異民族直接支配5(ロシア革命とユダヤ人2)

以下の記事は人名等具体的でしかもユダヤ主導を隠す必要性にも触れていますので、長くなりますが一部引用しておきます。
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/582c8b494f27d9e823500007cf87432c

2017-07-05 10:28:20 | ユダヤ的価値観
●ロシア革命にユダヤ人多数が参加
●トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフら枚挙にいとまなし
ロシアの社会主義運動の中心部にいたのは、ユダヤ人だった。19世紀末ロマノフ朝圧制下のロシアで、ユダヤ人はポグロムと呼ばれる虐待・虐殺を受けた。
多数のユダヤ人が出国してアメリカ等に移民した。
ユダヤ人に対する迫害を阻止するには、ロマノフ王朝を打倒しなければならないとする急進的な革命思想が広がった。
将来のパレスチナへの移住よりも、現在の体制からの解放が追求された。そのため、多くのユダヤ人が革命運動に参加するようになった。シオニズムより共産主義という選択である。
19世紀末から20世紀初めのイギリスの論壇で活躍したヒレア・ベロックは、作家、歴史家、社会評論家として知られる。ベロックは、1922年に出版した『ユダヤ人』で、ロシア革命を「ユダヤ革命(the Jewish revolution)」と表現した。ボルシェヴィキの幹部には、ユダヤ人が多かった。
レーニン(本名ウリヤーノフ)自身はユダヤ人ではなかったが、母方の祖母がユダヤ人だった。4分の1がユダヤ人というクォーターである。妻のクループスカヤは純粋なユダヤ人だった。それゆえ、レーニンはユダヤ人の民族集団に近く、ユダヤ人と非ユダヤ人を結合するのに適した背景を持っていたと言えよう。
ロシア革命で最も象徴的なユダヤ人は、10月革命を軍事的に成功させたトロツキー(本名ブロンシュタイン)である。
またそれ以外に、ジノヴィエフ、カーメネフ、ウリツキー、ラディックが有名であり、他にスベルドルフ、リトヴィーノフ、メシュコフスキー、ステクロフ、マルトフ、ダーセフ、スハノフ、ラジェヌキイ、ボグダノフ、ゴーレフらが挙げられる。ブハーリンについては、ユダヤ系だという説とそうではないという説がある。
ボルシェヴィキの幹部だけでなく一般党員においても、ユダヤ人は目立つ存在だった。党大会の代議員の15%から20%がユダヤ人だったといわれる。1920年の時点で、ソ連政府の各委員会は委員の約8割がユダヤ人だったという説もある。
ボルシェヴィキが政権を奪取すると、これを撃破しようとする白ロシア軍は、ボルシェヴィキだけでなく、全ユダヤ人を敵として取り扱った。ウクライナの内戦は、ユダヤ人の歴史で最も大規模なポグロムに発展し、6~7万人のユダヤ人が殺害された。東欧でもボルシェヴィキとユダヤ人は同一視され、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア等でユダヤ人迫害が行われた。
しかし、ロシアのユダヤ人が全員、共産主義者なのではなく、ボルシェヴィキに参加したユダヤ人は、脱ユダヤ教的なユダヤ人だった。ボルシェヴィキは、帝政ロシアで、ユダヤ教徒の目標と利益に積極的に敵対する唯一の政党だった。
最高指導者のレーニンは、ユダヤ民族主義・シオニズムを批判し、プロレタリア国際主義を推進した。
レーニンは「ユダヤ人の民族性という概念は、ユダヤ人プロレタリアートの利益に反する」「ユダヤ人の民族的文化というスローガンを提唱する者は、プロレタリアートの敵、ユダヤ人の古いカースト的地位の支持者、ラビとブルジョワジーの共犯者である」と批判した。
それゆえ、レーニンはユダヤ人のみの利益のために革命を起こしたのではない。あくまでプロレアリア国際主義の原則のもとに革命を起こした。
実際、一般のユダヤ人は、ボルシェヴィキのユダヤ人によって苦しめられた。彼らは革命によって被害を蒙った。
ケレンスキー臨時政府は、ユダヤ人に完全な投票権と市民権を与えた。その政権が続けば、ユダヤ人は多くのものを獲得できただろう。
だが、ユダヤ人にとって、デモクラシーを否定し、武力で政権を奪うボルシェヴィキのクーデタは、時計の針の逆回転となった。ユダヤ人の多数が粛清され、生き延びた人のうち約30万人は国境を越えて亡命した。
1919年8月にユダヤ人の宗教的共同体は解散させられた。
それらが持つ財産は没収され、大多数のシナゴーグは閉鎖された。脱ユダヤ教的なユダヤ人は、ユダヤ文化の特異性のすべての徴候を撲滅しようとした。ロシアにおけるシオニズムの根絶を図り、1920年以降ロシア人シオニストが何千人も強制収容所に送られた。
彼らのほとんどは、出所できなかった。ユダヤ人共産主義者が、ユダヤ人によるシオニズムを弾圧したのである。

ユダヤ批判が高まったのでロシア革命に対する支持を失わないためにレーニンは「泣いて馬謖を斬った」のでしょうか?
レーニンはグローバル支配完成というユダヤの大義のために目先ユダヤ人優遇を封印するだけではなく逆に少数ユダヤ人を冷遇して、いかにもユダヤのための革命ではないというプロパガンダに成功しました。
経済政治運営でレーニンが、「一歩前進2歩後退」ネップ戦略を発表したのに通じるものがあります。
共産圏だけでなく、米国であれどんな強大国・強力な国家統制体制を構築しても事実に基づかないプロパガンダは、いつかはメッキが剥がれ「地」が出てくる・・色あせる時期がきます。

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