特別検察官2(大統領・総理の犯罪)

昨日引用した宮家氏の解説を読むと、「米国の特別検察官」には、特別な権限や身分保障があるわけではなく、なんでもやれる多目的捜査官と違い、せいぜい特命事項だけしか担当しない専従捜査官という程度でしょうか?
そうとすれば、特命捜査官(検察官という翻訳自体どこかずれています・現在のモラー氏が検察官資格があるかすらあやしい感じがします)翻訳するのが本来だったでしょうが、「特別検察官」というメデイアの造語報道は、いかにも特別強力な権限があるかのようなメージを植え付けるもので、ピントがずれている(フェイク一種?)ように思われます。
私の勝手な思い込みとは思いますが、「特別検察官」と仰々しく報道されると、鬼平犯科帳の鬼平のように、既存の細かいルールを無視して、「正義のためにビシバシやって」くれそうなイメージ・・現在でいえばフィリッピンのドウテルテ大統領の言うように「手当たり次第射殺しても良い」というような特別権限を持つようなイメージを抱く人が多いのではないでしょうか?
実際には、司法長官が特定事項だけ切り込んでいく「専従組織・プロジェクトチームを作ってもよい」と言うだけのようですが、専従組織に抜擢された以上は成果を出すために頑張る・・やる気があるという期待感をいうのでしょうか?
昨日引用した朝日新聞の解説は「特別検察官とは」と言う制度解説のようでいて、実は制度について何の説明もなく過去の特別検察官の担当した過去の事例を説明するのみで、宮家氏の解説に比べれば解説能力の低さに驚きます。
大統領制の国民に「日本の総理大臣とは?」と言う解説記事で、議院内閣制と大統領制の違いを説明せずに、東條英機とか、小泉総理や福田赳夫の名前と彼らの実績紹介しているようなものです。
制度説明であれば制度の違いを説明した上で、大統領制のためにこう言う思い切ったことができたが、議院内閣制のためにこう言うことしかできなかったと言う違いのわかる事例、あるいは、議院内閣制だからこう言う抑制が効いて暴走しなかったなどと言う違いの事例を上げるべきです。
「特別検察官」に関する朝日の説明は「特別検察官が一般検察官とどこががどう違うか」の説明をしないでだらだらと事例を羅列しているような記事です。
朝日の得意とするイメージ報道と言うか、事実をきちっと解説できないムード記事が多いのがもの足りなくて昭和61年に私が朝日から日経新聞に乗り換えたと6月20日に書いた原因の一例です。
「特別検察官」と大統領権限から切り離されたかのようなイメージ報道されると、三権分立とは言え大統領権限が強すぎて検察の独立性が弱い点を考慮した補完性を考えた制度のようにイメージされますが、実は(政治影響力をどう見るか・弾劾決議に影響する政治上の判断が必要ですが・・)政権の存亡に切り込んでくればいつでも罷免できる点で、日本の普通の検察官ほどの地位保障すらありません。
その点で企業の第三者委員会は渦中にある企業幹部から選任されるものの、選任してしまえばその後罷免権が事実上ない点で第三者委員会よりも権限が弱いことがわかります。
政権の存亡に関わる点に及べば、(逮捕されて失職し刑務所に入るくらいならば、「特別検察官」を強引に罷免して世論の批判をうけても弾劾決議で負けて元々ですから、)法的には罷免してしまえる点で、結論としてはその直前・首の皮1枚のところで、「司法取引」が成立する余地があります。
ただし世論に押されて(与党の意向を受けて)弾劾を避けるために仕方なしに「特別検察官」を任命したのにこの捜査が進んで(政権に都合が悪くなったからと)解任強行したのでは、弾劾決議に(与党の多くが見放すので)直結するリスクが高まります。
過去の事例ではニクソンのウオーターゲート事件が世論の批判が厳しくなり弾劾決議の可能性も出てきたので「辞任と引き換えに訴追しない」暗黙の合意で終わっている・・実際には、辞任直後の次期大統領(ニクソン氏の副大統領のカーター氏昇格)がすぐに恩赦して終わっています。
特別検察官は最後の最後に「大統領辞任と引き換えに訴追しない取引・辞任に追い込めれば」大成功という制度設計のように見えます。
国民世論も、(不正を働いた大統領が刑務所にまで入らなくとも、)「政治責任を取るならばそれでいいか!」という大人の知恵でもあるでしょう。
この程度の落としどころを無視してトコトンやり抜くのが朝鮮族で、今回のパク大統領弾劾→刑事訴追→実刑判決のやり方です。
田中角栄氏に手錠をはめてしまった三木政権の日本も似たようなものですが・・。
たまたま上告審中に病死したので顕在化しませんでしたが・・・。
ウイキペデイアによると

1987年(昭和62年)7月29日 – ロッキード事件の控訴審判決。東京高等裁判所は一審判決を支持し、田中の控訴を棄却。田中側は即日上告
1993年(平成5年) 12月16日 – 慶應義塾大学病院にて75歳で死去。戒名は政覚院殿越山徳栄大居士。墓所は新潟県柏崎市(旧西山町)田中邸内。ロッキード事件は上告審の審理途中で公訴棄却となる

と言うのですから、上告審が長すぎる・・最高裁は病死を待ったのでしょうか?
私は当時から今になっても論理的説明できませんが、当時から「総理に対する訴追が必要な時でも一般人に対するのと違ったルールがあっても良いのでないか」と言う違和感を持っていて今も変わりません。
法の下の平等に反するのでルール化は無理でも、実際の運用で知恵をしぼる必要があるように思われます。
日本の総理や法務大臣には、アメリカのように検察官に対する政治的罷免権はありません。
内閣総理大臣は閣議決定を主導できるだけで法務大臣に個別に命令できませんし、法務大臣も検事総長に対して一般的指揮権発動はできても(自由党幹事長佐藤栄作氏に対する造船疑獄事件に関する犬養法相の指揮権発動は歴史に残る大事件ですし、政治的大事件に発展する覚悟が要ります)、個別検事に対する指揮権はありません。
個々の検事は検察官一体の原則によって検事総長の指揮命令下に入りますが、あくまで内部命令に過ぎず、個別事件処理に関しては独任官庁といって、検事の名で行った処理は内部権限制限に反していても、独立官庁権限を持っています。
しかも、日本の場合には、政治配慮によって警察検察が不当に立件しない場合には民間から告訴告発できて、告訴告発事件を検察が不起訴にしてしまえば、不満な方は検察審査会に審査請求できるしくみです。
検察審査会委員は選挙人名簿から選ばれる短期資格ですから、前もって誰がなるか不明・政治的圧力を受けたり癒着できない仕組みです。
検察審査会が起訴相当とした場合には、検察の動きが鈍い可能性があるので、(裁判所の選任ルールは弁護士会に推薦依頼があって刑事弁護に精通したその道のプロ)弁護士が検察官役になって事件処理〜公判維持する制度が完備しています。
もちろんこうした指定弁護士は裁判所が選任するので、政府が関与する余地が全くありません。
論理的にはこれで一貫していますが、アメリカのような司法取引成立のような・苟も一国の総理に関する事件では、事実究明をきっちりすることは重要としても、その先・・処罰まで必要かどうか・政治宣言効果・・失職程度でいいのではないでしょうか?
責任を取って辞任した後さらに追求するのは行きすぎのような気がしますが・・。
ただし田中氏は金脈事件の責任をとって辞任しても、隠然たる勢力を張って国政を事実上仕切っていた点が問題でしたが・・。
田中氏にすればトコトンの追及を避けるために辞任後も政治勢力維持に必死にならざるを得なかったと言えます・司法取引する仕組みがないからです。
落ち着かせるところで落ちつかせる知恵がないから、闇将軍といわれる状態が長く続き、国政が怨念の政治とも言われ長年ドロドロしてしまった原因です。
安保条約に関する統治行為理論や、選挙制の違憲問題でも最高裁判所が選挙無効まで判決しないで違憲状態宣言で終わらせているような、知恵がいるのではないでしょうか?

第三者委員会とは?2(特別検察官1)

弁護士会に限らず職能団体では、いわゆる第三者委員会委員のように特定事件が起きている最中に事態打開のために渦中の経営陣から声がかかるのと違い、(たとえば加盟企業社長が業界内役職など大して重要視していないのと同様)現執行部に迎合する余地がもともと低いと思われます。
プロゴルファーの事例を昨日紹介しましたが、我々弁護士会の場合も、組織維持が目的の懲戒制度ですから、問題を起こした個々の弁護士・身内に甘い処分では組織・弁護士に対する社会の信用を維持出来ませんので、勢い身内に厳しい処分になりガチです。
権力の介入による懲戒事件の場合には、権力に屈するわけにはいきません(そのための自治制度です)が、権力闘争と関係のない弁護士業務のあり方が顧客〜消費者から訴えられている場合、(正式統計数字を知りませんが、体感的にこれが懲戒事例の99、99%と思われます)身内をかばうための運用では何のための懲戒制度か分かりません。
各種組織内の懲戒委員は、自己組織を愛して自分の組織の信用・・一般構成員の地位を守る職務であって、個々の不祥事をした会員を守るための制度ではないことをしっかりわきまえて判断すべき立場です。
ただ、内部にいると社会が期待する水準変化に疎くなるリスクがあるので、懲戒・懲罰内部に第三者を抱え込むのは良いことです。
平成のはじめ頃に綱紀委員をしていた頃には、どちらかといえば外部委員の方が「このくらい許された行為ではないか」という意見が甘く弁護士委員の意見の方が厳しい意見でした。
・・(外部の人は「弁護士ってそんな程度じゃないの!」と低く見ているのかな?と危惧していましたが・・)
数十年経過して最近社会の弁護士に対する評価期待感が高まっているのか?懲戒委員会では外部委員も遠慮なく厳しい意見を言うようになっているような印象ですが、その方が社会の弁護士に対する見方が参考になってありがたいことです。
弁護士会の懲戒委員には、現職の裁判官検察官各1名のほか、大学教授などの学識経験者が2名入ることになっています。
判事検事の場合には出身官庁の推薦でそのまま選任される仕組みで、弁護士会に都合の良い人ばかり選ぶ仕組みではありません。
この点も企業が問題が起きてから、渦中にある現執行部が「気心の通じた?人」を選任する一般の第三者委員会とは質が違っています。
アメリカの特別検察官制度は、渦中の大統領が特別検察官選任に直接関与しない点では日本の第三者委員会とはまるで違うイメージで紹介されています。
https://kotobank.jp/word/%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%AE%98-1817357

朝日新聞掲載「キーワード」の解説
米国の特別検察官
ニクソン元大統領が1974年に辞任に追い込まれた「ウォーターゲート事件」をきっかけに、大統領や政府高官を捜査、訴追するために設けられた。78年に施行された「特別検察官法」に基づいて裁判所が任命する制度だったが、「権限が強大だ」とする議会の批判で99年に失効。現行では司法省が任命するが、独立性の高い立場で捜査に当たる。 これまで中央情報局(CIA)工作員の身元情報漏洩(ろうえい)事件や、クリントン元大統領に関わる「ホワイトウォーター疑惑」、同氏の不倫疑惑などが捜査の対象となった。
(2017-05-18 朝日新聞 夕刊 1総合)

ちなみに司法省が一般検察官任命と特別に委嘱出来るというだけでは、何が「特別」か意味不明ですが、http://www.canon-igs.org/column/security/20170531_4352.htmlによれば以下の通りです。

2017.05.31
特別検察官、何が特別なのか
産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2017年5月25日)に掲載
「特別検察官は…大統領にも解任できない」。19日付某有力紙1面トップ記事の冒頭部分がこれだ。
「何だって?」、読んだ筆者はのけ反った。それだけではない。他紙には「米『政権VS司法』鮮明」「捜査の予算は無制限」なる解説もあった。
字数制限の中、急いで書いた記事なのだろう。武士の情けで実名は控えるが、それにしても、なぜこんな基本的事実誤認が生じるのか。
トランプ氏のロシアゲート報道は今後も続く。今回は「特別検察官」の論点を整理したい。
そもそもこの官職、英語名だけでも3種類ある。
(1)special prosecutor
(2)independent counsel
(3)special counsel
(1)は文字通り「特別検察官」。1875年にグラント大統領が某スキャンダル捜査のため任命したのが最初だ。この官職名は1983年まで使われたが、78年に議会が法制化するまでは司法省内部規則などに基づき任命されていた。
(2)は「検察官」なる用語をあえて避けた「独立顧問」だ。ウォーターゲート事件を踏まえ、78年にそれまでの特別検察官の地位を法律で定める「政府内倫理法」が時限立法で制定され、83~99年にはこう呼ばれていた。
(3)は現行の官職で司法省の「特別顧問」。99年の政府内倫理法失効後、連邦規則28章600条に基づき司法長官が米政府外から弁護士を任命して設置できる常勤職だ。
(4)これとは別に1924年、上下両院特別決議に基づき、クーリッジ大統領が「特別顧問」を任命した例がある。
日本語ではこれらをまとめて「特別検察官」と呼ぶが、いずれも利益相反等機微な事件を政治とは一定程度独立した立場から捜査・訴追する権限が付与される点は共通だ。
現在の「特別顧問」は司法省内の一ポストにすぎず、広義の行政機関の一部だ。他の連邦検事と同様の捜査・検察権限は保障されるが、任命権者はあくまで長官。その独立性に法的保障はないだろう。されば大統領が長官に罷免を命じることも可能。少なくとも現状は「政権VS司法」ではない。
「連邦規則」とは議会が作る法律の枠内で行政機関が定める規則集であり、日本の省令集に相当する。独立性を確保するため「特別顧問」には別途予算が付くが、当然その額は司法省予算の枠内だ。
日本では特別検察官を大統領弾劾と絡めて報じるケースが多い。しかし、米国では特別検察官制度と弾劾手続きは連動しない。「特別顧問」が任命されれば直ちに弾劾に進むというわけではないのだ。

司法副長官がその直接監督者であることから、司法副長官に対するトランプ大統領の(解任)圧力が時どき報道される所以です。

STAP細胞事件3と日大アメフト事件2(第三者委員会とは?1)

小保方事件での早稲田大学の処分は、判断基準がずれています。
日大は内部実力者に対する忖度でにっちもさっちもいかなくなって内部懲戒制度が機能しなくなっていたので、第三者委員会に頼ったのでしょう。
早稲田大学も内部で処理する能力がないならば、第三者委員会でも立ち上げる必要があったように思われます。
うやむやにできてホッとしているでしょうが、その代わり「早稲田大学の学位ってそんなものだったの!」という評価の定着の方が大学にとって長期的に大きなダメージです。
学位授与審査の現実は仕方がないとしても「不正がバレても学位授与を取り消さない」というのって理解不能です。
刑事処罰の場合、検察官や裁判官が被告人を個人的に知っていることは万に1の確率もないでしょうし大手企業の内部懲戒処分もほぼ同様でしょう。
しかし、学会や弁護士会の懲戒処分で言えば直接会ったことがなくとも、直接間接によく知っている仲間内の処罰ですから「泣いて馬謖を斬る」ような辛い面もありますが、個人を守るためではなく、組織を守るためにある制度ですから、ルール違反があれば穏便に済ます訳にはいきません。
この意味では朝日新聞の慰安婦報道事件、あるいは日大アメフット部の騒動では、第三者委員会が設けられていますが、第三者委員会設置発表自体・・自分たち内部自浄機能が作用していない・国民の信用がないことを潔く告白したようなものでしょう。
4〜5日前に日大第三者委員会の調査結果が発表されましたが、一見したところ想定外に?にきっちりした報告のようで、第三者委員会が、本来の面目を施したように見えます。
http://www.sanspo.com/sports/news/20180629/spo18062920470013-n1.html
「中間報告書に記載されているとおり、本学職員による反則行為の指示が存在したことは誠に遺憾であり、被害選手、保護者及び関西学院大学アメリカンフットボール部の関係者の皆様、並びに反則行為の指示を受けた本学の選手及び保護者に対し、深くお詫び申し上げます」と謝罪した。
第三者委員会は中間報告で内田前監督と井上前コーチを「指導者としての資質を著しく欠いている」とした上で、責任転嫁するような姿勢を「極めて悪質」と指摘。問題発生後の対応で、一部の日大関係者により当該選手に責任を押しつけ、監督やコーチの指示はなかったことにしようとする不当介入が行われ「事件のもみ消しを図ろうとした」と断じた。
https://www.asahi.com/articles/ASL6Y3VH3L6YUTQP01F.html
日大第三者委、内田前監督らの指示認定 悪質タックル
2018年6月29日15時25分

中間発表の骨子の主な内容
・ルールを逸脱した極めて危険なタックルは、(前監督の)内田正人氏と(前コーチの)井上奨氏の指示で行われた
・試合直後のミーティングや記者会見で、内田氏が自らの責任を認めるような発言をする一方、事情聴取では井上氏とともに不自然な弁解を繰り返し、自らの責任を免れ、(当該)選手に責任を押しつけようとしている
・事件発生後、一部の日大関係者より、(タックルをした)当該選手に責任を押しつけ、監督コーチの指示はなかったことにしようとする不当な介入が行われた

これまでの朝日新聞の第三者委員会報告などの例では、依頼者である朝日新聞の意向を忖度しながら、ある程度世論動向に合わせて批判的に書く・「この程度まで批判的に踏み込まないと世論が納得しない」だろうという政治思惑による調査報告・.時間稼ぎの印象が強かったのですが、今回はズバリ日大執行部の悪しき行動まで踏み込む切れ味の鋭い指摘です。
日大側としては、内田常務一人を悪者にして大学全体の生き残りをかける覚悟を決めていたものの、実力者内田氏の首に鈴をつけられないので第三者委員会にそこまで踏み込んでもらって「その認定事実を基礎に内部処分を決める」という図式を描いてこれに合わせて「結果ありき」の調査だったのかもしれませんが・・。
第三者委員会設置時点で内部の権力闘争が決まっていたというおどろおどろしい結果だったのかもしれません。
日本特有かどうか知りませんが、「第三者委員会」という代物ほどおかしな立ち位置はありません。
正式には第三者委員会ではなく、第三者「的」委員会というべきでしょう。
弁護士会の懲戒委員は総会で選任される仕組みですが、事実上執行部の推薦による点は事件後に設置される第三者委員会と外見上似ています。
しかし、単位弁護士会の場合には、執行部任期は1年限りであり懲戒委員の方は任期2年ですが、事実上本人が辞めるまで一定期間続ける慣習ですから、執行部に都合の悪そうな事件が起きた時の委員は9割方5〜6年以上前の執行部推薦委員ばかりで現執行部に何らの義理もない上に、委員は高齢者ばかりでこの先なんらかの役職につきたいような欲のある弁護士はいません。
そもそも弁護士会は職能団体組織であって、構成員の意向をまとめて表明することですから、上命下服的組織が普通の一般企業組織と違い、執行部の姿勢による不祥事・その進退を決めるような不祥事が社会問題になるようなことは想定できません。
この辺は経団連であれその他職能団体の多くは皆同じでしょう。
今朝の日経新聞2pでは、プロゴルフ協会がプロアマ大会で招待客に対してプロが働いた非礼な行為(というのでどんな行為かと思って読んでみると「招待したアマがプレー中にプロがウオーミングアップ用に自己練習をした」という点が失礼だったとされているようです・)「こんなぐらいいいじゃないか!」と言いたい人もいるでしょうが、これについて罰金30万の他に厳重注意処分」というのですが、業界としては身内をかばっているよりは、「スポンサーのご機嫌を損ねたらおしまい」というあたり前の価値基準の行動ですし、内部権力抗争と関係がありません。
慰安婦騒動に関する朝日新聞の場合には、特定人物の暴走ではなく組織挙げての体質のようですから、アサヒ関係者の誰も本気で反省していない・・スケープゴートを作り出すわけにもいかず、第三者員会を設けても時間稼ぎ程度の結論にしかなりようがなかったのでしょう。
国民の怒りが一過性のものならばそれで良い・スポンサー・顧客である国民に対して「襟を正す」必要がないので、成功となります・自社の報道姿勢は正しかったという姿勢堅持ですから、いわばどちらが正しいか?いまだに真っ向勝負勝負を社会に挑んでいるように見えます。
慰安婦騒動では国内的に陳謝していても海外版では一切の訂正がないと言われ(海外版を見る能力がないのでそういう噂があったという記憶だけです)ますし「江戸の仇を長崎で」と言わんばかりに安倍政権打倒に的を絞った「森かけ問題」に執念を燃やし「日本には言論の自由度が低い」と国連活動している(ただし、匿名者が特別調査者に説明しているだけで朝日がやっているとは限りません)のは、その一環で「最後の勝負にでている」ように見えます。
この勝負はどうなるか政治の世界は一寸先は闇ですが・・・開き直りに徹している以上は、朝日新聞の体質改善には結びつかないので、新聞購読数・発行部数のジリ貧傾向が続いているようです。
http://biz-journal.jp/2016/10/post_17001.html
2016.10.26
企業・業界 企業・業界
朝日新聞、4年間で発行部数105万減の衝撃…新聞業界、存亡の危機突入へ
内容を見ると残紙率の減少が進んだ結果もあるので、実購読者が減った分の実態はヤブの中です。
http://www.garbagenews.net/archives/2194431.htmlは最新である他にいろんな角度からのグラフがあってわかり良いので一部紹介しておきます。

新聞の販売部数などの推移をグラフ化してみる(2017年後半期まで)(最新)

↑ 主要全国紙の朝刊販売数(万部)

 

本文は16年の記事ですが、グラフの方だけ更新されているらしく18年まで出ています。
グラフでは100万部どころか200万部近く減っている様子で下げ止まっていないようです。

STAP細胞事件2と日大アメフト事件2(危機管理2)

私の理解によれば研究成果が内部で評価されるだけで、外部批判にさらされ難い・・「社会によって批判され難い」場合にモラルが低下するという区分けが可能です。
製造現場でのデータ捏造による革新技術開発発表は、それを利用する工程ですぐにバレるので、再現できない発表は起こりえません。
STAP細胞問題は、実用化が待望されていた分野であったからこそ話題性があったし、その分その成果を利用してみようとする追試が盛んに行われたので、再現不可能性の疑問が早期に巻き起こったのでしょう。
小保方氏は、誰も相手にしない学位論文同様に、「ネイチャーの書類審査さえ通れば良い」的気分で捏造データによる発表をしてしまったものと思われます。
大学の研究部門発表では、実用性に乏しい分発覚しにくい・・言論自由市場論のまやかし同様で、学問の自由にアグラをかいて、外部批判どころか学内からの批判さえ事実上受け付けないシステムに問題があるように見えます。
早稲田大学が小保方氏の学位論文を非公開にしていた訳ではないとしても、理系論文の場合、よその大学の若造の学位論文がインチキかどうかなど、他大学のプロは誰も手間暇かけて検証したいうほどの価値がないのが普通です。
たまたま同方向の研究者で「もがいている」テーマの発表がでれば、興味を持って研究・追試対象にするでしょうが、そうでなければ本当に価値ある新発表であればそのうち誰かが利用して世に出るだろう・そのとき参考にすればいいと言う程度で放っておくのが普通の動きでしょう。
たまたま同方向で実験を繰り返しているような場合には、発表した実験が自分と違った方法、あるは混ぜる資料が一つ違った工夫というような場合には、その資料だけ入れ替えて再現実験できるので簡単ですが、そうでない無関係な研究者が追試しようとすると新規に実験装置全部用意するしかないのでは膨大なコストがかかります。
そんなことが本当にできるかな?と科学常識で疑問に思っても、おいそれとは追試実験出来ない・再実験するには巨大な装置コストがかかる仕組み・採点教官でさえ合理的チェック・批判するには「そっくり同じ装置や資料をゼロから用意して同じ実験をしてみないとわからない」ので、その実験が発表通り行われた前提でしか採点できないのでしょう。
(「ABCD試料を合成してXになった」と言う場合、目の前で混ぜている試料が本当にABCDの試料かどうかまでチェックするには容器にAと印字されているだけで信用せずに中身を実際に確認する必要・・実験材料からして自分で集めて見ないとわからない・・200時間の実験成果であれば自分も200時間同じようにやるしかない(・・プロは要点を見れば出来の良し悪しがわかるとしてもデータが前後矛盾なく差し替えられている場合、捏造か改変されているかどうかまでは分からないでしょう)→そんな時間がないので事実上合理的チェック不可能な状態と思われます。
昨日出た会議でも、役所のアンケート結果の集計を見せられてそれを議論するのですが、そのアンケート集計が正確かどうかを議論する暇がない・正確性を前提にした議論しかありません。
こういう前提をつき崩したのは働き方改革法案の前提になっている集計がおかしいという批判でしたが、こういう批判ができるのは審議会の偉い人ではなく、集計に関与している現場の人しかありません。
4〜5日前に公共施設利用者のアンケート集計結果を紹介しましたが、回答者の属性不明のママ議論することになります。
民俗調査・・東南アジアや太平洋諸島などに出かけるフィールドワークの学問発表・古老の話の採録発表も、いくつか事実があるだけで重要部分が作文かどうかは(客観資料との比較の他に)採点者が現地に行くなどして古老に聞いて歩いて確認しないと本当のことは分からないはずです。
サンゴ礁のやらせが発覚したのは、地元漁協の憤慨があってこそバレたものですが、大して手間のかからないことでも多くの場合裏付けまで取らないしそんな暇もなく報道をそのまま受け入れるしかないのが普通だから起きるのです。
NHKによる台湾の現地住民に対する「人間動物園」だったかの報道では、テレビカメラまで入っての「客観性ありそうな」報道でしたが、台湾原住民が別のことに感動し涙を流しているのに違う方に演出していたことが、問題になったようですが、訴訟としては映像をどのように利用しようと編集権の範囲で文句言えないという判決だったようです。
慰安婦報道の元になった吉田調書も結果的に「フィクションで何が悪い」となったようですし、
指導教官や審査委員ではない部外者の場合、本気でチェックしようとすれば装置や材料の準備まで全て新規に揃えて同じ実験をするしかない・・理系研究は装置産業化している点で事実上の参入障壁・非公開性があり、ひいてはデータ捏造の誘惑が高まります。
この現実をどうすべきか(やりようがないと匙を投げ、放置するのではなく)こそが、大学や研究機関に求められている「自浄期待」と思われます。
まずは、不正に対する厳罰のルール化が必須です。
バレたら研究者生命を失うとなれば、安易な不正に手を染める人は激減するでしょう。
この点で内部の懲戒処分制度の厳格運用姿勢は重要です。
最近大騒動になっていた日大アメフト部のルール違反に対する社会の批判の視線もそこにあります。
井上コーチはまだ30歳のようですが、あるいは20歳そこそこの選手でも選手に出るからには、選手としてやっていいことと悪いことの区別はつくはず・・公式試合に出す以上はルールを理解していない選手はいないのが原則でしょう。
ましてコーチともなれば業界からの追放処分を誰も重すぎるとは思わないでしょう・重すぎるという批判意見を見たことがありません。
人権擁護の一方的報道の雄である毎日新聞でも、以下のように客観的に報道するのみで処分を(「市民感覚があ〜と批判せずに)肯定するかのような報道姿勢です。
https://mainichi.jp/articles/20180530/ddm/005/070/126000c

日本大アメリカンフットボール部選手の悪質なタックルをめぐる問題で、関東学生連盟が関係者の処分を決めた。日大の内田正人前監督と井上奨(つとむ)元コーチは除名とした。
除名は懲罰規定で最も重く、大学アメフット界からの永久追放にあたる。学生に限らず、スポーツ界での除名処分は極めて異例だ。
・・・・・こうして内田氏を頂点とするピラミッド型のゆがんだ支配構造が構築されていった。学連の処分は、この構造こそが問題を引き起こした本質だと断罪したに等しい。

組織維持の根幹に関わるルール違反があれば、国家の場合、刑事処罰・・国外追放から死刑、〜刑務所への隔離等があるように、組織有る限り、組織維持のために除名→業務停止〜戒告等の順に厳しい処分を行うのが原則です。
これがきっちりできないとその業界・組織がジリ貧になります。
アメフト業界(関東学連)による上記処分は日大の組織挙げての違反行為を看過できないとしたものですが、日大としてはこの処分を受けても(元凶と言われる内田氏の大学支配が強すぎて)誰も「首に鈴をつけられない」状態らしく大学の対応をどうするかの腰が定まらないママでした。
早稲田大学が、身内教授らへの波及を恐れて小保方氏の不正を認定しながら学位剥奪をしなかったのと似ています。
我々弁護士会でも、懲戒制度の適切な運用こそが、弁護士自治・弁護士の信用維持を実効性あらしめる核心的位置にあると言われる所以です。
懲戒請求された弁護士が可哀想という人権論・同情を基本に運用していたのでは、社会の信用を維持できません。
まず第一に非違行為の事実があるかどうかは人権を守るために厳格に認定する必要がありますが、非違事実があった場合にそこに至った情状を総合して弁護士のあるべき姿に対する社会の信頼がどの水準かを知り、また「あるべきか」の価値判断で決めるべきで、知り合いか、可哀想かどうかを判断要素にしたのでは国民の信頼が揺らいでしまいます。

STAP細胞事件2と日大アメフト事件1(危機管理1)

今回の日大アメフト部のルール違反事件処理の拙さといい、早稲田の小保方事件に対する処理能力といい、日頃偉そうなことを言っている「大学の自治能力って、一般企業以下でないの?」と疑問符のついた事例が続いたことになるでしょう。
日大事件では日大に「危機管理学部」?が、あることが、ネット上で揶揄されていましたが・・・!
https://www.asahi.com/articles/ASL5T323RL5SUTIL03T.html

「対応遅すぎ」日大・危機管理学部生が見たタックル問題
張守男、円山史
2018年5月25日09時47
日大には、自然災害対策や情報管理などについて学ぶ、国内で珍しい危機管理学部がある。
同学部1年の男子学生(18)は「大学の対応は遅すぎた。先に選手を表に出してしまい、責任も学生になすりつけようとしている」とあきれた。
23日夜の内田正人前監督らの会見について「誰が見ても指示は明確。全て認めて辞任しておけば騒動を沈静化できたかもしれないのに、信じられない思いだった」と語った。
23日夜の会見では司会者が質問を遮る場面もあった。別の1年の男子学生(19)は「こっちが加害者側なのでもっと丁寧な進行をすべきだと思った。危機管理の対応を考えるきっかけになった」と話した。
前監督は大学の常務理事。1年の女子学生(18)は「学内でも権力のある人だったから大学も動きにくく、まずい対応になったのではないか」。別の1年の男子学生(18)は「周りが監督に物言えないのなら、早く大学のトップが出てこないといけない」と指摘する。

上記は報道機関の意見を学生の名を使って書いているのかも知れませんが、とんだ反面教師の教材提供になったものです。
こういう実例教材に事欠かないという宣伝効果で日大危機管理学部の人気が上がるのでしょうか?
小保方事件に対する理研の対応を見るとプロの世界では再現テストをして再現不能を確認した上での処分であり、プロの世界の信用意維持にかろうじて成功したようですが、この経過を見ると実証するには大変なコストが掛かることもわかります。
再現テストをするには、膨大なコスト+時間がかかる・例えば医薬品開発の巨額資金の必要性が知られていますが・・これの再現実験ってどうやるの?という問題があります。
いわゆる治験を例に考えると・・10万人に対する数〜5年単位の追跡調査など・本当に別のグループでやっても同じ結果が出るかなどを考えて見ると、誰が?どこの企業が知的好奇心のみで膨大なコストと時間をかけて、酔狂な再現実験をしてA社の実験発表が正しいかどうかの実証検査をすることができるでしょうか?
学問研究の成果でも同じで、採点側の教官としてもコストがかかったり時間のかかる再現実験を自分でしていると自分自身の研究や仕事をしている暇がなくなるから、学位論文を出す学生や研究者がまさか虚偽データを潜り込ませていないだろうという信用で判断するしかないのが現実でしょう。
小保方氏の論文を掲載したネイチャーだって、その実験成果が正しいとすれば掲載価値があるかどうか、論文の論理を追って外見上の矛盾さえなければ掲載する程度の審査でしょう。
世界中でいろんな分野に広がって発表される論文をネイチャー自身が掲載前に自前であるいは第三者委託で再実験する能力(装置)があるはずがありません。
電池製造など実用分野の発明発見ではその企業が製品化するための実験繰り返しですから、虚偽発表してもし品化して作動しなかればすぐにバレるのでデータ捏造する意味がないでしょう。
あるいは新製法では、消費電力が半減するとか持続力が二倍になるなどの触れ込みの場合、その製法による電池などを機器に組み込めばすぐに結果が出ます。
(ただし医薬品の場合、副作用がきつければすぐに問題化しますが、「毒にも薬にもならない」風邪薬程度の場合、虚偽データの発覚リスクが低いことがわかります・・)
工業製品でもプロが機器に組み込んでコストダウン出来るのではなく、新製品(化粧品・風邪薬など)を消費者が受益するような場合、消費者には直感程度(しかも個人差が大きいので、自分の体質に合わないのか程度の疑問しか持ちません)のしか違いがわからないので、捏造の誘惑が高まります。
車の燃費偽装や免震ゴムの偽装なども途中どの業者も損がない・・消費者のもとで効能を発揮する仕組み、結果の分かり難いもので誘惑が高まるようです。
論文発表が自由な批判にさらされ、自由市場で淘汰されるといっても、製品化に遠い分野あるいはその成果を利用してその次の段階の実験に取り掛かろうとしているような場合を除けば、第三者が好奇心だけでは(実験設備その他膨大なコストがかかるので)容易に再現実験できないので虚偽データによる成果捏造の誘惑が高まると言えそうです。
大学の学位論文など現実社会で実用になるような論文は皆無に近いでしょうから、着眼の斬新さと論文作成の様式にあっているかの形式審査程度で、実態調査や引用した統計データなど正しいかどうかなど精査しきれないのが実態ではないでしょうか?
ドイツ・ワーゲンの燃費偽装に始まり、日本企業での燃費偽装や神戸製鋼その他の大手で検査データ偽装が続々と出てくる背景を見ると、企業モラルの実態に関心が行きますが、モラル低下というよりは、発覚し難いことが誘惑助長につながっていると見るべきでしょう。
犯罪率低下には、検挙率アップが重要と言われている所以です。
他方で、もともと大して信用がなかった飲食店や農産物業界の信用が必要になり、信用が高まってきたことによる期待を裏切られたという逆方向の問題でもあります。
政治モラルなどの事件では、昔普通だったことが国民の期待・要求が高まって許されなくなってきた面が目立ちます。
期待の高まりによる不祥事の場合、期待度が上がるのに関係者全員一律について行けない部分(人材)が残るのは当然で、その部分に焦点を当てるとしょっちゅう不祥事が表面化するのは当然であって、モラルが下がったことにはなりません。
昔普通にあった事件が減って稀少化するとニュース価値が高まる結果、ちょっとした殺人事件等が全国ニュースで駆け巡る結果、「最近物騒になりましたね」という人がいますが、少年事件や刑事事件の絶対数が大幅に減っている現状と合わないのは、被害に対する敏感度が上がってきたことによります。
学会・研究者は学問・求道者としての矜持があるでしょうが、現場検査要員によるずさん処理となると人材レベルが違うので研究者と彼らを同視批判するのは妥当ではないと言えますが、現在社会における企業製品に対する品質信用の重要性が高まってきているという点では軽く考えてはいけません。
個々人で見れば政治家には政治家のモラルがあり、公務員や弁護士や医師、教師〜会計士それぞれの職種に応じた必要なモラル・ルールがあります。
大学の研究者に要求されるモラルと現場の品質検査要員に要求されるモラル・・同じ食品業界でも高級レストランと個人飲食店での衛生モラルでは、(個人商店は不衛生で良いわけではありませんが)国民期待度・信用がそれぞれ違うし歴史も違います。
小保方氏の場合、まだ経験未熟の若手とはいえ、大学院での論文執筆の修練・・研究ルールを体得して博士号になっている者であって、学位授与されている専門家としての能力を前提に理化学研究所の研究員に採用されていたのでしょう。
プロとして基本ルール違反があれば専門研究家の資質がなかった・・業界から排除されるべきは当然のことです。
小保方問題は、研究者に対する信用度が上がったのに小保方氏がついて行けなかったからではなく、大学や研究者に対して「昔からある信用基準を満たさないプロがいたことに社会が驚いた」ということでしょう。
小保方氏擁護論は「研究者なんて実は大したモラルがないんだ」という科学会全般批判・現実直視・肯定論のようです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC