見出しでセンセーショナルに書いていても内容を読めば、公正中立的に書いているような場合には総合的に名誉毀損に当たらないような判例が多いことから見ると、内容を見れば「領海付近しか行かない」と書いていた場合には訴訟的事実認定ではメデイアは虚偽を書いていないことになるのでしょう。
ニュース見出しを流して見るレベルの人が、「中国主張の領海内を航行するのかな?」と誤解する人まで相手にしないということでしょうが、国民の多くが誤解するような書き方の影響力の大きさでは「虚偽」ではないまでも誤解を招きやすいフェイクニュースの一種というべきでしょう。
トランプ氏の言うフェイクニュースとは何かを決める必要・・一般庶民を誤解させるようなイメージニュースの垂れ流しをフェイクニュースと言うべきかの問題です。
名誉毀損事件の判例では見出しでは例えば「A代議士婦女暴行で逮捕か?」となっていても文章全部を読めば容疑がはっきりしないことが分かるような場合には、疑いがあると言う事実に間違いない・双方の言い分を紹介していると名誉毀損にならないとなりそうですが、「火の気のないところに煙は立たない」と言うイメージで受信し、あとは自分の想像力を膨らませるのが普通です。
だからこそ、大金をかけたイメージ広告が多用されているし、消費者保護のために誤解を招くような広告が規制対象になっている現実があるし、注意事項を隅っこに小さく書いているのではダメで消費者にわかりやすく書かないと企業が負けるリスクがある運用になっているのは消費者保護のためにあるのです。
消費者保護の基準と政治ニュースでは受け手のレベルが違うのでしょうか?
ネットや週刊誌情報が政治に与える影響度が上がってくると政治ニュースも受け手はまさに情報の「消費者」ですから、裁判所も教養(ヒマ)があって冷静に読み切る階層を前提にした判断基準を変えて行くべきではないでしょうか?
フェイクニュース弊害の根源は、記事を端折らずにしっかり読めば誤解がないとして問題にしなくて良いのか?
吊り広告やコマーシャルのイメージ誘導の影響力の大きさ、あるいは新聞でさえもゴシップ的記事は言うに及ばず、多くの記事について見出し程度しか見る時間のない人が多い現実を利用した慰安婦報道の検証で指摘された朝日の「角度付け報道」の多さ・見出し作成の問題点に対する司法の基準がずれているように思われます。
しかもネットの発達によるあんちょこな拡散が可能になったことによって、大量に出回っていることによる既成「事実」化が進むのが問題です。
「航行の自由作戦」の表現はアメリカが発表した文言を日本メデイアがその通り報道しているだけとした場合メデイアによる虚偽報道ではないにしても、この用語命名が世界中に拡散することによって、その表現がいかにも正しいかのように受け止められて行く危険です。
朝日の慰安婦報道の検証意見書を見たときの記憶(なので正確ではありません)では、朝日新聞の報道を引用した記事が意外に少なかった・だから朝日の責任が低いかのような結論でしたが、朝日が慰安婦の強制連行の事実を大々的に報道し他社も追随報道するようになると多くの人はもはや「連行の事実は公理」のようになってしまいその信用性を問題にしなくなる・・却って出典引用がほとんどなかったことがわかります。
大分前から「航行の自由作戦」の出典明記記事がないのは引用する必要がないほどの「常識」になりそれほど普及してしまったということでしょう。
世界中での(普及によって)「朝日新聞記事の引用がほとんどなかった・だから朝日には国際拡散の責任は低い」という結論だったように思いますが・・(正確には覚えていないので、誤解があるかも知れませんので関心のある方はご自分で検証記事をお読みください)という検証委員会の論調には違和感を覚えたものです。
フェイクニュースがぐるぐる回っていくと出典元が明らかでないもののどんどん尾ヒレがついて大げさになり「常識」のような扱いになる危険性をここでは書いています。
フェイスブックその他発信方法が多様化してきたことで、近年フェイクニュースの危険性が問題になってきたのですが、もともと大手メデイアを介した(コマーシャルを先蹤・先駆けとして)が従来ギリギリセーフ的なイメージ報道に頼ってきたことがその原型・・これの発展形ではない かと言う気がします。
司法は見出しだけで多くの人がイメージを膨らませている現実に向き合っていない・・これを改めるべきでしょうが、権力機構そのものである司法が大胆に踏み込むには(憲法で保障されている表現の自由との兼ね合いで)まだ無理があるので、当面は自主規制に対する国民の支持がどうなるかの運用を待つのが合理的かも知れません。
最近フェイスブックがフェイクニュースを選別する遮断する方針を示したばかりですが、思想表現の自由との兼ね合いに苦しむことになります。
https://www.gizmodo.jp/2018/01/facebook-user-fake-news.html
Facebookの新たなフェイクニュース対策「ユーザーのちから」が、とってもビミョー
2018.01.24 19:00
SNSで今最も大きな問題のひとつは、フェイクニュース。なんとかしたい、ニセの情報に踊らされたくないと思うのはみな同じでしょう。ただ、フェイクを見極める難しさこそ最大の障壁です。このわかりきった難題に対して、Facebook(フェイスブック)は新たな仕組みを導入することで立ち向かおうとしています。新たな仕組みとは…ユーザーみんなの力。
マーク・ザッカーバーグCEOが、1月19日付けのFacebookポストにてこの試みについて語っています。
「運営側で決定してしまうこともできるけれど、その方法には違和感を感じます。外部の専門家に頼む方法もあるけれど、それは自分たちの決定権を外に委ねることになるし、客観性という問題もクリアできません。ならば、ユーザーに、コミュニティにフィードバックしてもらえばいいのではないでしょうか。コミュニティが、どのソースは信用できるのがをランク付けする、それが最も客観性があるやり方だと判断しました」
というわけで、ザッカーバーグ氏が発表した新たな取り組みは、Facebookという場所を使うみんなで、みんなが見る、みんなのニュースの基準を高めましょうよという方法。運営でも専門家でもなく、実際にサービスを利用する人々=コミュニティで判断したらいいじゃんという方法。自分のことは自分でやろうという方法。
とても理想的に聞こえますが、なんでしょうかねモヤモヤ感。ユーザーがフィードに流れるニュースを判断できないからこそ、フェイクニュースは広まり、広まるからこそますます問題になるわけで。なのに、そもそもニュースが流れてくるソース自体の信頼度をユーザーがランクづけするなんてできるのでしょうか。なんか、グルグルまわっているような。卵とにわとりどっちが先か問題のような。なんでしょうかねモヤモヤ感。
上記はマーク・ザッカーバーグ氏の発言・・英文の要約のようですから英文の読み間違いがないかの「ファクト」を知りたい方は上記に引用されている英文自体をお読みください。
上記意見は、騙され易いユーザーに判定させるのは論理矛盾というもののようですが、そもそもフェイクニュースが問題になっているのは、SNS系は「いいね」の共感数で広がるものですが、それとファクトとが一致していないからフェイクニュースが問題になっているのですから、賛否・共感数の多さでファクトかフェイクかを決めるのでは、同義反復になってしまいます。
上記意見の通り、フェイクかどうかの仕分けは難しい問題ですが、放置できない段階に来ているのも事実でしょうから、試行錯誤でやっていくしかないでしょう。
憲法で保障された「表現の自由を守れ」と言う観念論に安住してきたメデイア界(個人がやると大騒ぎになる偏面性?)に対する痛烈なパンチになったことが明らかです。
観念論さえ言えば相手を圧倒するような時代がとっくの昔に終わっている・・具体的事象に当てはめて議論しないと何事も解決出来ない現実を知る必要がある一例です。