私は慰安婦騒動の国際政治的元凶は、戦争後も日本の復活を阻止したい米国が、日本叩き・潰しの一環+中韓をそそのかしてアジアの分断を狙って中韓を後押ししてきた・・という私の憶測で従来書いてきましたが・・。
今回6月8日に引用したhttps://www.weblio.jp/wkpja/content/慰安婦_日本軍慰安婦で6月8日に引用しなかったもう一枚の写真をこの機会に引用しておきます。
担架の上で座って、尋問を待つ日本軍慰安婦の中国人の少女。男性は英国空軍中尉”。1945年8月8日、ビルマのラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)の連合国軍キャンプにて、ティトマス軍曹によって撮影。
詳細は「日本の慰安婦」を参照
上記は英米軍は日本敗戦濃厚になった時に戦後日本の非道徳性を暴き東京裁判で裁くために日本のポツダム宣言受諾前から着々と資料集めをしていた実例です。
ところが反日感情の強いはずの中国人や朝鮮人を相手に聞き取りをしても米軍の慰安所よりも待遇が良かった・・・ホンの少しでも非人道的事例が出れば、これ見よがしに日本軍の蛮行として宣伝するための資料集めでしたが、それが成功しなかった・米国の尊敬すべき点は証拠の捏造まではしなかった点です・・結果が証明しています。
この調査結果を知り尽くしてるし客観証拠を全部握っている米国が、調査結果を公開すれば即座に勝負アリで終わっていたのに、これを発表せずに日弁連の運動・・日本側の内部裏切りを利用して連邦議会で日本の慰安婦非難決議をしたこと自体が日本叩き目的の政治謀略を裏づけるものです。
プラザ合意以降のジャパンパッシングと同時並行でした。
慰安婦騒動はこういう大掛かりな国際包囲網があって進んだ事件ですが、この間に中国の方が日本よりも強大になってきたので、米国の日本叩きの方針が変わり、逆に米国が対中叩きをするには日本を味方につける必要が出てきたので中韓は梯子をはずされた状態になったという意見を書いてきました。
米国の図式通りに踊っていたパク大統領と日本の協力者・メデイア界にとっては大変なことになってきました。
パク前大統領は国民不満によって弾劾され今は獄中ですが、日本のメデイアや中韓協力者はまだ命脈を保っているので慰安婦=性奴隷のまやかし「化けの皮を剥いでしまった安倍憎し」で安倍政権倒しに必死の様相です。
戸塚弁護士の性奴隷運動応援団の続きです。
日本の従軍慰安婦に関しては、メデイア界では軍関与の資料が出たと、(如何にも性奴隷の決め手の証拠のように)大騒ぎしていたことがあります。
戦地に同行する軍人相手の売春婦がいる場合に、軍人の健康管理上、保健衛生上の規制をし一方で移動に関する便宜を図る一方情報漏洩に関心があるのは当然・・付随サービスプラス規制は一体のものであり、性奴隷(強制性)認定するにあたっての意味ある規制ではありません。
ウイキペデイアによる従軍慰安婦に関する諸外国制度紹介を一部抜粋引用で見ておきます。
2 公娼制(管理売春)と慰安婦・慰安所の歴史
以下ヨーロッパ、中国朝鮮の歴史が鍾愛に紹介されています。省略
近代公娼制の確立
18世紀のヨーロッパでは売春が盛んになり、私生児も増加したため[125]、1724年の『公営売春宿擁護論』では公娼制による解決が主張された[126]のち産業革命期以降のヨーロッパでは公娼政策がとられた[97]。しかし非登録の私娼も多く、1843年頃はロンドンに9万人、パリに3万人、ベルリンに1万人[97]、1860年のロンドンでは30万人の娼婦がいたとされる[98]。
性病対策としての近代公娼制
近代公娼制は、性病対策と軍隊慰安によって設置され、フランスで確立し、その後ヨーロッパ、アメリカ合衆国や日本にも導入された
18世紀末に梅毒が流行し、ナポレオン戦争による大規模の人の移動のため性病がヨーロッパ中にひろがったが、同時に医学研究もすすんだ[129]。プロシアでは一旦廃止されたあと1851年に性病予防のために公娼制度が軍によって再開され[127]、風紀警察が特別に設置された[130]。イギリスはクリミア戦争の際の性病問題に対してイギリス軍の提案[131]で1864年から1869年にかけての伝染病(性病)法によって公娼制度が導入され[127]、警察が娼婦とみなした女性を逮捕し、検診を強制できるようになり、性病に感染していない場合は娼婦(公娼)として正式に登録された[131]。1873年、ウィーン国際医療会議で売春統制を各国共通にするための国際法が提案された。
1908年、警視庁は妓生取締令・娼妓取締令を出し、朝鮮の伝統的な売春業である妓生を許可制にし、公娼制に組み込んだ[23]。取締理由は売買人の詐術によって本意ではなく従事することを防ぐためとされた[23]。清(中国)での日本租借地関東州でも1909年に日本人娼妓の営業を禁止されたが、芸妓・酌婦の公娼行為は黙認された[25]。1910年には「日韓併合により、正式に公娼制度が導入された」と秦郁彦は書いている[138]
公娼の廃止に向けた取り組み
・・・日本においても、1920年代になると廃娼運動が盛んになり、「公娼制度は事実上の奴隷制度である」などの理由により、公娼廃止決議、公娼廃止を決定する都道府県が続出した[151]。
植民地公娼制[編集]
しかしこのような廃娼運動も、植民地においては本国と比較して後れを取った。
1870年代になってジョセフィン・バトラー[159]らの売春婦救済運動(廃娼運動[97])が盛んになり、19世紀末のイギリスやアメリカ合衆国では本国では公娼制が廃止される[97]。しかし、植民地においては存在し続けた(秦郁彦[160]、ヒックス[161]、藤目ゆき[162])。イギリスは1921年の婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約に調印しながらも植民地での公娼制は維持された[162]。アメリカ合衆国もフィリピンなどでは、米軍基地目当ての売春宿や性病検診と登録制は1990年代になっても廃止されなかった[162]。秦郁彦は、第二次世界大戦当時の英米では兵士の慰安婦は公娼から私娼中心になっていたが、戦地の現地人娼婦以外では女性兵士や看護婦が代替したと指摘している[1
第一次世界大戦時の米軍ではアメリカン・プランが推進された。アメリカン・プランとは、米軍の兵営5マイル以内では、どんな女性でも逮捕でき、その女性の市民権を停止することができる軍隊保護法であった[171][172]。市民権を奪われたあと女性に性病感染が発見されると、強制収容され、終戦までに1万5520人の女性が逮捕収監された[172]。この保護法は性病から兵士を保護する目的であり、逮捕収監は合法であったため、兵士で処罰されたものはいない[172]。
第二次世界大戦時の性政策[編集]
秦郁彦によれば、第二次世界大戦当時の戦地での性政策には大別して自由恋愛型(私娼中心。イギリス軍、米軍)、慰安所型(日本、ドイツ、フランス[173])、レイプ型(ソ連)の3つの類型があった[174]。
・・・英米軍が占領後に日本軍慰安所を居抜きで使用した場合もある[176]。アメリカ軍もフィリピンなどの植民地慰安所をのぞくと慰安所を設置しなかったが、ノルマンディーに上陸したアメリカ軍が多数のフランス女性をレイプし、性行を行っている姿を見ないで街を歩くことが出来ないほどの状態になったためル・アーヴルでは市長が郊外に慰安所の設置をアメリカ軍指揮官に懇願したがアメリカ軍はこれを拒否している[177][178]。
ドイツ軍は国家管理型の慰安婦・慰安所制を導入し500箇所あったといわれ、ドイツと同様の制度を導入した日本軍慰安所は400箇所あったとされる[179]。フランス軍、インド駐留イギリス軍、イタリア軍にも慰安所があったが、慰安婦を現地で募集する場合とそうでない場合とがある(詳細は下記節で述べる)。
ソ連軍による戦時性暴力と慰安婦[編集]
ソ連(ロシア)では慰安所は設置されていないがレイプが黙認された[189]。ヨシフ・スターリンは敵国の女性を戦利品とする「戦地妻」を容認し、「わが軍兵士のふるまいは絶対に正しい」と兵士を鼓舞した[190]。ソ連軍は占領したドイツで集団強姦を広範囲に行い[191][192]、レイプの被害者数はベルリンでは9万5000 – 13万、東プロイセン等では140万人、ドイツ全域で200万人にのぼった[193]。ソ連軍によって監禁された約170名の日本女性が強姦を受け23人が集団自決した敦化事件も起きている。また大古洞開拓団(三江省通河県)ではソ連軍による慰安婦提供の要請を受けて、2名の志願慰安婦を提供した事例もある[194]。満州開拓団にソ連軍が進駐した際には兵士の妻でなく単身女性が慰安婦として提供された黒川開拓団や郡上村開拓団の例がある[195]。
ソ連軍による戦時性暴力と慰安婦[編集]
ソ連(ロシア)では慰安所は設置されていないがレイプが黙認された[189]。ヨシフ・スターリンは敵国の女性を戦利品とする「戦地妻」を容認し、「わが軍兵士のふるまいは絶対に正しい」と兵士を鼓舞した[190]。ソ連軍は占領したドイツで集団強姦を広範囲に行い[191][192]、レイプの被害者数はベルリンでは9万5000 – 13万、東プロイセン等では140万人、ドイツ全域で200万人にのぼった[193]。ソ連軍によって監禁された約170名の日本女性が強姦を受け23人が集団自決した敦化事件も起きている。また大古洞開拓団(三江省通河県)ではソ連軍による慰安婦提供の要請を受けて、2名の志願慰安婦を提供した事例もある[194]。満州開拓団にソ連軍が進駐した際には兵士の妻でなく単身女性が慰安婦として提供された黒川開拓団や郡上村開拓団の例がある[195]。
上記を見ると、慰安婦が現地移動するには軍の便宜供与が必須であったことや性病管理などを理由に性奴隷という粗雑論理・・日本軍関連慰安婦だけこんな無意味なデータ程度を元に大騒ぎすること自体、性奴隷論を応援する色づけ報道の疑いが濃いものでした。
一般企業が出入り業者の出入りをチェックする規則があるように、どこでも入館証を発行したりするのは管理上やっていることであり、軍の移動について移動する慰安婦集団に対してもその程度のルール化や便宜を図ることと彼女らが奴隷であったかどうかとは直接関係がありません。
工事現場に入るには、ヘルメットをかぶるとか、特定企業内に出入りするには企業独自の入館基準をパスする必要があります。
売春婦でも慰安婦の場合、ことの性質上性病関連検査が必須であるとして軍が保健衛生上の基準を守らせていたとしても、売春が軍の強制管理下=奴隷的拘束の下で売春を強制されたかどうかとは関係ないことです。
刑務所,警察など未決勾留中の被疑者などは自弁で弁当を注文できますが、食品(物語風の心配で言えば、口封じ目的の毒殺の心配?)安全上の側面から指定業者に限定していますが、だからと言って警察等に隷属しているのではなく納入業しての規制を受けているにすぎません。
性奴隷かどうかは、売春婦になることが強制され、ひいては売春行為も強制されたかどうかであって売春婦をする以上は「一定基準を守らされた」というだけでは、奴隷制と無関係です。
車の運転をする以上は道路交通法を守る義務がありますが、それは奴隷制とは関係のないことです。
大手建設工事現場に入るにはヘルメットなどの安全装置着用が求められますし、食品工場などでは衛生管理上の着用が義務付けられます。
6月4日と5日上野論文を紹介しましたが、主張している事実はせいぜい軍関連売春婦であったという程度の事実がわかるに過ぎず、奴隷的拘束との関連性の有無としては遠すぎる事実を見つけては、あたかも大きな成果のように大騒ぎするメデイアの体質はここ数年の森かけ騒動でも同じです。
今回の森かけ騒動に関して財務省が抹消した公文書としては報道されている限りでは、森友氏がこう言っているという聞き取り程度の枝葉末節的なメモ類ばかりで、鬼の首でもとったかのような大騒ぎをしていましたが、大阪地検では公文書の意味を損ねるような改ざんではなかっと結論で不起訴処分にしました。
書類を直接比較して見ていないので正確には不明ですが、報道を仄聞する限りでは、「誰それがこう言った」というだけで総理の責任があるわけがないのでそんなところでしょう。
他方で愛媛県のメモが出て来たのでこれも安倍総理の責任という報道ですが、内容を見ると関係者から聞いたという眉唾文書ばかりです。
「政治家を利用してうまいことをしよう」とする「怪しい輩」はゴマンといて、役人はそのくらいのことはしょっちゅうですから、訪問者がどこそこの政治家と懇意だとか、応援すると言われたとか、ゴルフをしたとかいろんなホラを吹いても、役人の方は「また言ってる」とバカにしながらも一応こういうことを言っていたという情報処理(メモは残し)します。
愛媛県訪問者の誰それがこういったというメモが出たというだけで、いかにも安倍総理が不正をしていたかのようなイメージを流布するのですが、事実を主張しないで「疑惑をほのめかす」ばかりの報道体質・慰安婦誤報道以来の体質がまだ続いていることがわかります。
本来この程度の情報があった場合、いつものことか?とバカにしないで、念のために総理に暗い影がないか調べて見ようと嗅覚を働かし、調査に着手するまでは各社の随意であり合理的ですが、何も裏付け調査しないで、あるいは、調査してみて何も出なかった腹いせに?総理に汚職?の疑惑があるように言い募り国会審議を止める運動までするのは行き過ぎ・・業務妨害的な報道態度です。