日露戦争以降の政治とメデイア2

 自分で原文を書き上げ、グラフその他資料を作るとなると、いろんなパターンがあってその中から取捨選択していく作業があり試行錯誤し完成までには多角的検討を経ている上に同輩らの検討も経ています。
その結果が会議資料に出てくるのですから、日常別の業務を持っている外部委員がいきなり読む・・会議が始まっていろんな人の発言を聞きそれに一々反応しながら、同時に資料作成者が完成させる前に削ぎ落としてきた点検項目=これは配布資料に出ていません・・をその場で自分なりに想定して質問するのは容易ではありません。
ちょっと気になる点を質問する程度がやっとですが質問してみると、
「その点は資料ナンバーの何ページの10何行目以下にありますので読みあげさせていただきます・・〇〇委員のご質問はここで書いていない部分のご質問かと思われますが・・ABCのシュミレーションをしたところこのような結果になりました・・ご説明不足で申し訳ありませんでした・・」となって10分程後に別の議題の頃に追加資料がコピーして配布されることがあります。
部外者ががちょっと思い付きそうなことは、課長への説明の時に指摘されて修正し、部長説明でも補充し局長や担当役員決裁でもこれをやった結果が議題に出ているのですから、多くの目を経るうちに検討済みのことが多いものです。
部長や役員決裁段階で指摘されて再調査し直すのでは、担当者の能力不足・・あいつは役に立たないとなるので、意見の割れそうなテーマでは2〜3種類の調査結果を用意しておいて、どちらを執行部提案にするかについては部長や役員の判断とするのが普通です。
こういう経過を経るので、一般的に企業や官庁のしごとで本当によくわかっているのは課長直前の若手人材と言われています。
その企業実務慣行などに精通しない部外者(外部取締役や審議委員)はせいぜい「私の会社ではこういう調査を入れるのですが、御社はどういうやり方でやっているのですか?」「この点に問題がないか」という質問をする程度がやっとでしょう。
同じ部門出身の専務や社長が決裁する場合でもほぼ同じでしょう。
まして同業他社ではない・異業種経験しかない社外取締役や、有名ジャーナリストなど部外者の目で考えた経験しかない人が、(事前検討会議に参加しないので)いきなり膨大な資料を積み上げられて各部門から上がったいくつもの議題を次々と流れ作業的に議論して行くのでは、ほとんど機能していないのではないかと思われます。
最近社外取締役が、いくつもの企業で名を連ねているのが問題視されているのは、本業の他にそんなに多くの社外取締役になっていて、片手間で何をできるのか?という疑問にあるようにも思われます。
審議会委員や外部委員で具体的に関与している場合には、会議の場では気になったがその時の話題進行の流れから発言し損なってしまったが気にかかったテーマについて、(事前配布の資料が手持ちの場合)後日読み直して見て気になる部分の資料を担当者に補充してもらうなど個人的に聞くことは可能です。
こうした資料を直接見たこともないし議論の経過も知らない全くの部外者であるメデイアの受け売り(多くは審議会で自分の意見が通らなかった不満分子のリークでしょう)程度の意見などをメデイアが取り上げると民意・・国民多数意見であるかのような報道になるマジックです。
最近では、熊本地震のときに「みのもんた」氏がこれといった根拠なしに?自衛隊批判して大ブーイングを受けましたが、これまでこの種の根拠ない一方的決め付けをする役割をコメンテーターと言うわけのわからない芸人が担当しては、一刀両断=根拠ない断言をメデイア筋書き通りに濫発させていたことに対する健全な不満が漸く出たところです。
テレビ座談会等ではこの場面で誰がこういう発言して次にだれがこう言うと大方決めておいてどこで誰が締め括って下さいとセオリーが決まっているのが普通です。
この長年の役割分担で一見気の利いた発言をする役割をもらって来ただけのことでしょう。
ですから「みのもんた」個人の責任というよりは、こういう根拠ない極論・・無責任発言がテレビ界ウケしてきたことが、彼の個人ツイッターでも許されると増長させたのです。
熊本地震から考えると日露戦争は100年以上前のことですから、聞きカジリ程度の人でも帝大教授という肩書き利用の知ったかぶりの意見で運動すると庶民に対する影響力が大きかったのでしょう。
この頃から根拠のないメデイア意見に箔をつける役割を学者が果たす二人三脚が一般化して、メデイア意見=世論(民意)となって戦後は(CHQのプロパガンダ機関化していたこともあって)第4の政治権力と言われるように横柄になっていったと思われます。
正確には権力などない・西欧の第三身分の次に出てきた勢力という意味で第4階級というべきらしいですが、これを誤解して?権力があるかのように振舞っている点が問題です。
今では、権力を持っているかのようにのさばっているのが嫌われる意味で権力?という意味で使われるようになったので、第4の権力といってメデイア批判するのは語源を知らない間違いだと言う逆批判も行われているようです。
語源の問題ではなく、そもそもマイクさえ突きつければ政治家や経営者に平身低頭で謝罪を繰り返させる・うっかり何かを言うと「国民に向かってそんなことを言って良いのか」と嵩にかかって責め立てるやり方の本質をごまかすものです。
神威を伝える古代天皇〜時代が下ってからの将軍御側用人が将軍家の意向を伝える場面で諸大名が平服して承るのが普通になる・・・ひいては側用人の権威がいや増して行ったのと同じです。
メデイアが法律上の権力を持っていなくとも事実上民意を代表するかのように巧妙に民意を装う弊害..神威を標榜して南都北嶺の僧兵が横暴を重ねるのが政治をゆがめるのとどういう違いがあるかと言うことです。
メデイアが勝手に作り上げた「民意」を背景にした傲慢な態度はまさに政治効果でいえば現在的権力者そのものです。
メデイアは立法司法行政の3権のように「法で認められた権力を持っていない」ので、翻訳ミスだと形式論を言ってメデイア批判を封じようとする意見が流布していますが、側用人や中国歴代の宦官批判を宦官や側用人は制度上何の権力も持っていないのに、「制度を知らない無知な議論」だといって封じようとするのと同じです。
公式権力を持たないメデイアが情報拡散手段を独占するようになって、メデイアの特定方向への煽りが民意を決めるようになった弊害を書いています。
私の憶測では日露開戦是非論段階では政府の慎重論が優っていましたが、これといった見識に裏打ちされないメデイア関係者意見が政治を決めていくきっかけになったのが、日露講和会議後の日比谷焼き打ち事件でした。
本来言論で勝負すべきメデイアが暴動行為を煽り・・・講和条約が正しいと主張した(徳富蘇峰の主催する)国民新聞社も同時に襲撃されていますが、言論機関が対立する言論機関襲撃を煽るのは論理矛盾です。
その後の滝川事件〜天皇機関説事件〜軍部のテロ頻発や満州での戦線拡大を見ると、言論の自由を基本とする言論界が軍部内の総合判断力のない偏った無謀な意向をバックに報道していたことがわかります。
現在の森加計騒動でも野党が勢いづいているのは、メデイアによって国家としてやるべき多くの政治課題をそっちのけにしてでも、(あるいは国政を停滞させられる材料があれば何でも騒ぐ?)先行究明するほど重要であるかのように大規模模報道が続いているからです・・。
今や情報源が大手メデイア連合が情報発信を独占できた時代が終わり、ネット経由で多様な情報発信者が現れたことから、国民世論がメデイアの方向性ばかりではなくなっていますので、メデイアが「笛吹けども踊らず」で昨年の総選挙ではメデイア主張による世論誘導はほとんど効果がありませんでしたが・・。

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