民意(選挙と世論調査)1

(アメリカのバックを期待した)中韓政府による慰安婦や南京虐殺宣伝強化に対して安倍政権は発足時から、これを正面から否定する姿勢でしたから、両国は戦後70年も日本叩きに(騒いでは日本から妥協を引き出す・言わばゆすりたかりの材料にしてきたのです)利用してきた材料を失うので猛反撃をしてきました。
これに敏感に反応して来たのが日本のメデイア界でした。
安倍政権が慰安婦否定を基本軸にした立場で発足するとメデイア界総力をあげて「歴史修正主義者」というレッテル貼りにメデイアがこだわるのは、日米戦争に関する「アメリカの大義に挑戦している安倍政権」の図式を作れば安倍政権を抹殺してくれる期待があったからです。
田中角栄以降少しでもアメリカの意向に反する独自外交を試みるとあっという間にスキャンダルが暴かれて(CIAはそのために世界中で展開しているような存在です)潰されてきたのが戦後の歴史でした。
橋本龍太郎総理があまりに激しい日本叩きに対して「米国債を売りたい誘惑がある」と遠慮がちに言ったら因果関係不明ですが、ともかくすぐに失脚でした・・。
今回は安倍総理の巧みな国際外交の結果、アメリカは日本支持に鞍替えするしかなくなった結果、朴大統領は「不可逆的」と国辱的な条件付きの日韓慰安婦合意を迫られて失脚し、中国も露骨な反安倍外交を手仕舞いして今ではもみ手ですり寄ってきた状態です。
アメリカの国際的地位低下→日本の心からの支持を受けるには、いつまでも「日本悪者説」のままではうまく行かないので、戦争責任に関する歴史見直しがアメリカ自身で始まってきた方向性が感じられるようになりました。
歴史修正主義者のレッテル貼りがアメリカの支持を受けずに失敗した現在では、政策内容の議論よりも安倍政権だけは許せない・・「安倍政権下の〇〇反対」と言うスローガンほど(従来のアメリカの意向反映ではなく中韓独自の利益代弁・・)中韓政府の意向をはっきりさせる標語はないでしょう。
ところで戦後思想界の動きについては、アメリカの思惑と違い、思想自由化を進めると教育界や思想界が左翼思想一色になっていった経緯を書いている途中でしたが、(書き掛けのシリーズに戻る予定です)報道の「聖域化」が左翼(中ソ)や韓国系の浸透を促してしまったことになります。
ここで一言書いておくと「思想の自由市場論」は現場に立脚しないエリートの観念論優位を前提にするものであって、経済活動の自由市場論・庶民の動きによる市場によって形成される結果優位説(学問=国家指導によって価格や必要産業が決まるのではない=自由主義経済思想と相反する思想です。
経済学者は市場の動きを後追い解説ができますが、学者の言う通り市場が動かないのは市場が間違っているのではなく市場が正しいものとして受け入れるのが自由主義社会の原理です。
共産党一党独裁は専門家の決めた計画経済体制ですから、観念的思想論争に自由の建前があっても、現実重視の価値観がありまでん。
当たり前すぎてこういう意見をいう人がいないのかもしれませんのでこれは私独自の意見ですが、上記私見によれば、思想の自由市場論という特殊閉鎖学会?内の自由市場論は自ずから現実無視の観念論にたけた左翼思想の席巻を許した原因でしょう。
これで思い出したのですが、数日〜4〜5日前に事務所で時間があったので(2月頃の日付の)判例時報に日弁連元事務総長だったかな?海渡雄一氏の原発訴訟関連の論文があったので読んでみた印象です。
(うろ覚えですので誤解があるかもしれませんが、その時に受けた印象です。)
伊方原発に関する最高裁判決以降の原発訴訟判決や決定など、論旨明快な解説批判でしたが、要は地震や火山噴火(鳴動)の発生メカニズムがはっきりしないことが論証されたということらしいです。
論証されているのに原発停止を命じない裁判官がいるのは、「岐路に立つ裁判官」「独立した司法が原発訴訟と向き合う」という表題「良心にのみ従って」判決を書いて欲しいと言う趣旨の主張を総合すると海渡氏らの主張に合わない判決や決定を書く裁判官は如何にも権力から独立していないかのような表題です。
以上は論旨明快なので頭の良い人らしいと分かるのですが、そもそも「百%安全を論証しないと原発が許されない」という前提自体の論証がありません。
そもそも国民が、「100%地震予知できて安全」などと信じているのでしょうか?
脱原発主張の民主党でさえ30年代までの原発廃止目標でしかない・原発訴訟団主張の即時停止を求めていないのですが、民主党が科学的に100%安全を前提にこういう主張をしているわけではありません。
100%安全であれば民主党も脱原発を主張していないでしょう。
そもそもほんのおめでたい例外を除いてほぼ百%のひとが、火山や地震の研究を進めても今後50年や100年で正確な予知できるようになるとは思えないが、やらないよりは良いので予知研究を進めているだけというのが一般理解ではないでしょうか?
まして現段階で地震のメカニズムを知り尽くして100%安全だとの主張をしてきた人は誰もいないでしょう・・そんな不可能な主張を政府がしてきたとは誰も思っていないでしょう・・。
100%安全などと誰も思っていないことについて、100%安全でないという論証したというような意見ですが、そんな無駄な論証に長期間を費やしてきたとは驚きです・原発訴訟とは「木を見て森をみない」を絵に描いたようなプロの仕事か?と言う印象です。
現時点の科学技術をできるだけ取り入れる程度の意味で科学者による規制委員会に決めさせているに過ぎないのに、揚げ足取り的批判をして、変な技術論に踏み込んだ結果「100%安全でないことがわかった」からと言って原発を止めるべきかどうかの議論をするのは国民関心とズレている印象です。
(元々百%正確に火山爆発や地震を予知できると思っている人はいないでしょうから、当たり前すぎることを論証するために国費を浪費して?裁判してきた努力に驚くばかりです・)
今日明日の天気予報でさえ、「現在科学で分かる限度でいえばこうなるだろう」という程度であって、100%の精度など誰も期待していません。
明日の天気予報を見て寝ても、翌日になるともう一度今日の天気予報を見、空を見上げてから出かけるのが普通の行動です。
昨日予報を見たから今日の天気を気にしない、あるいは、週間天気予報を見たから今後1週間天気予報も見る必要がないという人はいないでしょう。
経済学者の論説も「一定の与件で考えればこうなる」というだけであってその他無数の条件については(わからないことが多すぎるので)考慮に入れていないので、実際の経済予測がほとんど外れているのです。
どうせ正確に1週間先の天気がわからないまでも専門家が現時点で分かっている程度の科学的な説明してくれたら納得しやすいという程度を科学者や経済学者等の説明に期待しているだけです。
大地震直後に地震の仕組みの説明が出ますが、それも今のところ、こういうことが分かっているのかな?という程度に多くが受け止めています。
以上によれば元々誰でも知っていることを長々と裁判して科学的に1000年以内の噴火や大地震がないと言えないことがわかったことで何が決まったというのか疑問です。
科学でわかるか否かの勝負がつけば、科学でわからない場合どうするかが次のテーマです。

世論誘導3(民度と発覚後ペナルテイーの重要性)

データアクセスチャンスに戻しますと、私の場合でいえば、弁護士会や日弁連で自分が関与している委員会活動に関して、委員会配布資料その他データに直接アクセスできていますが、それは委員現役である間だけのことです。
しかも現役委員の場合、正式な議事録や意見書になる前の詳細議論を見聞していることによる臨場感的な体感(非公式意見)も身につきます。
民意を重視するアップデートの政治過程に戻りますと、世論動向を知りどのように世論誘導するかは文字通りナマ情報(ある事件が起きたばあい、これに対する現在の民意)が生命線です。
現在アメリカで大問題になっているロシアゲート事件・.ロシアによる大統領選挙介入・・ヒラリー候補に対するマイナスイメージのフェイクニュースを垂れ流した疑惑・・で言えば、政治は過去の統計による議論では間に合いません。
米国大統領選挙が終わってからロシア関与がわかっても負けた方にとっては後の祭りですから、リアルタイムで情報を握る世界IT企業による情報操作が始まるとその独壇場になりそうです。
ただし、一定規模以上の企業の場合、関与企業が数年後に市場から抹殺されるとすれば簡単に悪事に手を染めません。
日本でも長い間選挙時に限って怪文書が横行したことがありましたが、民度の高い日本では非論理的な激しすぎる誹謗中傷行為は逆効果になることと、代議士や地方議員1回切りではなく次の選挙があるので、選挙後すぐにバレるような無茶な誹謗中傷には走らなくなって久しい感じです。
日本で不正の少ない社会が出来上がっているのは、長期的人間関係を大切にする価値観が基礎ですが、年季を積んだ人望のある人がトップになる議院内閣制(地方議会でも当選回数によって委員長になり議長になっていくなど)も一発勝負の不正を防ぐ制度保証になっているのでしょう。
大統領選に勝ちさえすればその後独裁権力が保証されている(検察その他が政治迎合で動き、権力にある限りかなりの抑えが効く場合)ような社会では、「目先選挙さえ勝てばいい」という一発勝負の誹謗中傷行為への誘惑が高くなるのでしょう。
組織票に頼る議員では極端な意見や相手党の誹謗をして中立的世論の失望を買って党全体支持率を下げても、組織内支持率は変わりません・・むしろ内部では「よくやった」「よくそこまで言った」という評価が上がるでしょうから、こういう意見が内部的評価(党内序列比例上位が)が上がり幅を利かします。
自己陶酔的過激主張(過激派の場合過激なテロであればあるほど)が幅を利かしていよいよ党全体の世論の支持が減っていきますが、国会議員当選者150人の党が120〜100〜80と順次減っても、勇ましいことを言っていた党内エリートの順位は変わりません。
空理空論に酔い痴れていた社会党がこうして消滅して行ったのです。
ロシアゲートでは、バルカン・マケドニアだったかの若者を一本釣りしていた(オレオレ詐欺で末端の受け渡し役としてアルバイトを雇うような)実情を紹介しましたが、そのうち背後で彼らを操っていたグループの追及にまで進むでしょう。
Facebook情報利用による選挙操作疑惑では、Facebookのトップが陳謝し、フェイクニュース拡散を放置せずに今後相応の削除を約束していましたが、大手は情報操作に関与していると思われたらおしまいです。
(15日の日経新聞夕刊3pでもイギリスコンサル(流用して米大統領選挙介入)以外に200のアプリが、フェイスブックからの情報流用疑いで停止したと発表しています)
起業したばかりの新興企業であってもITに当たって世界企業になった以上は、大量の従業員や株主あるいは取引先等のステークホルダーが生じているので、一時の利益(特定政治家と心中する)ようなリスクを取れません。
犯罪の特徴は発覚までの時間が長ければ長いほど成功率が高いし受益も大きいので犯行に及ぶ誘惑が高いのですが、半年後〜1年後であっても犯行発覚した場合の社会抹殺度の高さもその重要です。
数年前の統計などのデータを入手できても、現実政治経済の決断には利用できませんし、事後にバレた場合のリスクの大きさによる自己抑制だけでは、今後もメデイアやIT企業を通じた世論操作を防ぐのは無理がありそうですが、日本の場合には、国民の民度(庶民レベル)の高さが最後の砦となるのでしょうか。
治安維持は刑罰の重さだけではない民度による原理がここにも妥当するでしょう。
60年安保騒動以降の流れを見るとメデイアの煽りに反応する軽薄層が減る一方=メデイア誘導頼りの社会党支持率が下がり続けてついに事実上消滅した事実からわかります。
メデイアに煽られてそのま行動をする人はメデイアが持ち上げるので目立ちますが、いわゆるサイレントマジョリテイーは健全で底堅い社会です。
今回のセクハラ被害発表と国会審議拒否の結末を見るとメデイアが民意無視で作り上げた虚構の?騒動には国民は意味を認めない・・世論誘導が成功しなかったようです。
個人が被害を受けて止むに止まれず行動を起こした・「被害の声」というよりは政局にインパクトを与えるのが主目的だったのではないか?の疑いを抱く人の方が多かったでしょう。
野党も外国勢力の意を受けた大手メデイアの振り付けどおりに動くのではなく、日本の政治家である以上は「政策の足を引っ張りさえすれば良い」という反日的活動ではなく、前向きの政策を主張する健全政治が行われるようになっていく始まりとなれば良いのですが・・日本の将来が楽しみです。
メデイア界が外国(スパイ?)勢力が自由に浸透できる自由市場?になってしまったのは、米占領軍による検閲強化によって、米軍政に都合の良い方向へ報道機関内部人脈を完成させてから、独立後の日本で「思想表現の自由」→報道の自由をとなえて独立後の日本政府が報道機関内部人事に手をだせないようにしてしまったことによります。
日本独立後も日本に罪悪感を耐えず植え付けて、極東軍事裁判その他戦争原因究明を許さない・・反米思想の広がりを防ぐために教育界その他に打った布石の一つというべきでしょう。
カイロ宣言以来、日本による朝鮮半島の過酷な支配からの開放を主張していた経緯から、韓国が奴隷支配・その延長での慰安婦・・その外延である徴用工問題をいつも持ち出すのは米国が「罠を仕掛けて日本を戦争に引きずり込んだ」大義に関係するので応援せざるを得ないからです。
ポツダム宣言の前提となったカイロ宣言に関するウイキペディアの記事からの一部引用です。

カイロ宣言
第二次世界大戦中の1943年に開かれたカイロ会談(Cairo Conference)を経て示された宣言。連合国の対日方針などが定められた。
・・・・
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス

この結果、少しでも朝鮮半島支配の正当化発言・・学校を作るなど民生アップに協力してきた意見があると「妄言」と称してメデイア界一致のパッシングで袋叩きにして発言した大臣を引きずり降ろすようなことが行われてきました。
日本のためのメデイアか(背後で嗾す米国の威力を背景にする)朝鮮や中国の代弁者か分からないような実態が続いてきました。

世論誘導2(粉飾決算・会計監査の限界)

虚偽に塗り固められた韓国(と反日国内集団・メデイア)による慰安婦攻撃の結末は、「正義はいつか勝つ」という日本国民の信念の勝利です。
日本国内政治分野も同様で、敗戦後アメリカの後押しでメデイアの政治性(米中ソ3ヶ国寄りの報道圧力)が強まり、メデイアは情報の仕入れ機能を活用して世論動向を調査できるだけでなく、今後の方向性もマスメデイアが誘導できるような時代でした。
民主主義社会とは、民意(ピラミッド型の階層構成であれば最下層が最大多数層)重視政治ですから
「大衆の多くは無知で愚かである」「熱狂する大衆のみが操縦可能である。」
とゲッペルスの言う通り、インテリと同じ1票を持つ大衆の意識操作こそが重要です。
民衆相手の民主主義社会の到来が政治宣伝を劇的に発達させた要因です。
しかし、わが国の場合、ちょっとした演説で熱狂するアメリカ大衆とは違い民度の高い
「日本の大衆を見くびるな!」という意見は千金の価値があるように思いますが・・。
国際交流がエリートによるだけの19世紀までとは違い、20世紀後半以降は中間層の交流どころか出稼ぎ労働者=最下層の海外渡航が広がっているので、中下層民度レベル差がモロに出る時代です。
昨今コンピューターの発達によりビッグデータの解析が盛んですが、それとは別にメガ情報をフェイスブックやアマゾンのような世界IT大手が握る問題点が議論されるようになりましたが、それは従来型のマスメデイアの情報独占から別の業界にヘゲモニーが移るという意味で問題になっているのであって情報操作がなくなるわけではないでしょう。
メデイアもIT企業も情報利用のために情報入手している以上は、好むと好まざるとを問わず一定方向への利用・商品販促キャンペイン利用は避けられません・・・これを政治方向で意図的に行うのを「情報操作」と名付けているだけのことでしょう。
ビッグデータの把握やその解析は、個人情報→民意の塊ですから、民意の動向を探る方向にも使える点では20世紀以降マスメデイアが情報収集とその提供業務→編集→世論誘導能力保有となって、政治の方向性を事実上決める力を持って来た傾向と変わりません。
これに対するネット空間の発達によって、個々人がどれほど抵抗できるかでしょうが、データの解放がいくら進んでも時間格差を穴埋めできないでしょう。
研究者や企業トップも研究所や企業在籍中には、膨大な情報の入手や加工が自由自在にできていたのですが、退職すればこれらを利用できなくなるのでアップデートの研究や意見発表能力が、何百分の1以下に落ちるでしょう。
大学図書館等の利用権が残っても、それは過去の資料調査に役立つだけであって政治や経済等の決断に必要な今現在の世論動向を知り、誘導するには力を持ちません。
これが電子媒体中心になってくると、各種文献もネット上で開示されることが増えてきたのでフリー・個人研究もある程度継続できるようになってきたように見えますが、まだまだ論文等がネットに出ているのはホンのわずかです。
あってもだいぶ前のデータにもとずく論文など・・.
例えば輸出入の動向なども公式統計に頼ると1〜2年前のものが普通ですから、それではこの数ヶ月内の相手国の動向や景況感による行動指針を提言することは不可能です。
そもそも公式統計になる前の「生の矛盾情報」等を読み解く能力こそが研究者の腕でしょうが、整理前の最新資料そのものにアクセスできるか否かの段階で情報格差が起きます。
一般的にいってもリアルタイムの政治や貿易・最新技術動向に関するデータ分析になると、直接ナマの情報にアクセスできる現役研究者や現役企業関係者にかないません。
そこで現場にいる者(セミプロ?)による世論調査や企業格つけなどが必要になって来たのですが、結果の出る事例では実際の選挙結果と事前の世論調査や格つけ(高格つけ企業があっという間に倒産するリーマンショックなど)とまるで合わない事例が増えてきました。
調査能力が低くて結果と違ったのか?意図的に誘導的調査したのか?データを故意的に読み変えたのかなどの疑問→プロ調査機関の信用性が落ちてきました。
時々発覚しては大騒ぎになる世界企業による粉飾決算(古くはエンロン事件最近では東芝事件?)が頻発していますが、これもデータ悪用による市場・世論誘導の一種であり、これを防ぐためにあるのがプロによる会計監査であり厳格な会計ルールですが、こういう大事件が発覚するたびに「何のための会計監査か?」となって大手会計事務所が消滅したこともあります。
監査が馴れ合いだったか?誤魔化す方が1枚上手だったかの問題ですが、会計監査の信用性をなくす例がしょっちゅう発生しています。
虚偽報告でも会計の場合、お金だけの問題ですから、時間経過で経営に無理が来るので短期間で発覚するのが論理的帰結ですが、政治の場合には複雑な要因が絡み合っているので、ソ連崩壊を待たねばならなかったように100年前後の時間軸・・まさに歴史の審判に委ねるしかない点・自分が生きているうちには発覚しないだろうという安心感が、不正横行・事実を捻じ曲げた世論誘導の誘惑・温床になりやすい原因です。
このように見ると一定方向へ誘導しようとする会計不正をプロの(個人の会計士ではなく組織対応している)大手会計事務所でさえ看破できないとすれば、いろんな分野で情報処理が高度化すればするほど、その道のプロでも専門外の公式発表の資料をみて自力で情報操作を見抜くことが不可能に近いように見えます。
いろんな分野で会計士のような専門家による監査が必要な時代が来ているように思えますし、特定の監査機関だけしか資料をみられないのではなく、他のプロもある程度不正の匂いを嗅ぎつけられるように、決定に至る前の何種類ものナマデータを開示すべきでしょう。
そうすればABCDのデータから甲乙にテーマが絞られていく過程がわかり、どういう議論があって、最後に甲が採用されたかもわかります。
リーマンショックで言えば、データ捏造というよりは、サブプライムローンシステムに対する誤った理解が高格付けの原因になっていたのですが、これに対する警鐘を鳴らすエコノミストが誰も?いなかったのが不思議です。
それでも幅広く意見の根拠が開示されていれば、大事件になる前に気がつく人も出てくるでしょう。
いわば検証可能性の保証です。
政治分野では古くからあるのが政治評論家やオンブズマンというものでしょうが、会計監査のように4半期ごとの決算資料のような会計原則が決まっていない点が難点です。
メデイアの中立性チェックと言ってもその方法が手探りですが、今後そういう外部チェックが必要とする意見が増えるのではないでしょうか?
会計のように「正」と「不正」の境界がはっきりしている分野でさえ経営陣に粉飾をやる気でやられるとプロの監査法人でさえ簡単に見抜けないのですから、政治分野になるとなおさらです。
政治テーマでは事実に反するのではなく、ある事実をどのように理解するかについては人によってかなりの幅があるので、その幅の範囲内で一定の方向・・編集権と業界では言いますが・右端〜左端の意見を報道するのは虚偽ではないものの編集者による一定の世論誘導が可能になります。
5月8日頃のコラムで書きましが、憲法改正の世論調査でいえば、端的に各党の改正案を比較表記してその賛否を中立的に聞くべきでしょうが、数日前に紹介した朝日新聞の「安倍政権下」の「憲法改正の賛否を聞く」方式ははじめっから「安倍政権に対する好き嫌い」を最初に決める前提にしていて憲法に関する肝心の質問が二の次になっています。
また日常的政策との優先順位を聴くのも不合理という私の意見によれば一定の世論誘導になっているでしょう。

メデイアによる世論誘導1(ゲッペレス宣伝相)

メデイアの方も戦前何かと政権批判のタネを見つけては野党と組んで騒動を煽る・・(今でもメデイアの方が情報収集能力が高いのでメデイアがこれを政治家に流して野党が国会で質問するという方式が確立しているイメージです)その都度政権を倒すのに成功してきたので、第4の権力とまで言われるようになっていて政治に対する強力な影響力を持てた旨味を忘れられないようです。
しかしメデイアは言わば中国の宦官みたいな立ち位置でしかなく、民意による何らの洗礼を受けていないばかりか、政治訓練も受けていない鬼っ子です。
トランプ政権が外交のプロ・国務省を使わずCIA・.情報機関のプロに頼って、北朝鮮や中東問題を解決しようとしているのとどこか似ていますが、それは為政者が片腕としてどのような経験者を重用する(彼らは使われる立場です)かの次元であり民意を彼らが決めるのではありません。
ただ、情報機関は収集に特化(機械的に顧客に提供)している限り有用ですが、情報機関自身が収集した情報を加工選別して発信者を兼ねるようになると危険です。
メデイア界は、上記の情報収集者と発信者を兼ねている点で第4の権力と言われるようになったのです。
メデイア界は公式にも非公式にも民意を代表する能力に関するスクリーニングを全く受けないのですが、・・情報発信のためには商品仕入れとして情報収集の現場にいるので、仕入れた情報をどのように使うかの選択権をもち、民意誘導できるようになっている関係が問題です。
物品販売の商人が仕入れ関連の商品情報と売れ筋・顧客情報を握るのが原始形態とすれば、新聞〜書籍〜ラジオ・映画〜テレビに始まる各種情報媒体の発達によって、情報そのものを業とするものが情報を仕入れる過程で顧客の意向を知るだけではなく、映画で著名ですが、銀幕のスターの多くが業界の作り上げる虚像でした。
慰安婦騒動を激化させる端緒になったいわゆる吉田調書の著者が「フィクションで何が悪い」と開きなおった?ような報道が出ていましたが、メデイア自身がヤラセ報道をするようになって久しく、要は「魚心に水心」の関係で起きた事件でした。
20世紀後半は、今年の流行ファッションの発表に始まり、メデイア界があらゆる分野の先行指標・虚像を作り上げると世界中がこれに追随する時代が続きました。
ナチスの宣伝戦略が有名です。
以下ゲッペレス宣伝相に関する部分引用です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/

ゲッベルスの宣伝思想と行動:「鋼鉄のロマン主義」
ゲッベルスは「宣伝は精神的認識を伝える必要もなければ、おだやかだったり上品だったりする必要もない。成功に導くのがよい宣伝で、望んだ成功を外してしまうのが悪い宣伝である」「重要なのは宣伝水準ではなく、それが目的を達することである」とし[216]、その目的は「大衆の獲得」であり、「その目的に役立つなら、どんな手段でもよいのだ」と語っている
・・・・・・ゲッベルス自身は、前述の政治イベント等とは違い「気楽に楽しめる娯楽の中に宣伝を刷り込ませ、相手に宣伝と気づかれないように宣伝を行う」「宣伝したい内容を直接キャッチフレーズ化して強調・連呼せず、心の中で思っているであろう不満・疑問・欲望を遠まわしに刺激し暴発させる」「もっとも速度の遅い船に船団全体の速度を合わせる護送船団の如く、知識レベルの低い階層に合わせた宣伝を心掛ける」を政治宣伝のあるべき姿と心掛けていた。これらの手法・考えは、当時のドイツやソ連、そして後年幾つか登場する全体主義国家(他、カルト団体など)よりも、むしろ民主主義国家(政治だけでなく商業でも)で本領を発揮し易いもので、事実、ナチスドイツを産み育てたヴァイマル共和政ヴァイマル憲法は当時の世界の中で最高水準の民主制制度を備えていた。マインドコントロール#洗脳との相違も参照の事。
ゲッペレスの影響力については以下の通りです。
https://blogs.yahoo.co.jp/hattor123inakjima/25477445.html

ゲッペルスの言葉は現代のマスコミが実行しています。
ヒトラー・ゲッペルス時代から時は流れましたが「嘘も百回言えば真実になる」と云う事を着実に現代のマスコミも実行し、この手法を行っていると考えられます。その手法は巧妙で大衆が気がつかないうちに刷り込ませる事が狙いです。
「娯楽の中に宣伝を刷り込ませ、・・・、知識レベルの低い階層に合わせた宣伝を心がける」。これらの手法・考えは、当時のドイツやソ連、そして後年幾つか登場する全体主義国家(他、カルト団体など)よりも、むしろ民主主義国家(政治だけでなく商業でも)で本領を発揮し易いもので、アメリカ大統領選挙(特に1964年以降)でのネガティブキャンペーンや大企業のCMに顕著な例であります。壮大な規模の大パレードやマスゲームで優越感をくすぐり、攻撃対象を痛烈に罵倒し罵る宣伝は支持者への即効性が望める反面、ある程度以上の知性を持つ大衆、或は外国から畏怖や違和感を抱かせる逆宣伝効果が多大にある(敵対勢力に簡単に逆用されてしまう)事をゲッベルスは理解していました。このことは、現在も行われています。嘘も百回言えば真実になる・・・テレビは洗脳兵器です・・・どこのTV局も、大手の新聞社はどこも、毎日流す嘘を、一般家庭の人々は頭から信じている、まさかTVは嘘は言わないだろうと。また、ゲッペルスは大きな嘘ほど真実に見えるとも言っています。これは「大きな嘘ほど民衆は疑わない」と云う事です。まさに大衆の真理を知りつくした扇動者の言葉です。サブプライム問題を震源とする世界金融危機も、いつのまにか100年に一度の経済危機にすり替わり、それが本当は仕組まれたものであると認識する人は極めて少数派であります。性善説で知られる日本国民はほぼ100%、アメリカ政府の発表をそのまま信じてきました。
またゲッペルスはつぎの様にも言っています。
「大衆の多くは無知で愚かである」「熱狂する大衆のみが操縦可能である。」
「大衆は女と同じだ。私の後に従わせる。」「人々が思考しないことは、政府にとっては幸いだ。」「思想宣伝には秘訣がある。何より宣伝の対象人物に、それが宣伝だと気づかせてはならない。同様に、宣伝の意図も巧妙に隠しておく必要がある。相手の知らぬ間に、たっぷり思想をしみこませるのだ。」「大衆の操作は簡単である、近隣諸国は常に脅威であると言い続け、平和主義者は愛国者の敵と言えば良い」

上記の通り・・宣伝合戦の時代が続きましたが「実を重んじる」日本人は「沈黙は金」「巧言令色、鮮(すくなし)仁」と習いますので、宣伝能力に弱く(今でも「弁護士が宣伝するなど恥ずかしい」という意識の人が圧倒的でしょう)、日本はアメリカによる第二次大戦前から続く反日宣伝によって戦後も長年苦しめられてきました。
慰安婦騒動も「嘘を百回言えば真実になる」という論法で執拗に攻撃され続けましたが、日本人は「嘘はいつかはバレる」という思想ですから相手にしてきませんでした。
ところが、日本人が海外で韓国系に?いじめにあうなど放置できない水準になってきたので、安倍政権になって初めて反撃を始めたものです。
それにしても安倍総理の国際外交は巧みで、あっという間にパク大統領のあしもとが崩れ、同大統領の名誉ある撤退ということで首の皮1枚残した日韓不可逆的合意に追い込んでしまいましたし、米国による南京大虐殺の虚構宣伝に頼る中国の日本批判も、米中対立が始まり日本の対米協力必須となれば、中国の虚偽宣伝を後押しする米国の力が弱まるでしょう。
上記引用記事中のコメントには有益なコメントがありました。
以下の通りです。

「ゲッペルスが言った言葉は、宣伝の秘訣では決してありません。ナチスドイツが滅びたのも、民主党が滅びようとしているのも、国民を愚か者達と思い込んだ思い上がりの結果です。一時的に「政権交代の夢」に惑わされても、必ず本質を見抜く力を、賢い国民は持っています。国民を見縊って欲しくないですね。 」

私あるいは日本国民の多くが、このコメントに賛同ではないでしょうか?

国会審議拒否と内閣総辞職(戦前の教訓)2

江戸時代の一揆の仕組みを佐倉宗五郎の例で紹介しましたが、騒動を起こすような大名には統治能力がない・企業でいえば部下が団体で社長に直訴するような騒動を起こされるような人(所長や支社長)は「人の上に立つ能力がない」という判断は概括的評価として便利な知恵です。
そして騒動原因の善悪に関わらず、首謀者は必ず処罰される江戸時代の「喧嘩両成敗ルール」も安易な騒動を起こさせない知恵でした。
両成敗の結果、安易な個人的恨みや出世競争を勝ち抜くための追い落とし戦略などない時代には合理的制度だったように思われます。
西欧の民主主義制度・・その一環としての政党政治が始まると、党利党略中心で、国家のためというよりは党派利益だけで相手の党を非難だけして騒動に持ち込めば与党が責任を取るという結果だけ真似した・両成敗ルールがないので騒いだ方に政権が転がり込む変な結果にしたのが西園寺ルールでした。
加えてエセ民主主義国家においては本当の民意を問う仕組みがないので騒動が大きくなると民意の支持を受けた騒動か否かの判断がつかないので・・本当の民主主義を求める革命騒動に点火するリスクを恐れて、目先沈静化の方便としての不満の種になっている担当者処罰で乗り切ろうとの考えが高まります。
こうした時代背景を前提に日露講和条約不満が合理的・正義にあっているか民意によるかの基準によらずに、元老院が内閣総辞職させて当時の少数野党に組閣させた理由でした。
この辺までは、まだ党利党略による不当な意図によって騒動を起こす政党政治が未発達でしたので、(元老院内で有能な政治家に白羽の矢を立てる)許容範囲でしたから元老院のミスとは言えないでしょうが、その後政党政治が発達するとこれが変な方向性・・・なんでも反対して政治を麻痺させれば野党に政権が転がり込むという歪んだ政治運動の基礎になっていきます。
政党政治を導入する以上は民意多数を得た政党=選挙で多数支持を得た政党が政権を握るという両輪の導入が必須だったのですが、明治政府はそこまでの民主化の徹底を認められなかったので、民意や正義に関係なく国会審議が滞れば結果責任主義で政権交代を行なったのがこのような歪みを起こした原因です。
この悪習が次第に大きくなって、野党が政権を握るには選挙で勝つよりは何かテーマを見つけてはメデイアと組んで根拠のない騒動を起こしさえすれば時の野党が政権を握れる習慣になったので、あることないことで騒動を起こしては(天皇機関説事件の例を紹介しました)政権党になる・政権交代のルールになっていきました。
下野した方は同じくメデイアや軍部(メデイアの応援がないと騒動にならないからですが・・そのうちメデイア主導(メデイアは軍部と組み)と組んではまた自分を追い落として政権を得た与党を攻撃する・・結果その都度軍部が増長していき日本を破滅に追い込んだ歴史です。
戦後は本当の民主主義社会になったのですから、民意を知る手段としては完全な自由選挙制度があるので、騒動の大きさによって民意を知る必要がありません。
赤ちゃんが生命の危機を伝えるには泣くしかないのですが、むずかるとか小さな動きを母親がきめ細かく感じ取って手当てしていくようになると大きな声で泣き叫ぶ必要を感じなくなります。
成長に連れて言語能力等が発達するように、国民の表現力が付き、為政者も察知能力が高まる・上下ともに共感力・察知能力→忖度能力が高まると大規模な革命騒動が不要になります。
このコラムで繰り返し書いているようにフランス革命や、中国で繰り返される王朝末期の大騒乱など大規模騒動を起こさない限り社会が変わらない硬直性こそ恥ずべきことです。
日本では昔から「民の声なき声」(赤ちゃんが泣き叫ばなくとも母親の多くがその前に表情等で気がつくように)をすくい上げる能力が発達していますし、これに加えて戦後民主主義制度の発達定着で民の声は十分に届いているので、命がけの一気に相当する反政府活動・.騒乱状態を必要としていません。
一部はねっかえり組織集団画題動員をかけてデモや集会を何回繰り返しても国民大多数の声など反映しているものではありません。
処罰される心配もない民主国家では、集会に千人参加すると(処罰が怖くて参加をためらう)その何百倍の支持があるという意味がほぼなくなり、最近ではどちらかと言えばデモや集会は自己集団の存在誇示運動目的になっているイメージです。
その集会目的とどういう関係があるのかわからない韓国語で書いたプラカードや組合の旗などが目立ちますが、仲間内でどこの組織が参加したかの出席表みたいになっているのでしょうか。
補欠選挙や地方議会選挙などで民意を絶えず反映している先進国では、選挙で得た民意・多数党になるしか与党になることができないにも関わらず、革新系野党は騒動さえ起こせば与党になれた戦前の旨味を忘れられないでいるように見えます。
戦後もこの威力を発揮したのが60年安保騒動でしたが、これはまだ戦前政治の記憶が強い時期だった・当時はまだ戦前政治経験者がほとんどだったから戦前の政治習慣に従って「揉めれば辞職」すべきという暗黙の合意があって、内閣総辞職になったにすぎません。
ところが、戦後の制度は民主制度に変わっていますので、内閣総辞職しても国民が自民党を支持している限り、少数野党に政権が転がり込むことはありません。
そうすると何のために何かといちゃもんつけては審議妨害をしているかの疑問が起きてきます。
ここから革新系野党の誤算が始まったように見えます。
その頃から「政権たらい回し」批判を頻りに行って「憲政の常道論」が起きたのですが、彼らの言う戦前の憲政の常道とは、騒動の責任をとって辞職した以上は、政権を(少数=民意を無視して)野党に引き渡すべきと言うものでした。
騒動を国民が支持しているならば、次の選挙で勝てばいいのですがそれを一切言わないところが味噌です。
歴史の審判の結果から言えば当時の日本国民の大多数は革新系の推進していた旧ソ連圏との同盟よりは、日米同盟を支持していたことは明らかでした。
戦後文化人と称する人達は、ずっとこの手の騒動を起こすことに主眼を置いて民意の支持を得る地道な努力をしないまま70年以上もやってきたことになります。
民(たみ)の支持を得る努力と書きましたが、日本の場合、古代から上下共にそれほど能力差がないことを書いてきましたが、「エリートが高邁な理想を唱えて愚昧な民を指導する」という発想自体がおかしい・・むしろ実務に参加して実務で磨かれた常識の中から国の進むべき道筋の方向が出てくるのが原則です。
ですから欧米的エリートと文盲に分化している階層社会を前提にして、(これを有難がって)エリート?の前衛思想家が国民を指導しようとする方向自体が間違っています。
国民意識を無視して有名教授の名を連ねて「違憲」という運動をいくらしても国民は共感しません。
この辺は、ポーツマス講和条約に反対した帝大7博士意見書の伝統を受け継ぐ古色蒼然たる運動形式です。
明治時代でも7博士の意見書は時代錯誤の主張であったことはほぼ百%明らかですが、それから約100年あまり経過後の今でも帝大7博士の故事に倣った憲法学者連名声明を錦の御旗のように掲げる?主張のおかしさに気がつかないようです。

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