昨日見てきたように辺鄙な自治体が日本国防や原発・水源確保等の基本施策の命運を握っているのが現実ですが、これを前提に以下考えていきます。
数世代も日本に住みながら日本国籍を欲しくなかった人は基本的に日本より祖国を重視していた→祖国と対立する場合の日本国防や長期的発展に関心がないどころか敵意を持っている証と見るべきでしょう。
こういう人らが日本の国家の将来を決める国策決定に参加したい・その手がかりとして地方自治体選挙権を是が非でも欲しいとすれば、選挙権者数百〜千人規模の過疎地自治体の場合、ほんのちょっと移住すれば、キャスチングボートを握れるテコの原理のような威力があります。
日本がその人の祖国と競合分野で国際的地位向上しようとする長期政策に反対しブレーキを掛ける役割を果たしたい人がそういう運動をしていると見るのが普通でしょう。
自治体で選挙権を要求する真意は自治体権限行使による国策妨害が目的とすればこういう人の政治表現の自由・日本の利益より祖先出身国利益を優先する人に国防等の政策実現に拒否権を保障するのは国家矛盾です。
こんな当たり前のことを無視して拒否権を欲しいという政治運動する図々しい人は万に一人でないでしょうか?
いくら図々しい人でも「自分は利害があるので意見表明を遠慮します」というのが普通の処世術です。
すでに3世の時代に入っていて日本的価値観にどっぷり使っている在日韓国人が・私の周囲でも日本人と考え方に差がない人が普通・・こんな図々しい主張するとは思えないし、沖縄問題でも利害はほとんどありません。
有事に自衛隊活動を妨害する為にあらかじめ移住しておこうとする必要性もない・在日が運動の主体ではなく、裏で糸を引いているのは中国でないかの視点で書いています。
これだけ長期の運動に必要な資金がどこから出ているかの疑問です。
ネットで辺野古基地反対運動の現場ではハングル文字が溢れているという主張や現地ビデオを見ることがありますが、中国が幾重にも人を介して中国経由資金とわからないように工作して韓国人を手先に使っているのではないでしょうか?
そうでなければわざわ沖縄でハングル文字の立て看板を仰々しく立てる必要がありません。そもそも在日の沖縄基地闘争参加の意味不明ですし、見せつけるようなハングル文字の氾濫は出来過ぎの印象があります。
中国人がこれ見よがしにハングル文字を書いたビラや立て看を設置しているか、韓国人を高額アルバイトで雇っているか、あるいは日本の左翼シンパに韓国人風に行動させているかではないでしょうか。
ひいきの引き倒しという言葉がありますが、メデイア界が何故か韓国寄りの主張をしすぎて却って反感・嫌韓感情が高まる関係になっていないのでしょうか?
ひいきの引き倒しではなく、もしかしたら韓国が日本に嫌われるような極端な主張を中国筋にさせられているのかもしれません。
あるいはメデイア・文化人・左翼が自己主張を正当化するために、自分の主張として表現せずに韓国人の一部を利用しているだけではないでしょうか?
韓国を盾(隠れ蓑?)にしている左翼文化人メデイア界の自己主張の基本はなんでしょうか?
専門家でないので根拠がありませんが、過去の彼ら主張のほとんど・・毛沢東語録・文化大革命賛美に始まり、慰安婦騒動の捏造による激化後押し→日韓蜜月関係破壊等々の結果から見て、日本の対中関係の側面で見ると中国の利益→日本の危険増大に帰着する内容になっているように見えます。
中国の意向に従うのが日本文化人の基本で、表向き韓国贔屓のごとく表明して日本の弱体化を図るとともに・日本の不満・矛先を韓国に引き受けさせる戦略に従う・・日韓亀裂こそ中国が第一段階戦略として望むところです。
今回のGソミア破棄騒動が中露を利するのが明白なのに何故そんなことをするのか!というのが米国が韓国に対して怒りを向けていたように、これがが国際常識ですが、日韓関係の確執激化は、中国の思うツボであることは間違いないことでしょう。
朝日新聞が徹底的に慰安婦騒動を拡大したので、いかにも韓国贔屓のようですが、結果的に韓国〜在日の立場が急速に悪化しました。
慰安婦騒動の時には、米国で現地からの報告・ネット解説では、慰安婦像設置などの運動に米国の韓国系社会が関係している様子がほとんど感じないし、資金出所も中国でないか?中国が韓国の名でロビー活動して日本攻撃をしているという噂が当時出回っていましたが・・。
当時は韓国が歴史を捏造して日本を貶める運動をするなんて卑劣な民族だという感情論沸騰中でしたので日本ではほとんど問題になっていませんでした。
中国が裏で煽っていようといまいと、パク大統領が先頭に立って運動している以上、黒幕が誰かなどは二の次という感情論いっぱいの時期でした。
今になって思い起こすと、江沢民の反日演説がハワイで行われた以降と慰安婦騒動激化と時期的にある程度符合します。
以下に要約されていますので引用します。
https://www.sankei.com/column/news/190509/clm1905090005-n1.html
石平のChina Watch】平成に学ぶ「日中」の教訓
2019.5.9 11:41
平成時代の日中関係は、平成元年(1989年)6月の天安門事件から始まる。
翌2年、日本は率先して中国への経済制裁を解除し対中ODA(政府開発援助)を再開した。諸先進国がそれに追随した結果、中国はやっとの思いで、制裁による自国経済の崩壊から逃れた。
4年4月、当時の中国共産党総書記の江沢民氏が訪日して、天皇陛下の訪中を日本政府に要請し、そのための外交工作を行った。同年10月に史上初の天皇訪中が実現したが、この歴史的訪問を絶好の機会に中国は天安門事件以来の外交的孤立を打破し国際社会への復帰を果たした。
江沢民政権は外交上で日本の助けを受けていながら、国内では天安門事件以来失った政権への求心力を取り戻すべく「愛国主義教育運動」を展開し、それとセットにした反日教育を行うことになった。
長年の洗脳教育の結果、反日感情というものが多くの中国国民の間で生まれ、17年と24年の中国における反日暴動の発生につながった。
国内で反日教育を展開する一方、中国は外交的にも徐々に反日へとシフトした。江沢民国家主席は9年の訪米時、わざわざハワイに立ち寄り真珠湾で献花をし日本を米中共通の敵と印象付けようとした。そして10年に国賓として日本を訪問したとき、江沢民国家主席は至る所で「歴史問題」に言及し、日本たたきに終始した。揚げ句の果てには、宮中晩餐(ばんさん)会に黒い人民服を着用して出席し、天皇陛下の前で遠慮のない日本批判を展開した。
平成時代最初の10年の日中関係は結局、日本が一方的に中国に利用され、一方的に中国にたたかれるという世にも不思議かつ歪(いびつ)な外交関係であった。そして日本の中国に寄せた好意と中国に対する助けは全部裏目に出て、イソップ童話の「農夫と蛇」の物語がそのまま再現された。
(上記の4年、17年24年とは、平成4年、10年、17年、24年のことです・稲垣注)