政治宣伝で虚偽が真実になるか?1

左翼系は戦前戦後の民族国家内部に浸透して民族国家を内部崩壊させるコミンテルン思想系統を継承している関係で(国共合作を利用して国民党内部浸透に成功しルーズベルト政権位に深く食い込んだように)内部浸透作戦は巧妙で板についているように見えます。
野党がコミンテルン本家の共産党との共闘を警戒するのは主に(内部浸透されて乗っ取られる心配)この理由によります。
http://www.y-history.net/appendix/wh1501-108.htmlによれば以下の通りです。
コミンテルン/第三インターナショナル/共産主義インターナショナル
「1919年結成の国際的な共産主義運動を指導する共産主義インターナショナル。第三インターナショナルともいう。1920~30年代の国際政治にも大きな影響力をもっていた。当初は革命を指導する機関として動いたがドイツ革命の失敗などから、次第に支援機関という性格に変化し、また1935年から人民戦線戦術に転換した。
 コミンテルン Comintern は、共産主義インターナショナル(Communist International)の略。第3インターナショナルともいう。帝国主義と闘う国際的な共産主義運動を志向したレーニンによって提案され、1919年3月に結成された。第一次世界大戦勃発に伴い、各国の社会主義政党が自国の防衛戦争を優先して第2インターナショナルが崩壊したことの反省にたち、労働運動や社会主義運動の国際連帯にとどまらず、各国の共産主義政党が明確に革命を志向するための世界共産党として組織された。その設立を呼びかけたロシア共産党のレーニンの指導権が圧倒的に強い組織となった。1921年7月にはその下部組織として、モスクワでプロフィンテルン(赤色労働組合インターナショナル Profintern )が社会民主主義的な国際労働組合連合(アムステルダム)に対抗して結成された。 → 国際労働運動 第1インターナショナル 三つのインターナショナルの違い」
日本では昨日歴博展示に対する抗議行動で紹介したように声が大きい方が勝ち・・論理の正当性を冷静に主張するのではなく・・現場で抗議を繰り返して現場を混乱・困惑させるなどによって、主催者が困って結果的応じる・・主張を通して来た日常がうかがわれます。
窓口で騒いで公務員などが辟易させられるパターン・・生活保護あるいはエセ同和などが知られていますが、わずか10数人規模でも全国いたるところで順次行動すれば、日本中が彼らの思う方向へ強制誘導させられます。
結果的にどこへ行っても彼らの主張が出ていて一見世論を制したかのように見えても、実は上滑りで「足が地についた支持」を受けていないので、長期的にはその咎めが出てきます。
慰安婦騒動が顕在化した時の韓国主張要旨は、「すでに世界で勝負がついている今さら何を言っているのだ!」とバカにした意見(放射能半減期研究で書きましたが不都合なことは徹底してバカにする運動)で、議論自体を受け付けないものでした。
彼はシコシコと内部浸透しておいて、何回も(民主「的」)機関決定を経ているから、今更そんな議論をすること自体許されないという手法です。
弁護士界内部も重要テーマについて「会員から直接アンケートをとるべし」という遠慮がちな!意見すら抹殺されてしまう現状をみると)この種の「民主的」汚染が支配しているように見えます。
世界的に言えば安倍政権成立当初盛んに歴史修正主義者というレッテル貼りに精出していました。
自己主張に合わないと抗議の繰り返しで修正させていく先々で表向き思想統制が出来上がりますが、嘘で塗り固めた宣伝.苦情をいくら流布していても、「王様は裸」という子供の一声で虚構性が亜ガラガラっと崩れるようにいざとなれば真実の強さには勝てません。
「侵略の事実を直視してより良い日本になり沖縄と親密になるべき」という意見でしょうから反日思想によるのではないのでしょうが、島津家による沖縄侵略を強調し、沖縄でそういう教育を繰り返すことが、民族融和に資すると思う人が少ないのではないでしょうか?
我々法律家の世界では、例えば首や胸など枢要部を刺して置いて死ぬとは思わなかったと言い張っても裁判実務は殺意を認定するルールです。
政治の世界では、声の大きい方が勝ちみたいな変なルールがあって合理的判定不能ですが、彼らの主張が「強弁」に過ぎないのかどうかは、小選挙区では沖縄でしか当選できない社民党支持率が2%ギリギリで長期低迷し消滅しそうになっている事実が証明しています。
同じく韓国でこんなにひどい「植民地支配」をしていたという反省?のためのシンポジュームを開いたり韓国でそのような教育を繰り返すことが日韓との融和に役立つのでしょうか?
(日本が資金投入して教育や産業振興や身分制度廃止などのプラス面・日本が資金的には搾取どころか持ち出しでした・この辺は北海道や沖縄に関しても同じですが、これに一切触れずにうまくいかなかったた点を針小棒大に教育してもその1部事実があったことに関してはまちがっていません。
親子でも百に一つは思い出せば、あの時こうしておけばよかったと反省する場面がありますが、そこだけ取り出してひどい親だったということはないでしょう。
歴史というものは、自己の都合に合うものを探せば一つや2ついくらでも探せます。
どんなに理想的社会を目指しても、植民地でなくともどこ国でも粗暴警官もたまにいるでしょうし、不祥事もあるし地位を利用した不当行為が皆無ではないでしょう。
政治も百%完全な政治はあり得ないので、部分的不祥事だけを取り出すはなく、トータルでどちらの政治家がより良いかで選択して行くものですから、アラ探しで失脚させるのはスターリン得意の粛清政治を「民主的?」メデイア利用による焼き直し版です。
今中国で盛んな党中央の方針に反したとか汚職摘発名目の粛清も同じです。
野党の政治スタイルが本来の政治論が一切なく(せいぜい「日本死ね!」というばかりで民進党ならどうするという政策がなく)アラ探しばかりなのは、スターリンの粛清政治を理想としているからでしょうか?
歴博で問題になった沖縄で「軍による自決指示」があったかどうかですが、暦亜h区の展示までいちゃもんつけてこれに抗議しているグループは多分「米軍に殺されたのではなく日本軍に殺された」というイメージ刷り込み効果を期待しているのでしょうか。
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/heiwagakusyu/kyozai/qa/q2.htm
沖縄戦Q&A
Q2 沖縄戦による死亡者数は?
A2 200,656人〔沖縄県援護課発表 1976年(昭和51)年3月〕
   日本 188,136人(沖縄県出身者122,228人(一般人94,000人、軍人・軍属28,228人)
             (他都道府県出身兵 65,908人)
   米 12,520人
https://matome.naver.jp/odai/2134042141300132201
1944年10月10日、沖縄戦の前哨戦 として10.10空襲があった。 この空襲で旧那覇市街の90%が焼失する。旧那覇市内の養蚕試験場にあった司令部も焼け 、首里城の地下に司令部壕が掘られる事になる。その壕を掘ったのが学徒達であった。
米軍の上陸地点からこの首里城の司令部までの首里以北を中部戦線と呼び、司令部が首里陥落を目前に 南部に撤退したため、多くの住民が戦闘に巻き込まれてしまった、首里以南の戦いを南部戦線と呼んでいる。 ひめゆりの悲劇もこの南部地域で起きた。 ひめゆり学徒は何度も映画化され有名なためこの南部地域こそが沖縄戦の主戦場であったと思われている ことが多い。しかし南部戦線は米軍にとっては敗残兵狩りに等しい戦いであり、 米軍の上陸地点から首里城までの中部地域こそが日米が死力を尽くして戦った沖縄戦の主戦場である。
米軍は上陸地点である北谷から首里城までの10キロを進むのに50日間かかっている。沖縄守備軍は この間10万人の内7万4千人(主戦力のほぼ7割)の兵力を失っている。日本兵の死者は1日あたり千人以上にもなる、太平洋戦争もっとも激しい戦いといわれるゆえんである。
米軍兵士により強姦された女性数を10000人
収容所および米軍の占領地域では、米軍兵士による住民への暴行や強盗行為が多発した。無抵抗の住民を背後より射殺するなどの蛮行が報告されており、住民女性への拉致・暴行・強姦も多数証言されている[52]。戦争の終結後も暴行は続き、たとえば、「南部戦線の戦闘が終結してからはとくに米兵たちは横暴になり、昼夜を分かたず強姦事件が頻発していた。収容所では米兵がおそってくると、酸素ボンベの鐘をたたいて女性たちを避難させるさわぎが続いた。」とも[57]、「戦時中も戦局が追い詰められた状態になると、アメリカの軍隊そのものが集団で村の女性たちを襲ったといいます。なかには夫の目の前で犯された女性もいます。」ともいわれる[58]。米軍兵士により強姦された女性数を10000人と推定」
数日前に日経新聞で連載中の「私の履歴書」で湯川れい子氏が敗戦時に母から懐剣をわたされ米軍に辱めを受けたら自決するようにとその作法を教えられたと書いています。
軍の指示あるいは教唆の有無ではなく基礎にある深い愛情を「ひどい親、ひどい軍だった」という評価を押しつける方がおかしいのです・沖縄人に対する差別や、軍が非道な強制をしたのではなくこういう教育が本土内で普通にされていたのです。

先住民運動の背景2(歴博と政治攻撃)

出雲の国譲り神話も見てもわかるように国家形成のどの時点でもって侵略というのか不明です。
歴博の政治意見によれば、家康の天下統一も周辺大名に対する侵略でしょうし、世界中の現在国家はいくつかの周辺部族の統合・侵略でなりたっているのですから何もかも〇〇年の「侵略以降」のイタリアとかスペインと表現することになります。
仮に1609年に島津家の支配に入ったのが今風に言えば侵略に当たるとしても(歴史学会の趨勢を知りませんが)これを漆の文化紹介にあたって書く必要があるかの疑問でした。
政治論争のために歴博が設置されているわけではない・ウルシ文化の客観的分布とその原因を紹介すればいいのですから、「島津の支配下に入って」から・・という単純表現に何故できないか不思議です。
オナガ沖縄県知事の先住民発言を応援するかのような「侵略」という表現を何故繰り返して「国立機関の展示で国民教育しているのでしょうか?
敵対国は相手国の領土拡大を侵略行為と言いたがりますが、自国の領土拡張拡大を「侵略行為だった」と必要もないのに敢えて国家機関自ら言う国はないでしょう。
ロシアは15年のクリミヤ併合を「我が国の侵略後支配下に入った」と自分では言っていないと思います。
まして「侵略」という言葉もないような1609年の自国の行為を政府自から「侵略した」という国がどこにあるでしょうか?
先の大戦で日本が東南アジア諸国に進出しましたが、それを見方によれば侵略とも言えますし、欧米のアジア植民地支配からの解放戦争だったとも言えます。
もちろん日支事変の見方も分かれます。
いずれにせよ、日本政府がなにかで挨拶する都度聞かれてもいないのにわざわざ「先の侵略戦争では・・」と毎回挨拶する必要がないのが普通です。
何か言及する必要があるとしてもせいぜい「先の戦争では大変ご迷惑をかけました」という程度でしょう。
少しでも言葉を婉曲的にすると左翼・文化人が「侵略戦争に対する反省の念が足りなない」と大騒ぎするので、相手国・特に中韓では日本国内でさえ問題になっているのに我が国が黙っていて良いのか!となって中韓等の相手国政府もそれに反応せざるを得ない関係が起きます。
この繰り返しが大きくなったのが慰安婦騒動や靖国参拝などで日本と中韓との感情対立・政治問題の象徴になってしまい、お互いの外交の棘になってしまった原因です。
東南アジア諸国ではこの扇動に乗らないのでうまく行っていますが、中韓両国が対日交渉を有利にするためにこれを利用し(有利にするために左翼をそそのかしていた黒幕かどうか不明)たことが、「千年でも恨みが残る」とパク前大統領が公式発言するほどの長期的禍根を残すタネになってしまいました。
中韓両国が対日友好路線に梶を切替えようとしても、歴代政権が自己の政治権力維持のためには「反日を煽って損はない」という計算で前政権よりさらに過激な主張をする繰り返しで反日教育をして来たために、今更切り替えると政権の命取りになる・・難しくしてしまったのです。
パク大統領が政権当初から反日で突っ走っていたものの、最初は初めて聞いた第三国は「そんなことがあったの!と同情的対応しますが、あまり激しくやったために日本が反撃を始めると結局は事実の方が強いのです。
逆に世界中で相手にされなくなりパク大統領が孤立するようになった結果仕方なしに日韓合意になっわけですが、その途端に国民不満が高まりどうでも良いようなことで国民感情の赴くまま大騒動になって失脚しました。
日韓合意批判票を集めて当選した文大統領は、当選後国家間合意を破るわけに行かず「国民感情が・」と日本への理解を求めるしかない立場です。
そういう感情を育ててきた自分で責任を持って処理するしかないでしょう・これが大人のやることです。
日本との友好復活以外に国の活路がないので、煽って来た徴用工問題その他日韓の棘を前にどうやって良いか、困りきっている状態が見えます。
歴博は日本の国立機関・正式には「国立歴史民族博物館」ですから、漆の解説には何の必要もないのに敢えてそう言う刺激的な説明文を付する必要があるのでしょうか?
学問世界では占領軍に迎合した反日思考が幅を利かせ・今では中韓迎合歴史観でないと出世できないという刷り込みがはびこっているのではないでしょうか?
私自身歴博の政治批判がどうなっているのか知りませんが、事実を積み上げていく研究レベルが高いこと・・地元千葉県にあって簡単に行けることをありがたく思っていますが、漆の説明をするのに侵略によるかどうかを買う必要があるかどうか不明な事柄で歴博が政治評価にをなぜ頭を突っ込む必要があるかの疑問を抱いて帰ってきました。
気になってネットでちょっと調べて見ると以下の騒動があったことがわかりました。
https://blogs.yahoo.co.jp/nipponko2007/36816912.htmlからの引用です。
産経ニュース(2010.4.7 19:08)
沖縄戦の展示内容を再検討 抗議殺到で歴博 千葉
瑞慶覧長敏衆院議員は2009年の総選挙で自民党を破った民主党議員。政権交代の 後遺症がこんなところにも現れている。
結局、一部市民団体(プロ市民)と沖縄サヨク議員の抗議を呑んで展示内容の変更を決定。
その後の様子を産経記者が伝えた。
産経ニュース(2010/5/23)
【日本の議論】評価定まらぬ「現代史」 国立博物館はどう展示しているか?
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100523/edc1005230701000-n1.htm
ところが、昨日、更に抗議を受け容れて「軍人の指示があった」と明記するに至った。
読売新聞(2011/1/6)
沖縄集団自決、軍人の指示明記 歴博が説明変更
衆参議員で総数700人以上もいる中で 一人二人の左翼政治家がねじ込めば、学者が学問の自由を言わずにすぐに国民支持率わずかな左翼系政治家の主張にすぐに応じるのが不思議です。
国民大多数の支持を受けている政治家がうっかり苦情を言うと「学問への干渉だ」と大騒ぎして抵抗する学者やメデイアの偏頗な方向性が不思議です。
この事件以来沖縄に関する表現を全て左翼系の希望する方向に変更している歴博の基本方針がか固まったのか?この習慣が漆の紹介文にさらっと出たのかもしれません。
国民の知らぬ水面下でこんな地道な学問分野でまで、この種の思想定着運動がシコシコと浸透していたことが分かり驚きました。
左翼・文化人は人道主義の名の下で日本は侵略国家・そもそも沖縄や北海道は日本の固有領土ではないというイメージ流布に骨折っているように見えます。
こうした水面下の浸透作戦を国内外(国連を含め)で着々と浸透させているようですが、彼らは日本を本当に愛しているのでしょうか?
歴博館長であった平川南氏が朝鮮・韓国関係重視?で右翼の攻撃を受けているとの噂がありますが、(どういう理由か知りませんが・・)少なくともこうした歴博の基本姿勢が背景があるようです。
ネット検索してみると以下の記事が出ました。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1013465999.html
 2) 国際シンポジウム「『韓国併合』100年を問う」
  2010年8月7・8日の両日,東京大学弥生講堂一条ホールで「国際シンポジウム「『韓国併合』100年を問う」が開催された。主催は国立歴史民俗博物館,共催が「『韓国併合』100年を問う会」,後援に岩波書店,朝日新聞社。このシンポジウムには1000人超える聴衆が参加した。
このシンポジウムは「植民地主義を克服し,問題解決の転換期に」という狙いのもと,2日間で4つのセッションと特別セッションが開かれ,27人の学者・研究者らが幅広い視野・視点から講じ,「韓国併合」100年について問題提起と発言をおこなった。」
国立歴史民俗博物館の平川南館長は開会のあいさつにつづき,韓国の成均館大学校東アジア学術院教授の宮嶋博史があいさつに立った。同シンポの意義について「『韓国併合』にまつわる諸問題がいまだ解決していない状態のまま,101年目を迎えてはならないという思いからこのシンポを開くこととなった。この問題解決の転換期になれば」と述べた。
そもそも日韓併合後の政策を欧米の過酷な植民地支配と同視する議論じたいに批判がある中で、上記のようなテーマを掲げて公費を投じてシンポジュームを開くこと自体が偏っていると言う批判がありうるでしょう。
内容が紹介されていませんが、概ね日本の「植民地支配」を「否定する人がいるのは困ったものだ」「反省が足りない」的な主張が圧倒的に支配する会合になっていて、この運営に関して批判を受けているのかも知れません。

先住民運動の背景1(歴博展示)

工場労働者を基礎にした社会党を中心とする反対には相応の合理性があって公害防止技術の発展などの前向き効果がありましたので、いわば怪我の功名だったことになります。
工場労働を前提にした組織を背景にしていたから、一定の理解力があった事にもよるでしょう。
ここ数十年サービス社会化が進展してくると工場労働を前提した反対ばかりでは何も生み出せない・単なる社会構造変化反対と同義になってきました。
ここ数十年来、左翼系が先住民意識を煽ったり地域エゴを煽るようになったのは、日本の進歩に資することはなんでも妨害・・反企業=日本国力衰退願望を基礎にしたかのような「何でも反対」のイメージが定着しうまく行かなくなったので、もっと基本的な民族分断策に切り替えたと見るべきでしょう。
日本民族は一体ではない・「先住民」がいる・・国内分裂策として見れば最効果的戦略です。
先住民というのはそもそも何か?が不明です。
大和王権成立時期から見ると当時の東国・・今の岐阜県以東は皆異民族・先住民族なのか?出雲や越の国の人は?なぜアイヌや沖縄人だけ先住民というのか?
東北の蝦夷(エミシ)や九州の隼人族は?
一般的に言って、周辺部族同士(元々言語習慣の似た者同士)の争いで負けた方が吸収されてより大きな部族になり〜民族国家になって行く場合・・黄河上流の小さかった漢民族が次第に周辺民族を吸収あるいは融合していった場合や異民族包摂した多民族国家内の少数民族などを先住民とは言わないでしょう。
常識的に言って、西欧がアメリカ大陸やアフリカに進出するようになって、押しのけられた元からいた民族を先住民というようになった印象です。
一般に予定している先住民のイメージは・西欧の植民・移民政策・圧倒的武力によって元からいた民族をおしのけて我が物顔に住み着くようになり、先住民根絶やし政策にあります。
・・アメリカ大陸でのスペイン系による先住民意図的抹殺・・ほぼ100%と言われる西欧人とのおそるべき混血強制政策・混血というと聞こえがいいですが、男は皆殺してしまい・・女性は性奴隷にしてしまい100%混血児以外先住民を残さない徹底した民族根絶やし政策でした。
この後にウエストファーリア条約の紹介でキリスト教徒以外には人権がない・牛馬豚同様でどんな非道なことも許されるという身勝手な「人道主義」(これが黒人奴隷を公然と行った基礎です)を紹介して行きますが、もともと異民族根絶やし政策・思想は西洋人の十八番でした。
ナチスのユダヤ人に対するジェノサイドは突然発生したものではなく、この延長で西洋系同士で起きたので衝撃が強かったにすぎません。
例えばAugust 16, 2017,「自民族言語表現の重要性5(インドネシアの国語統一)」でをオランダのインドネシア統治方式紹介しましたが、現地人との混血(植民地に赴くのは主に男性・軍人で現地女性に産ませる)しその混血児優先に利用して支配の道具にしていく方法でした。
上記コラムで紹介した文章をもう一度引用しましょう。
「③オランダは大がかりにインドネシア人との混血児を作り、それを間接統治の官吏とした。行政官は混血児と華僑に任せ、インドネシア人の政治参加、行政参加はほとんど禁止した。」
アメリカ大陸と違いアジアでは、基礎的人口が多すぎるからオランダが現地人を根絶やしにできなかったにすぎません。
ポリネシアの諸島の多くでは基礎人口が少ないことから、西洋人との混血以外残っていない状態になっているとどこかで読んだ記憶ですが、今になると根拠が分かりません。
異民族・現地人絶滅方針は中南米や北米の対インデアン政策だけではなく西洋・キリスト教徒のの基本政策であったと見るべきです。
日本敗戦時占領時に「男は皆殺され、女は強制的占領軍人の性奴隷にされてしまう」・・民族根絶やしにされると恐れた理由は西洋人による中南米や南洋諸島での先住民根絶やし政策の実例があったからです。
アメリカインデイアンに対する卑劣極まる(降伏後約束を破る)仕打ちが良く知られているところですが、(アメリカを信用するとイラクのフセインやリビアのカダフィのような目にあうという不信感・北朝鮮の核兵器保持の上での交渉以外には応じられない不信感もそこにあります・・)彼らの行った非人道性がようやく人権問題のテーマになってから、先住民概念が生まれたのではないでしょうか。
(ノルマンコンクエラーや次々と支配層が重層的に入ってきたインドのように)少数者が入ってきて支配層に落ち着く程度の場合には、元々の住民は今も社会の大多数であって、彼らを先住民とは言いません。
香港割譲中・返還前のイギリスと香港住民の関係も支配と被支配の関係であって、香港人を先住民は言いませんでした。
あとから来て支配者になるかどうかではなく、あとで大挙して来た集団が住民として元からの住民を押しのけて住み着き多数を占めるようなイメージを いうものでしょう。
欧米のアメリカ阿智陸の先住民迫害の酷さが言われるようになると、その反作用として「日本もあるじゃないか」と言わんばかりにこの数十年来アイヌと沖縄人が先住民性が、喧しくなってきました。
確かにアイヌの部族は明治維新までは異民族・「化外の民」扱いでしたし、文化的格差も大きいものがあり、さらには住民が大挙して移住してアイヌ人を圧倒してしまった点では、アメリカへの西洋人移民と似ていますが、元は同種族同士で気候の違いで発展段階がずれただけのことですから、西洋人がアメリカ大陸やオーストラリアの先住民を人間扱いしなかったのとは本質が違っています。
これに対して沖縄はどうしょうか?
文化水準の違いはあるものの和人が大挙して押しかけて元々の住民を圧迫し少数民族においやっているような関係自体がありません。
今も沖縄人の島々です。
周辺部族がより民度の高い方に収斂していく普通の国家形成関係/過程にあると見るべきでしょう。
9月2日に歴博で見てきた「漆」の企画展(内容は充実していてとてもよかったのですが)の説明文を見て驚いたのですが、沖縄(琉球)の漆文化の紹介文に、1609年の「島津の侵略・」という表現が何箇所かあったことです。
島津の支配下に入ったことは誰でも知っていることですが、それをあえて「侵略」以降と一度ならず繰り替えしてどぎつく!書く意味・政治意図です。
漆研究の発表であればその流れをそのまま書けばいいことであって、琉球が日本文化圏に入ったことをいうためには「支配下に入った」結果・・と説明すれば足りるものをあえて「侵略」というどぎつい表現を繰り返す必要が何故あったのでしょうか?
歴史学者間では島津家による琉球「侵略」で一致しているからというのでしょうか?
仮に島津家の支配が友好関係の結果か武力威嚇によるかをテーマにする討論の場であれば別ですが、ウルシの伝播あるいは分布過程の説明の場で、「侵略によるかどうか」を論じる必要のないことをあえて書く必要があるかの疑問です。
沖縄観光案内に「島津による侵略を受けた沖縄へようこそ!」といちいち大きく書く必要があるかの問題と同じです。
そもそも「侵略」という熟語自体が近代以前にあったかどうか?せいぜい明治以降の熟語でしょう。
シーザーやアレクサンダー大王、ナポレオン、漢の武帝もチンギスハーンも今の解釈によれば大侵略者ですが、彼らの表現するのに大侵略者武帝、大侵略者シーザー、大侵略者ナポレオンと肩書きをつけて表現しているのをみたことがありません。
慰安婦・当時売春業は世界中で普通であったのに、今の基準で政府が衛生上の必要から管理した売春婦がいたことを人道非難するのがおかしいのと同じです。

地域エゴと民族一体感の相反性1

原発問題はレアアース禁輸克服のように短期で実用化が要請されているわけでない・・元々何十万年という超長期の放射能半減期をどうするかの研究ですから、10年単位で実用化に成功しなければ意味のない研究ではありません・・。
これを6〜10数年スパーンで実用化する前提の各種製品競争社会を前提にそんなことできるはずがないと、半減期短縮努力をバカにした報道が拡散されているのですからおかしな反対論です・・。
16年の新潟知事選は以下の通りでした。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/101700460/
2016年10月18日(火)
任期満了に伴う新潟県知事選は10月16日投開票され、無所属で新人の米山隆一氏(共産、自由、社民推薦)が前長岡市長の森民夫氏(自民、公明推薦)らを破り、初当選を果たした。
 東京電力柏崎刈羽原子力発電所の再稼働が主要争点になったうえ、選挙戦の途中から実質的に与野党対決の構図となっていた。」
新潟県民にとっては敦賀のようにすぐに廃炉されると困るが、稼働停止だけならば地域経済に与える影響が運転中と殆ど変わらない=電力会社にとっては停止中のコストが稼働中とほとんど変わらないで収入だけゼロですから体力が続きません。
一方にとってだけ都合の良すぎる関係はどの分野でも長続きしません。
原子力発電業者にとっては今のところ自発的廃炉の選択肢も取りにくい・・廃炉を決めても放射能半減期が長すぎて数十年どころか無限的収入ゼロの膨大な作業が続きます。
廃棄物埋め立て場所さえ自治体の反対で決まらない・自治体は一方で稼働反対し続けながら、その間の保障を求め続けることになる一方的関係が予想されます。
となれば、現地自治体の(「あれをやれこれをやれ」「今後こういう場合に自治体の同意がない限りと稼働しない」という1札を入れろなど・・」を受入れないと同意しないという)無理難題でも受け容れるしかなくなります。
この結果現地では、現地要望を受け容れるための各種大規模補強工事が花盛り・・結果的に再稼働条件を引き上げ・・対応工事の特需景気に沸いていることになります。
電力会社の一方的な負担のツケは電力料金値上げになって背後の国民全部が負担することになります。
いつまでもこれが続くとこれを負担するのは国民全部ですから、その不満が大きくなる・民族一体感の基礎が崩壊します。
飛躍があるかもしれませんが、沖縄県民が基地反対の大義?による反対運動が過激化の構図に似ているような印象を持つ人が増えてきます。
「いくら過激な主張をしてもアメリカ軍は撤退出来る訳がない」「反対運動は激しければ激しいほど多くの援助を引き出せる」
と言うアメリカひいては(中国による侵略が現実化してきた)日本政府(日本人全体)の足もとを見た過激な反対運動をやっている印象が強くなってきたのと新潟県民の被害者意識(ビジネス?)が二重写しになってきます。
沖縄も新潟県も地域エゴ貫徹のために足元を見る相手は日本国民全部ですから、足元を見られて損を被るのはその他日本国民全部です・・・。
地域エゴの極みのような杉並ゴミ戦争が起きたのは、共産党系都知事であった美濃部都知事の時でした。
杉並ゴミ戦争は「国民全部の犠牲で自分たちだけが良い思いをしたい」というアカラさま・身勝手な主張の矛盾を象徴するもので、地域エゴというものは無理があることが縮図的に示されました。
原発や基地問題は地域限定されていることから「お互い様」の問題が起きないのでいくらでも被害を煽れば(その最たるものが不評被害をメデイアが煽ることでしょう)無茶言える・ひいては全国的地域対立に発展する契機を秘めています。
原発に限らず左翼系運動家は人権・平和を錦の御旗にしてことあるごとに「反対運動」を煽ってきましたが、これを煽ることが日本の世界に誇る同胞意識を足元から崩していくのに大きな力があります。
企業や組織が存亡の危機時に先ず重要なのは「全社一丸で危機に取り組む団結力が先決」ですが、何か始めようとする都度反対する人ばかりでは何事も前に進みません。
多様な意見があってこそ、その中から良い企画の生まれる下地になりますので表現の自由は重要ですが、前向きの発想ではなく新企画妨害のための反対のための反対論ばかりでは、新しいことに挑戦する妨害・足を引っ張る効果しかありません。
今焦眉の急である働き方改革(元々画一的労働を基本にした工場労働を中心にした社会からサービス社会へ大きく変わってきているこ以上労働形態も大きく変わっていくのを妨害する規制がそのままでは困ります。)についてもまずは反対から入っていくスタンスでは前に進まないので、連合が議論に応じない過去の姿勢を改めて一時前向きに労働者の権利を守りながらの改革にするための修正案を出していましたが、内部の反対で結局は撤回に追い込まれてしまいました。
現場を知る組織が全面反対で議論に参加しないと現場に詳しくない有識者が労働者の権利擁護を頭の中だけで考えて工夫するよりは、現場を知る立場からの意見があった方が合理的です。
頭から反対して議論にすら参加しないのが労働者のためになるのか不思議ですが、(上記の通り新産業である知財やサービス業に対する理解が組織労働者・多くは工場など画一職が多い組合にはないから当事者能力がない?・社会についていけてない組織)安保法制なども同じで「反対だから・・」という理由で議論をしないで議事妨害ばかりしてきた民主党の動きと一緒です。
平和憲法を守れというだけで平和を守れないのは子供でも分かる道理ですから、軍の暴走を抑えるのにどうすべきか、どういうリスクがあるかを別の視点からチェックするのが野党の務めでしょう。
このように競争相手の国や組織内で何か新しい企画にまず反対するような人材(細胞)を育成しておくのは競争相手・敵対国にとって重要な工作になります。
「将を射んと欲せば先ず 馬を射よ」の諺の通り、日本侵略を図る・そこまで敵対的でなくとも日本との商品開発競争に勝つためにでも「なんでも反対論者」を浸透させておくことは有効です。
これを公式に宣言し、実行してきたのがコミンテルン浸透工作でした。
戦後の学校教育では「特攻隊を無謀なことだ、竹槍戦法は馬鹿げていた」と耳にたこができるほど言われて育ちましたが、民族一体感があるからこそ背後の同胞を1分1秒でも守るために、竹槍一本でもドライバー一本でも石ころ一つでもあれば自分の死を恐れずに石ころ一つでも武器にして、最後の最後まで頑張って来たのが日本人です。
特攻攻撃や人間魚雷・竹槍訓練は、その手段の一つでしかありません。
この崇高な心意気を「竹槍などで戦えるわけがないのにいかに馬鹿げたことか!と教育し、一体感意識を無くしてしまうかに骨折ったのが米占領軍の教育方針でした。
この決死の覚悟がある限り、・・日本の10倍の兵力があっても簡単に侵略することができません。
日本軍の武装解除後も米軍が非道なことをできなかったのは、硫黄島を代表とする日本軍の戦いぶりを知っていたからです。
身を捨ててでも背後の国民を守る強固な意識・・目に見えない鉄壁の備えが日本を敵視する勢力にとっては目の上のコブです。
世界一強の地位を滑り落ちそうになったアメリカは、最後の最後まで信頼できる国として日本の協力を必要とするようになってからは露骨な日本弱体化政策が減ってきましたが、今でも日本侵略意図を隠さない中国・ロシアにとっては、日本の同胞意識解体→内部いがみ合い社会の構築こそは日本侵略の第一歩と考えているでしょう。
左翼・・人権派が公害や騒音を理由にしたり、電子レンジでさえも電磁波が危険といい、防犯カメラもプライバシー侵害だなどと、(九州弁連では、シンポジュームを開いた講演記録が出ているネット記事を紹介したことがあります・・)どんなことでも新しいことには全てと言って良いほど反対してきました。

原発反対運動と放射能半減期の短縮2

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2220.html
2014.04.08 18:47|カテゴリ:ニュース| コメント(16)
【新技術】三菱重工、元素変換の技術を確立!放射性廃棄物の無害化も!遂に現代の錬金術が実現か!?
遂に三菱重工が少ないエネルギーで元素の種類を変化させる元素変換の基礎技術を確立させました。これは「現代の錬金術」とも言えるような技術で、有毒な放射性セシウムや放射性ストロンチム等を無毒な非放射性元素に変化することも出来ます。三菱重工が確立した技術は重水素を使う方法で、これから更なる実験調査を行う予定です。
☆放射性廃棄物の無害化に道? 三菱重、実用研究へ
URL http://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ040JJ_X00C14A4000000/
引用:
放射性廃棄物の無害化に道? 三菱重、実用研究へ:日本経済新聞 http://bitly.com/PUHMim
17:33 – 2014年4月8日
三菱重工業は重水素を使い、少ないエネルギーで元素の種類を変える元素変換の基盤技術を確立した。原子炉や大がかりな加速器を使わずに、例えばセシウムは元素番号が4つ多いプラセオジウムに変わることなどを実験で確認した。将来の実証装置設置に向け、実用化研究に入る。放射性セシウムや同ストロンチウムを、無害な非放射性元素に変換する放射性廃棄物の無害化処理に道を開くもので、原発メーカーとして実用化を急ぐ。
先進研の石出孝センター長は「ここ数年で研究が大きく加速した」という。様々な手法で重水素の濃度を高めることで、新しい元素の収量がナノグラムからマイクログラムへ3桁増えた。測定精度も上がり、1平方センチメートル当たり最大数マイクログラムの元素変換を確認したとしている。
セシウムの元素変換率は、ばらつきはあるものの100%近いものもあるという。元素変換を示唆するガンマ線も微量ながら検出している。同社はセシウムの場合、パラジウム多層膜の内部で4個の重水素が1個のセシウムの原子核に十分近づき、陽子4個と中性子4個が加わりプラセオジウムになったとの仮説を立てている。ただ、詳しいメカニズムや理論は分かっていない。
:引用終了」
https://matome.naver.jp/odai/2140347618469751701
今現実的な放射能の無毒化に向けた研究の中で代表的な3つを紹介
★セシウム汚染土壌を半日で1000分の1に減容化
東工大、セシウム汚染土壌を半日で1000分の1に減容化  
また 放射性廃棄物の無害化に道 三菱重、実用研究へ
更新日: 2016年01月30日
東工大、セシウム汚染土壌を半日で1000分の1に減容化:日刊工業新聞
東京工業大学原子炉工学研究所の竹下健二教授、
日東電工、前田建設工業などの研究グループは、
放射性セシウムの汚染土壌を半日で1000分の1に減容化するシステムを開発した。
水熱分解処理と新規吸着剤などを組み合わせた
★バイノスの「新種の藻」で、放射能除染や新たなバイオ燃料など、地球の環境浄化を目的としたプロジェクト
1リットルあたり2万2000ベクレルの放射性物質を含む水に対し数グラムの「バイノス」を投入することで、放射性物質濃度を83ベクレルに軽減できるという実験データを公表した。
★セシウムをプラセオジウムに変える事による 放射能無害化実用化へ
放射性廃棄物の無害化に道? 三菱重、実用研究へ  :日本経済新聞
メデイアや左翼系文化人は原発事故発生により鬼の首でも取ったかのように・これで何十年でも地域一体感破壊攻撃出来ると歓喜しているイメージですが、攻撃される日本人は必死です。
敗戦の瀬戸際でも必死に守ろうとした国体とは、民族一体の絆・価値観でしょう。
天皇制はその民族一体価値観の象徴であり、守ろうとしたのは当時の天皇個人の権力そのものではありません。
立派な神社に行っても大きな森があるばかりで御神体が「空」であることから分かるように、天皇への尊崇は「空」に本質がありました。
民族一体感と言う総意の象徴ですから当たり前です。
個体としての天皇は「神の依り代」であるから背後の神・日本民族の繁栄を象徴する目に見えない神に祈っているのが日本民族です。
天皇の行動発言はすべていつも民族の安寧を祈る姿を見せることがその役割であり、具体的行動をするお仕事でありません。
具体的政治行動には常に利害対立があるので、そこには口を出さない仕組みです。
人たる神主さんが日頃どういう生活をしていても・・ジーンズでも構わないが神主として振る舞うときにはその姿振る舞い、アルバイトの巫女さんが巫女として行動する限りにおいては、神威をあらわすような姿・振る舞いが要請されているのと同じです。
安寧を破る最悪の状態は家族内や友人と争ったりいろんな組織内で仲間割れして相争うことでしょう。
内部での争いが激しくなればなるほど家に侵入する雨風や強盗から家族を守るための家の守りをする意欲が失せてしまいます。
上記半減期短縮研究の努力と成果・将来性の希望が現れ始めたところを見ると、日本国民は中国のレアアース禁輸に敢然と立ち向かったように、降って湧いた国難に必死で立ち向かっていることがわかり希望が湧いてきます。
原発立地自治体やメデイアに取っては、放射性物質の無害化研究→実用化が進むと(際限なくたかれる)「金の卵を産む鶏を失う」ような災難でしょう。
ネット検索すると・・これを応援したいというよりも、科学者がこの実現の夢を語り挑戦すること自体を「非常識な意見」としてバカにする論調・こうした努力を侮辱するような論調が圧倒的に出てきます。
今朝の日経朝刊10pにも、「変えられぬ原発政策」の大見出しで福島原発周辺に築いた凍土壁のどこが悪いのかを具体的に書かないで批判的意見を勇気のある「英雄扱い」にして「予算の無駄遣い」というようなイメージがすぐに飛び込んでくるような記事が出ています。
時間をかけてじっくり読めばどこかになぜダメかを書いているのでしょうが、仕事に出る前の限られた時間で読むのでそんな時間はありません。
放射能半減期その他元素その他専門的知識のない素人には皆目わかりませんが、貴重な努力をバカにしたいメデイアが支配的になっている背景・日本がいつまでも廃炉.放射能のくびきに苦しむ方が、日本国民全体からの搾取を続けられるし、一方で愛国者のフリをして国民被害をどうするのかと声高に政府(日本民族代表です)攻撃を続けられる意図があるようにすら見えます。
半永久的にタカられる方の国民全般にとっては夢・希望のある研究であり、その理論研究から実用化実験がかなり進んだという程度の記事を最近印象深く読んだのかもしれません。
ただ高齢化してきたせいか、なんとなく読み飛ばしていると記事のイメージしか記憶に残らなくなってきました。
2週間ほど前に見た記事は私にとっては明るいビッグニュースでしたが・・ネット報道が見つかりませんので活字で読んだのかな?
いろいろ読むと核分裂以上に難しい・・膨大な設備が必要でコスト的に無理とか出来ないことばかり出てきます。
難しいから諦めるのではなく、民族の危機を救うために常識に挑戦することこそが科学者魂というものでしょう。
中国による先進国からの進出企業への(知財解放せよ技術移転せよ等の)一見無茶な要求は、あまり無茶がすぎると撤退決意されてしまうので、外資系企業に撤退決意させない限度内で行われていることになります。
目先の戦略的に動く政府や民族に対しては、あまりひどい要求が続くならば、損切りして撤退できるように撤退コストを安くする工夫が必要です。
原発の場合、原発廃炉〜使用済み燃料の半減期の短縮努力・実用化こそが民族の危機を乗り越えられるかどうかを分けるでしょう。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。