運用面で見ると、不法滞在では、信号無視のように不起訴等の選択肢がなく摘発と同時に入管による強制収用が同時進行で始まり、最後は強制送還という実力行使が待っています。
辛淑玉氏の言う不法滞在というのは刑事手続き並行進行のない単純な場合を言うのでしょうが、この場合には検挙と同時に入管当局への身柄拘束が始まります。
このように法定刑では不退去罪とある程度パラレルな関係ですが、信号無視とはいろんな待遇でパラレルではありません。
単なる犯罪の場合、国外退去の強制(死刑はその1種でしょうか?それ以外に)はありません。
刑務所で1〜2〜10年以上年服役してもまたシャバに戻れる期待・希望がありますが、不法滞在で退去強制されると次の入国は以下に紹介する通り制限が生じます。
(5年以内は絶対ダメというだけであって、5年過ぎても簡単にビザが出ないリスクがります)
いわば二度と日本の国に来られないかも知れない・生活の基盤が日本に出来ている場合、(特に妻子が日本にいる場合など)5年以上再入国できないと死活問題になります。
他方、信号無視は、最高で3ヶ月以下の懲役でしかない上に、実務上1回の信号無視で実刑を受けることはありません。
全く車の来ない時に、赤信号無視で渡り始める人が多くいますが、その程度では罰金さえ取られない運用の実態を示しています。
信号やスピード規制、通行区分、飲酒運転禁止その他交通法規の多くは、その行為自体が生命身体を侵害する行為ではなく、侵害の抽象的または具体的危険のある場合をあらかじめ規制しておこうとして技術的に定められた「危険犯」にすぎません。
ですから、危険行為をした結果、実際に事故・実害が起きた時に処罰されるのが原則・・スピード、飲酒運転その他違反の多くは減点(行政処分が先行します)先行で、信号無視等の結果、交通事故のような実害を起こすと刑事手続が始まるのが普通です。
不法滞在は、それ自体で領土主権侵害行為そのものであり、一歩手前で規制する取締法規とは性質が違うので、不法滞在だけで・・特にその他の違法行為がなくとも即身柄拘束が始まるなどの対応の重さ・実質が信号無視とはまるで違っています。
この違いは何によるのでしょうか?
上記のように交通法規違反行為は、実際の侵害の前に危険性の多い行為をあらかじめ規制しているに過ぎないのに対し、住居侵入や不退去罪では、何も盗んでいなくとも侵入行為自体が、住居の平穏を害する侵害行為が発生しているのとの違いです。
住居侵入を伴う窃盗は、住居の平穏と財物窃取との2個の実害が生じているのですが、信号無視の結果起きた事故では、起きた実害は事故による致死傷・物損だけです。
刑事裁判では、拘留期間が最高20日しかなくその後保釈制度がありますが、入管に収容され不服申立てなどの手続きをしても保釈のような権利としての制度がなく、審査手続きが終わると実際の強制送還がいつか不明のまま、半永久的に?収容所に収容されたまま(仮放免制度がありますが保釈のように無味の推定に基づく保釈のような権利性がありません)です。
服役の予定が決まっている刑罰と違い、本人の全く関与できないところで(アジア系の場合、大村収容所のアキが出る都度大村に送られて、)帰国の船や飛行機が決まるとある日いきなり飛行機や船に乗せられてしまう仕組みです。
いわば俊寛僧都が赦免船がいつ来るか待つような環境です。
俊寛の場合、赦免船が来るのは夢だったでしょうが、強制退去の場合には、その直前まで家族の面会ができるので逆の関係です。
ただし平家ものがたりの筋とは違い、俊寛僧都の家人(その当時何と表現したか忘れました)が流刑された主人を案じて訪ねた時に、俊寛はその地の生活に馴染んでいて都への帰京を望まなかったという筋のストーリーを何かの書物(創作か研究成果かも忘れました)で読んだ記憶です。
最近の不法滞在者は国に帰れる喜びよりも、現地生活に馴染んだ環境からの剥離のほうが辛くなるのではないでしょうか?
これがオバマ大統領による、少なくとも親に連れて来られた子供(入国時16歳以下だったかな?)に限定して適法化する法制定になったのだと思われます。
どういう理由で不法入国したかは別として、ロヒンギャ問題もあまりにも長期間住んでしまった以上、今更故国に追い帰されても生きていけません・・同じ人道的配慮要求が欧米諸国の背後にあります。
ただアメリカの場合、アメリカ社会に溶け込み良きアメリカ人である移民の現状をトランプ氏が無視しているのに対して、ロヒンギャの場合歴史が違います。
仏教徒の国ミャンマー侵略後の支配道具として、イギリスがイスラム教徒を優遇し分断政治に利用した歴史があるロヒンギャの場合、単なる人道問題とするのは無理がありそうです。
(米軍政時の在日の暴動・違法行為などが言われますが、同様?)
ロヒンギャの場合、ミャンマー独立後地元アラカン族と同化・融和を拒むどころか?反政府運動に精出して来た・・・事実かどうか不明ですが、今回の騒動は反政府軍の警察署等襲撃に始まるとされています・・を無視できません。
今朝の日経新聞2pにもロヒンギャ問題の記事が出ています。
6〜70万人もの避難民が押し寄せたバングラでも自国民でないから、早くミャンマーに帰れ・・職を奪われる「迷惑だ」という不法入国扱い・・どこの国の保護も受けない漂流状態らしいです。
済州島から6〜70万もの難民が日本に押しかけた後の日韓交渉の時に、韓国は自国で引き受けたがらなかった(難民が戻るとその生活支援や地元雇用問題に波及するからです)結果、かわいそうだということで日本が、永住権付与で決着したものです。
日本の場合、敗戦後どんなに苦しくとも、何百万と言う日本人の故国引き上げを拒まないどころか、ソ連につれさられた抑留者に限らず、その他の中国残留孤児など帰還を強く訴えてきたし、異国で亡くなった人の遺骨収集作業や慰霊作業が今も続いています。
天皇皇后両陛下が2015年にパラオで深く深くお辞儀する慰霊式典の映像を記憶している人も多いでしょう。
https://www.sankei.com/life/news/150409/lif1504090022-n1.html
2015.4.9 22:49
https://hinomoto.wiki.fc2.com/wiki/%E4%B8%A1%E9%99%9B%E4%B8%8B%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%AA%E3%81%94%E8%A8%AA%E5%95%8F
平成27年4月8日(水)
パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)
本年は戦後70年に当たります。先の戦争では,太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ,
数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き,帰らぬ身となった人々のことが深く偲(しの)ばれます。
私どもはこの節目の年に当たり,戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ,パラオ共和国を訪問いたします。
以下中略
私どもは,この機会に,この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに,パラオ国の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に,慰霊碑や墓地の清掃,遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し,大統領閣下始めパラオ国民に,心から謝意を表したいと思っております。
この訪問に際し,ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり,パラオ国大統領御夫妻と共に,ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。
以下略