昨日最後に書いたように各種政策対象が広がって来ると景気が良くなっても税収がそれほど増えない・・赤字国債を解消するどころか、せいぜい赤字国債の発行額を減らすのがやっと・・不景気時の発行額の半分〜3分の1に減らす程度→次の不景気が来るとまた2〜3倍にすることの繰り返しになると・・累積額が増える一方になります。
赤字国債が増え続けることの「解」は何であるのか?、そもそも従来理論による限り「解」があるのでしょうか?
今の時代・・に限らずいつの時代でも、既存秩序を説明するための理論では説明の出来ない事態が切れ目なしに起きているのですが、旧知識で説明出来ないからと言って反対していても解決出来ません。
新井白石の貨幣改鋳批判「正徳の治」に対する批判を書いたことがありますが、旧来儒教倫理から言えば勘定奉行荻原の改鋳は悪ですが、経済活動が拡大しているのに金の含有量にこだわると潤滑油としての貨幣不足が起きることは、今になると自明でした。
必要な貨幣量は金の産出量によるのではなく、経済活動・交換経済の需要に比例するのですから当たり前です・・・・このために貨幣だけはなく各藩で藩札が発行されるようになっていたし、金本位制を理想としつつも、明治維新以降では紙幣が決済手段の基本となっていました。
通貨の必要量は経済活動に比例するのであって金の量に比例しない・・ただ紙幣の信用維持のために金の権威・憧れを借用していただけのことです。
江戸時代に発達した為替制度は、最後の帳尻残を公認の貨幣で決済する仕組みを背景にしているとは言え、権力のない商人間の信用の発達で成立したものです。
現在に至る為替制度も商人間の信用・・東京手形交換所や大阪・名古屋・その他各地の手形交換所での帳尻決済を基本にする点は、江戸時代からの流れそのものですし、不渡りによる、銀行取引停止処分などの規律による手形の信用維持に業界が自主的に努めて来た結果によります。
今で言えば、信用情報・デフォルト履歴・ブラック制度のハシリです。
藩札は領内限り、しかももイザとなれば幕府公認貨幣との兌換前提の仕組みですが、それでも大名家の信用で流通していたものです。
全部が全部小判や幕府発行の貨幣に変えてくれと一斉に言って来ないから、藩政府としては発行済藩札の5%前後のタネになる幕府発行貨幣を持っていれば何とかなる仕組み・・とすれば保有貨幣量の20倍の藩札が流通出来る仕組みになっていたことになります。
これは今の銀行システムも同じで、いわゆる信用創造機能と学校で習います。
このように幕府発行の公認貨幣の外の周辺決済手段が多様化(キャッシュレス化)している点では、今では江戸時代の比ではありません。
今では権力が信用の源泉ではなく発行体・商人の信用による・・トヨタの株式や債券ならば、額面にプレミアムを付けていくらで買うと言う時代です。
北朝鮮政府の権力が以下に強くとも経済基礎が弱いと北朝鮮通貨を欲しがりません。
プーチンの権力の強弱とロシアルーブル貨幣の強弱は全く別です。
このように今は発行体の経済力そのものの価値によって決まるのであって、通貨主権を取り戻せ・・と言う最近のユーロの議論は時代錯誤だと思っています。
話題が飛びますが、マネーサプライがどうのと言う議論も・・デパートの売上増減だけで、(スーパー〜コンビニどころかネット通販も盛んですが・・)景気動向を騒いでいるのに似ていてイマイチピンと来ない人が多いと思いますが、・・旧来重視されたデータそのままで議論しているように見えるからです。
マネーサプライの増減を議論するならば、10年前に比べてその他決済手段の多様化・キャッシュレス化進行の中で、いわゆるM1M2の比重がどうなっているかを論じた上で修正した議論をするべきでしょう。
このようにわが国では江戸時代から、実際には紙幣であるいは帳尻決済で何百倍もの相殺決済をしていたのですから、ソモソモ金への拘りは古代からの郷愁でしかなかったことになります。
金本位制の思想が完全払拭された現在では、各国の主権に裏付けされた中央銀行だけが紙幣を発行出来る・・紙幣発行体の純粋な信用力・・これもある国が自国通貨を信用があると言っても誰も相手にしない・・国際為替市場で評価される仕組みです。
大恐慌時の1930年には日本が率先して行なった金交換停止が今から考えると合理的だったように、(金本位制は本来古代への郷愁でしかなかった)旧道徳・教養主義に毒されたエリ−トには理解出来ないことが次々と起きてきます。
アメリカは国力があったことが災いして?1971年のニクソンショックまで金兌換をしていました・・世界最後尾の国の栄誉?を担ったのです。
資金力の弱いものから順に世界の進運に早く身を投じる・お金持ちほど古い習慣を維持する傾向があるのと同じです。
西欧では王権神授説に対する革命動乱・・産業革命ではラッダイト運動のように機械化によって職を失う反対もありました・・戦国時代の実力主義→下克上や幕末の攘夷思想と開国論など・・戦後の平和主義と現在の国際環境など・・いつも旧価値観では解決出来ないことが起きて来ます。
ネット空間でも既存論理を前提に現状批判している人が多いのは、(GDP比の債務額や税収弾性値論の不都合を昨日から書いていますがその他の論理も)対中批判であれ何であれ無理っぽい印象です。
何かを批判するには既存論理枠組みが前提にしていた社会が現状に合っているかの疑問から入って行くべきでしょう。
私自身・子孫に借金を残すのかと言う論法には反対意見を書いて来ましたが、だからと言って赤字国債→出口を決めない・・もしかして無制限日銀引き受けの行く末がまだよく分っていません。
この5〜10年間このコラムで書いて来た私なりの素人的理解は、一家の経済になぞらえて、お父さんの収入で足りなくなっても同居している息子・娘が自分の食費しか入れないときに、お父さんが子供らに毎月10万円づつ借金した累積額がお父さんの年収を越えた状態に匹敵するのが我が国の財政赤字額だと言う説明をして来ました。
この計算では、一家全体の収支が重要であって、子供らの収入の範囲で子供から借りている限り総額がいくら膨らもうと一家の経済に何の問題もありませんし、子供らに借金が残る心配もありません。
国債と税の違いは、親が子供から生活費として月10万円を強制的に(税)取るか借りたことにしているかの違いです。
遺産を残せない親に対して子供が親に貸す(出す)のをいやがってその代わり親が銀行で借りた場合・相続放棄されると銀行が損をしますが、支払能力・・親自身に資産があるか別に支払能力のある子供が保障しない限り銀行が無担保で貸さないでしょうから、・保障するしかないならば、結果的に同じです。
親を見殺しにする結果、親世代の自殺が多くなっているのが今の韓国社会でしょう。
日本では韓国のように親を見殺しにしてレジャーを楽しむ勇気がないとすれば、仮に親に資産がなくとも子は身を削っても親を病院に連れて行くしかありません。
ところで日本の場合親世代の方が(個々ではばらつきがあるでしょうが)トータルでは子世代よりも資産を多く持っている・・子世代は相続で得する関係です。
だからこそ政府は親世代から生前贈与の軽減税制度を次々と新設して奨励しているのです。