてしまった印象です。
日本でも・・明治3〜40年代生まれでは、尋常高等小学校卒程度が普通でしたが、それでも日常生活でいろんな漢字が出回っている結果、自然にいろんな漢字を理解して朝日や日経等の日々の新聞を読み、帳簿をつけて社長や課長その他の法律用語・日本で明治以降に作った漢字も理解し、英語もある程度カタカナ表記である限りラジオやテレビが何であるかを理解して生きてきました。
この辺は私の親世代ですので伯父など身辺で実例を見て育ちました。
我々も社会に出てから見聞きして習得したものが圧倒的多数ですから、社会生活上受ける影響力の大きさが分かります。
7月29日経朝刊の文化欄「傍にいた人」の連載シリーズには、小説家の大正生まれの叔父が学校に行けなかったが自学自習で資本論まで読破していた話が出てきます。
日本では学校で教えるか外国の強制があるかどうかではなく、・・宇垣総督が教え込んだ自発的動機がどこまで韓国に根付いているかです。
学校で教えなくとも目の前で漢字が氾濫しているかどうかは重要です。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。