昨日紹介した香港騒動に対する中国本土人の反応の冷ややかさ?に戻ります。
香港の一人当たりGDPは中国本土平均を何倍も上回っているのは香港人には自慢でしょうが、香港人が本土の巨大市場バックに良い思いをしてきたという本土人のやっかみ気分が大きな影響を与えているのでしょうか?
上海や深圳の場合、改革開放の成果・儲けの一部を(日本大都市のように)国内地方経済底上げのためにに供出させられているはずです。
例えば長大な辺境地の防衛費や巨大な軍事力の維持費、利用者の少ない地方への長大な高速鉄道敷設コストも、国威発揚のための無駄な国外投資資金等は沿海部の収益が当てられているはずです。
香港の場合、冷戦構造下でショーウインドウ的機能・繁栄を見せびらかせることがあってもベルリンの壁ほどではないまでも周辺中国人にその分配をしないで済んできた点で、本土大衆が香港人に対する妬み・反感を持つ様になっていても不思議がない歴史です。
これを煽れば、国民の香港市民に対する連帯意識が盛り上がらないので、中国政府を強気にした面があるようです。
そういう視点で見れば、中国個々人のウイグル人に対する不満というか、「どうしょうもな奴らだ」という侮蔑・悪意の表現・・これこそがヘイトスピーチがネット上で飛び交う社会のようですが、政府の周到な情報操作があるのでしょう。
英米得意の離間の策を国内で実践している・・国内融和より国内対立を煽った方が、政府にとって内政が安定する変な国です。
日本の小学校や企業内等閉鎖社会で自然発生的に起きるいじめっ子事件を、中国の場合いじめる対象民族に焦点を当てて、国策としてヘイトをおこなって国民不満をそらしてきたようです。
反日暴動もこの一種だったようにも見えます。
当時暴動参加者の本音は、政府に対する不満が強いがその表現行動は怖くてできないのでその代償作用として政府公認の反日なら遠慮なく暴れられるので安心してやっているという解説が一般的でした。
いわゆる反日無罪という運動でした。
ただし、暴動の勢いが強まり政府の計画動員を超えて自発的反日運動になって、本来の反政府不満・反政府運動に点火すると収拾がつかなくなるリスクがあるので、政府は国民が興奮しすぎない程度に収めるしかないので心配がいらないと解説されていましたが、本当に政府の計画した松下の工場等の標的攻撃が一段落するとピタリと治まりました。
政府ややめ!と号令しても聞かなくなると本当の暴動になるリスクが高いから政府の弾圧が厳しくなります。
日頃の鬱憤を吐き出せてよかったと喜んで暴れていたこれを知っている民衆はすぐにやめるしかないのでしょう。
政府とすれば「どうだ!俺さまの威力はこんなものだぞ!中国政府に楯突くと怖いぞ!とヤクザのセリフみたいな威勢を日本に示したつもりでしょう。
中国は政権を取ってから、紅衛兵の運動でも知られるように、一種のいじめっこ対象を作り上げてはしょっちゅう集中攻撃してきた歴史です。
チベット併合?あるいは占領後ダライ・ラマのインド亡命を経て、数十年単位で抵抗するチベット民族がいじめ対象でしたし、この10年くらい(ダライ・ラマの高齢化があってその先はしれていると安心したのか?)チベット族統治が軌道に乗ってくると今度はウイグル叩き、それが軌道にのると香港叩きと矢継ぎ早です。
このシリーズのテーマである収益率重視経済で見れば、都市国家ほど効率の良い政体はないでしょうが、公害・・ゴミ捨て場であれ何であれ負の影響を周辺国に負担させる関係であれば、持続可能な関係ではありません。
香港が東京ほどではないにしても少しでも周辺への利益還元をして連帯意識を育成していれば、(本土の人たち自身監視社会化の進行には困っているが声を上げられない状態とすれば)この機会に香港の自由を守れ!という無言の連帯意識が盛り上がり、政府も無視できなかったでしょう。
実際には政府の方が先に反香港感情を植えつけてから「準備やよし!と起こした行動なので先手を取ってしまった印象です。
香港は周辺への還元が少なかったので政府の情報操作が成功して、逆に香港人への反感になっている(金持ちに対するやっかみはいつでもどこでもあるものですが・中国政府の情報操作の可能性があるので真偽不明)とすれば、これまでの香港人の対応が悪かった・自分が儲けるばかりだったからではないでしょうか?
日本では一定の成功を収めると自分の懐に入れるばかりではなく、個人に限らず企業も何らかの社会還元を心がけるものですが・・・。
戦後日本企業の海外進出が増えてくると進出先の現地に根付くように地元貢献に精出すのが普通になっています。
中国の反日暴動の時にも日系企業従業員が誠心誠意企業防衛に協力してくれている情報がありました。
4〜5年前の米国でのトヨタたたきの仕掛けの時に、途中で収まったのは企業側の対応が良かっただけでなく、トヨタが地元貢献に努力してきたので工場所在地の州政界がバックアップしてくれたという噂でした。
出世成功すると古くは神社仏閣に寄付したりお祭りには分相応の寄付をするなど・・。
香港人は占領された敵国?の支配地に職を求めて流れ込んだ人たちの子孫ですから、当初から周辺との一体感がないのでそんな気持ちになれなかったでしょう。
こういう関係にこそ気を使うべきなのですが・・。
食うや食わずの流民として英国に奪われた香港に入った彼らは、本土の人たちから見れば、もしかしたら民族の裏切り者的な評価を受けていて、侮蔑の目で見られていたでしょうから、「一生懸命に儲けて周囲の人らを見返してやる」という気持ちになった人も多いでしょう。
鉄のカーテンで厳しく東西対立してきた冷戦時代には、香港は西側経済のショーウインドウとしての役割もあって、自由貿易都市としての利点を満喫し、繁栄を謳歌してきました。