メデイアと学者の煽り3(日露戦争2)

ここで講和条約交渉で過大な要求を煽り、日比谷焼き討ち事件の大元になった帝大7博士は元々早期日露開戦を求める過激意見書を発表していました(東京朝日新聞に全文掲載されたのでまとまって残っているようですので、これを見ておきましょう。
講和条約反対論は時局演説や新聞での片言隻句の引用程度でしょうから、まとまった引用文献が見当たりませんが、街頭演説となればその過激発言ぶりはこの意見書から推して知るべきです。
意見書とはいうものの学者の論文とはとても言えない・・長いですが、そのレベルが分かる程度に一部引用して紹介しておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E6%84%8F%E8%A6%8B%E6%9B%B8

七博士意見書(しちはくしいけんしょ)とは、日露戦争開戦直前の1903年(明治36年)6月10日付で当時の内閣総理大臣桂太郎・外務大臣小村壽太郎らに提出された意見書。

およそ天下のこと、一成一敗間髪を入れずよく機に乗ずれば、禍【わざわい】を転じて福となし、機を逸すれば幸い転じて禍となす。
外交のこととくに然りとなす。しかるに顧みて七八年来、極東における事実を察すれば往々にしてこの機を逸せるものあり。
遼東還付のさい、その不割譲の条件を留保せざりし?は、これ実に最必要の機を逸せるものにして、今日の満州問題を惹起する原因といわざるべからず。
のちドイツが膠州湾を租借するや、薄弱なる海軍力?をもって長日月を費やし、もって我が極東に臨む彼の艦隊や顧みて後継の軍力ありしにあらず。進んで依拠すべき地盤ありしにあらず。
渺々として万里に懸軍するの有様なりしをもってこの機に乗じ、掲ぐるに正義をもってし、臨むに実力をもってせば、たとえ彼裕大な欲望を有するも、何をもってかこの正義とこの強力に抵抗することを得んや。
当時もしドイツをして膠州湾に手を下すあたわずんば、露国もまた容易に旅順大連の租借を要求することあたわざりしや明らかなり。
然るに我邦逡巡なす所なく、遂に彼らをしてその欲望を逞しうするを得せしめたるは、実に浩嘆の至りにたえず。
機を逸するの結果また大ならずや。
・・・・・・・・・・
このときに当り空しく歳月を経過して、条約の不履行を不問にふし、若しくは姑息の政策により一時を彌縫せんとするがごとき終わらば、実に千載の機会を逸し、国家の生存を危うくするものとなすべからず。
噫、我邦既に一度遼東の還付に好機を逸し、再びこれを北清事件に逸す。
豈にさらにこの覆轍を踏んで失策を重ぬべけんや。既往は追うべからず。ただこれを東隅に失うも、これを桑楡に収むるの策を講ぜざるべからず。
特に注意を要すべきは、極東の形勢漸く危急迫り、既往の如く幾回も機会を逸するの余裕を存せず。
今日の機会を失えば、遂に日清韓をして再び頭を上ぐるの機なからしむるに至るべきこと是なり。
今日は実に是千載一遇の好機にして、しかも最後の好機たるを自覚せざるべからず。
この機を失いもって万世の患を遺すことあらば、現時の国民は何をもってかその祖宗に答え、また何をもってか後世子孫に対することを得ん。
今や露国は次第にその勢力を満州に扶植し、鉄道の貫通と城壁砲台の建設等により、漸くその基礎を堅くし、殊に海上においては盛んに艦隊の勢力を集注し、海に陸に強勢を陪蕩しもって我邦を威圧せんとすること最近の報告の証明するところなり。
ゆえに一日を遷延すれば、一日の危急を加う。
しかれども独り喜ぶ、刻下我が軍力は彼と比較してなお些少の勝算?あることを。
しかれども、この好望を継続し得べきは僅々一歳内外を出ざるべし(もしそれその軍機の詳細は多年の研究の結果これを熟知するも事機密に属するをもってここにこれを略す)。
この時に当りて等閑機を失わば、実にこれ千秋の患を遺すものと問わざるべからず。
今や露国は実に我と拮抗し得べき成算あるに非ず。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼れ地歩を満州に占むれば、次に朝鮮に臨むこと火をみるが如く朝鮮すでにその勢力に服すれば、次に臨まんとする所問わずして明らかなり。
ゆえに曰く。今日満州問題を解決せざれば朝鮮空しかるべく、朝鮮空しければ日本の防禦は得て望むべからず。我邦上下人士が今日において自らその地位を自覚し、姑息の策を捨てて根底的に満州問題を解決せざるべからざる所以まさにここに存す。
今や我邦なお成算あり。これ実に天の時を得たるものなり。しこうして、彼れなおいまだ確固たる根拠を極東に完成せず。
地の利全く我にあり。しこうして、四千有余万の同胞は皆密に露国の行為を憎む。これ豈人の和を得たるものに非ずや。
しかるに、この際決する所なくんば、これ天の時を失い地の利を棄て人の和に背くものにして、地下祖宗の遺稟を危うくし、万世子孫の幸福を喪うものといわざるを得ず。
あるいは曰く。外交の事は慎重を要す。英米の態度これを研究せざるべからず。独仏の意向これを探知せざるべからずと。
まことにその如し。しかれども諸国の態度は大体においてすでに明らかなり。独仏の我に左袒せざるは明亮にして、また露国のためにその戦列に加わわざるもまた瞭然たり。
なんとなれば日英同盟の結果として、露国とともに日本を敵とすることは同時に英国を敵とする決心を要するものにして、彼らは満州のためにこの決心をなさざるべければなり。
米国の如きはその目的満州の開放にあり。満州にして開放せらるればその地主権者の清国たると露国たるとを問わず単に通商上の利益を失わざるをもって足れりとす。ゆえに極東の安全清国の保全を目的とせる外交においてこの国を最後の侶伴となさんと欲するは自らの行動の自由を束縛するものに外ならず。ゆえに米国の決心を待ちて強硬の態度をとらんと欲するは適切の手段に非ず。
これを要するに、吾人はゆえなくして漫りに開戦を主張するものには非ず。また吾人の言議の的中して後世より預言者たるの名誉を得るはかえって国家のために嘆ずべしとするものなり。
噫、我邦人は千載の好機の失うべからざることを注意せざるべからず。
姑息の策に甘んじて曠日彌久するの弊は結局自屈の運命をまつものに外ならず。ゆえに曰く。今日の時機において最後の決心をもってこの大問題を解決せよと。

長すぎるので途中割愛しましたが、(関心のある方は冒頭の引用先に入って全文お読みください)これが学者の論文と言えるものでしょうか?
単なる政治アジテート・檄文にすぎません。
南原繁氏の論文・ナチスや日本の全体主義批判を内務省がチェックしたものの純粋な論文であって、政治アジテート性がないので発禁処分等の問題にしなかったことを紹介したことがありますが、その時も書きましたがひどく難解な論文です。
この部分をもう一度引用しておきましょう。
https://kotobank.jp/word/国家と宗教-65224

「国家と宗教」南原繁著。 1942年刊。「ヨーロッパ精神史の研究」という副題がついているとおり,ギリシア思想から始って危機神学にいたるまでのヨーロッパの思想や理念を論じたものであって,きわめて高い学問的価値をもつものとされている。だが本書の意義はいま一つ別のところにある。これは実は国家神道を背景とした当時の祭政一致思想や超国家主義に対して抗議し,対決しようとしたものである。これが発売禁止とならなかったのは,アカデミックな著作であったためといわれている。

戦前どころか戦時中にナチスや日本の全体主義批判を公にしても、純粋な学問の自由は十分尊重されていたことがわかります。

メデイアと学者の煽り2(日露戦争1)

3月27日まで見てきたように、日本で史上言論弾圧事件と言われている大部分(ほぼ100%)は少なくとも野党やメデイアの集中砲火で政権が辞職に追い込まれ、その結果天皇機関説を教えること自体が犯罪になってしまい、その後は野党が処罰しろと騒がなくとも治安当局が検挙するようになっていたのですから、それを政府による「弾圧」というのは自己矛盾的主張ではないでしょうか?
戦前は軍部・右翼が怖くてメデイアは迎合するしかなかったという言い訳もありそうですが、日露講和条約反対の日比谷焼打事件の例を書きましたが、軍部が怖くて迎合するしかなかったというのは言い訳に過ぎません。
むしろ軍部内の跳ねっ返り・ 「勇ましいことを言えば格好いい」という程度の浅薄な軍部内少数意見をメデイや野党が引き受けてあたかも正しいかのように世論を煽っては軍部内の慎重穏健派を蹴落としていく役割を果たしてきた・存在を示してきたと見るべきでしょう。
メデイア界の主張を通すための箔づけに最近では国連調査官報告や憲法学者連盟声明を利用しているように、当時は「帝大学者意見書」を発表しては、世論誘導に励んでいた点では今のやり方の先駆けパターンです。
以下日露戦争前後における「エセ学問見解」?やメデイアの動きと客観事実を紹介しますが、無責任報道が昔から「学問の自由」「報道の自由」を錦の御旗にしていかに蔓延っていたかが分かります。
24日「政党の終焉」で見たように軍部よりも政友会総裁の方が軍部を煽る過激主張していました。
日本国内報道過熱が先行して中韓の反日運動が過熱したのと同じ構図で、外野の軍部を利用しすぎたのです。
日露戦争開戦と講和時におけるメデイアによる跳ね返り学者利用による民衆に対する煽りの激しさは、以下に紹介する通り半端ではありません。
日露開戦の是非や講和の損得などの機微について前提事実を詳しく知らない庶民や右翼が、焼き討ちするまで盛りあがるには、盛り上がるにたる一方的な(国民を煽る)情報を流布して反政府運動を盛り上げるメデイアやエセ学問的意見や政治家の後押しがあったからです。
日露講和条約の理解には客観情勢の理解が必須ですし、この読者にとっては多くの方がある程度知っていると思いますが、キッチりした時系列を確認しながらお読みいただく方が良いので煩雑で長くなりますが、何回かに分けて引用して行きます。
今日から先ず客観的時系列解説記事を紹介し、それを前提として当時学者の言う「学問の自由」とは何であったか・学問研究と関係のない政治意見・アジテートを「学問の自由」と主張したことで、かえって学問の重要性を貶める効果を果たしていったのではないかの視点で7博士の意見とその評価を紹介します。
ポーツマス条約に関するウイキペデイアによれば、日露戦争と日露講和条約の概要(長くなるので一部引用)は以下の通りです。

1905年3月、日本軍はロシア軍を破って奉天(現在の瀋陽)を占領したものの、継戦能力はすでに限界を超え、特に長期間の専門的教育を必要とする上に、常に部隊の先頭に欠かせない尉官クラスの士官の損害が甚大で払底しつつある他、武器・弾薬の調達の目途も立たなくなっていた。一方のロシアでは同年1月の血の日曜日事件などにみられる国内情勢の混乱とロシア第一革命の広がり、さらにロシア軍の相次ぐ敗北とそれに伴う弱体化、日本の強大化に対する列強の怖れなどもあって、日露講和を求める国際世論が強まっていた[1]。
1905年5月27日から28日にかけての日本海海戦での完全勝利は、日本にとって講和への絶好の機会となった。
5月31日、小村寿太郎外務大臣は、高平小五郎駐米公使[注釈 1]にあてて訓電を発し、中立国アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に「直接かつ全然一己の発意により」日露両国間の講和を斡旋するよう求め、命を受けた高平は翌日「中立の友誼的斡旋」を大統領に申し入れた[2]。
ルーズベルト大統領は日露開戦の当初から、アメリカは日本を支持するとロシアに警告し、「日本はアメリカのために戦っている」と公言しており、また全米ユダヤ人協会会長で銀行家のヤコブ・シフと鉄道王のエドワード・ハリマンが先頭に立って日本の国債を買い支えるなど、アメリカは満洲、蒙古、シベリア、沿海州、朝鮮への権益介入のために日本を支援していた[3]。
中国の門戸開放を願うアメリカとしては、日本とロシアのいずれかが圧倒的な勝利を収めて満州を独占することは避けなければならなかったのであり、このアメリカの立場と、国内の革命運動抑圧のため戦争終結を望むロシア、戦力の限界点を超えて勝利を確実にしたい日本のそれぞれの希望が一致したのである
・・1905年6月9日、日露両国に対し、講和交渉の開催を正式に提案した。この提案を受諾したのは、日本が提案のあった翌日の6月10日、ロシアが6月12日であった[2]。なお、ルーズベルトは交渉を有利に進めるために日本は樺太(サハリン)に軍を派遣して同地を占領すべきだと意見を示唆している[2][注釈 3]。
・・・・ウィッテは、ポーツマス到着以来まるで戦勝国の代表のように振る舞い、ロシアは必ずしも講和を欲しておらず、いつでも戦争をつづける準備があるという姿勢をくずさなかった
すべての戦力においてロシアより劣勢であった日本は、開戦当初より、戦争の期間を約1年に想定し、先制攻撃をおこなって戦況が優勢なうちに講和に持ち込もうとしていた[12]。開戦後、日本軍が連戦連勝をつづけてきたのはむしろ奇跡的ともいえたが、3月の奉天会戦の勝利以後は武器・弾薬の補給も途絶えた。
そのため、日本軍は決してロシア軍に対し決戦を挑むことなく、ひたすら講和の機会をうかがった[注釈 5]。5月末の日本海海戦でロシアバルチック艦隊を撃滅したことは、その絶好の機会だったのである[12]。
すでに日本はこの戦争に約180万の将兵を動員し、死傷者は約20万人、戦費は約20億円に達していた。満州軍総参謀長の児玉源太郎は、1年間の戦争継続を想定した場合、さらに25万人の兵と15億円の戦費を要するとして、続行は不可能と結論づけていた[12]。とくに専門的教育に年月を要する下級将校クラスが勇敢に前線を率いて戦死した結果、既にその補充は容易でなくなっていた[11]。一方、ロシアは、海軍は失ったもののシベリア鉄道を利用して陸軍を増強することが可能であり、新たに増援部隊が加わって、日本軍を圧倒する兵力を集めつつあった
首席特命全権大使に選ばれた小村は、こうした複雑な事情をすべて知悉したうえで会議に臨んだ。
児玉源太郎は、日本が講和条件として掲げた対露要求12条のなかに賠償金の一条があることを知り、「桂の馬鹿が償金をとる気になっている」と語ったという[16]。日露開戦前に小村外相に「七博士意見書」を提出した七博士の代表格として知られる戸水寛人は、講和の最低条件として「償金30億円、樺太・カムチャッカ半島・沿海州全部の割譲」を主張し、新聞もまた戸水博士の主張を挙げるなどして国民の期待感を煽り、国民もまた戦勝気分に浮かれていた。

上記のとおり講和条約反対の日比谷焼き討ち事件はメデイアの期待に応える無知(実態無視)な学者のアジテート・扇動によって始まったものです。

メデイアと学者の煽り1(思想の自由市場論のまやかし)

放送権を寡占しているメデイア界が放送の偏り批判を受けると、「日本の公平性規制がおかしい」として言論自由度ランクキングを下げる運動を世界規模で展開し、ついに国連特別調査官任命・・対日調査にこぎつけてメデイア界の要望通りの調査報告をしてもらい「虎の威を借りて」政府批判をしておきながら、政府がこれに応じて参入自由化とセットで放送に公平性を求めずに自由にさせようとすると大反対するとはおかしな業界です。
勘ぐれば、寡占のままで「言論の自由侵害だ、なんの批判も許さない.規制するな」と言ってれば、寡占業界では好きな方向へ世論を誘導できます。
ネット業界も自由参入になるといろんな意見が出回りやすくなるので本当の「言論の自由市場」になってしまうと「自分達の偏った意見は淘汰されるので困る」という本音が出てきたのではないでしょうか?
憲法学者の決まり文句である「思想の自由市場論」は特定思想傾向のメデイアが寡占している市場を前提にしていた「まやかし論」であったことが昨日紹介した日経新聞の論調で暴露された印象です。
表現の自由の問題が遅れて問題になってきたのが、16年アメリカ大統領選でのトランプ氏のメデイアに対するフェイク攻撃です。
アメリカも思想の自由市場とはいうものの、実際には大手メデイアの寡占市場です。
3社を4社〜8社に増やしても談合的に同一方向(業界基準?)に向けた報道ばかりするようになれば同じことです。
自由市場化するにはだれでも指折り数えられるような有名大手企業を少しばかり参入させる(1〜2社増やす)のではなく、業界標準的思想傾向に関与しない無限?の参入を期待できるネット業界へ電波利用を解禁する発想は画期的なことです。
寡占市場であるメデイア界に特定政治勢力が牢固たる勢力を張ってしまい、一定レンジ内の意見しか報道されていなかった問題点を暴いたのがネット通信の発達でした。
自由な表現が広がれば、その分名誉毀損的意見やワイセツ、業務妨害的あるいは米大統領選挙で問題になっている選挙妨害など多様なマイナス利用が増えるでしょうが、それはそれで別の救済や抑止手段等を工夫して行けばいいことであって、まずは自由な発言発表の場が増えた点を前向きに・公共電波利用権付与を含めて前向きに捉えるべきです。
有用な技術が出てくるとその弊害ばかり強調する意見がメデイアで主流になりがち・・・これが何でも反対の野党を育てている原因です。
新たなものを利用するには新技術に応じた規制がセットであるべきです・・高速道路を認めると歩行者が危険でないかと言う時には歩行禁止にすれば良いように(従来価値観では人が歩けない道路ってあるの?となりますが・・・。)新しいことには新しい発想が必要です。
頭の硬い集団では、表現の自由に対する規制を絶対悪視する傾向により、新しい規制に何でも反対したがる傾向があります。
車=危険→車禁止のおかしさは誰でもわかるでしょうが、空軍基地や原発・パソコン・防犯カメラ・GPSその他全て新らしいものはダメの発想でいいのでしょうか?
軍隊=戦争をイメージしてしまい、軍備反対という短絡思考も似ています。
ドローンであれ軍備も飛行機や車も各種工場も安全に向けた工夫をこらしながら発展させていくべきです。
車の便益性は言うまでもないことですが、一方で生命等への危険性は皆無ではありませんが不断の努力により、今では我が国の交通事故年間死者数が5000人以下になっています。
工場等も有益であるけれども労災事故や公害〜騒音等の被害もありますが、これも公害防除技術の発達や安全管理の徹底等により、我が国では一定程度まで克服されて来ました。
原発も同様で安全運転に向けた工夫の余地がないかの議論が必須ですが「まず反対ありき」では建設的議論になりません。
結果的にいろんな分野で既得権益を守ることにエネルギーを使う集団になってきたのでしょう
・・・ひいては思想の自由市場参加者を制限して一定方向の思想のスクリーニングを受けた人しか表現できないようにしておけば(メデイアの主張に反する変な?意見が出ないので)自分亜たちの都合の良い件ばかり報道できるグループから見れば、言論規制の必要がないのは当然です。
結果的に自分たちの気に入った表現の自由が守れる・・・参入制限方向へ意見が偏るようにように見えます。
ロシアによる米大統領選挙選挙英国の離脱国民投票への介入、直近フランス大統領選その他への介入疑惑が盛んですが、(我が国では中韓系細胞のメデイアへの浸透疑惑)参入制限があって5〜6社程度の企業相手ならば、長期間かけた外国勢力の浸透工作が容易になります。
参入障壁を低くして超大手だけでなく一定規模の企業が次々と参入してくると、工作すべき相手が拡散する分に比例して浸透工作が難しくなります。
この角度から考えても参入拡大が必要です。
「思想の自由市場」と言うからには参加を否定するのではなく、参入障壁が下がるのに従って必然的に増えてくるマナー違反に必要な規制をタブー視しないことが重要ではないでしょうか?
一定仲良しクラブ的な運営・・気に入らない意見の参入規制をしたままで「思想の自由市場」とはおこがましい限りです。
大学自治会を極左集団が牛耳ってしまっても、その排除方法がないのですが一般学生や社会が無視すればいいことで大した実害がありませんが、電波を寡占している大手メデイアが(実情無視で)一方的傾向の主張を垂れ流すのは実害が大きすぎます。
何が偏頗放送かを誰がどうやって判定するかの問題を解決する方法が今の所ないので、中立や公正報道の義務強化よりは、参入の自由化によって、思想の自由市場化によって淘汰を待つ方が合理的です。
電波割当制では有限どころか希少すぎて超大手しか参入できない難点がありましたが、インフラ整備と利用の2階立て構想は素人の私から見ても非常に魅力のあるアイデアと言うべきです。
NTTの通信設備インフラ部門と利用を切り離したことで一定の資本力があれば携帯やネット通信に参入できるようになったのと同様で電波希少性の隘路も、一定料金を払えば巨大設備を対等料金で利用できるようになれば参入障壁がぐっと低くなります。
いわばクルマを買わなくともタクシー等を利用できるようにすれば、購入し自分で保管維持できる人以外の利用できます。
鉄道施設を自前で持つ人だけが鉄道輸送できるのではなく、一般企業が貨物運送を利用出来れば公平です。
電波利用者・参加者が増えれば、報道の多様化効果が高まりまさに言論が市場化します。
公共工事の談合が禁止されているのは市場価格が歪められるからですが、思想の自由市場?の場合、あえて談合しなくとも慰安婦騒動でいえば「朝日がやっているのに負けられない」とばかりに一見独自意見のようなそぶりで競合他社がどっと追随報道に走ったので日本中が強制連行論一色になった原因でした。
思想表現は談合しなくとも、発表されるとそれを見てからの後追いでも瞬時の遅れを取り戻せるので、実質的な(一発入札の公共工事と違い)談合効果があります。
慰安婦騒動による朝日の検証委員会意見は朝日新聞の主張を引用する記事を調査したがほとんどない・・少ないので、朝日新聞の責任は低いかのような意見でした。
大事件スクープがあると、スクープで先を越された他社が単なるスクープの引用だけでは負けてしまうので、追っかけて深堀・独自取材を装うのが普通・朝日の引用意見ばかり書かないのは当たり前のことですから、こういう論理で朝日新聞の責任が少ないという意見の不自然さ(朝日新聞が選んだ委員ですから当然ですが・・)をそのころに書きました。
言論市場に4〜5社程度しか参加がないと、あえて談合しなくとも一定思想方向の人材を揃えておけば他社との競争と言っても「より早いか、よりセンセーショナルなキャッチコピー術に優れているか」の競争・・一定方向へ意見が向かうに決まっています。
これでは違った方向の意見が出てきません。
大学自治会が4〜50年前から政治偏向が激しくなりすぎたので、今では自治会がある政治意見を発表しても全学生の意見を代表する意見とは誰も思わなくなっていますが、これはこれで放っておいても誰もがそう思って無視できるので社会に悪影響を与えません。
しかしメデイアは庶民に一定方向の誤った情報を植え付けて、行動を煽る傾向があるので、放置できない影響力があります。
どうせ煽り合いならば、自由にさせていろんな意見から国民が自分で決めた方が合理的ですが、日本では報道できるものが寡占状態にあるのが問題です。

軍部責任説2(マスメデイアの報道は公正か?)

時の経過で本当に日本軍人が南京大虐殺や慰安婦強制連行をしたのかについて疑問が起きてきたのは当然です。
「戦犯とは何だ!という疑問も起きてきます。
戦犯とは戦争当時に締結されていた戦時条約違反者のことであって、戦勝国が勝手に決めたルールで裁くことこそ条約違反であり戦争犯罪です。
まして後の人権思想で裁く権利ではありません。
この点については後で戦時国際法やマーストリヒト条約等の紹介をしながら書いていく予定です。
国民から湧き上がる疑問に対して左翼・文化人は答えることができません・・。
そこで、アメリカの戦後秩序を否定するのか?と言わんかのような国際宣伝をしてみたものの、慰安婦騒動ではアメリカにはしごをはずされ、その後トランプ氏と安倍政権が仲良くやっていることもあって、うまくいかないので、国連等へ行って日本には言論の自由がないと主張する人が増えてきました。
数年前に児童売買春関連で国連調査官を招いて(公的議決によるので個人が招く訳がはないでしょうから、日本の言論状況調査の必要性を強調し調査官派遣決議実現に尽力した人がいるのでしょうか?)少女の10何%かがやっていると言う記者会見だったかを誇らしげにブログか何かで発表していたことが話題になりましたが、この再現のようです。
この委員会委員長は日本の弁護士であるとのネット報道があったような記憶です。
委員長が独裁的に決めるものではないものの、いろんな国際会議での議長国になると議事進行等の裁量権が半端でないことが知られています。
https://blog.goo.ne.jp/hanamiduki87/e/6ccf38ccbdd4259fd27b7d85ad4ab2e2

日本の「報道の自由度」は過去最低、国連調査官の訪日と警告
2016年04月22日 | 社会のニュースを考える
報道自由度ランキング、日本は72位 3年連続で順位落とす
(TBSニュースi)
国際ジャーナリスト組織=「国境なき記者団」は、報道の自由に関する2016年の世界のランキングを発表しました。日本は72位に後退し、3年連続して順位を落としています。
「国境なき記者団」が発表した「世界報道の自由度ランキング」では、世界180の国と地域の報道がメディアの独立性や透明性などを基準に評価されています。
日本は、前年から11ポイント後退して72位でした。国境なき記者団は、安倍政権がメディアの独立性を脅かしていることや、主要メディアの自己検閲が増加していることなどが日本の民主主義の土台を危ういものにしているとしています。また、福島原発、日本の国防などが“国家機密”となっていて、ジャーナリストの取材を防ぐ厳しい法律で守られていると指摘しています。
最も報道の自由度が高い国はフィンランドで、70位に韓国が入ったほか、中国は176位、北朝鮮は179位、最下位はエリトリアでした。(20日21:55)
・・・ケイ氏はこの日、東京都千代田区の日本外国特派員協会で記者会見。番組に政治的公平を求める放送法四条の廃止を提言し、「メディア規制から手を引くべきだ」と述べた。高市氏には何度も面会を申し入れたが、会えなかったという。

上記はランクが下がったことを自慢のように「どうだ!と言いたいらしい人のネット記事ですが、世界中で国防関係機密情報あるいは原子力情報(テロリストの手に渡ると大変なので)を無制限開示している国がある筈がありません。
日本がこれを世界標準に近づけようと努力しただけで、これを理由にしてもともと機密にしている国よりも言論自由度を低くする理由にすのは論理的意見とはいえません。
また、一定方向へ誘導する言論がメデイアで幅を利かしていて公平でないことに対するネット上の非難が強まると、「言論が不自由になった」と国連機関を利用している疑いをもたれるようになってきました。
これまでマスメディアが情報発信を寡占していたので、報道の偏りに不満があってもマスメデイアが取り上げない限り自由な批判発表の場がなかったのでメデイア界を牛耳っている人が偏った意見を垂れ流しても批判できなかった・言論の不自由な社会でした。
ネット発達によってマスメデイアが偏っていると言う非難が自由に出回るようになってメデイア関係者が従来通り言いたいことを100%言えなくなるのはむしろ健全化したことではないでしょうか?
彼らが批判を意識して萎縮している現状について、国連調査官が来日して偏向報道批判の根拠になっている「メデイアの公平論を外せ」と提言しているようですが、電波に限りある以上・・・テレビ放送できるマスメデイアは、日本に何社もない寡占市場です・・・寡占企業が独占的地位を利用して報道の自由と称して一定の立場に偏った報道をして良いのか?と言う意見には、一定の合理性があります。
思想の自由市場論が成り立っていないからです。
鉄道や電力のような地域独占を認める産業では提供サービスや対価を自由に決められない規制があるのは当たり前のことで、独占~寡占と規制とは裏腹の関係です。
「公平報道規制をなくせ」という意見をメデイアの主張としてではなく、国連調査官報告という権威を借りて大規模に報道するならば、同時に偏頗報道規制が必要、あるいは参入規制撤廃が必要という反対意見報道もすべき・・反対意見併記が公正な報道態度でしょう。
国連調査官による言論不自由度批判を報道する時には、メデイアの公平性必要を言わずに国連調査官の批判を「神のお告げ」のように宣伝していたのに、今になって中立性というか「規制」の必要性を大規模に主張し始めたのは不思議です。
日経新3月26日朝刊3pには、大見出しで
『放送の政治的公平』撤廃も」
の大規模報道が突如出てきました。
政府が規制改革というか番組制作部門と放送インフラの2階建構造に改組して、一般ネット通信企業にインフラを開放する構想をしていることに対するメデイア界の危機感の表明らしいです。
上記開放が実現するとネット通信にはもともと放送法4条の政治的公平その他の規制がないので、放送法の規制そのものがなくなるというのですが、日経新聞の主張?メデイア界の反発主張は、規制がなくなれば好き勝手な放送が始まり
「偏った番組懸念」

という大きな縦書きの見出しがついています。

「首相は1月末の新経済連盟の会合で『ネットテレビには放送法の規制がかからない』と主張」規制撤廃に意欲を示した」

と危機感を煽っています。
既存メデイアは放送法の公平性を守っているから良質な放送をできているが、規制がなくなれば

「放送法に詳しい立教大砂川教授は第4条が撤廃されればフェイクニュースが話題になったように情報がどんどん偏る」と語る」

と主張しています。
国連調査官まで招いて?「4条の規制を外せ」と煽っていたのに、政府が「それでは参入を自由化して皆で好きに報道したいことを報道できる制度にしたらどうだ」と方針表明すると今度は既得権益喪失危機感表明の大合唱です。
憲法学者の言う「思想の自由市場」とは、左翼系メデイアの寡占支配を前提にした仮想現実で自己満足していたように見えます。
本当に表現の自由が始まると今までメデイアが「一方的に行なっていた主張ができなくなり競争に負けそう」という悲壮感アリアリの報道です。
「日テレ社長『容認できない』との大きな見出しも出ています。

二項対立社会観5→軍部責任説1

メデイアや野党政治家や文化人が、戦前の言論弾圧批判・・軍国主義批判・・自分らは被害者であるかのような主張を臆面もなく何故繰り返すのでしょうか?
自己批判することなく治安維持法や軍部の責任にしてしまえば気楽でしょうが、その代わり厳しい自己批判をしないから、戦前の過ち・政策論争よりは政敵攻撃しかしない体質をそのままを繰り返しているように見えます。
「軍部が悪い・国民に責任がない」占領軍の民族分断政策にまんまと乗った・狡いのが左翼文化人・メデイア界です。
ドイツのように「ナチスだけに責任を負わせて国民は知らん顔」しているだけでは、民族の歴史・・将来に禍根を残す筈ですが、それだけでは気が済まなかったのか?
後ろめたさを隠すためか?
「毒を食らわば皿まで」と言う言葉がありますが、左翼文化人は米軍に協力するだけでは満足せずに中韓にもっと日本軍部の責任を追及するようにそそのかしてきたように見えます。
二項対立社会観については、17年2月23日「単純政治の限界・・2項対立4」まで書いてその後3月末〜4月にかけて表題にしていませんが、関係意見を書いていますのでその続きです。
軍部の発言力強化に力を貸してきのが、その時々の野党政治家でありメデイアであったことをこれまで書いてきました。
戦後軍部だけが悪かったという変な切り分け虚構に酔いしれた結果、政府攻撃材料に靖国参拝を問題視するようになったので、日本の左翼文化人・・メデイアが軍国主義復活反対と騒いでいるのに被害者の中国政府が黙っていると「政府は何をしているのだ」という国内突き上げに呼応するしかなくなった面が知られています。
慰安婦騒動も当初韓国政府はあまり信じていなかった・問題にしていなかったのですが、日本国内で盛り上がっているのに「政府が黙っているとは何事だ」という突き上げによって、韓国政府も腰をあげた経緯です。
http://ksmworld.blog.jp/archives/1067111984.html

1986年に当時の中曽根康弘首相は靖国神社参拝を取りやめるが、それまでは過去10回にわたり中曽根氏は靖国参拝をしていた。しかも、1985年8月15日には、現職首相として初めて靖国神社に公式参拝していた。
ところが、1986年に朝日新聞などのメディアが1978年に合祀されたA級戦犯のことを取り上げ、公式参拝を問題視した。中国側も朝日新聞から「この問題をどう思うか」と取材を受ければ「公式参拝はアジア各国人民の感情を傷つける」と言わざるを得ない。かくして、中曽根首相は1986年に一転して靖国参拝を取りやめる。
このときの後藤田正晴官房長官が残した「内閣総理大臣その他の国務大臣による靖国神社公式参拝に関する官房長官談話」(官房長官談話)は次のような内容だった。
《A級戦犯に礼拝したという批判があり、近隣諸国の国民感情に配慮するために、首相の公式参拝を差し控える》
この官房長談話は、『河野談話』、『村山談話』同様に罪深い。A級戦犯が合祀されたのは1978年(新聞が報じたのは1979年)で、その後も大平正芳首相や鈴木善幸首相は靖国を参拝しているが、中韓両国からは批判されていない。

慰安婦騒動については周知の通り、以下の朝日新聞報道に始まり韓国も対応する事態になりました。
http://ianfukangaeru.blogspot.jp/2013/12/1992.html
朝日新聞の奇襲

一九九二年一月十一日、朝日新聞の朝刊を手にとった人は、第一面トップに躍る慰安婦のキャンペーン記事に目を見はったことであろう。今にして思えば、この「スクープ報道」こそ、それから数年わが国ばかりでなくアジア諸国まで巻きこむ一大狂騒曲の発火点となるものだった。第一面ばかりでなく社会面まで潰したこの大報道を紹介すると長くなるので、とりあえずは主な見出しだけを次に羅列しておこう。

「慰安所 軍関与示す資料」「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」
「部隊に設置指示 募集含め統制・監督参謀長名で、次官印も」「〈民間任せ〉政府見解揺らぐ」
「〈謝罪を〉〈補償を〉の声さらに」
「募集など派遣軍において統制、すみやかに性的慰安の設備を」

さらに防衛庁資料を「発見」した吉見義明中央大教授の「軍関与は明白 謝罪と補償を」の談話、「不十分な調査示す」との女性史研究家鈴木裕子さん、「軍の関与は明らか」とする元日本軍慰安係長山田清吉少尉のコメント、「多くは朝鮮人女性」と見出しをつけた「従軍慰安婦」の解説コラムもつく構成になっている。
しかし「見出し」だけでは、なぜこんな大報道になったのか理解しかねる人もあると思うので、朝日新聞の意図を一面のリードから引用する。

日中戦争や太平洋戦争中、日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが十日、明らかになった。
朝鮮人慰安婦について、日本政府はこれまで国会答弁の中で「民間業者が連れて歩いていた」として、国としての関与を認めてこなかった。昨年十二月には、朝鮮人元慰安婦らが日本政府に補償を求める訴訟を起こし、韓国政府も真相究明を要求している。国の関与を示す資料が防衛庁にあったことで、これまでの日本政府の見解は大きく揺らぐことになる。政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の十六日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる。

このリード文を読めば、キャンペーン報道の意図が首相訪韓のタイミングに合わせて、それまで「国の関与」を否定していた日本政府に「偽証」の証拠をつきつける劇的な演出だったらしいことが読みとれる。

一月十一日といえば、訪韓の五日前にあたる。今さら予定の変更もできず、かといって予想される韓国側の猛反発への対応策を立てる余裕もない。私はタイミングの良さと、「関与」という曖昧な概念を持ち出して、争点に絞った朝日新聞の手法に、「やるもんだなあ」と感嘆した。
防研図書館の「陸支密大日記」は三十年前から公開されていて、慰安婦関係の書類が含まれていることも、軍が関与していたことも、研究者の間では周知の事実だった。慰安所を利用した軍人の手記や映画やテレビドラマのたぐいも数多く、この種の見聞者をふくめれば、軍が関与していないと思う人の方が珍らしかっただろう。それをやや舌足らずの国会答弁(後述)に結びつけて、「国としての関与を認めてこなかった」とこじつけたのは、トリックとしか言いようがない。

ところが軍部といっても外国人傭兵ではなく皆国民の父親です・・都合よく切り分けて自分に関係がないという誤魔化しが良心のある人ならばいつまでも通用するはずがありません。
そこで、軍部とは職業軍人のみで徴兵で駆り出された方は被害者だと言う分類が一般的です。

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