高齢者と民意2

国際経済競争の激化・世界情勢変化の激しいこの時代に、何かと与党を困らせるために重要政策や重要産業発展に必要な施策に限って議事妨害に精出すのですから、これほど国益に反することはありません。
激しい反対運動の結果、成田空港は滑走路1本の変則空港で始まる・アクセスとして成田新幹線(東京成田間が15分前後)が予定されていましたが、反対が酷すぎて変則空港になったので利用者が見込めずに沙汰止みになりました。
せっかく用地買収していたので数十年を経て現在北総線として通勤電車の線路になっていますが、この挫折自体も国際ハブ空港としての頓挫原因の1でした。
結果的に先発の成田空港が後発の仁川空港に国際ハブ空港の地位を奪われるなど、何でも反対の運動が日本の国益を損なう方向に及ぼした悪影響は測りしれないものがあります。
過去の色んな事例を見ると、反対するだけして、最後に法案が成立するにしても導入を1日でも先延ばしし、実現するにしても修正に修正を重ねさせて使い勝手の悪い制度にしてしまい、政策効果を削ぎたいという態度が見え見えです。
どのような政策を採用することが国益になるかについては民意が決めることですが、これについては、重要法案については選挙前から政党ごとの方向性を有権者が知っているので選挙で決着がついた事になるので、国民多数の支持を受けた与党主導の重要政策実現に反対するのでは選挙結果=民意無視になります。
選挙で決まった政権選択=政権党の重要目標とする政策が民意によって支持されたのに、選挙で負けたことを潔く認めないで審議拒否牛歩戦術などあくまでも反対を貫いてきたので、選挙のたびに支持を減らしてきたのが旧社会党でした。
選挙でもスポーツでも勝負に負ければその原因を究明反省して捲土重来を期すのがあるべき姿ですが、負けたことを認めないで「国民大多数の気持ちを踏みにじった強行採決を許さない・」などの決まり文句ばかりでは、国民の方が白けます。
でも騒動が好きなようですが、デモをしたら支持が増えるとおもっているのでしょうか?
反対だけでは党勢縮小の一途で旧社会党凋落の結果、社会党を脱出した議員中心に結成したデモクラッツ以下、雨後の筍のように次々と生まれた野党(離合集散を繰り返して、今は立憲民主と国民民主と両党に合流しなかった無所属の3派ですが・・全学連が分裂を始めて3派10流と言われたのと似ています)は、自分の主張は原理論ばかりで具体性がないのですが、政権攻撃するには政策内容に関係ない枝葉末節のルール違反の「疑い」を騒いでは、国会審議妨害作戦を展開していることになります。
憲法改正でいえば、何が不満というのかはっきりしない・・「安倍政権での改憲反対」・・の世論調査の仕方を見ても内容で勝負する姿勢が見えません。
働き方改革では前提データの違いが発覚した点は問題(というばかりでそのデータが法案のあり方にどういう影響があるのかについてメデイアによる説明がない・・「お前は頭が悪いだけ」と言われればそれまでですが、だからと言って野党側に与党と違うどのような意見があるのか一切不明・ただデータがあてにならない・・「こういうことで良いのか!」と言わんかのような批判ばかりです。
何かミスを見つけ出しては政府が「こんな杜撰なことで良いのか」という追及ばかり聞いていると国会は「ミスのホジクリあいのためにあるのか?」と思う人が増えるでしょう。
もともと多数党の掲げる政策実現は、抽象的に言えば選挙による民意の支持をうけているのであって(野党は一任したわけではないと言いますが、代議制民主主義とは人格識のある人に決定を一任する仕組みで、一々のテーマごとに民意を問う仕組みではありません。
選挙の結果支持を受けた与党の重要政策の実現妨害をすること自体が、民主主義制度の破壊行為です。
原理論と違い現実の政策課題・・特に細かな条件の決定などは、あらかじめの公約に基本的に馴染みません。
幹線道路貫通や保育所増設でも方向性は言えても具体的にどのように実現するかは、現場ごとの市民の反対運動等があって、実現過程は千差万別です。
沖縄基地移転問題で民主党鳩山政権が食言になったのは、この限界を悪用して「公約だからいい加減・夢さえ語れば良い」という根拠のない公約を掲げたことによります。
革新系支持者は、実務経験がないというよりか、高齢者(どこかの企業や官庁の勤務経験者ですが)の中でも元々中学生レベルの夢を語るレベルで理解が止まってしまった人が原理論しか言えない体質がモロに出た象徴です。
(企業内でも原理論にこだわってあちこちでぶつかりながら定年までようやく生き延びてる自分を組織内で生き残るために仕方なしに?内心宥めながら、なんとか定年まで仮面をかぶってやってこられたのかも知れません)
一般社会で見ても意見相違があっても、ある組織が多数決で「何月何日にお花見やAの行事をやろう」と決めたらBの行事をしたくてその行事に反対した人でも気持ちよく協力するのがルールです。
みんなで決めたことを自分は反対だったからとその準備の仕方にいちいちケチをつけていたら、その組織の一員として生きていけません。
こんな言いがかり的審議拒否の連発では、一見反日目的集団・中韓の犬ではないかと主張する人が出てくるのはムベなるかなというところですが、私は彼らを必ずしも反日目的集団とは思っていません。
彼らは民主主義政治、人権尊重という言葉に酔いしれている結果、相手にも意見があり人権がある・・意見相違には妥協が必要という現実を受け入れられないからではないでしょうか?
この点では1つの価値観が「唯一正しい」と決めたら一切疑問を持たず心酔する・・共産主義独裁はそう言う単純理解にはピタリの思想です。
北朝鮮を理想郷と称賛して移住を奨励したり中国の文化大革命を称賛していた左翼文化人の心の拠り所がここにあります。
この理想社会実現のためには「遅れた民意を指導する」のが前衛支配思想で、レベルの低い遅れた思想は前衛思想家が「思想改造対象」でしかない・・理想社会実現を妨害する反革命分子は容赦なく叩き潰す・・・粛清の嵐を称賛することになります。
中ソ等の独裁政治・偶像崇拝的傾向・・スターが演説すればそれに酔い痴れてどのように実現するか(都市計画の具体的現場でブルドーザーで庶民の家を踏み潰して行く中国の現実には目を向けない)を問題にしない・・理想としているからこういう行動をとるのではないでしょうか?
自由主義国を転覆させるためには「方便として最大限言論の自由を主張し、手続きミスをあげつらうべし」ということになるようです。
テロ組織は相手国の交通等の麻痺を企図するのですが、自分がテロ現場に赴き逃走するにはその国の交通網を最大限利用するのと同じです。
中国が自分は相手国に自由な行動をさせないが、相手国の公平で開かれた制度は十分利用すると言う身勝手な態度に対してトランプ氏が「冗談じゃない!」と怒りを炸裂させているように物事は互恵関係が基本です。
スポーツでも日常生活でも何でも一方がルール違反やり放題では、まともにスポーツを楽しめませんし近隣の交際になりません。
付き合い初めにはルール破り放題でも「まさか?」と思うので多めに見ていますが、一定期間経過で「いい加減にしろよ!」なります。

高齢者と民意1

産経ニュースによれば以下の通りでした。
https://www.sankei.com/politics/news/180430/plt1804300002-n1.html
ニュース 政治

2018.4.30 01:00更新
【政界徒然草】野党の審議拒否は若者に支持されるか
世論調査に現れた世代ギャップ
産経新聞とフジニュースネットワーク(FNN)が4月21、22両日に実施した合同世論調査で、一連のセクハラ問題に関して麻生氏が辞任すべきかと尋ねたところ、「辞任の必要はない」が49・8%となり、「辞任すべきだ」の45・6%を上回った。
大差がついたわけではないが、年代別に分析すると興味深い傾向があらわになる。
若年層(18、19歳と20代)では「辞任の必要はない」が71・7%と多数を占め、「辞任すべきだ」は26・8%止まり。
逆に高齢層(60歳以上)では「辞任すべきだ」が58・4%で、「辞任の必要はない」が35・5%だった。

高齢者は「揉め事が起きれば為政者は責任を取るべき・総辞職すべき」という戦前日本が間違った方向へ引きずり込まれた悪習を後生大事にしている印象です。
戦後民主主義のスローガンに夢を抱いて育った世代・高齢者(といっても私も後期高齢者ですのでその気持ちはよくわかりますが・・)は、ともかく戦前軍部は悪かった政府は悪いことをすることをする・・これを信用せず監視するのが民主主義だというような教育で育った世代です。
ともかく批判精神が重要・・・前向きの政策をどのように進めるかの教育を受けた記憶がありません。
この教育の結果何でも批判的に見る→先ずは反対から入っていくことが正しいような生き方が身についた世代なのでしょう。
反対から入る=従来の方式やルール変更や新技術導入に反対となりますから、世界の進運に棹差す方向=超保守運動に陥ります。
このコラム何回も書いてきましたが、私が弁護士になった頃には、成田空港反対、高速道路反対、川鉄操業反対・(録音機発達による)裁判所タイピストや速記官廃止反対・・共通項はなんでも新しいことに対する反対運動に誘われたものです。
それぞれ騒音被害、公害 、予防接種被害その他理由をつければ色々ありますが、今の原発でも同じ・・いつも車の例を書きますが、交通事故ゼロにできない点は明らかですが、物事の是非はその不利益と便益のどちらをとるかの政策判断であって、交通事故について見ると1970年に年間16765人の死者があった時代から2017年は3694人に減っています。
原発でいえば、絶対に被害がゼロとはいえないという想像(まだ一人の死者もでていないというのに)だけで、反対理由にしているのが不思議です。
公害や空港騒音があることから直ちに操業、飛行禁止ではなく、技術の漸進を求めていく方が合理的であったことを歴史が証明しています。
私の場合、日本よりひどい公害を撒き散らしている中ソの重工業の発展を称賛しながら、国内工場には反対する二重基準ではおかしいと思うようになって反対運動に参加しなかったことを書いてきましたが、この辺で反対ばかりしているのはどこかおかしいのではないか?と疑問を感じる人が増えてきて、結果的に反対ばかりに特化している社会党支持が激減して行ったように見えます。
物事には例外がいるもので、学校秀才?にとっては自分が「前衛」で進んでいるエリート意識の塊ですから、意識の低い人を教育する必要があるとまだ信じ込んで今に至っている様子です。
彼らは単なる戦後教育の申し子にすぎません。
戦前は軍部とメデイアバックで、戦後はメデイアと中ソ、中韓?バックでなんでも反対して議会審議停滞させて政策遂行を妨害することが正しいという教育にどっぷり浸っているのが高齢者のイメージです。
彼らの支持を受けている確かな野党は、今では正面きっての反対が国民支持を受けられなくなったことを知っているので法案自体の反対ではなく、揚げ足取りに終始するようになった印象です。
今回の愛媛県の獣医学部新設反対が本来の意図でしょうが、法案内容の議論を一切せずに手続きを批判しているし働き方改革法案も内容についての議論が一切なく「データがどうだ」という議論ばかりです。
「真偽や正邪はともかく騒動さえ起こして国政麻痺させれば良い」
という露骨な審議妨害に徹するようになってきました。
違法収集証拠論の発展で書いてきましたが、今や内容の「正邪よりは手続き」という戦術です。
民主国家においては反対意見がある方が言論が活発になって良い事ですが、政策議論より揚げ足取り→審議妨害ばかりでは国会の存在意義がなくなってしまいます。
彼ら高齢者にとっては60年の安保国会・・国政麻痺こそが理想の姿ですし、何かというと国会周辺の大規模デモ(実際には小規模ですが・・)をメデイアが宣伝するのは、戦前民意によらないで騒ぎを大きくして、国政を停滞させて政府を困らせれば政権交代になってうまい汁を吸えてきたノスタルジアの表れです。
民主国家においては、革命騒動や大規模デモなど騒乱で日本の政策対応を停滞させて物事を決めるのではなく、選挙で民意を静かに表現するのが基本です。
今でも、航空写真等を見ると高齢者中心に数千人程度しか集まらないのに、万単位の水増し発表をしている印象ですが・後記の通り戦前の歴史経験から、メデイアは政権批判運動が大きければ大きいほどメデイアの影響力を高められると信じているようです。
国政は比較多数の民意によって決めていくのが民主主義社会の基本原則です。
民意による選挙結果を無視して組織動員して騒動を大きくさえすれば内閣総辞職→民意支持に関係なく少数野党に政権交代する戦前のエセ民主主義を前提にする現在野党やメデイアの考えでは、結果的に国会審議妨害になれば良いので何でも反対運動・・揚げ足取りへと導きます。
(と言っても1億数千万人口のうち数千人から1万前後のいわゆるプロ市民・あるいは退職して時間を持て余している高齢者が集まっているようですが・・彼らの動員が容易になったこともこういう傾向に拍車をかけているのでしょう)
政権担当者は、寸秒を惜しんで国政に集中しなければならないほど需要決定事項が山積していますが、大事な政治家の時間を、スキャンダル暴露バカリ・・国家運営レベルから言えば何段階も下位の官僚が処理すべき事項について国会のテーマにして担当大臣や総理を問い詰めて・辞職しない限り審議に応じない必要があるのかということです。
今回騒動になっている官僚のセクハラが事実か否かの争いは司法で決めべきことですし、仮に事実としても公務員のセクハラ程度で大臣や内閣が総辞職しなければならない・・国政全てをストップさせなければならないような大事件かの説明がありません。
社員・部長クラスの社員がセクハラや刑事事件を起こした場合、社長が辞任しない限り、株主総会の審議に応じないという大株主がいるでしょうか?
セクハラどころか、公務員の汚職がわかった場合でも、政府としては今後「綱紀維持に務める」とかこのような事態発生に対する政府の姿勢を説明したり、せいぜい再発防止策を聞きたいという程度テーマでしかありません。
どこの企業でも自治体でも汚職や職員が刑事事件を起こした場合でもそんな程度であり、頭っから社長や市長辞任を要求する例を聞いたことがありません。
低レベルテーマをくどくどと追求する質問対応に心身をすりへらさせて国政に集中出来なくする目的は何か?という疑問を持つ人が増えるでしょう。

大臣辞任要求と審議拒否(世論調査の役割?)2

戦後は総理大臣は民意によって選ばれることになりました。
そして国務大臣を総理が議会の同意その他意見を一切聞くことなく一方的に任命する仕組みになりました。
総理→内閣が民意の代表である衆議院によって選任されている以上、衆議院の意向が変われば、いつでも不信任決議をできますが、その代わり、衆議院が民意を代表しているかを再確認するために解散総選挙することができます。
また不信任決議がなくとも、内閣には憲法7条によって裁量的な解散権(いろんな説がありますが、結論として裁量解散権があるのが通説のようです)があると言われています。
日本国憲法

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
以下省略

〔内閣総理大臣の指名〕
第六十七条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。
2 衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
〔国務大臣の任免〕
第六十八条 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
2 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。
〔不信任決議と解散又は総辞職〕
第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
〔内閣総理大臣の欠缺又は総選挙施行による総辞職〕
第七十条 内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない。

野党による審議拒否の非常識さをマスメデイアが報じないために、国民の意見を知るために総選挙するのは解散権の乱用になるのでしょうか。
国会が、まともに働いていないために国政が停滞して国民が困っているのです。
解散風が現実化するとメデイアや野党が恐慌状態になり、急いで審議再開に応じたこと自体が、彼ら自身国民の支持を受けていないのを知っていながら、騒いでいた実態が明らかになってきました。
メデイアが煽って騒動が広がれば民意がどこにあるかに関わらず総辞職→政権交代すべきという戦前の悪習を利用再現しようとする試みがついに失敗したのです。
内閣は国民の支持によって成立しているのが議院内閣制の基本ですから、審議拒否を続けた上で内閣不信任案を出すということは「自分たちの主張は国民の支持を受けている・・今の内閣は選挙時こそ支持を受けたとしても今は支持されていない」という主張をしていることになります。
「じゃ受けて立ちます・・解散して民意を問いましょう」となると野党やメデイアが狼狽えるとは?驚きです。
まさか?
国民の支持を受けていないが、メデイア+軍部の支持をバックに辞職を迫っていた戦前の政治方式が今でも(バックの軍部がなくなっても)「メデイアの支持さえあれば」通用すると思っていたのでしょうか?
公文書保存期間や公文書の範囲をどうするかなどは平行審理すればよいことであって、公文書管理やセクハラの有無と関係のないその他法案を何故並行審議できないかの説明がありません。
民主国家においては学校の授業のように先生が正解をきめるのではなく、選挙で民意によって決めるべきとするものです。
4月中旬以降の審議拒否とメデイアを通じた不思議な解散反対論(石破氏の意見を紹介しましたが・・)→審議拒否中止の流れを見ると、メデイアや野党は解散.選挙=民意が明らかになるのを恐れていることがわかります。
民意の怖い野党が民主政党を名乗理、メデイアが民意の代表であるかのように振る舞う資格があるのでしょうか?
立憲民主党や民進党と希望の合併による新党も「国民民主党」となって、「民主」の看板をはずせないようですが・・。

大臣辞任要求と審議拒否(世論調査の役割?)1

ところで、審議拒否=優先順位の問題では全く国民意識調査をしない朝日新聞が憲法改正問題に関しては以下のような優先順位調査をしています。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13476815.htm

政策優先度、憲法改正は最下位 朝日新聞社世論調査
2020年までの改憲をめざす安倍晋三首相と国民との隔たりがはっきり表れた。国民が求める政策優先度でも「憲法改正」は最下位。
安倍首相に優先的に取り組んでほしい政治課題をいくつでも挙げてもらうと、最も多かったのは「景気・雇用」60%、次いで「高齢者向けの社会保障」56%、「教育・子育て支援」50%。「憲法改正」を選んだ人は11%で、九つの選択肢の中で最も少なかった。

憲法改正問題は、仮に通常国会での発議になるにしても国民生活に直結する予算案や関連法案の審議を優先するに決まっています。
重要法案をスムースに採決したうえで改正発議の審議を行うか、あるいは通常国会を終えてから憲法改正発議の可否だけをテーマにした臨時国会でやればいいことですから、憲法改正国会発議は必ずしも予算審議を止めたり、各種法令審議を止めることにはなりません。
フランス大革命時のような大騒乱の結果の憲法制定の場合には、まず最高機関であるべき議会の位置付けから決める必要があって、革命は諸勢力との新政権の綱領合意・憲法が優先審議事項です(今でも新党結成や合流するときにはこれが優先決定事項です)が平時の場合、日常生活に支障がないように目先の政策を滞りなく進めながら憲法案をすり合わせるのが原則です。
昭和20年8月以降敗戦時の革命的状況下(家督相続制歯医者男女平等など民法その他法令を抜本的に変更必要な場合でも、新憲法制定のために停滞することなく逆に日常的議案の審議可決は速やかに進めて滞りなく行われていました。
まして今回の改正の大争点である憲法9条を変えるかどうかの議論が決まらなければ、その他法案審議ができない性質のものではありません。
ですから、憲法改正発議と他の一般法案審議が両立しないかのような前提を設定して優先順位を質問すること自体が変な予断を誘導している印象です。
国民は憲法改正よりも通常政策の実現を優先してほしいと思っているという宣伝意図の見え透いた調査結果発表というべきですが、この調査結果から見ると、5月4日に書いたように立憲民主その他革新系の「憲法を守れ」とか「平和主義」(文書改ざんによって)「行政の信用がなくなる)などの原理論で具体政策に何でもいちゃもんつけては審議拒否の戦術?に国民は関心が低く、具体的政策重視の国民意識が逆に出ていることがわかります。
優先順位を調査するならば、野党審議拒否戦術=ズバリ優先順位の問題ですし、山積している政策課題が置き去りにされて国民生活に対する影響が大きいのですから、これこそ即時に国民の意識調査すべきだったでしょう。
審議拒否が何と19日間に及んだとのことですから、この長期間の間に日経新聞以外のメデイアが審議拒否の可否について世論調査を何故しなかったのか不思議です。
4月23日の立憲民主党の辻元氏の強硬意見→4月25日自民国対委員長の解散選択肢発言→解散風が吹き始めるといきなり審議再開合意になったのは、世論調査結果によるのでしょうか?
日経新聞の世論調査発表がありましたが、朝日等のメデイアはダンマリでした。
与野党ともに政治家はメデイアの世論誘導目的的な世論調査をそれほど信用していない・・独自の民情把握能力によっているように見えます。
日常政策審議と憲法改正論は上記のように両立できない二択関係でないのに無駄な?優先順位の世論調査を行いながら、現に必要としている政策課題の審議が止まって国民が困っている緊急政治課題についての世論調査をしない偏った状態で大手メデイアの役割を果たせるのでしょうか?
大手メデイアの世論調査は自社の推し進める政治誘導目的に都合の良い結果が出そうなテーマだけやるものなのでしょうか?
5月8に新聞発表の国会審議再開合意によって、審議拒否について議論する必要性が薄れましたが、審議拒否の不当性についてこの機会にもう少し書いておきます。
公文書改ざんがあるとすれば、行政の信頼をなくす由々しき自体・・政府組織信頼の基礎ですから、ないがしろに出来ない点は確かですが、その議論の必要性と保育所増設やTPP参加その他の山積している財政や福祉、働き方改革、経済政策、TPPや外交課題の議論とは先後の関係がありません。
並行議論可能なテーマです。
大臣辞任がない限り審議拒否できるという主張は、野党に大臣任命拒否権を認めろという主張に等しい主張になります。
戦前軍部の協力がないと内閣が倒れてしまった・陸海軍大臣現役制の結果、組閣に協力してくれないと組閣できなかった悪弊の再現に繋がりかねない重大な憲法違反行為です。
戦後憲法の原則である多数民意よって総理が選ばれ、その総理が自分の責任で内閣を運営する担保として国務大臣任免権があるのです。
これは戦後民主主義の根幹を支える制度です。
国務大臣が無能であればその責任は内閣が負うのであって、その判断は総理がすべきことであって野党にして貰う必要はありません。
総理が「大臣辞職する必要なし」と判断したら、その結果責任は総理が負うのですから、その次に野党が迫るべきはこういう無能な大臣を罷免しないならば、国民の支持を失うぞ!」すなわち「応じないならば国民の支持を失う→「内閣総辞職を迫るぞ!」=解散できるのか!」という意味になります。
そこで、「じゃ受けて立つ!」という解散権の発動がテーマになってきたのです。
これが戦前の(軍部の協力がないと組閣できなかった)弱体内閣の反省から改革された譲ることのできない戦後の議院内閣制の基本原理です。

明治憲法
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第7条天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス
第10条天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル

上記のとおり、天皇は「統治権ヲ総攬」する結果、「天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス」る・・すなわち総理大臣を含めた各大臣も天皇が直接任命し罷免する仕組みでした。
議会が揉めれば「天皇の行政権を委ねられた内閣の不手際」として責任を取らせて別の政治家に交代させる仕組みで、騒いでいる方が民意を代弁しているか逆に内閣の方が民意にあっているのかを問わない制度でした。
第7条で解散権が天皇にあるのは、統治の責任は天皇にあって内閣にはない以上(民意によらない天皇の任命制ですから、内閣が自分の政策の方が正しいと思っても自分の方が正しいとして地位を守るための)内閣による解散制度も予定されていませんでした。
財務大臣の辞職要求同様で、総理が守ってくれない限り「辞職を要求するなら解散する」財務大臣が言えないのと同じでした。
これでは正しいと思って信念に従った根性のある政治家が育ちません。

国会審議の優先順位と民意2

公文書管理のあり方やセクハラ問題をどうするかの議論は、文字通り司つかさで議論して決めていくことであって下からの議論積み上げなしにいきなり国会で議論すべきか自体が疑問です。
※ 今回問題になっているその後出てきた資料とは秘書官と面談したときの陪席者のメモや森友学園との交渉時のメモなどらしいですが、我々関与する審議会や委員会等でも正規議事録以外に関係委員や出席事務局員が会議場で議論に参加しながらの個人メモが当然ありますが、それをすり合わせて公式議事録が出来上がるものです。
個人メモは、他の委員の発言に合わせて該当資料のページを忙しく繰って資料を見ながら自分の疑問をメモしたりしながら他人の発言も一部メモするのと、個人的関心の偏り?先入観による誤解もあるので、その後、録音や別の人のメモとのすり合わせが済んで、公式議事録確定した時点では個々人が適当に廃棄してしまうのが普通です。
メモが残っていたからといって、その人のメモが正しいとは限らないし、そのどこまでを公文書として残すべきかの問題です。
これまでそのような個人メモや正式文書になるまでの草稿類まで公文書として扱ってこなかったでしょうから(私は会議が終わって議事録確定以降自分のメモを廃棄していますが、公文書毀棄になるとは思っていません)どこまで保存すべき公文書にするかは今後の課題にすぎず、役人による資料隠蔽イメージ報道ともだいぶ違っています。
出張時の面談メモも同様で、役人が私の事務所に来る場合の経験では数人で来ることが多いですが、訪問先での面談メモを各人すり合わせて報告書等を作成するのが普通でしょう。
私の場合、その後役所から聞き取りメモのまとめが送られてきますが、自分の言ったはずのことと役人メモではかなりずれていて修正することがあります。
例外のある原則論を言ったのに例外のメモが抜けているなど・・・。
秘書官の場合、多忙でしょうからこういうすり合わせは行っていないと思われます。
報告書完成時点でそれが公文書になるべきもので、個々人のメモはその時点で原則廃棄するものでしょう。
今朝の日経新聞2p国会審議正常化の報道中には「備忘録」となっているので公式文書のようにも見えますが、それにしても聞いた人たちの印象の総和ということでしょうか?
森友学園問題でも同じですが、学園長が安倍総理夫人の名前を出していたというメモだけで安倍総理夫人が関与していたと想像をたくましくしての審議拒否は行き過ぎです。
政治家を利用したい人はいくらもいますので、胡散臭い人が政治家に頼みに行っても政治家は取り合わないことが多いのですが、(政治家は面と向かって拒否しません・「秘書に調べさせておきましょう」くらいは挨拶するのが普通です)利用したい人はそれだけで十分でその政治家の後援会に入っているとかもらってきた名刺を示したり色んな膨ませ宣伝してこけおどしに使うのが普通です。
役人の方も慣れたもので相手にしないものの、こういう大臣の名前を出していた程度の情報は残します。
伝言ゲームによる内容の変遷が有名ですが、講義や会議などの発言は聞く人によって少しずつズレた意味に理解していくのが普通ですから、(古典文学でいえば、読む人・同じ読者でも中高年になって読むと別の感銘を受けるなど、感銘を受ける箇所が違うように)総理秘書官の発言をがどのように受け取ったかも聞く人によっていろいろです。
政治家は言いたいことを匂わせても言質を取られないように複雑な言い回し・多様な解釈を許すような言い回しをするのが普通ですが、総理の意図か?と言うストレートな質問をしたとは到底想定できない上にどのような期待感で聞いていたかによって受け取り方も色々です。
我々弁護士会の議事では政治家のように微妙な言い回しの習慣がなく一義的に意味把握できる発言が普通の組織体ですが、それでも聞いた委員の内容メモ報告と後日出てきた議事録とではかなりトーンが違っているのには驚きます。
4月中旬の千葉県弁護士会のある委員会の委員が個人的に議事内容報告をしていて、あるテーマについての質問に対して執行部は「まだそこまで考えていない」という回答だったと報告されていただけですが、1週間ほど前にメーリングリストに上がった正式議事録では、単なる否定ではなく、将来会議室の容量等の限界を勘案して検討していくことになるという具体論が示されています。
観念論に走りがちな一般委員と実務を預かる執行部の思考の幅・奥行きの違いを示す好例ですし、メモ報告していた一般委員の関心が今すぐ「やるかやらないか」だけのレベルに関心があってその先の答弁(具体論)に関心がなかったのでこのレベルでの議論を聞き漏らしていたか報告価値がないと端折ったことがわかります。
公式記録に残っていない場合には、後日のすり合わせ段階でそのように受けとった人が少なかった(「あの発言でそこまで聞いたというのは無理がある」という意見が優った)と見るべきでしょう。
またイラク日報問題は保存期間が短か過ぎたかどうかが議論になっていますが、これもその他法案審議を止めてまで優先議論するべきテーマとは思えません。
個別公文書の保存期間をどの程度にすべきかは、政省令や通達作成(審議会等の議論をへて)レベルで議論するのが普通・他省庁関連の各種政策審議をストップさせるほどの優先順位がないというのが常識です。
ところで財務大臣が引責辞任しない限り審議に応じないという立憲民主の主張を引用してきましたが、これを法的に見るとどういうことになるのでしょうか?
Aのテーマの決着がつかないとその他の法案の審議に応じないというのは、Aテーマが最優先課題であるという主張になります。
憲法上審議順序が決まっていればそれに従うべきですが、決まっていない場合、論理上の優先順位・・例えば予算措置の必要な法案の場合予算可決が優先順位になります。
論理的優先順位がない場合に多くの会議では、議事運営者が議題順序を決めて議事進行していくのが原則です。
形式的には議長の采配によるべきでしょうが、実際には組織の運営に責任を持つ執行部・企業で言えば社長、国では行政府の長がNO1〜NO19までの審議をお願いしたいというときには、その提案者の意向でどの順序で審議して欲しいかの意向に従うのが、議事運営原則です。
総理の任免は衆議院の権限ですし、総理が決まらないと国政が進まないので、総選挙後の国会では総理選任が最優先で行われることが憲法で決まっていますが、国務大臣の任免は総理の専権事項で国会の承認も根回しも不要です。
国会に閣僚の不信任権があるならば、その国務大臣所管事項の法案審議よりも、不信任議案は他の法案より優先審議事項になるべきでしょうが、大臣の任免が国会権限から外れている以上は、国会が大臣罷免ないし辞任しない限り審議に応じないという主張は憲法違反の主張になります。
明治憲法では、総理は対等者間の首班でしかなかったのですが、戦後は総理が任免権を持つ関係で国会が閣僚人事に何らの参考意見を述べる権利も同意権も拒否権もない・そもそも審議事項ではありません。
野党が総理の任命した大臣の罷免を要求し、あるいは大臣が任意辞職しない限り審議に応じないことが許されれば、事実上野党が総理の閣僚任命に対する拒否権を持つようになります。
政策課題山積の今日、野党が自分になんらの権限もない事柄を優先審理すべき事を要求すること自体が越権行為ですが、さらに野党が任免権を持つかのごとく・・自分の言い分・・大臣の辞職要求が通るまであらゆる法案の審議拒否できるとしたら、多数党よりも少数党の方が国政を壟断できる仕組みになってしまいます。
このように考えていくと少数党が憲法上の根拠なく自分の要求を受け入れない限り審議に応じないという行動は、憲法で認められた国会議員の権限に反した違法行為と評価すべきです。
審議拒否=国会議員の責務放棄としての責任を負うべきでしょう。
4月23日に立憲民主の審議拒否強硬論が出て、与党が25日に解散をにおわせただけで、大騒ぎになり解散反対論をメデイアを通じてあおったものの国民の支持がひろがらない・新義挙hが続けば「連休明け解散説の前に野党内で審議拒否方針転換論が広がりついに審議再開の正式合意になった様子です。
メデイアがいくら煽っても国民意識がどのへんにあるかを多くの人が知っているから、立憲民主も審議拒否出来なくなったのです。
この騒動の結末は民意無視していたのは野党の方であったことを証明しました。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC