言論政治活動の自由 2(テロ計画も自由か?2)

法人犯罪(不正経理や贈収賄や談合など)やヤクザなど一定組織で原則連座制にすれば、共犯認定が不要になり訴訟も簡単です。
証拠収集が不可能に近い時代には、一定範囲の親族や隣組等の連座制が発達した所以です。
連座制の問題点は個人責任の原理に反する・本当に事件に関係ない人までで牢獄に繋がれる団体責任論につながりますから、文字通り近代法の原理に反します。
そこで刑事罰には簡単に使えないので、現在では資格制限等に使っているのですが、元はといえば証拠認定の困難さに由来するものです。
このように見ると共謀罪法は、証拠がなくとも責任を問われる連座制に比べれば、共謀の証拠認定がいる点で近代法そのものです。
この法律では証拠認定の必要性がこれまでと何ら変わらないので、捜査機関の証拠収集能力(科学技術の発達)のアップがない限り実際には法ができても運用実績が挙がらないはずです。
連座制のように事実認定なしに実質的に共犯とみなしてしまうのとは異なり、証拠が必要とされる点では近代法理・犯罪の認定は証拠によるという近代法の法理に反していません。
法律が出来ても証拠がない限り検挙もできませんから法を作る意味がないのですが、今はデジタル技術に始まって多様な証拠が生まれつつあることに応じられる法律になった・・テクノロジーの利用によってテロ等の企画段階で情報入手していてもテロ行為を起こすまで待っていなけばならない・事前に制止できない不都合は防げるようになったでしょう。
てもそれだけに反抗を企画して実行に加わらない「免れて恥なき徒」にとっては一歩進んだ脅威になるのでしょう。
大分ズレましたが、政治資金規制法に戻します。
規制対象も一般人まで広げるといろんな事情がありうるので、政治資金の取得先に限定しただけであり、政治家でなくとも外国政府から報酬をもらっていることを隠して中立的意見を言っても国民が納得しない点は同じです。
ただし、外国の立派な人と会位、一定期間修行して薫陶を受ける・・あるいは外国の優れた制度やシステムを学んで自国に導入しようと努力することは自国発展に望ましい事ですから、これを否定的に見るべきではありません。
本当に自国発展のためにグローバリズム(TPP)を推奨しているのか、国際資本の(戦前のコミンテルンによる世界共産主義化運動も20年ほど前から流行った新自由主義も)の手先として運動しているのかなどの判定基準がない(今のところ考案できない)ので、たまたま資金移動で区別するのが外形上わかり良い・外形的標識によって規制が容易であるという便宜によっているにすぎません。
国民主権国家においては、民意による政治=国民の意思による国民のための政治に最大価値を置く以上は、政治家は民意=国民の代表者であるべきで、外国人のための政治をするのは実質的憲法違反行為です。
ただ日本では、政治資金規正法程度しかない・その他は原則として野放しになっているように見えるのが不思議です。
ところで、アメリカで昨年の大統領選挙に関してトランプ陣営がロシアの助力を得ていたのではないか?ロシアが行なっていたとされるクリントン候補に対する大量のネガテイブキャンペイン等にトランプ陣営が関与していなかったかのテーマで、特別検察官まで任命され既に幾人ものトランプ政権中枢人物の辞任騒ぎになっている・・いわゆるロシアゲート疑惑で揺れているのはこうした価値観の表面化です。
1月24日にも特別検察官が司法長官の聴取(取り調べ?)まで行っていたことの外、大統領取り調べま?で予定されていることが報道されています。
http://www.sankei.com/world/news/180124/wor1801240019-n1.html

コミー氏解任めぐりトランプ氏から聴取か 米メディア、「司法妨害」に関心【ワシントン=加納宏幸】米紙ワシントン・ポスト(電子版)は23日、ロシアの米大統領選干渉疑惑を捜査するモラー特別検察官のチームが数週間以内に、トランプ大統領からフリン前大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の辞任やコミー前連邦捜査局(FBI)長官の解任について聴取する意向だと伝えた。モラー氏は、トランプ氏に捜査を妨害する意図があったかに関心があるという。
モラー氏側は先週、セッションズ司法長官から聴取したことが明らかになっている。閣僚からの聴取は初めてとみられる。
ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は23日、モラー氏側が昨年12月、コミー氏から聴取したと報じた。

一般的には政治の帰趨がきになるから大きなニュースになっているのでしょうが、私の関心は外国の意向に左右されてはならないと言う基本的思想がアメリカでもひどく強いと言うことと、日本のように資金が動かない限り問題にしないと言う形式処理の社会ではない・・・外国勢力との繋がりに対する外形的規制法が自由主義の本場アメリカで制定されているのか?の点にあります。
単なる政治責任問題ではなくFBIが捜査に乗り出し特別検察官が選任されたということは、なんらかの刑事処罰制度があるからでしょうが、何の犯罪に対する刑事捜査なのかメデイアははっきり報道しません。
トランプ政権がロシアによるハッカー攻撃に関わったとすれば、ハッカー関連規制法(日本語でいえば刑法の「電磁的記録不正作出及び供用罪」の変形版みたいなもの?)違反の共犯にすぎないかもしれません。
これだけ日本でも大きく報道しているにも関わらず、何の法令違反で捜査が始まっているのかの紹介が全くありません。
単に仮称サイバーテロ防止法違反行為に加担しただけなのか、外国勢力と一定条件下(大統領候補者になった者が)で接触して一定の行為をした場合に、法で処罰対象になっているのか・そんな規制は滅多にないかを知りたいものです。
資本主義、自由経済主義の本家でこれを守るために独占禁止法が制定されているように、思想表現の自由を守る本家アメリカで逆に外国との通謀に対する規制があったとすれば、(単にサイバーテロの共犯程度か?)驚く日本人が多いでしょう。
このコラムでは車の例をよく出しますが、車がより気持ちよく走り回るにはスピード制限や歩車道の区別をつけたり道路状況に応じた各種規制が必要なように、「自由その他の人権を守るにはかえって人権を行使するに際してのきめ細かな規制やルールが必要」というあたり前の原理がわが国では無視されているように思われます。
選挙が重要だから「勝手にやらせろ」と言うのではなく相応のきめ細かな規制が必要ですし、思想表現の自由に関してもこれが尊重され有用であればあるほど、乱用的利用者が増えるので過剰な表現に対する規制(誇大広告規制等がありますが)の必要が生じます。
物事は発達すればするほど交通法規や証券取引金融商品のように規制も増えて行く必要がある・・その方向に向けた具体論が発達するのが普通です。
ところがわが国では、表現の自由論や平和主義が喧伝されているわりに、アメリカでの表現そのものを取り締まる違憲判例ばかり麗々しく紹介され、表現の自由行使に関する交通ルールみたいな外形規制をどのように工夫しているかの方向では、全く紹介されていないのが不思議です。
(私が勉強不足なだけでしょうが、それにしても勉強不足の弁護士には届かない程度のマイナーな紹介論文しかないのでしょう)

言論政治活動の自由 2(テロ計画も自由か?1)

内乱罪などを処罰する規程を我が国の刑法で明記していても、これを憲法違反という主張を聞いたことがありません。
このことは、国家権力を民主的手続き外で転覆することが許されないという思想の現れです。
民主的とは民意・国民意思によるという意味ですから、国民外の意思によって内乱に限らず、個々の法律であれ、国家のあり方や国家形態を変えようとするのは実質的違法です。
国民の自由意思を尊重するとは、国外の意思によって国民を一定方向へ誘導する自由ではあり得ません。
騙されたり強迫されて表示した意思表示は、真意と違うことを理由に取り消せることが民法に書いてありますが、医師と亜gkせんsく自由な表現や自由な行動とは、古代ローマ法の時代から自分が自由に考えた結果による意思です。
民法

(錯誤)
第九五条
意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。
(詐欺又は強迫)
第九六条 詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。

外国のための意見であるのに、国民のための意見であるかのように国民を騙す行為は、実質的意味の国民主権主義違反です。
このために国外意思の影響力を遮断するために、政治資金規制法では外国人等からの寄付を禁止しています。
1月23日現在のウイキペデイアからです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E8%B3%87%E9%87%91%E8%A6%8F%E6%AD%A3%E6%B3%95

外国人からの寄付の禁止
「政治資金規正法第二十二条の五により、外国人、外国法人、主たる構成員が外国人若しくは外国法人その他の組織からの政治活動に関する寄付を禁止されている。しかし、2006年の改正で規制緩和された。会社法124条1項に規定する基準日が1年以内にあった株式会社は、その基準日に外国人または外国法人が過半数の株式を保有する会社だけが規制される。このときにも規制を受けない例外が設けられている。2011年には、韓国人から献金を受けたことについて国会で追及された前原誠司外務大臣が辞職する事件が起きている。」

政治資金規正法は、形式的に見ればお金さえ貰わなければ外国政府の手先になっても良いかのようですが、資金規制法の本質は、お金さえもらわなければ外国の手先になって政治活動しても良いという意味ではなく規制対象にしないというだけです。
日本国が損をしても良い・外国のために意見を言い政治行動するのは困るが、その規制方法がないので、さしあたりお金をもらっていると怪しまれても仕方ない・・しかし怪しいだけですから処罰が緩くするという国民合意のもとで、規制できる限度で規制したに過ぎない・・という法精神の表れと見るべきでしょう。
証明方法が未発達なのに思想を処罰すると自白強要になりかねない・ひいては人権侵害の害が大きい・・証拠方法未発達を前提に近代法では思想を直接処罰しないことにした背景原理です。
これが防犯カメラ電磁記録その他客観性のある証明方法が出てくると元は完全犯罪であったものが、そうでは無くなります。
パク大統領の国政秘密を友人に送信していた事件では、友人が海外転居のために受送信記録をパソコンから消去した上で、パソコンのハードを廃棄しようとしたので、それを入手した政敵関係者?が復元を試みて成功したところから始まったものです。
この頃は意思表示の多くはデータ通信で行われるので内容が記録に残るようになっていますから、共謀段階で多くの記録が残るので自白に頼る時代ではなくなっています。
内心の思想にとどまらず(秘密結社内で)外部表出した記録が残る時代です。
たまたま事務所で大分県教員選考試験で、基準に達しない受験生に対する加点が行われた結果の合格処分取り消し事件の高裁判例を読んでいると、受験記録は廃棄されてしまっていても不正加点するためにパソコン処理した記録が残っていたので、これが信用できるので、選考基準に達していなかったことが認定できるという事実認定が行われていました。
「共謀だけで犯罪にして処罰するのは近代法の法理に反する」といって満足している人は、近代法で「思想が処罰されない」のは証拠上無理があったので除外していたに過ぎない点を無視して、「どんな思想を語らっても構わない」テロ計画支援ソフトを流布させも実行に関係なければいいという原理主義に飛躍させているのです。
殺人の醍醐味やその他社会破壊計画を宣伝して、これを広めても具体的事件の実行に参画していなければ良いという意味ではなく、社会破壊計画はそれ自体社会に対する背信行為です。
特に最近のテロは瞬時に大量殺傷が可能ですから、実行に着手するまで取り締まれないのでは社会防衛には限界があります。
近代では証拠の種類がほとんどなかった・仲間の密告や自白しかなかったので冤罪等を防ぐために不処罰が人権擁護上で重要だったのです。
しかもいろんな思想の間で何が良い思想かどうかの判定が恣意的になるリスクもありました。
今や上記の通り、証拠方法が飛躍的に拡大している上に政府の気に入らなない思想だけ処罰するリスクがないように、一定の既存犯罪行為の中で一定の法定刑以上の重大犯罪の共謀だけ処罰すると言うのですから、元々の近代法思想の射程範囲内というべきです。
反対論者の頭の中が近代科学技術段階で止まっている人の集まりかというとそうではないでしょう。
証拠収集が容易になるシステム発達にいつも反対(・・例えば九州弁連の防犯カメラ設置反対論者を招いた集会を開催していることを紹介しました・・最近の著名事件ではCPS機能を利用した窃盗集団に対する捜査が違法であるという最高裁判例が出ましたが・・)してきたことを見ると、(科学技術発達によって、従来基準では証拠不十分ですれすれ無罪になりそうな事案が「証拠あり」になってしまうのが困るのを「プライバシー侵害」等を理由に反対している(私の人権意識不足の批判があるでしょうが)イメージです。
昭和30年代から共謀共同正犯論の発達があっても、命じられた部下が兄貴分の指示を暴露しない限り証拠がないという考えでした・鉄砲玉として末端配下を使うやり方が有効)が、それでもたまに裏切る部下がいるので、共犯者の自白の証拠能力というテーマで長い間法曹界では争われてきました。
この隘路を打開するために暴力団組織の命令ステムを前提にした(配下組員が親分から命じられたと言う自白がなくとも)共謀認定する実務運用がこの20年くらい前から進んでいました。
選挙法関連では、政治家本人が知らなかったでは許されない連座性が早くから採用されています。
連座制は、共犯認定が困難・・「一定の関係があれば、責任を持つ」のは(知らぬわけがないが)「知らぬ」と口裏を合わされるとどうにもならない・実質不正がまかり通るので、こういう場合には「証拠がなくとも共犯認定します」と言得ないので、連座責任と言い換えているだけですから、本質的には証拠認定の困難性に由来するものです。
この延長での共謀罪法案提出ですから、実はこの法律では証拠認定の必要性が変わらないので、捜査機関の証拠収集能力(科学技術の発達)のアップがない限り実際には法ができても運用実績が挙がらないはず。
連座制のように事実認定なしに実質的に共犯とみなしてしまうのとは異なり、証拠が必要とされる点では近代法理・犯罪の認定は証拠によるという近代法の法理に反していません。
法律が出来ても証拠がない限り検挙もできませんから意味がないのですが、今は多様な証拠が生まれつつあることに応じた法律になった・・それだけに「免れて恥なき徒」にとっては一歩進んだ脅威になるのでしょう。

言論政治活動の自由1

非武装平和論をそのまま実行すれば、結果的に日本が中韓等の占領下に簡単に入ってしまうのを理想とするようなイメージが強くなると、このような意見を述べる人々は、どう言う人の集まりか?と疑問に思う人が増えてきます。
慰安婦騒動で大きな役割を果たしたとしてネット上で糾弾されている社民党党首であった福島瑞穂氏(ただし私は彼女がどういう役割を果たしたかについてはネット風聞しか知りません)を例にすると、護憲・非武装論者の中でも有力政治家として知られているように、非武装論支持層と慰安婦批判層/外国人参政権拡大主張論者の多くは(護憲論者でも慰安婦強制性を否定する人もいるでしょうが、ここでは大方の傾向を書いています)共通性があると想定されます。
福島瑞穂氏に関する1月22日現在のhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%91%9E%E7%A9%82からの引用です。

弁護士時代から慰安婦問題に積極的に取り組む。アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件を担当した弁護士の一人であり、慰安婦問題については早期から問題の周知に大きな役割を担った[2]。高木健一らと共に韓国で賠償訴訟の原告となる元慰安婦を募集した。[3]
1992年8月にソウルのYMCA会館で開かれた『アジア連帯会議』は、松井やよりと福島瑞穂が仕切り元慰安婦の女性たちは会議の席上、事前に日本人と韓国人のスタッフから指導された通りに自身の体験と語って日本政府を非難した[4]。
慰安婦募集の強制性を認めた1993年(平成5年)8月の河野談話の根拠となった日本政府による韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査にオブザーバー参加している[5]。
2015年1月14日の在日本大韓民国民団新年会に出席し「慰安婦問題は性的暴力の問題、(外国人)地方参政権も含め、共生社会として作っていく」「統一地方選、来年の参院選、どうか手を貸してください」などと語った[14]。
2014年4月21日、元行政刷新担当大臣の蓮舫や社会民主党党首の吉田忠智と連名で、第2次安倍内閣が目指す憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認を支持しないようアメリカ大統領のバラク・オバマに求める文書を在日米大使館に提出した。

心底から事実と信じて慰安婦騒動等日本軍の蛮行を主張していた人達にとっては、非武装の結果中韓の日本占領支配意欲を誘発し、日本が占領支配されて何をやられても「日本があれだけの迷惑をかけた以上それは仕方ないでしょう」という考えが基礎にあってもおかしくありません。
日本人が数百年程度は、かなり酷い目ににあってこそ「頑固に慰安婦を認めない」日本人の目が覚めて心からの反省につながり、長期的には日本人のために良いことだという意見を持っているのかもしれません。
千年許してくれなくとも仕方ないじゃないかということでしょう。
親は子供を愛しいと思うからこそ厳しい試練を課すこともありますから、民族に苦難を与えることが千年単位で見れば日本民族がより良心的で立派な民族になる元になるという考えもあり得ます。
日本民族を中韓に売り渡そうとしているように一見見えても、日本民族に対する深い愛情に裏打ちされているかもしれません。
「人それぞれにいろんな(短期〜長期の違い)事実認識があり、いろんな意見があっても良い」というのが現在社会の到達した基本価値観でしょう。
どんなおかしな意見であってもそれを国民が支持するかどうかで、その意見が効果を持つかどうかを決めればいいことです。
影響力があって困ると言う意見もあるでしょうが、困るのは相応の共感者がいるからです。
日本を悪く言う意見は社会に害があると思う人がいるでしょうが、共感者が少なければ、日本社会に対する影響力もありません。
こんな意見がはびこると日本社会に害があると思えば、反対論を展開して国民の選択に委ねれば良いのです。
困るのは国外で日本のしてもいない悪事をいかにもあったかのごとく吹聴することでしょう。
国内言論は共感者の実数次第・思想の自由市場が働きますし、今ではメデイアに頼らずともネットが発達しているので反論も簡単ですが、国外での吹聴は国内にいる人には気がつきにくいので反論が遅れるし、国外で日本擁護の反論が自由(言語の壁もあるし)にできる訳ではありません・思想の自由市場が保証されていません。
国内支持者少数でも、これを悪用したい敵対国にとって大きな利用価値があります。
現在ではこれが一番困るように思われます。
企業でも何の組織でも内部で異論をいうのは構わないが、外で社内の陰口を垂れ流されるのが一番困るでしょう。
個人間でいえば、陰口/告げ口の類いです。
ところで、言論や学問の自由は時の権力に不都合な研究発表でも、何を内心で考えるかは個人の本源的自由権であるほかに、中長期的に見ればその社会の発展になることもあるし、社会の仕組みが変わると、前の時代に無視されていた意見が有用になる場合もあります。
各種基本的人権といっても、社会に害をなす行為は許されない・・通行の自由があっても相手の通行妨害権がない・・交通法規遵守義務があるのと同様に、最重要とされる表現の自由も(二重の基準論と言いながらも)結果的に公共の福祉に反する行為は許されない制約があります。
自由に思い考え自由にこれを外部表現する権利はとても重要ですが、相手を中傷して傷付けたり虚偽表現等で相手を陥れるのは許されません。
その民族が敵対民族の支配下に入るように画策したり、その社会破壊目的の発言表現の自由があるのでしょうか?
日本への「愛がある」結果としても、異民族支配下になるように運動する意見になると行き過ぎではないか?と思う人が多いでしょう。
仮に日本民族破壊目的の意見表明は許されないとしても、表向きは「こうした方が自民族のために良い」と言う意見で表現されるので、実際には本音まで認定できません。
しかも短期的に見れば日本のために悪そうでも長期的には逆に良い面もあり一概に言えません。
だから具体的実害が起きるほどの一見明白な危険発言以外の思想表現の規制は実際上不可能となり注意深く発言している限り結果的に野放しになります。
以下は法規制の必要性ではなく道義を書いているのですが、例えば、日本国内でのテロ行為の煽動・・誰彼なしに皆殺しにするように煽動する表現は道義的に違反でしょう。
すでに性風俗を守るために猥褻表現や名誉毀損表現が刑事処罰されるようになっていることからしても、それよりも法益的に重要な生命侵害の煽動することを少なくとも道義的に賞賛するわけには行かないでしょう。
日本政府による統治よりも外国政府による統治の方が良いと考えるのは思想の自由であるとしても、それを実行に移すのは内乱罪または外患罪で刑事処罰されることになっています。
すなわち、外国支配を希望していてそれを実行すれば処罰される法体系になっているということは、外国支配を望む思想表現は国家社会内の思想の自由市場で競争に勝って(国民多数の支持を得て)、民主的に実現すべきという思想が前提になっています。
国内での思想競争に勝てない・国民支持を受けられない場合に、暴力で政府を転覆したり外国軍事力の導入を実行することが許されません。
同じく、思想表現の自由・「思想の自由市場に委ねるべき」とは、国内市場を言うことが明らかです。
相手の知らぬ間に国外で相手を一方的に批判するのはルール違反です。

憲法学とは?2

日本の国防力弱体運動家でも「平和を守ろう」といえば誰も反対しにくいからこういう運動をしているのでしょうが、自衛の軍隊でさえ持てない非武装平和主義・従来思想を前提とするのか、「自衛権を認める平和主義」かをはっきりさせる必要があります。
正当防衛になるかどうかは、公判前整理手続きの紹介で具体的に判断するしかないと書いてきましたが、具体論がない平和を守れというスローガンを訴える運動はインチキっぽい政治活動です。
国民が知りたいのはどうやって平和を守るかの具体論です。
国民の多く(97〜98%)が考えている平和希望(自衛隊がきちっと国や民族を守ってくれる)とは違った意味・取り違えを期待していることになります。
改憲容認の希望の党へうやむやで合流しておいて、選挙が終われば民進党系議員多数なので、憲法改正反対を言い出すのではないか?と選挙の頃に書きましたが、選挙後の代表選の時にすぐに改憲反対の主張が出てきたことを以下のコラムで書いています。
「希望の党の体質・代表選候補者の主張3(羊頭狗肉)November 16, 2017,
このような私を含めた批判があったので、小池代表が民進党からの移籍者には誓約書を書かすとか、排除論理を発表するしかなくなったのですが、1週間ほど前に民進出身議員多数の力で幹部間で民進党との統一会派結成基本合意を発表し、統一会派に反対(保守系の人は)は分党したらどうかと言い出しています。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/

産経新聞
“排除”したはずが…今度は蚊帳の外-「希望」なき野党再編、立憲民主中心に進展か/ar-AAuXzMZ#page=2
希望の党の岸本周平幹事長代理は21日のNHK番組で、民進党系3野党結集に重ねて意欲をにじませた。
希望の党の玉木雄一郎代表は、安全保障法制を容認しない姿勢を鮮明にした党見解を近く発表する。玉木氏に近い中堅議員は党見解の方向性をこう明かした。
「安保法制には『反対』。憲法9条改正は『優先順は高くない』。無所属の会が納得する内容にしないといけない」
置き去りにされた希望の党は、恭順の道をひた走っているように映る。(松本学)

絵に描いたようなずるい動きですが、流石に問題が大ききすぎてこの話はご破算になったようですが、飽くまで民進党の従来(改憲集団自衛権反対)主張に戻りたいらしく、今朝の日経新聞朝刊2pには、再び改憲支持の党創立メンバーに対して分党を画策してしていくと出ています。
選挙の時だけ改憲標榜の保守政党に合流を希望して殺到しておきながら、選挙が終わったらまた改憲反対とは驚いた政治家の集まりです。
もともと健全野党・保守2党論を期待させて旗揚げした政党なのに、そこに我も我もと参加しておきながら、選挙が終われば元のなんでも反対政党に逆戻りしそうです。
自衛隊違憲論の憲法学者(学説としてはその動機原因を言う必要がないので明言していないでしょうが、)その基本姿勢は「自衛のためでも軍隊を持つと平和を志向する国家ではなくなる」と言う決まり文句・・「合憲解釈で運用を監視すればいい」という説を取らないのは一旦権限を付与すると暴走する危険確率が高いという価値観を前提にしていると想定されます。
一般的に自分の行動原理を前提に物事を考えるものとすれば、上記希望の党への参集と選挙後の変節ぶりを見れば、「公務員を信用できない」という基本姿勢も理解可能です・・。
とすれば、中露韓に限って人格が信用できるとでも言わない限り近隣軍隊保有国の多くは侵略国家であるはずです。
世界中でバチカン等のごく例外的小国を除いて)軍備のない国はほぼないといっても過言ではないでしょうから、そんな意見が憲法学会の多数を占めているとすれば、世界でも日本だけではないでしょうか。
憲法学者の上記論理によれば世界中が軍隊を持っている現実・とりわけ日本周辺では、中露に始まって北朝鮮も韓国も強大な軍事力を維持していますので、日本は侵略国家に取り囲まれていることになりそうです。
いわば猛獣や山賊、海賊、追いはぎなどがウロウロしている危険な社会・・いつでも襲いたい国々に囲まれている環境下に日本があることになりますが、一方で日本だけが
「非武装の平和国家・(武力を持つと不必要に振り回すから棍棒一つ持ってもいけない)・・結果的に無抵抗で受け入れるのが良い・・戸締り不要で生活すべし」
とすれば、周辺国にとっては、空き巣や押し込み強盗・強姦等犯罪行為やり放題になります。
押し込み強盗は短時間で退散しますが、憲法学者の主張によれば自衛手段準備・訓練自体が違憲→抵抗することが憲法違反になりそうですから、強盗がそのまま居座り、家の主人になり、日本人は彼らの家畜のように扱われることになっても抵抗してはいけないとすれば悲惨です。
親兄弟・子供が理不尽に殺され、暴力を振るわれる・働いてもお金を払ってくれない・・お金を貯めても横取りされてしまう・殺され略奪され妻子が強姦されるがまま耐え忍ぶのが理想の社会というのでしょうか?
中韓やロシア政府は日本政府よりも信用できるという自信があるのでしょうか?
憲法学者がそこまでは明言しませんが、「もしも敵国の侵略があったらどうするんだ」という質問には、「粘り強く平和解決を求める」などのあやふやな回答ばかりで、まともに答えるのをきいたことがありません。
質問者は、平和交渉が行き詰まり相手が実力行使・・(南シナ海埋め立て軍事基地建設強行や尖閣諸島海域侵犯を現実に繰り返しています・・竹島占領や拉致被害も同じです・)武力行使してきた場合を念頭に聞いているのに、はぐらかしているだけです。
現実に日本が占領下に置かれれば「はぐらかし」で済むものではありません。
そこで勝手な想像・・侵略されれば「黙って殺されあるいは鞭打たれているしかないのだ」と考えているのかな?となります。
中国や韓国の占領支配に入るのを理想としている・中国等の支配下に入ったほうが日本人に取って幸福だという意見もあり得るので一概に非難できません。
日産やシャープが、外資傘下に入ってから業績が良くなった例もあって、M&Aで世界企業傘下に入った方が良いかどうかは一概に言えません。
企業買収は金儲けが目的なので、優良〜中堅従業員でも彼らを冷遇してやめられたのでは買収の意味がないので大事にしますが、他民族支配欲は合理的目的によらないので、企業の身売りとは次元・意味が違う点をどう見るかです。
とはいえ、せっかく占領した以上は、大なり小なり搾取目的を満足させるためには占領地経済を肥え太らせる必要がある点は同じです。
ソ連のように占領下のドイツから鉄道線路まで引き剥がして持ち去るやり方もありますが、そいう最低占領政策を繰り返すかは別問題です。
日本ではソ連軍侵攻による満州での地獄の経験がまだ生々しいので簡単には忘れられない上に、中国歴史を見ると中国も政治闘争に勝てば勝った方がどんな残虐なことでもしてきた歴史が知られています。
「無駄な抵抗をしないですぐに支配下にはいった方が幸福だ」と言われても・・・?と言う人が多いでしょう。

憲法学とは?1(国民意識との乖離)

昨日紹介したのは、平成26年の内閣府調査なので左翼系にとってが色眼鏡でみる余地があるとしても、自衛隊縮小論が国民の2、6%しかいない状態は実感にもあっているように見えます。
まして平成26年から約3年以上経過の間に北朝鮮による日本上空通過のミサイル実験や中国の挑発・つい先日も中国の攻撃型原子力潜水艦が尖閣諸島の接続水域を潜行のまま航行した事件がありました・・が厳しくなる一方ですから、迎撃ミサイルや、レーダー装置やスクランブル対応が増えるので人員増などの増強必要論がもっと増えているでしょう。
今でも憲法学者の7〜8割も自衛隊違憲論(縮小どころか廃止論でしょう)になっている・・国民・民族意識と全く逆方向の基本思想(実質的憲法観)を持っている憲法学者とは何者か?何を研究する学問か?となります。
数学や物理の場合には、100対1の少数意見でも正しい答えは正しいのですが、憲法・民族のあり方(年末から書いてきた「実質的意味の憲法」)がどうあるべきかのテーマについて、専門学者の7〜8割の意見が国民97%の意見と真逆の結果を示すとはどういうことでしょうか?
憲法学とは何を研究する学問でしょうか?
憲法条文の形式的意味の「国語?」研究者であって、あるべき民族精神・「実質的の憲法」の研究者ではないのでしょうか?
学問は「民意と関係がない・民意におもねないのが学問だ」この憲法が実態・民奥意識に合わないかどうかは民意で決めればいいことで、学者は現憲法の形式文言を理解し、その限界を言うだけだ」実態に合わないから「変更の必要があるかどうかは政治家の問題」という逃げの論理でしょうか?
法律や規則を最先端実態に合わせて作ってもすぐに時代遅れになる結果、現場で不都合だとしても、法がある限り「悪法も法なり」として公務員や産業界では仕方なしに従っていることがいっぱいあって、その不都合が実務官庁や関連業界が政治を動かし次の改革の原動力になります。
あるいはある規則などを制定運用して見て、数年後その結果を見て修正していくことを予定されている法令がいっぱいあります。
憲法学者も「国民には自分の生命や財産を守る権利があり、自衛権が必要と思っているが、今の憲法に書いている以上不都合としても学者としては正しいことを言うしかない・節を曲げるわけにいかないから違憲と言っている」だけという人もいるのでしょうか。
1月17日に書いたように解釈合憲という考え方がある・ABCDの解釈のなかで合憲になる説が一つでもあるならば、合憲になる説を取り、合憲になるような運用を求めていけば良い・他の説では違憲になるからと言って厳しく自説での運用を求めれば足りるのではないでしょうか?
法令でも担当者に裁量兼があるのが普通ですが、裁量範囲を逸脱すれば違法になるから、担当者は気を使って裁量権を謙抑的に行使しているのですが、違法な裁量権の行使自体を法は想定していません。
仮に裁量行為の違法(ミス)があれば、行政服審査請求→行政訴訟によって是正される仕組みです。
「違憲行為をできる恐れがある」という意見が正しければ、裁量権を逸脱した(違憲)行為の差し止め請求ができる理屈です。
物事は具体的状況によりますから「自衛のために必要か否か」その時の事案に応じて対処方法を判断する必要があるでしょう。
現在でも警官の発砲が妥当であったかが具体的事案に即して判断されるのと同じです。
上記の通り、裁量行為であっても行為によっては違法な裁量もありますが、そもそも法の解釈については、17日に見たとおり、ABCなどいろんな考え方・説があります。
合憲説根拠のあらましは、「国家存続のためにある憲法が国家存続の基礎である自衛行動できないとは考えられない」という一般論の外に、憲法自体に国民の生命維持・幸福追求権が明記されていることなどが挙げられていて、憲法全体を見た解釈として合理性があり、箸にも棒にもかからないような荒唐無稽な意見ではありません。

憲法
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

戦後70年、警察予備隊〜自衛隊発足後で約60年間で見たら、自衛隊が違憲になるような危ない運用をしていませんし国民の97%もそれを認めています。
警官が職務質問できるとむやみに検束され、拳銃を持つと国民がむやみに殺される心配が日本の国では実際的でないのと同じです。
憲法学者にとっては「公務員は権限を乱用するもの」という思い込みがあるのでしょうか?
そういえば最近激しくなってきた立憲主義運動では、権力監視が近代立憲思想のキモであるという主張が目立つようになりました。
専制支配の中国などでは必要な議論でしょうが、肝心の中国で主張しないで(私が弁護士になった昭和40年代でからずっと、中ソの原爆実験やひどい公害発生には何も言わず、日本産業発展の阻害になることには熱心でした)これを日本に持ってきてありがたそうに高説を垂れても、古来からお上を信用してきてひどい目にあったことのない日本国民にはしっくり来ないでしょう。
酷い政治をしてきた中国や朝鮮とでは歴史が違います。
上記の通り、合憲解釈が可能で・その枠内の運用が実際に長期間行われてきた実績があるのに、いまだに自衛隊の存在だけで違憲になる説を採用して、国民の生命財産を守ることも出来ない説を取る憲法学者が7割以上もいること自体が不思議です。
憲法学者の大方は、自衛隊の存在意義を97〜98%もの国民が認めている国民意識に反する価値観を持っているのでしょうか?
意識は国民と同じだが「不都合かどうかは、憲法改正するかどうかの政治問題だ」とするならば、不都合な実態に精通しているはずの専門家として、上記関連業界同様に不都合な憲法に対する改正運動に精出すはずですが、逆に憲法学者と護憲運動が大きく結びついているイメージがメデイアで流布しています。
ただし自衛隊違憲論者の中で改憲論必要と改憲反対がどういう比率になっているかの統計をみたことがない(弁護士会のチラシ等では改憲反対傾向の講演会ばかりなので、改憲賛成派学者がどのくらいいるのかすら分かりません)ので、実はメデイアのイメージ報道がフェイクの可能性があり、実態を知りません。
憲法学者多数か少数意見か不明ですが、一方で「憲法には人類普遍の原理」(・・多分「平和主義」を言いたいのでしょう)があるので、この原理は変えてはいけない」という主張も合わせています。
自衛隊合憲論が多数そうなので今度は、「平和憲法の思想」だけはは守ろうとする二段構えの主張のようです。
最近活発化してきた「近代立憲主義」の啓蒙活動?は、学問的主張のように見えて(高尚な理論の理解能力の低い私の場合)憲法改正反対意識をじわじわと浸透させる運動のような印象を受けます。
しかしか彼らが守ろうとする「平和の思想」自体がはっきりしない・彼ら独特の非武装思想のように見えます。
中国等日本隣国の重武装・核実験に反対運動どころか戦後ずっとノーコメントで、日本だけの非武装平和論ですから、公平な思想とは言えないでしょう。
思想ならば日本だけに適用があるのではなく、世界中に普遍的であるべきです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。