STAP細胞事件2と日大アメフト事件2(危機管理2)

私の理解によれば研究成果が内部で評価されるだけで、外部批判にさらされ難い・・「社会によって批判され難い」場合にモラルが低下するという区分けが可能です。
製造現場でのデータ捏造による革新技術開発発表は、それを利用する工程ですぐにバレるので、再現できない発表は起こりえません。
STAP細胞問題は、実用化が待望されていた分野であったからこそ話題性があったし、その分その成果を利用してみようとする追試が盛んに行われたので、再現不可能性の疑問が早期に巻き起こったのでしょう。
小保方氏は、誰も相手にしない学位論文同様に、「ネイチャーの書類審査さえ通れば良い」的気分で捏造データによる発表をしてしまったものと思われます。
大学の研究部門発表では、実用性に乏しい分発覚しにくい・・言論自由市場論のまやかし同様で、学問の自由にアグラをかいて、外部批判どころか学内からの批判さえ事実上受け付けないシステムに問題があるように見えます。
早稲田大学が小保方氏の学位論文を非公開にしていた訳ではないとしても、理系論文の場合、よその大学の若造の学位論文がインチキかどうかなど、他大学のプロは誰も手間暇かけて検証したいうほどの価値がないのが普通です。
たまたま同方向の研究者で「もがいている」テーマの発表がでれば、興味を持って研究・追試対象にするでしょうが、そうでなければ本当に価値ある新発表であればそのうち誰かが利用して世に出るだろう・そのとき参考にすればいいと言う程度で放っておくのが普通の動きでしょう。
たまたま同方向で実験を繰り返しているような場合には、発表した実験が自分と違った方法、あるは混ぜる資料が一つ違った工夫というような場合には、その資料だけ入れ替えて再現実験できるので簡単ですが、そうでない無関係な研究者が追試しようとすると新規に実験装置全部用意するしかないのでは膨大なコストがかかります。
そんなことが本当にできるかな?と科学常識で疑問に思っても、おいそれとは追試実験出来ない・再実験するには巨大な装置コストがかかる仕組み・採点教官でさえ合理的チェック・批判するには「そっくり同じ装置や資料をゼロから用意して同じ実験をしてみないとわからない」ので、その実験が発表通り行われた前提でしか採点できないのでしょう。
(「ABCD試料を合成してXになった」と言う場合、目の前で混ぜている試料が本当にABCDの試料かどうかまでチェックするには容器にAと印字されているだけで信用せずに中身を実際に確認する必要・・実験材料からして自分で集めて見ないとわからない・・200時間の実験成果であれば自分も200時間同じようにやるしかない(・・プロは要点を見れば出来の良し悪しがわかるとしてもデータが前後矛盾なく差し替えられている場合、捏造か改変されているかどうかまでは分からないでしょう)→そんな時間がないので事実上合理的チェック不可能な状態と思われます。
昨日出た会議でも、役所のアンケート結果の集計を見せられてそれを議論するのですが、そのアンケート集計が正確かどうかを議論する暇がない・正確性を前提にした議論しかありません。
こういう前提をつき崩したのは働き方改革法案の前提になっている集計がおかしいという批判でしたが、こういう批判ができるのは審議会の偉い人ではなく、集計に関与している現場の人しかありません。
4〜5日前に公共施設利用者のアンケート集計結果を紹介しましたが、回答者の属性不明のママ議論することになります。
民俗調査・・東南アジアや太平洋諸島などに出かけるフィールドワークの学問発表・古老の話の採録発表も、いくつか事実があるだけで重要部分が作文かどうかは(客観資料との比較の他に)採点者が現地に行くなどして古老に聞いて歩いて確認しないと本当のことは分からないはずです。
サンゴ礁のやらせが発覚したのは、地元漁協の憤慨があってこそバレたものですが、大して手間のかからないことでも多くの場合裏付けまで取らないしそんな暇もなく報道をそのまま受け入れるしかないのが普通だから起きるのです。
NHKによる台湾の現地住民に対する「人間動物園」だったかの報道では、テレビカメラまで入っての「客観性ありそうな」報道でしたが、台湾原住民が別のことに感動し涙を流しているのに違う方に演出していたことが、問題になったようですが、訴訟としては映像をどのように利用しようと編集権の範囲で文句言えないという判決だったようです。
慰安婦報道の元になった吉田調書も結果的に「フィクションで何が悪い」となったようですし、
指導教官や審査委員ではない部外者の場合、本気でチェックしようとすれば装置や材料の準備まで全て新規に揃えて同じ実験をするしかない・・理系研究は装置産業化している点で事実上の参入障壁・非公開性があり、ひいてはデータ捏造の誘惑が高まります。
この現実をどうすべきか(やりようがないと匙を投げ、放置するのではなく)こそが、大学や研究機関に求められている「自浄期待」と思われます。
まずは、不正に対する厳罰のルール化が必須です。
バレたら研究者生命を失うとなれば、安易な不正に手を染める人は激減するでしょう。
この点で内部の懲戒処分制度の厳格運用姿勢は重要です。
最近大騒動になっていた日大アメフト部のルール違反に対する社会の批判の視線もそこにあります。
井上コーチはまだ30歳のようですが、あるいは20歳そこそこの選手でも選手に出るからには、選手としてやっていいことと悪いことの区別はつくはず・・公式試合に出す以上はルールを理解していない選手はいないのが原則でしょう。
ましてコーチともなれば業界からの追放処分を誰も重すぎるとは思わないでしょう・重すぎるという批判意見を見たことがありません。
人権擁護の一方的報道の雄である毎日新聞でも、以下のように客観的に報道するのみで処分を(「市民感覚があ〜と批判せずに)肯定するかのような報道姿勢です。
https://mainichi.jp/articles/20180530/ddm/005/070/126000c

日本大アメリカンフットボール部選手の悪質なタックルをめぐる問題で、関東学生連盟が関係者の処分を決めた。日大の内田正人前監督と井上奨(つとむ)元コーチは除名とした。
除名は懲罰規定で最も重く、大学アメフット界からの永久追放にあたる。学生に限らず、スポーツ界での除名処分は極めて異例だ。
・・・・・こうして内田氏を頂点とするピラミッド型のゆがんだ支配構造が構築されていった。学連の処分は、この構造こそが問題を引き起こした本質だと断罪したに等しい。

組織維持の根幹に関わるルール違反があれば、国家の場合、刑事処罰・・国外追放から死刑、〜刑務所への隔離等があるように、組織有る限り、組織維持のために除名→業務停止〜戒告等の順に厳しい処分を行うのが原則です。
これがきっちりできないとその業界・組織がジリ貧になります。
アメフト業界(関東学連)による上記処分は日大の組織挙げての違反行為を看過できないとしたものですが、日大としてはこの処分を受けても(元凶と言われる内田氏の大学支配が強すぎて)誰も「首に鈴をつけられない」状態らしく大学の対応をどうするかの腰が定まらないママでした。
早稲田大学が、身内教授らへの波及を恐れて小保方氏の不正を認定しながら学位剥奪をしなかったのと似ています。
我々弁護士会でも、懲戒制度の適切な運用こそが、弁護士自治・弁護士の信用維持を実効性あらしめる核心的位置にあると言われる所以です。
懲戒請求された弁護士が可哀想という人権論・同情を基本に運用していたのでは、社会の信用を維持できません。
まず第一に非違行為の事実があるかどうかは人権を守るために厳格に認定する必要がありますが、非違事実があった場合にそこに至った情状を総合して弁護士のあるべき姿に対する社会の信頼がどの水準かを知り、また「あるべきか」の価値判断で決めるべきで、知り合いか、可哀想かどうかを判断要素にしたのでは国民の信頼が揺らいでしまいます。

STAP細胞事件2と日大アメフト事件1(危機管理1)

今回の日大アメフト部のルール違反事件処理の拙さといい、早稲田の小保方事件に対する処理能力といい、日頃偉そうなことを言っている「大学の自治能力って、一般企業以下でないの?」と疑問符のついた事例が続いたことになるでしょう。
日大事件では日大に「危機管理学部」?が、あることが、ネット上で揶揄されていましたが・・・!
https://www.asahi.com/articles/ASL5T323RL5SUTIL03T.html

「対応遅すぎ」日大・危機管理学部生が見たタックル問題
張守男、円山史
2018年5月25日09時47
日大には、自然災害対策や情報管理などについて学ぶ、国内で珍しい危機管理学部がある。
同学部1年の男子学生(18)は「大学の対応は遅すぎた。先に選手を表に出してしまい、責任も学生になすりつけようとしている」とあきれた。
23日夜の内田正人前監督らの会見について「誰が見ても指示は明確。全て認めて辞任しておけば騒動を沈静化できたかもしれないのに、信じられない思いだった」と語った。
23日夜の会見では司会者が質問を遮る場面もあった。別の1年の男子学生(19)は「こっちが加害者側なのでもっと丁寧な進行をすべきだと思った。危機管理の対応を考えるきっかけになった」と話した。
前監督は大学の常務理事。1年の女子学生(18)は「学内でも権力のある人だったから大学も動きにくく、まずい対応になったのではないか」。別の1年の男子学生(18)は「周りが監督に物言えないのなら、早く大学のトップが出てこないといけない」と指摘する。

上記は報道機関の意見を学生の名を使って書いているのかも知れませんが、とんだ反面教師の教材提供になったものです。
こういう実例教材に事欠かないという宣伝効果で日大危機管理学部の人気が上がるのでしょうか?
小保方事件に対する理研の対応を見るとプロの世界では再現テストをして再現不能を確認した上での処分であり、プロの世界の信用意維持にかろうじて成功したようですが、この経過を見ると実証するには大変なコストが掛かることもわかります。
再現テストをするには、膨大なコスト+時間がかかる・例えば医薬品開発の巨額資金の必要性が知られていますが・・これの再現実験ってどうやるの?という問題があります。
いわゆる治験を例に考えると・・10万人に対する数〜5年単位の追跡調査など・本当に別のグループでやっても同じ結果が出るかなどを考えて見ると、誰が?どこの企業が知的好奇心のみで膨大なコストと時間をかけて、酔狂な再現実験をしてA社の実験発表が正しいかどうかの実証検査をすることができるでしょうか?
学問研究の成果でも同じで、採点側の教官としてもコストがかかったり時間のかかる再現実験を自分でしていると自分自身の研究や仕事をしている暇がなくなるから、学位論文を出す学生や研究者がまさか虚偽データを潜り込ませていないだろうという信用で判断するしかないのが現実でしょう。
小保方氏の論文を掲載したネイチャーだって、その実験成果が正しいとすれば掲載価値があるかどうか、論文の論理を追って外見上の矛盾さえなければ掲載する程度の審査でしょう。
世界中でいろんな分野に広がって発表される論文をネイチャー自身が掲載前に自前であるいは第三者委託で再実験する能力(装置)があるはずがありません。
電池製造など実用分野の発明発見ではその企業が製品化するための実験繰り返しですから、虚偽発表してもし品化して作動しなかればすぐにバレるのでデータ捏造する意味がないでしょう。
あるいは新製法では、消費電力が半減するとか持続力が二倍になるなどの触れ込みの場合、その製法による電池などを機器に組み込めばすぐに結果が出ます。
(ただし医薬品の場合、副作用がきつければすぐに問題化しますが、「毒にも薬にもならない」風邪薬程度の場合、虚偽データの発覚リスクが低いことがわかります・・)
工業製品でもプロが機器に組み込んでコストダウン出来るのではなく、新製品(化粧品・風邪薬など)を消費者が受益するような場合、消費者には直感程度(しかも個人差が大きいので、自分の体質に合わないのか程度の疑問しか持ちません)のしか違いがわからないので、捏造の誘惑が高まります。
車の燃費偽装や免震ゴムの偽装なども途中どの業者も損がない・・消費者のもとで効能を発揮する仕組み、結果の分かり難いもので誘惑が高まるようです。
論文発表が自由な批判にさらされ、自由市場で淘汰されるといっても、製品化に遠い分野あるいはその成果を利用してその次の段階の実験に取り掛かろうとしているような場合を除けば、第三者が好奇心だけでは(実験設備その他膨大なコストがかかるので)容易に再現実験できないので虚偽データによる成果捏造の誘惑が高まると言えそうです。
大学の学位論文など現実社会で実用になるような論文は皆無に近いでしょうから、着眼の斬新さと論文作成の様式にあっているかの形式審査程度で、実態調査や引用した統計データなど正しいかどうかなど精査しきれないのが実態ではないでしょうか?
ドイツ・ワーゲンの燃費偽装に始まり、日本企業での燃費偽装や神戸製鋼その他の大手で検査データ偽装が続々と出てくる背景を見ると、企業モラルの実態に関心が行きますが、モラル低下というよりは、発覚し難いことが誘惑助長につながっていると見るべきでしょう。
犯罪率低下には、検挙率アップが重要と言われている所以です。
他方で、もともと大して信用がなかった飲食店や農産物業界の信用が必要になり、信用が高まってきたことによる期待を裏切られたという逆方向の問題でもあります。
政治モラルなどの事件では、昔普通だったことが国民の期待・要求が高まって許されなくなってきた面が目立ちます。
期待の高まりによる不祥事の場合、期待度が上がるのに関係者全員一律について行けない部分(人材)が残るのは当然で、その部分に焦点を当てるとしょっちゅう不祥事が表面化するのは当然であって、モラルが下がったことにはなりません。
昔普通にあった事件が減って稀少化するとニュース価値が高まる結果、ちょっとした殺人事件等が全国ニュースで駆け巡る結果、「最近物騒になりましたね」という人がいますが、少年事件や刑事事件の絶対数が大幅に減っている現状と合わないのは、被害に対する敏感度が上がってきたことによります。
学会・研究者は学問・求道者としての矜持があるでしょうが、現場検査要員によるずさん処理となると人材レベルが違うので研究者と彼らを同視批判するのは妥当ではないと言えますが、現在社会における企業製品に対する品質信用の重要性が高まってきているという点では軽く考えてはいけません。
個々人で見れば政治家には政治家のモラルがあり、公務員や弁護士や医師、教師〜会計士それぞれの職種に応じた必要なモラル・ルールがあります。
大学の研究者に要求されるモラルと現場の品質検査要員に要求されるモラル・・同じ食品業界でも高級レストランと個人飲食店での衛生モラルでは、(個人商店は不衛生で良いわけではありませんが)国民期待度・信用がそれぞれ違うし歴史も違います。
小保方氏の場合、まだ経験未熟の若手とはいえ、大学院での論文執筆の修練・・研究ルールを体得して博士号になっている者であって、学位授与されている専門家としての能力を前提に理化学研究所の研究員に採用されていたのでしょう。
プロとして基本ルール違反があれば専門研究家の資質がなかった・・業界から排除されるべきは当然のことです。
小保方問題は、研究者に対する信用度が上がったのに小保方氏がついて行けなかったからではなく、大学や研究者に対して「昔からある信用基準を満たさないプロがいたことに社会が驚いた」ということでしょう。
小保方氏擁護論は「研究者なんて実は大したモラルがないんだ」という科学会全般批判・現実直視・肯定論のようです。

本田鑑定2とSTAP細胞事件1

郷原氏は本田鑑定の問題は、小保方氏のSTAP細胞事件のデータ捏造と流れが同質だと言いたいようです。
小保方氏のSTAP細胞事件ついては、「誰でもやっていることだ」という擁護論がチラチラと聞こえてきましたが、この種の意見によれば、こういうずさん発表が常態化・蔓延しているから小保方氏だけ批判するのはおかしい・・・業界内暴露のようです。
1昨日書いたように各種検査偽装発覚が相次いでいる実態とも合っているような印象を受けますが、要はこれを現実として容認していくか、ずさんな運用が表面化した機会に「タガを締め直す」ために厳しく処分して行くべきかは国家運営の価値観によります。
弁護士会の懲戒事件を見ると、自分だってホンのちょっとした違いで起こしかねないミス?と背筋の寒くなるような事例が多く、(自分の能力を省みると偉そうに)「人の批判できるか?」と忸怩たる思いがいつも付き纏いますが、他方で弁護士に対する世間の信用維持には、「これを不問にして良いか」の別の基準に想いをいたして勇気を奮い起こして「泣いて馬謖を切る」処分を出すしかないのだろうなと思うことがあります。
「データ偽装くらいいいじゃないか」という意見は「データ偽装でも実験成果を認めろ」という意見とすれば幾ら何でも論理矛盾・・実験していないのですから、実験成果が否定されることは認めるが小保方氏に対するパッシングが酷すぎるという程度の意味になるのでしょうか?
その論理が成立するには科学界ではしょっちゅうデタラメな成果発表していて「信用できないのは当たり前だ」という論者の科学者の論文はデタラメだという「常識の成立を認めろ」というに等しいことになります。
ネット上の小保方氏擁護論は学会の頽廃を前提とするもので、一般人には衝撃的意見で負け組の庶民からするとエリート・研究者といっても日頃から「嘘ばかり発表している」という宣伝に同調したい気持ちをくすぐったように見えます。
しかし、科学界としては、「非常識なことが日常的に行われているから処罰するほどの悪事ではない」かのように言われると、→日本の科学界全否定→日本発論文が世界で信用されなくなるので、この種の擁護論に流されなかったようです。
科学系発表に至る素人のイメージでは、こうしたらどうなるか?と色々な実験して見たらいい結果が出たので、何回もやり直してみる→同じ成果が出る・・「これは本物だ」となれば発表用にきっちり記録化しながら再実験を繰り返した結果を発表するものでしょう。
発表する以上は、データは再実験可能なように克明に記録化しながら進めるのが実験のイロハと思われます。
一回だけうまく行ったがその後何回やっても結果が出ない・・「だから記録にできなかった」が「本当に成功していたのです」と言う言い訳に合理性があるでしょうか?
科学とは「同じ手順でやれば誰がやっても同じ結果が出る」という再現実験可能性が基本と学校で習った記憶です。
いわゆる検証可能性が科学の特徴で、検証不能な意見はいわば主観的意見・・思い込みの類です。
小保方氏のSTAP細胞の発表には、そうした基礎データがなかったという調査結果とすれば、「データのない研究発表を科学業績と認める指導者がいるなど考えられない」と言うのが学界のルール・共通認識であるべきでしょう。
小保方氏の問題点は、理研の指導官が実験データをきっちりチェックしていてどうしてこういう事件が起きるのか?という基本的疑問です。
東大博士とか〇〇大博士と大学ごとの称号がありますが、チェック機関の信用を表すもので・小保方氏のような事件が起きない限り大学ごとのレベル信用を暗黙の了解として無意識に評価していて、学位論文を検証する暇のある人は滅多にいないでしょう。
だからこそ指導官の責任「道を踏み外した責任」→自殺にまで追い込まれた・・小保方氏擁護論者が言うほどには日本の「学会全体が腐っていない」と言う社会の評価だったのではないでしょうか。
(自殺=ルールに反してOKした指導官に対する学会仲間の無言の批判の強さ健在という推論は、門外漢の私の憶測です)
画像も別の実験記録をコピペし流用したことまで判明し本人がこれを認めている上に、小保方氏は理化学研究所から正式に実験データの捏造を認定されたときの記者会見で
「自分は不正をしていない」
と「一応」否定しただけで、不服申立期間内に不服申立てもしないで終わっています。
上記の通り、理研の小保方氏に対する処分や関係上司の自殺などの一連の流れを見ると、多くの科学者は真面目にやっている「開き直りをしない」)ように安心した人が多かったと思います。
ただし、早稲田の学位論文調査の結果、実験成果が捏造であることを認定しながら、学位授与を取り消さない決定をしたうえに「学位論文審査者」に対する言及がもしも一切ない(ニュースで見かけないだけなので「処分をしていない」とは断言できできませんが・・)とすれば、同大学の学位授与に対する信用・・・「この程度は皆やってることだ」「データを見る暇なんかないよ!虚偽がない前提で審査している」と言わんかのような結果ですから、大学学位授与の信用をおとしたことになるように思われます。
https://www.news-postseven.com/archives/20140729_267914.html

小保方氏の博士論文に早稲田大「不正は故意ではない」と判断
2014.07.29 07:0
論文の第一章は80%が剽窃(パクリ)であり、画像、イラストの剽窃も多数見つかった。なんと参考文献のリストすら別の論文からコピーしていた。
その他、画像があるのに説明文がない、意味不明の用語が使われている、論旨不明箇所が多数、実験手続の記載なし、誤字脱字が42か所などと指摘され、さすがに報告書も「合格に値しない論文」と結論づけた。
報告書では寛大な処分を下す理屈として、学位を剥奪すれば小保方氏の「生活の基盤、社会的関係を破壊する」からだと主張するのだが、不正に対して認識が甘すぎる。
※週刊ポスト2014年8月8日

事実認定が客観的に行われるべきは当然ですが、どの程度の処分にするかも制度目的に忠実であるべきであって、情実を絡ませるのは異常・非常識です。
かわいそうかどうかの情状論は学位論文信用性維持の法益を基礎として、情状で考慮できる範囲がどの限度かの判断がつかなかったようです。
刑法で罪種によって法定刑が決まっているのは、情状を考慮しても罪種による最低の枠がある・・その枠を踏み外さないようにという意味があるからです。
車の免許不正取得でいえば、不正行為に対する処罰・・罰金や懲役刑の選択については情状を考慮できても、情状如何に拘らず運転能力がないならば、免許取り消しすべきです。
学位・・資格授与は職業上の資格・免許同様の機能ですから、学位(免許)取得に不正があることを認定しながら(入学試験や公務員試験受験の不正行為を認定しながら、可哀想だからと罷免しないのと同様?)可哀想論で学位授与を取り消さないのって、「早稲田大学って大丈夫?」という疑問を持つ人が多くなりませんか?
可哀想だから取り消さないというのを逆から見れば、「可哀想な人には能力がなくとも学位を与えるの?」という疑問につながります。
早稲田大学は学位を剥奪すれば小保方氏の「生活の基盤、社会的関係を破壊する」から学位剥奪しない・・博士号の利用を許すというのですが、これの実用性があるでしょうか?
可哀想だという理由で博士号剥奪されなかった「博士」をありがたがって採用する研究機関があるのでしょうか?
小保方氏の生活を心配したのではなく、学位審査に関わった人たちの責任問題(自殺までいかないでしょうが)に波及するのを防ぐ目的99、9%だったのではないでしょうか?
そこにあるのは、仲間をかばう意識の方が早稲田大学の価値・信用を守るより優先している状況です。

袴田再審取消決定と本田鑑定1

ここで、メデイアの高裁決定批判に対する私の批判ついでに、静岡地裁再審決定で採用された本田鑑定に関する郷原氏指摘の問題点を具体的に見ておきたいと思います。
ただし、高裁決定に至った詳細根拠が示されている部分をそのまま引用すると膨大になるので省略しますが、関心のある方はご自分で上記引用先にお入りください。
メデイアが「市民感覚」などという意味根拠不明概念で決めつけるのがよくないのと同様に科学分野でも「大学教授による鑑定」「細胞選択的抽出法」という難しい題名だけで素人をケムに巻くのではなく、その論理の合理的説明をする責任がある点をこの機会に書きたいと思います。
権威者の弟子らが「立派な研究だ」と言えば誰も鑑定の非論理性を指摘できない・・「こんなことも分からないないのか!と発表者の弟子にバカにされる批判覚悟で質問しなければならないのは度胸がいります・・「裸の王様」を「王様は裸だ」と誰も言えないような社会で良いのでしょうか?
という関心です。
以下高裁決定に関する郷原氏の解説です。
6月17日までと同じ引用先です。
http://agora-web.jp/archives/2033195.htmlによると以下の通りです。

袴田事件再審開始の根拠とされた“本田鑑定”と「STAP細胞」との共通性
2018年06月14日 15:00
郷原 信郎

高裁決定を読む限り、その根拠となった本田克也筑波大学教授のDNA鑑定(以下、「本田鑑定」)が、凡そ科学的鑑定と評価できない杜撰なものであり、それを根拠に再審開始を決定した静岡地裁の判断も、全く合理性を欠いており、再審開始決定が取り消されるのは当然としか言いようがない。
今回の高裁決定を担当した大島隆明裁判長は、菊池直子殺人未遂幇助事件での無罪判決、横浜事件での再審開始決定などの、いくつかの著名事件も含め、公正・中立な裁判で高く評価されてきた裁判官である。
高裁決定は、本田鑑定の手法の科学的根拠の希薄さ、非合理性を厳しく指摘しているが、それを読む限り、過去に、多少なりと「科学」に関わった人間にとって(私は一応「理学部出身」である。)、本田鑑定が「科学的鑑定」とは到底言い難いものであることは明白だ。
・・・・・このような本田鑑定の「チャート図」についての疑問を踏まえれば、果たして鑑定資料に付着した血液中に含まれていたDNAを抽出したものなのかどうか疑問に思うのが当然である。
即時抗告審では、鑑定の手法の信頼性の有無を確認するための事実取調べとして、本田鑑定の「再現実験」を行おうとしたが、結局、弁護人の協力が得られず断念したとのことだ。
確立された科学的手法ではない鑑定であれば、鑑定の経過やデータ・資料が確実に記録されていることや、再現性が確認されていることが、鑑定の信用性を立証するために不可欠と考えられるが、本田鑑定は、データ・資料が保存されておらず、再現実験による確認もできなかった。このような鑑定に客観的な証拠価値を認めることができないのは当然である。
本田氏のDNA鑑定は、「細胞選択的抽出法」によって、「50年前に衣類に付着した血痕から、DNAが抽出できた」というもので、もし、それが科学的手法として確立されれば、大昔の事件についてもDNA鑑定で犯人性の有無について決定的な証拠を得ることを可能にするもので、刑事司法の世界に大きなインパクトを与える画期的なものである。
本田鑑定で「細胞選択的抽出法」によって「DNAが抽出できた」というのであれば、その抽出の事実を客観的に明らかにするデータが提示される必要がある。
ところが、本田氏は、鑑定の資料の「チャート図」の元となるデータや、実験ノートの提出の求めに対し、血液型DNAや予備実験に関するデータ等は、地裁決定の前の時点で、「見当たらない」又は「削除した」と回答しており、その他のデータや実験ノートについても、高裁での証人尋問の際に、「すべて消去した」と証言したというのである。
そこで、STAP細胞問題と同様に、裁判所が弁護側に「客観的な再現」を再三にわたって求めたが、結局、再現ができず、「細胞選択的抽出法」によるDNAの抽出について、客観的に裏付けがないまま審理が終わった。

「STAP細胞」問題との類似性
袴田事件で静岡地裁の再審開始決定が出たのとちょうど同時期、社会の注目を集めていたのが「STAP細胞」をめぐる問題であった。2014年1月末に、理化学研究所の小保方晴子氏、笹井芳樹氏らが、STAP細胞を発見したとして、論文2本を世界的な学術雑誌ネイチャー(1月30日付)に発表し、生物学の常識をくつがえす大発見とされ、若い女性研究者の小保方氏は、「リケジョの星」などと世の中に大々的に報じられた。
が、論文発表直後から、様々な疑義や不正の疑いが指摘されていた。
4月1日には、理化学研究所が、STAP細胞論文に関して画像の切り貼り(改竄)やねつ造などの不正があったことを公表した。その際、研究の過程の裏付けとなる実験ノートについては、3年で2冊しか残されておらず、小保方氏が残したノートには、日付すら記載されておらず、実験ノートの要件を充たしていなかったことも明らかにされた。
理化学研究所では、STAP現象の検証チームを立ち上げ、小保方氏を除外した形で検証が行われ、論文に報じられていた方法でのSTAP現象の再現が試みられるとともに、7月からは、それとは別に小保方氏にも単独での検証実験を実施させた。
しかし、結局、STAP細胞の出現を確認することはできず、同年12月、理化学研究所は、検証チーム・小保方氏のいずれもSTAP現象を再現できなかったとして、実験打ち切りを発表した(検証が行われている最中の8月4日、世界的な科学者として将来を期待されていた笹井氏は自殺した。)
袴田事件で静岡地裁の再審開始決定が出されたのが2014年3月27日、理化学研究所が、小保方氏らの不正を公表したのが、その5日後だった。
小保方氏自身も再現実験に取り組まざるを得なくなり、結果「再現できず」で終わったことで、科学的には「STAP細胞生成」の事実は否定されるに至った。
それと同様に、本田鑑定で「細胞選択的抽出法」によって「DNAが抽出できた」というのであれば、その抽出の事実を客観的に明らかにするデータが提示される必要がある。
ところが、本田氏は、鑑定の資料の「チャート図」の元となるデータや、実験ノートの提出の求めに対し、血液型DNAや予備実験に関するデータ等は、地裁決定の前の時点で、「見当たらない」又は「削除した」と回答しており、その他のデータや実験ノートについても、高裁での証人尋問の際に、「すべて消去した」と証言したというのである。そこで、STAP細胞問題と同様に、裁判所が弁護側に「客観的な再現」を再三にわたって求めたが、結局、再現ができず、「細胞選択的抽出法」によるDNAの抽出について、客観的に裏付けがないまま審理が終わった。

袴田再審高裁決定6と報道

1年足らず前のことですが・・・町内会で野良猫繁殖防止のために有志グループが捕獲して避妊手術をする運動に自治会から避妊手術費の一部助成するかどうかが議論になった時に、「そもそも動物だからと言って避妊強制が許されない」という(人道的?)意見が出たことがあります。
その後避妊手術済みの猫(何匹もいます)に対しては、有志グループが責任を持って近所の公園で餌をやり、糞の始末もすることになっているので、猫らも可愛がられているのが分かったのか、(もともと4〜5匹が自由に出入りして気ままに昼寝していましたが・・以前に増して)気楽そうに我が家の庭に出入りしています。
晩秋、落ち葉の季節に私が掃き集めている落ち葉がある程度集まると(朝日が当たって暖かいらしく)落ち葉の上にお座りしてチリトリでゴミ袋に取るまで私の掃除を見ていることが増えました。
平成の初めから、ゴールデンレトリバーを飼っていましたが、そのころ、庭で芝生の草むしりをしていると、傍にいる犬が芝生以外の草を選んでくわえて一緒になって引き抜く真似ごとをしていたのを微笑ましく見ていたものです。
野良猫でも毎日庭に出入りし、私の庭仕事を見ていると「近所付き合いみたいなもの?)何か役に立たないと行けないかな?と思うようになるようです。
主義主張に戻りますと、特定立場の主張をしたいならば「社会の公器?」としての役割を降りて、特定思想集団としての意見発表するのは自由です。
古くから無政府主義者がいますし、(・・政府がなくてどうやって秩序を維持するのか不明・・刑事罰などを当然否定するのかな?・・・その代わり自分の生命・権利は自分で守れ→強い者勝ちを理想とするのかな)アメリカでもモルモン教徒やベジタリアン、中絶反対、ドイツの緑の党など極端な主張をする集団がいろいろありますが、それぞれ自己の主張が正しいと思うならば堂々と自己の主張立場を明らかにして論争すべきです。
朝日新聞は、今になると表向きの立場とは違って実質的な自己主張・.依って立つ立場がはっきりして来たように見えますが、(主張がはっきりしてくるとこれに対するコア支持者しか購読しなくなるのでしょう)それでも表向きは、中立であるかのように装ってごまかそうとするので「ズルイ」と批判されるようになったと思われます。
「証拠の有る無しに関わらず刑事処罰を全てなくすべき」という社是ならば、そう主張すればいいことですが、袴田再審開始取り消しの高裁決定に対しては、高裁裁判の途中経過の具体的論評を省略して如何にも「結果が不当である」かのようなイメージ表現で裁判制度の信用を貶そうとしているのはずるいやり方です。
すなわち郷原氏の6月20日引用の朝日新聞の意見は
「この決定に至るまでの経緯は、一般の市民感覚からすると理解しがたいことばかりだ。」
と意味不明の「市民感覚」を持ちだして批判しています。
訴訟経過を批判したいならば「市民感覚」という意味不明の決め付け」ではなく、具体的事実経過を示して「ここが納得できない」と具体的批判根拠を指摘すべきでしょう。
朝日新聞は「自分はエリートだ・・庶民相手に訴訟経過の不当性など説明しても庶民にわかる筈がない・.結論だけ示せばよい・・革新系政党のスローガン政治「ダメなものはダメ!」とか「少なくとも県外へ!」などと同じ発想ですが、朝日も同じエリート思想によっているのかもしれません。
あるいはまともな論評能力がないので、このような根拠のない主張に逃げているのでしょうか?
高裁決定書を理解できないならば、決定要旨そのまま報道すればいいのですが、肝心の決定要旨をそのまま引用をしない・・詳しくは有料記事で・.というスタイルで、無料記事は「市民感覚」よる批判ばかりです。
慰安婦問題も同様で、「強制か否かに関わらず売春制度自体が許せない」「あるいは世界の売春婦はよいが、日本の売春婦だけ批判したいのだ」というならば、そういう政治立場を明らかにした上で主張すれば良いことです。
軍の連行があった→性奴隷かのように(フィクションに過ぎない吉田調書が出ると報道機関として必須の事実裏付を取らずにあたかも事実かのように大規模報道していたのは、中立の報道機関の行為とは思えません。
「朝日ともあろう会社がまさか裏を取らずに大規模報道しないだろう」という信用が慰安婦騒動の「ことの始まり」でした。
静岡地裁の袴田再審開始決定に関しては、朝日新聞の慰安婦報道同様に科学者に対する信用を利用してずさんな?実験論拠?を提出して異様な鑑定意見を出したところ、地裁では大学教授の肩書きを信用して?実験経過を厳重チェックせず・・・・地裁段階で検察による緻密な反論がなかったのか?あったのにこれを軽視した結果か不明ですが、(全記録を見れば明らかでしょうが、私は記録を見ていないので不明です)その鑑定を採用してしまった所に端を発している点では似た展開です。
メデイアに限らず先人の信用を悪用(まさか「実験していないのにした」という「虚偽報告をしないだろう」という信用)した研究成果を装った科学分野の発表の罪深さ・各種分野で先人の築いた信用利用による検査偽装.会計偽装等が横行しているのが最近の風潮です。
いろんな分野で商品品質の逐一検査するのでは、社会が回っていきませんので一定資格者による自主検査を信用して公的検査省略が普通です。
この信用を悪用する事例・・今朝の日経朝刊13p他にも新事例・・日立化成検査不正や三菱モルガンの国債相場操縦などが出ています・各種分野で目立つようになってきました。
この機会にメデイアに限らず、科学者の世界でも先人の築いた信用利用に・教授等の名の知られた人が発表する以上相応の実験を本当にしたものと信じる習慣を利用して「根拠を欠いた発表」が横行している現実について、紹介しておきたいと思います。
この点は三越の長年の信用を悪用した三越(板倉社長)事件や、だいぶ前の姉歯事件の建築設計の偽装事件、近年では横浜のマンションの傾き事件、免震ゴムの品質偽装事件、神戸製鋼や富士重工などの工業製品の検査偽装などと根っこは多分同じでしょう。
会計分野ではエンロン事件以降、直近では東芝問題等々会計処理の問題性は周知の通りですが、一応監査法人等が存在します。
我々弁護士会でも懲戒システムが完備しています。
弁護士の信用を利用した方が裁判所も仕事がスムースなので、破産再生等では弁護士申し立て事件では、調査簡略化してしていますが、弁護士がその信用を悪用して不正をすると弁護士全体の信用に関係する・・システム運営上大変なことになり、相応の懲戒を受けます。
公共放送で公正性を担保するために放送倫理委員会があるようですが、新聞にはそういう仕組みがないどころか「表現の自由」は、「人権の中の人権」という宗教論のような主張が憲法学界で根強いことから、報道に対するあらゆる批判がタブー視されてきました。
その是正は「言論の自由市場」によるというのですが、テレビ、ラジオ、出版界は大手寡占市場ですから、(自費出版ができる以外は)実は本当の「自由市場」がなかったのにごまかしていたのです。
メデイア界全体で同じような不正虚偽報道または虚偽報道まがいの紛らわしい報道をしても同業者が等しくやっている限り、競争原理が働きません。
平成に入ってから、ネットによる情報発信が可能になったので、情報発信独占にあぐらを掻いていた大手メデイアの情報支配・独占が崩れてきました。
今回高裁で否定された鑑定意見の問題点・高裁の指摘がある程度事実とすれば、大学教授が権威に胡座をかいて不正な研究発表をしていても、大学の教授会やその教授の属している専門学会の自浄作用に委ねて置いて良いかの疑問が出てきました。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。