非武装平和論をそのまま実行すれば、結果的に日本が中韓等の占領下に簡単に入ってしまうのを理想とするようなイメージが強くなると、このような意見を述べる人々は、どう言う人の集まりか?と疑問に思う人が増えてきます。
慰安婦騒動で大きな役割を果たしたとしてネット上で糾弾されている社民党党首であった福島瑞穂氏(ただし私は彼女がどういう役割を果たしたかについてはネット風聞しか知りません)を例にすると、護憲・非武装論者の中でも有力政治家として知られているように、非武装論支持層と慰安婦批判層/外国人参政権拡大主張論者の多くは(護憲論者でも慰安婦強制性を否定する人もいるでしょうが、ここでは大方の傾向を書いています)共通性があると想定されます。
福島瑞穂氏に関する1月22日現在のhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%91%9E%E7%A9%82からの引用です。
弁護士時代から慰安婦問題に積極的に取り組む。アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件を担当した弁護士の一人であり、慰安婦問題については早期から問題の周知に大きな役割を担った[2]。高木健一らと共に韓国で賠償訴訟の原告となる元慰安婦を募集した。[3]
1992年8月にソウルのYMCA会館で開かれた『アジア連帯会議』は、松井やよりと福島瑞穂が仕切り元慰安婦の女性たちは会議の席上、事前に日本人と韓国人のスタッフから指導された通りに自身の体験と語って日本政府を非難した[4]。
慰安婦募集の強制性を認めた1993年(平成5年)8月の河野談話の根拠となった日本政府による韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査にオブザーバー参加している[5]。
2015年1月14日の在日本大韓民国民団新年会に出席し「慰安婦問題は性的暴力の問題、(外国人)地方参政権も含め、共生社会として作っていく」「統一地方選、来年の参院選、どうか手を貸してください」などと語った[14]。
2014年4月21日、元行政刷新担当大臣の蓮舫や社会民主党党首の吉田忠智と連名で、第2次安倍内閣が目指す憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認を支持しないようアメリカ大統領のバラク・オバマに求める文書を在日米大使館に提出した。
心底から事実と信じて慰安婦騒動等日本軍の蛮行を主張していた人達にとっては、非武装の結果中韓の日本占領支配意欲を誘発し、日本が占領支配されて何をやられても「日本があれだけの迷惑をかけた以上それは仕方ないでしょう」という考えが基礎にあってもおかしくありません。
日本人が数百年程度は、かなり酷い目ににあってこそ「頑固に慰安婦を認めない」日本人の目が覚めて心からの反省につながり、長期的には日本人のために良いことだという意見を持っているのかもしれません。
千年許してくれなくとも仕方ないじゃないかということでしょう。
親は子供を愛しいと思うからこそ厳しい試練を課すこともありますから、民族に苦難を与えることが千年単位で見れば日本民族がより良心的で立派な民族になる元になるという考えもあり得ます。
日本民族を中韓に売り渡そうとしているように一見見えても、日本民族に対する深い愛情に裏打ちされているかもしれません。
「人それぞれにいろんな(短期〜長期の違い)事実認識があり、いろんな意見があっても良い」というのが現在社会の到達した基本価値観でしょう。
どんなおかしな意見であってもそれを国民が支持するかどうかで、その意見が効果を持つかどうかを決めればいいことです。
影響力があって困ると言う意見もあるでしょうが、困るのは相応の共感者がいるからです。
日本を悪く言う意見は社会に害があると思う人がいるでしょうが、共感者が少なければ、日本社会に対する影響力もありません。
こんな意見がはびこると日本社会に害があると思えば、反対論を展開して国民の選択に委ねれば良いのです。
困るのは国外で日本のしてもいない悪事をいかにもあったかのごとく吹聴することでしょう。
国内言論は共感者の実数次第・思想の自由市場が働きますし、今ではメデイアに頼らずともネットが発達しているので反論も簡単ですが、国外での吹聴は国内にいる人には気がつきにくいので反論が遅れるし、国外で日本擁護の反論が自由(言語の壁もあるし)にできる訳ではありません・思想の自由市場が保証されていません。
国内支持者少数でも、これを悪用したい敵対国にとって大きな利用価値があります。
現在ではこれが一番困るように思われます。
企業でも何の組織でも内部で異論をいうのは構わないが、外で社内の陰口を垂れ流されるのが一番困るでしょう。
個人間でいえば、陰口/告げ口の類いです。
ところで、言論や学問の自由は時の権力に不都合な研究発表でも、何を内心で考えるかは個人の本源的自由権であるほかに、中長期的に見ればその社会の発展になることもあるし、社会の仕組みが変わると、前の時代に無視されていた意見が有用になる場合もあります。
各種基本的人権といっても、社会に害をなす行為は許されない・・通行の自由があっても相手の通行妨害権がない・・交通法規遵守義務があるのと同様に、最重要とされる表現の自由も(二重の基準論と言いながらも)結果的に公共の福祉に反する行為は許されない制約があります。
自由に思い考え自由にこれを外部表現する権利はとても重要ですが、相手を中傷して傷付けたり虚偽表現等で相手を陥れるのは許されません。
その民族が敵対民族の支配下に入るように画策したり、その社会破壊目的の発言表現の自由があるのでしょうか?
日本への「愛がある」結果としても、異民族支配下になるように運動する意見になると行き過ぎではないか?と思う人が多いでしょう。
仮に日本民族破壊目的の意見表明は許されないとしても、表向きは「こうした方が自民族のために良い」と言う意見で表現されるので、実際には本音まで認定できません。
しかも短期的に見れば日本のために悪そうでも長期的には逆に良い面もあり一概に言えません。
だから具体的実害が起きるほどの一見明白な危険発言以外の思想表現の規制は実際上不可能となり注意深く発言している限り結果的に野放しになります。
以下は法規制の必要性ではなく道義を書いているのですが、例えば、日本国内でのテロ行為の煽動・・誰彼なしに皆殺しにするように煽動する表現は道義的に違反でしょう。
すでに性風俗を守るために猥褻表現や名誉毀損表現が刑事処罰されるようになっていることからしても、それよりも法益的に重要な生命侵害の煽動することを少なくとも道義的に賞賛するわけには行かないでしょう。
日本政府による統治よりも外国政府による統治の方が良いと考えるのは思想の自由であるとしても、それを実行に移すのは内乱罪または外患罪で刑事処罰されることになっています。
すなわち、外国支配を希望していてそれを実行すれば処罰される法体系になっているということは、外国支配を望む思想表現は国家社会内の思想の自由市場で競争に勝って(国民多数の支持を得て)、民主的に実現すべきという思想が前提になっています。
国内での思想競争に勝てない・国民支持を受けられない場合に、暴力で政府を転覆したり外国軍事力の導入を実行することが許されません。
同じく、思想表現の自由・「思想の自由市場に委ねるべき」とは、国内市場を言うことが明らかです。
相手の知らぬ間に国外で相手を一方的に批判するのはルール違反です。