地域エゴそのものの場合、全国あるいは全県的支持の欲しい政党は手を出せませんが、国会で(反対の為の)反対をしても相手にされなかった国策実現を少しの時間でも停滞させたい政党の場合喜んで応援します。
地域エゴの応援依頼に答えるのは、全国的支持の希望を捨ててしまった抵抗政党にとって、最後の拠点になります。
国会で決まった政策の実行段階・政策の多くは(最先端の宇宙物理の実験装置でもロケット発射でも)現場工事が必須ですが現場には「国という抽象的な地域」がないので高速道路であれ空港であれ、研究所建屋建築工事であれどこかの地方自治体での工事が必須となります。
リニアーモーターカーで言えば、長大な沿線自治体の一つでも工事許可しなければ工事がストップ・・原発の場合、全国に発電所がちらばっている上に原発所在地・影響を受ける原告適格の範囲は最近広範囲(隣県住民も被害リスクあるとして原告適格が認められる)ですので、その地域内のひとつ二つの市町村や県を握るのは容易です。
人口数百〜千人の市町村でもどこかで反対運動が起き、あるいは地域エゴを煽れば国策実現妨害ができます。
「オスプレイ配備して墜落事故を起こしたらどうするんだ!」イージスアショアでいえば迎撃ミサイル発射基地になると、「発射後に発車直後に切り離すブースター?が人家に落ちたらどうるんだ!」と言う反対論で地元が反対していました。
こいう事を言い出したら軍事基地自体が成り立ちません。
集団自衛権反対論も同じで、古くから米軍基地があると米ソ戦争に巻き込まれるという反対論の現在版です。
地域や現地職場で拒否権を発動させれば結果的に国策遂行や産業革新政策等全て停滞させられるとなれば、苦労して全国的支持獲得する必要がなくなります。
地域エゴを主張するしかない地域(地元見返り大幅増を求める功利的な地元を含め)では、結局「大義などどうでもいい?」確かな野党・大義に関係なく?反対してくれそうなことで定評のある政党に頼るようになります。
反対論に取り憑かれた地元民としては、自己主張に冷静なチェックをせず正義の物差し抜きで率先して「絶対反対」で座り込みなどの実力行使もしてくれるし、そう言う運動に慣れている頑固な抵抗政党に頼るしかないので、抵抗政党がその地域で俄然支持を伸ばします。
国政レベルでは政党要件ギリギリの少数政党に落ち込んでも、特定地元に不都合なことについて反対運動を盛り上げれば、応援するのがその政党だけであれば、その期間だけはその地元で圧倒的支持を受けられる構図が生まれました。
社会党が天下を狙うのを諦めて党内純粋理論闘争に走ると一般支持がいよいよ減少する・・結果的に抵抗勢力として生き残るのに連れて、国策反対運動には理由を問わず?協力する・・座り込み等の実力行使に慣れてくる・・傭兵的役割を果たす専門集団としての信用が定着していったのでしょうか?
ただし、成田空港反対運動では、社会党は当時まだ2大政党でまだ天下取りの夢があったのでいわゆる抵抗政党を標榜していたわけではありません。
成田闘争では、社会党元委員長など錚々たるメンバーが個人として名を連ねましたが、自分が先頭になって「闘争」することまではしていませんでした。
この時闘争主力になったのは、当時学園紛争が収束し、プロ集団化していて行き場を失った状態のいわゆる三派十流といわれた過激派全学連(残党?)でした。
以来社会党はいわゆる長期低落傾向を続ける中で戦闘的現場集団を正面に立てて激しく争うのに慣れてきたのか、現在の沖縄基地闘争では、社会党後継政党である社民党が現地闘争系グループと関係があるかのような報道があります。
地元反対運動応援の草分け?となった成田空港開設時の反対運動を見ておきます。
成田空港開設場所決定について直接国会で議論する法律は存在しないでしょうが、新東京国際空港公団法が国会でできてその設置区域は政令で定めるというのが普通ですから、法に根拠を有するものというべきでしょう。
法に根拠を有する・国会の委任で決まったものとすれば、国会で決まっている国策実現に対し、現場で反対するのは国会の議論で決着したことの蒸し返し行動です。
これをやる政党は、言論の自由→言論を尽くした後は実現に協力する仕組み・民主主義制度の否定団体というべきでしょう。
社会党は、党として公然反対しなかったのは、まだ国政に意欲があった時期でしたのでこういう批判が怖かったからでしょう。
千葉県では、地元県知事や地元政界は農民への十分な補償その他配慮があれば協力する(飛行機時代到来に合わせるインフラ整備の必要性を承認し協力する)立場でした。
対する社会党は共産圏諸国を含めた全面講和以外の片面講和反対→朝鮮戦争直後の世界情勢から見て全面講和など実現不能な状況下での主張は、結果的に日本の独立反対論は、結果的にソ連圏へ忠勤主張でした。
天地開闢以来の初の異民族支配を受けた日本民族にとっては米国占領政治から独立は民族あげての悲願でしたが、この慶事にいちゃもんつけて独立に反対する無責任な神経・・その極論に国民の多くが驚いていたでしょうが、安保騒動は西側陣営参加反対の主張でしたので日本の独立反対論の延長上(一貫性にこだわるのが教条主義の特徴)の主張でした。