公式弁護士会に対抗する集団結成のコスト負担が新集団結成の妨害・抑制にはなるでしょうが、不満者が増えればいつかは反対組織が生まれて来るでしょう。
そうなると自分たちの集団も公式の単位会として認めろ=「会費の二重払いは御免」と言う運動に発展して行きます。
結果的に「一定数以上の会員が集まれば別の単位会を作る自由を認めろ」となり、将来的には強制加入制度が空洞化して行くリスクを孕んでいます。
一旦この動きが始まってしまうと外部勢力を巻き込む結果、会内だけでは収拾がつかなくなりますから、主流派がそこまで追い込まない自制心が必須です。
ここで弁護士自治の制度的担保とされている強制加入制度について、思いつき的ですが検討してみたいと思います。
弁護士は人権擁護が主目的ですが、多くは社会の少数派・ひいては社会多数から指弾されている人・権力から迫害される人をそれでも弁護するのが本質的立ち位置です。
その極端な場合・犯罪者とされている場合でもその人の立場になって耳を傾けてみる・・被告人は気がつかついていないが弁護士の立場で調査してみると色な証拠が出て来て無罪のこともあるし、有罪には違いないが、相手にかなりの落ち度がある場合の外社会制度に問題がある場合など、いろんな隠れた事情があります。
社会から圧迫されている人の極端な場合である刑事被告人まで行かなくとも、その前段階で村八分のような人権侵害を受けている人もいます。
こう言う人の立場になって弁護するのは、その弁護士まで一緒に非難される危険があってとても勇気がいるものです。
「勇気があるからこそ弁護士になっているのでしょう」と言えば簡単ですが、やはり人間の強さには限界があるので支えあい励ましあう仲間が必要です。
難病その他困った人たちの支えあう会が有効なのと根が同じです。
弁護士数が増えて行くに連れて同業者内意見交換的グループが発生してその内地域別・・全国組織に発展して行ったと推測することが一般的に可能です。
ただ、一般的歴史を見ると前近代・・ギルド制度の延長で、権力支配貫徹のために許可を受けた者しか業界参入を認めない・・許認可・強制加入制度は弁護士会に留まらず、全ての業界を通じて元々政府による統制支配の道具でした。
弁護士会も例外ではなく、多分司法省の監督権があって監督便宜のために強制加入になっていたのです。
職権処分も出来る睨みを利かしながら各種業界内で自主的処分をさせて(異議申立権を与えて監督官庁の最終処分にする)間接統治するのが近世以降統治の普通形態でした。
例えば今でもヤクザと警察のなれ合いがトキに問題になりますが、暴力団組織を完全に粉砕して全員一匹オオカミ状態になると情報収集が極めて困難になります。
「・・そこまでやると黙ってない・・兎も角これだけの事件をやった以上は、シラを切っていると組織壊滅までやりますよ・・」と言う脅しが利かなくなる・・これが良いか悪いかの議論は別とてこうして取締側も何とか格好がついている場面があります。
組織の方は「あいつははぐれ者で大分前から組織を抜けているので・・」と逃げを打っても・・それなりの人脈がある筈だからかそこを組織の力で探し出してくれと言う「脅し」が入ります。
これが捜査能力の低い天領中心に幕末各地で顔役・・侠客が成長して博徒など違法集団の二足のわらじがはびこった背景です。
想像は別として、権力統制・・各種業界に張り巡らされた強制加入制度を戦後民主化のためにGHQがドンドン破壊して行く中で、弁護士会(だけ?)に何故強制加入制度が残ったのか?逆張りの関心になって来ます。
弁護士会の論理によれば、自治が貫徹されれば、政府統制の害がなくなるから強制加入を制を残しても非民主的にならない・・という存続要請論理は戦前の強制加入制度存続のための論理です。
政府による統制のためにあった強制加入制度を「自治に必要だから」と存続運動して成功し、今も強制加入制度こそ自治の本丸・死守すべき制度と言うのですが、元々政府による統制のためにあった制度の存続によって、残っている制度だと知っておく必要があるでしょう。
戦後弁護士自治が始まったばかりの弱いときに、任意加入になると組織に人が集まらない・・自治が維持出来ないと言う弱みがあったのかも知れません。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/statistics/data/white_paper/2015/1-1-1_danjo_nenrei_suii_2015.pdfのデータによると1950年で全国5827人です。
私の登録した1974年では、9830人ですから、1950年から約二倍に増えています。
私が1974年に千葉県弁護士会に入会したときに私たち新規会員をプラスして漸く100人を超えた記念すべき年でしたが、その前・・約1年半実務修習していた栃木県弁護士会では、会員数が全県下で40人前後の印象(お客様・・お世話になっていただけでしたので詳しい数字までは知りません)でした。
50年比で約二倍になっていると言うことは、50年ころには、栃木県・・多くの地方県では20人前後〜終戦直後ではもっと少なかったでしょうから、自由参加では組織体にならない・・全県一区の単位会強制が必要であったことが想像出来ます。
以下はhttp://kounomaki.blog84.fc2.com/blog-entry-988.htmlの引用です。
GHQの・・「リーガルセクションは、当初、強制加入を「好ましくない」とし、さらに日弁連会員が、弁護士会と個人弁護士であるという二重構造の必要性も疑問視したとされています。これに対し、水野東太郎や柴田武は、次のような論法で説得したといいます。
① 強制加入を認めないと、少なくとも刑罰に至らない程度の非行の責任や弁護士一般の信用を害する行為の責任追及を断念するか、他の機関に委ねなければならない。このことは、せっかく確立した弁護士会の自由独立を捨てるか、弁護士一般の信用の危殆を傍観するしかないことになる。
② 弁護士会が官庁の指揮監督を離れ、独立自由を獲得するために強制加入があり、これによって団体自治が確立され、真の法的自治ができる。
③ 日弁連への二重加入は、弁護士に対する懲戒手続きを各地の弁護士会が追行しない場合、日弁連が直接懲戒する必要が生じるためである。(第二東京弁護士会「弁護士自治の研究」)
上記は書いた人の要約ですから正しいかどうか分りませんが、主張の中核が弁護士一般の信用を害する者に対して懲戒処分・統制が利かない→品質保持出来ないと弁護士に対する信用が崩れ、ひいては自治が維持出来ないと言う点にあるようです。
弁護士会の自治の必要性を自明の前提として根拠を書いていませんが、自治を維持するには(選挙等による確認によらないとしても)国民の弁護士全体に対する信頼・支持が必要と言う趣旨でしょう。
この論理から言うと入って来た後の弁護士の品質チェックには自治・自主的懲戒処分権があるだけで、加入を認める入口での資格チェック権がないと一貫しません。
権力に楯突く弁護士などは少ない方が良い・・試験を余程の秀才でないと合格出来ない・・厳しくして弁護士を出来るだけ少なくする政策の場合、弁護士会側からすれば入り口の品質保証は問題になっていなかったように思われます。
強制加入制存続要望の本音は、任意加入だと人数が少な過ぎて「発言力のある団体」にならない心配が中心だったからではないでしょうか?
反権力になり易い弁護士は少ない法が良い・・立派な資格だから厳重なテストが必須として合格者を絞って来ましたが、その結果却って弁護士に対する信用が上がります。
そこで、これを逆張り的発想で政府が弁護士の品質劣化を招くために資格試験を易しくして大量供給すればどうなるかの実験をしたのが平成の大量供給政策でした。