正月特別コラムを終了して今日から12月29日まで書いたシリーズの続きに戻ります。
欧米では支配、被支配の階層隔絶が大きいので、経済面で見ても日本と違い格差が拡大する一方のようです。
日本の臣民は臣と民は相互互換性のある関係なので明治13年の旧刑法で国の民=「国民」という用語が採用されたものと思われます。
明治15年施行の旧刑法で法条文に「国民」という単語が取り入れられましたが明治憲法が発布された時に、憲法では臣民としたのでこれに合わせて旧刑法も「臣民」と改称したはずと思いますが、明治40年の現行刑法は以下の通り「国民」として記載していますが、これは明治40年施行時は臣民となっていたが敗戦後現行憲法に合わせて国民と変えた可能性があるでしょう。
明治四十年法律第四十五号
刑法
刑法別冊ノ通之ヲ定ム
此法律施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
明治十三年第三十六号布告刑法ハ此法律施行ノ日ヨリ之ヲ廃止ス
(国民の国外犯)
第三条 この法律は、日本国外において次に掲げる罪を犯した日本国民に適用する。
例えば明治40年以降続いている現行刑法の3条は現在のネット検索では上記引用したように本日現在の条文しか出ないので、戦後改正されて「国民」という用語になったのか、40年現行法制定当時も「国民」であったのかを知ることができません。
これが戦前どうだったかを見るには、昭和8年版六法全書がたまたま我が家にあるので刑法を開いて見ると、3条の文章が文語体であるほかは「国民」という単語が「帝国臣民に之を適用ス」となっているほか全語同じです。
(漢文調が口語体に変わったのは平成になってからです)
これによれば、もしかしたら明治40年制定当時から明治憲法に合わせていたように思われますが、そうとすれば旧刑法も、明治憲法制定に合わせてほぼ同時に国民を臣民と変更していた可能性がありますが、旧刑法については、制定当時の条文しかネットに出ないので明治憲法制定によってどうなったかの変化が今の所私には不明です。
ところで、国民という概念が明治13年の旧刑法記載だけで、一般に知られていなかったのかといえば、日露講和条約反対の日比谷焼打事件の集会名は国民集会といったようですし、暴徒押しかけ先対象になっていた新聞社名が「国民新聞」と言うようですから、当時在野で「国民」という表現がすでに利用されていたようです。
国民という単語は日本国憲法制定時に創作された単語ではなくずっと前からあったようです。
もともと明治憲法で創作した?臣民という用語の方が我が国古来からの用例から見て無理があったように直感します。
敗戦→新憲法制定の必要性から、国民意識に合わせて是正されたと見るべきでしょう。
私のド素人的語感からいえば、現状のイメージでは「臣」とは支配者あるいは誰かの手足となって働く支配者側の人間であり、「民」とは権力との対で言えば領民・・権力集団の外側にいて支配される側の総称でしょう。
領民の中から権力機構内にいて権力者と主従関係にある状態の人、現在風にいえば従業員の内労働組合に入らない管理職が古代ではオミであり、天皇家直属の大豪族トップを「おおオミ・大臣」中小の豪族を中臣、小臣と言うのではないでしょうか?
江戸時代でいえば大名?小名、旗本、御家人であり、天皇家の朝臣は、江戸時代の直参旗本クラス?御家人や小者までいろいろですが、このように領民中権力機構内の人の中で権力に近いものが臣の系列であり、権力に関係ない支配されていた人を「民」というのではないでしょうか?
権力機構外の民の中にも経営者と従業員がいますが、それらはまとめて民ですし、民間の従業員を臣とは言いません。
今で言えば民間であり政治家で言えば野党です。
身分制がなくなり、今では国家直属の官僚・臣も自治体吏員・公務員も全員「民」であり民間人の子弟が官僚になり官僚が退官すると民間に戻る関係です。
政治家も与党の時はトップの総理大臣以下の各省大臣/政務官などのいわゆる高官ですし、野党になれば官職・戦後用語では公職を辞して在野に出るものの民心の支持次第でいつでも与党に入れ代われる仕組みです。
この点は明治体制下でも一君万民思想で四民平等にした結果天皇家・皇族以外は平等になった点は現在と同じですから、(戦前国会でも与野党の別があり政権交代がありました)臣民と2種類に分ける必要がなかった・・国民と簡明な単語ひとつで良かったことになります。
今でも「官民共同プロジェクト」とか、「官民あげて」「半官半民」というような表現をメデイアが好みますが、国営か民営かの基準をあえて戦前の「臣民」をちょっとお化粧直ししただけの「官民」という古い表現を使っている意識・現状が問題です。
政府の全く関与しない純粋民営ばかりでは、公益上必須のインフラを担当する企業がなくなると困るので、河川や港湾や空港新設や管理、教育や水道供給などは、早くから公営で行うのがどこの国でも普通でした。
これらも市場競争導入による効率化のために民営方式を何割かを導入する中間的経営が必要とされるようになり、これを半官半民とか官民共同の事業と言うようになっているのですが、公益的事業であることから、半官半民とか官民協働という必要があるかの疑問です。
「臣」同様に死語化すべき「官」の用語を今も何故使いたがるかの疑問です。
半官半民的共同事業体を表現する新たな造語能力が欠如しているのか?能力不足というより支配勢力には、今でも「臣民意識」を維持したい願望があるから時代即応の造語を作りたくないままになっているのではないでしょうか?
一時外来語借用の第三セクター大はやりでしたが、税を使う以上は役人の考える合理的目標や、公的な役割を無視できないという思想で事細かに官の立場で監督するために大方の第三セクターは火の車・税の無駄使いに終わっている印象です。