産経ニュースによれば以下の通りでした。
https://www.sankei.com/politics/news/180430/plt1804300002-n1.html
ニュース 政治
2018.4.30 01:00更新
【政界徒然草】野党の審議拒否は若者に支持されるか
世論調査に現れた世代ギャップ
産経新聞とフジニュースネットワーク(FNN)が4月21、22両日に実施した合同世論調査で、一連のセクハラ問題に関して麻生氏が辞任すべきかと尋ねたところ、「辞任の必要はない」が49・8%となり、「辞任すべきだ」の45・6%を上回った。
大差がついたわけではないが、年代別に分析すると興味深い傾向があらわになる。
若年層(18、19歳と20代)では「辞任の必要はない」が71・7%と多数を占め、「辞任すべきだ」は26・8%止まり。
逆に高齢層(60歳以上)では「辞任すべきだ」が58・4%で、「辞任の必要はない」が35・5%だった。
高齢者は「揉め事が起きれば為政者は責任を取るべき・総辞職すべき」という戦前日本が間違った方向へ引きずり込まれた悪習を後生大事にしている印象です。
戦後民主主義のスローガンに夢を抱いて育った世代・高齢者(といっても私も後期高齢者ですのでその気持ちはよくわかりますが・・)は、ともかく戦前軍部は悪かった政府は悪いことをすることをする・・これを信用せず監視するのが民主主義だというような教育で育った世代です。
ともかく批判精神が重要・・・前向きの政策をどのように進めるかの教育を受けた記憶がありません。
この教育の結果何でも批判的に見る→先ずは反対から入っていくことが正しいような生き方が身についた世代なのでしょう。
反対から入る=従来の方式やルール変更や新技術導入に反対となりますから、世界の進運に棹差す方向=超保守運動に陥ります。
このコラム何回も書いてきましたが、私が弁護士になった頃には、成田空港反対、高速道路反対、川鉄操業反対・(録音機発達による)裁判所タイピストや速記官廃止反対・・共通項はなんでも新しいことに対する反対運動に誘われたものです。
それぞれ騒音被害、公害 、予防接種被害その他理由をつければ色々ありますが、今の原発でも同じ・・いつも車の例を書きますが、交通事故ゼロにできない点は明らかですが、物事の是非はその不利益と便益のどちらをとるかの政策判断であって、交通事故について見ると1970年に年間16765人の死者があった時代から2017年は3694人に減っています。
原発でいえば、絶対に被害がゼロとはいえないという想像(まだ一人の死者もでていないというのに)だけで、反対理由にしているのが不思議です。
公害や空港騒音があることから直ちに操業、飛行禁止ではなく、技術の漸進を求めていく方が合理的であったことを歴史が証明しています。
私の場合、日本よりひどい公害を撒き散らしている中ソの重工業の発展を称賛しながら、国内工場には反対する二重基準ではおかしいと思うようになって反対運動に参加しなかったことを書いてきましたが、この辺で反対ばかりしているのはどこかおかしいのではないか?と疑問を感じる人が増えてきて、結果的に反対ばかりに特化している社会党支持が激減して行ったように見えます。
物事には例外がいるもので、学校秀才?にとっては自分が「前衛」で進んでいるエリート意識の塊ですから、意識の低い人を教育する必要があるとまだ信じ込んで今に至っている様子です。
彼らは単なる戦後教育の申し子にすぎません。
戦前は軍部とメデイアバックで、戦後はメデイアと中ソ、中韓?バックでなんでも反対して議会審議停滞させて政策遂行を妨害することが正しいという教育にどっぷり浸っているのが高齢者のイメージです。
彼らの支持を受けている確かな野党は、今では正面きっての反対が国民支持を受けられなくなったことを知っているので法案自体の反対ではなく、揚げ足取りに終始するようになった印象です。
今回の愛媛県の獣医学部新設反対が本来の意図でしょうが、法案内容の議論を一切せずに手続きを批判しているし働き方改革法案も内容についての議論が一切なく「データがどうだ」という議論ばかりです。
「真偽や正邪はともかく騒動さえ起こして国政麻痺させれば良い」
という露骨な審議妨害に徹するようになってきました。
違法収集証拠論の発展で書いてきましたが、今や内容の「正邪よりは手続き」という戦術です。
民主国家においては反対意見がある方が言論が活発になって良い事ですが、政策議論より揚げ足取り→審議妨害ばかりでは国会の存在意義がなくなってしまいます。
彼ら高齢者にとっては60年の安保国会・・国政麻痺こそが理想の姿ですし、何かというと国会周辺の大規模デモ(実際には小規模ですが・・)をメデイアが宣伝するのは、戦前民意によらないで騒ぎを大きくして、国政を停滞させて政府を困らせれば政権交代になってうまい汁を吸えてきたノスタルジアの表れです。
民主国家においては、革命騒動や大規模デモなど騒乱で日本の政策対応を停滞させて物事を決めるのではなく、選挙で民意を静かに表現するのが基本です。
今でも、航空写真等を見ると高齢者中心に数千人程度しか集まらないのに、万単位の水増し発表をしている印象ですが・後記の通り戦前の歴史経験から、メデイアは政権批判運動が大きければ大きいほどメデイアの影響力を高められると信じているようです。
国政は比較多数の民意によって決めていくのが民主主義社会の基本原則です。
民意による選挙結果を無視して組織動員して騒動を大きくさえすれば内閣総辞職→民意支持に関係なく少数野党に政権交代する戦前のエセ民主主義を前提にする現在野党やメデイアの考えでは、結果的に国会審議妨害になれば良いので何でも反対運動・・揚げ足取りへと導きます。
(と言っても1億数千万人口のうち数千人から1万前後のいわゆるプロ市民・あるいは退職して時間を持て余している高齢者が集まっているようですが・・彼らの動員が容易になったこともこういう傾向に拍車をかけているのでしょう)
政権担当者は、寸秒を惜しんで国政に集中しなければならないほど需要決定事項が山積していますが、大事な政治家の時間を、スキャンダル暴露バカリ・・国家運営レベルから言えば何段階も下位の官僚が処理すべき事項について国会のテーマにして担当大臣や総理を問い詰めて・辞職しない限り審議に応じない必要があるのかということです。
今回騒動になっている官僚のセクハラが事実か否かの争いは司法で決めべきことですし、仮に事実としても公務員のセクハラ程度で大臣や内閣が総辞職しなければならない・・国政全てをストップさせなければならないような大事件かの説明がありません。
社員・部長クラスの社員がセクハラや刑事事件を起こした場合、社長が辞任しない限り、株主総会の審議に応じないという大株主がいるでしょうか?
セクハラどころか、公務員の汚職がわかった場合でも、政府としては今後「綱紀維持に務める」とかこのような事態発生に対する政府の姿勢を説明したり、せいぜい再発防止策を聞きたいという程度テーマでしかありません。
どこの企業でも自治体でも汚職や職員が刑事事件を起こした場合でもそんな程度であり、頭っから社長や市長辞任を要求する例を聞いたことがありません。
低レベルテーマをくどくどと追求する質問対応に心身をすりへらさせて国政に集中出来なくする目的は何か?という疑問を持つ人が増えるでしょう。