休校要請と教育の中立性侵害(米山意見4)

強制力のない要請に対して自主的に応じるかどうかは、各地教育委員会の総合能力次第です。
要請があれば自治体が事実上行政府の意向に支配される→(自主性がない実態によれば?)結果的に中立性は侵害されるという論法のようですが、明日紹介するように特措法自体に休業等の要請先に公立学校が明記されているのを見れば、休校要請は教育内容に対する行政府の介入とは関係ないという国家意思があったと見るきでしょう。
米山氏は、特措法による緊急事態宣言の後に要請するのは介入にならないが、緊急事態宣言前にお願いするのは教育内容に対する介入になると言うのでしょうか?
時間の先後によって、教育内容への口出し当たるかどうかが変わるというのはどういう論理によるのか不明です。
米山氏意見は「教育の中立侵害を許すな!」と言うスローガン的運動・主張で満足している疑いがあると思うのは私だけでしょうか?
弁護士は、理念の優劣で勝敗を競うのではなく、具体的利害調整が本業ですが、上記意見を発表している人が弁護士でありこれを朝日新聞が報道しているので私の目に止まったのですが、本当に弁護士実務をやったことがあるのか?とウイキペデイアで経歴を見ると以下の経歴のようです。

東京大学医学部医学科卒業。1992年5月、医師免許を取得した。在学中より、東大病院の放射線科で研修をし、その後、放射線医学総合研究所に就職し3年間を過ごした[5]。
1997年10月に、司法試験に合格した[5]。「東大の寮にいたとき法学部のやつがすごく威張っていた」ため、むかっ腹を立てたことが動機とされる[6]。1998年に東京大学大学院経済学研究科を、2000年に東京大学大学院医学系研究科をそれぞれ単位取得退学。放射線医学総合研究所、ハーバード大学附属マサチューセッツ総合病院を経て、2003年に東京大学より博士号(医学)を取得[7]。2005年より東京大学先端科学技術研究センター医療政策人材養成講座特任講師。医師としては約14年間働いた[5
2005年、第44回衆議院議員総選挙に自由民主党(以下、自民党)公認で新潟5区から立候補した。全国的には与党に強い追い風が吹いたものの、無所属の田中眞紀子に敗れ、比例復活も果たせなかった。2009年の第45回衆議院議員総選挙に再び自民党公認で新潟5区から立候補。前回に比べて得票数を伸ばしたものの、総選挙の直前に民主党に入党した田中に大敗を喫した。ただし、尊敬する政治家は田中の父親である田中角栄だと公表している[6]。
2011年より、弁護士として活動し、医療訴訟や医療過誤などを主に担当した[5]。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、自民党から日本維新の会に移って新潟5区から立候補したが、比例北陸信越ブロックから国替えした自民党前職で元山古志村長の長島忠美、民主党前職で当時の文部科学大臣だった田中眞紀子の後塵を拝し、落選。2013年の第23回参議院議員通常選挙にも日本維新の会公認で新潟県選挙区(定数2)から立候補したが、得票数4位で落選した。2016年に維新の党が民主党と合流したことで民進党籍になった。その後、新潟県知事選挙への立候補に伴い、離党。
2018年4月16日、出会い系サイトで知り合った20代の女子大学生に金品を渡して交際していた(買春行為)事が週刊文春に報じられる予定であることを受け[23]、支援者らと対応を協議した結果、18日の記者会見において知事を辞職する意向を表明[24]、同日、県議会議長に辞職願を提出した[25]。27日に開かれた新潟県議会の臨時議会において全会一致で辞職が同意され、同日付で知事を辞職した[26]。約1年半の在職期間は歴代新潟県知事で最短となった[27]。
Twitterで新潟県政に関わることよりも、自身の思想、国政や日本社会の風潮などへの懸念に関する発言が多く、県政と関係のない投稿で軋轢を招くような事態をたびたび起こしていることが報じられている。これに関して自民党の県議会議員からも「県益を損なう」「場外乱闘」などといった批判がなされている[32]。

11年に弁護士資格取得し医療訴訟を主に担当したと書いていますが、弁護士というものは登録さえすればすぐに客がくるものでないだけでなく試験合格し司法修習を終えればすぐに中堅並みの実務能力があるわけでもありません。
この辺は医師でも公認会計士でも資格試験というものは皆同じでしょう。
警察官も銀行マンも営業マンでも初任者研修を終えればすぐ1人前でないのはどんな職業でも同じです。
仮に登録と同時にどこにも所属していないで、登録の翌12年に総選挙立候補したとすれば現実の弁護士業務をどれだけできたのか疑問です。
立候補するには前年から地元で小まめな活動が必要です。
2004年と9年と二回新潟で立候補している流れを踏まえて弁護士登録後翌年には3回目の衆議院立候補ですから、この間立候補予定の選挙区での地盤培養活動をしていたとすれば、政治活動に軸足を置いていたと推測されます。
ネットで米山氏の事務所を見ると現在東京新宿にあるようですが、仮に弁護士登録最初からとすれば、新宿で弁護士業務をしながら新潟での地盤培養・維持活動と両立できたとは到底想像できないパターンです。
その後新潟県知事ですので、弁護士活動のノウハウをどうやって修得していたのか疑問です

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