東博詣で

今年の正月も、我が家の主な外出行事は東博に詣でることになっていて、東博御自慢の長谷川等伯その他の名品を鑑賞するのを楽しみにしています。
東博玄関・正面階段踊り場に大規模な生け花が飾られているのを見るのも楽しみの一つです。
私の青年時代には女性が生け花を習うのが一般的な時代で、その後一般化した郊外の文化住宅の玄関の下駄箱の上に(客間の床の間に生ける代わりに)生け花を飾っているのが普通の時代でした。
最近は、親しい友人宅を訪問することがなくなった上に、(親戚だって滅多に家に上がりこまないでしょう)近所の人が来ても玄関ドアを半開き程度しか開かないで応対する人が増えて、家の中に他人が足を踏み入れることが滅多になくなったせいか?生け花を家庭で生ける習慣がなくなってしまった印象です。
この失われた美意識の遺物展示?になっているのが、お正月だけデパートや美術館玄関に飾られるスケールの大きな生け花というべきでしょうか?
遺物とすれば、東博で正月だけ展示するのは理にかなっています。
この4〜5年以上は、日頃から遠くへ旅行する気持ちがなくなり休日ごとに千葉市美術館を初め、都内あちこちの博物館や美術館(映画も含めて)巡りが主な日課になってきました。
東博だけでも2ヶ月に1回くらいのペースになっている(昨年の縄文展は気に入って2回も行きました)印象です。
ウイークデーでも東京地裁や日弁連に出かけるときには少しの時間を利用して近くの(私の学生時代の名称)元日比谷図書館・今は〇〇文化会館?ホールまたは「センター?とかいうらしいですが、新名称はなかなか身につきませんが、三角形の形が特徴ですのですぐに記憶が蘇ります・・ただし内装は近代化されています)の展示を見るのを楽しみにしています。
そこは江戸の歴史に特化しているし、小さくて短時間で済むのがメリットです。
さらに時間があればちょっと立ち読み程度の本(元は図書館ですから当然ですが・・)も充実しています。
昨年は日比谷公園に行くたびに、日比谷交差点近く日生劇場に隣接するところで建築中だった東京ミッドタウン日比谷の工事中高層ビルが立ち上がる姿を楽しみしていましたが、昨年ついに竣工しました。
日比谷公園では季節ごとに変化する公園内の樹木を見るのも楽しみの一つです。
東京はあちこちで大規模開発が進み、どこもかしこも、大成功?したのか人の群れです。
4〜5年前までは、午前10時の弁論の時には、妻と一緒出かけて、弁論後に三宅坂の国立劇場へ向かって(11時半開場)歌舞伎を見たり、日比谷松本楼で早めに昼食を終えて、日生劇場(午後1時開場)などで観劇するコースでしたが、この4〜5年では日比谷公園から帝国ホテルの脇を通って銀座に出てその辺で娘と待ち合わせるのが定番コースになっています。
(昨年12月初旬には東京駅前のKITTEで待ち合わせましたが)
元気だと思っているうちに、仕事で霞ヶ関に出る回数が次第に減っていき、その内に東京駅〜日比谷界隈が想い出の地になっていくのでしょうか?
若い頃には、「今日できないことを明日以降にはもっとよくできるようになる」成長軌道でしたが、成長の峠を越えた後は・・・昨日までできたことができなくなる・・能力低下・・行動半径が縮小していくのを悟っていく・今日も今年も「無事でよかった」程度の過程に入ります。
すべての経験が徐々に再現不能になって行き、記憶の彼方に押しやるしかないのは寂しいことですが、これが高齢化の現実です。
京都奈良の名刹観光も出来なくなりそうですが、その代わり最近寺宝国宝類が頻繁に東京の博物館にお出ましになって・・いわゆる出開帳の現代版が多く、京都や奈良まで出かけなくとも秘宝の類を東京で観られるようになったのは、ありがたいことです。
この数年だけでも、仁和寺や、興福寺、春日大社展など参観しても拝観できそうもない内陣の様子まで再現してくれるのでありがたい上に、自分が幼い子供らと初めて参観した時の想い出に連なるなどありがたいことです。
仁和寺展では、系列寺院の秘宝まで出展してくれていたのもあり難いことです。
今年も東博では東寺の仏様の展覧が予定されているなど、楽しみです。
東寺の場合、金堂だったか名称を忘れましたが、お堂内に配置されていた堂々たる体躯の仏様群をもう一度拝観できるのは楽しみです。
この10年ばかりどこの美術館でも企画展が流行状態ですので、日本全国どころか、世界の名品の企画展が東京で開催されるようになってきた結果、東京まで出かける気になれば大概のものがお寺にあるかのように展示される時代です・・・このようなことが毎月のように見られるようになっているのがあり難いことです。
この結果、「どこそこの美術館に行かないとこの彫刻や絵画が見られない」ということがなくなりました。
作夏東博で開催された縄文展で言えば、あちこちの市町村教育委員会が保管している縄文時代の発掘品(国宝等)が一堂に会して展覧されました。
それだけではなく、興福寺展では内陣の柱を設営をし、国立新美術館での東山魁夷展では、正倉院の襖絵がその部屋の模型まで設営してその場の雰囲気を再現するような工夫のもとで展覧されるようになりました。
地元で近いのでしょっちゅう行ってる暦博(千葉県佐倉市)でも同様で、
例えば2018年3月6日(火)~5月6日(日)の企画展示「世界の眼でみる古墳文化」でも行って見ると古墳の復元があって、(大分前なので具体的に思い出せませんが、)洞窟様に作られた室内に入ると(ライトアップ・薄あかりがついたり消えたりしして)天井絵や文字が復元されていました。
ドーム型の天井の絵文字などを平板な紙上に再現するのは無理があるのでその工夫です。
地球儀を写真にとるのが無理なのと同じです。
そういえば平成の興福寺金堂復元工事の機会に、天平の昔には描かれていたという法相柱を復活したことが知られていますが、東博で開催された興福寺展覧会でも内陣全体の復元が行われていましたが、内陣の周囲の柱も復元展示していて復活した日本画の写しを貼り付けて?法相柱を復元していました。
現地に行ってもお堂の外から、薄暗いお堂内の御本尊らしきものを拝むだけしかできないのに東博で開帳してくれるおかげで、復元された内陣の隅々まで身近に歩き回って国宝等の仏像を拝観できてありがたいことです。
旅行先でちょこっと見る程度では、企画展のようには至れりつくせりの歴史背景などの説明がありません。
高齢化で遠距離旅行が面倒になっても、都内に出かける気持ち・体力さえ残っていれば、結構楽しめる時代になってありがたいことです。

箱根駅伝

昨日元旦は、近くの神社にお参りしたほかは終日自宅でお屠蘇気分を楽しみました。
正月2日は従来箱根駅伝の実況を楽しむのが定番でしたが、母校は数年前からシード落ちが続いていたことから、この楽しみがだいぶ減少しました。
我が母校は予備選通過グループ・・・上位陣に食い込む楽しみがない・・・低迷中とはいえ、ニュースによれば、出場回数では95回中92回目の出場となっています。
地味・・根気の良さが母校の特色ですが、こんな場面でも特性を発揮しているようです。
スター人材の獲得をしないのが母校の伝統的気風とすれば、今後も長期低迷しかないでしょう。
各区間ごとに5人抜き〜7人抜き等の猛者あるいは区間新が出るので、各区間で平均的走りをしているチームは区間毎に1〜2番づつ順位を落として行く勘定です。
10区間終わると10何位→シード落ちの結果になるのはやむを得ないように見えます。
成績低迷の代わりというか、ここ数年は1月2日は上野の東博詣でが定番になっていましたが、今朝急遽変更して今日は駅伝実況に食らいつきです。
1区が始まったばかりでは、まだ先頭グループ10数名の中(その中でも今の所2位)に入っていて健走中のようです。
優勝候補でもないどころか、ダントツの記録保持者がいないようですので、いつまで先頭集団近辺について行ってくれるかです。
1区の終わりに近づくと縦1列になってきて母校は2位通過です。
地力がないとはいえ幸先の良い出だしです。
これでは最後まで目を離せません。
1区が終われば朝食に入るので、駅伝応援は一旦休憩です。
・・・・ついに最後まで見ましたが、母校は各区間ごとに順調に順位を落とし、往路の結果は12位でした。
見終わってみると想定通りの結果でしたが、それでもみんな「よく頑張ってくれた」という気持ちです。
明日もしっかりガンバって総合10位以内に入って欲しい・・奇跡を祈るばかりですが、年間を通じてあこちでの大会記録・事前の選手データを覆す奇跡は滅多に起きないのが現実です。
見ていると大まかな順位は変わらないものの、優勝争いやシード落ち争いなど部分部分での競り合いでは、それぞれドラマがあって、これが箱根駅伝人気継続の源泉になっているのでしょう。
追記
3日には東博に出かけて、出先で食事中にチェックしたら11位で終わったようで、実力以上の踏ん張りだったと関係者の努力奮闘を讃えたい気持ちです。

平成31年元旦(行事の重要性!)

明けましておめでとうございます。
皆々様 輝かしい新年を迎えのことと存じます。
今年もまた元気で1年を送りたいと思っております。
なんやかやと言っても長年の習慣か?元旦になるとなんとなくおめでたく感じる不思議な日です。
ここで何故元旦がおめでたいかの疑問を考えてみました。
元旦といえば、どこの国でも家庭でもそれなりの行事があります。
何故行事があるのか?行事の効能について、気がついたことを書いていきます。
時間とは何か?と言えばよくわからない言葉ですが、時間に区切りをつけるために行事というものがあるのでしょう。
時間には区切りが何故必要か?
時間は連綿と流れて行くものですが、時間に区切りをつけないと、一定期限のある時間軸での達成目標(今では約束日時の設定)や過去一定期間経過の成果を振り返るなどの、短長期スパーンでの考察が難しくなるでしょう。
山登りなどで途中景色の良い小高い場所に来ると、今まで苦労して登ってきた道を振りかえって「あゝこれだけ登ってききたのだ」という達成感を味わいながら、この先の「胸突き八丁をさらに頑張るぞ!」という元気付ける場になります。
カレンダーの元祖は、月の満ち欠けの周期であったのではないか?という妄想を15年前の大晦日に12/31/03「大晦日2(日本書紀・・かがなべて・・・・)」のコラムで書いたことがあります。
金色夜叉で有名な貫一の名セリフ「今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせて見せる」
約束事をするようになっても「次の満月の夜・今度の三日月の夜」とかで間に合う時代が続いたように思えます。
ただし、このように目に見える形を基準にする程度だと最長1ヶ月しか期間がないので、(縄文時代にすでにどんぐりなどの植林が始まっていたことが分かってきましたが、栽培が発達してくると)もっと長い時間軸を考える必要が出てきます。
「3回目の満月の夜、4回目の三日月の夜」」とかのちょっと長い期間が必要になるので、数を数える必要性や能力が身について行ったのでしょう。
古代には、今の半年が1年だったように読んだ記憶がありますが、(臥薪嘗胆の故事を読めば、いくら誇大表現の好きな漢人とは言え、長すぎるのでこれを半分に翻訳すればまあまあです。)
越王勾践は最初に呉王闔閭を下した武将(諸侯)ですからその時すでに壮年のはずですが、負けた闔閭の子供の夫差が復讐のために臥薪してついに父の仇勾践を会稽山で破る→負けた方になった勾践は嘗胆すること20年にして会稽の恥を雪ぐのですが、ちょっと長すぎないかの疑問です。
その100年ほど前ですが 、晋の文公が覇者になる前の故事・重耳と言われていた時に、やはり19年間もの放浪の末に国に帰って晋公になるのですが、若い頃に読んだ記憶では(若者からみれば19年間も!・・・ものすごい長さですから、長過ぎるな!と思ったものですが・・。
ウイキペデイアの引用です

文公(ぶんこう、紀元前696年 – 紀元前628年、在位紀元前636年 – 紀元前628年)は、中国春秋時代の晋の君主。姓は姫、諱は重耳(ちょうじ)、諡は文。晋の公子であったが、国内の内紛をさけて19年間諸国を放浪したのち、帰国して君主となって天下の覇権を握り、斉の桓公と並んで斉桓晋文と称され、春秋五覇の代表格とされる。

時間観念の発達→季節の移ろいに戻します。
果実等の収穫を基準にする時代には実りの秋がくれば、1サイクルが終わったからこれを次の期間単位にする・・月の次に必要な長期単位としたとすればうなづけます。
漢字の稔(みのる)という字は、「ねん」とも「とし」とも訓読みし、作物の稔る期間を表すとも言います。
稔る期間を年(とし)といったのかもしれません。
秋から次の春までは実りがありませんが、この期間を裏年と理解していたのでしょう。
半導体の0と1の繰り替えしがセットになっているような理解です。
今でも庭先の柿などは1年おきに良くなる(翌年は身があまりつかない)ので、今年は「裏年なので・・・」という言い方が残っています。
秋から春までの1年は、裏の年ということになります。
表年と裏年が何故あるかというと、柿やミカンの実がなるには相応の栄養蓄積が必要なので、表年にいっぱい実がなって、前年からの蓄積を吸収してしまうからと言われています。
人間だって毎年赤ちゃんを産むのは母体に負担がかかるので、(私の世代では4歳違いの兄弟が普通でした)早くて2年ごとに産むのが普通です。
農地で言えば冬の間に地力を養う期間だったのでしょう。
ついでに1日の方も2003年の大晦日に「カカなべて」で書いたように夜(夜間は体力回復時間)と昼で別に数えていたことが上記引用した「大晦日2(日本書紀・・かがなべて・・・・)古代の歌でわかります。
「かがなべて、夜には九夜、日には十日を」
月の変化の回数を基準にしていると12回前後で似たような気候がくり返されることが知られてきます。
今でも世界中で12進法が結構残っていることからして、人類が最初に知った基幹数字は12だったと思われます。
お月様が12回周期で気候が概ね一巡する変化を知るとその繰り返しに合わせて、(周知のように月を基準にすると、うるう年がないと徐々にズレてくることが古代から知られていますが、数を数えるようになり始めの頃には、その程度の誤差は問題がなかったでしょう?)草木の成長があり、小鳥その他動物の産卵・出産時期も連動していることがわかる・・農作物のタネまき田植え時期〜収穫時期がくることもわかってきます。
農業社会の歴史の長い人類では、世界共通的に暦の重要性が知られて行ったでしょう。
24節季は太陽暦になってから古代中国中原の気候に合わせて生まれたものでしょうが、これでは日本の気候に合わないので二十四節季のほかに、「土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取り入れたようです。
この機会に余談ですが24節季と雑節の関係表があってわかり良いので、正月早々ですが、お勉強好きの方のために引用・紹介しておきます。
http://www.i-nekko.jp/meguritokoyomi/nijyushisekki/からの引用です。

http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/faq/24sekki.htmlによると雑節は以下の通りです。
二十四節気を補う季節の移り変わりの目安として、雑節(ざっせつ)がある。

二十四節気を補う季節の移り変わりの目安として、雑節(ざっせつ)がある。土用、彼岸は入りの日付けを示す。

名称 太陽黄経 説明
土用 (どよう) 27°, 117°, 207°, 297° 太陰太陽暦では立春、立夏、立秋、立冬の前18日間を指した。最近では夏の土用だけを指すことが多い。
節分 (せつぶん) 季節の分かれめのことで、もとは四季にあった。立春の前日。
彼岸 (ひがん) 春分と秋分の前後の3日ずつの計7日のこと。初日を彼岸の入り、当日を中日(ちゅうにち)、終日を明けと呼ぶ。
八十八夜 (はちじゅうはちや) 立春から数えて88日目をいう。霜が降りることが少なくなる頃。
入梅 (にゅうばい) 80° 太陰太陽暦では芒種の後の壬(みずのえ)の日。つゆの雨が降り始める頃。
半夏生 (はんげしょう) 100° 太陰太陽暦では夏至より10日後とされていた。
二百十日 (にひゃくとおか) 立春から数えて、210日目の日。

各種行事は時間の流れにメリハリをつけて、新しいステージが始まる合図号砲みたいな役割・・ためにあるのでしょう。
我が家でも妻のアイデアで四季折々のいろんな行事を楽しんでいますが、様式美にこだわるのも良いものです。
元日はその年の始まりの日であり・旦とは水平線や地平線に日が昇ること・時間の始まりですから、「元旦はその年の時間の起点」生命が新たに芽吹く起点・・「神聖な時間の始まり」です。
元旦は年間行事の起点・・最も重要な行事として、人類共通行事になっているのでしょう。

大いに祝うべし!

大晦日

今年もいよいよ大晦日・大団円と言えるかどうかは人によって違うでしょうが、ともかく全員にとって今年最後の日になりました。
年の終わりと元旦にかけていつもの俗論を忘れて、「来し方行く末」を思う期間となります。
自身が高齢化したからでしょうか、若い頃には来年は良いことがあるように!とか、がんばる系・・飛躍を願う気持ちが普通でしたが、いつの間にか是日々好日的な関心になってきたようです。
年末にして思うことは「無事1年が終わったか!」という感慨中心になってきました。
幸不幸いろんなこともあったのですが、終わってみるとこの程度で済んで良かった的な自己満足・「まあ無事だったことになるか!と総括したくなる自分に驚いています。
こういうオメデタイタイプはうつ病にはかかりにくいのかもしれません。
今年はどういう年であったのかに思いを致すと、多くの人から「母親または父親がなくなったことによる年始の挨拶を失礼します」というお知らせが目につきました。
私の知り合い・前後10年前後の誤差のある世代では多くの方の父母が・・享年90代半ばを中心にする訃報でした。
ついこの間まで享年80代半ばの訃報が多かったのに比べると、ホンの短期間に約10歳前後も寿命が延びている感じです。
統計上の寿命の伸びは微々たるものですが、80代まで元気に生きている周りの目につく人(この街の町内会会長は87歳前後ですが、しっかりこなしています)の健康寿命の伸び(早くから亡くなった人や入院中の人は目につきませんので)と乳幼児期に難病等でなくなる人の寿命の伸びとは、一致していないからではないでしょうか?
人生の終わりや高齢化したのちの問題等については、すでに後期高齢者になってる自分も年齢的にその入り口に立っているのですが、独居高齢者(誰もがいつかは伴侶に先立たれるので)の生き方や人生の終わり・就活に向けた諸問題を見ると、いまだに「人ごと」のような気持ちで相談に乗り、こうしたら良いのではないかなどの、意見・自分に関係のない遠いことのような意識で考えているのが不思議です。
まだ15年以上も先のことだという無意識の気持ちがあるからでしょうか?
自分が後期高齢者になって見ると、(今でも信号が変わりそうになると走ってみたり、電車が来そうになると階段を駆け足で上がったり)後期高齢者という名称が始まった頃の75歳に比べてずっと元気で日常の生活は何も変わらず、ただ弁護士会(東京3会および神奈川千葉埼玉の共同)健保から後期高齢者だけ入る老人健保に切り替わっただけの違いです。
(歩くのが遅くなり疲れるまでの時間が早くなり回復力が落ちるなど、全ての分野で徐々に衰えているのは明らかですがその程度のことで・・)
長年親しんだ弁護士会保険とのお別れで、自分は元気なつもりで弁護士業にしがみついていても法制度上は容赦なく引退勧告・切り捨てられたような気持ちです。
この保険証を出すと誰もが世捨て人というか「もはや現役ではない人」という瞬時の判定ができる仕組みです。
千葉市美術館では年会費で入っていたのと自分が会員ではない東博や歴博などの特別展では、会員になっている娘が持ってくるおまけの入場券で一緒に行くので気が付きませんでしたが、ある日東博では企画展以外の参観は無料になっていると知って驚きました。
70歳を超えたあたりから世の中では世捨て人扱いになっていた・・されていたのに、ようやく気がついた次第です。
医療面でこの一年で見ると、足首あたりが痒くなったのでつけぐすりをもらいにいった程度です。
そろそろ歯科医に行って歯垢を取ってもらう必要があると思いながらも1日伸ばしで今年は行かないで終わりました。
60歳の還暦で周りの人たちに還暦の祝いを企画していただいた時には、「もう今はそんな時代ではないのでないか?」と内心恥ずかしく思ったものでしたが、その後16年の間に社会意識がすっかり変わってしまい、70歳になった時には、誰も気が付かない時代になっていました。
今では60歳でお祝いをするかどうかを迷う人などいなくなったように思います。
最近でもさすがに87〜8歳を過ぎるとお年寄りの印象になりますので、年金支給開始年齢の繰り下げ論・・お金の問題ばかりかまびすしいですが、年齢に関する意識が急速に変化している現状を踏まえると先ずは後期高齢者の名称を実態に合わせて85歳からにした方が良いように思います。
約1週間前の日経新聞だったかネット上だったか記憶がはっきりしませんが、75〜80歳頃まで元気なうちは働きたい人が多いという意識調査が出ていた記憶ですが、今どき75歳以上は病気ばかりしているイメージの保険制度で高齢者意識を煽るのは古すぎませんか?
ましてや「65歳以上の高齢化率何%」としょっちゅう報道しているメデイアの姿勢を「ばかか?」と思っている人が多いのではないでしょうか?
75歳くらいまでは、原則として(体調の悪い人は別として)社会的義務の負担者に加えるべきでしょうし、元気な人は80歳でも社会貢献すべきですし年齢だけでそのチャンスを奪うべきではありません。
その前提として70歳以上?一定年齢以上の人を公的施設で無料化するのをやめるか、無料化する年齢を引き上げるべきではないでしょうか?
お金の問題を描いているのではなく、社会意識変化の必要性を書いています。
もともと個々人の能力には赤ちゃんの時からばらつきがあるものですが、これが5歳〜10歳〜20歳〜30歳〜50歳〜60歳〜70歳と長年の積み重ねで差が開く一方になるのが一般的考えでしょう。
給与で言えば、働き始めの20台ではほとんど差がなくとも60台になるとゴーンさんのように巨額を稼ぐ人と、日雇い人夫等では若い時よりも日当が下がる人との差が大きく開いていきます。
大卒スタート時に同じ企業に就職できた場合(初任給は同じ)でも、70台になるとその間にどこまで出世したかあるいは途中独立して成功したか失敗したかなどの結果で、億単位の資産保有者差・・まだ大手企業の社外取締役で稼いでいる人と月収15万円前後の年金生活との格差が広がります。
我々弁護士や裁判官でもスタート時・司法修習終了時は横1線に並んでいた筈ですが、最高裁判事になったり、大学教授になったり日弁連で活躍する人と食うや食わずの弁護士・懲戒処分を受ける人まで格差が広がっていきます。
話題が変な方向にずれてしまいましたが、まだ庭掃除などの仕事が残っているのでこの辺で大晦日のコラムを一旦終わりにして、正月のコラム終了後に気が向けばこの続きを書きます。
話題が途中で変わってしまう気まぐれコラムですが、1年間ご愛読ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

国際標準4(マック異物混入2)

中国の毒餃子事件では、無農薬等の先進的役割を果たしていたと信じていた生協のイメージダウンでしたが、結果的に中国製食品は怖いという意識が広まり・・生産地表示義務が徹底されるようになりました。
この結果中国製食品は信用性に応じた低価格でないとスーパーなどで売れなくなり、食品輸入業者のぼろ儲けがなくなり・ひいては中国の食品工場・・毒餃子に関係なかった食品企業までが(「一事が万事・これが中国の衛生基準という」イメージ浸透で)打撃を受けたでしょう。
マックの場合中国工場はどうなったのでしょうか?
http://news.livedoor.com/article/detail/9717976/
中国のグロテスクな異物混入事情 避妊具、金魚の死骸、ウジ虫…

2015年1月27日 7時0分
日本の”食の信頼”が大きく揺らぐ中、ほくそ笑んでいるのが隣人・中国という。
「昨年7月、マクドナルドのほか、牛丼チェーンの吉野家などに、消費期限切れの肉を輸出していた上海市の食品加工会社(上海福喜食品)が摘発されました。
結果、マクドナルドはチキンナゲットの生産国をタイへ変更。だが今回、異物混入のナゲットがタイで生産されていたことから、中国内で非難の声が続出しました」(全国紙記者)
習近平国家主席自身、福建省の省長時代に、
「新しい土地に赴任して、最初にしなければならないのは、ちゃんとしたレストランを見つけること。コメを食べるときは有毒米かどうかを心配し、野菜を食べるときは残留農薬を気にしなければならない」
と、国のトップですら、自国の食が安全ではないと考える恐るべき国なのだ。
北米の中国人向けテレビ局『新唐人電視台』によると、ソーセージの中に死んだウジ虫が入っており、食べた妊婦が、あろうことか流産してしまったという。
また、同社製の別の商品の真空包装を裂き、ソーセージを取り出したところ、十数匹のウジが湧いていた例もあるという。
メーカー側は「真空包装の破損で空気に触れ、さらに、蚊やハエなどの外部汚染源があるときのみ、ウジ虫の発生が可能」とコメントし、自社の責任を否定しているのだ。
中国の食の問題に詳しいノンフィクション作家の奥野修司氏が言う。
「ウジ虫ソーセージの話は有名で、2011年から12年にかけて中国で話題になりました。でも、メーカー側は結局、商品を回収しませんでした。その後、私が中国へ行った際、大手スーパーの店頭に、同社製のソーセージが平然と並んでいたことには驚きましたね」
不衛生極まりない製造現場に問題がある。
中国の中小の食品加工工場では強烈な腐臭が漂い、ハエが飛び交うのが普通の風景。従業員は汚れた床に材料を落としても、平気で拾い入れ、加工する……。
「中国の上海で見た工場の現場も、そういう感じでした。不衛生な工場で加工された商品が、大手メーカーに納められ、日本に入ってくるんです」(前同)
毒入りギョーザ事件”だろう。07年12月から翌1月にかけ、河北省の天洋食品が生産した冷凍ギョーザを食べた千葉、兵庫両県の3 家族、計10人が中毒症状を起こした事件だ。
「食堂でチャーハンを食べようとしたら、干からびたネズミの頭が出てきた事件がありました。具である干しシイタケを作る過程で、ネズミが紛れ込み、そのまま調理してしまったようです。チャーシューとは違うネズミの別の部位らしき肉片もありましたから。調理人がシイタケと勘違いして料理してしまったんでしょう」(前同)
ペプシコーラに腐乱した金魚の死骸が混入した事件もあった。
「ペプシはアメリカのメーカーですが、ボトル詰め(ボトリング)は、中国国内で行います。
その際に混入したんでしょう。
スーパーで買った女性が飲むと、中から金魚が浮いてきたそうです。よく見ると、黒いはずのコーラが赤みを帯び、得体の知れない浮遊物も浮いていたそうです」
(日本の民放テレビ局取材記者)

結局は、後進国で安く上げようとすれば相応のものしかない「安物相応』という諦めが肝要ということでしょう。
毒餃子事件まで比喩的に言えば、国内でもどこそこの桃とかみかんなどの産地別銘柄があっても味の違い程度の際であって、安全面では基礎的水準があると信じていたのですが、以来、素朴な常識が覆りました。
以来、日本人でも人によりますが、まずは国産か否かで選別する人が増えてきたようです。
その波及効果かもしれませんが、国産でも差別化が進むようになり、ひいては農産品の国外輸出の方向性が見えてきたように思われます。
品質差がなければ量産能力が勝負ですが、差別化が進みより美味しいかの基準で売り込むとなれば、量よりは手間暇の掛け方になってくるからです。
国産食品でも銘柄の決まった高品質品と標準品との差別化も進んできました。
千葉そごうで言えば、デパ地下の中でも野菜では「こだわりや」という特別店舗が差別化していますし、事務所近くの旧来の八百屋さんを覗いてみると我が家で長年配送を頼んでいる「大地を作る会」よりも品質的に勝るものを置いていることがわかったので我が家の「大地を作る会」への野菜類の注文はこのところ激減しています。
このように国民の品質選別の目が厳しくできるようになったのは、産地表示義務が厳格化されるようになったインフラ整備が大きな役割を果たしています。
当初はその副作用?産地偽装商品が出回るようになっていたのですが、その摘発が進んできた結果・・10年くらい前の記憶ではこの種法律相談や事件もあったのですが・・この5〜6年では産地偽装事件の相談を滅多に見かけなくなりました。
業者が産地表示を守るようになったからでしょう。
この結果生鮮食品等では、中国製の表示がつくと大幅に単価が違うのが普通の光景になっています。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。