革命の成果によって憲法が制定されることが多い歴史を見ても分るように憲法内容をどうするかこそは、多くの政治運動の中でも優れて政治的要素が高い・・最も尖鋭な政治そのもの・中核行為です。
憲法・・国家の基本がどうあるべきかの尖鋭な(多くは血塗られた革命の結果生まれています)政治運動ですが・・、これを憲法遵守義務から導き出して弁護士会の目的の範囲内・高裁判例を引いて、弁護士の思想信条を侵害する政治運動ではないと言う主張は「現行憲法が改正されるまでは現憲法を守るべき」と言う遵守論と議論をすり替えているように思われます。
非常識なすり替えをそのまま言い張る体質を見ると、北朝鮮や中国が何かあると自己の非を棚に上げて「全て日本が悪い」と言い張るのと似て、専制支配の思想体質の延長で見れば理解可能です。
権力を持つ者が「馬を鹿」と言い張っても廻りが「違います」と言えない社会・権力さえ握れば「黒を白」と言い張れる歴史経験が強固で、その思想影響下にある場合、民主国家においても外部の影響力を遮断出来る組織内では、こう言う無茶な主張を言い切って持続可能です。
すなわち、日弁連や単位弁護士会は政府から独立性があって、外部世論による修正余地がない・・独立性担保がある点で「唯我独尊」的になり易い制度的欠陥を持っています。
内部的には専制支配でないものの、外部批判を一切受け付けない・・国民支持を直截必要としていない・・専制君主以上の権限があります。
絶対君主でが王権神授説を必要としたように、権力と言うものは何らかの正統性担保が必要です。
共産党一党独裁とりわけ、スタ−リン独裁の正統性のために、下部組織から順次の意見持ち上げ組織であるから一党独裁は民主的制度であると言う言い訳が一般化していました。
・・私の司法試験受験時に選択した政治学では、当時その道のオーソリテイーの基本書で勉強しましたが、「独裁は民主主義の一方式である」と政治学原論で習った記憶です。
そのころには「北朝鮮は地上の楽園」とマスコミで賞讃されていたことを考えると昭和30年代半ばの頃に政治学の権威者になった人ですから当時の学会では共産主義礼賛のまっただ中だったからでしょうか?
「地上の楽園」検索で出た本日現在のウイキペデイアの記事です。
帰還事業・・1959年12月14日に最初の帰国船が新潟県の新潟港から出航し[2]、数度の中断を含みながら1984年まで続いた。
「在日朝鮮人の間では、朝鮮戦争による荒廃からの復興が進まず、また政情不安を理由に、韓国への帰国を不安視する一方で、社会主義体制のもとで千里馬運動により急速な復興を実現したとされていた北朝鮮への憧れもあった。当時、北朝鮮と韓国の体制間競争は北朝鮮が優位に立っており[注 1]、朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」「衣食住の心配がない」と宣伝し、それに呼応した日本の進歩的文化人・革新政党・革新団体が繰り返し北朝鮮の経済発展の様子を伝え、在日朝鮮人に帰国の決意を促した[6]。特に北朝鮮を訪問して礼賛した寺尾五郎の『38度線の北』は、帰国希望者に大きな影響を与えたといわれる」
「吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で知り合いの帰国を喜ぶ場面があるように、一般の日本人も帰国事業に概ね好意的だった。このため、日本のマスコミは左右を問わず帰国事業を人道的な事業と捉え、新聞各紙はこぞって帰国事業を歓迎し賛同する記事を書き連ねた。1959年12月24日付産経新聞の「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け入れ」、1960年1月9日付読売新聞の「北朝鮮へ帰った日本人妻たち「夢のような正月」ほんとうに来てよかった」、さらに1960年2月26日付朝日新聞に、次のような記事が掲載されている。
“ 帰還希望者が増えたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想を尽かしながらも、二度と戻れぬ日本を去って“未知の故国”へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎振りや、完備した受け入れ態勢、目覚しい復興振り、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏み切ったようだ」
話題がそれましたが、昭和3〜40年代には委員会方式が民主的運営方式として賞讃された時代で、ソ連崩壊後の今でもこれが続いている印象です。
弁護士会の会内民主主義も、全て下部委員会からの持ち上がりで機関決定を経ていることは確かです。
ソ連が崩壊した現在これが・・委員会審議による持ち上がりでさえあれば民主主義組織と言えるのかの検証が必要でしょう。
April 9, 2015「,弁護士大増員の影響」(弁護士会費負担の脅威)1November 1, 2015「弁護士会委員会の運動体化1」October 19, 2015「サイレントマジョリティ10(会内合意のあり方3)」等々で書いて来ましたがその再論または続編でもあります。
下部組織・委員会から意見が持ち上がる形式のソ連型民主主義制度は、実際には内部が硬直してスタ−リン独裁・逆らいそうな気配があれば直ぐに粛清されたりシベリア送りになっていたように、物事は形式ではなく実質です。
中国の現在政治も共産党内部は形式的には民主的に持ち上がるようになっていても、実際には権力掌握者の動向をしっかり見定めてその御先棒担ぎをするような意見しか出せない・執行部に楯突くような意見を言えない・・全員一致しかない集会です。
異論を言うどころか反対姿勢を匂わせようものなら、早速汚職容疑や反党分子として引っ張られてしまうでしょう。
一旦支配者が決まるとこの体制が崩壊するまで専制支配者の鼻息をうかがうしかない・・まさに古代から続いて来た専制支配体制を委員会組織に置き換えたに過ぎません。
委員会形式は専制支配の言い換え組織・・ソ連崩壊後・いまでは委員会組織・・機関決定さえあれば民主的決定と言えないことは世界の常識でしょう。
私が好き勝手にいろんなことを個人的に自由に書いていることから分るように、弁護士会内部がそう言う状態でないのは確かですが、それと組織内で公式な意見交換が自由闊達に行なわれているかは別問題です。
政治論について本当に充分な議論が会内で出来ているかは別問題である上に、活発な議論が行なわれていてもその結果をどうするかは別問題です。
会内で活発な議論が出来たとしてもソモソモ政治的意見で集まった団体ではない上に強制加入の本質からすると・議論の結果に納得出来ない少数意見を、どうするかは別問題です。
例えばある同好会がテニスや旅行目的で集めた資金を多数で決めれば特定政治家への寄付に使って良いかということです。
会内民主主義システムとしては弁護士会の場合直截選挙もありますし、ソ連や共産党組織とそっくり同じではありませんが・・ここでは委員会組織さえ経由すれば民主的手続を尽くしたと言うまやかし・・形骸化について書いています。
さらに内部民主化さえあれば、独り善がりで良いのか、外部チェック・・選挙による支持率上下による外部評価を受け付けなくても良いかも大問題です。
レストランでも衣料品でも皆同じですが、従業員株主全員の民主的同意さえあれば、消費者の好まない商品を提供した場合・・誰も買わないので結果が出ます企業内全員一致で新商品を開発して売り出しても、社会に受入れられなければ失敗であることは同じです。