観念論の弊2(神学論争)

大陸諸国とイギリスの国民性の違いは、大陸の観念論に対してイギリスの経験論として比較されるのが普通ですが,観念論は体系的一貫性を重んじる傾向があります。
先進社会から優れた観念が先に入って来た文化格差の大きい社会や気候変動の画一的な大陸に多い現象だと思われます。
一度圧倒的に進んだ文化の体系が樹立されると、現に起きた事象をその体系内で矛盾なく処理出来るような解釈論の工夫(これを「新説」と言う程度)に傾注するのが普通・矛盾なく説明出来る論理を発明考案?するのが優秀な学者になります。
先進社会から遅れたゲルマン・ガリアの大地に入って来た場合のキリスト教神学もその一種だったでしょうが、十字軍遠征の結果タマタマ、プラトン系(イデア重視)か、アリストテレス系(形相・質量)かの大きな争点が提起されたことが言論活発化の端緒となり救いだったことになります。
(ただし私には文字どおり高邁過ぎる「神学論争」でよく分りません)
ところでプラトン、アリストテレスの議論が入って来たのは(十字軍の結果)アラブ言語で書かれたプラトン等の思想が入って来て、これをラテン語に翻訳したことによって漸く始まったのですから,西欧のギリシャ文化と言っても実は(見落とし勝ちですが)アラブ経由のしかも十字軍以降の理解であったことが重要です。
我々は学校で「ギリシャ・ローマの文化」と習いますので,ローマ滅亡後に同時的に西欧に入ったかのように誤解していますが,ギリシャ文明は十字軍の後に別ルート、アラブルートで入って来たものです。
ギリシャ文明の流入があってこそ多様な価値観の存在を知り、その刺激でルネッサンスが始りひいては新教発生の土壌となり宗教戦争を経て,信教の自由になって行ったことになります。
プラトン哲学などが「アラブ語をラテン語に翻訳することによって広がった」と言う意見をどこで読んだか根拠を探せませんが,ウイキペデイアでトマスの記事を見ると以下のとおりです。
「トマスの生きた時代は、十字軍をきっかけに、アラブ世界との文物を問わない広汎な交流が始まったことにより、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスの異教活動禁止のため、一度は途絶したギリシア哲学の伝統がアラブ世界から西欧に莫大な勢いで流入し、度重なる禁止令にもかかわず、これをとどめることはできなくなっていた。また、同様に、商業がめざましい勢いで発展し、都市の繁栄による豊かさの中で、イスラム教徒であるとユダヤ教徒であるとキリスト教徒であるとを問わず、大衆が堕落していくという風潮と、これに対する反感が渦巻いていた。」
上記ウイキペディアの通り唯一神のキリスト教の立場では多様な哲学思考に発展しかねない多島海文明のギリシャい思想流入に反対の立場であったことが分かります。
上記のとおり、アラブ世界からそのころにギリシャ哲学が入ってその刺激で神学が飛躍的に?(その前から修道院中心にキリスト教の儀式その他こまごまとした研究発表がありました・・哲学分野で)発達したことになります。
逆から言えば、形而上の論理に関心を持つ人材が漸く育って来たから、需要があって翻訳流入も始まったと言うことでしょうか?
アラブを通じてしかもアラブ語をラテン語に翻訳しないと入らなかった・・ラテン語文献がなかったと言うことは,ローマ帝国ではギリシャ哲学が全く顧みられていなかった・・・・ラテン語への翻訳がない=需要がなかった・・程度のレベルであったことが分ります。
あるいはキリスト教が国教化した結果多様な意見が死滅してしまったのかも知れません。
ちなみに、神学大全と言うとトマス・アクィナスが有名ですが,ウイキペデアによると、彼は途中死亡して,弟子達がその後に完成したものと紹介しています。
完成時期不明ですが1300年以降でしょうか?
「1274年3月7日にトマスが世を去ると、残された弟子たちが師の構想を引き継いで第三部の残りの部分(秘跡と終末)を完成させた。」
『神学大全』(しんがくたいぜん、羅: Summa Theologiae, Summa Theologica, Summa)は、「神学の要綱」「神学の集大成」という意味の題を持つ中世ヨーロッパの神学書。13世紀に中世的なキリスト教神学が体系化されると共に出現した。一般的にはトマス・アクィナスの『神学大全』が最もよく知られているが、他にもヘールズのアレクサンデルやアルベルトゥス・マグヌスの手による『神学大全』も存在する。」
神学論争と言ってもせいぜい13世紀中頃からの始まりでしかない・・西欧社会の形而上の思弁能力発達の遅さが目立ちます。
我が国の発達をウイキペデイアでみると
古くは,空海・弘法大師には多様な著書がありますが,佛教理論書については,「天長7年(830年)、淳和天皇の勅に答え『秘密曼荼羅十住心論』十巻(天長六本宗書の一)を著し、後に本書を要約した『秘蔵宝鑰』三巻を著した。」とあり、
法然の著書『選択本願念仏集』は(『選択集』)建久9年(1198年)で、かなり遅いと思われる『立正安国論』でさえも1260年ですから有名なトマス・アクィナスより早いことが分ります。
その他に最澄や親鸞、栄西、道元等々有名人が一杯いますので,日本社会の思想活動の早さが分ります。
西欧の神学論争に戻りますと,折角ギリシャの有り難い哲学思想が輸入されたのですが,プラトン、アリストテレスの違い(中国で言えば孔孟の教え)だけでは中世終わり頃に実際社会の説明がつかなくなって来た(中国では朱子学による再構成による)ことが,キリスト神学の権威喪失→新教発生→キリスト教の信用低下の原因になっていったと思えます。
中国の場合,儒教にももいろんな学派があったのですが,中世以降朱子学一辺倒になって以降細かな解釈(訓詁)学になってしまい,思想界の停滞を招いたと言えます。
逆から言えば,紀元前の孔孟の教えを中世に朱子学による再構成しただけで社会が20世紀まで間に合っていたのが中国・朝鮮社会であった・・停滞したままであったとも言えます。
・十字軍遠征→イスラムの影響があった・・海で繋がる西欧とは違い,中国は広大な砂漠の西域からの文物流入が基本でササン朝ペルシャ以降外部刺激が少なかったので(眠れる獅子?)居眠りしていて20世紀まで間に合ったのかも知れません。
体系的一貫論に戻りますと,忠臣蔵の事件処理で言えば,儒学が重視する「忠」の理念だけでは社会秩序維持との矛盾相克を処理出来ず儒者の信用が失墜したコトを紹介したことがあります。
綱吉の動物愛護精神もそれ自体立派な考えですが,社会生活との折り合い必要だったのにこれに気がまわらなかったので悪政になったものですし,観念論で貫徹するのは強力な専制支配以外には実務上必ず無理が出て来ます。
忠孝最重視の価値観と社会秩序の相克が綱吉以降の我が国で直面した問題であった・・貨幣改鋳を悪政として批判した新井白石も同じです。
金含有量を減らして改鋳するのは伝統的儒学的価値観からすれば,(「悪貨良貨」の熟語があるほど古くからの基本です)悪政と言えば悪政です。
しかし、悪貨の概念は,金を商品としてとり帰する前提から始まった歴史を見れば含有率を偽るのは、言わば詐欺行為です。
商品・品質を偽ることに非難基礎があるのであって、貨幣経済を前提に社会全体を見る意識のなかった古代の観念を,経済政策の是非の判断に流用するのは間違いです。
新井白石によるい閉会中に対する批判は、今のゼロ金利政策や日銀国債購入性悪説同様に、貨幣改鋳がタマタマ過去の(古代の貨幣経済未発達時代の)価値観にあわなかっただけのことでした。

消費社会と指導者視点のリスク

指導者の号令一家の経済運営は勢いがありますが、一斉型発展型経済で人件費が一斉に上がった場合・・・全産業一斉に競争力を失うので、入れ替わりに新たに伸びて行く産業がないので大変です。
低賃金を武器に国際競争上優位になっていた点では重工業も軽工業も全ての分野で同じですから、各業界で中進国の罠にはまる前に技術力アップに成功していたホンの何%かの企業以外は賃金アップについて行けなくなります。
例えば全産業で技術アップに成功していた企業が5%平均(しかない)とした場合、残り95%の企業がギブアップになります。
深圳などではバングラディシュやベトナム等との低賃金競争に負けて数年前から何千人規模の大工場の閉鎖ラッシュと言われますが、規模が大きいからマスコミ対象になっていますが、実はいろんな分野での整理・失業が始まっているものの、大量失業者の多くを吸収出来るほどの転職先がある訳がないと思われます。
輸出型産業を縮小して内需型に転換するしかないのですが、未富先老が問題になるのとと同じで、まだ内需が育っていない・・庶民の懐がまだ豊かでないので購買力の厚みが足りない・・不足します。
イキナリ内需転換と言っても生産品の大部分が輸出目的であった結果、輸出を縮小すると企業淘汰が早く進み過ぎる・・膨大な失業が予想されます。
日本が中国など低賃金国の挑戦を受けたときには日本にマザー工場を残して現地生産・・現地工場への部品輸出が残った、・例えばクルマや白物家電工場で言えば部品輸出や技術指導などの仕事が残りました。
中国の場合、自社技術がなく先進国からの技術導入なので、日本企業が第2〜3工場をベトナム等に造れば日本から部品輸出になるだけで、中国工場から輸出するべき独自技術が滅多にありません。
ベトナムやバングラデシュで生産→輸出が始まるとその分100%輸出・生産が減る関係です。
鉄鋼・石炭産業の整理だけで約600万人の失業が予定されていると言われますが(前回2月のG20で大見得を切った?)過剰設備整理公約を実行出来るかが見ものでした。
上記のとおり失速しているのは鉄鋼石炭石化製品等目につく企業だけではないのですから、日々発生している暴動に対する政府の危機感は半端ではないでしょうから、つい我慢出来ずに過大設備廃棄をちょっと進めては、こっそりテコ入れするしかないのが実情です。
実際に耐え切れずに直ぐに金融緩和した結果、5月初めには休止中の鉄鋼業などの操業再開・マンション価格暴騰などの副作用が国際的に(7月23日「中国の権力闘争激化1」に勝又氏の紹介しているフィナンシャルタイムズの記事を紹介したように)取りざたされています。
内需拡大・サービス業への人員誘導と言っても、石炭産業や製鉄所で働いていた人(現場工員)がサービス業(にこやかに接する)に転換するのは容易ではないでしょう。
急激な人員整理を避けるために?国有企業の赤字企業救済と兼ねて(金利下げは人民元下落に繋がるのでこれを防ぐために)この数ヶ月紙幣増発(・・中央銀行への準備預金率引き下げ)マネタリーベースに留まらず社会融資総量(7月28日のコラムに記載)の増加で対応して来たようです。
紙幣増発すると近いうちに人民元が下がると思うのが普通ですから、資金余力のあるコクミン・企業は損しないように急いでドルに変える動きに出ます。
(何千年といたぶられて来た歴史の結果、政府を信用していないので、こうした人民の自己保身能力が極めて高いのが特徴です)
その分外貨準備がザルの底から水が漏れるように減って行きますので、金利切り下げほど直接的ではないですが、時間経過で人民元下落圧力になっています。
中国の金融緩和分(社会融資総量)の大方は、債務の借り換えに使っているので債務が急激に増加していると言われます。
5月15日日経朝刊朝刊4面には、中国政府は景気テコ入れ政策?で、4、7兆元(リーマンショック時に4兆元投資で世界をあっと言わせたので同規模以上)の鉄道・飛行場等の公共投資計画を発表しているものの、不動産投資中心にバブル効果が出ていて、不透明な地方政府債務+融資平台(シャドーバンキング)の債券発行が急膨張している状態が始まっている。
しかし、民間投資は減速していて民間には影響が及んでいない・実需がない・・不動産バブル再燃期待政策?・・「不動産投資依存中国で強まる」と言う大見出しになっています。
中国では、バブル崩壊を先送りするためにミニバブル再燃に持ち込もうと言う魂胆でしょうし、利にさとい国民は政府がテコ入れするならば、株式相場と同様に半年〜一年は相場が続く筈だから、その間に一儲けして売り逃げしようとして再投資に踏み切っている人が多いようです。
恐ろしい国民と言えば言えますが、中国では政府主導によってサブプライムローンの拡大版が起きていてこれが破裂したときに世界にどのように激震を走らせるかが現在世界の重要課題です。
リーマンショックは・・・サブプライムローン利用者と不動産業界→金融業界だけが直接の関係者でしたが、中国の場合、多様な分野の国有企業の一斉過剰生産力→破綻と一緒になっている分が戦前のアメリカ大恐慌とメカニズムが似ています。

民度4(朝鮮族2・観念論の弊1)

古代日本は律令制その他多くの制度を導入しながら,思想の均一化をもたらす「科挙制」を頭から採用しなかったのは,やおよろず・多様な意見を尊重し硬直した主張を嫌う民族性→科挙制度の危険な本質を当時から見抜いた先人の優れた智恵です。
日本は徳川家が佛教に代わる学問として儒学を重視したのは,佛教経由の学問では近世社会に適合出来なくなっていたからですが,(04/13/08「佛教から儒教へ1」以下に連載しましたが,儒学も赤穂浪士の処断に当たって限界を露呈したことも紹介しました)家宣父子の中継ぎを経た吉宗が儒学者新井白石を失脚させて以降,自由な学問が花開いたのは古代に科挙制度を採用しなかった賢明な選択に負うところが大きいと思われます。
律令制を取り入れても「(事実上骨抜きにしましたが)、科挙制を当初から採用しなかった点については2005年・・11/26/05「日本に科挙が導入されなかった理由1(地方分権社会1)」その他でいろんな角度から書いています。
ソモソモ,李氏朝鮮の長い統治期間中にこれと言った学問業績の有無については(寡聞にして)聞きませんが,その原因は朱子学採用以降、明朝、清朝及びこれを宗主国とする李氏朝鮮では,明清朝以上にその解釈学に特化してしまったことによると思われます。
解釈ばかりしていると学問研究とは言えない・・思考の範囲が既存権威内での応用に限定され,幅広く思考を巡らせるべき知能も発達しません・・。
まして自民族発祥思想ではなく,宗主国の明や清朝でどのような解釈が主流か?の早耳を競う程度が重視されるようになるとなおさらです。
私の司法試験受験勉強当時には,「今ドイツではこのような考え方が新しい流れだ」とか一方で戦後はアメリカ支配でしたから「アメリカの判例動向がどうの」とか・・アメリカに留学して来たばかりの新進気鋭?学者の意見が注目を集めていました。
憲法や刑事証拠法など人権保障関連は米国発の法理でしたから,米国の判例の動きや解釈論などが幅を利かしますが、ワイマール憲法同様に日本国憲法が理想的理念で作られたことが欠点です。
良く知られているように日本語通訳だった20代女性が抜擢されてイキナリ短期間に空想論で作ったことが,大きな原因になっていると思われます。
法や憲法は政治利害を前提にした妥協で出来上がって行く結果、実態に応じたものに練り上げられますが(綱吉の生類憐みの令は独裁権力の欠点が出た・社会生活者との妥協をしなかった点が問題でした),社会経験もない一介の通訳がイキナリ憲法草案を密室で書き上げた・占領軍独裁制の欠陥がモロに出たもので,ほんとに「交戦権がない」と言うことで良いのかなど無理・・稚拙過ぎる条文・・これが未だに平和憲法論争の原因になっているのです。
ソモソモアメリカ憲法は(判例法主義の伝統を受けて)修正第何条と言う表現が有名なようにしょっ中書き直されて来たもので、運用して都合が悪ければ修正して行く仕組みで「不磨の大典」ではありません。
素人が思いつき的に「戦争のない社会が良いなあ!と言う程度で現実国際社会との折り合いなど考えずに書いた条文・・いつでも修正出来る前提で気楽に書いた条文をその背景を考えずに絶対修正出来ない「平和主義」の理念を守れなどと言う壮大な観念論の柱・金科玉条にしてしまうのは一種のすり替え・詐欺みたいな主張です。
以下は諸外国の憲法改正の回数に関する国会図書館による調査研究からです。
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8624126_po_0824.pdf?contentNo=1第824号 国立国会図書館
諸外国における戦後の憲法改正【第4版】調査と情報―ISSUE BRIEF― NUMBER 824(2014. 4.24.)
国立国会図書館 調査及び立法考査局憲法課(山岡やまおか規雄のりお・元尾もとお一りゅういち)
●1945年の第二次世界大戦終結から2014年3月に至るまで、アメリカは6回、カナダは1867年憲法法が17回、1982年憲法法が2回、フランスは27回(新憲法制定を含む。)、ドイツは59回、イタリアは15回、オーストラリアは5回、中国は9回(新憲法制定を含む。)、韓国は9回(新憲法制定を含む。)の憲法改正をそれぞれ行った。」
平和憲法その他の信奉者は,アメリカにもその実例がないのでアメリカの判例(解釈)を錦の御旗として利用出来ないので,「近代法の法理を守れ」「憲法違反」などどこの国にも実際にない空理空論・法理を主張するしかない状態のように見えます。
思想家ではなく法律家である以上は、観念的反対ではなく,諸外国・・共謀罪や秘密保護法や憲法停止の非常事態制度(・・フランスが昨年のテロ以来執行中)のある国で、どう言う人権侵害事件が起きているかの例を出して議論すべきだとこのコラムで繰り返し書いていますが,そのような事例を出す気配がなく相変わらず抽象的反対を繰り替えしているだけです。
スパイ防止関連法や個人識別情報制度を人権侵害と騒いでいる先進国がないので,「近代法の法理に反する」と意味不明の原理を持ち出すしかないのでしょう。
現在は近代社会のままではない・・法理も時代に合わせて変わると言う意見をどこかに書きました。(貨幣の正邪も時代によって変わることを明日書きます)
日本の法学者の多くは,近代までの中朝民族の頑迷固陋な観念論の信奉者よりもずっと上を行く、特殊精神傾向の集団ではないでしょうか?、
ついでに書いておきますと,アメリカ式勉強法の導入は我が国発展に大きな意味があったと思われます・・たとえば、勉強の仕方まで変わる・・アメリカではケースメソッド・・事例研究中心であることも知りました。
私自身高尚な議論は不向き・・実務家向き?ですので,事例演習形式の勉強の方が理解し易いので助かりましたが・・。
法科大学院制度創設後の新司法試験問題を見た印象では,徐々に事例を上げてその解決方法を問う事例設問形式中心に変わって行き,今ではこればかりのような印象です。
こうなると大学院での法律相談実習や模擬裁判など実技訓練が必須になって来るので、法科大学院へ行かない独学者には不利になっています。
アメリカ一辺倒の時代になっても英米法は判例法のクニ・・事例に合わせて融通ムゲな解決が出来る(ただしデュープロセス・・手続違背には厳しい判例が多い)ことから,学問の広がりが制約されないのが良いところです。
先に抽象概念があって、その適用を議論するのではなく、事例から思考が始まる良さです。
我が国憲法論者は折角英米法導入による良い側面(思考の柔軟性・・憲法を柔軟に変えて行く)を活かさずに肝腎のアメリカすらも求めていない「憲法を守れ」と言う観念論ばかりに執着しているのは残念です。
現在の天皇陛下生前退位・譲位論も同じで,出来る範囲で先ずお心に沿うように早く変えようとすると,先ず反対,完全・全面改正でないと行けないと言って,内容の議論よりは方法で反対する・・結局修正反対します。
日本独立時の平和条約も全面講和など出来るわけがないのが分っている・・今だにソ連・ロシアと平和条約を結べない状態を見れば分ります・・のに全面講和以外反対・日本独立を遅らせるために運動した社会党と同じです。
沖縄も不可能な無条件返還にこだわっていたし,(アメリカ基地存続反対では変換は無理でした)何事も完全主義?と言う名の反対主義です。
中韓に限らずどこのクニもいつの時代にも,物わかりの悪い原理主義者が一定数いますが,(幕末に国際情勢無視の「(鎖国)の祖法を守れ」と幕府を困らせるために騒いだ勢力もこの一種です)占領軍が実態に合わない憲法を押し付けたのでこれ(悪用するため)に飛びつく困った人材が大学機関の主流派になってしまった弊害です。
幕末に「祖法を守れ」と主張したのと同類の(内容の議論をしないで兎も角)「憲法を守れ」の主張を繰り返しています。

民度3(朝鮮民族)

韓国は李氏朝鮮以来の伝統に復帰して,庶民無視・・戦後約70年に及ぶ人民(ピープル)に対する愚昧化政策+反日教育の成果が出て来て収拾のつかない状態を招いていると思われます。
鳩山氏の「少なくとも県外へ」の主張同様に韓国野党は日韓合意破棄など国際常識無視の無茶な主張をしてますが,政権を取ったらどうするつもりなのでしょうか?
現政権は国際合意の重みをある程度理解しているようですが,次の政権に変わったら前政権の約束を守る必要がない」と言うような思い込みで野党候補が運動してるようです。
幼稚な政治レベルで国際社会で一人前にやって行けると思っているのが不思議です。
(事実上次期大統領選に出馬予定と言われる)前国連事務総長の潘基文が,「先ず10億円を返そう」と言う意見を述べている様子です。
国連事務総長を務めていた彼が,「貰ったお金さえ返せば」国際合意を反古に出来るかのような発言をするとは驚きです。
潘基文氏の公式発言は以下のとおりです。
http://www.sankei.com/world/news/170113/wor1701130027-n1.html
【ソウル=桜井紀雄】韓国メディアは13日、次期大統領選への出馬に意欲を示す潘基文(パンギムン)前国連事務総長が、慰安婦問題に関する日韓合意について、日本政府による10億円の拠出がソウルや釜山(プサン)の公館前に設置された慰安婦像の撤去が条件なら「金を返すべきだ」と発言したと報じた。」
こういう国・・対価を貰うだけもらった後は約束を守る気がない・・これが「詐欺みたいだ」と批判されることがやっと分ると「じゃ返せば良いだろう」と言う次の段階に気づいた・・少し進歩した程度のことです。
先取りしたお金を返せば良いのではなく,「合意や約束を守るべき」と言う大前提が理解出来ていない点では、前国連事務総長すらも同じですから驚きです。
こう言うレベルの相手に何百億ドルと言うスワップ(相保障)の約束を出来るわけがないと言うのが国際常識ではないでしょうか?
このテーマで今後交渉を進めるように持ち込んだ安倍外交は成功と評価すべきか、感情的対応と言うべきかは短期間に結果が出るように思われます。
1月12日のコラム冒頭で,中韓も民度レベルが低いだけで士大夫層・エリートは相応の政治経験がある(筈)と書きましたが,韓国の場合クニのエースとして国連に送った人材でさえもその程度のようです。
朝鮮族は朝鮮通信使の時代から,儒教を早くから信奉していたので?日本より一日の長があると自慢しますが,ヤンパン層の政治経験レベルはそんな程度・・彼らは長い間何を学び・考えていたのでしょうか?
儒教は専制支配秩序に便利なので,(日本の封建制・・利害調整必須社会とは違う)漢王朝が支配道具としたのですが,李氏朝鮮も「これは便利だ」として専制支配に利用して来ただけ(その分思考回路が硬直していただけのように見えますが)ではないでしょうか?
専制支配・強い者が論理の正当性無視で決める社会しか知らないので,合意の重要性を理解出来ないまま現在まで来た様子です。
社会生活の基礎・・「合意を守る」と言う基本原理が理解出来ない・朱子学には深遠な哲理?があっても、社会あるところに必要な「合意重視」ルールの教えがなかったのでしょうか?
赤穂浪士処分に際して「忠孝重視」の教えと「社会秩序維持」の相克について荻生徂徠以下儒者が困った原因です。
日本の場合,遣隋使以来中国大陸の学問や芸術の優れたものは概ね取り入れて来ましたが,朱子学までの儒学は学問的価値を左程見いだせなかったので軽視されて来たに過ぎません。
朱子学になって初めて理論哲学として優れたモノがあったので,徳川幕府がこの時点で漸く取り入れたのは理にかなっています。
ただし中国や朝鮮では,朱子学以外の学問が科挙試験から切り離された結果、事実上その他学問が窒息して行った・・これが明清時代や李氏朝鮮社会停滞の原因になったと言われています。
儒学思想が停滞の原因と言うより,「科挙」と言う国家試験が強力過ぎて,学問を志すほどものにとって,科挙試験合格が登竜門・・科挙試験で採用されないと誰も勉強しない・・私塾や出版が成り立ちません。
朱子学以外には学問として生き残れない・・その解釈学に特化して行くと全く発想の違う視点の自由な学問が生まれる素地をなくしてしまった・・学問が朱子学を中心とする訓古学になってしまった原因です。
文芸も社会制度も何もかも,過去の解釈が優れているかどうかだけで,新たなものを考える力をなくしてしまったのです。
焼きもの・・天目茶碗で言えば,トッピン級の画期的なものが出来ると・・清朝国内では異端扱いで見向きもされないので、良いものが出来ると直ぐに日本へ輸出する習慣があったと言われるのはこの所為です。
漢民族の逸品(書画骨董)の多くが日本に集まっている原因です。
現在日本で言えば科挙制度再来と言われる司法試験制度の弊害がここにあります・・異端学説では合格出来ない?・・一旦主流になった学説が幅を利かす弊害・占領期にアメリカの正当性を主張するために確立された憲法学説・歴史観を勉強しないと一流校→1流大学に合格出来ない→司法試験合格に不利となる現象です。
平和憲法の実質を議論するより先に問答無用式に「これを守れ」と言う論調がはびこる原因です。
ただし、司法試験は論理が優れていれば反主流の学説でも合格出来る点で,中国ではびこった学閥形成の弊害(漢時代に始まる党錮の禁その他面接官との個人的関係・・繰り返し弊害が起きています。)のない公正な制度ですが,それでも先ずは主流派の学説をマスターしておかないとマトモな論文を書けないので,主流派学者の方(ホンが売れます)があちこちで引っ張りだこ・・有利(事大主義意識が自然に刷り込まれる仕組み)です。
中国や朝鮮では,当時民間需要が発達していない・・官僚にならないと食えないし、政府買い上げでないと芸術品も売れない・・相手にされない時代ですから,その弊害の大きさが分るでしょう。
ちなみに現在日本では司法試験に合格しなくても民間でいくらでも実力発揮出来ますし、江戸時代にも将軍家お抱え絵師でなくとも民間でいくらでも活躍出来たし新たな浮世絵その他が輩出しましたし、芸大を出たからと言って芸術家と言えない社会でしたが,実は学歴社会の場合,その弊害が大きくなります。
これを利用したのが米軍支配制度で大学その他マスコミ等を占領政策貫徹目的の置き土産にした弊害が今になって目について来た状態です。
韓国では日本の何倍もの学歴重視社会ですから,一流大学やマスコミを内部侵蝕した方がた方が世論動向支配に有利・・・マスコミの多くは北朝鮮の工作成功の結果、事実上の支配に入っていると言われています。
最近の日本での法律家の政治運動・主張を見ると,(私もその一因ですが関与していませんので,運動を推進しているグル−プト言うべきかな?)どこか硬直した印象を受けます。
「秀才とは馬鹿の一つ覚えに特化した人材だ」と言うのが私の持論ですが)司法試験を頂点にする準科挙制の弊害・・主流学説=アメリカの占領政治の置き土産重視・事大主義の弊害を引きずっている結果かも知れません。

民度1

民度に戻しますと,日本は文字が入るとすぐに万葉仮名を工夫し、東国地方から徴兵された末端の防人(最末端兵士)なども歌(出身地の方言で・・方言の結果どこの出身か分るらしいです)を残し,平安時代には固有の音を表すひらがなを完成するなど庶民レベルの高い民族です。
留学者階層とそこから直接伝授された周辺階層だけが日本以外では「市民」であり当初エリートですが,日本では(遣唐使以来各種僧侶〜明治維新時の留学者→翻訳書の広がりも同じで)一定期間経過でドンドンと末端に広げる社会で古代から教養が一定階層に固定する社会ではありません。
日本は遣唐使の昔から,留学層(僧に限らず官僚)などが書籍を持ち帰っては日本語に翻訳や写経などして一般化に努める社会・・これを欲しがる民度背景・需要があったことが分ります。
横に逸れましたが,欧米の「市民」意識に戻りますと・・西洋式の(外来文化理解者)市民・・エリート意識を有り難がる人々が日本にも一定数います。
何かと学歴や家柄をひけらかす人は学歴・家柄相応の力がない人に多いものです。
西欧式市民・エリート概念を無意識のうちに教育されている日本の文化人が(欧米留学で古代都市国家への出入り業者資格・名誉市民?を得た気持ちになるのでしょう)「欧米では◯◯」とコトあるたびに外国権威をひけらかせば勝負がつくように思っている源流です。
敗戦直後には敗戦ショックもあってこの種エリート意識が幅を利かしましたが,社会が落ち着いて来ると,庶民から文化が生まれる日本の社会構造とは相容れませんので、次第に「バカじゃないの!と思う人が増えて来ました。
文化人が,日本のマスコミと二人三脚で欧米文化・バタ臭さが素晴らしいと煽れば煽るほど浮き上がって来ました。
この20年以上、土日休日になって余裕が出たせいか、月平均1回ほどの比率で美術館等に食事をかねて出掛けますが,洋画に比べて日本画の方が圧倒的人気差がある印象です。
最近「欧米では・・」と言うのではあまり国民受けなくしなったので,もっと有り難い権威を持ちだす・「国連勧告が・・」「近代法の原理」「立憲主義違反」と言う運動が増えて来ました。
日本社会経済のあり方を議論しているのに日本のための具体的政策に関係のない高邁な思想?・・自分の意見が何故正しいかの論拠を正面から主張する根拠がないので、外部権威を利用しているように見える点では同じです。
我々弁護士相談で相談者が自己の正当性を強調するために「みんなが言っている」と頻りに言いたがる人がいます・・他人がどう言うかではなく,「自分の正統性の根拠事実をきちんと説明して下さい」と言うとむくれる人がいます。
事実経過をありのまま説明すれば,自分に不利な判断になることを知っているかのような人に多い言動です。
「ナチスの蛮行に対する反省を見習え」と言われると日本人は思考停止するのではなく、いままで教科書で教えられたことだけではなく,逆に何が本当にあったのか研究し始めます。
ナチスの蛮行と言うだけで,思考停止しているドイツでは、具体的検証・・日本人の関心が集まるとどこかに痛いところがあるらしく,却ってドイツやユダヤ人が慌て出した印象です。
慰安婦騒動は,アメリカが背後でけしかけていただろうと言うのが普通の推測(勿論大手マスコミを含めて公式には誰も言えませんが・・)ですが,安倍政権が意外に屈服しないで頑張っていた結果、・・その間に米軍の欧州進駐時及び朝鮮戦争時の慰安婦徴用のすり替え疑惑・・日本占領時の性犯罪・ベトナム戦争時の蛮行・ナチスの蛮行検証・・ユダヤ人が何故西洋で嫌われるようになったか?など日本人が元々関心のなかった分野までネットで拡散するようになりました。
ユダヤ系にとっては他人の喧嘩に巻き込まれて、元々反ユダヤ感情が皆無だった日本人社会で反ユダヤ感情が広まるのは、迷惑なだけで何のトクもありません。
安倍政権による世界規模の複雑きわまりない外交の成功で、日本を敵に回し切れなくなったアメリカもこれ以上日本敵視政策を続けらなくなった状態がオバマ政権下の昨年までの状況でしょう。
大枠で言えば,16年5月のオバマ大統領の広島訪問、同年末の安倍総理の真珠湾訪問などをみれば、文字どおり過去にこだわらない日米関係強化の方向性が明らかです。
慰安婦問題や南京事件で日本人が内心アメリカの煽動を疑う状況を早く解消したい気持ちが、敗戦直後の慰安婦聞き取りなどの証拠を米軍が握っていながら長年隠していた?のを15年夏頃に漸く「残念ながら、証拠が出なかった」と言うアメリカの検証報告が出た理由になっているでしょう。
何十年も日韓を揉めさせておきながら,最近まで持っている証拠出さなかった結果から見てもアメリカの意図の変遷が分ります。
「アメリカ軍しか証拠資料を持っていない・・日本には証拠がないから日本はやっていない証拠を出せないから騒ぎ続ければ(・・アメリカがやっていない証拠持っていたのに知らん振りして)議会での非難決議など根拠なく道義非難を大々的にしてやると言う密約で)勝てる」とけしかけていた疑いが濃厚になりました。
日本人の被害意識を不合理な推測と言うのは勝手ですが・・戦後アメリカの数々の嫌がらせ経験からアメリカの陰を感じるのは日本人の勝手です・・。
昨年の広島訪問と真珠湾訪問でお互い恨みっこなしの決着を付けられたのは大人の智恵と言うべきです。
ヤバイ点がいろいろ出て来たので,世界中で「臭い物に蓋」式の[不可逆的合意」圧力が出て来て、15年末の日韓合意になったようです。
その頃に書いたと思いますが,多くの日本人が(感情的に?)この合意を許せないと思ったでしょうが,この合意成立によって,次のステージは合意違反したのはどちらかと言う単純な争いになるメリットです。
「ほぼ百%韓国政府は「国民が・・」といって守れないに決まっている」・・このためには10億程度捨て金になっても安いものだと言う読みが安倍政権にあった可能性があります。
まさにこの想定どおりの進行で,満を持した安倍政権が「已むにやまれず」4項目の通告になったと言う設定です。
長年にわたる韓国の反日教育・行動の結果、その反応としてこれだけ嫌韓感情が高まっている現在・日本人の多くは韓国を助けるためにスワップ協定など締結したくない人が多いとすれば、この人たちにとってはこのチャンスを利用しての協議中断は望むところです。
捏造の慰安婦騒動を収めるために日本がリスクの大きいスワップ協定(簡単に言えば韓国経済の保証人になってやること)に応じる必要があるか疑問に思う人が多いでしょう。
何か根拠のない言いがかりをつけられるたびに何らかの見返りを与えて解決していたら味を占めせるだけで却って両国間にマイナスの事例を残すでしょう。
このままご破算になった方がすっきりすると思っている人の方が多いのではないでしょうか?
ただ,本当にご破算になって良いかどうかは総合判断ですから,そこは文字どおり感情処理しないで落ち着くべきところに落ち着かせるのも大人の智恵です。
韓国に対しては物事にはケジメがある・・甘え過ぎたら痛い目に遭うことを教えて・・幼稚園の年長さんが理解する程度・・少しばかりの礼儀作法を理解させればそれで良いのです。
安倍政権が万全の体制・・熟柿作戦で通告しているように見る人が多いと思われますが,「感情的エスカレートは良くない」などとマスコミの期待に応じて言う政治家もいます。
韓国が謝って来たらどう対応するかは難しい・・大人の対応が必要ですが,ここでけじめを付けるべきであると言う判断自体を,感情的対応と言うのは無理があります。
そこで、数日前に書いたとおり,民進党でさえ何ら意見発表出来ていません。
ここで,野党さえ批判意見を公式に出せない状態下で・・マスコミが「政府対応が感情論に基づく行動である」と言う印象を拡散させようと努力しているように見えるのが不思議です。
マスコミは最近世論誘導がうまく行かないので?大衆迎合主義・オポチュニストは危険だとか,安倍一強でもの言えない雰囲気は異常だと頻りに印象操作しています。
マスコミ誘導どおりおうむ返しに無批判に言う人の方が,迎合者じゃないかの批判には答えません。
安倍政権が見事に国民世論に合致し過ぎているから,国民世論の反発が怖くてマスコミに迎合する政治家が減っている・・反対しようがないだけではないでしょうか?
マスコミは世論の直接批判を無視出来る(長期的には信用をなくしますが・・)コトを奇貨として?・国民意識から遊離した意見を拡散したくて,誰かの意見を無理に自己意見に合うような見出しにして印象操作している印象受けます。

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