表現の自由市場論6(公的補助要求の矛盾1)

愛知トリエンナーレ展は、そもそも補助金目当てに出品していたものであって、(画家でいえば個展売り上げのように)自由市場競争による資金回収を予定していなかったことになります。
(ネット情報によるだけで実物を見ていませんが)韓国が日本大使館前に慰安婦像を設置しているほか世界中で設置運動していることで日韓関係が緊張している中で、これと同じ少女像を芸術作品と主張して展示しているようですが、これを芸術作品としてお金を出す人がどれだけいるか?
あるいは昭和天皇陛下の写真拡大した物に火をつけて燃やすパフォーマンスが芸術行為?と評価してお金を出すひとがほぼ誰もいないので出品する場所がないし、製作コストが賄えないのではないでしょうか?
昭和天皇の写真を燃やすパフォーマンスがどういう芸術意味があるか不明ですが、(政治意味はあるでしょうが)ともかく、専門家が「芸術とさえ銘打てば何をしても国庫補助すべきか」という素人意見をどう評価するかでしょう。
ゴッホでさえ生前評価は低かったというアッピールが効き目を持つのでしょうか?
逆は真ならずの原理通りで現在低評価であれば、すべて将来高評価という図式はあり得ないので、(将来高値が決まってれば、その含みで今高値がつくのが現在相場です)市場相場を超える将来性は誰も決めようがない(個人的にそう信じる人が自己資金で収集するものであって公的資金投下不可能)ことを15日書きました。
公金支出は民意によるべきもの・民意=特別なエリート意見ではなく平均的価値観ですので、評価時点の自由市場評価によるべきです。
市場評価があるものは補助金なくともペイするはずですから、プロ作家活動に公的補助を要求すること自体自己矛盾になります。
必要なのは、16日に書いた学校教育等の育成資金程度でしょう。
芸大美大等出てから作品で勝負できないのは、あるいはプロの世界に入ってから成績を出せないのは能力がないという市場評価であり、収入不足分を公的補助金でプロ・・野球やテニス選手を続けるべきではありません。
後進国が産業育成用の関税や政府補助制度が許されるのと同じで、成長途上の期間限定であるべきです。
芸術作品かどうかはプロ集団が自律的に審査するから外部者は介入すべきでないというのが学問の自由論同様で、愛知トリエンナーレ「表現の不自由展その後」に対する批判論者もそういう書き方・・外部非難にたじろぐ方が悪いという断固展示を続行すべきだったという批判のようです。
テーマが「表現の不自由展」というので、「表現の不自由」に対する抗議展のようですが、それが猛反発を受けて大騒動になったので、政治目的点とすれば日本が如何に表現が不自由な社会であるかの印象付けには大成功したことになるのでしょうか?
この展覧会(批判的論調も結果的には自主判断優先です)擁護論?では、ゴッホを持ち出して論を進めるのが一般的印象ですが、ゴッホは死後であっても結果的に自由市場で高評価をうけたので有名になっているのであって、市場評価を受けない作品に政府が資金援助する必要があるかその基準がどうあるべきかの論争についてゴッホを持ち出す関連性がありません。
不自由とは何かですが、処罰される不自由ではなく、特定の政治主張作品の公的支援をするのは行政の中立性に反するので受けにくい(特定立場にとっての)不自由を言うのでしょうか?
そうとすればゴッホは政治主張で冷遇されたのではないので、ゴッホを持ち出すのは焦点ズラしになります。
今回の不自由展で強調される「不自由」とは?死後に評価の高まる未来評価・審査ではなく現役プロ審査員間では現在評価が高いが自由市場での評価が得られない「不自由」を言うのでしょうか?
社会の価値観・民意と業界主流価値観があっていない?不自由・・・そういう視点でいえば、親中韓関係言論人が慰安婦騒動以来報道姿勢が偏っているという批判を受けるようになると、「日本に言論の自由がない」と国連人権員会に申し立てて、国連人権委員会委員が対日調査に来て「不自由」を主張する人たち(だけ?)から事情聴取して日本では表現の自由が侵害されている趣旨の意見を記者会見で表明して大騒ぎになったことがありますが、(その頃このコラムでも紹介しました)こうした運動と連動した動きと言うべきでしょうか?
その頃に発表されていなかった論文が見つかりましたので論文冒頭一部だけ紹介しておきます。
題名からすれば、日本人による海外での反日世論形成運動批判論のようです。
引用部分しか読んでいませんが、大学の専門誌に発表されている研究論文ですので、相応の実証研究したのでしょう。
http://harc.tokyo/wp/wp-content/uploads/2019/09/d0363de0bd15fae48728443c6c35f860.pdf
国連の「対日勧告」と反日NGOの関係についての歴史的考察
髙橋 史朗(麗澤大学大学院特任教授・ モラロジー研究所教授)

はじめに  昨年11月21日付産経新聞社説は「『反日宣伝』の撤回を迫れ」と題して、「国連委が反日 宣伝の場」と化している点を問題視し、「政府は嘘を許さぬ発信を改めて心すべきだ」と 訴えた。このように国連の人権理事会や各種の国際条約に基づく諸委員会が「反日宣伝の 場」と化しているのは、日本の左派NGOが「国連NGO」の資格を取得して、「反日宣伝」の 意見書を提出して積極的に委員へのロビー活動を行い、それが委員会の対日審査の最終 見解に反映して、日本政府への厳しい勧告となり、この「国連人権マッチポンプ」方式が 国内に甚大な影響を及ぼす絶大な効果があるからである。
以下略

  2019秋冬 歴史認識問題研究 本文.indd 9

表現の自由市場論5(ゴッホは例外か?2)

ところで生活パターン等民衆生活様式や苦悩等が変わるから芸術の市場評価が変わるのですが、後の評価が優れていると言えるかはまだ不明ではないでしょうか?
歴史評価でわかるように時代が変われば評価も変わる・百年後に評価が上がっても二百年後にはまた下がっていることが多いものです。
歴史評価ほど芸術評価が変わらないのは権力=政治との距離感・民衆の心(本音)は政権交代によっては変わらないからです。
硬直した政治制度の場合、政権交代はダム決壊のように一気に崩壊しますが、社会変化は徐々に進んでいて民衆の心情も生活変化に合わせて徐々に変わっていく状態・政権交代によっては一気に変わりません。
我が国の場合、どの時代でも民衆直結政治・・ボトムアップ社会でしたので政治体制変化によって、過去の文化が無価値になることはない・・(中国の場合王朝崩壊ごとに前王朝の文物を全否定・・破却埋めてしまう習慣・・何も残っていないので、中国王朝の遺物を見たければ日本に来るしかないと言われますが、)新しい時代の芽吹きは政権交代前から起きているので新たなヒダが増えるだけの社会と16日に書いた所以です。
江戸時代には前期安土桃山時代の文化を承継発展させたものですし、江戸時代から明治維新への変化は外来文化が怒涛のように入った点で劇的でしたが、それでも民衆・文化人を含めて洋風文化を江戸時代にかなり取り込んできたので民衆が見事に適応できたのです。
明治初期中期には、江戸文化の深い理解を背景にしていた漱石等の文豪、俳句を生き返らせた正岡子規や歌舞伎の河竹黙阿弥等後世に残る名作の数々、洋式軍隊でさえ、幕藩体制下の武士道精神が基礎的規律として働いていて一糸乱れぬ展開可能な軍隊(超音速・デジタル化等々精密化すればするほど、動物的運動体形成能力が有利に働くでしょう)スポーツで言えばサッカーなど阿吽の呼吸で大量の人員が一糸乱れぬ行動が得意な体質は100年〜2百年でできるものではありません。
産業界も江戸職人の精密加工技術の粋を工業技術に活かすなど文化の連続性が明らかです。
絵画だけでなく意匠系では粋を尊ぶ文化が、今でも国際的な優位性がありますが、将来の我が国文化の発展の礎になるでしょう。
いつも書く例ですが、夏に冬物を着ていたら「きちがい」かと思われますが、冬になれば、真夏に冬物を着ていた人が先見の明があったと言えるかは別問題です。
芸術といっても受け皿社会と無縁ではありえないので、ゴッホとか先駆者といってもホンの少し変化の予兆を早く嗅ぎ取ったので次代に高評価を受けた程度の時間差でしょう。
秋口に早めに季節感を取り入れればおシャレですが、真冬物を着ればダサいだけです。
日本の場合・・時代による精神の病み具合の変化がそんなに大きくありません。
詩歌でいえば、万葉集〜古今〜新古今、連歌〜俳諧〜俳句〜明治以降の新体詩、現代詩などどんどん変わっていきますが、だからと言って万葉の心も俳聖の精神も明治維新当時の漱石の文体や藤村の詩情などが否定されるわけではなく新たな襞が積み上がっていく社会です。
啄木的心情に対する
ただし都会人2〜3世以降が増えてきたので、現在では地方出身者の心情を背景にする啄木的心情に共感を覚える人は減っていくし共感度合いは下がるでしょうが・・。
理解はできるので、否定までする人はいません。
日本ではこの程度の差です。
思想家憲法学者芸術家、革新系文化人が金科玉条的に持ち出す、言論表現自由市場論は、自由競争に委ねるべきと言いながら市場蔑視公的資金を求める(庶民蔑視・エリート意識を前提にしている)体質を抱えている点で矛盾を抱えています。
自由市場で評価されない弱点カバーのために、彼ら主流派にとっては公的補助が必須ですが、「公的資金注入対象審査は業界自主規制審査によるべきで、外部介入を許さない」という主張です。
これが大学の自治、教授会の自治、学問の自由その他自治を求めるグループの基本主張です。
8月14日書いたように市場評価も専門家の審査も現時点での近未来の評価を取り込んでいるものですから、今回の「不自由」展出品作品審査は現在主流派審査員が行う以上(五十〜百年先の芸術家がタイムスリップして審査員になるのではない以上は)、現在価値観による評価になるしかないので、後世高評価される芸術作品としての審査に合格した作品を出品して評価を市場に求めるのは不可能です。
ゴッホを持ち出すのは目くらましでいかないように見えます。
不自由展については、制作費補助金が出る前提で制作したのに補助金が後で出ないと言われると困るという報道がありましたので、製作費さえママならない不自由をかこつ作品展ということになりそうです。
権力による自由市場妨害がない社会では、制作コストさえまかなえれば自由市場参加可能です。
制作費も出ない程度の評価をうけている以上、本来の自由市場論によれば市場退出が原則です
ラーメン屋寿司屋、あるいは製造販売業でもすべてコスト分以上の売り上げがなければ市場退出が原則です。
お歴々が、思想表現の自由市場論を掲げる以上は、プロが採算割れすれば市場退出すべきでしょう。
政治を否定しながら、政治力で延命させようとしているとすれば、邪道そのものです。

表現の自由市場論4(ゴッホは例外か?1)

日本列島の場合いつも書きますがボトムアップ社会で、民衆レベルが高いので特定権力者の保護のあるときだけ文化の花開くのではなく、芸術に理解のある有名権力者が出てもその影響がある程度です。
江戸時代の浮世絵、落語、歌舞伎、浄瑠璃各種(八犬伝や東海道中膝栗毛など読本等々は庶民消費力・・文字通り自由市場によるもので、権力者の保護と関係ないのが明らかですし、古くは万葉集を見ればわかるように貴族や地方支配層に限らず民衆も性別、地位を問わずおおらかに歌を詠み、それがよければその地域で支持・広範に流布し伝承してきたものを国家事業で編纂したものです。
平安時代以降の伊勢物語や源氏物語に始まる王朝時代の女流作家の日記等(平家物語等のの戦記物)の著作物も特定権力者の秘蔵で成立するものではなく、多くの人に口コミで広まり、需要があってこそ多大な努力で(印刷でなく手書きで写すので相違が生じるし全巻揃って残りにくい)書写され広範に流布してその多様な写しが何々本という系列で残ったものです。
ちなみに飛鳥時代にはすでに印刷技術があって貴重な漢籍お経などは印刷された国産自然発生系は書写しかされなかったようです。
彫刻でさえ、民衆がありがたく拝む対象・実用品(円空仏のように)として成立し、秘仏ご開帳のたびに大衆が押しかける対象として生き残ってきた・・火事のたびに仏像や絵画古文書などを命懸けで運び出して残ってきたのは、末端下人に至るまで文化(良いもの)を愛で、あり難く崇拝する気持ちが行き渡っていたからでしょう。
東博の法隆寺館に行くといかにも個人蔵だったらしい小さな仏像が大量に展示されていますが、有名寺院の立派な仏像だけでなく名もない小さな仏像、個々人が大事に念持仏とし愛蔵されてきた歴史が分かります。
愛知トリエンナーレ「不自由」展に戻ります。
他人の金(公金給付補助基準を)で審査する以上は、平均的価値観・・その時代の目(世相・時流に流される)による基準しかあり得ないはずです。
現在低評価・・売れてない作品・制作費の補助がいる作家・市場評価の低い作品から後世に残る優秀作品、論文を各界現役実力者=現在市場高評価を受けている芸術家や思想家の審査委員(お歴々が)が審査するのは自己矛盾です。
彼らが本気で良いと思うなら自己の作品発表等で世に問うべき→一定方向へ業界内基準を変えて行く努力をすべきで、日展/院展であれ芥川賞、登竜門的音楽祭、博士論文その他の審査で入選させ引き立てれば済むはずです。
業界内基準を引きあげる努力をすべきで、それをしないで、いきなり公的機関でクー・デター的展示を強行する必要があるでしょうか?
「入賞→プロ仲間に入るレベルに達していない」と評価した同じ審査委員らが将来高評価を受けるはずという眼力を持って審査委員を務めるのは矛盾でしょう。
「逆は真ならず」で現在低評価=将来性が高いことになりません。
草野球程度の人材を創作に参加させる・・草野球程度レベル未熟者の作品展の機会を与えるのは、その分野の次世代継承者や消費の裾野を広げるためと、アマチュア的市民の自己実現機会を与えるために各サークルごとの展覧会の場を自治体等が設けていますし、各分野ごとの育成や支援制度の必要を否定するものではありません。
これらは市民サービスや教育制度充実の問題であって、ゴッホのように生きているときに高評価されなくとも、後世高評価されることがあるから異次元評価の仕組みを作ろうというのとは方向が若干違っています。
今回の「不自由」展で出品された作品がゴッホのヒマワリのように、後世高評価される芸術作品としての評価でなく、(ネット情報によるだけで実物を見ていませんが)テーマ通り政治色が強すぎることによって政治中立を前提にする公的支援を受けられない「不自由さ」を訴える作品を選んだ意図が出ているようです。
不自由とは何かですが、政治主張するには公的支援を受けにくい不自由を言うのでしょうか?
昨日まで紹介した論者はゴッホの例を比喩的に持ち出し、時勢に合わなくとも・・と言うのすが、これも比喩であって不自由展の強調にゴッホの例を持ち出すのは論点のスリ替えです。
ゴッホが生前より死後の方が高評価になったことを誰も否定しないことと、今回の不自由展とどんな関係があるかの説明がありません。
ゴッホの例を持ち出すことによって、「現在」市場評価はあてにならないと言えても、それは市場評価にも時間差があることが分かる程度で、だからと言って今の専門家が市場評価より優れていることにはなりません。
その時点での専門家の論評が同時点での市場動向に影響力を持っているので、(市場が受け入れる価値観同時性があるからこそ当時の一流批評家で理想作者となっているのです)百年単位以降の評価を予測評価できることの証明にはなりません。
百年単位先の予知能力を開発した立証がない限り現在業界首脳・審査員が英知を絞っても無理ではないでしょうか?
どういう根拠で自分らに限って100年先の価値が分かると言えるのでしょうか?

表現の自由市場論3

思想界では憲法学界を中心にした専門家が大衆同様に「自由市場論に酔い痴れた」まま思想の自由市場とは何かの分析研究を怠って来たように見えます。
むしろ自由市場論=部外者の介入拒否論は、文壇や学会等の支配確立後は、支配グループにとって居心地良いので、自由市場論に寄りかかって閉鎖社会を守ってきたのではないでしょうか?
経済学の場合、現実無視のマルクス経済学が学内主流でもグローバル化の進む実業界は義理で付き合ってると倒産するので学者のご高説を祭り上げて別に進んできましたのでそのまま信じるのは無垢な世間知らずの学生くらい・・いわゆる過激派全学連にその影響力を残すだけで、こういう人を育てるために巨額費用を国民が負担する必要があるのかの議論こそが必要でしょう。
憲法学とその関連思想界では平和憲法という世界に例のない憲法なので「日本は特別」という議論で世界とまともな学問的交流の必要がないので、経済学のようにグローバル化の進む世界との整合性も不要・・破綻しない・・「平和憲法を守れ」というスローガンだけで済むので、今も過激派学生だけでなく一般人左翼系に影響力を持っていますが、これも最後の段階でしょう。
学問の自由と大学の自治の関係では東大ポポロ劇団事件で一定のケリがついたのですが、自治にかこつけた治外法権的主張がいきすぎた・・自治にかこつけて学界外の批判を受け入れないで派閥の独占的立場が強まりすぎると学問も芸術も窒息していくしかないでしょう。
仲間内のかばい合いだけの芸術なんて誰も支持しない時代が来るのではないでしょうか?
今でも、自由市場論=部外者の介入拒否にこだわるのが一般的ですが、一方で本来の市場で売れなくとも構わないと言い張るのが彼らの同時主張です。
上記浜崎氏の引用でも出ているようにゴッホの例を出すのが普通で、言葉の意味での自由市場を否定=公権力の保護=予算要求するのが彼らの主張です。
自由市場で売れない芸術も国家や自体権力の保護・美術館買い上げや、作成費補助金支給の基準はその分野の自治・分野のヘゲモニーを握るグループ支配に委ねろという論法です。
慰安婦像が韓国による政治目的の制作であることが、国際的周知の事実であるにも拘らずその制作費等を日本政府が補助金を出すべしという矛盾を要求したのが今回の愛知トリエンナーレ展主催者の主張でした。
以上は憲法の表現の自由論について法律雑誌に出ているのを余暇に拾い読みする程度の雑な記憶によるものですので、専門家の間では深い研究が進んでいるのかもしれません。
もしもそのような研究が進んでいるならば、憲法や思想会の有名学者が安易に思想の自由市場論を前提にした議論を進めないはずと思うのですが・・。
こういうまともな研究論文があるが、学会で無視されて市場評価に出られない・・干されているだけという場合にはお教えくだされば、ありがたいことですのでよろしくお願いします。
以下に現在の自由市場論が出ていますが、ちょっと読む限り「自由市場論が比喩的に表現されるようになった経緯を紹介しているだけで「だからどうなの?」という私の関心のある現状分析まで進んでいないように読めるのですが・・。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit#

「言論の自由市場」再論 情報管理. 2017, vol. 59, no. 10, p. 699-701, doi: http://doi.org/10.1241/johokanri.59.699 大谷卓史(吉備国際大学アニメーション文化学部)
「言論の自由市場」とは,自由競争市場で,最適な資源配分が行われるという経済学的な仮定を意識した比喩だ」

という見出しですが、まさにそこで主張が止まっている印象です。
上記論文がなくとも元々商品市場の比喩に決まっていますが、比喩であるならば、そのまま準用できる分野と準用してはいけない分野の峻別が必要です。
産業系は原則自由市場で良いのですが、後進国においては、自国産業育成のために関税による保護が必要ですし、先進国でも公共事業は自由市場に委ねられないので税を徴収して警察組織を維持し、橋をかけたり港湾整備、美術館整備などしています。
芸術表現・例えばピカソやゴッホが制作当時売れなくとも後に価値が生じる例もあります。
思想表現も即時に市場評価で優劣を決めて良い分野か?そうでないとすれば将来の価値ある意見や芸術として保護すべきかどうかの判断は誰がすべきかが重要です。
将来に価値のある思想か?芸術品かの判断も市場評価に委ねるのも一方法です。
将来に価値ある思想か?芸術品かの判断も市場評価に委ねるのも一方法です。
事業でいえば将来性を織り込んで現在の評価がある・・株価が決まっていく仕組みです。
すなわち過去には、そういう目利き・・事業や政治分野等で成功した人材が時流に流されずに自己の見識に従って保護したり、パトロンになって過去の色んな優品制作を助けたので、後世に残ってきたのです。
現在高評価されていないが「これは凄い!」と後世に残す権利・・パトロンになれるのは、自己資金を投じることのできる一代の成功者にのみ許されることではないでしょうか?
公金給付補助基準を各界現役トップクラスが審査する以上は、その時代の目(世相、時流に流される)による基準しかあり得ないはずです。

表現の自由市場論(愛知トリエンナーレ展)2

大学でも共産主義思想の本丸というべき経済学でいえば、戦後すぐから、いわゆるマルクス経済学が大学教育界の主流でした。
(第一の原因は戦後占領政策によって右翼系学者が追放されてしまい、左右バランスで成り立っていた各種学界内のバランスが崩れ、左翼系学者がほぼ占領状態になったことが大本の原因です)
一旦学内で左翼駅独占の根をはるとその系列弟子以外の学者候補が出ないので、この再生産になる仕組みです。
戦後5〜60年経過で他大学出身の公募が始まっても、その間に東大等の旧帝大有力大学の系列化が進んでいるので、地方大学出身者が公募で東大助教授になっても、その恩師自体が東大や京大から来た先生の愛弟子だったりするので、3世代ぶりの本家直参に返り咲いた程度の意識になるのではないでしょうか?
この種の関心で私が経済原論講義を聞いた土方成美教授とはどういう系列の学者であったか今まで考えたこともなかったので、念のためウイキペデイアで見ました。
もちろん右も左もわからない時でしたので、何もわからずただぼやーっと講義を聞いていただけですが、効用逓減の法則の講義を不思議に感銘を受けた記憶だけが残っています。
ウイキペデイアによるとなんと戦前東大経済学部長の経歴を持ち、学部内で以下ウイキペデイア記載の通りの抗争事件を起こして喧嘩両成敗的に休職命令を受けて下野したという歴史上かなりの著名事件の主役だったことを初めて知りました。
この事件は南原繁だったか学問の自由、大学の自治のテーマだったかの関連コラムで少し書いた記憶ですが、恩師?土方教授が主役だったとは知らず、いつどこに書いたか忘れました。
ウイキペデイアの記事からです。

土方 成美(ひじかた せいび、明治23年(1890年)7月10日 – 昭和50年(1975年)2月15日)は、日本の経済学者。専攻は理論経済学、財政学
21年6月教授。
「統制経済」の概念を日本で初めて提唱したという[2]。この語は、自由主義経済の欠陥を政府の手で統制するという意味のものであり、「計画経済」とは異なるものであるとする。また、日本経済の実証研究も行なっており、これは当時誰も手をつけていない分野だったという
1933年4月-1936年3月、1937年4月-1938年3月まで経済学部長。1937年の学部長在任時には学部内左派の矢内原忠雄の言動を批判。辞職に追い込むきっかけを作る。この頃の経済学部では土方の国家主義派(革新派)と河合栄治郎らの自由主義派、及び大内兵衛の左派の派閥抗争が激化しており、河合については著書発禁を受けての処分も待たれているところであった。そこで、1938年末に新たな東京帝国大学総長へ就任した平賀譲による、いわゆる平賀粛学のため、「大学の綱紀紊乱」と「東大再建の障害」との理由で1939年2月13日、休職発令される(休職期間満了後、免官)。
東京帝国大学時代の弟子に難波田春夫がいる[6

難波田春夫関するウイキペデイアです。

兵庫県出身。東京帝国大学経済学部卒業と共に母校の助手となる。東京帝国大学の土方成美の愛弟子である[1]。1939年の平賀粛学では同僚と共に辞表を提出するものの撤回して助教授に昇進、1945年には経済学研究所所長となるが公職追放で大学を追われる。
追放解除後の1952年に東洋大学教授。その後、東京都立商科短期大学・早稲田大学・大東文化大学教授を歴任する傍ら内外経済調査室理事長を務め、関東学園大学・酒田短期大学では学長となった。
ヴェルナー・ゾンバルトの社会経済学をいち早く日本に紹介し、共同体に基づく統制経済を主張。その独特の主張には、学界のみならず財界や政界に少なからず支持者を獲得した。『国家と経済』に感銘した読者の一人であった慶応大生の伊藤淳二(元カネボウ会長)が、太平洋戦争(大東亜戦争)出征前に難波田(当時東京帝大助教授)を訪問して教えを請い、以後私淑した[要出典]。
1991年9月1日死去。享年85。
弟子に武井昭、田村正勝(早稲田大学教授)など

以上の通りで学派というか?系統は弟子がいる限り絶えないのです。
現在日経新聞で連載中の元ユネスコ事務局長を務めた松浦晃一郎氏の私の履歴書でも、アメリカでケインズ経済学でさえも時代遅れ扱いで新自由主義論が隆盛になっているの日本に帰ったときかいつの時期の感想か忘れましたが、まだ大学ではマルクス経済学中心なのに驚いたというか落胆したというか?の客観状況描写を書いていました。
以下昨日引用のhttps://the-criterion.jp/mail-magazine/m20190902/

<p style=”padding-left: 40px;”>浜崎洋介】の続きです。

(3)左陣営で「不自由」を強いられた作品に比して、右陣営で「不自由」を強いられてきた作品を積極的に展示していないという点(この点については、呉智英氏が、以下のサイトでまことに適切な批評を書いておられます。https://www.news-postseven.com/archives/20190826_1438197.html

商品でいえば業界審査を通さない新商品の市場投入が許されないという仕組みです。
これが自由市場と言えるのでしょうか?
比喩というのは、誰か気の利いた政治家が注目を浴びるために用いるキャッチフレーズであって、それが一世を風靡した後は、その適用限界を研究して行くのが思想家あるいは実務研究家の役割ではないでしょうか?
例えば「人民の人民による人民のための政治」というゲテイスバーグ演説も同じで、これは大衆を酔い痴れさせるためのレトリックに過ぎず、その具体的適用範囲方法(3権分立が良いか代議制の場合、大統領制か議院内閣制か直接制かなどを決めていくのは分野別専門家の活躍分野なのと同様です。

人種差別反対とか平和を守れ等のスローガンの繰り返しであれば庶民大衆の不満表明と同じで、平和を守るにはどうすべきか、格差是正するには、社会の仕組みをどうすれば良いかの具体策の研究・提言こそが専門家に求められているのです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。