専門家の責任3(元農水次官事件と戸塚ヨットスクール事件)

従来あった保護義務者同意制度も平成25年に廃止されましたが、99、99%の人は、真に困った家族の相談であって違法目的で最愛の息子(発達障害の場合女性は暴力を振るわないので家族の許容量次第でなんとかなるようですが)を入院させたい人はいないでしょうが、それにしても手に負えなくなっている息子の粗暴行為の原因が素人にはわからないので専門家に相談したいという動機であって、治療でない暴力によって制圧してほしいとまで思っている親は稀でしょう。
昨年農水省元次官が社会に迷惑をかけられないと息子を自ら手にかけた事件が報道されていました。
元農水事務次官長男殺害事件に関するウイキペデイアです。

2019年5月25日、それまで一人暮らしをしていた長男Eが自宅に戻り、父親Kと母親と長男Eでの3人の生活が始まる。(父親Kの供述によると)その直後から長男Eによる激しい家庭内暴力が有り、父親Kと母親はおびえて暮らすようになっていたという[5]。
長男Eは外出せずオンラインゲーム等をして引きこもり状態の生活をしていたが、2019年6月1日、近所の小学校の運動会の声がうるさいと腹を立て父親Kと口論になったという[6]。この数日前の2019年5月28日に、川崎市登戸通り魔事件が起きており、父親Kは(逮捕時の供述によると)「息子も周りに危害を加えるかもしれないと」不安に思い、刃物で長男Eを殺害した[7]。長男Eは数十箇所を刺されており、初公判でも「強固な殺意に基づく危険な犯行」とされた。

これにそっくりな発達障害の子を抱えた経緯の事件が約23年前の金属バット事件でした。

https://toyokeizai.net/articles/-/320929?page=2

引用省略しますが、親が精神科医に相談しても子供のために尽くしてやれと言うばかりだったようです。・・障害児を持った親の不幸ここに極わまれりという感じです。
入院を求めている家族や介護関係者による・・子供を思わない親はいないとしても「この人は如何に手に負えないか!」の過去に起きた事例説明は利害対立可能性のある人の主張も含まれる点が難しい・・悪意で利用され、これと倫理観欠如病院がマッチするととんでもない人権侵害になったのが宇都宮病院事件でした。
そんな悪質病院は万に一つしかないとしても、学問上精神障害になる原因が明確でなく、症状による判断しかない→症状も熱が出るとか咳が出るなどの客観性がない・・周辺の説明に頼るしかない・診断基準客観化が進まない以上は、事後的な外部透明性が必須と言うのが教訓だったのでしょう。
まして宇都宮病院事件のように、入院させたのが兄弟の場合(遺産分けなど利害がある場合もあり)はなおさらです。
シンナーや覚せい剤中毒の場合には血液検査などの客観性がありますが、発達障害や精神障害等の場合、身体的外形的データがほぼ皆無と言えます。
宇都宮病院事件とほぼ同時期に起きた事件では戸塚ヨットスクール事件がありました。
これなども、家族の手に負えない子供をスパルタ式教育・暴力的制圧を標榜する組織の事実上の監禁状態に置くもの・・本人が同意するはずのない剥き出しの酷い暴力宿舎的事件でしたが、これもまさか違法監禁しますと公称していたはずがない・・本人同意による形式になっていたはずです。
戸塚ヨットスクール事件に関するウイキペデイアの記事です。

戸塚ヨットスクール事件(とつかヨットスクールじけん)は、1983年までに愛知県知多郡美浜町のヨットスクール「戸塚ヨットスクール」内で発生、発覚して社会問題に発展した一連の事件。
当初は「戸塚宏ジュニアヨットスクール」の名称で、ヨットの技術を教える教室だった。その後非行や情緒障害等に戸塚の指導は効果があるとマスコミで報じられたことで、親元からスクールに預けられる生徒が増加し、指導内容をヨットの技術養成から非行や情緒障害の更生へと切り替えた。当初は教育界のカリスマとしてマスコミは好意的に取り上げていたが、後に事件が発覚した。
2名の死亡事件が発生した直後に、同事件を題材とした「スパルタの海」がノンフィクション小説として中日新聞に掲載され、映画版(伊東四朗主演)も制作された。

親や周囲に暴力を振るう息子に困り切った両親や親族がいて、こういう事件が起きたのでしょう。
昨日(6月4日)のニュースでは、23歳の男がボーガンとかいう弓で家族(祖母と母、弟)を殺傷し、叔母をも射殺そうとしたところ叔母が近所に助けを求めたことで110番通報で、発覚したニュースが出ています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200604/k10012457531000.html

ボーガンで撃たれ3人死亡 逮捕の大学生「家族殺すつもり」
2020年6月4日 22時59分
(事件内容引用省略)

過去のボーガン事件
ボーガンを使った事件は過去にも起こっています。

去年5月、北海道日高町で、50代の父親をボーガンの矢を放って殺害しようとしたとして当時29歳の男が殺人未遂の疑いで逮捕されています。

以上のように家庭内暴力が行き着いた先の事件がしょっちゅう起きてるので、戸塚ヨットスクールのような需要があったし現在もあることは確かでしょう。
家庭内解決不能な場合、武士社会のように親に生殺与奪の権がなくなったのに、それに代わる公的解決ルールが整備されていない隘路があるようです。
家庭内暴力のうちで、夫婦間のDVには早くから警察が関与するようになってきてその後親による乳幼児や児童虐待にも公的な目が入るようになりつつありますが、子供の祖父母に対するDVへの関与が進まないのは、親の方が強い・親による子供虐待防止方向ばかりの前提で、成人した子供の場合、剥き出しの暴力関係では逆転していることに社会が関心を持たなかったというか、社会変化に法制度が遅れているので親の苦悩がいや増しているのかもしれません。

隔離と人格崩壊?

中国の場合、感染の有無を問わず一定地域内住民を包括的に隔離しました。
まだウイルス感染していない人まで逃げられなくなるものの、誰が感染者か特定するのに1ヶ月もかかっているとその間に症状が出ていないが感染した人(自覚症状なし)が域外に逃げて域外に感染を広げてしまうリスクの方が大きいとの理由で十把一絡げで武漢市とその周辺地域に閉じ込めたものですが、閉じ込められたものはどんどん感染するのを放置するしかない・・被害が伴いますが、中国はこれを決断したものです。
こんな大規模な強行策を取れたのは民主主義国家でない強みでもあったでしょう。
人質事件での救出作業と銃撃戦開始問題でも同じですし、大型ビル火災の場合隔壁による煙遮断(逃げ遅れた人がいるかいないか煙モウモウのビル内を捜索している暇がないのも同じでしょう。
日本政府は横浜港に寄港した豪華クルーズ船ダイヤモンドプリンセスの防疫対策で乗客を船内にとどめて感染有無の検査を先行し検査しない乗客乗務員の上陸を認めなかった上で、その検査終了時までは船内を自由に行動せずに自室にとどまるよう要請したのは、民主主義国家におけるできる限度の処置であり武漢のやり方の縮小版・・このセオリーによるもので合理的だったと思われます。
これに対して検査進行中にも感染拡大が続いたことに対するメデイアを通じた批判が主流でしたが、多数感染者が現実に船内にいるのに検査もしないで国内上陸を認めて野放しにする方が、政府として無責任な方法だったというべきでしょう。
どこかで書いた記憶ですが、日本では感染認定しない限り強制力のない「要請」が基本ですので入国を認めてしまうと、2週間待機してくださいとお願いしても外国人の場合2週間待機要請に応じてくれないと野放しになってしまうリスクがありました。
日本人でも沖縄の人が外国から帰国時に待機要請を拒否して自分で自宅に帰ってしまったことが大々的に報道されていましたが、メデイアが非難するだけで終わりました。
埼玉で自粛要請を振り切って、格闘技の大会を強行して大騒ぎになり、最近では緊急事態宣言解除を待ちきれないパチンコ店の強行開店がありました。
外航船であったことからコロナ検査の結果、陽性確認者は入国手続きと同時に横浜の指定病院への強制隔離にベルトコンベアー式に移送し、陽性が出ない人も潜伏期間を経過して再度陰性が確認できるまで入国手続きに応じない技法は苦肉の策とはいえ、上策だったと思います。
自国籍の船から客が上陸するのとは意味が違います。
外航船の場合国際法上旗国主義ですので、この場合は英国籍=英国主権下にあり、英国が船内秩序維持・生命財産保護の責任を負うべきものでしたが、それを日本が頼まれて一種の遭難救助するような関係でした。
野党の国会での政府批判も同じですが、メデイアも政府批判する場合最悪後講釈でも代替策を同時提示すべきです。
精神障害認定に戻ります。
正式な強制入院は措置入院か、医療観察法によるものしかないのですが、重装備の手続きが必要では実務が間に合わないので、精神保健福祉法による入院患者の大多数は20条の本人または(平成25年に保護者同意制度が廃止されるまでは保護者同意)による医療保護入院です。
法律上同意を原則とする制度を取っていますが、医療目的とは言え現在も隔離=監禁中心の医療では、およそこれを好む生き物はいないし、まして人間はなおさらですから、現実には多くの場合本人が嫌々ながら仕方なしの同意によっていることが多いものです。
元は暴れる患者制圧要員が必須施設だったのが、無気力化する薬品発明によりその要員不要になったことが儲かる商売?になったことが宇都宮病院事件の社会的背景だったような解説がありましたので同記事を一部再引用すると以下の通りです。

 「・・クロルプロマジンなどの処方箋医薬品で、患者の興奮状態を抑制することができるようになると、少ない病院職員で多数の患者の管理が可能となり・・・」

要するにブタ小屋やブロイラー施設のように、うなぎの寝床みたいに大量収容しておとなしくさせる薬中心で、身体機能が衰えている病人とは違うのに終日ベッドに事実上拘束する・管理中心隔離システムです。
多くの人が見るチャンスのある病院や老人ホームがを例にすれば、大部屋の場合プライバシーがないばかりか、まだ元気で体はピンピンしている人でも施設入院中することがないので事実上ベッドで横になっている時間が増えるのが普通です。
牢獄の場合、夜間は房に戻りますが、昼間は敷地内の工場での刑務作業従事が原則ですし、作業も労働基準法の基準以下に出来ないはずですので、みんなで一緒の休憩時間もあれば、運動場での運動もあります。
ヘクタール単位の広大な刑務所敷地内で仕事その他の変化があっても年単位で過ごすのは辛いものです。
精神病の隔離棟の場合、仮に個室でも一日中どころか無期限にその病棟・・多くは各階ごとに施錠されているところで、歩くのは部屋から出て医療従事者の詰所付近のちょっとした空間でくつろぐ?程度でいつ出られるとも期限不明の収容が待っているのです。
これでは牢獄以上の過酷環境でしょう。
これが精神安定剤?みたいな薬でぼーっとさせられて室内にベッドしかなければ(小さな椅子があっても?)大多数が終日うつらうつらの状態になります。
最近では老人ホーム等では病棟内に談話室みたいな公共?空間を設けていますが、入居者にとってはもホール空間にわざわざ出かけてもすることもないので、何か催し物をしないと滅多にホールに出て行かないようです。
個人経験ですが、リゾートホテルに滞在していて散歩に出る予定がない日に退屈しのぎにホテルロビーに行って土産物を見たり新聞を読んだりして時間つぶしをすることがありますが、せいぜい数十分滞在するのがやっとで部屋に引き上げます。
自宅の場合、庭に出て掃除したり台所で何かしたりすることはいくらでもありますが、
ホテルでは、自分でお茶を入れる程度しかすることがありません。
広々したリゾートホテルでもそんな具合ですから、今回の新型コロナ騒ぎで潜伏期間とされる2週間をめどにクルーズ船に閉じ込められたストレスが報道されていますが、精神病と宣告されて豪華客船と程遠い殺伐な?病棟に期間不明の拘束を受ける辛さは想像を絶する苦痛でしょう。
30年ほど前に息子のシンナー中毒で困っている人がいて、中毒がひどくて倒れた(肝臓障害かな?)か何かで緊急入院はできるが、少し治ると出てきてまたシンナーに溺れる・・その後再入院はきついらしく息子が嫌がって行きたがらないし、やっと入院させても一定期間しか入院させておけないらしくすぐ出てくるので、入退院の繰り返しでどうにもならないという相談?現状説明があったことがあります。

ソーシャルデイスタンスと新常態適応(中国が勝者か?)

現在新型コロナ対応策として世界の潮流であるソーシャルデイスタンスは、結果から見れば「得体の知れないものから距離を置く」という考え方の発露である点で古代からの対応と同じです。
隔離は社会からの爪弾き・全体と一部の関係であるのに対して、ソーシャルデイスタンスは特定人を隔離して集団から切り離すのではなく「お互いに距離をおきましょう」という点では相互性です。
人類始まって以来の発展・利便性の基礎であった密集・集団行動の利点を削ぐ点で人類未経験の逆行・人類の始まりに戻る?実験のようです。
人類が他の動物に対して優位に立てたのは、集団行動・社会性=密集→大規模化(都会化)にあったと思われます。
日本民族の優秀性?の根源は、日本列島は小さな山地によって出来上がった谷間の流域ごとに扇状型に広がる小さな平野中心に流域ごとに小さな集落が営まれ、密集生活が基本だったことによるでしょう。
密集・密着すれば、言語表現だけでなく気配を察する能力が発達し(産業的には膨大な部品すり合わせが得意)、知能発達を刺激する面が大きかった・・都会で育つ方が知能指数が高くなる傾向が知られています。
新型コロナ対防衛には・・3密を避けるしかないとなれば、人類発展の最大武器がウイルスの攻撃対象になったことになります。
ここで素人の人種論ですが、今回の新型コロナ被害では、東アジア諸国の被害が比較的的小さい点が特徴ですので、アフリカ起源の人類分化の順序から見ても最後の分化した系統になるのでその分遺伝子的に変化適応性が高かったように見えますが、それだけでけでなく東アジア海岸線の民族は原則として人口密度が高い・・密集生活による知能発達があって政府の命令より個々人の新規脅威に対する応用能力が高いからかもしれません。
社会環境の激変があった時に激変前の環境・仕組みに特化して適合していたグループが特化していた分に比例して新たな環境に対する適応力が弱いのが普通です。
最適化していたトップグループが、退場し激変後の社会環境に適合できる新産業が急伸するのと同じで、ソーシャルデイスタンス・新常態化に人類の中でどの分野の人種ががうまく適応できるかが問われることになります。
歴史は繰り返すとは言うものの、外形が繰り返されるだけでしかなく、内実は違ったステージになることがこれまでの発展段階でした。
フランス革命に始まる近代思想は人権尊重→意思責任を問う点で画期的でしたが、それだけではうまくいかないので戦後同時頃から無過失責任を問う思想の流れが始まり(交通事故や未成年者の暴力行為等の解決には法形式的には管理監督責任という便法利用や立証責任転換→自賠法など)経済面では、自由経済主義の修正として独禁法や労働法が制定され、憲法上では文化的生活補償や公共の福祉による制約原理が戦後発達しましたが、だからといって近代法以前の絶対王政に戻るという意味ではありません。
人類が頭角を現した数十万年前に戻るのではなく、物理的距離を置いた生活でもITを駆使した情報交換技術あるいは現在未知の新技術開発に成功しソーシャルデイスタンスにうまく対応できる民族が生き残ることになりそうです。
人間関係もフェイスtoフェイスでないと表情その他の膨大な情報が読めないといってチームズやズームその他の新ツール利用を嫌がっていると新たな変化に置いてケボリを食います。
電話と直接会話とは情報量が違いますが、それを知った上でちょっとしたアポイント、日時の打ち合わせや単品追加お願い程度には電話やメールは便利です。
このようにスカイプやズームやテレビ会議等々も、目的に応じて使い分ける・選択肢が増える時代が来るでしょう。
新しい技術を馬鹿にする意見は車は狭い道には入れないから不便だといって、車社会を毛嫌いして広い道路を何十キロも自転車で走るような愚を犯す・こだわり屋さんに似ています。
大型、小型トラック軽自動車、乗用車も大中小、雰囲気にあわせてデラックスな車をレンタルするなどその他多種多様な車、バイクなど用途によって使い分ければ良いことです。
直接対話・・フェースTOフェイスにこだわっていると、あと10年もすると今で言えば電話では気持ちが読めないと言って電話の使い方も分からない人と同じようになります。
中国は新型コロナウイルス感染者追跡に、あらかじめ国民監視目的で全国に張り巡らせた監視カメラやウエブ上の個人特定の位置情報総動員で、見事に抑え込んだかのように見えます。
抑え込むのには成功したかもしれませんが、本来のソーシャルデイスタンスの流れにうまく乗れるかは別問題です。
ズーム利用も宴会や会話が漏れてもどうってことのないどうでも良い会合には便利ですが、情報ダダ漏れに対する警戒心が強く言われている点が弱点です。
車は便利だが事故が怖いとすれば事故を減らして利用者を増やすのが王道です。
ネット会議等の普及には情報秘匿性に優れた安心できる装置を開発した社会でこそ水を得た魚のように伸びるでしょう。
中国のように情報監視100%成功率?を売り物にする社会では・飛行機墜落率100%だと宣伝されるのと同じで怖くて利用したくなくなる・・仕方なしに利用する人だけでは将来性がないようにも思えます。
何か困ったことがあると用心棒として頼んでいる地元ヤクザがすぐ来てくれるのはありがたいが、マイナス面が大きい・・やはり日頃からヤクザに頼らない社会の方がいいに決まっています。
今回の新型ウイルス騒動では一見独裁国家が優位のようですが、上記のようなマイナス面が大き過ぎて伸び代が少ないと私は見ています。

保険制度と乱診乱療(モラルハザード)

介護認定される本人も家族に家計負担かけない方が気楽なので、「そんなことくらいできるよ!と反論しないで周りの説明にうなづいて済ます傾向があります。
施設入所者あるいはデイサービス利用者の介護度ランク上げも同様で介護事業者にとっては、保険適用外サービスで顧客に対する自費負担・費用請求額アップよりは介護保険適用サービスになって自費負担が1〜2割になった方が顧客が気楽にサービスを頼んでくれるので営業的に楽です。
医師や、医薬品業界が、新薬等について保険適用を求める利害団体になるのと同じでしょう。
認定を受ける高齢者もこれが将来自分に対する人権侵害に使われる「万1」の可能性など気にしませんので、問診あるいは調査担当者に対して親族に経済負担をかけない方向へ協力する傾向が高まります。
ただし後見や保佐関係はどちらかとえいえば財産行為に関する法律行為能力の制限から始まった制度ですので、(平成の改正までは、財産を守るための「禁治産、準禁治産制度」の結果禁治産宣告された人の保護のために後見人、準禁治産宣告された人のために保佐人が選任される制度でした)精神障害による強制入院のように直接的拘束に進むような甚大な影響が少ないので同一には見られませんが、最近では子世代による父母の財産権侵害(使い込み)も「虐待」と表現される時代です。
https://style.nikkei.com/article/DGXBZO09035610R10C10A6WZ8000/?page=2

家族による「経済的虐待」が増加 高齢者の年金・預金搾取
2010/6/14

現在では、資産保護のための禁治産制度でなく、認知症などのために日常生活を自己完結できない人の保護・身上監護が中心の制度になって逆に看護する人による財産使い込みが増えてきたようです。
保険財政負担→国民皆保険制度=国民負担ですので、安易な認定は国民負担を増やすことになりますが、介護認定等の現場に費用負担する国民代表が参加しない仕組みになっていることが、保険財政赤字化(自体は高齢化による面が大きいでしょうが、それだけでなく)の原因の一つにモラルハザードがありそうです。
医療に関しては支払基金や国保連などの事後チェック機関がありますが、中立機関の限界というか実務的に言えば、診療報酬請求書記載自体の矛盾チェックが基本で、診断や手技のミスを争う医療過誤訴訟のようにカルテや検体そのものチェックを原則としていません。
結果的に医師の総合判断を尊重して、その判断を前提にした治療として不要の薬が出ていないか・過剰治療かのチェック程度になっているよう(外野の印象)です。
医師としてまともな能力があれば、一定の治療するにはそれに適合する診断名や治療方法を記載するでしょうから、いわばミスのチェック役程度になります。
これが支払い側の機関・・例えば交通事故の加害者側の保険会社に請求が行く場合には保険会社はコスト削減と利害対立関係があるので、診療報酬明細書まで要求するばかりでなく、その前提のデータも要求することがあるので病名診断の妥当性自体もチェックされる覚悟で診断や治療費が決まって行くので緊張感がありそうです。
これが極端になったのが車の事故修理費関係で、保険会社のアジャスターの査定が先行して、アジャスターがこの凹みや傷は当該事故によるものかどうかの判断をして同意した箇所以上の修理をしても保険会社が払わないので、(もちろん裁判で争えますが、大変な手間コストですので)事実上トラブル防止のために修理業者は保険会社が事前同意した部分しか修理に応じないことになる・水増し修理に対する抑制になっています。
交通事故でも、医療の場合専門性尊重が先行しますが、それでも一定の治療行為が続き症状に変化ない場合、例えば、鞭打ち等で症状安定してから6ヶ月経過する頃には、保険会社側から、症状固定の診断を求める動きが出るのが普通です。
個人が肩や腰が痛いと整形外科に行って、高周波治療とか温湿布してもらうことを2〜3年続けても保険適用が無くなりませんが、利害対立関係になればそうは行かない一例です。
痛みのない健康ライフを送るのためには治る見込みがなくとも、高周波治療や温湿布等で半日程度でも肩や腰の痺れが楽になれば意味のあることですが、(治療でなくとも医療にあたるのかな?)損害賠償責任という限定した場面で考えると、そこから先は治療ではなく後遺症の損害賠償の問題と切り分けることになりそうです。
保険会社の対応が正しいかどうかは別として、中立でなく支払い側に特化した機関とのせめぎあいのある方が、医療の必要性に関する判断がシビアーになる傾向があることは確かでしょう。
また企業健保組合が独自に審査する場合も、チェックが厳しいイメージですので水増し的過剰治療が不正請求が抑制される傾向がありそうです。
精神障碍に戻りますとその原因と治療法がよくわかっていないので、古来から隔離・社会防衛が基本でした。
個々人で言えば、ちょっとあの人おかしいよ!と思えば距離を置くと言うか、(電車内で咳をしている人やブツブツ独り言を言っている人がいると、そっとその場から席を立って移動する)交際を次第に減らしていく方向が今でも同じです。
それを社会全体で強制するのが、隔離病棟であり、島流し・・牢獄の思想でしょう。
障害者の人権・という発想がなくどこ国でも歴史的に隔離最優先で、隔離した上で次第に教育(懲罰や応報刑から教育系の思想)や、治療(矯正教育)可能性を探る発展をしてきたものです。
猛獣はいつ噛み付くか不明という前提で、まず狭い檻に入れて見世物の対象にしてきたのと同じです。
今では動物の快適さを求めてサファリその他一定範囲で自由行動できるような環境設定していますが、基本は人間との隔離から始まりました。
今春中国武漢から始まったコロナ型ウイルス騒動に関連しますが、原因不明→治療法不明の強力伝染性疾患の場合、近づかないこと→患者あるいはその疑いのあるもの周辺地域一帯隔離・避難がベストの抜本的対策です。
ガンの手術でも転移がどこまで広がっているか不明の場合、周辺を大きめに切除する
のも同じでしょう。
武漢経済圏住民約1100万〜湖北省全体・・4千万人前後に及ぶ広範な厳重隔離・・域外入出禁止・・兵士が機関銃を持って閉鎖している思い切った措置の映像は世界を驚かせました。
武漢域内での感染拡大を防ぐために原則として住民を自宅にとどめ、お互いの感染を広げない対策で域内での感染拡大の最小化を図ったもので大規模な思い切った政策断行が結果的に成功しました。

精神障害判断(エピソード重視リスク)2

社会防衛の話題からコロナウイルス対策に長く入っていましたが、この辺で5月21日以来書いてきたコロナ対策第一幕の総括を(再度緊急事態宣言があった場合やその時の話題の都合で触れることが合あるかもしれませんが)一旦終了します。
March 8, 2020 12:00 am「精神障害判断(エピソード重視リスク)1」の続き・・精神障害と隔離に戻ります。
精神病関係は伝染性疾患ではないのですが、・・「自傷他害の恐れ」という社会防衛思想が前面に出る点で人権侵害と隣り合わせになる点が違います。
これまでの受任事件(障碍者が傷害事件等を起こすのは入院していない在宅の場合が普通)では20年ほど前までには親が70台以上になり子供が40台での事件が多かったのですが、最近(と言ってもこの4〜5年医療観察法事件をやっていません)では80台前後の親に4〜50台の息子というパターンが増えてきた印象です。
経験的印象では統合失調症系の事件は服薬その他の病状管理が行き届かなくなる場合が中心の印象ですが、発達障害等は(人間関係の障害ですので)子供の年齢上昇に比例して家庭内暴力が多くなります。
父親に体力があって抑え込める時期には暴発控え目だった息子が、体力逆転してくると親の威厳だけで管理しきれなくなるのと息子の病状が高年齢化に比例して悪くなる相乗効果かもしれませんが、対外事件に発展して表沙汰になる(弁護士として知るのは氷山の一角)ことが多いようです。
昨年元農水次官が発達障害の息子を自分の手にかけた事件は、高年齢化による将来不安の境界年齢で「自分に体力あるうち・・」にという決断が背を押したものと思われます。
横にそれましたが、親の自助努力・責任感に頼る「保護義務者の同意」という制度に無理が来たので、保護義務者制度ををなくして家族の同意と広げたようですが、今後子供の兄弟が減る一方ですのでこれもすぐに破綻するでしょう。
ところで、本人以外の状況説明に頼る点では救急車出動の場合も付近にいた人の直前状況説明と、客観状況判断、脈や呼吸状態把握し瞬時の判断をしますし、交通事故等事件性の場合、受傷箇所特定など状況説明が重要な端緒です。
精神障害の場合医療申し込みは本人名義で行うものの実は関係者同行・関係者に連れてこられる(受け身であることが多い)点が救急患者と似ていますが、救急患者の場合、第三者の説明だけでなくバイタルデータに決定的意味があるのですが、精神障害の場合、本当にあったかどうか検証余地のない10〜20年前からのエピソードに頼る比重の高い点が大違いです。
20年3月7日の日経新聞朝刊1面には、全国の介護度認定のばらつきを大きなテーマにした記事が出ています。
客観データのない過去の生活状況説明に頼る弊害(客観性欠如の問題)が出ているというべきでしょう。
以下介護認定の実務の紹介は10年ほど前まで後見人等選任申し立て事件や、民事事件の争点・・契約当時の高齢者がどの程度の判断力を有していたかの必要があって介護認定表を参考にしていたころの私個人の経験ですので今はかなり変わっているかもしれませんのでそのつもりでお読みください。
最近では禁治産宣告制度から被後見制度に変わった結果によるのか、高齢化進展により後見制度活用が急膨張してきた結果?後見人選任申立用の診断書様式が簡易になって、精神科専門医でないかかりつけ医に行ってもすぐに、いわゆる長谷川式簡易テスト程度で(付き添って行った妻や娘などから日頃の様子を参考に聞く程度?)すぐに診断書を作ってくれるようです。
(これはこの1年〜2年半ほどの間における複数事件の経験です)
現行民法の制度は被後見人等の能力制限が目的ではなく被後見人等の身上看護や財産保護等に主眼が置かれるようになった制度目的の変更が影響しているのでしょう。
以上の次第で、今では介護認定データを見る機会が減っていますので様式もだいぶ変わっているかもしれませんので、そのつもりでお読みください。
介護認定表では日常行動として自分で何ができるか、時々どういう忘れものがあるか道に迷ったことがあるかちょっとした買い物ができるかなどのチェック表があって介護している近親者等からの日常生活の聞き取り中心で認定している実態があります。
調査担当者が調査事案ごとに実際に買い物について行く実験やお風呂やトイレに入ってもらう?似たような再実験をするのは時間、コスト的に無理でしょう。
親族や介護事業者等からの聞き取りやチェック項目記載結果を総合して医師を中心とする認定会議で介護度を決めているので、大げさにいう人と控え見に言う人との個性差や、利にさとい地域差が大きく出る仕組みだからこそ、政府も地域差が気になって、3月7日に紹介したような都道府県別の認定格差表(その関心で事前データ集計など行い)を公表したのでしょう。
7日の新聞の結果を見ても都道府県別健康保険利用・医療費データとほぼ同じような傾向が出ているような印象を受けました。
医療保険では濫診濫療問題が古くからありますが、受診のためには仕事を休むデメリットや、それなりに痛い思いをする他、無職高齢者の場合家族に送迎してもらうなど負担がある外1〜3割負担などの自費支出が発生します。
経済デメリットが全くないので合理的チェックが働かないのが、生活保護者利用の乱診乱療問題です。
介護関連制度は保険適用外のサービスが介護度のレベルアップになれば自費負担が減る一方でなんらの負担も増えない関係ですから、医療の濫診濫療よりブレーキが効きにくくなる傾向があります。
より高度な介護支援を保険適用にしてほしいという利害では、家族にとってオーバー表現に走るのは合理的行動でしょうが、制度本来の介護必要度の認定と、介護認定が一人歩きして人権侵害に連動する危険という面では割り引いた謙抑的認定が必要ですが、厳し目に割り引いて認定するとこんなに大変なのに介護度が2〜3なのか?あるいは要支援のママなのか?という不満が出ます。
利害対立者の一方が目の前にいない・保険赤字負担する国民は抽象的存在でしかなく直接応援してくれないので、目前の強い声に押されがちになるようなイメージです。
認定される本人も家族に家計負担かけない方が気楽なので、「そんなことくらいできるよ!と反論しないでうなづいて済ます傾向があります。
施設入所者あるいはデイサービス利用者の介護度ランク上げも同様で介護事業者にとっては、保険適用外サービスで顧客に対する自費負担・費用請求額アップよりは介護保険適用サービスになって自費負担が1〜2割になった方が営業的に楽です。
医師や、医薬品業界が、新薬等について保険適用を求める利害団体になるのと同じでしょう。
認定を受ける高齢者もこれが将来自分に対する人権侵害に使われる「万1」の可能性など気にしませんので、問診あるいは調査担当者に対して親族に経済負担をかけない方向へ協力する傾向が高まります。

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