脅威増大と軍事同盟の必要性2

米国の尻込み傾向が顕著になったので、中国としては実力行使してしまえば大丈夫という安心感を持ち、・・傲慢な態度が顕著になって南シナ海を自国領海と言い張って実力での囲い込みを始めた原因のように見えます。
中国の脅威が目前に迫ると少なくとも最大限の応援をしてもらえるようにしておく必要がある・日本も憲法の範囲内で少しは米国に協力する姿勢を示す必要があるとなって、周辺事態限定協力の誠意を示そうとなって今回の安保関連法議論がおきたものです。
圧倒的兵力差があるときには、米国が小指を動かす程度の負担で周辺国を制圧できたので、片務的・睨みを利かせてくれるだけでも良かったのですが、現在中国の侵攻に米国がまともに参戦すると米本国への核攻撃さえ招き兼ねません。
相互核攻撃までエスカレートしなくとも中国が米空母撃沈能力を持つようになると、米軍本格参戦に対するハードルが中国軍能力向上に比例して日々高くなって行くのは当然です。
このハードルを下げるには日頃協力度アップとの比例関係にあるし、高度兵器供給関係構築も重要です。
いわゆる安保法案の議論は、日本の国防をどうすべきかについて国民が一番心配しているのですから、そのことについて近い将来を見据えて、日本はどうあるべきかの与野党の議論こそが必要だった思われます。
「平和を守れ」というお題目を唱えるばかりでは議論になりません。
国会は参考人に国民世論が反対しているかを聞くための場ではありません。
どの程度米国に協力すべきかの議論の場に意見陳述のために出てきた人が、平和を守れとか、反対理由として国民過半数反対とか国民に対する説明が足りないとかヒトのせいにしているのでは議論になりません。
与野党対決していることを前提により良い意見があるかを聞くのが参考人意見陳述です。
野党の反対意見をおうむ返し的に主張するだけでは、与野党双方の気づかなかった着眼点を教えてもらうことになりません。
奥田氏意見は野党論の新たな論拠提示でなく、すでに知られた野党の主張根拠の繰り返しでしかないので、こうなったら採決で結論を決めるしかないでしょう。
安保法案はどうやって国防すべきかの方法論ですが、左翼系野党は方法論段階でまだ自衛権否定を基礎に置いた理念論(中国と仲良くすれば済むことだ)を繰り返すだけです。
民主国家とは言え目的が違う組織集団といくら話し合っても目指す方向が違うのでは、時間をかけて説明しても反対したい目的が変わる訳がないので一定の議論を尽くせば国民の意思→選挙結果→多数決で決めるべきです。
合理的議論を受けつけない野党の姿勢が60年安保以来続いているので、国会審議は内容ではなく何時間の審議時間を確保したか、野党推薦者の意見を聞くという形式基準重視になってしまい、審議終了後は強行採決反対というおきまりの主張と不信任決議連発の時間稼ぎが常態化していました。
ただし国民大多数反対無視という虚勢が通じなくなったこの4〜5年では、不信任決議を出すと、じゃ国民の信を問いましょう→選挙になるのが怖くて?不信任決議を出せない状態が続いています。
奥田氏は

「今、これだけ不安や反対の声が広がり、説明不足が叫ばれる中での採決は・・・」

と言うのですが、国民過半数が本当に反対しているならば、与党に(選挙で負けていいんですか!と温情をかけずに、ズバリ選挙に持ち込めば良いことです。
こういう主張自体が、国民には賛成の方が多いと自白しているようなものでしょう。
「私、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること」という自己紹介から始まった意見陳述ですが、政治家は主権者の意見を聞くべきということと、主権者一人あるいは少数者のいうとおりすべきこととは同じではありません。
主権者の一人だから・というのは、当然すぎて意見がその意見が正当である根拠理由になっていませんので、ここで、自分、自分らは主権者であることの強調は、自分らの意見の具体的理由の合理性の有無を横に置いて、「まず尊重すべき」と印象付けたいように読めます。
もともと反対論の根拠を説明する気持ちがないことを予告するような陳述の始まりです。
結果的に一定の時間論議を尽くしても奥田氏のように過去「70年間の平和の誓い」を守れ式の意見に固執しているグループと、過去70年間とは違った新たな環境でどうするかの対応を決めたいグループとは議論の前提がかみ合っていないママでは議論をするのは不毛です。
奥田氏発言全文という記事を読み返しても安保法案に反対してその代わりどうやって平和を守るかの意見が見当たりません。
せいぜい過去70年間平和の誓いを守れと言う程度です。
ただし7月27日紹介した産経記事では

《対話と協調に基づく平和的な外交・安全保障政策を求めます》《北東アジアの協調的安全保障体制の構築へ向けてイニシアティブを発揮するべき》《中国は政治体制こそ日本と大きく異なるものの、重要な経済的パートナーであり、いたずらに緊張関係を煽るべきではありません》」

産経記事ではどこで発言したのか?(出典を書いてあったはずですが記憶がはっきりしません)不明ですが「中国と仲良くすれば良い」と言うような主張と日本が「いたずらに緊張関係を煽るべきではありません》」という言い方は日本に責任があるという主張です。
日本になぜ責任があるか根拠不明のまま結論が出てくる感じです。

脅威増大と軍事同盟の必要性1

本来日本が経済大国になった頃からは、普通の能力相応(7対3の国力ならば7対3の分担)の相互的な同盟関係になるべきだったでしょう。
このため日米はパートナーシップで・・という表現がその頃から増えてきたようになった記憶でしたが、当時は日本にとって中ソの脅威は実感のない脅威論でした。
むしろ国際的人気のないベトナム戦争の出撃基地(トンキン湾空爆は沖縄からの発着機で実施?補修等の兵站拠点は当然)になっているという面で、日本が貸しを作っている関係が続いていてたので国内の迷惑施設論も一応の実質がありました。
当時は中国の脅威が迫っていなかったし、ソ連の表向きの発表と違い国力レベルの低さが知られていた上に、何と言ってもソ連の正面は欧州であって日本は裏側(いわゆる搦め手)である上に、間に広大なシベリアがあるので、日本にとって危機感が乏しかったことによります。
明治以降のロシアの脅威論は、満州〜朝鮮半島にロシアが触手を伸ばしつつあり、(日清戦争で保護者であった清朝との関係が断ち切られ、李氏朝鮮が独立して大韓民国宣言後、初代皇帝がロシア公館へ逃げ込んだ例を見てもロシアの影響力の浸透ぶりは分かるでしょう)勢力圏にした場合日本にとって直接競り合う関係になるからでした。
戦後は、日露戦争の敗北でせっかく付き上げてきた満州の権益を日本に奪われた遺恨を晴らすために、日本敗戦のどさくさにつけ込んで日ソ不可侵条約を突如破棄するとともに、大挙して満州になだれ込み領土野心を満足させました。
(日本はロシアとの平和条約締結の障害としていつも北方領土返還が解決しないと無理と言いますが、本音はロシアが満州で行った暴虐行為プラスシベリヤ抑留を許せない気持ちが強いのが真の原因です。)
火事場泥棒的に満州地域をせっかく支配下に置いたのに、中国が満州地域を勢力下に置いて国家樹立してしまったので、日本はロシア南下の脅威が軽減されることになりました。
さらに中ソ対立が起きるといよいよ、日本の中ソに対する危機感がいよいよ薄らいだことになります。
しかも中国はロシアの脅威に取って代わるほどの国力がなかったので余計安心仕切っていた状態が続きました。
米国もその安心感で中国を支援してきたものです。
ところが米国の支援を受けた中国が急速に経済力をつけてくると中国は自信を持って米国への挑戦者に名乗りを上げることになったのがこの約10年間と言えます。
今や自国保守に汲々とするどころか周辺に打って出る勢になってきました。
中国が領土野心を持つようになったので、日本にとってはロシアが満州や朝鮮半島支配する場合より危険性が増したことになります。
戦後米国の核の傘の下でぬくぬくと安保ただ乗りしてきた日本が初めて自国防衛の必要性に迫られるようになったのです。
一方で米国にとっては死命を制する決着は核弾頭時代に入っているので、自国防衛のためには、情報収集基地はあった方が良いとしても戦闘力としての前線基地不要の時代に入っています。
むしろ敵基地に近接した前線基地は人的リスクが大きく、マイナスの方が多くなるので、自国兵の駐屯をできるだけ減らして行きたい関係です。
韓国駐留兵をどんどん減らしているのはこの一環ですし、将来的にはグアムの線まで引いてしまう戦略・・日本列島内基地すら維持する必要性がなくなって行くでしょう。
こうなると日本にとり、自国安全を図るために自前の兵力で一定程度まで守る必要性の増大と、応援してくれる同盟が必要な状態となったので、いつまでも安保タダ乗りは許されなくなっています。
普通に考えれば、タダ乗りしている限り米国にリスクが殆どない程度の応援しかしてくれないのでないか・・タダ乗りでなくとも中露相手の時には、米国自身核攻撃受けるリスクあるので、協力できる限度も限られるでしょう。
米国が日本の応援で米国軍自体が尖閣諸島攻防戦に直接出撃した場合、中国が米国からの核の反撃を受けるリスクを覚悟してでも米国を核攻撃すると脅せるか?という心配です。
中国も米国の核反撃が怖いので米国の投入してくる兵器レベルに合わせた反撃で我慢するしかない・・結局は通常兵器・通常戦の優劣で勝負がつくと思われますが、それにしても他国の戦争で瀬戸際状態に米国が引きずり込まれるリスク・・覚悟までしてくれるかは予断を許しません。
何回も紹介していますが、スエズ運河の国有化宣言に頭にきた英仏連合軍がスエズ進駐した時にソ連に大陸間弾道弾をお見舞いすると脅迫されたことがありました。
この時同盟国の米国が「こちらはソ連に核弾頭をお見舞いする」と言い返してくれず、英仏は涙をのんで・大恥掻いて撤退した歴史があります。
米ソのこれまでの介入事例では、米ソがいずれか先に戦力投入現場には米ソいずれも直接軍事投入しない不文律が守られてきました。
直接戦闘に発展するの防ぐ知恵でした。
核弾頭保有の超大国同士では、直接戦闘に参加しないという不文律(核抑止力)があるとした場合、中国の日本攻撃が始まると米国は背後で情報提供、武器供給や作戦指導程度の応援しか出来ないことになるのでしょうか?
最近では、ロシアが数年前にウクライナに侵攻してクリミヤ半島を切り取り、さらにウクライナ本土東部に侵攻作戦を実行し実効支配しても、欧米諸国は経済制裁や停戦斡旋する程度です。
中国が、香港での一国二制度の約束違反があっても外野で騒ぐ程度しかできないのと同じでしょうか?

奥田氏意見2=議論ステージ無視

先週金曜日に「労働事件でこういう証拠が重要か否か」の電話相談があったのですが、議論のステージによって意味が変わるので労働事件の内容によるので一概に言えないことを以下のように例示して説明したばかりです。

「100万円貸したので100万円返せという貸し金訴訟でいうと、被告が借りたことを認めない場合には貸し金の証書が重要であるが、被告が借りたことを認めるが返したとか時効だといういう争いになれば、時効になっているか、返したかどうかが争点になるので、貸金証書の意味がほとんどなくなる。
時効の場合には途中で時効を中断する事実があったか?返したという場合には被告が100万円送金の証拠を出せば、原告はそれは別の貸し金や売掛金の支払いだったという場合には、別の売掛金や貸し金の証拠が必要になるなど、ステージによって必要な主張や証拠が違うので一般論の質問には答えられない」

議論にステージがあって「この方向へ!と決まって次のテーマに移ってから前の議論を蒸し返すのはルール違反ですし誰も相手にしません。
奥田氏の国会意見陳述に戻ります。
国民多くが安保法案に反対しているとか、軍備=戦争になるという自衛権否定論・・70年間の平和を守れという議論は自衛隊/再軍備否定論は村山内閣時代に終わった議論です。
もっとさかのぼれば、朝鮮戦争勃発〜中華人民共和国成立によって、東西両陣営対立の国際環境になってしまった結果、戦争こりごりの日本国民が全世界と仲良くしたかっ点は誰も争わないでしょうが、どっちつかずを許さない国際環境に二択を迫られた以上は、西側陣営・・米国庇護下で進むしかないと決意を決めたものです。
そう決めざるを得ず決めた以上は、西側陣営を裏切り中ソとの軍事同盟などあり得ない・・米ソ軍事対立が激しくなれば日米安保に進む前提になっていたものです。
第一次安保条約〜条約期限到来時ごとの安保条約改定は、予定された軌道内の行為ですので、軍事同盟反対論→戦争に巻き込まれる論=戦争法案論は、新たに蒸し返し議論すべきテーマでなかったはずです。
非武装平和論に基づく60年安保に始まる無茶なデモ騒動は、国民支持を受けなかったのは当然であり、その後昭和40年代〜50年代と主張不明の全共闘時代を経てデモやストライキ騒動をやればやる都度旧社会党支持を減らす方向に働いた結果を見れば、選挙で勝てない憂さ晴らしをメデイア界と組んで社会経験のない未熟な若者を煽って景気づけしていたにすぎません。
自衛隊憲論→憲法違反論や非武装平和論は、上記国際環境下では非現実的すぎて旧社会党が村山内閣時に撤回に追い込まれ、その後社会党の中堅以下の議員が流出参加した人材多数を占める民主党政権においても、普天間〜辺野古基地移転の閣議決定で、日米同盟重視路線の是非は解決済みになっています。
ところで同盟条約が必須となれば、相互協力を含むのが原則=議論ずみと見るべきです。
雇用すると言えば給与支払いが当然の前提ですし、正札のついた商品を注文すればその代金を払う意思表示と見做されます。
工事等でも値切った場合、実は手抜きとか腕の悪い職人が担当することになるのと同じで、物事は等価交換が原則で相応の対価関係で成り立っています。
建築工事等で注文主が文句ばかり言ってると余計ミスが起きやすくなるのは、待遇が悪いと能力が発揮できなくなるということでしょうか?
こういう機微を多くの人が理解しているので、植木屋さんなどがくるとお茶の時間を設けて丁寧にもてなすし、バーその他どこへ行っても客の方が愛想を使い気持ちよく接する習慣になっているのでしょう。
日米安保の場合、敗戦国と戦勝国の関係から始まっているので、初期には日本に相互的義務を果たす力もなかったし米国も必要としなかったので、片務的同盟で始まっていますが、こういう関係は一時緊急避難的関係を前提にしています。
天災等で一時避難してきた当座は炊き出ししたり無償で宿泊させても、永久にただで良いというルールではありませんし、戦争経験者でいえば、空襲を逃れるために疎開していて戦争が終わって、東京に帰った時には、相応のお礼をするのが普通です。
米国が世界的に並ぶものなき圧倒的兵力の時代には、(お金持ちと貧乏人あるいは雇い主と従者が食事すれば雇い主や金持ちが奢るに決まってます)相互関係といって黙約わずの日本に応援してもらう必要がなかったでしょうが、米国の圧倒的覇権に陰りが見え始め、一方で日本の国力が向上した以上は、五分五分負担とは言わないまでも能力相応の下支えに協力して欲しくなるのは当然です。
災害避難者がいつまでも無償で住み続けると「そろそろ出て行ってくれませんか!となるのが普通ですが、日本がいつまでも知らんプりしていて、しかも迷惑論でなにかと邪魔扱いされているとなれば米国が、いざとなるとどこまでやってくれるか心配になるのが普通の神経です。

なんでも反対運動の行き詰まり

平和憲法を守れ→安保反対論が国民受けしなくなると、メデイア系文化人や大手メデイアは日本の経済成長政策の一々に反対や批判意見が格好良いとする風潮を煽るようになったようです。
なんでも反対運動が激しかったおかげで、日本は期せずして公害処理技術、省エネ技術等の先端技術開発の工夫動機を得たので良い方向に作用してきました。
しかし彼らが本来求めたのは基地、民間空港や高速道路、工場立地→生産力増強阻止自体が目的だったようなので高度成長が止まり歪みが解消されてくると、なんでも反対の弊害の方が目立ってきました。
高度成長が始まると、急激な工業化・都市化に伴う歪みがあったのも確かなので、地域共同体の崩壊や格差を含め程度高度成長の歪みに対する関心があったのでその修正必要性→反対にも意味がありました。
格差是正や公害防止技術、省エネ等の対策が進んできた後の昭和40年代以降の反対運動・・成田空港反対.高速道路反対や八ッ場ダムその他ダム工事反対運動、長和川井堰反対運動になってくると、反対の合理的理由がなくなったようです。
私が当時同僚先輩弁護士からオルグを受けた経験の限りでは、飛行機は軍事基地にするための準備だから反対とか、飛行機や高速道路は庶民が利用しない・庶民の犠牲によるお金持ちのための設備だという程度の説明ばかりでした。
その空港やダムが国家にとって有用かどうかの議論による反対ではなく、地元民が反対しているという反対運動が中心だったので地元の反対運動機運を盛り上げ組織化するのが当時の第一目標だったように見えます。
以前紹介したことがありますが、当時モータリゼーションが一般化し始めていて成田空港行きの高速道路開通に合わせて館山道との分岐点・・千葉市の大宮団地近くにインターチェンジ?ジャンクションを設けるのに対して、交通騒音や事故多発心配を理由に地元自治会を巻き込んだ工事反対運動展開中でその説明として聴いた話です。
その後の展開を見ると高速道路利用の大半がトラック系であり、飛行機利用者も底辺労働者利用が急増しました。
お盆休み頃限定の経験ですが、北海道旅行で家族で飛行機に乗ったところ、旅行客は私たち家族のみでその他はほぼ出稼ぎ労働者の帰省客らしい人たちでした。
労働者にとっては鈍行列車で2日間(往復4日)以上?かけて帰省するより、その分余計働いて日当をもらって飛行機で半日で帰省できる方が疲れないし、コストパフォーマンスが良かったのです。
結果的に団地からかなり離れた箇所にインターチェンジができたようですが、その団地は高速道路へのアクセス不便が発展のネックになって、今や超高齢団地なって衰退の一途です。
昭和50年代に入ると益々反対理由が庶民実感と噛み合わなくなってきて、なんでも反対の社会党というイメージになり、国民支持を期待する社会党の政治家の多くは新党結成に流出してしまい、社会党は解党したのかな?本部会館など資産を社民党が受け継いで現在に至っているようです。
結果的に0、何%への支持率低下をものともせず・・国民支持をそれほど重視しない?「反対政党」で今も頑張ってます。
ダムに限らずどのような政策でも被害を受ける分野がありますが、それは適正補償分野の問題です。
学校や公園拡張で立退く人もいるし道路拡張も皆同じです。
公共工事で被害を受ける人がいるのは当然の前提ですので、被害者がいるというだけでは、原則として政策を決める要素ではありません。
人口密集地買収の場合、補償額が巨額になりすぎて費用対効果でペイしないではないか?というのであればまともな議論です。
東京オリンピック時の高速道路敷設では短期間完成の必要から、買収時間の不要な道路上や河川上空優先だったことが、今になって日本橋上空の景観問題となり、高速道路地下化が必要になっている原因です。
費用対効果はあらゆる政策決定における議論の対象ですが、それを経てA地に立地すると決まった後の議論では被害者には原則として適正な被害補償をすればいいことで、被害者が納得していないということは議論の対象ではありません。
その補償額が低すぎるという場合には、その基準を決める会議で安すぎるなどの意見をいうべきで、鉄道やダム等の設置場所反対意見とはなりません。
補償を含めた巨額費用に見合う将来性があるか等の議論は重要ですが、そのステージの議論が終わったのちに地元反対を蒸し返すのは、国会で議論が尽きたのちの採決妨害のために不信任案連発と似たルール違反戦法というべきです。
民主主義・自由な言論の効用は目的共有者間でこそ成立するものです。
このため政治資金規正法では外国政府等からの寄付受け入を禁止しています。
民族の生産力アップ・生活水準向上を目指す各プロジェクトは議論段階と立地選択期間、用地買収や工事期間などなど完成開業までにほぼ10年単位の期間がかかり、実際役に立つには開業後数十年以上の利用が必要な長期の企画です。
議論の有用性は日本民族を守りたい点で一致していてその方法論が違うだけなら議論すれば相互理解が進みますが、日本の生活水準を落として行き政権の信頼を失墜させたい・生活困窮者が増えれば野党への支持が増えるので成長戦略にはなんでも妨害したい政党、中ソとの競争(軍備であれ生活水準であれ)に負けてほしい政党とではまともな前向き議論が進みません。
議論のテーマには段階・ステージがあって、ある論点の議論が終わって次のテーマに移ってから終わった議論を蒸し返すのはルール違反になります。

国防と同盟1

民主党政権時代から顕在化してきた中国の軍事威嚇行為が年々大きく露骨になってくると、日本の防衛がどうなるかが国民関心事になってきました。
対中防衛では沖縄諸島が最前線ですので、沖縄県内基地の戦略的重要性が増したきたことから、親中派にとっては忠誠心発露のための点数としても天王山的位置付けされている可能性があります。
各過激派穏健派を含めて「派閥抗争を棚上げして沖縄基地反対運動をそれぞれの立場で努力すべし」という指令・檄が飛んでいるのでしょうか?
集団自衛権に踏み出すのがいけないと言いますが、防衛は一国で完備するのは超大国以外無理・ほぼ不可能であるから古来から軍事同盟が発達しているのです。
日本の場合粗暴な中露の軍事大国が隣接している関係で、同盟関係がないまま自国の安全を保てません。
隣国と仲良くすれば良いという理想論だけでは仲良くてもスキさえあれば領土をかすめ取ろうとする隣国が存在する限りこちらの希望通りとはいきません。
親中系民主党政権時に日米関係にすき間風が吹き始めるとこれを好機とばかりに中国による尖閣諸島侵犯行為が開始されて、漁船を称する船が大量動員され警戒にあたっていた海上保安庁巡視艇に対するに体当たり事件が発生したことを見ても明らかです。
親しくすれば良い国ではないのです。
これがエスカレートして今や漁船偽装をやめて?中国公船と称する何千トン級の機関砲を装備した巨船(ほとんど軍艦です)が日本領海内を公然と遊弋するようになって、日本漁船を追い回す事態になっています。
ここにまで事態が切迫して来るといつ海上保安庁巡視船に(漁船ではなく)中国公船が体当たりして来るか知れない・保安庁巡視船が沈没したりすれば大変な事態です。
この保護のために海上自衛隊の出動となれば、中国にとって予定の体当たりでしょうから、それで引っ込むはずがない・・ほとんど開戦・ドンパチを前提にした行為になります。
かといって、「危険だから日本は自制しろ!」となると、戦わずして尖閣諸島を中国に引き渡す結果になります。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/

独自-中国-漁船群の尖閣領海侵入を予告-日本に止める資格ない/ar-BB17t7cn

日本に拿捕する権利がないとの主張ですので、中国公船が保安庁による漁船拿捕を黙認するはずがない・・一触即発の状態になってきました。
これを防ぐには、米国艦船と共同で尖閣海域に自衛艦を乗り入れ共同駐留するしかないでしょう。
ルール無視で強盗を厭わない国が近隣にあると一定の自衛力を持ち、いざとなれば応援してくれる信頼できる同盟国の存在が欠かせません。
米国も日頃から日本国民から邪魔扱いされて何かある都度目の敵のような扱いを受けていれば気持ちが良い訳がないので、イザとなれば日本を本気で守ってくれないのでないかの不安が国民多くに共有されるようになります。
国民世論の方向性が変わっていたので、実はだいぶ前から日本政府は思いやり予算と称して基地経費負担増額するなど前向き改善を進めてきましたが、これを明白にして米国の利害を一部(周辺地域限定)日本も共有しましょうという象徴が集団自衛権構想、一連の安保法案の基礎にあるというべきでしょう。
国民意思がどこにあるかは私にも断定する資格がありませんが、 これまでの選挙結果を見ればおのずと明らかでしょう。
いつまでも非武装平和論を唱え自衛隊違憲論では選挙で負けるので本音とは違うが戦略上?社会党は自衛隊合憲に切り替え、民主党はヤムなく日米安保の重要性を認めて米軍基地の辺野古移設の閣議決定をしましたが、それぞれ本音ではなお米軍基地=迷惑施設という図式を主張したいのを我慢してきたところでしょうか。
米軍基地にいてほしいという方向性が明確になると、米軍基地を目の敵にしてきた元の社共系政治家や支持層にとっては今まで迷惑施設宣伝してきた立場の真っ向否定ですから、社共とか過激派セクト間の個別の恩讐を超えた基地移設反対共闘の機運が成立し、この機会に大同団結したいという触媒機能として本音をストレートに発散してくれる別働隊の出番になったのでしょう。
党派が分かれていても革新系政治運動家にとっては、共通危機感を共産党が利用して沖縄での事実上の共闘を成功させている図式でしょうか?
(7月28日に共産党の主張で紹介しました)
この精神基盤の崩壊・変化こそ最後の砦として許せないという人らの沖縄基地妨害運動・・日本国民の利害と真っ向から反する立場の人たち・・元を辿ればサンフランシスコ講和条約締結時点で、東西どちらの陣営に属すべきかの争点決着がついたのちも、いつまでも東側陣営に協力すべきで西側陣営強化に反対すべきという主張にこだわる人たちの悪あ掻きの最終章という位置付でしょうか?
民主国家に限らずどんな組織でも、組織としての向かうべき方向性(例えば工場進出先の立地であれM&A対象企業であれ)に相手先候補がABCDの意見相違があってもAで行くと結論が決まれば、BCD案を推進していた負けたグループもその結論による業務遂行→その成功に協力すべきが組織の基本原理です。
サンフランシスコ講和会議に反対した勢力は、潔く結論に従おうとせずに、その必然的進行である日米安保条に必死の抵抗をした結果、(安保反対騒動を美化するのが大手メデイアや大手メデイアに出られる文化人の傾向ですが、実際に国民が支持していなかったようです)社共系支持勢力の退潮が始まり、次の70年安保では反対デモさえ、まともに動員できなかった記憶です。

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