見出しに大きく軍関与の資料発見(正確な表現は忘れました)と書いていて、内容をよく読むとどうでもいいような資料・連行と何の関係もなさそうな資料しか書いていない・・よく読めばメデイアは中立ですというつもりでしょう。
軍による強制連行があったかどうかが国民の大関心事になっている最中にこういう誘導的見出しの記事が1面に出ると多くの国民が強制連行の証拠書類が出たのかと第一印象を抱きます。
昨日最後に書いたように多くの人は内容をじっくり読む暇がないのが普通です。
互いに他報道機関の憶測に過ぎない記事を検証することなく「他社が書いているから」という理由で?既成事実としてその上に自社でさらに少しずつ憶測を螺旋状に積み上げていく繰り返しで、戸塚弁護士やメデイア界は役割分担しながら憶測を世界に広めていたように見えます。
今回の森かけ関連報道でも顕著ですが、見出しと内容記事が違う報道をすると、誤解を与えるリスクが高いのですが、なぜか裁判所は「内容をよく読めばわかるはず」というトリックで名誉毀損訴訟の多くを退けてきました。
名誉毀損事件の被告・・加害者の多くは報道可能な媒体を持つメデイアですから、裁判所のこのような姿勢は、メデイア界による思わせぶりな事実上の虚偽(フェイク)報道を助長してきたことになります。
こうした報道態度はフェイク報道に近いので、思想表現の自由の保護を受けない・・公正取引分野での規制対象にすべきかもしれません。
商品の見出し広告と内容説明が違うのは消費者の誤認を招くので(大きな効能の見出しを買いておいて隅っこに小さな文字100人にひとりしか効きませんとか、大特売と書きながら特売品一個だけですとかいておく)公正取引法で許されないのが常識的運用です。
メデイアに限って古典的基準・常識人が内容まできっちり読めば反対意見も書いていて自分で判断できるはずということで、上記の通り名誉毀損に当たらないとして多くのどぎつい見出し広告が許容されてきました。
裁判所の基準は「通常人」が誤読するかという基準ですが、憲法学者の言う「言論の自由市場」という市場論は、その道のプロ論壇参加者や週刊誌で言えば、お金を出して買う購入層の読解力を基準に判断しているのですが、政治判断は電車内の吊り広告や新聞等にある週刊誌の表紙広告や新聞やテレビの見出しテーマによって影響を受ける比率の方が大きい実態があります。
見出しで多くの人が影響を受けているのですが、その場合その道の専門家も部外者(エコノミストその他の専門家も専門外の見出しに関しては)やレストラン店員も労働者も洗脳的に受ける影響力は似たようなものでしょう。
要はその内容吟味する時間も暇もない点では情報「消費者」なのです。
消費者保護が必要なのは、消費者の知的レベルが低いからではなく、消費のたびに内容チェックする時間も暇もないということです。
食品専門家でも表示品質通りの食品かどうかは、購入現場で判断できない・検査機関に持ち込まない限り店頭で品質チェック能力がないので、表示を信用して買うしかありません。
野菜果物では、見ただけでうまそうかどうかの判断がある程度つきますが、それでも食べて見てマズ過ぎれば「おかしい」となりますが、見ただけでは産地偽装をその場で見抜けません。
板倉社長の時だったか、三越事件があって信用がガタガタになってしまいましたが、顧客は鑑識能力がないから三越は偽物をつかまさないだろうという信用で高額品を買っていたのです。
日本では報道機関等の報道では「言論の自由」「報道の自由」と称してこれが許されていたのは、報道機関は実態調査裏づけを取ってからの発表だろうという信用が高かったのですが、裏付け調査どころか信用を悪用して、自分自身がヤラセ報道(サンゴ礁事件/捏造報道)するようなことが頻発するようになったこと自体、三越事件(三越も偽物を知らずに仕入れたのではなく三越が意図的にガラクタを高級宝石と売って事件でした)同様で、この頃から「情報も商品」として「消費者保護対象」にする必要が出てきていたことになります。
ところが言論に限っていまだにこのような「羊頭狗肉」報道がまかり通っているのが不思議です。
ただ彼らのいう報道の自由市場論は、彼ら大手メデイアが牛耳っている限りの自由市場論のように見えます。
裁判所とメデイア界合作のこのような変なルールが、ネット批判が可能になったことで「見出しと内容が違う、あるいは「言葉の(一方的)すり変え」にはすぐさま厳しい反論が出るようになりました。
ネットの発達によって、報道界が独占支配する「言論の自由市場」が終わったことがわかります。
メデイアの偏ったイメージ報道がすぐ批判に曝されるようになったので、彼らにとって「日本には言論の自由がない」ということになったらしく、国連特別報告者が訪日調査して(多分そういう不満分子が招請したのでしょうから、そういう人たちから聞き回った)特別報告が採択されたとかで、1昨年頃に大さわぎなりましたが、要は国内言論市場の独占支配が崩れて困っている実態が丸見えです。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/02/post-7031.php
日本が低迷する「報道の自由度ランキング」への違和感
2017年2月22日(水)12時09分
佐藤卓己(京都大学大学院教育学研究科教授)
<61位(2015年度)、72位(2016年度)と、日本は世界報道自由ランキングの順位を年々下げている。果たして安倍政権のメディアに対する姿勢に原因があるのか、それとも内閣支持率で空気を読むメディアの自己規制に問題があるのか――。「この順位に驚かない」という佐藤卓己・京都大学大学院教育学研究科教授による論考
パリに本部を置くNGO「国境なき記者団」Reporters Without Bordersが二〇〇二年以降、二〇一一年をのぞいて毎年発行している。すでに述べたように、二〇一六年度版で日本の「報道の自由度」は一八〇国中、七二位に下落した
二〇一六年五月四日付『朝日新聞』の「天声人語」も、このランキングで中国政府が言論弾圧を行っている香港(六九位)よりも日本の方が低いことに「驚いた」といい、「西欧中心の見方ではないかと思う」と疑念を呈している。だが、このコラムは次のように結ばれている。
それにしても、昨今の自民党議員らによる居丈高な物言いは、やはり常軌を逸している。担当相が放送局に電波停止をちらつかせ、議員が報道機関を懲らしめる策を勉強会で披露する。あの種のふるまいがなければ、日本がここまで評判を落とすことはなかっただろう。
(稲垣注・朝日は「自分らが告げ口したのではない」という表向き弁解ですが、本音はこの部分でしょう)