発光ダイオード訴訟で訴えた方は、自分一人の功績だと思い込んだわけではなく貢献度を高く見たのでしょうが、価値観的に見れば、将来名誉(現役集団参加者の水平分配だけでなく将来利益を温存し子孫段階での新たな挑戦資金にする)より現世利益という欧米型選択をしたのかもしれません。
結果的に山崎氏のいう集団成果がもっと大きいのでないかの指摘に合理性があって、1審判決から見れば雀の涙ほどの和解金で和解するしかなくなったように見えます。
発光ダイオード事件は集団と個との分配争いが争点だったように見えます。
山崎氏意見を再掲します
「中村氏が批判し罵倒してやまない日本の集団主義的研究生活よりも、アメリカの大学の個人主義的研究生活の方が、より豊かな研究成果をもたらすだろうとは、私は思わないからだ。
「集団主義」的、「協調主義」的な日本的システムの強さと豊かさに、中村修二氏が気付くのはそう遠い日ではあるまい。」
哲学者山崎氏とすれば文化の激突に関心があるのでしょうが、米国でも研究は一人で孤独に行うものではなく、巨大な研究組織・・チームで行なっている点は同じです。
問題は、組織内貢献度の測定方法でしょう
現代の研究開発は学者が書斎で考え抜いて鉛筆一本でできるものではなく、一定のコンセプトが決まってもそれの実験装置など巨大なコストがかかるので、米欧でも研究所と製造企業一体化した巨大組織が必須です。
研究と言えば大学が独占しているものではなく、製薬事業などでは研究開発費の負担に耐えかねて世界企業同士の合併が盛んです。
この点は16日紹介した実務家らしいhttps://system.jpaa.or.jp/patents_files_old/200408/jpaapatent200408_041-049.pdfの意見が妥当でしょう。
この4〜5年世界の大手自動車企業の合従連衡が進んでいるのも同じ原因です。
山崎氏の言う日本の強み?「集団主義」的、「協調主義」的な日本的システムの強さと豊かさ」といっても今や世界的に集団での研究開発が一般的です。
集団利用メリットとそのマイナス面を勘案するのがこれからの道でしょうから、集団であれば良いものでもありません。
日本の方が師弟関係に縛られて、縦系列に縛られた枠内研究・師の思想方向内の研究が多いのが現状です。
私の関係する法律学者もその傾向が顕著です・著名学者に関するウイキペデイア記事も「誰某に師事した」という紹介が多くを占めています・その人の基本的主張がそれでわかるからそういう紹介が主流になっているのでしょう。
医学界の白い巨塔だけではなく、ピラミッド型師弟関係に縛られている点はいろんな学界で似たり寄ったりでしょう。
昨日の日経新聞記載の履歴書には、経営学・文系でも恩師の系列を離れた共同研究の重要さを書いています。
世界中が集団・組織的成果を競うようになった現在、日本の方が集団行動の歴史経験が深いと言える程度の違い・系列集団知を超える発想を縛る傾向のマイナスの方が大きいか?・・でしょうか。
日本の過去の偉人・・日蓮等の出現は、叡山の集団知の束縛から飛び出す必要のある時に飛び出す人が多く出ていたことを現しています。
殻から飛び出すだけの、馬力や能力がないから、飛び出せない人が多いのも現実です。どちらの社会の方がいいか悪いかの単純区分け問題でないように見えますが・・。
起業しにくいから新規事業が出にくいとも言われますし、あんちょこに資金が集まるようになるとあんちょこ起業=あんちょこ倒産の多い社会になり、社会の安定を損なうでしょう。
アメリカの方が就職先を飛び出し起業するのにそれほどのエネルギーがいらない社会ということでしょうか?
集団知の必要な点はどこの社会でも同じですが、その拘束力の緩さをどうするかが時代に応じた知恵の出しどころでしょう。
山崎氏の意見は、素人の私がいうのはおこがましいですが、ちょっと言い過ぎの印象を受けます。
山崎氏の言う文化論の続きですが、もう一つの視点である日本文化訣別・企業文化批判?の後遺症がどうなるかです。
中村氏も言いすぎたように見えます。
この辺の中村氏による関係修復の動きが以下の通り出ています。
中村氏はノーベル賞受賞資金約半分を徳島大学に寄付するなど、ノーベル賞受賞による日本人全体の祝賀ムードをチャンスとして、日亜化学との復縁を目指したようです。
賞金一部を徳島学に寄付したという報道でした。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG06H5B_W5A200C1CR8000
中村教授が徳島大に寄付 ノーベル賞の賞金の一部
2015/2/6付
https://www.sankei.com/west/news/141126/wst1411260003-n2.html
2014.11.28 11:00
虫が良すぎる?ノーベル賞・中村氏の“復縁”申し出、“大人の対応”で拒絶した日亜化学…わだかまり示す証拠を発見
過去は忘れましょう-。ノーベル物理学賞に決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授が、発明の対価をめぐり法廷闘争を繰り広げた元勤務先の日亜化学工業(徳島県)に関係修復を呼びかける一幕があった。両者の関係は歴史的な雪解けを迎えると思われたが、日亜化学側は中村氏との面談を“大人の対応”で拒否。和解から10年近く経てなお残る天才研究者と企業のしこりが浮き彫りになった。
・・・・日亜化学が発表した公式コメントは冷ややかだった。「貴重な時間を弊社へのあいさつなどに費やすことなく研究に打ち込み、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようにお祈りする」。
一見、やんわりと断っているように見えるが、日亜化学関係者は「社長を含め会社として中村氏と面会するつもりはない」と決意は固そうだ。
・・・今回の復縁が実現しなかったことで、ノーベル賞学者が、日本企業と研究する機会が失われてしまったのも事実だ。中村氏は11月5日、記者団の取材に対し、日亜化学が面会を拒んだことについて「非常に残念。これ以上の進展はない」と落胆した様子で語った。
関係改善への道は、これで完全に断たれた。