過去1年政党支持率の推移

米軍機部品等落下事件では具体的死傷者も民事的損害もはっきりしない(漁業者が怖くて漁業できないという不安があるかもしれませんが)のに飛行停止(しかもメデイア論調は1〜2週間などの限定ではなく無期限?)まで求めるのは非常識というべきでしょう。
今のメデイアの騒ぎ方を見ると、「飛行機事故を100%無くせないならば、それができるまで飛行禁止しろ」とでも言わんかのようです。
あまりにも論理的でないのを意識したのか「国民感情を逆撫でする」という感情論を煽っている点では、(合意しても何をしても)「国民感情が許さない」という韓国の慰安婦騒動の蒸し返しと同じです。
食中毒事件等で多い1〜2週間の営業停止ではなく無期限飛行停止を求めるのが合理的となれば、世界中の軍事基地はどうなるのか?となります。
軍用機というのは極限状態・性能ぎりりギリで戦う訓練ですから、旅客機と桁違いの故障・不時着率が高いのでないかと素人的に推測されます。
日本駐留米軍機だけ事故率が高いならば別ですが、そういう主張が一切ない・・国際的な一定率の故障とおなじとすれば、同率の事故発生でも他所の国ならばいいが「日本でだけ許さない」「飛行禁止しろ」というのでは「軍事基地をなくせ」というのと同じ結果主張・要するに非武装平和論の焼き直しです。
岩盤規制に対する森友加計騒動や働き方改革やGPS騒動を見ると、ケチをつけて騒ぐことによって議事妨害や操業妨害するために国会があるのではなく、「法案にこういう文言を加えたりこれを変更すれば弊害が減るのではないか?」というような前向きの提案こそが民主主義社会での国会審議に求められていると思います。
昭和3〜40年代に盛んであった公害反対運動も同じで当時「操業停止を求める」ばかりで前向き提案が一切なく、公害をなくすために工夫対応してきたのは政府与党・産業界の方でした。
60年安保以降、「何でも反対」の社会党イメージが定着していわゆる「長期低落傾向」の結果、党名を維持できず社民党と名称を変えましたが、今では衆議院では小選挙区1議席比例1議席を持つだけ・の政党?になりました。
17年選挙の定数465名中2議席しかない政治集団は(法の定義は別として)国民にある一定程度の意見を代表する「政党」という社会イメージとあっていません。
政党と名乗るのは良いとしても、0、5%足らずの議席しかないのでは、国論に影響を及ぼすべき政党とは言えないでしょう。
これを見越した社会党議員の多くがいわゆる泥舟から脱出を図るために保守系政治家を取り込んだ新党結成が流行しました。
保守系を取り込むことで観念論政党のイメージ脱却をはかり実務能力を宣伝した結果、バブル崩壊後の経済低迷期に国民支持を失った自民党が下野して細川〜羽田政権樹立につながりました。
その後いろんな政党の離合集散・・紆余曲折を経て保守系を取り込んだ民主党を作り、健全野党の鳴り物入りで発足しましたが、大同団結した民主党が漸く政権について見ると実務能力のない政党であることが証明されてしまいました。
その後長期低落傾向に歯止めがかからず民進党へ党名変更したり党首交代しても昨年総選挙前には民進党の支持率7〜8%以下に低迷してきたので、再び柳の下のドジョウを狙って?昨年総選挙直前に元自民党員の小池新党への合流を画策し、現実的野党への生まれ変わりを標榜して世間を騒がせましたが、結局国民の多くは騙されず・・ダマス気がないにしても恋警視他数人の保守系議員ほか、みんな元民進議員の構成になれば自ずから党内意見が決まって行きます)その割に票は伸びませんでした。
総選挙が終わってすぐの党首選出では、憲法改正反対方向へ方針表明・・その他何でも反対・議事妨害政党の本音を出し始めたばかりです。
この現状評価が出てきました。
社民党その他革新系政党支持率が高く出る傾向があると言われる毎日新聞のニュースを紹介しておきます。
https://mainichi.jp/articles/20180225/k00/00e/010/2680

25日発表された政党別支持率は以下の通りです。
毎日新聞2018年2月25日 16時59分(最終更新 2月25日 21時17分)
毎日新聞は24、25両日、全国世論調査を実施した。
主な政党支持率は、自民党35%▽立憲民主党13%▽公明党3%▽共産党3%▽日本維新の会3%▽民進党1%--など。「支持政党はない」と答えた無党派層は37%だった。【池乗有衣】

政党と言ってもいくつもないのにどうして一覧表にして数字をそのままあげて(その横に前回比増減率などを記載して)公表しないのか?不思議な発表形式です。
何か不都合を隠したいのでしょうか?
上記「主な政党」名にちょうど知りたかった希望の党がありませんが、「主な党」の基準が不明ですが、仮に支持率順であるとすれば、民進党が1%の支持率で「主な政党」に入っている以上は「主な政党」の基準は1%以上としたように読めます。
主な政党に入れてもらえなかった希望の党は総選挙では50名(定員の1割以上)も当選していたのに今では1%未満の支持率しかなくなったことになるのでしょうか?
そこでNHK のデータで、総選挙時の希望の党の支持率と比較してみますと以下のとおり選挙時4、8%だったのが今年2月の支持率は0、4でしたので「真面目に議論をします」と言うイメージ刷り込みで10倍の議席を獲得したことになりそうです。
ただし、社民党を見ると選挙時0、4%支持率で2名の当選ですから支持率と獲得議席率はほぼ一致していますが、浮動票に頼る政党の場合、世論調査では未定・支持政党なしが以下のNHKの表によると4割近くもあるので支持率と獲得議席にストレートな連動性がありませんので、「あんちょこに言えば」と言うだけです。)
毎日新聞では分かりにくい表現なので政党支持率をNHKでみました。
NHKの方が表になっていて推移もわかり良くできています。
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/political/2018.html

政党支持率

(%)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月
(衆)※1
11月 12月
自民党 38.3 38.2 36.9 38.1 37.5 36.4 30.7 34.8 37.7 31.2 37.1 38.1
民進党 8.7 6.4 7.6 6.7 7.3 7.9 5.8 5.7 6.7 1.6 1.3 1.8
立憲民主党 4.4 9.6 7.9
公明党 3.5 2.8 4.1 3.8 3.8 4.2 4.1 3.7 3.1 3.8 5.2 4.1
希望の党 4.8 3.2 1.4
共産党 3.2 4.4 2.8 3.2 2.7 2.7 3.3 2.8 2.6 2.7 3.1 3.5
日本維新の会 1.6 1.4 1.6 1.1 1.3 1.2 1.2 0.5 1.1 1.3 1.1 1.5
自由党 0.0 0.4 0.1 0.5 0.3 0.4 0.5 0.3 0.3 0.0 0.1 0.2
社民党 0.9 0.7 1.1 0.6 1.0 0.9 0.3 0.9 0.5 0.5 0.6 0.6
その他の政治団体 0.3 0.3 0.4 0.2 0.1 0.3 1.0 0.5 0.2 0.4 0.2 0.1
支持政党なし 38.3 40.1 38.9 38.7 38.4 40.8 47.0 45.7 40.8 39.1 32.4 34.1
わからない、無回答 5.3 5.2 6.6 7.0 7.5 5.1 5.8 4.8 7.1 10.0 6.1 6.9
 

政党支持率

(%)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
自民党 38.1 38.7
立憲民主党 9.2 8.3
公明党 2.4 2.1
希望の党 1.0 0.4
民進党 1.3 1.4
共産党 3.6 2.7
日本維新の会 1.0 1.1
自由党 0.0 0.6
社民党 0.3 0.4
その他の政治団体 0.4 0.2
支持政党なし 36.6 36.8
わからない、無回答 6.2 7.4

 

上記を見ると昨年の総選挙時の希望の党の議席は50議席で、定員の1割以上も獲得したときの支持率では4、8%がこの半年で0、4%にまで・・10分の1に1直線で下がってきたことがわかります。
毎日新聞の報道が偏っていると言うネット記事(風聞)が多いですが、この比較によるとNHKとほぼ同じである・客観性があることがわかりました。

2項対立社会像と日本1

GHQが描いた支配図式・・戦争加害者=軍人超国家主義者VS被害者=人民という分類は日本人の大方には受け入れられていません。
進歩的文化人?に誘導される革新勢力の民族のあり方についての立場は、GHQ・背後の米国政府が軍国主義者と被害人民対立を誘導し、中ソの主張する資本家に搾取される労働者、政府VS人民の対立図式をそのまま迎合して敗戦後影響力を拡大したグループです。
もともとどこの社会や組織にも一定率の不平不満層がいるものですが、それが敗戦→不平を煽る米ソ双方の応援政策によって一時的に力を得たということでしょう。
これが朝鮮戦争開始まで(同床異夢)目的を一にして影響力を拡大してきたのですが、朝鮮戦争以降米国が対ソ競争に協力させる方向に対日方針が変わると支持母体に亀裂が生じ、再軍備反対〜全面講和と部分講和論の対立となり、政治的には左右両系乱立政党の大同合併・・自社2大政党制・55年体制確立→これが支持層の分裂に及んだのが60年安保騒動後の(清水幾太郎に代表されるような)分裂です。
安保騒動を機に、反日運動の戦術論として、従来の真っ向からの共産主義賛美(地上の楽園論)では国民支持を得られなくなったので、米国の民主主義理念に乗っかって(悪用?)手続き重視論・議事妨害戦術に高等戦術・日本の成長阻止に切り替えたように見えます。
一時この戦術の功があって、社会党が国民の支持を得ていたこともありましたが、学者だけでなく庶民が自由に海外に行き生のアメリカを知るようになると、次第に「欧米では・・」という進歩的?意見の御利益が下がってきたのがこの数十年の流れです。
このようなずるい戦術についていけない純粋左翼は極左化して行きますし、選挙の洗礼に晒される政治家は、本音・共産主義化の良さで政策主張をやめて民主主義運動を表看板にして「十分な審議時間がなかった、強行採決は民主主義否定とか、資料不備や失言暴言?を捉えてはこれの責任を取らない限り審議に応じられない」という議事妨害政党化して現在に至っています。
今でも民族内対立を煽る中国の戦略に呼応する日本人は極く少数になってきたので、靖国神社参拝に中韓がこだわり軍国主義復活を煽っても、米軍に日本人共通の先祖を辱めれた古傷をえぐられるようで日本人大方が却って不快感を持つ所以です。
軍国主義者と被害人民という民族分断論は無理になったので、自民党内の分断に力を入れ始めたようで、最近では「安倍政権による憲法改正は許さない」というスローガンが広がっています。
昨年夏頃の総選挙前には(自民党はいいが)安倍政権は良くないという変なスロガーガンが出まわりました。
民族全体を支配被支配に分ける分断政策がうまくいかなくなったので「安倍政権」だけが良くないと焦点を絞った・自民党内の分断を狙ったようですが、やり方が古すぎるように見えます。
明日政党等の支持率を紹介しますが、自民党支持率よりは内閣支持率の方がたかいので無理な主張でしたから、野党は大敗してしまいました。
日本企業はもともと村落共同体の延長意識・・構成員の生活を守るのが第一です。
民族の心構えがイザという時にためらいなく出たものです。
それが行き過ぎて国際標準?から見て株主軽視あるいは社会公共の利益を軽視していないかの批判が起きている状態です。
そうした反省によるメセナ活動も長期的には企業イメージを高め結局は企業存続・従業員を守るためです。
・・全従業員が大事な客とその周りの社会の支持を受ける必要を感じて社会・公益重視に精出しているのが日本企業です。
大震災等があるとコンビニが無料で商品解放したり、食品大量輸送をしたりするのは経営者が従業員を仲間としてみているだけでなく、地域住民をも助け合う仲間として意識しているからでしょう。
欧米の法制度が導入されているので、法制度上会社は株式保有者のもので、社員とは会社設立に参加した者・その後にその株式を譲り受けたもの・・出資者・株主のことを言い、そこで働く者は対象・・資材設備同様のコスト扱いで「被」雇用者あるいは従業員と呼ばれます。
しかし、明治維新以降150年経ても多くの人が「うちの会社」と言い、自分のことを社員という呼称が定着しているのは、「村落共同体は村長の私有ではなく村民みんなのもの」という意識が勤務先は「自分の会社」という意識がそうさせるのです。
また正社員になると「自分の仲間」であり、非正規は「よそ者」が臨時に応援しているだけという意識差別が大きな問題になります。
戦後国民を意図的に「人民」というグループがいますが、この思想背景には「搾取されるもの」という意味が含まれていますがこれが定着しないのは、日本社会に合わない意味を無理に押しつけようとするからです。
戦いにおいては部下が最も危険な最前線で戦いますが、指揮者がいなくなると全体が総崩れになるから指揮系統を守る必要があるからであって、負けが決まれば戦いの指揮者不要なので今度は城主の方が自分の命を捨てても兵の命を守るのが原則です。
城が落ちる時に城兵一同の助命と引き換えに城主が腹を切るルールは上記思考に基づいてます。
天皇が、マッカーサーとの会談で天皇陛下が自分の生命にこだわらないという覚悟を示されたのは日本
一旦法手続きが決まると世の中が変わっても昔の捜査手法しかできない・新たな社会に適応した捜査手法実践のための法改正をしようとすると、まず反対して改正を引き伸ばしを図る・・その間社会が停滞する仕組みです。
泥棒や強盗殺人そのものは昔と同じでも、現場へ向かい、現場からの離脱が高速化・広域化していき、テロ行為の手口が巧妙化し高度科学技術を駆使するようになっている以現在、迅速に捜査し証拠を確保するためには19世紀型の紙媒体の令状主義ではどうにもならない時代が来ていることは明らかでしょう。
社会変化によって法制度が現実に合わなくなってきたならば、「法網をくぐる者を許さない」ように、何とかできるように法制度を工夫をすべきではないでしょうか?
法網をくぐる者に対する対策というより「働き方改革」でも何でも同じですが、世の中はどんどん変わりますので、ルールもそれに合わせて変えて行かないと時代の変化に追いついて行けません。
どんな制度も機械類も運用してみる不具合が出て来るものですが、それを煽って反対ばかりしていては何事も始まりません。
例えば代表的政策でいえば、非武装平和論の理想を言うばかりで現実対応案が全くない・公害反対も同じで対案がなく操業停止を求めるばかり・・沖縄の基地で言えば航空機部品が落ちれば飛行禁止を求めるなど今も同じです・・。
飛行機に限らず車でも医療行為でも電車でも一定率の事故・・不具合が起きるものですが、何か失敗がある都度操業停止を求めていたら何の産業も成り立ちません。
大事故・大規模な食中毒事故が起きた場合には5日〜1週間の営業停止処分がありますが、すべてミスの程度と結果の兼ね合いです。
沖縄基地問題では飛行機部品が落下したとか不時着した程度で(不時着でなくその前段階で安全策として燃料タンクを人気のないのを確認してから水面に事前投棄したということのようですが・・。

「チンはたらふく食ってるぞ!」「日本死ね」の背景

「チンはたらふく食ってるぞ!」「日本死ね」の背景

敗戦の混乱・米軍の民族分断の煽りに乗じて日本軍が如何にひどかったかを批判すれば、米軍政下で重宝され、講和後は米軍の置き土産で運営されているメデイアで賞賛される状態が続いていました。
これに便乗し作品発表する進歩的文化人・一般受けする評論家・・それ以外にメデイアに露出する余地がありません・・が多かったようです。
米国の影響力がハゲてきてしかも寡占市場であった言論発表の場がネットに崩されてくると、軍部が如何に酷かったか、あるいは民族内対立を煽る文書発表でメデイアに重宝されてきた進歩的文化人?がようやく批判されるようになってきましたが・・。
占領軍にいち早く媚を売った国民は一部でもいたのは事実であって、全国民が占領軍による内部対立を煽る政策に反感を示していたという意味ではありません。
戦後直後の食糧難の時に「チンはたらふく食ってるぞ!なんじ臣民飢えて死ね」という心ないプラカードを押し立てて皇居前広場に押しかけて歴史に名を残した人もいます。
これが民族の代表意見だったというのでしょうか?
27日現在のウイキペデイアによる記事です。

プラカード事件(プラカードじけん)は、1946年(昭和21年)5月19日の食糧メーデー(米よこせメーデー、正式には「飯米獲得人民大会」)の際、参加者の一人である日本共産党員の田中精機工業[2]社員・松島松太郎が掲げた
「ヒロヒト 詔書 曰ク 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」(表面)、「働いても 働いても 何故私達は飢えねばならぬか 天皇ヒロヒト答えて呉れ 日本共産党田中精機細胞」(裏面)
のプラカードが不敬罪に問われた事件[3]。

プラカード事件のような調子にのる不心得者(不心得者かどうかは歴史が証明するでしょう。
少なくとも上記松島松太郎の子孫が名言を吐いた一族の誉れとして自慢の親または祖父として名乗り出ているのでしょうか?
これだけ有名なキャッチコピーを自慢して誰も名乗り出ないとすれば、身内としても親または祖父の行為を自慢できるとは思っていないからではないでしょうか?
慰安婦騒動の起爆剤になった・・・メデイアにより慰安婦扇動に調子を合わせた吉田調書著者の長男が、亡くなった父に代わって贖罪行為に努めている姿が普通のイメージでしょう。
最近でいえば、「保育所落ちた日本死ね」の標語を16年流行語大賞?に選ぶ心理とつながっているように思えます。
選考者の説明では、政治を動かす言葉のインパクトがあったと言う釈明らしいですが、これによって政治が動くようになったのではなく、政治の方はすでに動いていたのですから言い訳に過ぎません。
https://www.komazaki.net/activity/2016/02/004774/によると以下の通りです。

じゃあ、政府は何もしていないのか?
【実は保育所数は劇的に増えてるけど、待機児童は減ってない】

ということもあって、平成25年度あたりからグンと保育の拡大量が伸びました。
しかし、認可保育所に申し込む人が増えたこともあり、待機児童は減らせず、むしろ若干増えている、という状況なのです。

安倍政権になったのは2012(平成24)年暮れからですから、その後急激に保育所を増やしている状況が見えます。
平成25年から急角度で増えていることを見れば、16(平成28)年の「日本死ね」のインパクトによる世論喚起効果プラス山尾志桜里議員発言で政府が重い腰を上げてようやく動き出した関係ではありません。
被災があって仮設住宅着工したが、まだ完成しない・・あと10日〜20日かかるのを待てない、あるいは次々と増設しないと間に合わない状態に待ち切れない人々が駄々をこねるのにコトかいて!必死に頑張っている工事職人に八つ当たりしているようなものです。
八つ当たりしたからといって現場工事が進むものではありません。
しかも政府が保育所数増加必要性を認めても、住宅街や便利なところに作る必要性や保育士手当(定員)の必要があるから、いきなりできない・・用地買収などの手順・時間がかかる作業です。
「日本死ね」というな発想になる自分について、本当に国民支持を受けている自信があるならば、なぜ「この意見を書いたのは自分です」名乗り出て自分が流行語大賞を受賞しないのでしょうか?
初めから国民のゴク一部からしか支持されない発想・思考形態と自覚しているからではないでしょうか?
こういう発想を信奉する国民も一定数いますが、戦後日本人大方がそうではなかったと私は思っています。
流行語大賞になったことが示すように「日本死ね」に対してメデイアはこぞって高評価しているようですが、メデイアと世論は違います・・歴史が審判を下すでしょう。

民主主義のルール3と違法収集証拠排除論2

昨日紹介したGPS捜査違法判例は令状なし捜査を違法としたものですが、内容を見ると具体的に「侵害された私的領域」とは何か不明です。
昨日最後の行で引用したように最判は麗々しく憲法の住居不可侵を引用していますが、刑法の住居侵入罪は正当な理由があるときを除いているように憲法に住居不可侵が書いてあるからといって一切の例外を許さないようなトーンに疑問があります。
刑法

(住居侵入等)
第一三〇条 正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。

住居侵入でも玄関先に押し売りが入って帰らないのと寝室にまでズカズカ入ったのとでは大違いですし、個人的庭先でも私的な行為をしている・例えば他人の目につかない前提で下着姿で庭にで出ている女性が目撃されたのとネットフェンス程度の仕切りしかない道路から丸見えの貸し駐車場に無断で入ったのとでは重みが違います。
GPS事件では、ラブホテル?だったかの敷地内駐車があって、そこへ行ったことの特定可能性の理由で私的領域・プライバシー侵害になったように記憶しています。
人間が直接入れば入ったところが庭先であってもそこから居室内の無防備にくつろいだ様子が見られる可能性がありますが、同じ場所にGPS装着車がが入っても、その場に入ったことがわかるのみであって、そこから見える居室内のプライバシーが侵害される可能性すらありません。
しかも「判決文では「個人のプライバシーを侵害し得るものであり」という可能性を認定しているにすぎません。
しかも「私的領域」という観念的被害とは(追跡事例として昨日書いた例でいえば居室等に勝手に入ったのでなく、無人の庭を横切った程度)すぎません。
判例は「同意を得ていない=強制」という単純論理ではないでしょうが、生身の人間が尾行していて犯人がホテルに入って駐車するのを見ただけなら違法性がないが、GPSなら違法ということとの違いは、強制処分になるか否かによっているような印象を受けます。
強制処分→令状を得ていない→違法と言うのは形式的で具体的妥当性の結論から見て如何にも無理なこじづけのように思えますが・・・.この辺は自分の事件でなくいい加減に読んでいるのでもっと緻密な理論があっての結論と思いますが・・部外者の気楽な意見としてお読みください。
最判では、GPSの特定は数十メートルの誤差があるものの、道路移動だけなく私的空間に停車したときもGPSで想定できるのがプライバシー侵害リスクがあるということだったように記憶していますが、上記例で言えば家に入らず宅地でもダメということになるイメージです。
ところで広域高速移動という犯罪集団の出現自体がここ数十年で多発するようになった現象である上に、GPSで位置確認する技術は親が子供の見守りや老人徘徊対策に使えるなど、これまた最近の新技術です。
車社会になって、信号制度が行き渡ると追跡パトカーの例外が認められるようになるなど例外はいつもあとからで出来るものです。
GPSの有用性は一般に知られているのですが、その使い方についてのルールがまだ決まっていない状態でこの判例が出ました。
GPS捜査は、その捜査が違法とされていたものをあえておこなったものではなく、合法捜査か否かの境界事例であってこの判決で初めて「許されない」と決まった事件ですから、その点でも違法性自体が極めて弱いものです。
また最判自体で書いているように、令状が必要と言いながら一方でをGPS捜査をあらかじめ許容する令状の応用には無理があるとまで書いているのですから、最判自体が不可能なことを捜査機関に要求していることになります。
犯罪調査対象絞り込みなどにGPS利用捜査の必要性があるのに、現在の令状方式では事前発布する方法は無理がある・・憲法で要請している令状なし捜査だから、違法というのでは、結果的にGPS利用禁止と同じです。
最判には国家の治安維持と人権擁護の折り合いをどうすべきかの国家運営について責任ある価値判断が抜けている(一介の市井弁護士がいうのもおこがましいですが)ような印象です。
電子化や移動方法の高度化対応に必要な捜査手法に現行法・憲法の令状主義が対応できていないのであれば、どのように折り合いをつけて行くべきかを考えるのが実務判断の最高機関としての勤めではないでしょうか?
司法機関は学問研究の場ではなく、実務解決の最終機関としての責任があるでしょう。
憲法の「令状主義の原則」は近代以降当時の科学技術に応じて「これが良い」となったに過ぎません。
今どき怪しそうな人間相手にずっと長期尾行をつづけるなどやってられない・(自分の愛する子供でさえつきっきりにできないので、GPS利用する時代です)データ上の追跡で一定時間まとまって停止した場所周辺にアジトがあるかなど的を絞って調査したりその周辺で見張っていてどの辺の路地から出てくるかを見張っている方が合理的ですから今は浮気調査など興信所に頼むと皆この方法でやっています。
単に効率性の問題だけでなく犯人が短時間に広域高速移動するようになると、事件後その周辺で不審者の聞き込みをするのでは、有益な情報収拾が不可能になっています。
民間素人・個人利益実現のためでさえ自由にやっている・処罰する法令もない状態ですが・・逆に公益上必要のある政府の方はプライバシー侵害の「リスク」があるから、やってはいけない・・というのが不思議です。
何かあると民間が情報収集するのと政府の収集は違う・公益のために収拾するのは権力行使になるから厳しくする必要があるという意見が圧倒的です。
ところで、個人がより大きな公益確保のために臨時に細かなルールを破っても、その方が正しいとして賞賛されるのが普通です。
警察だと臨機応変の処置が許されない・・警察や公務員が「自己裁量でいろんなことをしてはいけない」という正解(PC)はその通りですが、それも職権乱用にならない限りのことでないのかの疑問です。
一般意識では警察や公務員は公益のためにやっているのだからという意識で、管理事務所あるいは個人でも何か問い合わせがあると積極的に協力する・令状がなくとも防犯カメラの映像を見せてくれと頼まれると見せたりするのが普通です。
私人にいきなり聞かれても、怪しんで答えないことが多いですが・・・。
日本の国民意識では「お上」に対する信頼がものすごく厚い社会ですが、進歩的文化人にとっては、逆です。
民間なら何を見せても良いとは言わないまでも、自治会名簿などを聞き込みにきた警察に見せたりすると大騒ぎします。
政府や公的機関は「人民の敵」だから「どんな情報も開示したくないとか些細なミスも許さない」という意識が強いグループのようです。
中国は長年「日本政府は悪いが「日本人は敵ではない」という言い方が普通でしたが、このような分類・2項対立意識社会と日本古来からの君民一体重視社会の違いをだいぶ前からこのコラムで書いています。
アメリカも同様で、国家神道や超国家主義者を背景にする軍人だけを悪者に仕立てて極東軍事裁判や神道指令で民族一体感破壊を図るとともに、他方で共産主義思想の浸透を奨励して労使対立→国民分断をはかったのですが、欧米や中国の考える「支配と被支配者の対立社会」と違い、日本国民はもともと上から下まで助け合いの社会でしたから、よほどの外れ者以外にはその扇動に乗りませんでした。
(助け合いどころか大震災の混乱に乗じて盗みに入る不心得者が一定率います・いつも書きますが、日本人/日本社会というときには大方の心を書いています)

民主主義のルール・手続き重視論2と違法収集証拠排除論1

例えば警官がスピード違反して追いかけたり、追跡中に犯人が逃げ込んだ他人の(塀で囲まれて門が開いている)敷地を通過してその裏の路地に逃走するような場合に、警官が(他人の敷地に入るのが違法だからと遠回りしていると逃げられてしまう)一緒に踏み入って庭を横切ってその先の路地で逮捕したからといって逮捕が無効違法になるべきではないでしょう。
それぞれに緊急事態に対応する法令(パトカーでサイレンを鳴らしていれば信号無視できるなど・住居侵入は「正当理由」)があれば済むことですが、新規分野でまだそう言う手当の法令ができていない不備の場合に臨機応変の法令違反行為があれば、そのような検挙が許されないかということです。
福島原発事故では、現地所長が東電首脳部による現状無視の指示を無視して臨機応変の果敢な処置をして過酷事故発生を防いだことが知られていますが、国民は首脳部指示無視の法令違反と日本国滅亡の瀬戸際に瀕するリスクから、救った所長判断のどちらの方に正義があったかを知っています。
まだ例外を認める法令がないのに、現場判断でやったことが仮に違法であるとしても、違法の程度が重大でなければ、その法令違反(パトカーが信号無視できる法令がまだない場合を考えると、逃げる犯人が信号無視で突っ走った場合にパトカーも(横から来る車がないときに)信号無視で追いかけた場合)ですが、そのために事故が起きたか実害が起きていないかだけで処理すればいいのであって、違法な逮捕が許されない・・その後の手続き(逮捕によって得た指紋や自白その他の証拠を裁判に使えないか?)一切を無効にする必要はないでしょう。
(上記で言えば住居侵入で処罰するべきか否か・・この例の場合には、「正当な理由」が認められるでしょうが、庭だけでなく家の中まで無断で入れば行きすぎでしょうがそれでも)その犯罪の成否に関係がない以上その犯人を無罪にする必要までないでしょう。
最近の最高裁判例で言えば、GPS捜査はプライバシー侵害の危険性が高いから捜索差押え令状手続きが必要である→違法捜査と認定され、その捜査によって得た窃盗犯罪実行の証拠が否定されたように記憶しています。(時間がたったので正確な記憶がありません)
https://news.yahoo.co.jp/byline/maedatsunehiko/20170316-00068741/からの引用です。

警察が捜査対象者の車両に密かにGPS端末を取り付け、その位置情報を把握するGPS捜査。最高裁は、その法的論争に決着をつけた。しかも、今後の犯罪捜査に深刻な影響を与える厳しい内容だった。公開されている判決文(詳細はこちら)を踏まえ、その理由を示したい。
捜査対象者に気づかれないように注意しつつ、密かにその生活圏内に近づき、行動を内密に把握する、といった観点からすれば、尾行や張り込みと全く同様だ。
現に警察は、GPS捜査をそれらの延長線上のものと見ており、捜査人員や予算が限られる中、そうした古典的な捜査手法に代わる有効な手段だととらえてきた。
その上で、基本的に路上を走行する車両の位置情報を把握するだけであり、個人のプライバシーの領域に深く踏み込むわけではないとして、尾行や張り込みと同様、裁判官の令状は不要である、という立場を堅持してきた。
検察も同様のスタンスだった。
今回の事件でも、警察は被告人や共犯者らの承諾はもちろん、裁判官の令状も得ない状態で、約6か月半にわたり、被告人らの19台の車やバイクにGPS端末を取り付け、その位置情報を把握していた。
今回の一審、控訴審も、被告人を窃盗罪などで有罪とする結論自体は変わらなかったが、大阪地裁は令状なしのGPS捜査を違法とし、高裁は今回のケースだと重大な違法性なしと判断するなど、全く異なっていた。
これに対し、最高裁は、まず次のとおり、GPS捜査と尾行や張り込みとの関係について、警察・検察の見解を全否定した
「GPS捜査は…その性質上、公道上のもののみならず、個人のプライバシーが強く保護されるべき場所や空間に関わるものも含めて、対象車両及びその使用者の所在と移動状況を逐一把握することを可能にする」
「このような捜査手法は、個人の行動を継続的、網羅的に把握することを必然的に伴うから、個人のプライバシーを侵害し得るものであり、また、そのような侵害を可能とする機器を個人の所持品に秘かに装着することによって行う点において、公道上の所在を肉眼で把握したりカメラで撮影したりするような手法とは異なり、公権力による私的領域への侵入を伴う」
「憲法35条は、『住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利』を規定しているところ、この規定の保障対象には、『住居、書類及び所持品』に限らずこれらに準ずる私的領域に『侵入』されることのない権利が含まれる」

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私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

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このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。