集団自衛権に対する国民意識(設問によって回答が変わる)

集団自衛権に対する国民意識(設問によって回答が変わる)

ところで、17日に見た通り朝日新聞調査回答者中自衛隊合憲論者だけで見れば、集団自衛権は違憲という意見が19人中8人で過半数に足りないのですが、朝日新聞はもともとの違憲論(違憲運動している者の回答率が高くなるのは当然です)を合わせて7割が集団自衛権を違憲と言っていると発表していたことが17日の紹介記事でわかりました。
このカラクリを知られたくないから?朝日新聞は基礎になる自衛隊合憲違憲のデータを第三者に指摘されるまで公開しなかった疑いが持たれます。
アンケートの一般的方式/ルールで言えば、「前問で『自衛隊合憲』と答えた人のみ次の問い(こういう場合にも合憲ですか、違憲ですか?という問い)に答えてください」とするのが普通の方式です。
朝日の調査では、前問で「自衛隊違憲」と答えた人にも、次の問い(集団自衛権の合憲違憲)に答えさせていることになります。
前問で違憲回答した人に、次問で集団自衛権の合憲違憲を聞けば違憲の回答になるのが論理的帰結です。
虚偽報道ではないとしても国民を誤解させかねない調査報道の仕方ではないでしょうか?
正確には自衛隊合憲論者の半分近くが違憲と言っているという発表であるべきですし、自衛隊を合憲と考えている8割の国民は自衛隊合憲論者がどう考えているかを知りたがっているのです。
元々の自衛隊違憲論者が集団自衛権になおさら反対しているのは当然すぎますから、彼らが(違憲論者が)違憲と考えているか知りたい国民は滅多にいません。
学者相手ではない集団自衛権賛否の一般的調査では以下の通りです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39362によれば以下の通りです。

2014、5、26 髙橋 洋一
5月19日の産経新聞「7割が集団的自衛権を容認」、12日の読売新聞「集団的自衛権、行使容認71%」、19日の毎日新聞「集団的自衛権 憲法解釈変更…反対56%」、4月22日の朝日新聞「今国会で憲法解釈変更『不要』68%」
集団的自衛権行使に積極な二紙では賛成が多く、消極的な二紙では逆に反対が多いという、絵に描いたような世論調査結果だ。
もっとも、その理由は明快だ。
世論調査の際、集団的自衛権の定義の違いと答えに「最小必要限度」を入れるか、どうかである。
まず、集団的自衛権の定義では、産経・読売では「密接な関係」「反撃」となっているが、毎日・朝日では「同盟」「戦う」と表現が違っている。
ただし、「日本への攻撃とみなして」は共通だ。答えに「最小必要限度」を入れるかについては、産経・読売は、「最小必要限度」の限定的な行使を含めているが、毎日・朝日は含めず二者択一だ。
必要最小限度」を入れるか否かで結果は変わる
集団的自衛権については、そもそも論から考えたほうがいい。4月28日付(→こちら)と先週の本コラム(→こちら)において、国際法では、国家間の個別的・集団的自衛権は国内の個人間の正当防衛と同じで、英語では自衛も正当防衛もともに self defenseということを紹介した。
日本の刑法36条をみれば、「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」(第1項)と、他人を守ることも含まれており、これは世界共通だ。この「他人」を「他国」と置き換えれば集団的自衛権である。もちろん、個別的・集団的を問わず自衛でも、正当防衛で過剰防衛になっていけなのと同じように、いろいろな制約がある。この意味で、集団的自衛権(もちろん個別的自衛権も)は、「必要最小限度」で限定的なものだ。
こうした国際法の観点から見ると、産経・読売のほうがまともにみえる。毎日・朝日の集団的自衛権は、戦争そのものととらえているのではないか。正当防衛を認めず、人に反撃を加えるだけで、傷害罪・殺人罪を適用するといっているのに等しい。」

上記によると、一般国民は、集団自衛権であっても質問方法によっては7割も必要としているというのです。
もしも自衛隊そのものの合憲・違憲の世論調査をすれば、合憲意見がその上を行くことは明らかです。
このように調査設問するには、具体的条件設定の重要性がわかります。
自衛隊違憲合憲の意識調査では、周辺状態の危険性は常識ですからメデイアが設問方法でごまかせないから、実態に合わせた常識的意見になっているのではないでしょうか?
朝日新聞や憲法学者は(無制限に戦争参加できるかのような質問形式)前提なしの違憲論を宣伝しているように見えます。
ところで、国民の8割が自衛隊合憲と一般化されていますが、ネット検索する限り(検索能力が低いから)メデイアの世論調査結果がなかなか出てきません。
内閣府による自衛隊に関する意識調査の変遷です。
https://survey.gov-online.go.jp/h26/h26-bouei/gairyaku.pdf

(2) 日本の安全を守るための方法
問13 では,あなたは日本の安全を守るためにはどのような方法をとるべきだと思いますか。
この中から1つだけお答えください。
現状どおり日米の安全保障体制と自衛隊で日本の安全を守る
平成24 年1月     平成27 年1月
82.3%   →   84.6%
日米安全保障条約をやめて,自衛隊だけで日本の安全を守る
7.8 →      6.6%
日米安全保障条約をやめて,自衛隊も縮小または廃止する
2.2% →      2.6%

ようやく内閣府の調査が出てきましたが、(ちょっと古いですが)これによれば上記の通り国民の97%以上が自衛隊存在を前提に回答していることからも自衛隊違憲論は少数であることが推測されます。
一般的に国民の自衛隊支持率は8割以上と言われていますが、どこにデータがあるか世論調査がネットには簡単に出てきません。
政党では共産党しか違憲主張がないのに国民の2割も違憲論があると言う一般化自体おかしいように思っていましたが、上記調査では自衛隊縮小論が2、6%となっており、この中には自衛隊違憲論者多数と見るべきでしょうが、国民の2割もいません。
以下に紹介する共産等プラス社民党支持率とほぼ一致しています。
https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_politics-support-politicalparty

政党支持率、自民は28.1%=時事世論調査※記事などの内容は2018年1月19日掲載時のものです

(憲法)学者とは?2

戦後70年間の経過で、学者の事実認識能力が実験で示されています。
今でこそ世論に押されて17日見たように学者の自衛隊違憲論が7割に下がっているようですが、戦後から数十年間は、ほぼ100%の学者が違憲という立場だった(私が受験勉強した頃に合憲論を聞いたことがありません)記憶です。
現実の70年間の結果判定では、国民意向を無視できない政党では共産党以外は皆合憲論ですし、国民の8割(本当のところはわかりません・もっと多いでしょう)が合憲と考えている結果によっても民意と学者の事実判断能力との乖離が明らかです。
そして憲法学者のほぼ100%は国民主権・法の下の平等・・学者も庶民も民意は平等に尊重されるべき・・民意優先を一方で主張しているのですから、憲法学者だけに特別の優越的発言権があるかの如く麗々しく学者集団生命など出すことの自己矛盾主張に気がついていないのです。
唯一自衛隊違憲を主張している共産党でさえも党綱領に書いているだけ程度の主張で政権を取れば、すぐにも自衛隊の存続を認めるかのような?苦しい議論をしています。
http://www.sankei.com/politics/news/171008/plt1710080010-n

2017.10.8 01:26更新【衆院選】
共産党の自衛隊違憲論めぐり党首討論白熱 安倍晋三首相「侵略受けたらどうなる」 志位和夫委員長「政権奪取後しばらく合憲」
日本維新の会の松井一郎代表(大阪府知事)は「違憲を合憲と見直すのか、自衛隊をそもそもなくすのか」とただした。
志位氏が党綱領に基づき「国民の多数の合意が成熟して初めて解消に向けた措置を取ることができる」と説明すると、安倍晋三首相(自民党総裁)は「志位氏が首相になり、『自衛隊は違憲』といった瞬間に自衛隊法は違憲立法となる。この間に侵略を受けたらどうなるのか。災害出動もできない」と畳みかけた。
さらに公明党の山口那津男代表が「立憲民主党も拒否するのに、どうやって政府を作るのか」とただすと、志位氏は党綱領に基づき「(共産党を含む)政権はすぐに自衛隊を解消する措置はとれない。(しばらく)合憲という立場を引き継ぐ」と説明した。
・・・激しいやりとりを聞いていた希望の党の小池百合子代表(東京都知事)も参戦した。「『しばらくの間は合憲』といったが、平成5年の自社さ政権では、社会党が一夜にして自衛隊をめぐる立場を変えた。志位氏も同じことになるのでは」と加勢した。

以上の議論を見ると共産党の違憲論も、野党の気楽さで無責任主張しているだけのように見えます。
憲法学者も責任を取らない気楽さでしょうか?
17日に公判前整理手続で紹介した通り、弁護士は顧客という責任相手があるのでむやみに気楽な主張ができないから平均8ヶ月もかけて慎重な事実検討の上での主張になるのです。
憲法学者は学問的には、こういう方向性が良いと思想を述べるのは勝手ですが、実務運用について専門家ではないので実務認定に関して優越的専門能力を担保されていません。
16日紹介した朝日新聞の調査では、憲法学者209人にアンケートして122人の回答者⇨約6割の回答ですが、真面目に考えれば「どういう時にどういう自衛権行使するかによるので、(具体的事実・行使した事実がない)現状では答えられない」あるいは、「自分は研究者であって、現実理解能力がない」というのが誠実な学者の立場でしょう。
我々弁護士も真面目に考えれば「整備される関連規則や前提条件を決めていない段階で違憲かどうか答えようがない」というのが、普通の意見になります。
専守防衛と言っても、兵器だけで見ても日本に飛んでくるロケット弾だけをパトリオット等で迎撃するのでは、迎撃ロケットの性能がよくなっても敵国が発するミサイルのせいぜい5〜6割落とせれば良いとすれば、残りの着弾で日本が火の海になってしまいますし、空軍基地やミサイル迎撃基地自体も即時に機能を失います。
第二波攻撃には迎撃すら出来なくなります。
これでは防衛自体が成り立たないので、ミサイル発射する敵艦を逆攻撃して撃沈するしかないし、迎撃基地自体の移動化(潜水艦発射)を図るしかないのが普通の考えです。
従来型の防衛概念では、戦闘機の発するミサイルや機関銃の弾を撃ち落とす努力は無理があるので、敵戦闘機や爆撃機の撃墜に向かうのが普通です。
刀で斬りかかる相手の矛先や拳銃の標的にならないように逃げているだけでは、いつかは切られ撃たれてしまうので、自分も相手に逆に斬りかかり応射するのが防衛の第一歩です。
この論理程度は専守防衛という観念論でも分かり良いのですが、ミサイルの長距離化が進んで日本近海まできた軍艦や爆撃機からではなく、北朝鮮や中国本土から直接弾道弾を日本へ飛ばせるようになってくると上記論理の応用では難しくなります。
領土侵犯がなくとも、敵本土から日本向けに発射されると瞬時に敵のミサイル基地を叩き返すしか有効な自衛ができなくなります。
専守防衛といっても日本に接近している空母や戦艦、戦闘機だけではなく、敵の本土攻撃までするようになると防衛と攻撃との区別がつかなくなってきます。
まして相手が核弾頭を発すると、第一次攻撃を受けるのを待ってからの反撃・敵発射基地攻撃では、間に合いません。
日本の反撃を防ぐために相手は第一次攻撃自体で一斉大量の核弾頭を発するでしょうから、その時点で瞬時に日本は壊滅してしまい反撃どころではありません。
相手国にとっては、日本の反撃が仮にあっても通常爆弾の五発や十発自分の基地に落ちても、その数分後には日本が壊滅するので、そのあとの反撃続行がないとわかっていれば気楽なものです。
これでは、核兵器保有国には防衛戦争自体が成り立ちません。
日本が有効な反撃が出来てこそ、敵国の安易な先制攻撃を抑止できるので、北朝鮮はこの反撃力保持に必死になっているのです。
このように専守防衛といっても敵の攻撃能力の変化にも関係するので、前もって一定枠を決めてしまうのは危険です。
日本が「敵基地攻撃能力のある兵器を持つのは、危険だ!自衛力ではない」という発想自体が、幼児的発想で止まっていると思う人が8割以上いるということではないでしょうか。
専守防衛といってさえいれば解決するものではありません。
そもそも数発〜10発程度の核弾頭を日本が持ったとしても、日本の十数倍もの多系統の発射基地手段を持っている中国に先制攻撃することは中国の巨大な反撃能力に晒されてしまうので、日本が中国侵略目的で先制使用することは、論理的にあり得ません。
中国(の意を受けたメデイアや文化人)が日本の核武装や自衛力充実に猛烈に反対している本音は、日本に対する核兵器の脅しが効かなくなることを恐れていることが明白です。
日本が仮に核保有しても侵略意図がないのでコスト関係でほんの気持ちだけの抑止力にとどまるでしょう。
同じことは北朝鮮にも言える・・北が核弾頭を一定数持った程度で、アメリカを先制攻撃することは想定できないので、反撃力のない日本は最も危険にされる関係です。

集団自衛権違憲論2(学者意見とは?)

昨日書いたように法律にはABCなどのいろんな解釈が成立するのが普通です。
いろんな説が成り立ち得るのに、特定立場でD説しか成立しない・・これを前提に「憲法学者がこう言っている」という宣伝をした上での抽象的世論調査は、言わば不当誘導的な調査になります。
そもそも真面目な学者が具体的条件不明の段階で根拠のあるA〜B〜C〜D説などの内、D説しかないと断定的学説を定立できるとは思えません。
関連法機整備の仕方によっては違憲になり得るから危険だ!だと言う場合には、違憲法案だと断定意見を言うのは行き過ぎです。
「車は事故が起きることがあるから禁止せよ」と言うのと同じ論法です。
法律文言で「他国侵略せよ」という書き方はあり得ないので、結局は「防衛目的といっても運用でどうにでもなるのが危険だ」という程度とすれば、昨日書いた通り公務員が違法行為をする前提意見ですから、代議制民主主義や司法制度によるチェック機能を無視した意見になります。
正当防衛の例で言えば、事件ごとに事情が違うのに前もって「こういう場合には正当防衛に当たらない」と確定的に言える人がいるのでしょうか?
我々弁護士でいえば受任当初に事件の概要を聞いて、「もしかしたら正当防衛の主張でイケそう」と言う場合でも、相手方や目撃者の主張や客観事実を総合しない段階では正当防衛を主張して良いかどうかすら判断できません。
公判前整理手続きを重ねて検察官の手持ち証拠開示を求めるなどして、弁護側主張を固めていくのに半年単位の時間がかかる事件はざらにあります。
以下は公判前整理手続に要している平均月数です。https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/statistics/data/white_paper/2016/2-6-3_tokei_2016.pdf

資料2-1-6-3
平均審理期間及び平均公判前整理手続期間-自白否認別・裁判員制度導入前後別p-

94弁護士白書 2016 年版

(2)自白・否認別の平均審理期間・平均公判前整理手続期間等
裁判員裁判の審理に要する期間は、犯罪の成立が争われる否認事件か、犯罪の成立に争いのない自白事件かによって大きく異なる。次の表は、2015 年(1月~ 12 月)の裁判員裁判対象事件の自白・否認別の平均審理期間・平均公判前整理手続期間(過去比較)及び審理期間・実審理期間についてまとめたものである。
必要的弁護事件数と国選弁護人選任率の推移(簡易裁判所)
資料2-1-2-5
裁判官裁判(2006年~2008 年)裁判員裁判
   中略
   平均審理期間
        2006~08平均     累計     2009年   2010年     2011年       2012年       2013年        2014年      2015年
                 8.3          10.9             5.6           9.8         10.9          11.7           10.9            10.6             11.2
  うち公判前整理手続期間の平均(月)
  否認事件
     3.7         8.4               3.1             6.8           8.3           9.1        8.5                   8.5              9.1
  うち公判前整理手続以外に要した期間の平均(月)
     4.6       2.5               2.5              3.0             2.6          2.6           2.4                    2.1              2.1
 このように公判前準備だけで平均8ヶ月もかかっている・・事実というものはやって見ないと分からないのが普通ですからちょっとした条件を挙げて「こういう場合どうですか」と聞かれても、もうちょっと前後の事情を聞かないとなります。
あらかじめ、こう言う場合という「一言で言える程度の事情・簡略な例示だけ」で正当防衛になるとかならないとか、「一概に」言えないのが、一般的です。
日本国憲法下においても自衛権・自衛のための闘争権限があるというのが8割以上の国民意見であるとした場合、その基礎にある法理論は、自衛権→個人の正当防衛の思想です。
「どんな不法なことをされても反撃できない・自分の命すら守ってはいけない国家ってあるの?」という素朴な国民意見に自衛隊は支えられています。
「集団自衛権」が違憲か?と言う疑問があるとしたら、解決すべき論点・国民の知りたいことは、その法律によって自衛の範囲・個人でいえば正当防衛の範囲を超えた軍事行動をする権限を与える事になるかどうかこそが本来国民が知りたい争点です。
「もしかしたら権限外の行為をするかも知れない」「こういう心配がある、ああいう心配がある」と言う可能性を聞きたいのではありません。
不当、違法行為を前提に違憲の可能性を言い出したら、警察官が好き勝手に拳銃を発砲したり逮捕したら困るからという理由で、警察制度自体が憲法違反になるかのような議論になります。
この種の危険性を宣伝しているのが自衛隊違憲論です。
従業員にお金の管理も任せられません。
不当逮捕が心配であっても、警察制度を廃止するのではなく公務員の法令遵守教育の他に令状主義や裁判手続きなどのチェックシステム整備をすれば良いことです。
企業も経理システムの整備などで不正経理を防ぐべきであって、他人に経理を任せない方が良いと言う意見は飛躍があります。
非武装論者と運動体がダブル傾向がありますが、公害反対その他何でも短絡的に飛行停止や操業禁止を求める傾向がありますが、車事故が多くても交通ルールや環境整備によって事故を減らして行けば良いように、公害問題も防除システム整備の問題であったことが結果的に証明されています。
なんでも新しい道具やシステムには、相応の不具合があること多いのですが、その不具合を「だましだまし」というか、実用していく中で副作用を減らして行くのが、人間の知恵です。
私自身法案をきっちり見る暇もないので、文字通り素人ですが、常識的に考えて一見明白に「自衛以上の戦争行為ができる」と法案に書くことはありえないでしょうから、その法案を(A~Dの中で最悪曲解すれば)「違憲行為ができそう」という程度では、 昨日書いたように公務員が現場で、意見にならないABCの選択しかできない・合憲解釈の範囲しか行動できないとすれば違憲法案とは言えません。
憲法学者が何が起きるか不明の状態で自分の好きな限定条件・一言で言えるような極端な事例設定して?あたかも正しいかのような意見を述べているとすれば、職分を超えた振る舞いです。
ただし、元々自衛権行使(殺されそうになって相手の手を払いのけてもいけない?)自体が憲法違反という立場の憲法学者にとっては集団自衛権が自衛の範囲であっても憲法違反になるのは当然ですから具体的条文チェックの必要すらないといえばその通りです。
>こういう学者の意見など国民の多くが相手にしていないのに、集団自衛権行使が憲法違反かどうかの質問をして報道する事自体国民を愚弄する茶番劇・報道の歪みを表しています。

世論調査とは?(集団自衛権違憲論1)

芦田修正の関係で戦後の憲法学者の憲法論の推移と国民意思との乖離の歴史を見ておきましょう。
http://gohoo.org/16020701/によると詳細引用を控えますが、16年現在憲法学者の約7割が、自衛隊は憲法違反とアンケートにこたえているようです。

「憲法学者の7割が自衛隊違憲」は水増し? 東京新聞の引用は不正確
楊井 人文, 2016年2月7日
東京新聞2016年2月14日付朝刊1面 朝日は昨年7月、憲法学者アンケートの結果、122人の回答者のうち104人が集団的自衛権の行使を容認する安保法案を「憲法違反」と回答したと報じた。その中で自衛隊の合憲性につlいても質問していたが、回答結果を紙面で伝えず、デジタル版にのみ簡潔に載せていた。日本報道検証機構が指摘した後、詳細な回答結果がデジタル版に開示された。その結果を分析すると「自衛隊を合憲と実名で回答した憲法学者19人のうち、安保法案を明確に違憲と答えたのは8人だった」ことも明らかになった(既報トピックス=朝日新聞 憲法学者アンケートの結果の一部を紙面に載せず)

今日の本来のテーマは、自衛隊の存在自体を違憲と考える学者がどの程度かを知りたくて引用したのですが、上記検証記事を見ると集団自衛権の違憲論の調査の前提調査であったことがわかります。
横道に逸れますが、メデイアの調査の仕方に疑問が起きたので、ついでに書いていきます。
上記によると朝日新聞は、もともと自衛隊を違憲と考える人を中心に集団自衛権の合憲性を聞いたら7割の人が違憲と答えたと言う事になります。
国民の約8割が自衛隊の存在を支持している現状(政党別に言えば、共産党を除く全政党が合憲と認めています)からすれば、国民の多くは自衛隊自体の違憲か合憲論については現実無視の憲法学者に今更意見を聞く必要性を感じていません。
現実を知る能力は(世間知らず?)の学者より一般国民の方が詳しくその判断が正しいことを前提に民意重視・選挙制度が出来上がっていますし、だからこそ、メデイアは世論調査をしょっちゅう実施しているのです。
将来どうなるかは不安ですから、現状の自衛隊の合憲を前提にした上で今後集団自衛権になるとどう言う危険があるのかについて専門家の意見を知りたい人が8割以上いることになります。
自衛隊が必要なものである・・合憲で良いと考える人にとっては、もともと自衛隊を違憲だと言う学者に集団自衛権は違憲ですか?と改めて聞く意味はありません。
上記データによれば、自衛隊の合憲論学者で集団自衛権を違憲と回答した人が、19名中8名しかいないという事ですから、メデイアによる7割もの憲法学者が違憲と言っていると言う宣伝報道の内実は、もともと違憲論者中心に聞いていたと言う衝撃的事実がわかりました・・まあ皆が迷うくらいですから真面目に考えた回答とすれば穏当な票割れでしょう。
現状の自衛隊が合憲という人でも、集団自衛権になると違憲かどうか・・そこまでは賛成しないかどうかの判断基準は、どう言う場合に集団自衛権を行使するかの細かな発動条件によるので、素人には分かりにくい・この面で専門家に聞きたい気持ちがあります。
政治家や法律家は憲法違反かどうかの抽象的な主張ではなく、こういう規定だとこういうことができるから、これしか出来ないから憲法違反だという具体的な危険の有無程度を主張すべきです。
簡単にいえば、むやみやたらにどこでも政府が勝手に出かけて行って戦争する権限を付与するのは困るが、日本の防衛にやむをないとき・・共同作戦中やその準備過程(兵器弾薬の補給を米軍にお願いしている場合などに補給運搬中米軍が攻撃されたら警護し応援するのはやむを得ないだろうというのが大方の許容範囲でしょう。
物事は具体的条件設定や状況によるのですから、具体的条件設定をどのように表現してアンケートを取ったかによっても答えが違ってきます。
ところで法律は抽象的にならざるを得ない・・「切迫した状態」刑法でいえば正当防衛が許される場合の表現に「急迫不正の侵害」と要件がありますが、具体的にどう言う場合に該当するかまで法律には書ききれません。
腕力のある人が正当防衛に名を借りて弱い相手に暴行を加えることになり兼ねないから、正当防衛の条文は違憲だという人はいません。
事案によっては千差万別の無限大とも言える多様な事象に対してプロの裁判官が事案ごとに認定していき、正当防衛に当たるかどうかが決まる仕組みで、腕力のある人が正当防衛と主張さえすれば通る訳ではありません。
前もって法令に「こう言う場合」と限定するのは不可能でいくら文言を連ねても、具体的にどう言う場合に正当防衛になるかは、具体的事件に合わせて裁判で決めていくしかないのが実務です。
抽象的だと政府が何をするか不明だから、信用できないと言い出したら代議制民主主義・・そもそも法制度が成り立ちません・・政府や国会、司法機関のチェックに委ねてそのあとでルール違反があれば政治責任や刑事、民事責任を問うのが民主主義社会です。
実際に警職法や破防、凶器準備集合罪など制定時に人権侵害の危険を野党・人権団体が毎度主張してきましたが、何十年もの経験で実際に過剰運用行為で問題がおきたと聞いたことはありません(司法の場で是正されるので過剰運用ができない仕組みです)。
実務運用を政府や警察、自衛隊その他に委ねない・・やる前から危険がある=違憲だというのでは、すべての法律制度が成り立ちません。
上記の通り破防法等は制定時に不当弾圧に政治利用されるとの批判が有りましたが、実際の運用でそういう問題が起きていないし自衛隊を持てば侵略国家になると大騒ぎでしたがそんな事になっていません。
近代の最初・人権擁護意識高揚期には、裁判でも恣意的事実認定を恐れて証拠法定主義が流行りましたが、一定証拠さえあれば有罪、その証拠がなければ無罪という固定主義は実態に合わないので、すぐに廃止されて現在では自由心証主義になっていることを以前紹介しました。
企業トップであれ政府であれ、結局その任に当たる人をある程度信用するしかない・事後の国会承認等外部チェックを厳しくしていくという常識に落ち着いているのです。
そして今では8割の国民が自衛隊の存在を支持し信用している(と言うことは自衛隊や警察は武力を持っていても違法なことをしないと信用)し、自衛隊違憲・・存在を認めない→信用しないと言う政党は共産党だけになっています。
自衛権行使が現状合憲と思っている大方の国民にとって、その先「どこまで」権限を広げるのが許容範囲かこそが議論のテーマですし世論調査すべき対象です。
集団自衛権という意味不明の概念で違憲かどうかを聞くのではなく、具体的条文を紹介してこの書き方で自国防衛の範囲を超えているかどうかの調査をすべきです。
ある法文言ではABCDの解釈が可能とした場合に、ABCは合憲の範囲内でDの解釈をすれば違憲とした場合、その法律が違憲になるのでしょうか?
もしも本当にD行為が違憲であるならば、その法律の解釈としてはABCの解釈しか許されない・D行為はその法による行為とは言えない・・違法の評価を受けることなるので違憲の法律になる余地がありません。
法そのものが違憲になるのは、その法によって違憲の行為しかできないとき・・ABCDどのような解釈をしても違憲行為しかないときだけですから、ABCならば良いが乱用してDをされるおそれがあるという主張自体がおかしな主張と思われます。
だからこそ戦後次々と「軍靴の音が聞こえてくる」と騒いでいたこと全てが杞憂に終わったのです。
警官に拳銃を持たせると適法使用もあるが個人怨恨で違法使用されたら困るというのと同じで、公務員が違法行為をすることまで心配していたら全ての法律が成り立ちません。
違憲論を合理的に言うならば、この法律があると権限乱用してこういう違憲行為が「できる」という主張でなく、違憲行為「しかできない」とまで言う必要があります。

憲法9条は押し付けか?(自衛隊違憲?)

ここでは自衛隊違憲合憲や改正の是非はテーマではありませんが、これまで見てきた資料の中に文民条項が入った時の経緯が出ていますのでついでに紹介しておきます。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/026shoshi.html
日本の自衛権保持問題

4-11 極東委員会と文民条項
極東委員会が1946(昭和21)年7月2日に採択した「日本の新憲法についての基本原則」には、国務大臣は文民(civilian)、すなわち非軍人でなければならないとする原則が盛り込まれており、8月19日にはマッカーサーもこのことについて吉田首相に申し入れた。しかし日本側は、第9条第2項が軍隊保持を禁じている以上、軍人の存在を前提とした規定を置くのは無意味であると主張し、文民条項は置かないことでGHQ側の了解を得た。
ところが、いわゆる「芦田修正」により、第9条第2項に「前項の目的を達するため」という語句が加えられていたことに極東委員会が注目したため、文民条項問題は再浮上することとなった。すなわち9月21日の会議で、中国代表が、日本が「前項の目的」以外、たとえば「自衛という口実」で、実質的に軍隊をもつ可能性があると指摘した。そのため、検討の結果、同委員会は文民条項の規定を改めて要求することになった(同月25日決定)。同委員会の意向は、ホイットニー民政局長から吉田首相に伝えられ、貴族院における修正により、憲法第66条第2項として文民条項が追加された。
なお、「文民」とは、このとき貴族院小委員会でcivilianの訳語として考案された造語である。

上記の通りの経緯で文民条項が復活しましたが、連合国の前提には平和国家でも当然自衛権があり、そのための国防軍を保持できる前提だったので文民条項が必須だったのですが、上記経緯で一旦これが消えそうになっていたものです。
この経緯・・軍自組織がなければ、文民条項不要なので、憲法に文民条項が置かれた経緯から見ても関係国みんなが自衛軍を持てる前提で議論していたことがわかります。
13日に紹介したSWNCC228の「天皇は軍に関する全ての権威を剥奪されるべき」と言う根本原則・・「(4) The Emperor shall be deprived of all military authority」も、軍の存在を前提にしています。
SWNCC228は秘密にされていたので、日本側は米国の真意・落としどころ不明のまま過剰反応で、GHR草案をそのまま受け入れてしまった印象があります。
旧態然とした天皇制度維持にこだわってしまったことから、1946年2月13日にそんな改正案しかないのならば、天皇の身の安全を保障出来ないとGHQに脅されて腰を抜かした関係者が、米国が本音ではこだわっていない分野まで過剰妥協してしまった・交渉ミスだったとも読めます。
2月13日に日本側に手交されたGHQ草案を見ておきましょう。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076shoshi.html

 CHAPTER I
The Emperor
Article I. The Emperor shall be the symbol of the State and of the Unity of the People, deriving his position from the sovereign will of the People, and from no other source.
Article II. Succession to the Imperial Throne shall be dynastic and in accordance with such Imperial House Law as the Diet may enact.
中略

  CHAPTER II
Renunciation of War

Article VIII. War as a sovereign right of nation is abolished. The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.
日本国憲法

第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

政府は上記のとおり、GHQの勢いに飲まれた担当者が唯々諾々・まともな交渉にも何もならなかった腰砕け状態日本側の憲法改正案になった印象ですが、いわゆる芦田修正「前項の目的を達するため」が徳俵で一本残した印象です。
これがなくとも法理論上自衛権を持てるという考えが普通かもしれませんが、あった方がなお一歩自衛のための戦力保持に近づく印象は否定出来ないでしょう。
今になれば、自衛隊合憲(国民世論)が多いので、芦田修正の意味は大したことがないという人が多いかもしれませんが、戦後10〜20年間くらいは自衛隊違憲論が強く、砂川事件など憲法訴訟がしょっちゅう起きていたことを考えるとやはり芦田修正の影響力が大きかったと思われます。
http://www.sankei.com/life/news/131109/lif1311090026-n2.html

2013.11.9 07:38更新
【中高生のための国民の憲法講座】
第19講  憲法9条 芦田修正が行われた理由 西修先生
芦田氏は、昭和32(1957)年12月5日、内閣に設けられた憲法調査会で、以下のように証言しています。
◆自衛の戦力保持可能
「私は一つの含蓄をもってこの修正を提案したのであります。『前項の目的を達するため』を挿入することによって原案では無条件に戦力を保持しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないということになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白であります。そうするとこの修正によって原案は本質的に影響されるのであって、したがって、この修正があっても第9条の内容には変化がないという議論は明らかに誤りであります」

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。