新型コロナによる諸外国の実害比較(序盤採点5)

結果から見ると、100人を超える東京都のデータミスがあったことがわかるなどを見れば拙速に解除しないで千葉県人としては徐々に外出再開に向けて心の準備をしていく時間としての移行期間が必要であったように見えます。
要は気象情報のような(感染公表と称しながら実は感染後3日、5日〜10日〜2週間経過(検査にたどり着くのが発症後・すなわち検査申し込んでから1週間と報道されている状況)など多様な経緯の入り混じった検査結果の陽性公表でしかない)客観指標の速報性に欠ける点が揣摩憶測・流言飛語を呼ぶのと同根で今回の危機管理の反省点でしょう。
今朝の日経新聞でも超過死亡データの集計公表が日本では2ヶ月半後になっているなどが記事になっていますが、ニューヨークで3月に開発したリアルタイムに近い死亡数統計と大きな違いがあるようです。
客観情報がしっかりしない関係で5月21日の中間見直しについても、千葉県人としては東京と一緒でないと千葉だけ解除では東京からパチンコ客などが千葉になだれ込むのは困るという傾向が強く、1都3県同時解除を望むというのが事前の知事会の意向でした。
今朝のニュースでは昨日東京で再び2桁(昨日午後8時現在14名だったか?)の感染数判明と出ていますが、昨日書いた通り昨日8時の感染ではなく、いつ感染した人の陽性結果かの内容不明の新規「感染」発表ですから、昨日・直近動向とはいえません。
以上の通り、延長になった1都3県の当事者では不確定情報を前提にした不安感を背景に5月6日の延長決定を不満に思うどころではないのが現状で、池田氏は何を根拠に緊急事態宣言と延長を「全く間違い」断定しているのか不明です。
結局大手メデイアの期待する意見を突如結論として言わされたのか?のような印象を受ける断定的表現には驚きます。
こういうことをイキナリ断定的に言ってくれるので、大手メデイアにとって使い勝手の良い評論家なのでしょうか?理解不能な現象が起きるとつい「ああでもない、こうでもない」というような憶測が始まりますが、それも行きすぎると流言蜚語の類となります。
コロナ禍が蔓延するにつれて納豆菌が良いとか、BCGがどうのという科学的装いの憶測を検証されていない段階で大手メデイアが評論家の意見を借りて広げるのはトランプ氏が「武漢の研究所があ!」というのと根が同じです。
この意味のことを20年4月28日に書き始め、翌29日から「コロナ禍と流言飛語」のテーマで連載しました。
第1波の武漢の原始的ウイルス第1波には休校措置等で見事対応し、その結果国民の気持ちが緩んだところに欧州で変異した強力なG型が上陸して米国型第二波の感染が始まったので4月初めにはより危機感をにじませた緊急事態宣言(警戒警報程度?)で国民が警戒し直したので乗り切ったという流れで見るのが素直でしょう。
強制外出禁止が世界の基本的政策の中で日本だけが「自粛お願い」という半端なことをしているのをみて、世界中が日本政府の施策が甘すぎると見ていたので、第二波の襲来で日本もついにニューヨーク並みの大規模感染になる筈という大方の読みだったようです。
この予想が狂ってまたも見事に抑えた日本は何をしたのか?というのが諸外国の関心でしょうし、日本メデイアも国民の無言の批判に対して言い訳する必要に迫られたらしく諸外国の意見や国内評論家意見を紹介するようになってきました。
結果として大手メデイアの自己弁解になるように安倍政権批判の結論で終わる仕組みの意見紹介が基本です。
・・今朝の日経新聞朝刊3pの超過死亡に関する記事は結論を書いていないものの日本は統計公表が遅くてまだ超過死亡数が分かっていないから日本が「奇妙な?成功」しているかどうかすら不明と読者が印象を抱く方向へ誘導するイメージです。
政府が何をしたかではなく、何も命令しなかった・国民の能力を信頼し安倍総理が必死にご協力「お願いした」ことが良かったというのが、しろうとの私の意見です。
野党や大手メデイアは本質が権力志向(リベラルと称していますが元々の系譜は足場を中ソに置く革新運動家が、ソ連崩壊後離合集散を繰り返すうちにリベラルと称するようになったイメージです)なので、何も命令できない安倍総理の無能・指導力不足をあざ笑っていましたが、心のこもったお願いこそ、総理のやった大一番でした。
これまで、January 9, 2018, に終戦の詔勅と翌年新年の人間宣言等を引用紹介し、今回では5月3日に安倍総理の国民に御協力を切に求める記者会見の一部を引用しました。
日本では、本当の危機に際しては命令するよりお願いの方がよりよく効果を発揮する社会です。
何が何でも安倍政権だけは許せないという変な立ち位置を決めているように見える野党と大手メデイア界は、コロナ禍という国難到来を一大チャンスと見たらしく、武漢からの邦人救出が遅いと非難していたものの蓋を開けると世界で日本の救援機が一番乗りでしたし、豪華客船の感染者の取り扱いも非難一色でしたが、結果的に日本の方式が合理的でした。
その後コロナの水際防止作戦に無理がきて、国内感染が始まると強制力のない休校要請でさえ周囲の反対を押し切った独断を批判する一方で、他方で強力な指導力が見えないと批判していました。
日本には日本民度に応じた国民協力を求めるやり方があるのですが、メデイア界は欧米の模倣をしないことを見て鬼の首でも取ったかのように、日本のやり方は間違っているという批判に結びつけたいような報道ぶりでした。
死亡者数の結果は欧米より数段どころか10倍も良かったので、格好がつかなくなってそれは(政治の成果ではなく)集団免疫があった偶然によるというこじつけ言い訳を始めたように見えます。
3月17日や5月12日などに日本民族特有のボトムアップ社会・・強制より納得政治の効用を書きましたが、罰則で強制しなくとも民族一致の行動ができる民族性・文化的歴史的要因こそが重視されるべきです。
現在科学ではコロナの客観的事実が解明されていない以上は、(5月10日頃以来まだ何も科学的にわかっていない・わかったのは距離が役に立つ程度という意見を縷々書いてきました)科学的であるかのような(根拠のない)決めつけ意見を問題にしないで、文化的側面を重視すべきという私の意見とほぼ同じ意見が出てきました。
歴史学者だから思考方法で気が合うのかな?気に入ったので長文ですが、明日のコラムで大方引用して行きます。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC